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自動車雑誌なんか読んでいると、後ろの方にそれなりにファッション関係の記事が載っていることがありまして。そんなのをツラツラと眺めておったところ、ちょっと思うことがありまして。 ま、この時期、ファッション関係の記事はもう秋・冬ものですよね。で、モデルさんたちが真冬の装いをしているわけですが、当然、彼らは皆、それぞれに手袋をしている。 手袋・・・。手袋か・・・。手袋ねえ・・・。 思い起こすに、ワタクシ、手袋と縁を切ってから一体何年になるだろうか、と。 もちろん小学生の時はしてました。私が子供の頃は東京でもよく大雪が降りましたから、学校で雪合戦とかよくやりましたけど、その時、素手ということはないですからね。当然、手袋はしていた。 しかし、これが中学生となると、もう記憶がないんですね。自分が手袋をして通学していたとは思えません。私はどちらかというと、ポケットに両手を突っ込んで歩くのが好きでしたから。となれば、高校生の時だってしてなかったはず。 ということは、もう随分長い間、自分の手袋というものを持っていないことになるわけだ。 今でも冬に実家に帰り、家族で出かける時など、父親から「何だ、お前、手袋持ってないのか? 貸してやろうか?」などと言われ、その都度「いや、いいんだ」と答えていた私。何だかね、手袋というものに興味がないんですよね。 しかし。 どういうわけだが、昨夜、リラックスしながら雑誌を読んでいた時に、ふと、手袋なるものに関心が向かいまして。ふと、今年は手袋をしてみようかな、と。 そう、ワタクシ、今年は「今までやったことのないことにチャレンジする年」と決めているわけで、手袋にしても、まあ、大人になってから一度もはめたことがないのだから、この定義に近いと言えないこともない。だったら・・・。 ということで、いささか気が早いですが、今年の冬はワタクシ、手袋をすることに決めました! まだ紅葉すらしていない時期ではありますが、決めたとなると一刻も早く手袋を買いに行きたくなってきましたぞ。とりあえず、黒皮の薄手の瀟洒なものを通勤用に。もう少しごつくてカジュアルなものを休日用に。うーん、何だか楽しみになってきた! でね、もう少しジジイになったら、絶対、杖をつくことにしている私。手袋に杖。おお! なんかもう、気分は既にイギリス風ジェントルマンになってきたワタクシなのでございます。
September 30, 2010
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期間の長短はともかく、アメリカで生活する際、住居に関していつも思うことは、アメリカの家(アパート)の良さですね。これはほんとに素晴らしい。 何が良いって、とにかく暮らし易いように出来ているのよ、間取りが。キッチンも実に使いやすく出来ているし、パントリーとかも大なり小なりついていることが多いので、買ってきたものを収納するのが楽。 そしてキッチン、ダイニング、リビングの場所関係が実に適切。窓の配置もよく、壁の配置もよいので、絵を飾るのにピッタリな場所が随所にあるんですわ。また絵だけではなく、鏡を掛けるスペースがあちこちにあって、そこに鏡を掛けておくと、目の錯覚で実際のスペースより大きな部屋に見えたりする。そういう工夫も実に巧み。ベッドルームにしたって、適度に奥まったところにあってプライバシーが守られるようになっている。 それに、どんな小さなアパートであっても収納が十分なだけ用意されているので、物を上手に仕舞えるんですな。と言って、何でもかんでも目に見えないところに隠してしまえ、というわけでもなく、書棚とか、テレビを置く場所とか、そういう見せる収納もうまい具合に配置されている。 で、何よりもいいのは、間取りがいいために、家の中にいてリラックスできるんですな。安心感がある、というのか。 実際、わずか3週間暮らしたボストンのアパートと、10年以上暮らしている日本のマンション、どちらがよりリラックスできるかっつーことを考えてみるに、むしろボストンのアパートかな、と。物理的な大きさは同じくらいなはずなのに、なぜかアメリカのアパートの方がゆったり感じられるし。 というわけで、60平米なら60平米、80平米なら80平米、100平米なら100平米と、同じ大きさの住居で比べたとしても、こと間取りの点で、アメリカの住居の方が絶対快適であります。なのに、どうして日本の建築業者は、十年一日どころか、五十年一日のごとく、あの何とも使いにくい間取りの家・マンションを作り続けるのか。なぜアメリカのアパートの優れた間取りを勉強しないのか。私には不思議でなりません。 しかし。 ひとつだけアメリカの住居が、日本のそれにかなわないところがある。それはどこか。 バス・トイレです。これに関しては日本の圧勝ね。 大体、バスとトイレ、まったく違う種類の施設をですよ、なぜアメリカの住居では同じ一部屋にまとめるのか。誰かが風呂に入っていたら、別な人はトイレに入れないということ自体、不都合ではありませぬか。 でまた風呂の設備もどうしてあんなに貧相なのだろう? 風呂は日本の風呂のように、洗い場と浴槽を別にし、さらにシャワーを固定式ではなくホース式にし、お湯の温度の設定と、湯量の設定を別々にコントロールできる方式にするのがベストに決まっているじゃん?! もうね、アメリカではいつもそうですが、ボストンで暮らしたこの3週間、風呂の不便さには閉口しましたわ。何しろカランをひねると最初は冷水が出て、湯量を上げると湯温も上がるようになっているので、シャワーを浴びようとするたびに、まずは冷水を浴びる羽目になる。しかもシャワーが固定式なので、冷水から逃げるわけにもいかないというね。何なんだよこのシステムは!と、風呂に入るたびに呪詛の声を上げておりました。 それからトイレね。なんで21世紀に入って10年も経ったのに、依然としてシャワー・トイレを導入しないのか? 人間の文明が始まって以来、最良のトイレが完成しているというのに、なぜその良さを理解しない? アメリカ人だって日本に旅行して、ホテルとかで経験したことはあるだろうに、なぜそれを自宅に装着しようとしない? で、思うのですが、風呂とかトイレとか、ああいうベーシックなニーズというものは、一度「こういうもんだ」というのが刷り込まれてしまうと、敢えて変えようという気概が生まれなくなっちゃうのかな、と。 しかし、それにしたって、日本だってかつてはどこの家だってドボンだったのが、見る間に水洗化され、シャワートイレ化されたのだから、アメリカさんだって、その気になれば変えられると思うのですが・・・。 要するに、アメリカの住居の優れた間取りを日本の建築業者はマネしようとしないし、日本の優れたバス・トイレのシステムをアメリカの建築業者はマネしようとしないと、まあ、そういうわけですな。 よく「国際化」だなんて言いますけどね、結局、そんなのお題目に過ぎないので、誰も本当に国際化しようなんて考えてないんですよね。考えてたら、一生懸命、他国のいいところをマネするでしょうよ。でも実際には、自分の国のしきたりを変えるということについては、どの国だって怠惰なんですな。それが悪いとかいうのではなくて、そういうものなんだな、と。 しかし、個人の意思としては、やろうと思えばできる。いつの日か、アメリカ風のいい間取りと、日本のバス・トイレ・システムを備えた家を、八ヶ岳あたりにどーんとね、ぶっ建ててやろうと思っている私なのであります。
September 29, 2010
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昨夜帰国したばかりなので、家の冷蔵庫にはなーんにも物がない。食事を作る材料もない。つーことで、今日は午前中から近くのスーパーマーケットにお買いものに行ってきました。 スーパーに入っていきなり目に入ってきたのが果物の山ね。ブドウ各種、それから梨。まだ青いけどミカンもある。ああ、秋だなあと。日本の秋も、豊かでいいねえ。このフルーツの盛り上がりぶりは、アメリカのスーパーに負けておりませんぞ! で、とりあえず豊水をひと山お買い上げに及んだ後、ふらふらとスーパーの通路を経巡っておったわけですが、久々に(と言ってもわずか3週間ぶりですが)日本の商品を見て「おお、せんべい買おう、せんべい!」とか、「お団子食いたい!」とか、とにかく大興奮。 中でも一番興奮したのは肉売り場の「薄切り肉」ね。おお、薄く切られ、トレイに並べられた肉の美しいこと! これだよ、こういうのが食いたかったんだよ! ってなわけで、今日の夕食は「豚の生姜焼き」に決定! しかし、アメリカのスーパーで買い物をしていて、一つ疑問なのは、「薄切り肉」が売ってないということですな。とにかく、アメリカで売っているのは塊の肉ばかり。切ってあったとしても、ステーキ用に分厚く切られた肉とかね。鶏肉だと、まるごと一羽とか。 だけど、日本の普通の家庭の食事風景を思い浮かべてみて、薄切り肉を調理するケースって多いですよね? 塊の肉を食べる、なんてこと、そんなに無いでしょ? 肉は塊でしか売ってません、となったら、日本食の調理って途端に行き詰るんじゃないでしょうか。1キロとかの牛肉の塊(しかも赤身)しか売ってないところで、肉じゃが作れって言われたって、途方に暮れますよ。