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今日は、早朝6時に、集合場所に集まって、バスで一路TDLへ。バスの中には、オーストラリアからホームステイプログラムに参加している子供達と、引率の先生、そして、ホームステイを受け入れている家族の一部と、その他、英語に関心のある子どもや家族が一緒になって乗っていた。ところが、オーストラリアの子どもたちは、結局、後ろの席に集まってしまい、日本の子供達とは、全く接する機会がなくなってしまった。私は、一応、通訳として紹介され、何かあったら、私に相談するようにという話になっていたので、なにか、工夫して日本の子供達とオーストラリアの子どもたちが一緒にできることを考えてあげたらいいのかなぁ、、、とも思ったのだが、結局、こちらから、何かをということは、やめておいた。 こういうのって、すごく難しいな~と思う。我が家も、家族で参加したので、TDL内は家族だけで回ることにした。 オーストラリアから参加した子ども達も全ての受け入れ家族が参加しているわけではないので(というか、参加したのは2家族だけなので)、結局、3つのグループに分かれて、それぞれに、3人の引率の先生がついて、日本人とは別行動をすることになった。今思うと、引率の先生の中には、日本がはじめてという先生もいらしたので、一緒に回ってあげればよかったかなぁ、、、とも思う。結局、4時の集合時間になって、多少の写真撮影をして、一人だけ、オーストラリアの子どもと話をしたいという子どもが私のところにきて、簡単な会話をしていった。 帰りのバスの中でも、結局、日本人の子供とオーストラリア人の子どもが触れ合う機会は殆どなく、このまま、今日一日が終わるのかと思っていたら、な~んと、娘が、「後ろのオーストラリア人の子供達の席に行きたい」と言い出した。但し、「ママが一緒に行ってくれるなら」という条件つきだった。 でも、これって、すごく恥ずかしがりの娘には、とても考えられないような「進歩」だ。 早速、一緒に、後ろの席に行ってみると、私も会話に加わって、さらに、話が盛り上がってしまった。 で、すごくいい雰囲気だったのだが、残念なことに、サービスエリア休憩になってしまい、その後は、バスの座席が変わってしまい、私は、引率の先生と話をすることに。引率の先生との話は、とても楽しく、2時間ほど、ず~と話続けていた。 娘は、その間、オーストラリアの子供達の席にいたのだが、案の定、殆ど話しをすることはなく、話を聞いて楽しんでいたようだ。 まあ、それはそれで、いいんだけどね。ということで、最後になって、やっと、私達親子は、オーストラリアの子どもや先生達と、充実した時間が過ごせた。結局、他の家族は、殆ど、触れ合う時間がなかったようだ。折角同じバスに何時間も乗っていたのに、勿体ないことだ。ただ、途中から、バスの中で、映画が上映されたので、それも触れ合う機会を無くすことにもつながっていたので、難しい。それに、挨拶程度の話しかできないのであれば、長い間同じ空間にいても、話をすることはないのかもしれない。その辺のところが、とても難しいなあと思う。もちろん、私が通訳して、いろいろな話をすることもできたとも思うのだが、それぞれが、TDLへの旅行を単純に楽しみたいと思っているようでもあり、その辺が、どこまで、こちらが、踏み込んであげていいのか、難しいところだ。国際交流って、お互いが知らないことを知って、それぞれいいところを受け入れたり、真似してみたりして、ちょっとした生活を変えてみるとか、そういう小さなことから始まっていいと思う。 そして、英語の勉強とは、ある意味、別のことという気もする。だから、今回のホームステイの受け入れも、娘の英語の勉強になるという視点からしているわけではない。 どちらかといえば、この1週間、英語のワークブックはまったくやっていなかったから、マイナスなのかもしれない(笑)。でも、人間と人間が触れ合うこと、オーストラリアの子供達が日本に興味をもって、こうしてわざわざやって来てくれて、その気持ちにこたえたことには、それなりの意味があったと思っている。
September 23, 2004
