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昨夜、柔術の稽古の帰り、交通事故に逢ってしまいました~・・・。 私は優先道路をクルマで制限速度内で走っていたのですが、突如脇道から「止まれ」の白線を無視してワゴン車が飛び出して参りまして。私のクルマの左横腹にドーン! 私はクルマごと反対側車線に吹っ飛ばされ、そのまま横転! 歩道にあった鉄柱をなぎ倒してようやく止まりました。 で、クルマの中でもがくことしばし、ようやくシートベルトをはずしたものの、横になったクルマから脱出することのムズカシイこと! ドアを上に押し上げるったって、重くてあがりゃーしない。 それでも音を聞きつけて集まってくれた近所の住民の方々の助けもあってようやくクルマから脱出したのですが・・・。 私にぶつかってきたクルマは跡形もなし。器物破損、救護義務放棄の上、当て逃げで逃走ですわ。 で、当然警察を呼んだのですけど、昨夜はほぼ満月だったためか喧嘩、泥棒などの事件が多発、警察もすべて出払っていて、全然来やしない。ってなわけで、色々あって最終的に家に帰りついたのは深夜零時。 結局、ワタクシの家内の愛車は全損。私も病院行き。エライ目にあっております。 ということで、数日はこのブログもお休みするかもしれませんが、いずれ復帰するまでお待ちください~! ただね、相手のクルマを特定する証拠品はゲットしたからね。当て逃げ犯、覚悟しとけよ!
April 28, 2010
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はーい、お待っとさんでした。先週末に行なった信州旅行についてのレポート第一弾でーす。 初日。生憎の雨、それも豪雨に近い中、中央道をひた走りながら家内と私が向かったのは信州・上田。やたらに信州方面に出掛ける我らにして上田というのは未踏の地でございまして、名古屋を出て名神、中央道を通り、岡谷ジャンクションを北上、さらに更埴ジャンクションを関越道方面へ向かって上田・菅平ICまでおよそ320キロ、結構な道のりでございました。東京までの距離とほぼ同じですけど、中央道は曲がりくねっている上、アップダウンがあるので疲れます。 さて上田・菅平ICで降りた我らは、適当に青看板に従って上田駅前を通過、そこから若干南下して「無言館」を目指します。 ところで「無言館」って何か、ご存知でしょうか? これはですね、作家・水上勉さんのご子息で、著作家の窪島誠一郎さんが作られた美術館であります。しかし、普通の美術館とちょっと異なるのは、展示してある絵の種類というか、来歴です。 無言館は、別名を「戦没画学生慰霊美術館」と言いまして、第二次世界大戦の時に出征し、命を落とした若い画家、もしくは画家の卵たちの遺作を展示してある美術館なんですね。 で、展示してある絵の作者たちは、東京美術学校(今の東京藝大ですな)や帝国美術学校(武蔵野美術大・多摩美術大の前身)の卒業生や在校生で、兵隊にとられていった人たち。当然、戦地で亡くなった方ばかりで、作者の享年を見ると、そのほとんどが二十代半ばです。つまり、せっかく絵の道を究めようと美術学校に入ったのに、その志半ばで倒れた若い人たちの絵が展示してあるわけですな。 ですからこの美術館には名を成した画家の絵なんてのは一枚もありません。ただ、美校の精鋭たちの作品ではあるわけですから、その絵には彼らの才能の片鱗がしっかりと残っている。それだけに、余計残念なんですね。こんな若い時に、こんなに素晴らしい絵が描けたのなら、もし戦争なんか無くって、長命を保っていれば、どれだけ大成しただろう・・・と思わされるような作品ばかりなんですもん。 で、そういう戦没画学生の絵を、窪島誠一郎さんという人は、彼らの遺族を訪ね歩いて一枚一枚集め、そしてこの無言館という美術館を立てて供養した、ということなんですね。 で、そうやって集められた絵というのは、結局、自分が戦地に赴かなければならず、おそらくは死ななければならないことを自覚した若い絵描きの卵たちの絵ですからね。彼らがこの世の最後に何を描こうとしたか、ってことからして、泣かせるわけですよ。 例えば自分の妻の裸身を描いた者がいる。愛する新妻を残して戦地へ行く画家の卵が、自分の最後の作品と覚悟して妻を描くっていうね。もし平和な世であれば、この先何万回も愛撫出来たかもしれない妻の裸身を、もうこれっきりというつもりで描く夫。そしてその夫のモデルになるために裸身をさらす妻。その二人の光景を想像するだに、そこに何と濃密な、かけがえのない時間があったことだろうと思わざるをえない。 あるいは、まだ妻を持つまでにも至っていない若い画家の卵たちは、やはりそれぞれ最愛の人を描くわけですよ。可愛がっていた妹を描く者あり、自分を可愛がってくれた祖母の肖像を描く者あり。その絵の添え書きによると、最愛の祖母を描きながら、その画学生は「もうばあちゃんの絵も描いてあげられなくなるかもしれないから・・・」とひと言つぶやいたと言います。 あるいは、家族全員がきれいな服を着て、応接間のコーヒーテーブルを和やかに囲んでいるところを描いた画家もいる。ところがその絵に添えられた遺族の談話を読みますとね、この家は貧しい農家だったので、家族が揃って居間でくつろぐなんて時間は一切なかったというんです。つまりこの絵は、すべて画家のフィクションなわけ。死地へ赴く画学生が、「こんなノンビリした、優雅な家族団欒があったらよかったのにな・・・」という切ない思いを込めて、家族の肖像をフィクションとして描いていたわけ。そんな背景を読んでから改めてこの空想上の家族団欒の絵を見ると、何とも哀しいじゃありませんか。 またある未完成の絵には、「この絵の作者は、既に自分の出征を見送るパレードが始まっているのに、『せめてこの絵具を使い切るまで、この絵を描かせてくれ』と言って、遺作となるはずのこの絵に必死のひと筆を描き足した」なんてエピソードが添えられてあったり。 そう、無言館に展示してある絵は、絵それ自体もさることながら、絵に添えられた添え書きがね、一つ一つ泣かせるんですわ。 ある絵には、その画学生の姉と言う人の言葉が添えられていましたが、それによると彼女は出征の前日に弟と美校のキャンパスを散歩した、というのですね。で、曰く「本当なら弟は恋人と最後の散歩をしたかったのかもしれないけれど、弟にはそういういい人がいませんでしたから。私が恋人の代わりになりました」と。そのお姉さんは、弟が戦死した後、彼が残した絵を大切に守りながら、一生独身を通したそうです。死んだ恋人を思って、その後一生操を守った人のように・・・。 まあ、こういう絵を見、添えられた添え書きを読んで思うことは、月並みですが、戦争なんてやっていいことは一つもないな、ってことですね。 とにかく無言館、日本人たるもの、一度は行っておくべき場所じゃないでしょうか。絵の他にも、遺族に送られる戦死の通知とか、そういうものも展示してあって、色々考えさせられますよ。 さて、無言館を見た我らが次に向かったのは、すぐお隣にある「信濃デッサン館」。これは無言館よりも先に出来た美術館で、むしろ無言館が信濃デッサン館の別館なんですけどね。 で、信濃デッサン館ですが、こちらは名をなした画家の若い時の作品、それもデッサンを中心に集めたもので、戦争とは直接関係はありません。しかし、「若い時の作品」というところが戦没画学生たちの絵と共通する部分があって、見れば「ああ、やっぱり栴檀は双葉より芳しだなあ」と思わされます。 で、中でも私の目を捉えたのは、村山槐多(むらやま・かいた)の作品群。槐多は1896年に生まれ、1919年に死んでいますから、夭折の画家ですけど、しかしその才能は凄いね。以前から名前だけはよく聞いていましたし、作品も見てはいるのでしょうけど、今回ほど「あ、この人、スゴイ画家だったんだ」とはっきり思わされたことはありません。これはもう少し槐多のことを勉強しなければなりますまい。 というわけで、無言館で若干重苦しい思いを抱いた後、信濃デッサン館の方で別種の、むしろ明るい印象を受け、なんかちょっと救われた感じでした。デッサン館には小さなカフェが併設されておりまして、満開の桜(信州では今、桜が満開です)と、美しい景色を眺めながら飲んだ熱いカフェオレもおいしかった。何せ当日は雨の上に寒かったので・・・。 さて、無言館とデッサン館を見てすっかり満足した我らは、次に別所温泉へと向かいました。無言館から別所温泉までは、クルマならものの10分ほどの道のりです。 別所温泉というのは、私も初めて訪れましたが、小さな温泉町でありまして、それなりに立派な旅館も何件かあるものの、ひと言でいえば「鄙びた」という形容詞がぴったりくるところでございました。で、本日我らが投宿したのは「マウントビューホテル朝日館」なる旅館。部屋数も十数部屋のこじんまりとした旅館ですが、清潔で、配慮の行き届いた、実に気持ちのいい旅館でしたね。 で、今回、我々は朝食だけの宿泊プランを選んだので、宿について一休みした後、夕食をとる店を探すために温泉町をぶらついたのですが、これがまた大変で。 というのは、温泉町自体が小さい上、オフシーズンのウィークデーですから、開いている店が少ない、少ない。ひゃー、これじゃ夕食にありつけないじゃん! と、いささか冷や汗をかき始めたところで見つけたのが「桂」という焼き鳥屋さん。観光客相手というよりは、明らかに地元ピープル御用達の渋い店ですが、そんなことかまっていられませんから、とにかく中に入って見ることに。 で、とりあえず「肉うどん」なるものを注文し、合わせて焼き鳥を一皿頼んでみたわけですが・・・ ありゃー、うまい! めちゃくちゃうまいじゃん!? まず肉うどんですが、これはうどんに信州名物・馬肉の煮たのが乗っているというシンプルなものながら、濃いめの味付けがたまらん一品。うどんの量も結構ありましてね。しかし、それ以上に驚いたのが焼き鳥の方。ニンニクと林檎をすりおろしたタレがどっさり乗っているのですけど、この味付けが絶妙。ひと皿5串ですけど、家内と二人でペロッと。二人で一緒に食べているのですから、ニンニクの匂いを気にすることもなく。で、あんまり美味しかったので、同じ味付けでつくねも一皿追加。これもおいしかった! で、もう一皿と思ってメニューをみて「味噌おでん」を注文したところ、茹でたこんにゃくに味噌ダレがかかっているのが出てきて意表を突かれました。すっかり名古屋人になってしまったワタクシ、味噌味のおでんを期待していたのですが、ここは信州と上州の境ですからね。そりゃおでんといえばこんにゃくでしょう。若干上州人の血が混じっているワタクシとしたことがすっかり忘れておりました。ま、予想したものとは違いましたが、味噌こんにゃくもおいしいことはおいしかったです。 しかもこの「桂」、お店の人たちが皆、いい人でね。決してこれ見よがしのサービスはしないんですけど、時々ふらっと我々のテーブルにやってきて、「はい、これ食べて」と言って、漬物を出してくれたり、「これ昨日とれたばかりの奴。柔らかいよ」とかいって、山菜の若芽を出してくれたり。で、我々が会計を済ませて店を出ようとすると、「あんたらどこに泊まってるの?」と聞いてきて、近くの旅館だと知るや、店の若い者を使ってクルマで送ってくれたという。信州の人って、朴訥だけど、なんか優しくてあったかいなあ、という感じがひしひしと。いいところですなあ、別所温泉。旅館のお風呂も良かったし。 ということで、私たちの信州旅行一日目は、実に気持ちよく終わったのでありました。この続きは、また明日!
