June 23, 2021
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カテゴリ: 気になるTV番組
2021年NHK大河ドラマ 『青天を衝け』 の感想です。

今までの幕末ドラマでは、徳川慶喜という人物が場面で
いくら登場してもとても印象が薄かったのですが、この
ドラマでは草彅 剛さん演じる徳川慶喜が本当に魅力的で
思わず見入る場面が多々あります。

今回も勅許のことで朝臣たちに掛け合って、徳川を侮る
ことをすると各々方は後で大変なことになるであろうと
真剣に忠告し、だんだんと態度が大きくなってくる朝臣


そして慶喜と吉沢 亮さん演ずる渋沢篤太夫との関わり。
吉沢さん、多弁な篤太夫の役なので、毎回すごいセリフの
量で、しかもそれを聞く側に飽きさせない表情や身振りの
演技が素晴らしいですね。

今回も後半で、誰にも会いたくないほど疲れきっていた
慶喜が、廊下で猪飼に元気に話しかけている篤太夫の姿を
見て、なんとなく篤太夫の話が聞きたくなりました。

そして自室に呼び、篤太夫が先々の利を考えて生き生きと
仕事に励んでしゃべる姿にどこか癒され、ふと気が付けば
自分も気鬱が晴れていました。

何かで自分の精神的エネルギーが下がって自分の気合では

楽しそうに元気に活動する姿を見ると、なんとなく元気に
なった気がすると思います。

今風に言うなら、疲れ果てたときに推しのアーティストの
お気に入りコンサート映像でも見るような感じでしょうか。

さて、地図のゼンリンさんが今回も興味深い地図解説を



多可などに点在していました。
 ⇒ ⇒  こちら

大河ドラマ館も2か所でオープンしています。
※埼玉県深谷市  こちら   ※東京都北区   こちら

※こちらも盛り上がっています ⇒  #青天を衝け
 ドラマ内のことが解説されてます  #青天ナビ


主君・徳川慶喜に提言し、ならばやってみよと言われた渋沢篤太夫(吉沢 亮さん)は、
大坂の米市場では入れ札で米を高値で売り、備中では火薬の製造に力を入れて、慶喜に
約束したように一橋家の懐を少しずつ豊かにしていきました。
また播磨では、木綿を高く売るためにも皆からいったん一橋家が今までよりも高く買い、
一橋家の名で売るとよいと百姓たちを説得しましたが、篤太夫の言葉を疑う者もいて、
こちらはうまくいきませんでした。



そして幕府にも、幕府を強くするためにも懐を潤してフランスから軍艦を買おうと
考える勘定奉行の小栗忠順(武田真治さん)がいました。
幕府は2年後にパリで開催される万国博覧会への出展をフランスから誘われていました。
財政が火の車の幕府が交易によって利を得るためにも、世界に日の本の優れた産物を
見せつける好機なのでもちろん参加であると小栗は考えていました。
さらに交易で異国に侮られぬためにも幕府にコンパニーが必要だとも考えていました。



慶応元年(1865)、イギリスの公使パークスが安政の五か国条約(1858)で決めた
開港を急ぐように強く言ってきました。
帝の勅許が得られないことに苦慮する将軍・徳川家茂(磯村勇斗さん)に対し、勅許
なしで公儀の判断で事を進めればよい、と言いだす幕臣も出てきました。
そこに遅れて入ってきた徳川慶喜(草彅 剛さん)は、公儀の専断による条約は不可で
あり国の根源が崩れると強く主張し、その後で帝に勅許を求めに参内しました。



慶喜が参内すると、老中の阿部と松前が勅許なしで開港すればよいと発言したことが
すでに朝廷内に伝わっていて、正親町三条実愛(置鮎龍太郎さん)はこれはお上への
侮辱であるから両名をすぐに罷免するようにと言ってきました。
将軍・家茂は自分の力不足を嘆き将軍を辞して後は慶喜に任すとまで言いだしたので、
慶喜は急ぎ家茂に会い、自分が命をかけて今度こそ勅許を得てくると約束しました。
再び参内した慶喜は、勅許を得られないならば自分は切腹する、ただしその後で自分の
家臣たちが各々方に何をしでかすかはわからない、と朝臣らに忠告しました。
孝明天皇(尾上右近さん)は人払いをし、慶喜を信じて勅許を出しました。