肉じゃがなんてのは、あれは薄切りのバラ肉みたいなので作るから旨いのであって。 じゃあ、スーパーで薄切り肉を売ってないアメリカで、一般のアメリカ人は家庭で何を食っているのか、と。調理に行き詰らないのか、と。 ホント、不思議です。ま、アメリカ人なんてどうせろくなもん食ってないんでしょう。こと食事という点に関して、日本人が世界で一番豊かなものを食っていると私は信じております。中国も豊かだろうって? いやいや、中国人は基本、中国料理しか食わんでしょ。日本人の家庭では和食、洋食、中華、エスニックが平気で混在するからね。朝、コーンフレーク食って、昼、カレー食って、夜、海老チリ食べるなんてことが日常ですから。この日本人の食事の多様さに勝てる民族が、他にどこに居るって言うの? ま、薄切り肉に興奮して、そこまで愛国者にならんでもいいですが・・・。 でね、昼は何を食べようということになって、ちょうどスーパーの中に新たにたこ焼き屋さんが新規開店していたので、そこでお好み焼きとたこ焼きを買って、それで済ますことに。お好み焼きとたこ焼き、アメリカの単調なメシに飽き飽きしていた胃に、それこそ慈雨を降らすような美味しさでございました。 さて、今日は「日本にあって、アメリカにないもの」に興奮してしまいましたが、逆に「アメリカにあって、日本にないもの」ってのもあります。 で、アメリカで売っていて、とっても美味しいのに、なぜか日本では売ってないなあというものを幾つか挙げますと・・・ まず、緑色のブドウね。いや、マスカットとかではなくて、フットボールみたいな紡錘形をした緑色のブドウ。種が無くって、皮ごとサクサク食べる奴。これが旨い。サクサク感がたまらない。日本人にブドウを食べる時の食感の形容をさせた場合、「サクサク」とは誰も言わないでしょ? だけどアメリカの緑のブドウはサクサクです。この食感が素晴らしい。あれ、旨いのに、どうして日本のブドウ農家はあの種類を作らないんだろう? デラウェアか、マスカットか、巨峰しか作らんもんね。 あとね、清涼飲料水では「Snapple」という奴。これ、果汁を加えた紅茶なんですけど、とくにスナップルの「ピーチティー」、これが馬鹿ウマ。どこか飲料水メーカーさん、スナップルを輸入して、売ってくれないすかねえ。ちなみに、日本の伊藤園の「Tea's Tea」って奴? あれはアメリカでも売っていて、割とどこでも普通に見かけます。頑張るね、世界の Itoen。 あとスナック菓子では「Lays」ね。これのポテトチップに関しては日本でも手に入るけど、ここが出している「Baked!」という種類。これは日本では売ってないんじゃないでしょうか。しかし、これがまた旨いのよ。 それともう一つ、「スイカ味のガム」。トライデントにそういうのがあるんですが、これが意外にはまる。 ま、パッと思いつくのはそんな感じかなあ・・・。 帰国したばかりで、彼我の差が新鮮な私。ひょっとすると明日もまたこの続きをお話するかもしれません。ということで、また明日のココロだ~。
September 28, 2010
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ひゃー、ボストンよりただ今帰国いたしました~! 疲れた~! 今日は(っていうか、昨日はということなのかも知れませんが)、9時ごろボストンのアパートを引き払いまして、大きなトランクをゴロゴロ引きずって大通りまで出たら、たまたまタイミングよくタクシーが通りかかったので、こいつを止めてローガン国際空港まで。 で、そこから2時間のフライトでデトロイト空港到着。で、乗換えのためにゲートを移動し、当該のゲートまで行ったらもう名古屋行きの飛行機の搭乗が始まっておりまして。何だよ、免税店見られないのかよ、と思いながらもそこは問答無用、掛け込みで乗ってすぐ離陸。 で、13時間弱のフライトで中部国際空港着。空港を出たところにある駅に止まっていた電車に乗ってすぐ発車。 で、名古屋についてバス停に歩いて行ったら、たまたま我が家の近くまで直行で行くバスが乗車開始していたので、それに飛び乗ってすぐ発車。 ってなわけで、長旅は長旅でしたけど、タイムロス・ゼロというね。ボストンのアパートから名古屋の我が家まで、最短時間記録樹立したのではないでしょうか。 で、日本についたら雨。アメリカのカラッと乾燥した空気とは全く異なる湿度に満ちた空気に触れ、ああ、日本に帰ったな、と。短い時間であれ外国に行って帰ってくると、日本ってのはこういう国なんだ、ってことがよく分かりますな。 それと、電車やバスの中で見た大和撫子たちの顔ね。完全に草食な、なよっと穏やかな顔。ああ、これが我が同胞の女性たちの顔であるなと。アメリカの女性たちの顔は、元気というか生気があっていいけれど、全体としてはキツイ顔ですからねえ。 ま、そんなことをぼんやり考えながら、家路についておったわけでございます。 まあとにかく、これでボストン滞在はおしまい。あと数日で私のサバティカル休暇も終了。10月に入るといきなり2日には某大学で講演をせにゃならず、次の週は東京で学会、月末にも学会があり、こちらはシンポジウムで多少パネリスト的な役割を演じる羽目になりそうで、まあ忙しい、忙しい。人生、そう甘くないっつーことですね。 というわけで、来週からのスケジュールに辟易しつつ、今はただ時差ボケ解消のために果てしなく眠りたいと思っているワタクシなのでありました、とさ。それでは皆様、お休みなさい。ぐーぐー。
September 27, 2010
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いよいよボストンを離れる日が明日に迫りました。 ということで、今日は最後の洗濯だの荷造りだのに追われつつ、それでも最後にボストンの町にお別れを言っておこうと、夕方から町の散策に出かけました。 で、まずはクインシー・マーケットの方に歩いて行ったところ、今日は土曜日ということもあって人々で賑わっております。そして例によって広場では何かパフォーマンスをやっている。何かと思ってみたら、黒人のお兄さんがた10人ほどのグループがこれからブレークダンスなどを披露しようというところ。 で、さすがに黒人のノリでリーダー格が座を盛り上げます。リーダー:"What time is it?"メンバー:"It's show time!"リーダー:"What time is it?"メンバー:"It's show time!"リーダー:"Say, 'Yeah!'"観客:"Yeah!"リーダー:"Say, 'Oh, yeah!'"観客:"Oh, yeah!"リーダー:"Say, 'Do it, black guys!'"観客:あわわわわ・・・ 三番目の掛け声で「ブラック・ガイ」という言葉が出たので、白人中心の観客たちは一瞬ためらいが。で、リーダーすかさず「今はブラック・ガイが大統領なんだから、いいんだよ!」。この一言で観客爆笑。計算されております。その他、「手拍子を! そら、みんな、腕を高く挙げて! おっと、ホールドアップじゃないぜ!」とか、黒人ネタ満載。 とまあ、そんな感じで連中のなかなか見事なブレイクダンスを堪能した後、我らが向かったのはやはりイタリア人街。今日はこの辺で最古のカフェという「カフェ・ヴィットーリア」でお茶をしようかと。 で、そのヴィットーリアですが、最近飲んだ中ではピカ一のカフェ・ラテを飲ませてくれました。そして付け合わせはおなじみの「カノーリ」。これも最高。 さて、ここで夕方のお茶を堪能した後、同じイタリア人街にある「Filthy Rich」というジュエリー店を覗いたところ、これがなかなか面白い店で、色々な映画の中で女優たちが身に付けたジュエリーとそっくりのデザインの指輪やネックレス、ピアスなどをかーなーりお値打ちな値段で売っている。なかなかいいアイディアですよね。で、ここで少しお土産をゲット。 で、今度はダウンタウンの方へ行き、ダンキン・ドーナツの店へ。ダンキン・ドーナツ、実はボストンが発祥の地でありまして、市内至るところに店がある。ありすぎるくらい、ある。で、ここで有名な「ボストン・クリーム」というドーナツを購入し、今日の夜食とすることにいたしました。 ・・・とまあ、これが今日の冒険の顛末。ボストンの町とも、これでお別れでございます。 ま、3週間なんて短いね。あっという間ですわ。それでも、当初予定した「ボストンでやりたいこと」はほぼやり尽くしたかも。ただ一つ、やり残したことがあるとすれば、ジャズの本場であるニューヨークとボストンで、結局一度もライブを楽しめなかったこと。しかし、これもある意味仕方がないところがあって、何となれば、今、ジャズはアメリカにおいても全然ホットじゃないんです。ほんの一部で、細々とやっているに過ぎない。要するに、今やもう過去のものなんでしょう、ジャズというのは。ワタクシがジャズにはまるのが遅すぎた、と。ま、私はいつでも何かするのが遅れるんですけどね。 さて、明日は朝も早くから出立でございます。デトロイトを経由して、名古屋までいったい何時間かかるのやら。またまたへとへとになって名古屋にたどり着くのでしょう。 それでは皆様、次は名古屋からのお気楽日記、お楽しみに。飛行機嫌いのワタクシのために、飛行機が墜落しないことを祈ってて下さいね~!