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今日は、朝8時半にI市の市役所に集合し、市長訪問をしました。 去年、私が市の広報誌のモニターをさせていただいた時に、一度市長と懇談をしたことがありましたが、その同じ部屋に通されました。 この市長及び、市の教育長の表敬訪問は、毎回行われているもので、ケアンズのホームステイプログラムに参加している一行も、ケアンズ市の市長やそれぞれの学校の校長からの親書を携えてきていて、それを市長に渡していました。さすがに何年も続いているプログラムともなると、いろいろと準備をしているものなのだと感心させられました。また、この訪問にあたっては、スティーブというオーストラリア人が通訳についてきてくれていて、流暢な日本語と英語で通訳をしていました。市長訪問を終えた後、一行は、K市のK城を目指しました。K城には、何度か、こうした海外からのお客様をつれて一緒に見学に言ったことがあるのですが、今回は、初めて、2年前に作られたというお茶室に一緒にお邪魔してみました。今日は、たまたまお煎茶の先生ということで、お抹茶の先生ではなかったのが、少し残念でしたが、子どもたちも、初めてのお作法やら和菓子に興奮しているようでした。K城見学とお茶室を後に、一行は、K駅へ向かい、なんと、K駅からH駅まで、新幹線の乗車体験の旅に出かけました(笑)。 乗車時間が、たったの10~15分という短いものですが、毎回、日本に来た時に、どうしてもはずせないのが、この新幹線の乗車体験とTDLへの1日旅行なのだそうです。H駅に無事到着した一行は、一路、中華料理店へ!私とスティーブは用事があったので、昼食後、一行からは離れて、一緒にI市へ帰ることになりました。I市へ向かう電車のなかで、バイリンガルのスティーブといろいろと話す機会があったので、個人的な話をいろいろとさせてもらいました。わかったのは、日本人の奥さんと一緒に田舎に住んでいて、2歳になる女の子がいるということで、子どもがまだ小さいので、学校教育をどこで受けさせるかまでは、まだ考えていないということでした。 また、田舎で、おじいちゃん、おばあちゃんとも一緒に生活しているので、基本的には、日本語でお子さんとも接しているそうで、田舎では、それが一番自然だからということでした。また、彼には、バイリンガルの友人がたくさんいるのだけれども、彼らを見ていると、「バイリンガルであること」がそれほど重要だと思えないと言っていました。これは、もう少し詳しく言うと、バイリンガルといっても、完璧なバイリンガルはあまりいなくて、もしいても、その両方の言葉を維持していくのには、すごい労力がいるので、そこまでしてバイリンガルであろうとすることに意義があるとは思えないということらしいです。私自身、バイリンガルでもないし、子どもを、完璧なバイリンガルにしたいなんで思ってもいないので、その点に関しては、同じ考えだと思いました。また、子どもへの英語教育に関しては、今の時点では何も焦る必要がないと思っているとのことで、これに関しては、私は、彼は恵まれた環境にいるから、そう言えるのではないかと思いました。 つまり、いつでも、オーストラリアの実家に帰ることもできるし、常に英語を話す友達が回りにいるし、子供に英語の環境を与えてあげることが容易にできる環境にいる彼ならでは言葉だと私には思えました。夕方、ニコルとクレアを向かえに行ったあと、お土産を買いに、100円ショップに行きました。 日本的なもの以外にも、フルーツの形をした消しゴムなど、細かい作業のなされた文具が気に入ったようで、た~くさんのお土産を買っていました。明日は、いよいよTDLへの日帰り旅行。今回は、私達も一緒にいくので、みんなで、早めの床に就きました。PS.なんだか、今日は、小学生の作文のようにまとまりのない日記ですね、、、。
September 22, 2004
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オーストラリアの子どもたちのホームステイの受け入れを始めて2日目の夜から、一緒に遊び始めた娘。どうも夜のお遊びが一番楽しいようです。といっても、大した遊びをしているわけではないんだけど、さすがに4日目ともなると、お互いになじんてきたようで、子供達の部屋にまで押しかけていって遊んでいます。(でも、その分、全く勉強をしていません。 まあ、この1週間は、勉強より、その子たちとのふれあいの時間を持つ方が大切かな?