February 2, 2021
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カテゴリ: 気になるTV番組
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。

今回のは本当に、社会の中でふつうに生きている人に
とって、いつかどこかで遭遇するような場面だなと
思って見ていました。

ある組織でリーダーとなった人がいて、組織が小さい
うちは皆の意見に耳を傾けていたけど、組織が大きく
なって強権となっていったら同時に自信過剰にもなり、
自分の考えは何でも通る(通してやる)と思うように


たとえ正論であっても自分に逆らう者は疎ましい。
さらにそれが、かつては自分と意気投合し、どんな時
でも自分を支えてくれた相手だと思うと、情が深い分、
自分から離れたときは疑い憎む存在となる。

妻の帰蝶が離れたこともあって、不安が先立つ信長は
早く自分の思い通りに事を決めたがり、それを光秀は
いちいち正論で反論して信長の怒りの火に油を注ぐ。

全体的にそんな場面が続いたように感じました。
感想欄の中には「今回のは昼ドラか?」なんてあった
けど、後半の、自分と距離を置こうとしている光秀が
家康と親しげにしているのに嫉妬して怒りが爆発する


あと、これだけ信長と朝廷の関わりが出てくるなら、
天正9年(1581)春の「京都御馬揃え」のシーンが
見たかったなあと思いました。

各地の大河ドラマ館もオープンしています。
(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります)
2月14日(日) まで延長になっています。
   ↓   ↓   ↓
岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館
可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館

※こちらも盛り上がっています。 ⇒  #麒麟がくる


天正7年(1579)夏、丹波の八上城と黒井城が落城し、これによって明智十兵衛光秀
(長谷川博己さん)は丹波全域を平定できました。
そして降伏してきた波多野秀治らは助命するよう織田信長(染谷将太さん)に頼んで
ありましたが、信長がそんな話を認めず波多野らを磔に。
そして後日、光秀と細川藤孝(眞島秀和さん)が登城したときに二人の労をねぎらって
褒める一方で、処刑した波多野らの首を塩漬けにして皆に見せる異様性を見せました。



帝が春宮(誠仁親王;加藤清史郎さん)に譲位すれば自分の思い通りに事を進めやすく
なると考える信長は、その手始めとして春宮を二条の御所に移して新たな朝廷としようと
考え、光秀と藤孝が登城した際に二人に、春宮の説得を命じました。
信長の唐突な申し出に、信長を気に入っていた春宮でしたが不快感を隠せませんでした。



春宮との話の後で光秀は、信長のやり方はおかしい、これは行き過ぎで誤りであると
強く感じた光秀でしたが、藤孝は事を荒立てぬほうが良いと光秀を制しました。
信長は帝の譲位のために次々と手を打つだろう、帝がそれをどう思うかを知ることが先、
信長の行き過ぎをいさめるときは自分も共に、というのが藤孝の考えでした。



その年の11月に春宮は二条の新しい御所に移り、伊呂波太夫(尾野真千子さん)は
このことを三条西の爺様が生きていればと悔しそうにぼやいていました。
近衛前久(本郷奏多さん)は、今の朝廷は信長の金に頼らなければ何もできないから
仕方がないとあきらめています。
そして藤孝は、追放された将軍・足利義昭といまだに密かに会う光秀に対し羽柴秀吉は
不満に思っている、武家の棟梁は足利将軍という気持ちは百姓の出の秀吉にはない、と
考え、伊呂波太夫は、秀吉は本音は武士が嫌いで公家贔屓だと言葉を添えました。



天正8年(1580)4月、本願寺宗主の顕如(武田幸三さん)は5年にわたる籠城の末、
ついに力尽いて大坂の地を信長に明け渡しました。
そしてその直後、信長は若い頃から30年間自分に仕えてきた佐久間信盛を追放しました。



近ごろ光秀は、不思議な夢をよく見るようになりました。
月にまで届く大きな木があり、その木に登って月に行こうとする者がいてそれはどうやら
主君・信長らしいが、月に行こうとした者はだれも帰ってこない。
だから自分がそれを止めようと夜の闇の中で月明かりの下、必死に木を切り倒そうとする
けど木を切れば信長の命はない、でもそれをわかっていて木を切り続けるという夢でした。



安土城を去り美濃に戻った帰蝶(川口春奈さん)が今、京に来ているときいた光秀は、亡き
斎藤道三の気性を誰よりも受け継いでいるという帰蝶を訪ね、道三なら近ごろの信長を
どう思うのか聞きたくて相談をしました。
帰蝶は、近ごろは夫・信長が権力が増すごとに周囲に横暴になっていく様を聞いていて、
父・道三なら「毒を盛る、それが十兵衛のためなら」と言います。



夫・信長を殺すのは胸が痛むが、父は自分に信長に嫁げと言い、十兵衛も賛同し、結果
それが今の信長をつくった、万つくった者がその始末をする他ない、これが父の答えだ、
と帰蝶は言います。
庭から差し込む西日のまぶしさを手で覆いつつ、夜(=余生?)を静かに迎えたいけど
ままならぬと帰蝶はつぶやきました。
(ただ私が思うに、帰蝶が信長から離れたことも信長の横暴が加速すした一因かと)



天正10年(1582)3月、織田・徳川の連合軍は甲斐の武田勝頼を討ち取り、信玄の
死から9年、武田家は滅亡しました。
両軍が信濃の諏訪で休息しているとき徳川家康(風間俊介さん)は光秀に、新たな領地を
うまく治める秘訣を教えてほしいと頼み、光秀は答えます。
「己の国が豊かで人並に暮らせるところであれば他国に目を向けることはない。己の国の
作物の収穫を調べるために正しい検地をし、それに見合った人の使い方をし、無理のない
年貢をとる。百姓たちが健やかに穏やかに暮らしーー」



光秀と家康がそんな話をしているところを、信長の小姓の森 蘭丸(板垣瑞生さん)は
二人を見張っていて、その様子を信長に報告しました。
そして信長が主催する家康の祝いの宴の饗応役を、家康が是非光秀に頼みたいという話を
すると丹羽長秀(松田賢二さん)は、家康は毒を盛られると疑っていると口を挟みます。
丹羽の発言を聞いて信長は、家康が自分に信康切腹のことをまだ根に持っているのかと
疑心暗鬼になり、一方家康は、根に持ってはいないけど信長を警戒はしていました。



そして迎えた安土城での家康接待の日(天正10年5月)、光秀は精魂込めた馳走を
用意し、信長もはじめは十分に満足していました。
しかし信長が、これから毛利攻めをしている秀吉の加勢に行けと光秀に命じても、家康との
約束がある光秀はガンとして聞き入れず、またその直後に光秀と家康が親しげにしている
のを見た信長は、光秀に対する怒りが頂点に達しました。
宴が始まってすぐ光秀にケチをつけ、それに光秀が正論だけど反論し、さらに光秀が信長の
着物に汁をこぼすという粗相があったので、信長は怒りが収まらず宴の席で光秀を足蹴にし、
光秀もこれは我慢がならぬと信長を恐ろしい形相で睨み返しました。






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Last updated  February 2, 2021 01:43:10 PM


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