April 27, 2010
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ひゃー、旅から帰って参りました~。今回の信州旅行、なかなか良かったです。信州の人たちの素朴な優しさに触れる旅でございました。で、詳しい旅の報告はまた明日以降、アップしますのでお楽しみに! で、今日のところは別な話題を。実は昨日、学会がらみで作家・諏訪哲司氏の講演を聞いてきたものですから、その内容のまとめを少し。 『アサッテの人』で芥川賞を受賞された諏訪さんですが、意外に背の高い、ユースケ・サンタマリアさんをシャッキリさせたような感じの風貌の、若く、真面目そうで、自信に満ちた感じの人でした。ちょっとオタクっぽいというか、私、家に籠ってしこしこ文章を練ってます、みたいな感じがひしひしと。 で、今回、主催者側から提示された講演のタイトルは「文学とエロティシズム」だったんですが、講演の冒頭、諏訪氏曰く、このタイトルだと「文学」なるものと「エロティシズム」なるものが別々にあって、それら二つの相関関係はどうなっているのか、というような話になりそうだけれども、そういう風にとられては困る。自分が考えるに、エロティシズムのないものは文学ではないのであって、両者は別個のものではない。だから、それを言うなら「文学はエロティシズム」と言わなくてはならんのではないか、と。 じゃ、エロティシズムとは何かと言えば、それは一言で言って「倒錯」である、と諏訪さんは続けます。既成の価値観をひっくり返したもの、時代が正しいとみなすものに反抗するもの、そういう倒錯的なものがエロティシズムなのであって、それはどこまでも人間的な行為だ、と。なぜなら他の動物と違って、人間だけが「既成の価値観」なるものを作らないと生きていけないのであって、それゆえ、その既成の価値観に謀反する行為もまた、人間にしかできないものだからでーす。禁忌を破るには、まず禁忌を作らなきゃならないけれど、禁忌を作るのも破るのも、どちらも人間にしかできない、というわけですね。 さて、芸術、なかんずく文学を人間固有の倒錯的行為と断定しますと、それが存在していくためには、その反対物として「ノーマルなもの」「倫理的なもの」が必要になってきます。そういうものがあるからこそ、それを逸脱できるのでありまして。言いかえれば、「犯罪」を行うためには、それ以前に「法」が必要になる、ということですね。法が存在して初めて、それに違反することができるわけですから。 というわけで、古来、文学は司法とは相容れない、決定的に反社会的・反時代的な行為であった、と諏訪さんは述べられます。とにかく既存の価値観をひっくり返すようなものを提示して、初めてそれは文学になる。分りやすい例で言えば、例えばサド侯爵の書いたものは、それが「嗜虐的行為」というきわめて反社会的なものを示唆し、それによって人間が持つ一種の本能的な欲望を暴いたという意味で、まさに文学だった、ということですな。 ところが。 現代社会もさるもの、こういう文学側の謀反の戦略を封じてしまう方向に進んでいるんですな。例えば「言論の自由」。かつて「サド裁判」ってのが日本でもあって、サド侯爵の書くような反社会的な言説は法的に罰せられ、それによって逆にその文学的価値は高められたわけですけれども、今はそれが「言論の自由」の名の下に自由に流布してよろしい、ということになってしまった。で、そうなりますと、サド侯爵が書いたものはもはや「反社会」でも「倒錯」でもないものになってしまうのであって、その文学性も急降下。エロティシズムのパワーも、冴えないものになってしまうわけです。 だからこそ、近頃流行りの「ケータイ小説」ってんですか? 十代のガキなんかがやたらにバイオレントなシーンを盛り込んだ小説らしきものを書いて得意になっているようですけど、そんなものはもはや反タブーでもなんでもない。だから、それは文学として認められないと諏訪さんはおっしゃいます。 しかし、このような状況は、ケータイ小説を書く連中よりももっと真剣に文学に取り組んでいる諏訪さんたち若き作家たちにとっても、非常に厳しい状況ではある。時代が「何を書いてもオッケーよ~」と構えているところでは、倒錯し難いというか、謀反を起こしにくいわけですよ。もう大方の倒錯はし尽くされてしまって、あと何をすれば倒錯になるのか、何をすれば文学になるのか、それが明確には見えない。何をやっても既視感がある。現代とは、かくも文学が、エロティシズムが難しい時代なんですな。 で、諏訪さんご自身としても、作家になる前からこの問題に突き当たっていた、と。何となれば、諏訪さんの師匠はかのドイツ文学者にして博覧強記の種村季弘だったからです。それだけに、古今東西の文学に通じた種村さんを驚かせるようなもの、新たな倒錯を提示できるかという難しい課題が、諏訪さんのスタート地点にはあった。 そこで諏訪さんが何をやったかというと、ま、ここが諏訪さんの真面目なところなわけですが、それこそ古今東西の文学百万巻を読み漁り、文学の歴史をまず自分で背負うところから始めたというんですな。で、もう文学の世界では倒錯するためのスペースと言いますか、新しい大陸、新たな沃野なんてものはもうないんだ、ということを改めて認識して絶望する。で、その絶望を抱えつつ、それでもかつての文学がやってきたお決まりの戦略というか、パターンを見つけ出し、よーし、俺はそのパターンとは違うことをやってやるぞ、と激しく決意する。ま、これが諏訪さんにとっての「文学道」だと。 で、完成したのがかの『アサッテの人』。この「アサッテ」というのは、「アサッテの方を向く」なんていう言いまわしの時の、日本語特有の意味合いと言いますか、つまりは予想外な、突拍子もない一歩を踏み出す人、という感じのニュアンスを意味させたいと思ってつけたのだそうです。要するに、倒錯するスペースがもうほとんど残されていない現代という時代の中で、しかも過去の文学史も十分踏まえた上で、それでもどこか新たな倒錯的方向へ一歩踏み出そうと、自分でも考えもしなかった突拍子もないことへと敢えて舵を切る。そういう意味なんですな。 しかし、このような既成概念からの意図的な踏み外しは、本当の意味での倒錯とは、若干意味合いが異なります。本当に悪い奴と、悪ぶっている奴が違うように、わざとタブーを破ろうとしてするような意図的な行為は、本質的な倒錯とは違う。 柳田国男の山人についての文章に、「山人にとって殺生の快楽は酒色の比ではない、よっていかな仏道も、これを糺すことができなかった」というのがあるそうですが、かつて山人が動物を殺す、あるいは人を殺すことの快楽に溺れたようなのと同じレベルで、現代人は倒錯的なことはできないわけですね。 ということは、ですよ。現代に生きる作家たちが、今、この社会の中で文学するということは、それはつまり過去の作家たちの蛮行を羨望しつつ、細々と、またちまちまと倒錯する、ということであって、これはもう敗北することが決まっている戦いを闘うようなもんだ、と諏訪さんは言います。だけど、そうするしかしょうがないじゃないか、とも。 だから今、自分は、そういう絶望的な戦いを闘っているし、自分に続く若い作家志望の連中には、俺と同じ道を歩めとアドバイスしている、と述べられたところで、今回の諏訪さんのご講演は時間となりました。 はあ~。なるほどね。文学は倒錯ですか。いいこと聞いた。私もね、キラキラお目目のゼミ生から「『大草原の小さな家』で卒論書きたいんですけど!」などと尋ねられ、答えに窮することが多いのですけど、次からは「あのね、君、『大草原の小さな家』は文学じゃないんだぞ。倒錯してないだろ? インガルス家のお父さんは趣味で人を殺したりするか? ローラも反社会的な不良少女じゃないぞ」ってなことを言って、ダメ出しすることにしようっと。 ま、冗談はさておきまして、ワタクシなんかからすると「文学とは倒錯だ」と断定してしまうところからして、ちょっとね、「まあ、そんなに堅苦しいことは言わんでええんじゃないの」と言いたくなります。ま、人が書きたいこと書いて、それを人が読んで喜んで、そうすりゃそれが文学なんじゃないかと。