July 5, 2022
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カテゴリ: 気になるTV番組
2022年NHK大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』 の感想です。

この回は、大きな組織のトップが死を迎えると、組織を
維持していくためにその下の者は感傷にふける間もなく、
次々と準備をしていくのを見ました。

現代なら公共施設として火葬場があるけど、あの時代は
本人がまだあの世に旅立ってなくても、医者がもう長く
ないと判断すれば火葬場の準備が進められたのですね。

そして源 頼朝(大泉 洋さん)の死によって、これまで

なってしまいました。

新しい武家の世を作るために頼朝と共に最前線で戦って
きた北条義時(小栗 旬さん)と政子(小池栄子さん)は、
ようやく安定した武家の世を守ることを第一としました。

でも比企への対抗心と、手に入りそうな権力に浮かれて
しまった北条家の他の人々はそうじゃなかったのでした。
まあそれまでの流れで、その人がそう考えるようになって
しまう下地はありましたが。

妻・御家人という立場で頼朝に仕えてきた政子と義時は、
常に言葉一つでも選びながら言い、思うことがあっても
幾度も言葉をのみこんで、我慢を重ねてきました。


わりと伸び伸びとやってきた実衣(宮澤エマさん)は、
思うことをそのまま言える人でした。
実衣は一歩下がった位置にいて、自分が姉や兄に守られて
いることがわからないのでしょう。(だから御台所は無理)

また時政から見た頼家は、本来は可愛くて仕方がない孫の

孫は自分の手元にあってこそ特別な情がわくと思います。
ましてや時政には自分の子もいるから、仕方がないですね。

さて次回からいよいよ鎌倉が混沌となっていくのですが、
その予告ムービーが こちら です。
「パワーゲーム」とか「権力闘争」とか、スゴイ言葉が
並んでいるけど、うん、たしかこういう時代でした。

こちらではいろいろな感想で盛り上がっています。
 ⇒ ⇒  #鎌倉殿の13人

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建久10年(1199)1月、相模川橋の追善供養の帰り道に意識を失った源頼朝は、
医者の見立てでもう長くはないと言われ、北条義時(小栗 旬さん)らの頼朝のごく
身近な者たちは、当面の間どうすればいいのかと考えていました。
義時は口の堅い畠山重忠(中川大志さん)と梶原景時(中村獅童さん)に「速やかに
次の政の形を決めるから、それまではこのことを内密にしたい。落馬を見た者全てを
捕らえて欲しい。」と頼み、医者は砂金と馬を渡して口封じをすることにしました。
そして義時は頼家の乳母父の比企能員にも内密に伝えたのですが、父・北条時政が
三浦義澄にこっそり漏らし、義澄は嫡男の義村に伝え、こうして頼朝のことは鎌倉の
内部にじわじわと広がっていきました。



一方、源頼家がこのまま次の鎌倉殿になれば比企の権威が強くなり、それが面白くない
時政の妻のりくは、北条の権威を守るために夫・時政をたきつけ、頼朝の弟で時政の
娘婿でもある全成を次の鎌倉殿になるよう説得を始めていました。
そして頼朝の側近たちは頼家が跡を継ぐための朝廷への働きかけを始め、中原親能が
それを受け持ち、三善康信(小林 隆さん)が朝廷のしきたりで喪中の昇進はできない
と言うので、頼朝が息を引き取る前に急ぎその許しをもらうことになりました。



義時が矢場でひと息ついていたら三浦義村(山本耕史さん)が来て、頼朝の死が近い
ことを知っていると口にしました。
あれだけ慎重に内密に事を進めていても、こうして話が漏れていることに義時は落胆
しつつ、でもこの機会にと義時は義村に話しました。
「頼家が寵愛している女性・つつじにもし男子が生まれたら、乳母父を三浦から出して
欲しい。北条と比企のいさかいが大きくなったら三浦に間に立って欲しい。」と。
義村は「乳母父の件は頼朝が考えたことにしてくれ。」と条件をつけて承諾し、御家人
同士の地位争いでようやく自分たち三浦にも出番が回ってきたかと嬉しそうでした。



意識がなく体も動かない頼朝の世話を、政子は下女にさせずに自分で付きっきりで
看病して行っていました。
姉の政子がさすがに心配になった義時は妻の比奈(堀田真由さん)に看病を交代させ、
政子も頼朝の容態が変わらぬうちにと休息に入りました。
しかし政子が退室したらすぐに八田知家が来て、意識のない頼朝のそばで頼朝の火葬の
打ち合わせが行われ、これが現実でした。
別室では父・北条時政と全成が待っていて義時に「全成を次の鎌倉殿にする。御台所を
北条の家から出したい。」と強く主張し、義時を困らせました。
「全成が鎌倉殿になったら鎌倉が二つに割れる。」ーーそれが義時の考えでした。
そして義時は、北条と比企の争いで比企の出の妻・比奈のことを案じましたが、義時の
ことを一途に思う比奈は「私は北条の女子。」と義時に迷いなく言い笑いました。



八田知家(市原隼人さん)の指揮の元、頼朝の火葬場は目隠しをした中で進められ、
北条時連(瀬戸康史さん)、北条頼時(坂口健太郎さん)、鶴丸(きづき さん)らの
ごく少数の者たちで突貫工事で行われていました。
その頃ようやく頼家が頼朝の元に帰ってきて、父の容態を見た頼家はもう助からないと
判断し、そして父のことが噂で広まっているならもう公表すればよいと考え、御家人を
集めて皆に知らしめるよう、義時に命じました。