篤太夫は殿・慶喜に提言したいことがあって京の一橋邸に戻ってきました。
猪飼勝三郎(遠山俊也さん)から、殿が京・大坂での勤めで大変疲れて寝込んでいると
聞き、篤太夫は代わりに猪飼に話を聞いてもらおうと一生懸命にしゃべりました。
しかし商売などしたことがない猪飼には篤太夫の長い話がなんだかよくわからず、
篤太夫はさらに論語に例えて説明しようとしていました。
するとそこへ慶喜が通りがかり、慶喜は疲れていたけど篤太夫に話の続きを命じました。



殿・慶喜に話を聞いてもらえることになり、篤太夫は年貢米と硝石は順調だけれど
木綿がうまくいかないという現状を報告し、そこで木綿から利益を得るために一橋の
銀札を造りたい、と慶喜に提言しました。
今銀札は西のほうでよく使われている、銭を持ち歩くのは重たい、しかし今ある銀札は
価値が低い、一橋の名がついた銀札なら信用ができて商人も百姓も使うようになる、等
思うところを喜々として慶喜に身振り手振りを交えペラペラとしゃべりまくりました。
しかし自分の話に慶喜の反応がないことに気づき、慶喜に確認したら・・・



こういうことでした。
でも篤太夫が嬉しそうに生き生きと語るのを見て、心が疲れ果てていた
慶喜は気鬱が消えていき、慶喜の顔にみるみる生気が宿ってきました。



「仁をもって成す」ーー篤太夫がまことに信用のできる札をつくり、それで民をも
喜ばせることができるのなら是非見てみたいと、慶喜から了承が出ました。
篤太夫は早速、職人に無理を言って細かい彫の格調高い版を作ってもらい、さらにその
できあがりを3分割して、3つ揃わないと使えないように工夫しました。
こうして篤太夫は半年をかけて銀札引換所を設立しました。



こんな紙切れが本当に銭になるのか、自分たちの木綿を一橋家は高い値で買って
くれるのか、半信半疑だった村人たちでしたが全て本当のことでした。
これでもっと働けると皆は大喜びで、当初この話に反対をした多呂作(土平ドンペイ
さん)は篤太夫が自分の働きを認めて礼まで言ってくれることにとまどいましたが、
あの時の非礼を詫びてこれからももっと働くことを村人たちと誓い合いました。



篤太夫の誠実な行いで一橋家の信用は高まり、財政も豊かになってきたので、慶喜は
篤太夫に褒美をとらせ一橋家の勘定組頭に抜擢しました。
領民たちは物産所と銀札の制度にも慣れ、篤太夫はさらなる精進を慶喜に誓いました。
経済に才覚ある者として幕府内では小栗上野介の名が世に響いていましたが、一方、
薩摩には五代才助(ディーン・フジオカさん)がいて彼は留学から帰国していました。
慶応2年(1866)1月、薩摩と長州は手を結び、長州は第二次長州征伐の幕府軍と戦う
ためにイギリスの武器が欲しくて、薩摩にその仲介を頼んでいました。
五代は早速グラバーなどから大量の武器を調達し、大久保利通(石丸幹二さん)も京に
行って要人と会ってくると言いました。



大久保が会いに行ったその要人とは、このお方。
文久2年(1862)に失脚して洛北の村で侘し過ぎる蟄居生活を送って
心が荒んでいる岩倉具視(山内圭哉さん)のことでした。



慶応2年(1866)6月、幕府による第二次長州征伐が始まりましたが、津和野・
岩国・小倉すべての地で大軍を擁した幕府軍が苦戦していました。
将軍・家茂がその理由を問うと、長州側は身軽な大勢の農兵が最新式の銃を持って自由に
動き回る新しい戦法を取り入れているとのことでした。
家茂がミニエー銃のことだと気づき、その入手先は薩摩であり、今や薩長が幕府の敵と
なったと知った家茂は、心労もあって大坂城で倒れてしまいました。



このころ渋沢成一郎(高良健吾さん)は軍制所調役組頭に昇進していて、それまで共に
暮らしていた長屋を出て篤太夫とは別々に暮らすようになっていました。
篤太夫が勘定組頭として財政を整え、成一郎は軍制所調役組頭として兵たちを統率して
鍛え上げ、二人はそれぞれに一橋家のために懸命に働いていました。






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Last updated  June 23, 2021 11:03:26 AM


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