September 26, 2010
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今日はピッツフィールドという町とレノックスという町のちょうど中間あたりにある、『白鯨(モービィ・ディック)』の著者、ハーマン・メルヴィルの家に行ってきました。 この家、メルヴィル自身が「アロウヘッド(=矢尻)」と命名した屋敷なのですが、まさにメルヴィルが大作『白鯨』をこの家で書いたというエピソードがあるだけに、アメリカ文学研究者の端くれとしては非常に興味をそそられる場所なのでありまーす。 で、メルヴィルがこの家を買った頃は、彼は人気作家でしたから、結構な収入があり、余裕綽々でこの家を手に入れたらしいんですね。で、彼は作家になる以前に商船や軍艦、あるいは捕鯨船に乗り組んだ経験があるだけに、二階にある書斎を「キャビン」と名付け、家の暖炉の煙突を帆柱に見立てて悦に入っていたというのですから、なかなか面白い。 で、その北向きの書斎の窓から、はるか遠くの方に「greyrock」という名の山の稜線が見えるわけ。で、このグレイロック山のなだらかな稜線がですね、何に見えると思います? 鯨に見えるんですよ、マッコウクジラに。で、特に冬など、グレイロック山に雪が積もると・・・、そう、白鯨ですわ。で、メルヴィルは「キャビン」から遠くに白く巨大なマッコウクジラの姿を遠望しながら、かの名作『白鯨』を書いたと。うーん、なるほどねえ・・・。 それからメルヴィルがこの家を買ってから真っ先にどこを改築したかと言いますと、やはり家の北側にテラス(ベランダ)を建て増ししたんですな。で、そのテラスのことを「ピアッツア」と呼んだ。 名作「筆耕バートルビー」が入っているメルヴィルの短編集、『ピアッツア・テールズ』は、このテラスが名前の由来だったんですな。知らなかった・・・。 というわけで、アロウヘッドを訪れたことで、メルヴィルについて今まで知らなかったことが色々分かってきて、私には大変勉強になったのでございます。やっぱり「現地に行ってみる」というのは、それなりに何か発見があるもので、決して無駄足にはならないものですね。 で、その後、今度はストックブリッジという町に移動し、そこでアメリカの国民的画家ノーマン・ロックウェル博物館を見学。折しも特別展として「ウィリアム・スタイク展」も開催していて、アメリカ庶民の健全な読み物である『サタデー・イヴニング・ポスト』誌の表紙絵画家だったロックウェルと、ニューヨークの先端を行く洒落者たちの読み物である『ザ・ニューヨーカー』の挿絵画家だったウィリアム・スタイクの絵を、同時に堪能することが出来たのでした。私はかねてからウィリアム・スタイクの大ファンなので、これは嬉しい誤算。ウィリアム・スタイク ↓C D B![洋書]価格:637円(税込、送料別) この『C D B!』というのは、『See the bee! (蜂を見ろ!)』という意味なんですよ! 面白いでしょ? で、文学(メルヴィル)と絵(ロックウェル&スタイク)と両方楽しんだ後、ついでにリーという町にあったアウトレットでショッピングまで楽しみ、それでボストンに戻ってきたという。なかなか充実した一日となったのでした。 さて、そろそろ日本への帰国の日も迫って参りました。これで私の栄光のサバティカル期間が終了するのかと思うといささかげんなりですけど、ま、人生、そう楽しいことばかりではいけませんよね・・・。 というわけで、明日は帰国準備に追われそうなワタクシなのでありました、とさ。
September 25, 2010
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さて、ウィリアムズタウンを出発した我らは、途中、ウィリアムズ大学(ハーバード大に次いでアメリカで二番目に古い大学)に立ち寄ったり、有名なスターリン&フランシーヌ・クラーク美術館を見たりしながら南下し、ピッツフィールドの街に向かいました。ここには「ハンコック・シェイカー・ヴィレッジ」という、かつてシェイカー教徒がコミュニティーを作っていた場所があって、今はシェイカー教徒の暮らしぶりなどを再現した施設があるんです。 シェイカー教徒というのは、もちろんキリスト教の一派ではあるのですが、ちょっと特殊な信仰があって、男女の関係というものを一切認めないんですな。 で、そんなですからこのコミュニティーには新たに子供が生まれないわけ。じゃ、どうやって集団を維持するかというと、孤児を集めて来るんですな。で、その孤児たちをコミュニティーが面倒をみる。 しかし、ここがまた面白いところで、ここで育ったからといって、強制的にシェイカー教徒にするわけではなく、16歳になった時に本人に選ばせるわけ。このままここに残ってシェイカー教徒として生きるか、外の世界に出るか。つまり、このコミュニティーで暮らしている人たちは全員が大人であり、かつ自分の意思でここを選んだ人たちなんです。 で、ここでは集団で暮らすわけですけど、男と女は厳密に分かれて暮らすんですね。一つの建物で暮らすのですけど、建物が完全に左右対称に作られていて、一方が男用、反対側が女用、と言う風になっている。ただ、別々に暮らすとはいえ、男と女は完全に同等の権利を持って生活している。19世紀の男尊女卑の時代にあって、ここでは男女同権を先取りしていた。そこが気持ちいい。 で、基本的に自給自足の生活をしていたようですが、酪農製品と家具(特に椅子と曲げわっぱ)は外部の世界にも売り、これがコミュニティーの生活を潤していたようです。そして、コミュニティーの中には薬草を使った医療なども実施していたようで、もともと健康的な生活を送っているわけですから、コミュニティーの平均寿命は長かったのだといいます。実際、コミュニティーのたたずまいや、建物の内部などを見ると、いかにも清潔に、健康的に暮していたことが伺えます。以下にコミュニティーの写真を二葉、挙げておきましょう。 で、最盛期にはこのコミュニティーだけで300人くらいが暮らしていたようですが、そのうちに色々な理由が重なりまして、シェイカー教徒の数は減る一方、今ではほとんど実在しないと言ってもいいくらいらしい。 ただ、文化的な遺跡として、シェイカー教徒が作り、かつ歌っていた歌やダンスなどが今でも残されていて、それが価値あるものとして伝えられているのだとか。私もこの施設でシェイカー教徒の歌を聴きましたが、讃美歌的な音階を多少残しつつ、フォークソング的な色合いもある、面白いものでした。 私はこの種のコミュニティーというものにあまり夢を抱かない方なのですが、しかし、私の中には多少なりとも厭世的な気質があり、その意味でハンコック・シェイカー・ヴィレッジはちょっと共感出来る部分のあるコミュニティーの在り方ではありましたね。シェイカー教徒のみならず、19世紀のアメリカではこの種のコミュニティーが各種存在しておりまして、例えば昨日言及したコンコードの文学者たちも、一時期、この種の自給自足のコミュニティーを作ろうと企画したことがある。ですから、19世紀のアメリカの精神性を理解する上で、こういうコミュニティーへの志向について知識を得ておくのは無駄ではないのではないかと。 ということで、今日はシェイカー教徒たちの夢のあとを見て、色々と考えていた私だったのでありました、とさ。
September 24, 2010
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ボストン滞在も残り少なくなってきたということで、今日から少しレンタカーを駆ってマサチューセッツ州をドライブ旅行することにしました。 で、今日、主に見たのはコンコード。コンコードというのは、ボストンの中心部から15マイル位北西の方向にありまして、車だとものの30分くらいで着いてしまいます。ドライブのうちに入りませんね。 ですが、この小さな町は歴史的・文学的に言いますと実に重要な町でありまして、まずアメリカ独立革命の最初の戦場となった「オールドノース橋」というのがある。さほど大きくもない川に小さな橋が懸っていていて、この橋を挟んでイギリス軍と独立軍が最初のドンパチをやったんですな。今はもう、そんな歴史のことなど忘れたかのように、のどかな川の風景が広がっていますが。 で、その橋のすぐそばに、19世紀アメリカの代表的思想家であるラルフ・ウォルドー・エマソンのお祖父ちゃんが立てた旧牧師館(The Old Manse)がありまして、なんとその家はまた、19世紀アメリカ文学を代表する作家、ナサニエル・ホーソンが新婚時代の3年間を過ごした家でもあるんですな。 で、さらにその家の前にはエマソンの書生だった、これまた19世紀アメリカを代表する思想家にしてエッセイストでもあったヘンリー・デヴィッド・ソローが耕した畑ってのがあったりして。で、そのソローが後に出家みたいな感じでとある湖のほとりに庵を建てまして、3年間その庵で寝起きした、なんてこともあったのですが、その湖、すなわち「ウォールデン池」というのも、このコンコードの町のはずれにある。 で、さらに、エマソンとソローに教えを受けたという女性作家、『若草物語』の作者のルイザ・メイ・オルコットが暮らした家というのもこの町にあったのですから、まあ、19世紀アメリカ文学の故郷みたいな場所ですな。 ってなわけで、私、どちらかというと19世紀ものには弱いのですけど、とにかく、ボストンに滞在していてここを訪れないわけにはいかないわけですね。 というわけで、もう完全にミーハーな観光客となって、写真撮りまくり、記念品買いまくりだったのであります。 で、どういうわけかこの町、やけに親日派の町でありまして、どの史跡に行っても、あるいはレストランに入っても、「あなたたち、日本人?」とか聞かれ、「私、京都に7年も住んでたのよ~」とか、「日本は佐渡とか岩手とか、上高地とか、トレッキングして回ったよ」とか、声を掛けられると言う。でまた、私がアメリカ文学を日本で教えているなんてことを漏らすと、ますます気に入られてしまって、「普段は見せないホーソンの寝室、お前には見せちゃう」とか言って、特権的に普通は見られないものまで見せてもらったりして。あと、入館料とかも「学生割引しておくわね~」とか言って、勝手に割引してくれたり。 まあ、そういうところもあって、何となく気分のいい町でございましたよ。 で、一通り見終わった後、今度はドーンと「2号線」(別名「モホークトレイル」)に乗ってマサチューセッツ州の西の果て、ウィリアムズタウンというところまで参りまして、今、そこのしょぼいモーテルに居ると、まあ、こういうわけでございます。 明日はウィリアムズタウン周辺を見て回り、レノックスだの、ピッツフィールドだのといった方面に向かう予定。この辺は、シェイカー教徒の街があったり、あるいは画家のノーマン・ロックウェルゆかりの地ですな。 ではまた、明日のご報告をお楽しみに!