と思うので、それもありかな、、、ということで、今週は、学校のお勉強のみの1週間となりそうです)オーストラリアの子供達も、やっと我が家での生活になれてきたようで、自分で冷蔵庫を開けて、飲み物を用意してくれるようになってくれました。 私も忙しいので、セルフサービスでやってくれると助かります。オーストラリアの子供達は、今日は、地元の2つの小学校を訪問しました。最初の学校では、小4と小5の子どもたちが、ソーラン節の合奏を披露してくれて、聴きこたえのある演奏でした。 小6の子供達は、日本の昔ながらの遊び(剣玉、お手玉、竹馬など)を教えてくれました。 竹馬や一輪車のうまい子がおおいのに驚いたオーストラリア人の女の子の一人が、「学校でサーカスがひらけるわね~」。なんて言っていました。2校目の学校では、学校給食を一緒に体験しました。子供達がエプロン姿で給食の配膳をする姿は、新鮮に見えたようです。 給食後は、2~3人ずつ、それぞれのクラスに分かれて、フルーツバスケットや、椅子取りゲームなどをして楽しんでいたようです。本当はもっとたくさん書きたいことがあるのですが、今回は、不覚にも昼間の引率のボランティアまで引き受けてしまったので、本当に一日中忙しくて、日記を書く時間すらない状態です。ということで、今回のホームステイの受け入れ日記は、あとで時間のあるときにまとめて書かせて頂くく予定です。
September 21, 2004
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今日は、隣の町にある、和紙作り体験工房に行ってきました。朝はのんびりと、CLUEを一緒にやって、そのあと、和紙作り体験に出かけました。和紙作りは、名刺や葉書き、うちわ、カレンダーなど、いろいろなものを作ることができます。私は、名刺づくり、娘と主人はカレンダー、クレアとニコルは、葉書きづくりに挑戦しました。私は、この名刺作りは、3度目の体験です。 結構気に入っています。 クレアもニコルも初めての体験に、ワクワクしていたようで、また、自分が作った作品も気に入っていたようでした。体験後は、帰り道にあったジャスコと百円ショップで一緒にお買い物を楽しみました。 クレアは、以前に日本に来たことのあるお兄さんに頼まれて、琴や三味線、尺八などの演奏CDを購入していました。 う~ん、渋い!クレアは4人兄弟の末っ子なんですが、実は、上の3人とも、この日豪友好協会のホームステイプログラムで日本に滞在したことがあるという、日本びいきの家族の一員なのです。ショッピングにすっかり疲れてしまった私達、夕ご飯ができるまで、CLUEやOPERATION、TURBO TWISTERで、遊んでもらっていました。 結構、お互いに楽しめたようです。明日からは、私は、オーストラリアの子供達を連れて、小学校訪問やら、市長訪問の引率をしないといけないので、忙しくなりそうです。
September 20, 2004
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今日は、日豪友好協会主催のホームステイプログラムでI市に来ているオーストラリアの子供達を歓迎するパーティが隣の町で開かれました。午前中は、家でのんびり、折り紙を子ども達に教えてあげて、お昼前に、娘とホームステイの子ども(クレアのニコル)を連れて会場に向かいました。このパーティには、誰でも参加していいことになっているので、知り合いの英語を習っている子どもとかも招待してあったので、会場は、すご~い人数でした。子ども達には、折角なので、英語でオーストラリアの子どもたちにいろいろと話掛けるように言ったのですが、恥ずかしがってしまったので、結局、私が間に入って、そういう場を設けてあげました。でも、結局は、みんなちょっとだけ質問ができただけでしたが、全然知らない人に、しかも英語で話掛けるのって、勇気のいることだと思うし、そういう機会に恵まれただけでも、きっといい経験になったと思います。ケアンズから来ている子供達は、日本語の勉強もしているので、自分達の自己紹介を、全員、日本語でしました。 自分の名前、年齢、学年、学校、出身地、好きなもの、嫌いなものを日本語で紹介してくれました。 大勢の前で、一人ずつ、マイクをもっての自己紹介で、きっと緊張したと思いますが、みんなとてもうまくできました。そのあとは、お琴の演奏を楽しんだり、みんなで歓談したりと楽しいひと時を過ごしましたが、結局、日本の子供達は、日本の子供達で固まって遊んでいたので、なんか、日本の子供達とオーストラリアの子供達が一緒に触れ合えるゲームとかするといいのになぁ、、、と思いました。 