で、その中で長きに亘って多くの人を感心させたのが「優れた文学」ってことにしておけばそれで十分なんじゃないの? 第一、倒錯が文学の条件で、もう本格的な倒錯はし尽くされたから、後はとりあえずちょっとでも倒錯的だと思うことにはとりあえず飛びついておくしかない、的なところで書かれた文学作品なんて、つまらなそうじゃん? 「もう優れたハーモニーは使い尽くされたから、あとはもう出鱈目であろうと不協和音で行くしかない」的な感じで作られた現代音楽がつまらないようなもんで。ま、諏訪さんの口からもご自身の書かれるもののエンターテイメント性について、自覚的であるようなご発言もありましたから、私に今述べたようなことを言われる筋合いはないのでしょうが。 でもね、とにかく真面目な人ですわ、諏訪さんって。そうやって真面目に自らの信じるところを突き進むなんて感じの人が、今なお居るってことが、何より清新でよろしい。ちゃらんぽらんな私としては、諏訪さんをもって他山の石としましょうかね。追伸: 昨日の今日ですが、今朝の新聞を開いて目に飛び込んできたのがイギリスの作家アラン・シリトー氏逝去の報。「怒れる若者たち」の一人として代表作『土曜の夜と日曜の朝』『長距離走者の孤独』などを書き、1950年代のイギリスに衝撃を与えてから半世紀。晩年をどうすごされてきたのか、私は詳しくは知りません。しかし、後年になってからデビュー当時のパワーを再び発揮することはなかったのではないかと思います。そう考えると、若き日のシリトーのパワーを引き出したのは、イギリス1950年代に対して「反抗」する彼の謀反の意思だったと言えるのかもしれない。諏訪さんの「文学は倒錯だ」「文学は謀反だ」という言い方は、やっぱり、いいとこを突いているのかも知れませんな。 それはともかく、私も大学生になりたての頃、『土曜の夜と日曜の朝』『長距離走者の孤独』の二作には大いに感銘を受けたものでした。特に後者の走る少年の胸の鼓動というか、息遣いまでも伝わって来るような文章には圧倒された記憶があります。結局、シリトーというのは、イギリス労働者階級のサリンジャーだったのではないかと。そんな感銘を私に与えてくれた作家の氏を悼み、ご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。長距離走者の孤独
April 26, 2010
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研究休暇中ゆえ、毎日家に居ることの多い今日この頃。家内も私に食べさせるため、朝昼晩と食事を用意するのは大変でしょう。私が大学に行っていれば、少なくとも昼ごはんくらい、手を抜けるのでしょうが。 ということで、私も時々は家内に楽をしてもらうため、料理をしようと思っておりまして。 で、今日の昼、試してみたのが「ひき肉とほうれん草のお手早カレー」という奴。これがね、自分で言うのもなんですが、結構上手にできたのよ。しかも作り方は簡単至極。まあ、作り始めてからざっと25分で完成ですね。 はーい、皆さん、メモのご用意はいい? 二人分の作り方いくよ。 まず、小鍋にお湯を沸かして、沸騰したら卵を2個投入、6分きっちり茹でたらお湯を切って水に漬けておいて下さい。これは後で半分に切り、トッピングにします。 次、玉ねぎ半分をみじん切り、皮をむいたトマトを一個ザク切り、洗ったほうれん草3分の2把を三等分か四等分くらいにざっくり切ります。 フライパンに軽く油をひいて強火で熱し、ほうれん草を炒めます。生のままいきなり炒めるの。ものの1分ほどでしんなりしますので、そうなったら取り出しておく。 次に同じフライパンにもう一度油をひき、中火で玉ねぎを炒めます。1分くらい炒めたらひき肉(合挽き)150グラムを投入して炒めます。ひき肉が炒まったら水を1カップ入れ、さらにトマトを入れて2~3分ほど煮ます。私は水を入れる前に、ワインを少々入れて風味をつけましたけどね。 ある程度ぐらぐら煮たところで、一旦火を止め、市販のカレー・ルー(小分けされているタイプが良い。おススメはハウス・ジャワカレー。8つのブロックに分かれているので、一人1ブロックと考えればいい)を投入してよく溶かします。 ルーが完全に溶けたら中火に戻し、さらに1~2分ほど加熱。煮立ってきたら先ほど炒めて置いたほうれん草を投入。ひと煮立ちでカレー完成! 皿にご飯を盛り(もしあればピザ用のとろけるチーズを熱いご飯に少々トッピング)、カレーをかけ、最初に作っておいた半熟の卵を乗せて、「ひき肉とほうれん草のお手早カレー」の完成でーす。 ね、ざっと読んでも簡単でしょう? ほんとに最初から最後まで、私でも25分は掛からなかったですもん。熟練の主婦なら20分以内で出来そうです。 で、実際に食べてみたんですけど、これが結構旨いのよ。トマトの酸味がほんのり効いていて、またほうれん草もたっぷり入っているので、ひと皿で野菜もしっかり食べられる。で、半熟の卵を崩しながら、ご飯とカレーと一緒に食べると味もボリューム感も格段にアップ! ちなみに、この料理、オレンジページの『10分でごはん! これは早っ! かなりウマッ!』の52ページに載っていたものなんですけど、この本いいですよ。簡単で旨そうなランチ・ネタ満載という感じ。姉妹品の『15分でごはん!』ともども教授のおすすめ!です。こちらは夕食ネタとしても使えます。これこれ! ↓10分でごはん!15分でごはん! ちなみに、ワタクシ、自分で食事を作った時は、後片付け・皿洗いもちゃんと自分でやります。そうじゃなきゃ、家内に楽をさせたことにはなりまへん。そこはちゃんと心得ておりますので、世に言う「男に料理させると、後片付けが大変で・・・」ということにはならんのよ。 さてさて、話はガラッと変わりまして私ことですが、明日から二、三日、信州の方に旅に出て参ります。なんせ休職中ですから、いつでも旅に出られるわけ。今回は特に「池田満寿夫美術館」と「信濃デッサン館」および「戦没画学生慰霊美術館・無言館」訪問が主な目的です。 ということで、また旅から戻りましたら、旅の記録をアップしますので、乞うご期待です。それでは皆様、しばらくの御無沙汰でございまーす!
April 21, 2010
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本日をもちまして、ワタクシ・釈迦楽、柔術の道場に正式に入門して参りましたあっっ!! サバティカル休暇を一つの契機として、マンネリ化した生活を打破すべく、何か新たなチャレンジをしたいと思っているワタクシ。ピアノの練習もその一つですが、それとは別にもっと身体を張った何かをやりたいと模索した結果、行きついたのが「柔術」。 で、先月半ば、ちらっと道場を見学させてもらったのですけど、本日、真新しい純白の空手着に身を包み(柔術って、柔道着じゃなくて、空手着でやるんですよーん)、入門して参りましたよ。 で、今日は初稽古ということで、柔術の基本中の基本たる技、「八光捕り」「手鏡」「合気投げ」の三つを反復練習。最初は師範に動きを教わり、その後、有段者を含む先輩方に相手をしていただいて投げたり投げられたりの練習を繰り返します。 何せ最初ですからね、いまいちコツが掴めないのですが、どうかしてうまく決まると、面白いように相手を投げ飛ばしてしまいます。これは力ではなく、物理の法則ですから、相手が有段者だろうが、こちらが今日初めての素人だろうが、決まる時は決まる。そこが痛快なところでして。 で、今日稽古に来ていた先輩方は入れ替わり立ち替わりですけど、全部で10人くらいでしたでしょうか。若い人は大学生くらい、上は60前後と思しき初老の方。中には20代後半くらいの女性もいます。稽古は男も女も関係ないので。 ってな感じで、結局2時間弱ほど稽古したのかな? そんなに激しい動きはないのですけど、やっぱり結構汗をかきました。いい運動になりますね。 さてさて、これから毎週一回、道場に通うことになりそうです。一年後、私の腰の回りに黒い帯が巻かれているか、行ける所まで行ってみましょう。気合だ~! わっはっは!