September 23, 2010
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突然ですが、「カノーリ」ってご存知? 実は私も最近まで知らなかったのですが、ボストンではあちこちでやたらに売っているお菓子なので、家内共々すっかりはまってしまいました。 カノーリというのはイタリアの有名なお菓子でありまして、イタリアン・レストランに入ってデザートを頼むと、「ティラミズ、チーズケーキ、カノーリがあるけど、どれにする?」と聞かれることが多い。それほどポピュラーなものなんでしょうな。 ということで、百聞は一見に如かず、実物をお見せしちゃいましょう。カノーリというのは、こういうものでございます。 で、カノーリ「cannolli」というのは、多分、英語の「cane」すなわち「サトウキビ・杖」と語源が同じなのではないかと思うのですが、小麦粉で作った筒状の皮を油で揚げ、その筒の中にリコッタチーズで作ったクリームがぶにゅっと詰めるわけ。ま、簡単なもんです。 ところが、これが売っているお店によって結構味が違いまして。皮の部分を油で揚げてあるので、その油の味が強く出るものと、そうでないもの。またリコッタチーズのクリームがぼそぼそしているものとクリーミーなもの。とまあ、色々ある。 で、上の写真はボストンのイタリア人街にある「Modern Pastry」という地元でも評判のお店で買ったものなんですけど、これが実に旨かった! 皮が油っぽくなく、リコッタチーズがクリーミー! (想像するに、リコッタチーズに若干生クリームなどを加えてとろりとさせているのではないかと)。私としては、これがカノーリの完成形だと思いたい。 ティラミスもチーズケーキも日本に定着しましたが、カノーリはまだまだノーチェック状態。もしこれをお読みの方で、お菓子方面の仕事に就かれている方、いらっしゃいましたら、カノーリは要チェックですぞ。日本でカノーリ・ブームを起こすなら、今がチャンス! かも知れませんよ~!
September 22, 2010
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今回のボストン滞在に関し、私の仕事上の最大の目的はハーバード大学図書館での資料調査、のつもりだったのですが、ハーバード大のガードがあまりに堅いもので、思うような調査が出来ず・・・。ということで今日は路線変更をしまして、ボストンが誇るもう一つの大学、ボストン大学へ赴き、こちらで調査をしてみました。 ボストン大学も、今借りているアパートから地下鉄を使って30分ほどで行ける場所にあるのですけど、横に長いキャンパスなので、「ボストン大学東口」「ボストン大学中央」「ボストン大学西口」「セントポール・ストリート」「プレザント・ストリート」「バブコック・ストリート」と、大学最寄の地下鉄の駅が6つもあるという・・・。ですからどれが大学の正門なんだかよく分からないんですけど、ま、しかし「ボストン大学中央」から大学構内に入るあたりはこんな感じです。 で、今日、私が道場破りをしに行ったのが、数多あるボストン大学の図書館の中でも最大規模の「Mugal Memorial Library」でございます。 で、その首尾はと言いますと・・・ 大・成・功! いや~、ボストン大学、素晴らしいでございます。ハーバード大学とかマサチューセッツ工科大学の陰に隠れて、というべきか、日本での知名度は今一つかも知れませんが、ボストン大学というのは下村脩博士やネルソン・マンデラ、マーティン・ルーサー・キング牧師をはじめとしてノーベル賞受賞者を何人も輩出している世界的に見ても極めて優秀な大学でありまして、アイザック・アシモフ、エリー・ヴィーゼルなど、著名な教授陣も揃っております。蔵書数だってハーバード大学には負けますが、それに次ぐ280万冊ですからね。 あ、ちなみに「ボストンバッグ」というのは、ボストン大の学生が愛用したバッグに由来するんですけど、ご存知? それはともかく、そんな優秀な大学でありながら、敷居の低さがすごい。そもそもこの大学は図書館を一般に開放しているので、別に大学からの紹介状なんか持って行かなくても、誰でも普通に入れちゃうわけ。で、レファレンス・ルームにずらっと置いてあるパソコンで求める資料のロケーションだけ調べれば、あとは開架式の書架に行って目指す資料をゲットし、コピー・ルームへ行ってコピーすればいい。 で、そんな感じで私も自由気ままに図書館を使わせてもらいましたが、ハーバード大図書館での苦労は一体なんだったの? というくらいの簡単さで、日本では手に入らなかった資料がバンバン手に入る。いや~、気持ちいいっ! なんかね、いいよ、ボストン大学。閉鎖的なハーバード大よりよっぽど好きかも。「山、高きが故に尊からず」などと言いますが、お山の大将のハーバード大より、「知識は万人に所有されることを自ら欲す」を実践するボストン大学の方を、私は大学の在り方としてよほど評価しますね。キャンパスの感じもちょっと UCLA に似ていて、開放的で大らか。学生の人種的雑多さ加減も、どことなく西海岸っぽいところがありますしね。 ということで、今日はボストン大学で実に充実した時間を過ごすことが出来たのでした。ボストン大学、教授のおすすめ!です。
September 21, 2010
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ひゃー、ニューヨークから戻って参りました~! いやあ、旅もいいけど、ボストンの家に戻れば戻ったでホッとしますなぁ・・・って、よく考えたらボストン自体が旅先ですから~! 残念っ! 旅から旅への旅烏斬り! (波田陽区、元気かなあ?) それはともかく、NY。なかなか良かったですよ。短い滞在の割に色々ありました。 まず、ボストンからNYまでアムトラックの電車で行ったんですが、ボストンを出て1時間も走らないうちに電車が止まってしまいましてね。何かと思ったら、前方で火事が起こったと。で、この電車が渡るはずの橋が燃えていると。ということで、1時間半くらい立ち往生した挙句、一旦、10マイル位逆走して戻りまして、線路を変えて通過するという事態に。というわけで、本来なら9時過ぎにボストンを出てNYにお昼過ぎに到着する予定だったのですが、実際にはNYに着いたらもう3時だったという。 で、その日は5時に友人のコロンビア大名誉教授、ニューヨーク市立大教授のジャック・ソールズマンご夫妻の家に招かれていたので、バスでそこまで行ったのですが、教授の住む高層マンションに入った途端、ものすごい雷雨が襲ってきまして。 ところがこれが単なる雷雨ではなく、竜巻だったのであります。そう、この日マンハッタンは竜巻に襲われるという100年に1度あるかないかの椿事があり、死者まで出す事態になったのでございます。もうビックリよ。 とにかく、そんなこんなで出だしから色々とハプニング続きだったのですけど、その後は順調で、特に二日目以降はNYライフを堪能しました。 まずね、二日目の午前中はチェルシー地区に行きまして。そこはギャラリーが点在する地域で、そのギャラリー群を一軒一軒覗いて回ったのですが、これがなかなか面白かった。例えば、ジャン・ミシェル・バスキアの大きな作品が6,500ドルとか売っているわけですよ。6,500ドルと言えば、50万円台じゃないですか。それで本物のバスキア、それも縦1メートル、横1メートル半くらいの大きさの素晴らしいのが買えるというんですよ。まじで買いそうになってしまいました。 それから午後はセントラル・パーク近くにある「イラストレーター協会」を訪問。ここね、普通の日本人観光客は絶対に行かないと思うのですが、私は昔、ここに研究上、必要なことを手紙で問い合わせたことがありまして、その時のこの協会の対応の良さが印象に残っており、一度、実際に訪ねてみたいと思ってたんですよね。 それからセントラル・パークを散歩したり、ティファニーの本店を冷やかしたり。そして夕方から現代美術館(通称MoMA)を見に行ったのですが、ここは金曜日の4時から入館料が無料になるので、一文も支払わずに特別展の「マチス展」や、常設展を堪能しました。ゴッホの「星月夜」、マチスの「ダンス」、ピカソの「アビニオンの娘たち」をはじめ、アンリ・ルソー、カンディンスキー、ミロなどの名作に再びお目にかかることが出来たのでした。もう、あまりにスゴイ作品が並んでいるので、地味めなセザンヌの作品の前なんかほとんどの人たちが素通りですからね。 そしてその後、夜は夜で劇場街に繰り出しまして、ミュージカルとか見ちゃいましたよ。本当は『Wicked』が見たかったのですが、これは人気がありすぎて当日券は買えず。『American Idiot』も候補だったのですが、これも人気でチケットが高く、結局、ベタに『オペラ座の怪人』を見てしまったのですけど、私はそもそもミュージカルなるものを見るのが初めてだったので、いささか薹の立ったこのミュージカルでも十二分に楽しむことが出来ました。いやあ、やっぱり本場のミュージカルってのはスゴイですね。俳優たちの歌唱力が素晴らしい。 ま、本当はヴィレジヴァンガードとかブルーノートとか、あるいはバードランドでジャズを楽しむ、という計画もあったのですが、今回の旅では時間の都合で果たせず。これはまた次のNY訪問の時のお楽しみということになりましたけど、それでも今回やろうと思っていたことは大半をやり尽くしましたので、満足というところですかね。 しかし、NYから帰ってみると、ボストンの街がいかに規模が小さいかがよく分かります。もちろんNYの喧騒が異常なんですけど、あれと比べるとボストンは普通の静かな街ですなあ。それに寒いし。NYと比べてボストンは5度くらい寒いのじゃないでしょうか。 ところで、ボストンでの滞在期間も大分少なくなって参りました。まだやりたいと思っていることは色々あるので、この先もまた、気合を入れ直して充実した日々を過ごしたいと思います。
September 20, 2010
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ボストンに来てまだ海を見てないなあと思い、今日はアパートから15分ほど歩いてボストンのノースエンド地区へ散歩に行ってみました。で、このあたりで見るべきものと言いますと、「ポール・リビア」関連の史跡です。 ポール・リビアというのはですね、アメリカ独立革命前夜のヒーローでありまして。1775年4月18日、イギリス軍が攻めて来るという情報があり、それを知らせる秘密の暗号としてオールドノース教会の尖塔に二つのランプが吊り下げられたんですな。で、それを見たポール・リビア青年がですね、そのことを友軍(植民地軍)に伝えるため、深夜馬を飛ばしてコンコードまで走りに走った。これが歴史に名高い「Paul Revere's Ride」と言われるものでして、彼の深夜の疾走のおかげで植民地軍はイギリス軍を追い返すことに成功すると。で、これでテンション上がった植民地軍は、やがてアメリカの独立を勝ち取るわけでありまして、その意味でこの勝利はアメリカ独立へのマイルストーンとなった。 で、後の1860年、ポール・リビアの深夜の疾走のことを讃える詩をロングフェローという詩人が書きまして、ポール・リビアの名前はアメリカ人なら誰でも知っているというような感じになるわけですけど、今年はロングフェローの詩が書かれてからちょうど150年、というわけでございます。 というわけで、以下にポール・リビアの雄姿と、今もボストン港を見下ろす丘の上に立つオールドノース教会の写真を掲載しておきましょう。 ちなみにこの教会にはお土産コーナーがあったので、ついティーバッグ置きと名物「革命茶」を買ってしまいました。 面白いのはですね、この教会で売っているこのお茶、消費税が掛からないの。アメリカ独立運動のきっかけともなった「ボストン茶会事件」は、イギリスが植民地アメリカに法外な茶税をかけたことから引き起こされたものですからね、お茶に税金かけるというのは、ここではタブーなわけですよ! なかなかウィットが効いているじゃないですか! さて、アメリカの歴史を勉強してお腹がすいたので、この後、近くにあるイタリア人街に行きました。イタリア人ってのは、やはり食事に重きを置きますから、このあたりだと安くて旨いイタリア料理が食えるんですね。 で、我らが行きましたのはプリンス・ストリートにある「Assaggio」というお店。ちょっと横町に入ったひっそりとした店でしたけど、味・サービス共に満足すべきものでありました。 それにしてもちょっと歩けばまったく趣の異なるストリートがあるボストンという町、なかなか面白いですなあ。 さてさて、明日からちょいとブログの更新が滞ります。というのも、明日からしばらくニューヨークへ小旅行を計画しているから。今回は4時間ほどの列車の旅。ロスではいつもドライブ旅行ばかりですから、アメリカでの列車の旅というのは私にしては「初めての経験」に当たるものでありまして、その意味でちょっと楽しみ。 それでは、また帰宅してから、ニューヨークでの冒険をお知らせしますので、お楽しみに~!