私は、とりあえず、近くにいた、引率の先生と少しお話をさせてもらいました。パーティの後は、実は、私の父(ボランティアで、手品のショーを学校や老人ホームなどにいってみせたり、希望する人には、ボランティアで、手品を教えたりもしています)がクレアとニコルに手品を見せ、そして、教えに来てくれることになっていて、急いで帰路に着きました。私も一緒に手品を楽しみたかったのですが、夕飯の買出しに出かけないといけなかったので、私一人、お買い物をしている間に、家では、手品で盛り上がっていたようです。父も、一通り手品を披露したあと、10個くらいの手品を子ども達に教えていました。 当然、通訳は、娘がするしかないので、それなりにしていたようです。 クレアは、父の手品がすっかり気に入ってしまい、10個の手品を、しっかりマスターしたそうです。その後は、父と母も交えて、7人で手巻き寿司パーティになりました。 手巻き寿司は、材料さえ用意すればいいので、とっても簡単で、しかも美味しく楽しいので、お薦めです。子供達も、手巻き寿司が気に入ったようで、たくさん食べてくれました~!夜は、クレアに今日習った手品を披露してもらい、楽しい一日もあっという間に過ぎてしまいました~。
September 19, 2004
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9月18日からのホームステイ受け入れ日記を、忘れないうちにと思い、何とか儚い記憶を辿りながら書いています。 私の住んでいるI市にある日豪友好協会が、オーストラリアのケアンズの子どもたちの受け入れを始めて、今年で8年目になります。実は、娘が5歳くらいの時に、このホームステイプログラムのお仕事のお手伝い(運転手として、子供達をアクティビティ会場や観光スポットまで連れて行く仕事)をボランティアで一日だけしたことがありましたが、それ以来、去年まで、このプログラムからは少し離れていました。去年は、たまたま、私の中学教師時代の教え子が、ステイの子どもの受け入れをしていたので、彼らの滞在中に一度遊びに行かせてもらい、今回のステイの受け入れの気持ちを更に強めました。「いつかホームステイの受け入れをしてみたい」という気持ちは、かなり前からありました。 というのも、自分が今までに、アメリカやカナダで、何件かの家族のお世話になっていたので、いつかは、その恩返しのつもりで、自分も受け入れてみたいという気持ちがあったからです。 ただ、今までは、子どもが小さく、なかなかその機会もなかったのですが、今回は、娘も9歳になり、かなりいろいろなことが一人でできるようになっていたので、思い切って受け入れることにしました。夜10時、子供達が日豪友好協会の本部に到着するので、娘と主人の3人で迎えに行きました。会場についてみると、もう子供達19名と引率の先生3名が既に到着していました。で、びっくりしたことに、引率のC先生、私と娘のことを覚えていてくれました。「4~5年前に、ボランテイアでドライバーをしてくださった方ですよね!」と会うなり、向こうから声を掛けてくださったんです。 しかも、当時まだ幼稚園児だった娘のこともよく覚えていて、「あの時、あんなに小さかったお嬢さんが、もうこんなに大きくなったの~」と驚いてくれました。私の方は、そんなこと、覚えてくれているとも思わなかったので、すごくびっくりしました。 さすが、学校の先生です~。 ちょっぴり感激してしまいました。そのあと、受け入れをする生徒を紹介してもらい、2人を乗せて、帰路に。この日は、長旅の疲れもあるので、簡単に家の中を説明して、二人には、ゆっくり休んでもらうことにしました。娘は、まだまだ、恥ずかしくて、大した話もしていないようですが、今回のホームステイの受け入れの一番の目的は、(1)今まで、受け入れてくれた方への、恩返しをしたいということ(2)家の中を片付けた~い(爆)というのが、メインの目的だったので、英語がどうのこうのというのは、2の次の目的でした。 ですから、娘があまり英語で話をしなくても、まあ、それは、それでよしという感じでいます。
September 18, 2004
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