そんな折、義時は三善康信と大江広元から、都人の習わしである「臨終出家」という
話を聞き、それはいよいよ死が近づいたとき極楽往生できるというものでした。
阿弥陀如来像の手に5色の紐をかけて頼朝の手と結び、僧の読経が流れる中、頼朝の
髷が落とされ、その時に頼朝の髪の中から小さな観音像が出てきました。
それは6年前に範頼のことがあって比企尼と会ったときに、尼には捨てたと言って尼を
激しく悲しませたあの像でした。
御家人たちに自分を強く見せるために肩肘張っていた頼朝を思い、政子は涙しました。



政子(小池栄子さん)が頼朝(大泉 洋さん)の看病に向かうときに妹の実衣が来て、
夫の全成は鎌倉殿になる決意をした、自分も御台所になると言いました。
そんな実衣に政子は「あなたに御台所は務まらない。」とはっきりと伝えました。
政子は頼朝との思い出の木の実を折敷に乗せて、頼朝の枕元に置いておきました。
疲れてうたた寝をした政子がふと目を覚ますと、頼朝は起きて木の実を持って縁側に
出ていて、その姿を見た政子は嬉しくてすぐさま人を呼びに走りました。
しかし政子が頼朝から目を離したその瞬間に頼朝は息絶えてしまい、政子はついに
旅立ってしまった夫・頼朝にすがって、ただ泣くばかりでした。
(起き上がった頼朝の姿は政子の夢かと思いましたが、よく「命の灯が消える前に
ほんの一瞬だけ力が出る」と言われることだったようです。)



すでに用意してあった火葬場で頼朝の遺骸は荼毘に付されました。
長年仕えてきた主・頼朝があの世に旅立ち、かつて主がいた場所を見つめる安達盛長
(野添義弘さん)は、ただ寂しさと悲しさに暮れていました。
そんな盛長に義時は頼朝の骨壺を運ぶ役目を頼み、一旦は断った盛長でしたが「生前
最も繋がりの深かった者が。鎌倉殿も安達殿をお望みかと。」と義時に言われて心の
救いになったのか、納骨の儀で持仏堂に骨壺を運ぶ役目を引き受けました。



御家人たちの間では次の鎌倉殿は頼家と全成のどちらにすべきかで激しい口論が繰り
返され、それを見かねた義時は「御台所の裁きで」と皆を収めました。
義時からそう言われた政子は、初めは政治のことには自分は口をはさめないと断り
ましたが、義時から「姉上はそういう立場になった。悲しむのは先のことに。」と
言われ、決心した政子は頼家の意志を確認しました。
鎌倉殿になる自信がないと言う頼家に政子は、18年前に頼家の父・頼朝と初めて
ここに立ったときの思いを語り、「私と義時はあなたの才を信じる。鎌倉を混乱から
守れるのはあなただけ。」と励まして、頼家は次の鎌倉殿になる決意を固めました。
しかし!、頼家は実は事前に梶原景時に相談していて、御台所の母・政子から力強い
推挙をもらうことを計算していたのでした。



次の鎌倉殿は頼家に決まり、父・時政と義母・りくは激怒して政子と義時を激しく
ののしり、義時は「鎌倉あっての北条」と父を諫めますが時政は聞く耳持たずでした。
そして政子が全成(新納慎也さん)に頼家を助けてやって欲しいと頼むと、妹の実衣
(宮澤エマさん)から「騙されちゃ駄目よ。」と思いがけない言葉が。
姉の政子は自分が御台所になるのが嫌だから反対したと考える実衣は、姉と兄に思い
込みの嫌味をぶつけてその場から立ち去っていきました。
(姉から御台所は無理だと言われ、なぜ自分はふさわしくないのかを深く考えることが
できない、感情的にすぐに言葉と態度を出す、そういう短絡的なところが実衣は御台所
という頂上に立つ人にはふさわしくない、ということだと思います。)



自分の娘の実衣を御台所にできず時政は不愉快でしたが、妻のりくがささやきました。
「頼家は気性が荒く、女子癖は悪い。いずれボロを出すからその時が勝負。」と。
(たしかに頼家は頼朝のような苦労がなくて己を抑えることをしてないですからね)
義時は亡き頼朝を偲びつつも、自分の身内との関係までもがおかしくなってしまった
ことを思い、身も心も疲れ果ててしまいました。
そこへ嫡男の頼時が来て、頼朝の死因は落馬による外傷ではなく、先に意識を失って
落馬したのであって、皆が武家の恥だと言うような原因ではないと言いました。
義時は頼時の観察眼を褒め、自身も少し安心できた思いでした。



とはいえ、我が身を捧げてきた頼朝は他界し、そしてその後に起こった諸々ことで
疲れ果ててしまった義時は政子に、自分はもう鎌倉を離れ伊豆に戻ると告げました。
しかし政子にとって、まだ若くて耳ざわりの良いことを言う御家人に乗せられて流され
かねない頼家は頼りなく、これからこそ義時の力を必要としていました。
「私に全てを押し付けて自分だけ逃げるなんて卑怯よ!」ーー去ろうとした義時が姉の
政子にそう言われて立ち止まったとき、政子は義時の手を取り「これからは私を支えて。
お願い。」と言って、義時の手にあの小さな観音像を握らせました。
「鎌倉を見捨てないで。」ーー政子の心からの訴えに義時は決心が揺らぎました。






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Last updated  July 5, 2022 01:48:18 PM


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