September 16, 2010
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今日も今日とてハーバード大に赴き、調査活動。 それに伴い、今日はハーバード大の近くにある「竹村」という日本食レストランでお昼を食べることに。 で、このお店は基本、寿司屋なんですが、その他にも日本食全般扱っているようで、ランチ・メニューを見たら麺類も色々ある。ということで今日は天麩羅うどんを食べてみた、と。すると・・・ 旨かった・・・。本当に、旨かった・・・。 このところギリシャ料理を食べたり、ボストン名物のロブスターやクラムチャウダーに舌鼓を打ったり、食に関しては大いに土地のものを楽しんでおるのですが、やっぱりね、久しぶりに日本食を食べると、しみじみ旨いなと思いますね。とにかく「出汁」の旨味ってんですか? これに敵うものはないんじゃないでしょうか。日本人のDNAが反応してしまって、もう駄目。汁の最後の一滴まで飲み干しちゃいましたよ。 ちなみに、ここの天麩羅うどんには、海老だの茄子だの、お馴染みの食材の他に「ズッキーニの天麩羅」や「ブロッコリーの天麩羅」まで乗ってましたけど、これが意外に旨かった。ブロッコリーの天麩羅なんて、なかなか思い付かないですけど、やってみて下さいな。味は保証します。 で、大学での調査の方ですけど、こちらは難航中。今まで色々な大学で調査やってきましたけど、ハーバード大はやけにガードが堅くて、調べ物をするとなるとまさにホラー・ショー。私は所属大学の紹介状があるので、図書館利用のためのIDが発行されましたが、利用範囲にかなり限度があって、なかなか思うように資料に当たれない。しかも大学の中に大小20くらいの図書館が乱立しているので、どこの図書館が私の見たいと思っている資料を所蔵しているか、という問題もある。何をするにも一ヶ所じゃ済まない、ということですな。 しかも、助手に必要だからといって家内のためのIDも発行するよう頼んだのにダメですって。ケチ臭いねえ。スタンフォード大学で同じことを頼んだ時は、「もちろんいいですよ、当たり前じゃないですか!」って、快く入れてくれたのに。私のように大量に資料をコピーをしようという場合、助手がいるといないとでは効率が違ってくるのに。 ということで、仕事の面では別な方面に突破口を求めようかしらと思い始めているところ。 だけど、さすがにハーバード大、附属の美術館に寄ってみたら、まあスゴイ所蔵品ですよ。ピカソも青の時代の名作があるし、ゴッホ、セザンヌ、モネ、マネ、デュフィ、ゴーギャンなどもスゴくいい作品を所蔵している。ウィリアム・ブレイクの作品のいいのがあったし、東アジアの美術品のコレクションも素晴らしかった。先日見たボストン美術館よりよほど感銘を受けました。量よりも質がスゴイんですよね。 しかも、この美術館(サックラー)は研究室棟も兼ねていて、芸術関係の教授たちの研究室と廊下一つ隔てたところにあるわけ。自分の研究室を一歩出れば、そこにピカソの本物がある。そういう環境なんですわ。実際、今日も一人の先生が学生連れて美術館の中で講義してましたけどね。 つまりハーバード大ってのは、内部の人間にはとてつもなく素晴らしい研究・教育環境を、その一方、外部の人間に対しては、かなりしみったれた環境を提供しているというわけですな。うらやましかったら、お前もハーバード大の学生・教員になってみな、ということでしょうか。 というわけで、まぎれもなく「外部の人間」である私は、この世界最強の大学の一つを前にして、複雑な思いを抱かされているのでございます。
September 15, 2010
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ボストンに来ていきなり風邪をひいて寝込んで以来、髭を伸ばしっぱなしにしております。髭は濃い方ではありませんが、1週間も放っておけば、それなりにかなり伸びまして、無精髭のレベルをそろそろ超えそうな段階。 ま、面白いからそうしているので、これも「今までやったことのないことにチャレンジする」という今年のワタクシの目標に触れていると言えば言えそうです。 しかし、これをお読みの女性方にはもちろん絶対に分からないでしょうし、髭を生やしたことのない男性だって日本人には多いでしょうから、「髭を生やす」ということがどんな感じか、書いておきましょう。 まずですね、基本的なことを言いますと、「髭を生やす」というのは、かなり辛い作業であります。 辛い、というのはちょっと言い過ぎかもしれませんが、かなり「抵抗」がある。 というのはですね、私の年齢ですと、30年近くもの間、毎朝髭を剃ってきたわけです。30年ですよ、30年。それだけの長い間培ってきた習慣を突然止めるとなると、これはものすごく不自然な感覚がある。 で、髭を伸ばしている段階で自分の顔に触るでしょ? すると30年間培ってきた感覚とは異なる触感があるわけですよ。自分の顔なのに、自分の顔じゃないみたいな。何しろ髭(髪)というのはツルツルしているものですから、自分の顔に何かプラスチッキーな人工芝が張られたような感じがある。これがまた何ともたまらないわけ。 で、そういう不自然な感覚を耐え忍びながら、時に「髭剃りたーい!」という衝動が襲ってくるのに耐えながら、髭を伸ばし続けるというのは、かなりしんどい。 で、さらにもうひとつ大きな問題がある。つまり、髭面が自分に似合うのか、という問題ですね。 これもね、微妙よ。鏡を見る度に、「うーん、似合わなくも・・・ないかな」と思う時もあり、「マンガに出て来る泥棒みたいじゃん」と思う時もある。八代亜紀じゃないですけど、「似合う、似合わない、似合う、似合わない、巡り巡って~、今は○×~」みたいな感じ。 しかし、もちろん利点もありまして、日本でも若く見られるワタクシとしては、アメリカではもっと若く見られてしまうので、白髪交じりの髭を蓄えているというのは、歳相応に見られるという点では便利なところもあります。 というわけで、とりあえずボストンに居る間は、もう少し放っておこうと思っているのですが、さて、髭面で帰国するか、髭面のまま後期の授業に臨むのか、その辺がね、思案のしどころでございます。さてさて、どうなることやら・・・。
September 14, 2010
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ボストンに着いて早くも1週間。今日は遂に知の総本山、憧れのハーバード大学へ行って参りました~! なーんつって、「憧れの」ってのは、ちょっと言ってみただけで、わし、別にハーバード大学に憧れなんかないんすけどね。エリートっぽく澄ました感じは嫌いなのよ。だけど、そうはいってもアメリカ合衆国の歴史より長い歴史を持つ大学。実力は認めるわけ。 しかし、まずは腹ごしらえっしょ。ということで、アパートから徒歩10分ほどのところにあるクインシー・マーケットなるところへ行きまして、あまた並んだ食の祭典の中からギリシャ料理の店を選び、「Gyro」という料理を食すことに。これ、綴りからすると「ジャイロ」と発音すべきではないかと思うのですが、売っている人も買っている人も「ユーロ」(あるいは「イーロ」)と発音しておりましたなあ。 これ、ラム肉とビーフのひき肉を固めたものを焼いて、「回しそぎ切り」みたいな感じで切り取ったもので、トルコ料理風に言えば「ケバブ」なんですけど、めちゃくちゃ旨いよ。ギリシャ料理って、大好き。 さて、腹ごしらえをした後、地下鉄のレッドラインに乗りまして、「ハーバード・スクエア」駅を目指します。そして駅を出たら、もうそこがハーバード大学。 ま、大学の門をくぐると、上の写真のような風景が広がるわけですけど、パッと見、東大の駒場キャンパスに感じがちょっと似ております。日米トップ大学のキャンパスに共通点あり、ということでしょうか。もちろん、一つ一つの校舎を見れば、ハーバード大の方がはるかに趣はありますが・・・。 でも、何というか、期待が大きすぎたせいか、案外普通だな、という印象を受けたことも事実。大学のキャンパスとしては、むしろシカゴ大学とかの方が重厚な感じがしますなあ。ま、その辺は人ぞれぞれですが。 しかし、図書館はすごいよ。以下の写真がハーバード大学ワイドナー図書館の威容でございます。 ということで、今日は今回のボストン滞在の最大の目的の一つ、ハーバード大学に見参し、勇み立っているワタクシなのでした、とさ。今日も、いい日だ!