April 20, 2010
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レイトショーで『シャーロック・ホームズ』を観て参りました。ガイ・リッチー監督、ロバート・ダウニー・ジュニア(ホームズ)、ジュード・ロウ(ワトソン)の二大スター競演の映画でございます。(以下、ネタバレ注意!) この作品、「シャーロック・ホームズ」という稀有なキャラクターは使っていますが、コナン・ドイルの原作とはまったく関係のないストーリー。さる貴族の御落胤であるブラックウッドって奴が黒魔術みたいなのに凝って悪の道に走り、しまいにゃイギリス政府転覆、果てはアメリカを再び支配下に置こう、なんてことを考える、という話なんですな。 で、ホームズはブラックウッドを一度捕まえ、死刑に処するのに一役買うのですが、実はこれがこ奴の策略でありまして。手練手管を使って表向き処刑されたようなふりしつつ、これを免れ、その後墓場から蘇ったということにして自らの悪魔性をアピール。それがもたらす恐怖心によって人々を支配しようという腹だったんですな。 で、まんまとそのシナリオを進めていくブラックウッドに対し、ホームズ&ワトソンが立ち向かう、と。で、そこにまたホームズの宿敵・モリアティ教授が絡んできたり、女嫌いのホームズが唯一認める女、アイリーネ・アドラーなんかも登場してきたりして、何だか「ルパン三世」でも観ているかのような賑やかさでストーリーが展開しまあす。 で、この映画に対する私の評価は・・・ 73点でーす。ギリギリ合格~! まあね、原作と違うじゃないか、とか、そういう無粋なことを言っても仕方ないので、要するに、ロバート・ダウニー・ジュニアとジュード・ロウを使って、今までとは全く違うキャラ設定でシャーロック・ホームズ作ってみましたけど、いかが? という制作サイドの提案に対し、観客の我々がどう反応するかの話ですよね。 でも、原作とキャラが違うとなると、今度のホームズはどういうキャラなんだ、というのをちゃんと描いて欲しいわけですが、そこのところがね、どうも弱いような。2時間観ても、結局、このホームズがどういう奴なのか、今ひとつ分らないですもんね。 例えば、なぜホームズはワトソンが結婚するのを敢えて嫌がらせまでして阻止しようとするのか? 見ていると「アレ? このホームズはゲイという設定?」なんて妙な勘ぐりをさせられてしまいますが、その割にホームズのアイリーネ・アドラーに対する好意を見ると、いや、そうでもないか、と思わされたり。原作のホームズは、彼女に対して敬意は抱きますが、それは男女のナントカとは無関係。でも今回の映画版のホームズのアイリーネ・アドラーに対する態度は、明らかに恋心ですからね・・・。ま、こんな風にホームズの言動が不可解なので、一体この男はどういう奴なんだ、という疑問から脱することができないんです。 それを言ったらワトソンの立場もそうで、今回のワトソンのホームズに対する態度は、『明日に向かって撃て!』におけるサンダンス・キッドのブッチ・キャシディに対する態度にそっくり。あるいは次元大介のルパンに対する態度に近いというか。アレ? ホームズとワトソンの関係って、そんなだったっけ? という感じが否めません。両方ともアクティヴ。これじゃワトソンが机に向かってホームズの活躍を記録するところなんて、とても想像できない。 おまけに、そもそも私、「宗教がらみの犯罪」というものに興味が持てないという・・・。本格的に宗教がらみならまだいいのですが、たいていは宗教を隠れ蓑にした単なる欲ボケ犯罪だったりすることが多いんですもん。今回のブラックウッドだって、黒魔術なんてのは実はまやかしで、単にイギリス征服、世界征服したいだけでしょ。 大体、世界征服したい人の心境が分らんのだよね、私には。世界征服した後、どうするの? 何が楽しいの? ・・・だから、私にとってはリアリティがないわけよ、世界征服を狙う犯罪者を描く行為自体が。 ということで、今回のホームズ映画、私としては、「微妙!」という評価にしておきましょう。熱烈に薦めはしませんが、お好きならどうぞ、という程度で。ま、強いてこの映画の長所を言えば、19世紀末のロンドンをCGを駆使して描いたっていうね。そこは面白いですよ。 ま、長年のシャーロック・ホームズ・ファンといたしましてはですね、イギリスのグラナダテレビでしたっけ、そこが制作したテレビ・シリーズと言いましょうか、あのジェレミー・ブレットが演じたホームズの方がよほどイメージにぴったりで、好きかなあ。結局、ホームズは原作に忠実に描いてなんぼ、ということなんじゃないすかね。ロバート・ダウニー・ジュニアに関しては、次の『アイアンマン2』に期待しましょうや。
April 19, 2010
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高平哲郎編著の『植草さんについて知っていることを話そう』(晶文社)という本を読んでおります。 タイトルの「植草さん」というのは、当然、映画・ミステリー・ジャズ評論家であり、古本&雑貨収集家であり、何よりも都会の散歩者であった故・植草甚一さんのことなわけですが、この本は生前の植草さんと仕事上の交流のあった様々な人たちへのインタビューを通じて、植草さんの人となりなどを語っているものなんですね。 で、インタビューをされている人によって出来不出来はありますが、それまで私が知らなかった植草さんの一面を語っている点で印象的な部分もあり、面白く読んでおります。 例えば片岡義男さんが、まだ植草さんのことを良く知る前、銀座のイエナ書店の前で洋書の立ち読みをしている植草さんのことをタクシーからチラ見した時の思い出を語っている部分なんて、なかなかいい。以下のような一文なんですが: 「姿はね、六二、三年かなあ。歩道に面して一階にも洋書売り場があった時代の銀座のイエナ書店。その店先で植草さんが立ち読みしてた。真っ白なスーツを着て、黄色い靴履いて、真っ青な帽子かぶって。シャツが真っ赤だったかな。綺麗でしたよ、ケーキみたいで。前衛のケーキですね。ぼくはタクシーに乗っていて、歌舞伎座の方から来て、銀座四丁目の交差点を超えたところで、一緒に乗っていた年上の編集者が、「あそこに植草さんがいる」って指さしてくれたんです。その指のさすところに植草さんが立ち読みをしていて、その立ち姿はいまでも僕は真似ができます。」(108ページ) 見事な第一印象の文ですね。天晴れ片岡義男。 ところで、この本の中では石川次郎さんもインタビューを受けていて、その中で、ちょっと植草さんのこととは離れるのだけれど、石川さんが創刊にかかわった『ポパイ』という雑誌のことを語っている部分があるんです。 で、石川さんはそれ以前に『平凡パンチ』の編集者であったわけですけど、二つの雑誌は全然違う、という話でありまして。つまり『パンチ』の方はベトナム戦争とか、安保の問題に絡め、とにかく「反体制」の雑誌だったわけですね。ところがそういうものが片付いて、世の中が平和になっていく。今まで反体制をうたっていた若者も、平和な世界に順応していかざるを得ない時が来る。 その中から、クリーンなファッション、健康的なボディ、サーフィンなどの遊び、そういうものへの関心が生まれ、それらを網羅的に紹介するカタログが必要になってきた。で、そういうカタログ雑誌として生まれたのが『ポパイ』だと、まあ、石川さんはおっしゃるわけ。同じくアメリカの方向を向いていた雑誌だけど、『パンチ』と『ポパイ』はそれだけ違いがあると。 で、『ポパイ』世代の私なんぞは、あらためてなるほどねえ、と思うわけですよ。 それにしても、こんな話を読んでいると、ひと昔前は、時代を映す(若者)雑誌があったなあって思います。私の世代で印象的なのは、何と言っても『Pia』ですかねえ。あの「街には面白いものが沢山ころがっている!」というコンセプトは、実に新鮮だった。あとは『FOCUS』ね。女性誌では『anan』とかね。 そして、私なんかの一つ前の世代にとっては、それが植草さんの編集された『ワンダーランド』や『宝島』だったのでしょうし、そのもう一つ前の世代にとっては『マンハント』とか、そういう雑誌だったのかもしれません。 で、そういう風に考えると、今、時代を映す若者の雑誌って何なんでしょうか? それが思いつかない。今、雑誌の話題というと、何が廃刊になった、という話ばかりですからね。 もう雑誌というメディアは、若者を惹きつけられないのでしょうかねえ・・・。 と、ここでまた、「昔は良かった」的な感慨にふけりたくなるんですけど、新聞の下段の広告を見ていて、相変わらず元気なのは『週刊現代』だとか『週刊ポスト』だとか、おっさん向けのゴシップ雑誌しかない、という状況は、何だか寂しいなと思う私なのであります。読者諸賢のご意見や如何に。っていうか、皆さんにとっての「青春の雑誌」って何ですか? もしそういうのがありましたら、お知らせください。これこれ! ↓植草さんについて知っていることを話そう
April 18, 2010
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オバマ大統領がアメリカ人を火星に飛ばす、と宣言して話題になっております。 しかし、ケネディ大統領がかつて絶対アメリカ人を月面着陸一番乗りする、といって大受けしたのと違って、あんまり熱狂的な反応があったような感じもせず。 ま、1960年代は科学技術とか、人類の進歩とかいうものに対する希望がありましけど、今はそういうのないですからね。「火星? はあ?」という白けた感じだったのではないでしょうか。 大体、月に行くのだって何のメリットがあるのか良く分りませんし、ましてや片道半年も掛かる火星なんて、行ったところで何の役に立つのかさっぱり分からず。宇宙の中で一番いいのは地球だってことは分りきっているのに、何をわざわざ不都合なところに行くのか。私にはさっぱり分りません。そもそも地球自体が宇宙の中をものすごい勢いで飛び回っているわけで、今のままで人類全員が宇宙旅行をしてるんですから。それでもう十分なんじゃないの? ま、アメリカの火星云々という目標設定には、その裏に軍事的な目的があるんでしょう。アジア方面の某大国が今、盛んに宇宙開発していますから、アメリカもこの方面の技術だけは錆びつかせないよう、研究開発の仮の目標だけは作って置いて、いざとなればミサイル迎撃とか、相手の衛星撃墜とか、その辺の技術で後れを取らないようにしようというね。つまり、伊勢神宮の式年遷宮みたいなもんですな。 ま、それはいいとして、そういうきな臭いアメリカの宇宙計画に日本まで参加するというのは、どうなんでしょうか。 つい最近も女性ミッション・スペシャリストの山崎さんが宇宙へ行ったというので、日本でもニュースになりましたが、あれ、日本が莫大なお金をNASAに支払っているわけでしょう? 血税を。一体いくら払っているのか、日本のマスコミは全然報道しようともしないで、ただひたすらもろ手を挙げて山崎さんの快挙をたたえるばかりですが。 しかし、今回のミッションで山崎さんが何をやったかというと、ロボットアームの操作と物資の運びこみでしょ? それはつまりブルーカラーの仕事じゃないですか! 莫大なお金を支払って、9年だか10年もの訓練を受けて、やらされたのは肉体労働というね。まんまとNASAにカモにされてるって感じですけど、日本はそんなんで喜んでいていいのか。私としては「それで日本に何のメリットがあったのか」と言いたい。 もちろん、スペースシャトルの操縦を日本人飛行士に任せたというのであれば、日本の将来の宇宙有人飛行のための経験になるからいいですけど、その大事な部分は、さすがにアメリカも他国人にはやらせないですからね。やらせるのは、いつもブルーカラー・ワークだけ。 とにかく、火星なんて行ったって面白いことなんかないに決まってますって。オバマさんも、そんなこと言ってないで、もう少しピンとくる何かに投資してくださいな。たとえば2030年までにアルツハイマー病を無くす!とかね!
