September 6, 2023
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カテゴリ: 気になるTV番組
2023年NHK大河ドラマ 『どうする家康』 の感想です。

この回は徳川家康(松本 潤さん)が今や天下人となった
豊臣秀吉(ムロツヨシさん)に臣従するために上洛するか
否かで、家康と秀吉の駆け引きが、秀吉の妹・旭(山田
真歩さん)を巻き込んでの展開となった回でした。

私はこれまでいろいろな戦国ドラマを見てきて、その中で
旭の話は本当に印象が薄いものでした。
これまででは家康は旭を正室として粗略に扱うことはない


でもこの『どうする家康』では、山田真歩さん演じる旭と
いう人物と、旭に対する家康の心情の変化ととった行動が
とても印象的でした。

女人としての色香には程遠い自分が、兄・秀吉に言いつけ
られた役割をなんとか果たそうと、前夫との辛い別れの
ことは徳川家では微塵も感じさせず、努めて明るく振舞い
周囲にとけこもうとしました。

そんな旭のけなげさや相手への思いやりは、計算ではなく、
於大(松嶋菜々子さん)と於愛(広瀬アリスさん)らの女
たちの心を動かし、旭の味方となりました

家康を唯一、遠慮することなく叱れる於大や、側室だけど

けっこう言ってしまう於愛の存在がいいですね。

そしてラストで、旭の身の上や立場を思いやることなく
今まで冷たい態度をとってしまったことを家康が詫び、
「そなたはわしの大事な妻じゃ。」と旭にハッキリ言い、
旭が嬉しくて泣いてしまうシーンは感動でした。


そんな於愛だから家康は、自分の協力者であり奥の差配を
任せる女人として頼りにでき、側室として愛おしく思うの
かなと感じていました。

こちらでは様々な意見がでていて参考になります。
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天正13年(1585)11月、徳川家の家老だった石川数正は一族郎党を連れて
敵対する豊臣秀吉のもとに出奔し、徳川の家中は大きな衝撃を受けました。
徳川家の全てを知る数正が秀吉についたから今度こそ秀吉は徳川を攻めてくる
だろうと本多正信(松山ケンイチさん)は進言し、徳川家康(松本 潤さん)は
すぐに守りを固めるよう井伊直政(板垣李光人さん)に命じました。
数正が自分に相談もせずに去っていったことを酒井忠次(大森南朋さん)は
寂しく思い、また家康は数正を思い出すことを不快に思うばかりでした。
その家康は上洛して秀吉に臣従か秀吉と戦か、選択を迫られていました。



11月末、天正大地震が発生し(現在の)近畿・北陸・東海(地方)にかけて
壊滅的な被害をもたらしました。
家康の領国も大きな被害を受け、於愛(広瀬アリスさん)が城の奥の片付けを
していたときに、数正が残していったけど家康に命じられても処分できなかった
木彫りの仏と木箱を見つけました。
家康が見回りに出るときに声をかけられた於愛はとっさにその木仏を隠したけど
見つかってしまい、家康は不快感をあらわにしましたがそのまま出ていきました。
そしてこの大地震は秀吉の治める畿内周辺の被害が甚大で、家康との戦に備えて
いた大垣城も焼け落ちてしまいました。
寧々は秀吉に、もはや戦どころではない、領国内の立て直しが急務と進言し、
もちろんそれを十分にわかっている秀吉は、家康という男の運の強さをいまいま
しく思っていました。



そんな頃、前年の小牧・長久手の戦(1584)では徳川と同盟を結んだものの
その後に秀吉の側についた織田信雄(浜野謙太さん)が岡崎城を訪れ、秀吉は
まさに兵を差し向ける寸前であったけど大地震で中断し、家康は命拾いをした
のだ、早く上洛を、と話をしました。
さらに仲介役で張りきるような顔で家康に、負けを認めるべき、天下は秀吉の
もの、数正は賢かったと言葉を並べるので、家康もたまらず信雄が勝手に秀吉と
和睦をせいでと言い返しました。
忠次は冷静に、徳川は秀吉を信用していない、上洛すれば殺されるかもしれない
と思いを伝えました。
そう聞いた信雄は、ならば秀吉の方から人質を出せば家康は上洛するのだと考え、
そのまま秀吉に話を伝えてしまいました。



徳川に出す人質として秀吉は、妹の旭(山田真歩さん)を家康の正室にすれば
いいと考え、夫のいる旭を無理やり離縁させて岡崎に送ることにしました。
もう正室は置かないと決めていた家康は不承知でしたが、秀吉の妹ならば大いに
利用する価値はある、上洛はまた別のこと、と正信に進言され話を承諾しました。
天正14年(1586)5月、旭は家康に輿入れして浜松に到着しました。
披露宴の席では、今や関白の妹という地位になっても言葉や振る舞いは変わらず
尾張の百姓のままという旭に、家康も家臣一同も驚きを隠せませんでした。
そんな旭は、家康は自分に興味がないこともわかっていて、形ばかりの夫婦だ、
自分みたいなので申し訳ない、と家康に思いを伝えていました。



兄・秀吉から「徳川でうまくやれ。でないと次はかか様が人質に行くことになる。
これくらい役にたて。」と言いつけられてた旭でしたが、姑の於大の方(松嶋
菜々子さん)や家康の側室の於愛にも気さくに明るく接していて、於大も於愛も
自分を飾らず偉ぶらない旭に好感を抱いていました。
大坂や京の土産で話が盛り上がり、旭の周りにはいつも女たちの笑い声が響いて
楽しそうでした。
一方、大坂に行った数正のことを探った正信によると、数正は特にこれといった
働きもしてなくて、与えられた屋敷で静かに暮らしているとのことでした。
家康は数正のことを考えないでおこうとしていましたが、一人になると「私は
どこまでも殿と一緒。」と言った数正の最後の言葉が脳裏をよぎっていました。