September 13, 2010
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私がボストンで借りているアパートのオーナーはイタリア系ですが、その奥さんが日本人ということもあるのか、結構、このアパートを日本人に貸すことが多いらしいんですな。で、アパートの本棚には、様々なペーパーバック小説の他に、そんな代々の日本人の借り手が残して行った本が色々置いてある。 その中に、『ボストンへようこそ』(改訂第2版)なる冊子がありまして。294ページもありますから、立派な本なんですけど、編集者は「ボストン日本人会婦人部」とのこと。 ほう、ボストン日本人会。その婦人部。そういうのがあるんですな、この町には。 で、この本の内容はと言いますと、日本のサラリーマンとその一家がボストンに引っ越してきて、慣れぬ環境に晒されて途方に暮れている、そんな状況を想定した上で、彼らのボストンでの生活をバックアップするためのありとあらゆる情報が事細かに網羅されているんです。銀行での口座の開き方、クレジットカードの作り方、アパートの捜し方、電話の引き方、テレビ・ガス・電気・インターネットの引き方、免許の取り方、車の購入、事故の対応、病院の選び方、学校への編入手続き、買い物の仕方、買い物の場所、レストラン関連情報、娯楽、観光、公共交通機関の紹介と乗り方、冠婚葬祭の対処法、パーティに呼ばれたらどうするか、そしていよいよ帰国すると言う時のための準備に至るまで、それはそれは見事なもので。ま、『地球の暮らし方』的な類書はあることはありますが、ボストン限定密着型の情報源としては、これ以上のものは作れないだろうと思われるほどの完成度で、ちょっとビックリしますね。 でまた、とりわけアメリカで妊娠した場合の対処法についてものすごく詳しく書いてあって、評判のいい病院の紹介とか、経験者の一言アドバイスとか、さすが「婦人部」の編集だけに女性目線での情報が盛りだくさんだなあ、と。 で、あまりスゴイのでパラパラと読んでいたのですが、一つ面白いコラムがありまして。 題して「海外生活に慣れるまで」というのですけど、この記事によりますと、海外での生活へ適応していく際、幾つかのステップを踏む、というのですな。 まずは「ハネムーン期」。興奮と好奇心でいっぱいなあまり、欠点が目に入らない時期で、憧れのボストンに到着して、ここで2年も過ごせばきっと英語もペラペラになって最高! アメリカ人も親しみやすい~! と有頂天になると。 ところがこの後、「初期カルチャーショック期」が来る。最初の興奮がさめ、些細な文化の違いに欲求不満になる。「免許とらなきゃいけないけど、面倒」「郵便局に行ったけど、全然英語が通じなかった」などなど、ちょこちょこ不満と不安が出て来るんですって。 そしてその次は「表層的適応期」。とりあえず新しい生活になれ、「日常生活の英語なら何とかなるわ~」みたいな自信が出て来る。 しかしまた落ち込む時期がやってきます。「憂鬱・孤独感期」。根本的な文化的相違に落ち込む時期ですね。「手料理でもてなしたので、宗教的な理由とか言って、ほとんど手をつけてくれなかった」「成人教育のコースを取ったけど、他の国から来ている人達と違って、質問しろと言われても私には出来ない」といったような感じで、壁にぶつかるわけですね。 そしてその結果、「反抗期」が訪れます。異文化に対して反抗的になる時期。自分を守るために、わざと当地の文化規範を破ったりする、なんて行動が出たりして。 しかし、こういう時期を経て遂に「自立期」がやってくる。自分と相手の文化の良いところ、悪いところを理解し、うまいこと融合・適応することが出来るようになります。こうなると、人間関係の構築でもゆとりが出て来る。実りの時期ですな。 ま、誰でもそう、とは言わないけれど、大抵の人はこういう風にアップ・ダウンを繰り返しながら、アメリカ(外国)に適応していくものなのだから、あわてないで、腰を据えて掛かりなさい、と、この本は勧めています。 いやあ、これはね、実際の体験を集積・整理しないと言えないことですよ。さすがボストン日本人会婦人部。ご主人の都合でボストンなんぞに連れて来られて、色々苦労させられてきた日本婦人たちの血と汗の結晶ではございませんか。 それに、この「適応のアップ・ダウン」、単に外国への適応云々というだけでなく、対人関係などにも広く応用できる万能の処方箋でもある。素晴らしいの一語ですな。 ということで、ボストンの一アパートの書棚に残された『ボストンへようこそ』なる一書に、思わぬ英知を見た今日の私だったのでありました、とさ。
September 12, 2010
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日本、まだ暑いですか? ボストンはね、結構寒いです。半袖は無理。薄手のセーター持ってきて大正解。 さて、今日はですね、風邪も大分良くなってきたということで、ボストン美術館へ行ってみることにしました。 茫洋としたロスとは違ってボストンはこじんまりしておりまして、大抵の場所には地下鉄で行けます。どういうわけか、こちらでは地下鉄のことを「T」と呼ぶんですよね。イギリス風に「Tube」の略なんでしょうか。「地下鉄」というよりは「地下を走る路面電車」という趣のものなんですが、その地下鉄に乗るためのチケットのことを「チャーリー」と呼ぶのがちょっと面白い。 で、我らもこのチャーリーを買い、家の近くのT乗り場から地下鉄に乗ること十数分、美術館前に到着です。このあたりでは地上を走るので、本当に市電ですね。 で、ボストン美術館ですよ。規模・コレクションの面で世界的に有名な美術館であるばかりでなく、岡倉天心とゆかりが深く、日本美術のコレクションでも有名ですよね。自然、気合が入ります。 で、入るといきなりミレーのコレクションがあり、その先では今、雑誌『ハーパース・バザー』でファッション写真を担当したことで知られるRichard Avedon の展覧会をやっている。これはなかなか素晴らしいものでした。 写真って、前はあまり興味なかったんですけど、父が写真に凝りだして、やたらに「作品」を見せられるようになってから、逆に写真の難しさというか、プロと素人の差が如何に大きいかを実感として分かるようになって、それでちょっと興味が出てきた感じですかね。で、アヴェドンの写真、やっぱり凄いです。 ファッション写真ってのは、被写体がモデルでしょ。まずそれが美しい。そしてその美しいモデルがその時代の最新のぶっ飛んだファッションを身につけているのですから、そのファッションがまたすごい。もちろん、ヘアスタイルも。そしてそれらを含めて上手にポーズをとらせ、一番印象的な瞬間を切り取るわけですから、ファッション写真ってのはある意味何重もの奇跡が詰まっていると言っていいでしょう。で、その写真を取るカメラマンのセンスがすごければ、もう完全にアートですよ。 というわけで、アヴェドンの写真展は良かったですねえ。 が・・・。 その他は、あんまり印象に残らなかったというのが正直なところ。印象派の部屋で有名なゴッホ、有名なルノワールなんかがありましたけれど、ゴッホやルノワールの最良の作品じゃないですからね。それからゴーギャンの「私たちはどこから来たの、どこにいるの、どこへ行くの」は良かったですが、ま、その程度かなあ。印象派のコレクションという意味ではシカゴ美術館の方がよほど迫力がある。 あとボストン美術館で有名な日本コレクションもねえ、へんてこな浮世絵とか、安っぽい陶磁器なんか展示しちゃって、こんなもんが日本の文化だなんて思われたら、国辱って感じでした。 大体、岡倉天心で日本が止まっているところからして、ボストン美術館の不勉強さが知れるというもので、もうちょっと勉強してから日本美術の紹介をしてくれよ、と言いたくなります。 これはいつも思うことなんですけど、外国の美術館で、日本の「洋画」の傑作が展示されているのを見たことあります? 私はないです。ないですが、下手なモネ、下手なマネなんかよりよほどスゴイのを日本の洋画家が描いていると思うんですよね。そういうのを、どうして外国の美術館はコレクションしないのだろう? あるいは、日本は紹介しないのだろう? 百年以上も三流の浮世絵なんか展示されて、それで日本美術でございなんて言われて、関係者諸君は悔しくないんですかね。 とまあ、そんなことを考える暇があるほど、ボストン美術館の内容は大したことがなかったと、まあ、そう思って下さい。メトロポリタンとか、MoMAとか、シカゴとか、JPゲッティとか、アメリカの有名な美術館は大体行きましたが、ボストン美術館は今の時点で最下位かな。 で、いささかガッカリしながら美術館を出てきてしまった私たちが次に向かったのは、ボストン美術館のすぐそばにある「イサベラ・ガードナー美術館」。これはイザベラさんというお金持ちの奥さんが個人として集めた美術品を展示してある、「元自宅」という4階建てのマンションです。イザベラという名前の人はタダで入れるのですが、あいにく私も家内もイザベラとはかすりもしない名前なので、一人12ドル払って入りました。 が・・・。 