April 17, 2010
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同業者でブログをやっている人の大半が「はてなダイアリー」を使っているのは、一体どういうわけなんざんしょ? アフィリエイトも出来ないみたいだし(できるの?)、どんなメリットがあるのやら。 それはさておき、私、加齢と共に、食べられる果物の種類がどんどん減っていくような気がします。アレルギーが、というような話ではなく。 子供の頃は果物は「御馳走」のカテゴリーで、缶詰の洋梨(昔は洋梨と言えば缶詰でした。ラフランスみたいに美味しい生の洋梨なんて売ってなかった)以外、何でも好きだったもので、特に日頃口にしない舶来の果物などをいただいたりすると、飛び上がって喜んだものですが、ここ数年、果物に対する興味がどんどん失せていってます。 特に、面倒臭い果物がダメで、例えばブドウとか、種があったり手が汚れることが予想されると、別に食べなくてもいいわ、という気になってしまいます。スイカもいちいち種を吐き出すのが面倒臭いし。それから、トロピカル・フルーツ(マンゴーとか・・・)にもほとんど興味がなくなりました。バナナも、もういいかな。リンゴはもとから嫌いだし。 唯一、温州ミカンだけはこよなく愛しておりますが、その他の柑橘類、たとえばオレンジとか、味は甘くておいしいと思いますが、皮を剥くのが一苦労、手も汚れるし、種もあるし、面倒臭さが先に立って、僕はパス、という感じです。グレープフルーツも、あまり手が出なくなってしまった。 ところが、ですよ。そんなフルーツ離れの著しいワタクシにして、最近、「でこぽん」が好きになっていまいまして。 先日、家内が食べる?というので、「あ、僕はいらないや」と答えたものの、家内が美味しそうに食べているのを見て、つい誘われてひと房だけもらったら、これが美味しかった。 味は温州ミカンとオレンジの中間ぐらい、コクは温州ミカンよりあるけれど、オレンジほどくどくない。しかも種がないし、ひと房ひと房を包んでいる皮も薄いので、皮ごとパクッと食べられます。つまり、面倒臭くない。 ということで、でこぽんが食卓に上がる度に、楽しんで食べております。新たに好きな果物が増えるなんて、近年の私にしては非常に稀有なことでございます。 そういや、長いこと嫌いだった「高野豆腐」も最近になって急に好きになったし、どうしたんだろ? ひょっとして大人の味覚に変わったかしら? 今頃?? でも、人生で好きなものが増えるのは悪いことであるはずがないわけですからね。当分は食後のでこぽんを楽しみたいと思います。
April 16, 2010
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この4月からうちの学科に配属された新人若手研究者とちょっと話をする機会がありまして。 彼は今、三十代前半かな? しかし、その年齢よりもはるかに落ち着いたような印象の人で、「しっかりしている度」から言ったらむしろワタクシなんぞより上かも。業績もあるし、有望新人という感じでしたね。 まあ、最近の傾向として、採用人事にしても業績を点数化した上で、ポイントの上位者を採る、という仕組みが定着しているので、業績(=論文数)がよほど多くないと、どの大学でも採用されないんですよね。しかも英語関連で大学院の博士課程を出て、大学の先生になりたいと思っている人はうじゃうじゃいるので、その中で勝ち抜いて大学に正規の職を得る、なんてのは至難のワザ。 だから、最近採用される若手研究者は、ほんとに優秀な人が多いです。 まあ、私が大学に職を得た頃は、それでもまだのんびりしたもので、今の環境だったらとても私なんか大学の先生になんかなれなかったかも。ラッキーだったかも知れません。 しかし。 今時の若手は優秀は優秀なんだけど、結構、専門一途というか、勉強しかしない人が多いんだよな~。趣味は勉強、みたいな。 だからね、「ご趣味は?」とか聞いても、絶句されちゃうんですよ。 「相撲好き? 格闘技好き? 柔術やる? フリークライミングは? クルマ好き? F1見る? 時計好き? ジャズ聴く? ピアノ弾く? 絵買う? 陶器好き? 映画見る? 古本好き? 旅行好き? 建築興味ある? 食べ歩き好き?」などと次々と尋ねても、どれにも引っかかってこないわけ。かといって、野球をするわけでも、テニスをするわけでも、釣りをするわけでも、茶道をたしなむわけでもない。 「勉強好き?」とか聞いたら多分「はいっ!」って答えるかも知れないけど、それはワタクシが嫌いですから(爆!)。だから聞かないの。 なんかね・・・。どうなの、そういうのって。 ま、いいけど。他人のことは批判しないんだ。それに、「勉強が好きなだけ」ってのは、別に批判の対象になることでもないし。 しかし、もうちょっとこう、勉強以外のことで、私と共有できる話題ってないの? みたいなね。 若い人には、色々なことに興味を持っていただきたいな、と。ま、そう思う今日この頃でございます。
April 15, 2010
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そもそも私が研究休暇を取ったのは、ここ数年の研究を本の形にまとめようと思ったからなんですけど、実際に書き始めると色々悩むことが多くて、なかなか思うようなスピードでは前に進みません。 じゃ、何に悩むかというと、もちろん内容の点でもっと調べなきゃならないことがあり過ぎるとか、そういうこともそうなんですけど、それ以前の問題として「文体」の問題がある。 つまりね、どういう文体で本を書くか、ということなんですが。 もちろん、研究書なんだから、研究書にふさわしい文体というのはあります。「だ・である」調の硬い文体ですね。実際、私だって論文とか、真面目な本を書く時はこの文体を使います。前に書いた本だって、基本的には「だ・である」調で書いていますし。 しかし・・・。全く同じような文体で、続けて本を書くというのも何だか芸がないような・・・。 それに今回の本はハーレクイン・ロマンス的な、大衆的なロマンス本についての研究書ですからねえ。むしろ、ハーレクイン・ロマンスの読者の方にこそ読んでいただきたいところがある。 となると、「だ・である」調の硬い文章というのは、どうなのか。 私思うに、世の一般読者というのは、意識はしないかも知れませんが、実は文体というものに非常に敏感で、まとまった文章の最初の一、二文を読んだだけで、「あ、難しい。自分には読み切れない」と判断するのではないかと。 で、いわゆる研究者が書く文章なんてものの9割は、この時点で一般読者から見捨てられるような気がします。私の書く文章は、一般の研究者の平均レベルからすれば遥かに読み易いだろうと自負しておりますが、それにしても一般読者の6割から7割くらいは、私の研究書を「難しい」と判断するでしょう。もし私がいつも通り「だ・である」調で書いたらね。 そこで、ワタクシ、決意いたしました。今回の研究書は、「です・ます」調の文体で行こうと。 そこまで決意するには、結構長い時間が掛かりまして。一つには先ごろ読んで非常に感銘を受けた菊池成孔・大谷能生共著になる『東京大学のアルバート・アイラー』がヒントになっております。この本、ものすごく内容の濃い本ではありますが、にもかかわらずめちゃくちゃ面白くて読み易い。それは、この本が「講義録」の体裁をとっていて、基本、話し言葉で書かれているからです。話し言葉ってのは、基本、読み易いですから。 だったら私もこれに倣って、「話し言葉」的な文体で研究書を書きあげたらどうなんだ、ってことですわ。 あともう一つ、亀井俊介先生のこともちょっと頭にありましたかね。 私が私淑する亀井俊介先生という方は、その膨大な学識にも関わらず、非常に読みやすい文章を書かれる方なんですが、その方がいつもおっしゃるのは、「浴衣掛けの姿勢」ということです。つまり文学を語るのに、四角四面はないだろうと。温泉でひとっ風呂浴びた後、浴衣掛けで、それこそビールだのつまみだのを前にしながら、リラックスして語り合うというのが、文学を語る時の正しいあり方なのではないか。それが亀井先生の日ごろからのご主張ですね。ですから亀井先生の書かれる文章には、まさに浴衣がけの気楽さと洒脱さがある。文章の向こうに亀井先生の温顔が見えてくるような、そんな話し言葉になっている。 で、私も、そんな調子で本を書けないかしらと。 もちろん、「話し言葉」的な文体で行くにしても様々なやり方があって、菊池・大谷組のような講義録的な文体と、亀井先生的な浴衣掛けの文体とはまた随分異なると思いますが、要はふざけ過ぎず、読者に対する敬意を失わず、かつ面白いことは面白く、難しいことは噛んで含めるように説明していく、というね。そんな文体は作れないかと。 で、ふと思ったのですが、私が探している文体というのは、ひょっとして私が日々このブログに書いているような文体なのではありませぬか?? 青い鳥は我が家に。答えは目の前に。 ということで、もし今回の本が完成したら、それは本ブログの読者には聞きなれた声で書かれているかも知れません。 しかし、そう決意はしたものの、まだまだ試行錯誤は続きます。文体ってのは、ほんとに微妙な部分のさじ加減ですからね。どこまで砕けた感じが許されるか、どこでちょっと引き締めるか。その辺の見極めを手さぐりしながら、とりあえず行けるところまで行ってみようと、まあ、そんな風に思っている今日のワタクシなのであります。
April 14, 2010
