July 23, 2024
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カテゴリ: 気になるTV番組
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。

今回の見どころは何と言っても、蔵人頭の藤原行成
(渡辺大知さん)が彰子の立后を決断できない帝に
対して、力強く進言した場面でした。

ふだんの行成は帝(一条天皇;塩野瑛久さん)には
もちろんのこと、若い頃から共に過ごしてきた藤原
道長(柄本佑さん)にも自分の考えをほとんど言う
ことはなく、帝と道長の間で板挟みになってます。


自分の考えを帝にはっきりと述べたというのは、言わ
れた帝にはなかなか衝撃的なことだったでしょう。
苦渋の中でようやく彰子の立后を決断できました。
行成の大きな働きだったと思います。

あともう一つ興味深かったのは、入内した道長の長女・
藤原彰子(見上愛さん)のところに帝が突然渡って
きたときのやり取りでした。

帝なりに彰子と打ち解けようと自分のほうを見てくれ
と言ったら、返ってきた答えは「笛は聴くもので見る
ものではない」と。
色香も機知も何もない生真面目過ぎる返答でした。

ままに」と小声で答えるだけでした。

でも彰子がありのままの自分を出したことで、逆に
帝の関心を引くことになりました。
この後、帝の心をとらえて、彰子を愛しく思う何か
決定的なことが起こるでしょう。


さてこちらは、RekiShock(レキショック)先生の情報です

年齢(満年齢)
 ⇒ ⇒  こちら

こちらでは様々な意見がでていて参考になります。
 ⇒ ⇒  #光る君へ


長保元年(999)11月、藤原道長は娘の彰子を入内させて帝(一条天皇)の女御に
したものの、帝が愛するのは中宮・定子だけであり、また彰子も帝を魅了するような
女人ではなかったので、彰子に力を持たせるためにも道長は、彰子を定子と並び立つ
中宮にしようと考えました。
道長は「一帝二后」を自分の姉であり帝の母である女院・藤原詮子(吉田羊さん)に
相談し、詮子にも力添えを頼みました。
そして道長の嫡妻・源倫子(黒木華さん)も帝の心をなんとか彰子に向けるために、
帝の好みを詮子に訊ねたりしていました。
詮子が逆に倫子に、自分の子供たちの好みは知っているのかと訪ねると、詮子は思い
つくまま次々と子供たちの好みや得意を答えていきました。
その姿を見て詮子は、我が子を立派な帝にするためにとはいえ、自分の考えを押し
付けてきたのだと、心に思うところがありました。



藤原彰子(見上愛さん)が帝の心をとらえる女人になるために、倫子はかつて自分の
教育係だった赤染衛門を彰子の教育係に頼んでいました。
ある日、帝(一条天皇;塩野瑛久さん)が突然、彰子がいる藤壺に渡ってきました。
帝は彰子を気遣いいくつか言葉をかけますが、帝の言葉に気の利いた返答ができずに
小声で「はい」としか言わない彰子を衛門は心配そうに見ていました。
そして帝が笛の音を彰子に聴かせると、彰子はなぜか視線をそらして顔を少し横に
して聴き、帝は途中で演奏をやめてそのことを問いました。
すると彰子は「笛は聴くもので見るものではない」と。
あまりに色香のない返答だけど帝は妙に感心しつつ、同時に彰子に中宮になりたい
のかと問いました。
でも彰子は「仰せのままに」と答えるだけで、自分の意思がないその姿がかつての
自分と重なった帝は、どこか彰子に関心を持つようになりました。



左大臣・藤原道長(柄本佑さん)は娘の彰子を中宮にするために、蔵人頭として
帝の傍に仕える藤原行成(渡辺大知さん)にも協力を頼んでいました。
道長の期待通りに帝は動かなくて行成は板挟み状態で大変だけど、行成は頑張って
両者の間を取り持っていました。
そして帝が彰子を中宮にしてもいいと言ったことを道長に伝えると、道長は行成の
働きに深く礼を言いました。
そして四条宮で共に学んでいた若い頃から自分にさりげなく力を貸してくれていた
行成に「今日までの恩を決して忘れぬ。行成の立身出世はもちろん俺が、行成の
子らの立身は俺の子らが請け負う。」と約束しました。
しかしその直後、道長は体の具合が悪くなり倒れこんでしまいましたが、行成に
他言しないように頼みました。



年が明けて長保2年(1000)、道長は彰子が中宮に立后するのに良い日取りを
陰陽師の安倍晴明に訊ねると、晴明は即座に2月25日と答えました。
しかし帝はまだ迷っていて正式な詔を出せないままで、帝は行成を召して彰子の
立后のことは他言しないよう、定子が傷つくと思いを伝えました。
それを聞いた行成は意を決して帝に進言しました。
「帝は一天万乗の君。下々の者と同じ心持ちで妻を思うなどあってはならない。
大原野社の祭祀は代々、藤原より出た皇后が神事を務めるん習わし。定子が出家
して以降、神事を務める后がいない。なすべき神事がなされぬのは神への非礼。
このところの天変地異は神の祟りでは。左大臣・道長もそのことを憂えて姫を
奉った。ここは一刻も早く彰子を中宮にして神事を第一にすべき。」
行成の心からの進言は帝の心を動かし、彰子の立后を承諾しました。
そして前代未聞のこの宣旨を聞いて反発する公卿は一人もいませんでした。