ここもね、中にはスゴイ作品もあるのですけど、そういう作品がごちゃ混ぜに、雑然と「置いてある」(「飾ってある」とはとても言えない・・・)だけのもので、どんな歴史に名だたる名作でも、物置に置いてあったら単なるゴミだな、というのが良く分かる展示ぶりでございました。とにかく、「趣味」というものがまるで感じられないのですから、共感しようがないという・・・。 ということで、ボストンの有名な美術館二館を巡って、期待した感銘の十分の一も得られないまま、帰宅の途についてしまったのであります。 今日、私が得た教訓と言いましょうか、それは何かと申しますと、「国境を超えると、相互理解は難しい」ということですな。日本の美術は、外国人が今思っている百倍も豊かなのに、それが理解されていない。そして同じことは、日本の側でも言えるのでしょう。スペインはピカソだけを生み出したのではないし、オランダはゴッホだけを生み出したのではない。きっと、他にも沢山優れた画家が居るのだろうけど、日本人はそこまで勉強してない、と。 しかし、こういう敷居の高さを少しでも緩和するのが、大美術館の役割なのでありまして、その意味で、ボストン美術館は岡倉天心に任せきりにしないで、もう少し勉強しなさいと言いたい。一番いいのは、私をキュレーターに雇うことですよ。ボストン美術館は、天心天心言ってないで、これからは「釈迦楽コレクション」でもおっぱじめなさい。
September 11, 2010
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更新が途絶えて申し訳ありませーん! この間何をしていたかと申しますと・・・ 風邪で倒れておったのでございます~。がーん! いやあ、渡米前、論文の締切があったりしてバタバタしてましたし、疲れがたまっていたのでしょう。そこへ持ってきてデルタ航空の機内の寒さ! これが決め手となってボストン到着二日目にしてドーンと。 というわけで一昨日の夜からしばらく寝込んでしまったのですが、「Maximum Strength」のアルカ・セルツァー(アメリカの有名な風邪薬)をがぶ飲みして寝まくったせいか、案外早く回復の兆しが見えて参りました。明日は多分、完全復活するでございましょう。 ところで、転んでもただでは起きない私、ベッドに伏せりながらもジョージェット・ヘイヤーという作家の『素晴らしきソフィー』なる小説を熟読しておりました。これがね、意外なことにかーなり面白かった。 ジョージェット・ヘイヤーというのは20世紀半ばのイギリスの有名なロマンス作家ですが、有名ったって、その筋には有名ということで、シェイクスピアだの何だのを読まれているイギリス文学の専門家なんぞには、おそらくその名前すら知られていないでしょう。そういう大衆的な作家、ということですね。 で、そういう作家ですから、私も内容についてはそれほど期待しないで読み始めたのですけど、読んでみたら、意外や意外、主人公のソフィーなるお嬢さんに夢中になってしまったという。それほど痛快な小説でした。 物語の舞台は、ヒストリカル・ロマンスの定番、リージェンシー時代(19世紀初頭)のイギリス。リブンホール家という上流階級のご家族がおりまして、そこへ従妹のソフィーことソフィア・スタントン・レイシーなるお嬢さんがやってくる、というところから始まります。 リブンホール家は、上流階級の家庭ではあるのですが、当主のバーナード氏が賭博好きで、ほとんど全財産を擦ってしまうんですな。と、そこで運よく、というのか、インドで財をなした伯父さんが亡くなり、その伯父さんはバーナード氏は信用ならないというわけで、リブンホール家の長男であるチャールズに全財産を遺すことにします。これによってリブンホール家は何とか破産を免れるのですが、その代わり一家の代表権はバーナード氏からチャールズの手に渡ることになり、気難しい彼が親兄妹の全ての監督をすることになる。もともと責任感の強いチャールズは、こうした立場に身を置くことによって、さらに自分が家族の面倒を見なくては、という念に駆られるようになり、兄妹にも厳しくあたるような家長となってしまうわけ。 と、そこへ、奔放なソフィーがやってくる。ソフィーは外交官の父、聡明なるサー・ホラスの下で自由奔放に育てられたしっかりした娘さんでありまして、父がブラジルへ赴任する間、親戚のリブンホール家に預けられたんですな。父と一緒に世界中を旅してきたソフィーは、まだ二十歳という年齢にも関わらず、賢くまた世間智もあり、乗馬や射撃の腕も男勝り。 で、ソフィーはリブンホール家に到着するや、この一家には何か問題があると察するんですな。一つ年下の従妹、セシリアには歴とした許婚がいるものの、何か不幸せそう。どうやら他に好きな人がいるのに、その人が生活力のない詩人だからという理由で、許婚との結婚を強要されているらしい。それから二男でオックスフィード大学の学生をしているヒューバートも、何か隠し事をしていそうな感じなのに、それを家族の誰にも打ち明けられないらしい。 そして、これらの問題の全ての背後に、この一家を厳しく牛耳るチャールズの存在がある、ということをソフィーは目ざとく見出します。そしてそのチャールズには、彼にはふさわしからぬ堅物の許婚ミス・ユージニア・ラクストンがいて、彼を操っているらしい・・・。 それならば、私がこれらの問題をすべてまとめて解決しちゃうわ! ということでソフィーの活躍が始まるわけですけど、厳格なチャールズをてんてこ舞いさせながら、ソフィーが次々に問題を解決していく。これがまた痛快な活躍なんだ、実際。この面白さは、もう実際に読んでもらうしかありません。 とにかくソフィーは傑物でしてね、「長靴下のピッピ」のイギリス上流階級版といいましょうか。それからチャールズの許婚のミス・ユージニア・ラクストン(およびその弟のアルフレッド)の厭らしさの描写の見事なこと。時に、ディケンズを思わせるほどの描写力でございます。 ということで、この作品、これまで仕事上の必要で読んだロマンス小説の中でも相当上位に来そうな面白さでしたので、おすすめしておきましょう。これこれ! ↓素晴らしきソフィー価格:940円(税込、送料別) ま、通常のロマンスですと、色々な点でヒーローはヒロインよりちょっと上、という設定になっている場合が多いのですが、この小説では逆にあらゆる点でヒロインがヒーローの上手を行く、という設定で、その点、ロマンス小説としてはちょっと珍しい部類に入るかもしれません。 さてさて、せっかくボストンに来て、風邪で寝ているなんて芸がありませんから、明日あたりはまた復活して、どこかに冒険に出かけることにいたしましょう。さて、ボストン美術館に行くか、はたまたハーバード大学の門でも叩くか・・・。
September 9, 2010
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昨夜は気絶するように眠り、9時間くらいズドーンと睡眠をとったら、何だか一発でジェット・ラグから解放された感じ。昼間の変な時間に突然睡魔に襲われることもありませんでした。アレですね、現地に夕方到着するというのは、結構いいですね。 というわけで、今日は朝から元気一杯。昼から少し家の周りを散歩することにしました。 ちなみに私のアパートがあるのは「ビーコン・ヒル」という地域で、ボストンでも昔からの高級住宅街と言われております。以下の写真は、私のアパートのある「テンプル通り」でございます。 ね、なかなか瀟洒な感じでしょ? この通りの少し先には現在の議事堂があり、その先には「ボストン・コモン」なる公園があります。昔は住民がこの公園で政治集会か何かをやったらしいですが、その伝統は今も残っていて、今日も何やら集会が行われていました。 今日はこの公園のベンチで、途中で買ってきた「サブウェイ」のサンドイッチを食すことに。 で、この後、『若草物語』で有名なオルコットが一時住んでいたアパートの前を通りながら、ボストンで最もオシャレな通りとも言われるチャールズ通りを冷やかして歩くことに。 そしてこの後、ケンブリッジ通りというところに出て、旧議事堂へ向かいます。ボストン観光の目玉ですな。 しかし、この旧議事堂、小さいですな。周辺に大きなビル群が林立していることもあって、余計小さく見える。植民地時代のボストンなんぞ、この程度の大きさの議事堂で十分なくらいの人口だったのでしょう。とはいえ、この議事堂の裏手で「ボストン虐殺」事件が起こり、そこから「ボストン茶会事件」へ繋がり、そこからアメリカ独立革命へとなだれ込むわけですから、ここはまさにアメリカがイギリスから独立する契機となったまさにその場所。実際にその場所に立ってみると、何だか革命前夜の息吹が聞こえてくるような気がします。 とまあ、今日はアパートの周辺にある歴史的な場所を幾つか巡ってみたわけですけど、歩ける範囲にこういうものがあるというのは結構新鮮な体験でした。ロスにはない「歴史」っつーものが、ここにはあった、と言いましょうか。 さて、今日は小手調べみたいな感じで、家の周りの散歩を楽しみましたが、明日はまたもう少しだけ遠くまで行ってみようかなと。というわけで、次の「お気楽日記」をお楽しみに! 今日はこの辺で!