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仕事の合間にジェフリー・ディーヴァーの『Blue Nowhere』という小説を読んでおります。 私はディーヴァーの作品が好きで、純粋に娯楽のためによく読むのですが、この小説もコワいよ! ディーヴァーと言えば、肢体不自由の天才探偵、リンカーン・ライムが登場する一連の作品が有名ですが、この『Blue Nowhere』はそれとはまったく無関係のもの。 で、作品の表題である「Blue Nowhere」というのは、日本語に訳しにくいですが、端的に言えば「インターネット」のこと。この作品は、「フェイト(Phate)」と名乗る天才的なハッカーが、ネット上の殺人ゲームに没頭するあまり、ついには現実の世界の中で殺人ゲームを実行し始める、という話なんですな。 フェイトは、とにかく凄腕のハッカーですから、どんなコンピュータでもハッキングしてしまうんです。で、他人のパソコンの中に入り込んでは、その人のメールを読み、交友関係などを把握し、ネットサーフの履歴から何に興味を持っているかを知り、さらには銀行口座やそのパスワード、職場のIDまですべて盗んでしまう。そして、そうしてゲットした情報をもとに、その人をだましたり、おびき寄せたりしては殺してしまう、と。もちろん、警察の「コンピュータ犯罪課」が捜査に乗り出すわけですけど、フェイトとってみれば、そんなのは単なる素人集団に過ぎないわけでありまして。 とまあ、そんな感じでディーヴァーは、20世紀末の新しいタイプの犯罪を描いているのですけど、パソコンを通じてどんどん人のプライバシーに侵入してくる様子ってのが、非常にオソロシイ。プライバシーに侵入してくるタイプの犯罪ってのは、ぞっとするようなものばかりなわけですけど、従来タイプの侵入犯罪であればある程度防ぎようがある(厳重に鍵をかける、とか・・・)のに対し、ハッキングによるプライバシーの侵害は、素人には防ぎようがないところがある。侵入してくる他者を防ぎようがない、というこの恐怖! で、小説としては、もう一人のハッキングの天才にして、かつてはフェイトの友人ですらあったジレットという人物が登場し、これが警察の側についてフェイトを追い詰めていくのですが、フェイトはジレットが敵に回ったことを知り、彼を次に標的にしようとしておりまして、さてさて、この先、天才ハッカー同士の対決はどうなるのか・・・。 それにしても、この小説にも描かれている通り、確かに現代人の我々は、色々な意味でネット上に自分のIDを垂れ流ししておりますな。あの、「背番号制」ってんですか? 政府が日本人の一人一人に背番号をつけて管理しようって奴、あれがプライバシーの侵害だってんで、反対する人が多いようですが、実際にはもうとっくの昔に、我々にはIDたる番号をつけられ、しかも我々はそれをバンバン公表してますよね。例えば電話番号とかね。あるいはメールのアドレスとか。こういうものは個人につけられた背番号以外の何物でもないですが、それ、色々な書類にあまり抵抗なく記入してますもんね、我々。 だから、ディーバーが描くようなハッキング犯罪って、ある意味、身近かつ深刻なのではないかと。 ま、そんなことを思いつつ、もうしばらくは「青い虚空」の世界でハラハラ、ドキドキさせられそうです。これこれ! ↓青い虚空
April 13, 2010
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今日は3月下旬の卒業式以来、久しぶりに大学に行ってきました。休暇中とはいえ、ゼミだけは断続的に行うことになっておりまして、今日は今年度のゼミ生との初会合であります。 今年度のゼミ生は全部で4人。またまた全員女子学生。例年と比べて少なめですが、他のゼミと比べれば、まあ、平均的な規模といったところ。今年が少ないのではなく、例年が多いんですよね。 で、今日のところはまず新しく入ってきたゼミ生の顔と名前を一致させるところまでで終わりましたが、さてさて、今後、彼女らがどのような個性を見せてくれるのか大いに楽しみ、といったところです。 しかし、研究休暇中という身分で久々に大学に顔を出すと、何だか妙な感じではありましたね。要するに、自分がいなくても世界はちゃんと回るんだ、ということを確認しに行ったようなもんですから。定年で勤めを終えた後、久しぶりに同僚たちの顔を見に元の勤め先に赴く時には、きっとこんな感じなんだろうな、という気がしましたなあ。同僚たちに会っても、一瞬、「あれ? 釈迦楽さん、なんでここにいるの?」みたいな顔をするので、「あ、来ちゃまずかった?」みたいなね、一瞬の居心地の悪さを感じたりして。もちろん、向こうも別にそういうつもりじゃなくて、単にびっくりした、ということなんでしょうが。 でも、ま、ずっと家に居るというのもアレなので、皆に忘れられないように、たまに大学に顔を出すというのもいいのでしょう。 ということで、今日はそんな感じの一日だったのでした、とさ。
April 12, 2010
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今日は日曜日、なんでしたっけ? もうずっと家に居るので、今日が何日の何曜日なんだか、さっぱりわかりゃーしない。 しかし、サバティカル休暇ってったって、あーた、大変ですよ。この期間のうちに何とか研究をすすめなきゃってんで、この夜型人間の極みたるワタクシにして朝7時半から起き出して頑張ってるんすから。もし形になるものが残らなかったら、何のための休暇? というプレッシャーがあるので、毎日が日曜日という状況の中でも、今のところあんまりのんびりしてませーん・・・。 それに、ピアノの練習もあるしね。毎日1時間は熱中して練習しております。今日は「G7」というコードのお勉強でしたけど、結構、順調に進んでいます。 で、それだけ忙しいのだから、大概にしておけばいいようなもんなんですけど、実はピアノに加えてさらに何かやろうという計画を立てているという・・・。今考えているのは「フリー・クライミング」。そう、わずかな手掛かり・足掛かりだけで垂直の壁を登っていく奴でございます。 実は私、案外腕とか手の力が強く、腕立て伏せとか、そういうのはガンガン出来るタイプなんです~。だから、ひょっとしてフリー・クライミングって、やればできるんじゃないかと前から思っていたわけ。で、この機会にひとつそれを実際に試してやろうと。 でまた運のいいことに、家のすぐ近くに今度フリー・クライミング施設ができるという情報をゲット。ということで、近いうちに体験してこようと思っておりまーす。 とにかく、現在のワタクシのモットーは、「やりたいことは今やろう!」。何かを新しく始めるなら今しかないんだ、という気持ちで、色々なことにチャレンジしていこうと思っております。今度実際にフリー・クライミングを体験したら、またレポートしますね。
April 11, 2010
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私も執筆に参加している『ロマンスの王様 ハーレクインの世界』(洋泉社)というが発売目前ということで、その見本が届きました。 この本、ハーレクイン・ロマンスのコアな読者向け(というか、むしろ初心者向け?)に書かれたもので、様々な角度からこのロマンス叢書の魅力を語っております。で、そういうものとして見ると、なかなかよくできている本なのではないかと。 具体的にはハーレクイン・ロマンスによくあるテーマ24選!みたいなものあり、人気作家のプロフィール紹介あり、出版社の内部事情あり、コアな読者の座談会あり・・・と言いった調子なんですが、やっぱりロマンスの世界って、すごく求心力があるというか、ファン同士の密接なつながりとか連帯感があるんだなあ、という感じがひしひしと。一応、このジャンルに詳しいワタクシも、読んでいて色々と勉強させられることがありましたわ。 またこの本に関しては、その企画段階から編集者の方の仕事ぶりをずっと見ることができまして、なるほどプロの編集者ってのはこういう風に企画を立ち上げ、それを実現していくんだ~、というのが分ったという点でも、私にとっては面白かったです。あるテーマに興味を持ったことを契機として、そこからそのテーマをどう扱っていくか考え、そのテーマで書ける人材にはどんな人がいるかを探して仕事を依頼し、構成をどうするかなどを決め、そして最終的にはそれらをまとめ上げて、一冊の本の形にしていく。そんな編集者の方の仕事の進捗状況をつぶさに見ていると、編集者ってのはある意味「仕掛け人」なんだなーというのがよく分ります。で、自分が仕掛けたものが、結果として社会的なブームにでもなったりしたら、それこそ編集者としては「してやったり」ということになるのでしょう。 というわけで、もうあと数日で市場に出回るこの本が、果たしてロマンスなるものに対する一般の関心を高めることになるかどうか、そこは結果を座して待つしかありませんけど、ちょっとだけこのプロジェクトに関わったものとして、興味津津でございます。 ということで、この本、手前味噌ながら教授のおすすめ! と言っておきましょうか。アマゾンでもう予約ができまーす。あ、釈迦楽ゼミのOB/OGは、もちろん必買ね~!
April 10, 2010
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今日は私の誕生日! お釈迦様の誕生日の翌日が釈迦楽様の誕生日って、出来過ぎじゃない? ま、それはともかく、今日をもってサバティカル休暇の本格始動と位置付けているワタクシ。この期間中、今までやりたいと思いながら延ばし延ばしにしてきた様々なことにチャレンジしようと思っているのですが、今日はその第一弾としてあることを始めました~。それは何かと言いますと・・・ ピ・ア・ノ。 そう、三十数年の時を経て、再びピアノの練習を再開したのでありまーす! 子供の頃、6年ほどピアノを習っていたのですが、中学進学を機にピアノからきれいさっぱり足を洗うという、よくあるお馬鹿なパターンを踏襲していた私。当時はソナチネ・アルバムまで習い、二度目の発表会では『美しき、碧きドナウ』なんぞという名曲をそれなりに弾きこなしていたのですから、今から思えばもったいない話でありまして。 で、その後悔の念を棺桶まで持っていくのもどうかと思い、この度のサバティカル休暇を契機として、もう一度トライしてみようかと。 で、世にあまたある「大人のためのピアノ」的な教則本の中から一書を選んで購入に及び、まずは今日、誕生日の日に練習を始めてみたと。 で、実際に大人の目でピアノの初歩の初歩からやり始めると、まあ、色々と学ぶことが多くて。昔、先生について習っていた時、いかに私がいい加減な理解の上にピアノを弾いていたか、ということがよく分る。ま、それを放置していた先生も先生だと思うのですが・・・。 でも、それはともかくとして、実際に再び弾き始めると、それなりに面白いんだ、これが。まあ、昔取った杵柄とまでは言わないまでも、ピアノとは百パーセント無縁な人がこの歳から勉強を始めた場合よりは、飲み込みがいいんじゃないかしら、自分? ということで、三日坊主にならないよう、このブログでも「ピアノ練習再開」を高らかに宣言し、有言実行の境地で頑張りたいと思います。明日はCのコードの勉強だ!