妹を嫁がせても一向に上洛する様子がなく自分に臣従しない家康に、豊臣秀吉
(ムロツヨシさん)は業を煮やしていました。
そこで秀吉はいよいよ大政所の自分の母親を岡崎に人質として送る事を決めた
のですが、ただし、かか様が着いたその日に家康が上洛しなければ、今度こそ
天下こぞっての大軍を送って戦になる、これが最後通牒だと家康に伝えるよう、
弟の豊臣秀長(佐藤隆太さん)に命じました。
そして母・大政所が岡崎に来ると於愛から知らせを受けた旭は兄の言葉を思い
出して一瞬顔が曇り、でもすぐにいつもの笑い話にしてごまかしていました。
ただ旭の様子は何かおかしいと、於大と於愛はすぐに気がつきました。



於大と於愛は家康のところに行き、上洛についての家康の考えを確かめました。
あくまでも上洛を拒む家康に於愛は「あちらは妹君に加えて老いたる母君まで
差し出すのに。」と言い、さらに旭の身の上が不憫であると家康に進言しました。
それでも「旭は猿の妹。正室は瀬名一人。」と言って自分の考えを通そうとする
家康を見て母・於大はたまらず「人を思いやれるところがそなたの取り得だと
思っていたが。」と家康をたしなめました。
そして乱世にほんろうされた於大だからこそ、ないがしろにされる者を思いやる
よう、息子・家康に言いました。
家康は女二人の言葉には返事をせずに評定に出ていったのですが、その途中で
一人泣き崩れる旭の姿を見てしまいました。



評定になり、秀吉の使者がこちらに向かっているから上洛するか否かの決断が
迫られていることを、家臣たちも承知していました。
本多忠勝(山田裕貴さん)ら若い重臣たちは相変わらず主戦論者で何年でも戦を
続けると強気でしたが、家老の酒井忠次は彼らに「秀吉を相手に本気で戦えると
思っているのか。どんな勝ち筋があるのか。」と考えを問いました。
そして家康にも「本当は我らは負けたとわかっているはず。でもそれを認めない
のは、亡き人(瀬名・信康)に心をとらわれているから。」と言い、その思いは
忠勝と榊原康政(杉野遥亮さん)も同じでした。
その時、評定のさなかとわかっていても於愛は中に入ってきて、自分には難しい
ことはわからないけどと言いつつ、(亡き瀬名が目指した)戦無き世は他の人が
つくってもよいのではと進言しました。



続けて忠次が、数正は自分が出奔すれば徳川はもう戦ができなくなり、それが殿と
皆と徳川を守ることになるのだとわかっていたのだと言い、さらに正信がだから
数正は己一人が間者となって罪を一人で背負ったと考えを述べました。
そして於愛は数正が置いていった木仏と木箱を出し、中の押し花を広げました。
それはかつて瀬名がいた築山に咲いていた花で、家康はすぐに気がつきました。
於愛は、数正は言葉には出さなかったけど亡き瀬名と信康にいつも思いを馳せて
いたのではと言い、押し花と共に誰もが亡き二人に思いを寄せました。
家康は忠勝と康政に、自分が天下人となることを諦めてもよいかと問い、さらに
皆に秀吉にひざまずいてもよいかと涙を浮かべて問いました。
忠勝が「数正のせいじゃ。」と言いだし、続けて皆も口々に「数正のせいで戦え
なくなった。やむを得ん。」「やつのせいで。責めるなら数正だ。」と悔し涙を
流しながら、でも心のどこかでは「数正、あっぱれ。」と思いつつ、今ここには
いない数正をののしりました。



家康はようやく上洛して秀吉に臣従する決意ができました。
一方、その石川数正(松重 豊さん)は大坂では変わらず仕事を与えられることも
なく、妻の鍋(木村多江さん)と静かに暮らしていました。
鍋は夫・数正のことをちゃんと理解していました。
出奔すればこのような処遇に遭うとわかっていたけど出奔した、でもそれは殿・
家康が大好きで殿と徳川を守るためだったと。
鍋の言葉を数正は遮って「あほたわけ」と言ったけど、言葉とは裏腹の通じ合う
優しい思いに二人は笑っていました。



評定の後、家康は旭の部屋に立ち寄りました。
家康が来て慌てて涙をふき、いつものように明るく、母が来ればまたやかましく
なると家康を思いやりました。
そんな旭に家康は「もうお道化なくてよい。辛い気持ちを押し隠し、両家の間を
取りもとうと懸命に明るく振舞ってくれていた。なのに老いた母君まで来させる
事になり、まことに申し訳ない。」と言って頭を下げました。
そして上洛する決定を伝え、旭のおかげで家中が少し明るくなったと礼を言い、
「そなたはわしの大事な妻じゃ。」と旭に優しく微笑みました。
前夫と離縁させられた辛さや、兄・秀吉のために自分なりに懸命に徳川で努めて
きた思いなどが一気にあふれだし、旭は嬉し涙が止まりませんでした。
家康は旭を優しくいたわり、そして瀬名への思いを象徴する木彫りの兎を封印し、
天正14年(1586)10月、大坂に向けて出立していきました。
心の中では「自分が秀吉を操ってこの世を浄土にする。」と誓って。






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Last updated  September 6, 2023 09:53:34 PM


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