さて、昨年末に女児を出産したまひろ(吉高由里子さん)ですが、赤子をあやし
ながら漢詩を読んで聞かせるなど、まひろらしい母となっていました。
夫・藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)が宇佐八幡宮の務めから戻ってから子に名前を
つけてもらうと決めていて、宣孝は子に「賢子」という名をつけました。
他の妻との間には男子ばかり生まれた宣孝にとって、たとえこの赤子の父が道長で
あったとしても、初めて生まれた女児が可愛くて仕方がないようでした。
(名づけを宣孝に任せて宣孝の顔を立てるまひろはナイスな選択だと思います。)
この後で宣孝は馬2頭を献上して参内し、道長に帰京の報告と妻・まひろとの間に
子ができたことを報告しました。
ただ道長はその子が自分の子であることにすぐには気がつかないようでした。



いよいよ彰子が立后を迎えるにあたり一旦内裏を退出した翌日、帝は最愛の中宮・
藤原定子(高畑充希さん)と皇子たちを内裏に呼び入れ、口さがない女房たちの
陰口を受けながら定子は内裏に入りました。
その夜、帝は定子に彰子の立后のことを話して詫びましたが、定子は帝に自分こそ
詫びなければと、衝動的に出家してしまったあの時のことを語りました。
そして定子は自分と彰子は家のために入内した同じ立場であり「人の思いと行いは
裏腹。彰子の見えているものだけが全てではない。」と言って、彰子を大事にする
よう帝に思いを伝えました。



そして長保2年2月25日、内裏では彰子の立后の儀が執り行われ、前例のない
一帝二后の世が始まりました。
藤原実資が祝詞を読み上げ、公卿たちが居並ぶ中で彰子は中宮になりました。
(この時代の宮中の華やかな儀式や衣装が映像で見られるのは、歴史長編ドラマ
ならでは醍醐味ですね。それにしても、男女共これだけ大勢の衣装を揃えて俳優
さんたちに着付けしてロケして、すごい時間がかかったでしょうね。)



彰子が中宮となったのを見届け、道長は妾の源明子(瀧内公美さん)のところに
来ていたのですが、彰子のことが一段落した安堵感とそれまでの疲れがたまって
いたからか、道長は明子の屋敷で倒れてしまいました。
明子から連絡を受けて嫡妻の倫子は急ぎ道長の元に駆けつけたのですが、道長は
意識のない状態でした。
倫子も明子も共に道長のことを心から案じているのですが、互いに自分の思いの
強さを示して張り合っていました。
(ここでもし道長が目をさましたらトンデモナイことになりそうと思えるほど、
倫子様と明子様は激しくマウントの火花を散らしていました。でも笑えた。)



道長の意識は一向に戻らず、病状は瞬く間に宮内に広まりました。
藤原道綱(上地雄輔さん)は道長の腹違いの兄だけど道長の事が心配でしかたが
なくて、その不安な思いを、政治的にであっても道長の回復を強く願ってくれる
藤原実資(秋山竜次さん)の言葉に同調して気を紛らわせていました。
(内裏ではたとえ親子兄弟であっても相手の立場に応じて敬称をつけたり役職で
呼ぶのですが、道綱は変わらず「道長」と。道綱は昔から政治は苦手で権力欲の
ない優しいお兄ちゃんだったから、変わってないところがホッとします。)



その頃まひろはふだんと変わらず子育ての日々を送っていたのですが、そんな時に
宣孝が血相を変えて家に入ってきて人払いをしました。
まひろが何事かと思ったら「言うべきか迷ったが、左大臣(道長)が危篤だ」と
知らせてくれました。
宣孝は、できることは自分たちにはないがと言って、実の父が危篤となっている
赤子とまひろの顔をじっと見つめ、話を終えたらすぐに立ち去っていきました。
(宣孝にとってこの子は自分の出世の橋渡しとなってくれる子なので、もし万一
道長がこのまま死んでしまったら、ということは一人のときには考えたでしょう。
でもまひろの前に来たときは「まひろの想い人が、赤子の父が危ない」という
純粋な気持ちだったと思います。)
まひろは、今の自分には道長の看病も何もできない、とわかっています。
だから道長が黄泉に旅立ってしまわないよう、ただ深く強く祈り続けました。



まひろの祈りが届いたのか、道長は死の淵を脱して徐々に回復していきました。
ところで中宮・定子ですが、この頃は3人目の子を宿していて食事が喉を通らず
体調がすぐれない日々でした。
定子を案じたききょう(清少納言;ファーストサマーウイカさん)は麦で作った
珍しい菓子を定子のために持ってきました。
ききょうの心遣いが嬉しかった定子は、菓子の乗った和紙を半分切って、それに
感謝の句を書いてききょうに渡しました。
定子とききょうは互いにずっと傍にいたいと願い、二人は互いに笑い合いました。
定子が心から笑うことができるのはききょうの前だけでした。
そしてその年の暮れ、定子は姫皇子を出産すると同時に力尽き、そのまま帰らぬ
人となってしまいました。
妹の死は全て左大臣・道長のせいだと藤原伊周は荒れ狂い、伊周は道長に復讐
してやると誓っていました。
そして定子を心から愛した帝は、定子の死をただ悲しむばかりでした。






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Last updated  July 23, 2024 11:38:02 PM


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