April 9, 2010
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父から「最近、エアコンがちっとも暖かくならないのだけど、壊れたのかどうかちょっと見てくれ」と言われ、どうせリモコンが「暖房」ではなく「送風」になっていたりするんだろうと思ってチェックしてみたところ、そういうわけでもないらしい。たしかに「暖房」、しかも30度に設定されているのに、吹き出し口から吹いてくるのはうすら寒い風ばかり。 で、おかしいなと思って、ふとパネルを開けてみると、ひゃー、フィルターにびっしり埃が! ほとんどフエルトのようでございます。 これじゃ、エアコンが機能しないはずだよね! ということで、フィルターの埃を掃除機で吸い取り、さらに水洗いもして乾かし、再びセッティングしてエアコンをオンにして見ると、見事温風が吹いて参りました。エアコン修理一丁上がり! ということで、機械音痴が揃っている我が釈迦楽家では、それでも私が一番のエンジニアなのでありました、とさ。それにしても、人の役に立つって気分がいいねえ。 さて、それはさておき、今日で実家での休暇もおしまい。夕食後、名古屋に戻ります。今日は平日ですが、確か夜中の12時をまたげば高速代も半額になるらしいので、それを狙って名古屋インターを真夜中の12時1分通過する予定。 ま、いつもですと、「また仕事か~・・・」と意気消沈なんですけど、何せ今はサバティカル休暇中ですから、名古屋に戻っても急を要する仕事があるわけでもなし。のんびりと、自分の研究だけやってればいいのですから、ぜーんぜん苦じゃない。っていうか、むしろ楽しみ。 さてさて、私の本格的なサバティカルの過ごし方は明日から始まるんじゃ! という意気込みで、新生活に飛び込んでいきたいと思います。ちょうど明日は私の誕生日ですし、新生・釈迦楽の誕生! ということにしておきましょうか。 それでは、あす以降、私がどんなふうにサバティカル・ライフを楽しんでいくか、ブログ読者の皆さまには乞うご期待!です。
April 8, 2010
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明日は名古屋に戻りますので、今日は恩師S先生のご自宅を訪ね、ご挨拶をしてきました。 S先生はオン歳とって84歳。今もなお昔の教え子や同志を募って週一回都内で読書会を続けておられるとのこと。その衰えることのない探究心に頭が下がるばかりです。 ところで、座ってお話をしている分にはいつもと変わらぬ先生ですが、席を立たれるとなると、いささか足元が不如意な感じ。で、お尋ねすると、昨年秋ごろから「閉塞性動脈硬化症」と診断され、下肢の痛みに悩まされているのだそうで。 で、実際、左足を見せてもらいましたが、右足と比べ浮腫んだように腫れていて、見ているだけでも痛そう。悪化すると足の先への血流が滞り、最悪、足先が壊死し、下肢切断が避けられないのだとか。ひゃー、おっそろしい! ちなみにこの病気への治療法としては、血管のバイパス手術などが効果的なようですが、これは全身麻酔をして施術するものなので、84歳のお歳のことを考えるとお医者さんとしてもあまり気が進まないらしく、今は投薬による治療をされているとのこと。 で、帰宅してからネットで色々この病気のことを調べたのですが、足が冷たくなるとか、ちょっと歩くと足が痛くなってしばらく休む必要が出てくるとか、安静時にも痛みがあるなど、S先生のおっしゃられた症状そのままですね。典型的な症状と言っていいくらい。 で、このまま行くと、本当に下肢切断なんてことにもなりかねません。その確率は、10%から40%もあるらしい。 うーん、こんなのを読んでいると、私も不安になってきます。本当に投薬治療だけでいいのだろうか? 今のうちにパイパス手術をした方がいいのでは? 病院を変えてセカンド・オピニオンを求めた方がいいのではないだろうか? 私の大事な恩師が、足を切るような羽目になったらどうしよう・・・。 ということで、何だか気持ちがそわそわしてきましたので、ここはひとつ、先生にお手紙を書いて、せめてセカンド・オピニオンを求めるべく、一度しっかりした病院へいらっしゃるよう説得してみることにしました。後で後悔するのは嫌ですからね。 しかし、どんなものであれ、病気ってのは嫌なものですね。本ブログご愛読の皆さまも、どうぞ健康だけはくれぐれも注意なさってくださいよ!!
April 7, 2010
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先日、姉が本当に泣く泣くピアノを手放した話を書きましたが、その際、そのピアノは1万円で業者に引き取られたのだそうで。買った時は3桁万円でも、40年経って売るとなると、そうなってしまうのですね。それでも値段がついたのは保存状態が良かったからで、普通は逆にお金を払って処分してもらうことになるのだとか。 ちなみに、この種の古いピアノがこの先どうなるかと言いますと、第三世界の国々に持って行って売られるのだそうです。ピアノのようなアコースティックな楽器は、演奏するのに電気が必要ないため、どんな奥地の山村でも使えるので、重宝されるのですって。無論、手放した楽器ですから、その今後の運命を知ることはできませんが、望むらくは、どこか第三世界の山奥の村の小学校あたりで、清楚な若い女の先生が弾き、それに合わせて子供たちが合唱する、なんて使われ方をするといいですなあ。『二十四の瞳』みたいな感じで。 ところで、このピアノを売った1万円を何か有効に使いたいということで、今日は姉の発案で、家族で近くにある「KEYUKA」という洒落たキッチン用品などを売っているお店に行き、父、母、姉、それに私がそれぞれ記念の品を買うことにしました。ここで買った品をピアノの思い出として、それぞれの家庭で長く使おうというわけです。 で、それぞれが品定めをした結果、写真好きの父は写真立てを、母は醤油さしを、姉はスプーンを、そして私は家内と私のために皿を二枚、買うことにしました。 私の買った皿は、グラタン皿より一回り大きい、ちょっと深さのある楕円形の皿で、銀の縁取りがあり、底のところに植物の葉をデザインした模様があって、なかなか可愛い。朝食の時など、サラダとベーコンエッグでも乗せるプレートとして使ったり、あるいは深さを活かしてラタトゥイユでも盛ったらよさそうな感じ。 ということで、家族のメンバーそれぞれが、ピアノの生まれ変わりのものを胸に抱えて、店を後にしたのでありました。私も姉の思いの籠ったこの皿を大事に使って、我が家のピアノのことを思い出すよすがとしたいと思います。
April 6, 2010
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昨日、リブロ書店で買ってきた『澁澤龍彦 ドラコニア・ワールド』(集英社新書ヴィジュアル版)を読了しました。 昨日買って、今日読み始めて、今日のうちに読み終わるとは、何だか随分急いで読んだようですけれども、この本、澁澤龍彦のエッセイの断片のアンソロジーであり、また「ヴィジュアル版」という叢書名からも推測されるように、沢渡朔氏の手になる写真を多く差し挟んだものであって、ごく気楽な気持ちでさらっと読むことができ、かつ掲載された美しい写真の数々をぼんやりと眺めているだけでも楽しい本なのでありまーす。 本書の編者である澁澤龍子さんが「彼(龍彦)の遊びの部分だけに焦点を絞っ」た、と巻末に書かれているように、この本は澁澤龍彦の趣味嗜好がよく表れたエッセイからの一節を抜き書きしたアンソロジーなのですが、これらを読んでいると、澁澤龍彦という人の感性が実によく分かる。特に彼が愛したオブジェについて語っている部分は、龍彦ワールドへの恰好の入り口と言ってもいいくらい。 澁澤龍彦が愛したオブジェには共通する傾向があるのですが、それは何かと言うと、硬くて、ツヤツヤしていて、丸みがあって、手の内に愛玩できるもの。例えばガラス玉、琥珀、卵型の瑪瑙、石、化石、巻貝の貝殻、骨(頭蓋骨)、独楽、ブライヤーのパイプなんかがその代表的なものなんですが、こういうものを澁澤はこよなく愛し、偏執的に集めたわけではないけれど、あちらで一つ、こちらで一つ集めているうちに相当な数となったらしく、彼はそれらの品々を書斎に置き、原稿書きに倦んだ時などに眺め、しばし手にとっては弄んでいたらしいんです。 で、私思うに、これら澁澤の愛玩物の多くは、結局、命あるものがその命を通り越して、一つの具体的な形として抽象化したもの、なのではないかと。最初から概念として生まれた抽象ではなく、まだどこかに生命の名残を残している抽象。硬く、滑らかで、冷たくはあるけれども、手の内で愛玩しているうちに、こちらの体温に呼応してその温かみの幾分かを返してくるような抽象。そういうものが澁澤を虜にした、と。 そう考えると、彼がサド侯爵とその執筆物に執着したのも分かるような気がします。 つまるところ「サディズム」というのは、人間の体をモノとして扱うことから発するわけですが、これはすなわち、命あるものとして人間の身体をモノとして扱うことで、それを「温みのある抽象物」に変える作業に他ならない。で、そういう風な嗜好をもっていたサド侯爵の感性は、澁澤には実に共感できるものだったのではないかと。 で、生命あるものと抽象的なモノの中間物という意味では、「人形」もその範疇に入ると思いますが、サディズムのちょうど逆、「モノを人間であるかのように扱う」人形愛もまた、澁澤の偏愛の対象になり得たであろうことは当然予想されることであって、それが四谷シモンの作る人形への澁澤の愛好という形で具現化したと考えれば、大いに腑に落ちるのではないか。そしてそれを敷衍していけば、澁澤が金子國義の絵や加山又造の版画、あるいはマックス・ワルター・スワーンベリの版画を愛した理由もよく分かります。彼らの絵や版画に共通する肉感のない人体像、硬くてスベスベするような人肌の質感表現は、上に述べてきた澁澤龍彦の嗜好にまさにぴったり当てはまるのですから。また澁澤が動物よりも昆虫を、さらに昆虫の実物よりもむしろ図鑑に載ったそれらを愛した(本書冒頭に掲げられた龍子さんの弁)という興味深い事実もまた、同じ理屈が当てはまるのだろうと思います。生命感ほとばしるものではなく、それを感じさせないモノの方を好むという龍彦独特の志向。 ということで、気軽に読めるエッセイ集でありながら、この本は澁澤龍彦という人を理解する上でものすごく役に立つものなのではないかと、私は愚考しております。教授の熱烈おすすめ! と言っておきましょう。 それにしても写真家・沢渡朔が写した澁澤龍彦の北鎌倉の自宅や書斎の写真を見ていると、まさに私自身の夢の具現化かと思えてウットリ。私も完全にドラコニア(「龍彦の領域」の意)の虜でございます。いつの日か、こういう感じの家を建てて、好きな本を読み、好きなことを書いて暮らしたいなあ・・・。これこれ! ↓澁澤龍彦ドラコニア・ワールド
April 5, 2010