September 7, 2010
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ひゃ~、ボストンに着いたど~! 今日は朝早く起き、支度をして8時半には家を出て、中部国際空港に着いたのが10時ちょい過ぎ。 で、1時ちょい過ぎに離陸してから、飛行機に揺られること11時間ちょい。映画を4本も観てしまいました。で、デトロイトに着いたのが、真夜中の1時過ぎ。でもデトロイトではちょうどお昼頃。 で、入国手続きに異常に時間がかかって、それからボストン行きの飛行機に乗り換えてまたまた揺られること2時間。トータルで何時間かかったんだ? 16時間くらい? で、とにかくボストンに着きました。無事を祈って下さった皆様、ありがとうございました。ちゃんと生きて到着しましたよ~! しかし、遠いね、ボストンは・・・。やっぱ、ロスは近いわ。当たり前だけど。 で、ともかくもそこからタクシーに乗って15分。「ビーコン・ヒル」という地区にある我がアパートに到着したのでありました。 で、オーナーのベンさんに会って、色々アパートの説明を聞いた後、明日の食糧を買うために近所のスーパーマーケットに買い出しに行き、アパートに戻ってきたらドーンと睡魔が襲ってきまして。 もう、頭はぼんやり、目も辛うじて開いている状態・・・。 ということで、アパートの様子とか、レポートしたいことは山積みなんですけど、その辺はまた明日のお楽しみということでお許し下さい。 とりあえず今日はもう風呂入って寝ます。もう駄目~。油断したら気絶する~。グーグー。
September 6, 2010
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ひゃー、終わった~! お昼頃、ようやっと論文を書き終え、編集担当の先生にメール送信しました~。 出来? あー、それはまあー、そのー・・・ 実際、出来はイマイチ良くなかったかも知れませんが、情報量はそれなりに詰め込んだので、興味のある方はそこから自分で調べて下さいっつーことで。 もうね、原稿なんて、送ってしまえばあとは知らないよ~、口笛ぴゅー、ですから。 でも、とにかくこの仕事は終わった。で・・・、 明日からボストンでーす! イェ~イ! もう大型のスーツケースは空港まで送っちまったし、明日は手荷物一つで中部国際空港にたどり着けばいいと。「ミュースカイ」とかいう、カッコいい車両の特急みたいのに乗っちゃうぞ。 ということで、明日からはアメリカはマサチューセッツ州ボストンからの「お気楽日記」となりまーす。お楽しみに~! さて、もう冷蔵庫は空なので、今日の夕食は外食の予定。当分、名古屋飯が食えませんから、今日は「山本屋本店」で「味噌煮込みうどん」を食べてきまーす。ここの味噌煮込みうどんは、麺がすごく硬くて、とってもおいしんだぞ~。それでは、皆さま、明日は飛行機嫌いのワタクシのために、飛行機が落ちないよう、祈ってて下さいね~!
September 4, 2010
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あーん、日曜には出国だってのに、まだ論文が完成しないよーん。まじでやばい。今日は徹夜じゃ!
September 3, 2010
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昨夜、レイトショーでクリストファー・ノーラン監督の『インセプション』を観てきました。以下、ネタばれ注意です。 レオナルド・ディカプリオ演じる主人公コブは、人の内面の秘密なりアイディアなりを、その人の夢の世界に侵入することでハッキングする「エクストラクト」を生業とする一種の産業スパイ。で、渡辺謙演じる大物実業家サイトーからアイディアを盗み出そうとするのだが、途中、邪魔も入ったりしてこのミッションには失敗してしまう。 しかし、今度は逆にサイトーからコブに仕事の依頼が入ることに。サイトーのライバル会社があまりにも巨大になりすぎたため、その会社を何とかして潰したい(分割したい)というのがサイトーの狙いであり、それを実現するため、「エクストラクト」の逆、「インセプション」をやってくれ、というのだ。 サイトーのライバル会社では、創業者社長が死に瀕している。社長が死ねば、会社は息子(フィッシャー)が継ぐことになるが、しかしフィッシャーは、「父親から認められなかった」という劣等感にさいなまれている。そこでフィッシャーの夢の中に入り込み、彼の父親は、彼に落胆していたのではなく、自分とは違う道を歩んでほしかったのだ、というアイディアを植え付ければ、フィッシャーは父親の会社をそのまま受け継ぎ、さらに発展させるのではなく、一旦会社を潰して、新しい事業に目を向けるだろう。サイトーがコブに依頼したのは、このような計画だった。 インセプションは、エクストラクト以上に難しいミッションなのだが、それでもその仕事を引き受けたのは、コブの側に複雑な事情があったためである。実は彼は、産業スパイとして多方面から首に賞金が掛けられているだけでなく、「妻殺し」の容疑も掛けられていて、そのためアメリカに入国できず、それゆえ二人の子供にも会えないという状態が続いていた。サイトーはそこに目をつけ、インセプションのミッションが成功すれば、彼の力でアメリカに入国できるようにしてやると、コブに持ちかけていたのである。コブはこの申し出を断れなかった。 かくしてコブは精鋭を集め、フィッシャーにインセプションを仕掛ける。それも表層的な夢の世界からさらに深く潜行し、夢の夢の夢、というレベルまで行って、フィッシャーと父親の和解をさせると同時に、彼に新たな事業へのチャレンジを促すという困難なミッション。 しかし、この困難なミッションをさらに困難なものにしているのは、コブ自身の夢の世界で、死んだ彼の妻が、コブを夢の世界に引き込もうと邪魔しにくるのである。 果たしてコブとそのグループは、この一世一代のインセプションに成功するのか? そしてコブは、死んだ妻との間の決着をつけることができるのか?! ・・・というような話です。 で、いつものように私の印象点を100点満点で付けますと・・・ 「84点」でーす! 高得点、出ました! うーん、人の夢の中に入り、アイディアを植え付けるなんて、一見リアリティがなさそうなことを、映像を駆使して観客に納得させ、その上でフィッシャーに対するミッションと、コブ自身と妻との問題の二つを同時に進行させる力技。そして最終的には、両方とも一定のカタルシスをもってまとめ上げる力量は大したもの。最後の終わり方も絶妙。 いやー。クリストファー・ノーラン監督。力あるね。『メメント』も良かったし、去年の『ダークナイト』も良かった。で『インセプション』みたいな、一歩間違ったらダサダサの映画になりそうな素材を、よくここまで仕上げたと思わせるあたり、彼の才能はすごい。 でまた、日本人としては渡辺謙さんをディカプリオとほぼ対等の役で、しかも特に「日本人」という特殊な役柄ではなく、一俳優として使い切ってくれたことも嬉しい。 それにしても渡辺謙という俳優は、もちろんいい俳優だと思いますが、日本の過去から現在までの優れた俳優たちを見渡してみて、その人たちより格段に上、とも思わないんですよね。しかし、ハリウッドでの成功という点からすると、ちょっと例がないような堂々たる仕事ぶり。彼に続けと、日本の俳優たちは勇んでハリウッドのオーディションを受けているみたいですけど、必ずしも渡辺さんが得ているような役は獲得できないようで。 じゃあ、渡辺謙さんの何がいいのか。考えてみたんですけど、「ある程度バタ臭い顔で、スクリーン映えするが、かといって日本人離れしていない」「髭が似合う」「声に艶があり、英語でしゃべっても映える」あたりですかね。どうでしょう? 他にありますかね? ま、それはともかくとしまして、『インセプション』、教授のおすすめ!です。まだ観てない方は、映画館へ急げ!
September 2, 2010
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今朝の新聞を開けたら、小沢氏の民主党党首選への立候補について、3人の「識者の声」というのが載っておりまして。 一人目は立命館の先生で、その発言の要旨は「小沢氏、菅氏のこれまでの発言から、どうして出馬するのか、この国をどうしたいのか、伝わってこない」というもの。 つまらないこと言うよね、この人。小沢氏、菅氏とも、なぜ出馬するのか、この国をどうしたいのかについて百万回くらい言っているはずで、それを「伝わってこない」と言ってのけるのは、一体どういうつもりなのか。要するにこの人の基準から言って、聞くに足ることを言ってない、ということなんだろうけど、じゃ、今までの歴代総理で、「この国をこうしたい」と明確に言った(示した)人って誰よ? 私が覚えている限り、「新潟に新幹線を引きたかった」田中角栄と、「郵政民営化したかった」小泉純一郎くらいなもんじゃん? つまり、何をしたいか分からない人が総理大臣になるのが常態の国なのよ、日本って国は。 それに、小沢氏の場合、どうして出馬するのかなんて、すごく良く分かるじゃないの。彼は日本一の権力者になりたい、ただそれだけ。若い時にはすぐなれそうだったのに、思わぬ浮き沈みがあって、自分よりパワーのない奴が次々に首相になって、悔しくて悔しくて、それでようやくチャンスが回ってきたと思ったら、また悪事がばれて蟄居させられ、でも菅さんも大して人気ないみたいだし、ひょっとしたら今度こそ自分が総理になれるかも、って思って出馬するんでしょ。そんなの、誰だってわかっていますよ。「すごいね、小沢の執念は」って。それを「伝わってこない」って・・・。 次。今度は慶大の先生。この人は「代表選は、小沢氏が政治と金の問題について明確に釈明するいい機会ではないか」と言っております。 これも、つまらない発言ですなあ。だって、まともな釈明なんかできるわけないでしょう。だからこそ、今、再審議されているわけで。それに「ぜーんぶ秘書が悪くて、私は何一つ悪いことはしておりません」と、小沢氏自身は何度も言っているわけで、もうそれ以上のことを聞き出せるはずがない。そんなこと分かり切っているのに、「代表選は、いい機会だ」だなんて、何を言っているのかね、この人は。 ラスト。政策研究大学院大学の先生。この人曰く、「政治的パワーを持っている小沢さんに総理をやらせるのも面白いが、危機的な経済状況の中で短期間に二度もトップの首を挿げ替え、国政を停滞させるのには問題がある」ですと。 小沢氏は権力があるから、一回やらせてみたら「面白い」、だなんて、何とも無責任な発言ではございませぬか。それにね、「国政を停滞させるのには問題がある」だなんて言ってますけど、じゃあ国政がすーすー進んでいたのはいつだったのか、教えてほしいようなもんです。いつでも停滞しているじゃないの、この国の政治は。それを「問題がある」というのなら、日本の政治なんて数十年にわたって問題がありっぱなしです。政策研究大学院大学の教授ともあろう人が、よくこういうことをしゃーしゃーと言えるよね。っていうか、この大学って何? というわけで、「識者」って言われている人たちの発言が、どうしてこうアホくさいのか、私には信じられないほどでございますよ。どこをどう押すと、こういう人たちが「識者」で通るのか、私にはさっぱり分かりません。もっとこう、腹にこたえること言う人をつかまえて来なさいって。せめてビートたけしさんくらいの、本物の識者のコメントが聞きたいもんですわ。
September 1, 2010
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