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昨日は祈祷会で詩篇102編から奨励をした孤独の底から神に心を傾ける神に心を注ぎだしていると信仰者の心が確かになっていく詩編の信仰の一つのパターンだ理屈ではわかっているが、心が伴わないときもひたむきな祈りを通して理屈と心が一つになるのだろう昨日の祈祷会のメンバーは伝道師と前牧師の奥様とボク3人で心を注ぎだして祈るとどんな問題に向かっていても心が軽くなる
2023年03月31日
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ボクの小さな群れの総会が行われている会場教会に集まったのは4年ぶりやっぱり顔を合わせるっていいな久々に会う同労者はみな成長して堂々と見える自分だけ小さく見える今夜は最後の夜で聖別会話し手は渾身から語っている熱いものが湧き出てくる司会者は恵みの座を開きボクたちに講壇の前に来て祈るように招いた波のように人々が寄ってきた
2023年03月22日
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昨日は電車に乗るのが楽しみだった。13日からマスク外しても良いということで。駅の構内でも、電車内でも、ほとんどの人がマスクをしていた。していない人もいる。マスクをしている人々の中でぽつんと一人外している人があるとぱっと明るく見える。ボクも外した。
2023年03月17日
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「利休にたずねよ」山本兼一 PHP研究所どなたかが推薦していたので、入手して読んだ。茶の湯に生涯をかけた千利休どこまでが史実で、どこまでがフィクションかわからなかったが読み応えのある小説だった。一つのことをとことん追求する人生なら茶の湯より、神を求め、神を追求することが良いなと思った。つまらぬ生き方をした。来し方を思い起こせば、悔いの念ばかりが湧いてくる。衰えた肉と骨を苛むのは、砂を噛む虚しさである。茶の湯など、何ほどのことか。こうして無明の闇を見つめていると、茶の道に精進してきた自分の生き方が、まるで無意味だと思えてくる。 (139頁)その悔いがうたかたとなって心の闇に浮かんでは消える。若い頃こんな煩悶はすぐに消え去るだろうとたかをくくっていた。老境にさしかかり、ますます悔いの思いは深まるばかりだ。たとえ悔いに満ちていようとも、今日という新しい一日が始まる。心にどんな闇を抱えていても、どうせなら気持ちよく生きたい。なすべきことは、茶の湯しかない。(142頁)
2023年03月15日
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アメリカ、アズベリー大学では、2月8日から約2週間にわたり、賛美と祈りの集会が続けられたという。キャンパス内では、色々な場所で礼拝が持たれ、遠方からも人々集まり、夜中の12時を過ぎても続けられていたと。特別なだれかが導いたのではないそうだ。人為的で無いところがすごいな。クリスチャンたちの礼拝や賛美の心が突然高まるって、すごいな。そういう経験は、いつ、どこからでも起こりうる。だから、期待して、わくわくして待っていたい!
2023年03月13日
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母はずいぶん教会の奉仕をしてきた。霊的な資質は与えられていない代わりからだを動かしながら教会に仕えることで信仰を保ち続けて来た人だ。老人ホームにとどめられ、奉仕や、集会に出席する機会を失うと信仰の危機を迎える。週に一度訪ねて、聖書を読み、一緒に祈ることは、母の信仰を呼び覚ます時になっている。祈った後は、「気持ちが落ち着いた」と口にする。「神様のことを忘れることもある」とも言う。キリスト教の老人施設だったら、居ながらにしてメッセージがあり賛美も聞こえてくるがこの世の施設にはそれがないから、信仰の道を全うするためには周囲の支え、祈りの応援が不可欠だ。
2023年03月11日
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