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今日は野暮用で町田に行ってきました。 で、帰りがけにいつものコース、西友の中にあるリブロ書店で新刊本を眺め、ついで階下にあるレコパルでCDでも見ていこうと思ったら、なんとレコパルがないっ! 「工事中」の札が下がったその先は、階全体が更地状態になっていましたが、これはレコパルが店構えを新たにするということなのか、それともレコパルは撤退し、別な店舗が入るための改装工事なのか。もし撤退ということならば(その可能性の方が大きいような気がしますが・・・)、また一つ、私の町田における楽しみが減った、ということですなあ。やれやれ。 で、何となく欲求不満のまま、今度は古本の高原書店に向かったものの、今日はここでも収穫なし。どうも最近、高原書店も見尽くした感あり。しばらく時間をおかないと、ダメですな。 ということで、つぶした時間の割に収穫の少なかった今日の町田行きだったのですが、ただ一つ、帰りがけにちょいといい光景を目にしましてね。 私の乗った電車が某駅に止まっている間、ぼんやりと向かい側を眺めていたのですが、折しも反対方向の電車が入ってきまして、そこに小学校1年生くらいの男の子と、幼稚園くらいの女の子の兄妹が乗り込んできた。 で、妹の方が真っ先に先頭車両のところに行き、運転席を見ようとして背伸びをするのですが、背が足りなくてどうしても見えない。 すると、後ろからついてきたお兄ちゃんがしゃがんで妹を肩に乗っけ、ウンウン言いながら立ち上がろうとし始めたんですな。要するに、お兄ちゃんが妹を肩車して、何とかして運転席を見せてやろうというわけ。しかし、お兄ちゃんといったって小学校1年生くらいなものですから、体格的には妹とあまり変わらないわけで、そう簡単には持ち上がらない。 それでもさすがはお兄ちゃんの貫録で、ついに彼は妹を肩に乗せたまま立ち上がったんです。もう二人ともニコニコ。で、この小さな二人組の鉄道ファンが実に楽しげに、運転手さんの肩越しに進行方向を見つめているところまでを見たところで、私の乗った方の電車が発車してしまったと。 いや~、仲のよさそうな、可愛い兄妹だったなあ! 幼い兄と妹にしろ、誰と誰にしろ、仲の良い人たちの微笑ましい姿というのは、美しく、また心洗われるものですね。今日は私自身の収穫は少なかったけれど、ほんの一瞬、可愛い鉄道ファンの兄妹の姿を見かけただけでも、良い一日だった、ということにしておきましょうか。
April 4, 2010
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もう1週間弱で誕生日を迎えるワタクシ。ま、私は妖精なので、人間の年齢に換算すると10万とんで四十数歳ということになるのですが、それはともかく、一緒に帰省している姉から「誕生日のプレゼントに何が欲しい?」と聞かれて、返事に窮しております。 思うに、誕生日とかクリスマスのプレゼントに何が欲しい? と聞かれて即答できるのが若者、即答できないのが大人なのではないかと。その判別で言うと、私もついに大人の仲間入りでございます。子供の頃は、それこそ自転車とかね、短波ラジオとか、欲しいものがたーくさんあったものですが、今はあまりないもんなあ。 いや、今の私にも欲しいものはあるのですが、たいてい高すぎて買えないものばかり。別荘でしょ、ポルシェでしょ、ヴァシュロン・コンスタンタンの腕時計でしょ・・・、みんな数千万から数百万の間じゃん! リンとかマッキントッシュとかJBLとかでコンポを組んだ場合、やっぱり百万は超すもんなあ。 しかるに、家内はいつでも欲しいものがあって、それがまた微妙に買える値段なもので、若いな~って思います。 でも、だからといって「誕生日プレゼントの受け渡しはもうやめよう」という発想にはならないワタクシ。やっぱり、誕生日というのは、祝うべき・祝われるべきものだと思うんですよね。 ということで、さあ、姉から何をもらうべきか・・・。適当な値段(マックス1万円くらい?)で記念になるようなものとは何か。あと数日、悩むことになりそうです。もし「私だったら、アレが欲しい!」とか、「人(特に男性)にあげたら喜ばれた」なーんてモノがありましたら、ぜひご一報ください。考える一助にしたいと思いますので。
April 3, 2010
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仙台に住む私の甥っ子がこの春から東京で大学生活を始めると言うので、今、彼はてんやわんやでございます。 もちろん初めて親元を離れての一人暮らしを始めるわけですから、アパートの契約、電気・ガス・水道の契約、電話やインターネットの設置、役所での手続き、銀行口座の開設、日用品の買い揃えなどなど、まあ、やるべきことが山積み。 ということで、今日は私も可愛い甥っ子のために一肌脱ぎまして、お値段以上の「ニトリ」での買い物に付き合って参りました。 それにしても今はニトリみたいなところがあって、便利ですなあ。パソコンデスクなんて1万円くらいで結構いいのがあるし、椅子だって5千円も出せばいいのが買える。私が初めて一人暮らしをしたときは、こういうものを買うとなったら、それこそデパートの家具売り場とかに行くしかなかったですから、随分高い買い物になったものですが。初めて自分でヤカンを買った時、確か最低でも数千円はして、え、ヤカンってこんなに高いんだ!?と思ったものですが、今は800円くらいで買えますからね、ニトリなら。 ところで、甥っ子に聞いてみると、大学に入学するには、この他にもまだまだ沢山やることがあるのだそうで。 例えば入学ガイダンスの他にも、やれ健康診断だ、やれTOEICの試験だ、と色々なことをこなさなければならないのだそうで。TOEICの試験は、入学後の英語のクラス分けに必要なんだそうですけど、このクソ忙しい時にそんなものを受けなきゃいけないなんて可哀想に。 しかし、てんやわんやの甥っ子を見ていると、「大学生になる」ってことが、こんなにせわしないことである必要ってあるんだろうか、って思います。 大学って、小学校と同じように、入学者の全員が同じ日に入学式をやって、同じ日にガイダンスやって、同じ日に授業をスタートさせなきゃいかんもんですかね? 「まあ、大体4月中くらいには、授業を受け始めたらいいんじゃないですか?」くらいのゆるーいノリでどうしていけないんだろう? 大学にはそもそも「指導要領」なんてものがないのだから、それぞれの大学が勝手にゆるーくやっていけばいいのに。なんで文科省って、そういうところまでいちいち厳密に縛りあげて、「日本全国、国立も公立も私立も、すべて半期15回の授業を受けないと単位が出ない」なんて仕組みにする必要があるのかしら? そんな縛りを設けるから、逆算して、何日までに何と何をやっておかなければならない、なんてスケジュールが決まってしまうのであって、ね。 大体大学なんて、おのずとランクがあるのだから、世間的には「どの大学を出ました」と言えば、その人のおおよその学力は分かるわけでしょ? その時点で既に「大学卒業生の質の保証」はなされているじゃないですか、世間的に。だったら、何も文科省がシャカリキになって、公式な「大学卒業生の質の保証」なんてする必要なんかまったくないですよ。大体、大学卒業生の質の保証なんて、できっこないない! 15回授業を受けたからって、その学生の学力が上がるもんでもないんですから。 華道や茶道、あるいはピアノのようなお稽古ごとと同じく、大学だって好きな時に入門(入学)し、好きな時から授業を受け始め、それぞれの教授に、十分な学力がついたと判断してもらった時点で単位を受けると。それでいいんじゃないすか? まあ、とにかくこの国の文科省ってところは、大学生をどんどん子供扱いする方向でしか動かないというね、そこのところのばかばかしさが分かってないところがコワイというか。まあ、文科省自体が子供っぽくなっている、ということなんですが。 この調子では、そのうち文科省がお触れを出して、大学生に上履きをはかせ、その上履きに名前がちゃんと書いてあるかどうかまで各大学の教務課にチェックさせる日が来るかもしれませんよ。あるいは、手の爪が切ってあるか、ハンカチはちゃんと持っているか、なんてことを学生一人一人調べるようになったりして。ひゃー! 文科省の馬鹿どもならやりかねない! くわばら、くわばら!
April 2, 2010
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今日は少し文化的なことをしようってんで、家内を連れてワタリウム美術館で現在開催中の「ジョン・ルーリー展」を見てきました。 ジョン・ルーリーってのは、もともとミュージシャン、というか、今もなおミュージシャンが本業なんだろうと思いますが、ジム・ジャームッシュの映画『ストレンジャー・ザン・パラダイス』や『ダウン・バイ・ロー』に出演したことで突如名声を得た人ですな。 で、その人がこの20年ほどの間、ちょっと体調を崩したことも一つの契機となって、絵を描くようになり、それが評価されて、MoMAなどでも収蔵されるほどのものとなったのだそうで。絵のスタイルは若干ジャン・ミシェル・バスキアに似ていますが、実際バスキアと一緒に絵を描いていた時期もあったのだとか。 で、そんなジョン・ルーリーの絵の実物を見たわけですが・・・ いい! すっごくいい! ミュージシャンで絵を描く人って結構多くて、例えばジョニ・ミッチェルなんてプロはだしですし、マイルス・デイビスも画集があるくらいだし、ジョン・レノンとかもセンスのいい絵を描きますが、音に対するセンスと絵を描くセンスって、どこか通じるところがあるのでしょうね、きっと。そうそう、ピアニストのフジコ・ヘミングも確か絵を描くのではなかったでしたっけ? で、ジョン・ルーリーの絵も素晴らしいのですけど、じゃ、どんな感じかと言いますと、ま、実物を見てもらった方が早いんで、以下のサイトをご覧くださいな。これこれ! ↓John Lurie の絵 ね、いい感じでしょ? 実物はもちろんもっといいですよ。特にいいと思ったのが4点ほど展示してありましたが、一つの展覧会で、「買ってもいい」と思える絵に4点出会えるって、そうはないですよ。 ということで、かつてジャームッシュの映画で私も惚れたジョン・ルーリーがこんなにいい絵を描くんだ、ということが分かって、私はとても楽しいひと時を過ごすことができたのでした。ちなみに、展覧会場では、ジョン・ルーリー率いるバンドのベルリンでのコンサートの模様なども上映されていますが、背が高く、細面ながらアクの強い顔をしたジョン・ルーリーが、やや時代遅れかと思われる肩幅のやたらと広い、ややだぶつき気味のダブルのスーツかなんか着てサックスなんか吹いている姿は、めちゃくちゃクールですよ。 ところで、展示を見た後、階下のミュージアム・ショップで画集などを買い求めていた時に係の人に聞いたのですが、ジョン・ルーリーの第一画集が出た時(2007年?)に、それを見て彼の絵に惚れこんだワタリウム美術館の担当者が、すぐにルーリーに会いに行って、それで今回の日本での展覧会が実現したのだとか。うーん、ワタリウム美術館、なかなか行動力がありますねえ。その積極性は大したもんだ。これは大いに褒めておきましょう。 さて、美術館を後にした我らは、ちょいと帰りがけに表参道ヒルズに初見参し、ちょいとお茶をしてきたのですが、うーん、安藤忠雄。どうなんでしょうか。私は人が言うほど、彼の建築を評価しないですけどね。コンクリート打ちっぱなしってのは、最初はインパクトがあるけれど、結局、住み難いし、色々不都合もある建築形態なのであって、それをいつまでもやっているというのは、ねえ・・・。 ってなわけで、今日はジョン・ルーリーの絵が見れたし、その他色々初めての経験をして、なかなか充実したサバティカル初日となったのでありました。
April 1, 2010
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