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August 30, 2022
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カテゴリ: 教授の読書日記
『「修養」の日本近代』という本の中で私にとって覚えておくべき部分について、心覚えを付けておきます。後日、利用することがあると思いますのでね。


〇現代日本で言われる「自己啓発」の原型が「修養」。

〇そもそも「修養」と言う言葉が最初に使われたのは、『西国立志編』の中村正直訳(13)。

〇日本の修養ブームは明治三十年代から四十年代にかけて。特に明治38年(1905)頃から「修養」を冠する本が急増。(23)

〇きっかけは藤村操の自殺。藤村のようなエリート煩悶青年の心の問題の解決策として修養が出てきた。日清日露戦争の勝利の高揚感と、その後の閉塞感によって生きる意味を失いかけた青年たちへの回答だった。つまり、国家の問題(富国強兵)から個人の問題へと移り変わっていった時代の産物。(24)一部の青年たちは退廃に耽溺し、そうしたことが社会問題として取り上げられるように。(25)

〇明治三十年代は立身出世が高等教育を受けたものに限られる時代であり、受験地獄が生じた時代。その結果、進学できない脱落者が生まれ、学歴エリートにはなれないながら、上昇志向だけはもった「成功青年」が登場。煩悶青年から成功青年の時代になった。彼らノン・エリートにとって出世=富の獲得であり、「成功」が時代のキーワードに。実際、1902年に『成功』という雑誌が刊行された。(25)

〇この時代、家から切り離され、個人として社会に送り込まれた青年たちを主たる対象として、修養なる概念が生まれ、これを新興の出版文化や、宗教文化が後押しをした。(26-7)

〇最初に修養を主張し始めたのは、キリスト教系ライターたち。松村介石『修養録』、植村正久、内村鑑三など。(27)

〇松村は、明治二十年代、教育勅語のような、上からの形式的徳育に反対し、個人が主体的に精神性を高めていく修養を訴えた。(30)



〇明治三十年代に入ると、仏教系思想家も修養の重要性を訴えるように。彼らもまた、修身教育への反発として、自立と自我の確立を促すものとしての修養を考えていた。(35)

〇修身と修養では、禽獣と人間の違いがあると(36)。かつては同じようなものと思われていた修身と修養は、明治半ば以降、その違いが厳密に意識されるように。

〇この時代の修養支持者たちは、明治維新の直前に生まれた人たち。前近代の成長モデルが失われた後、大人としてのアイデンティティの確立を図ることが必要とされた時代のメンターたちだった。(38)

〇修養が言われ始めた頃、登場したのが「宗教家」(44)。彼らは特定の宗派に属するのではなく、超宗派の宗教家で、彼らは各宗派のコアにある教えをまとめた「宗教っぽい」ことを通じて修養の徳を主張した。

〇ゆえに大正期のエリート学生らも、教養の一環として、自己変革のために、宗教に近づいた。(47)『歎異抄』、阿部次郎『三太郎の日記』、倉田百三『出家とその弟子』。(49)

〇日本の近代化に欠かせない二冊の本が、『学問のすゝめ』と『西国立志編』(51)。

〇『西国立志編』は、主体的に自己を向上させると言う意味で「修養」と言う言葉を使った最初の本。特に男性事業家に、この本に魅了された人が多い。(52ー3)

〇『西国立志編』は品行主義の本。(55)

〇中村正直は『言志録』で知られる陽明学者・佐藤一斉の弟子。(57)漢学者にして儒学者だった中村正直に、『西国立志編』は刺さった。(59)なぜなら、他人の助けを借りないという、王陽明の立志の精神と、『西国立志編』は同じものだったから。

〇吉田松陰や藤田東湖ら、武士系の質素倹約の思想も、『西国立志編』と重なるものがあった。(60)

〇つまり、儒学的・武士的な倫理と、『西国立志編』は相性が良かったことになる。



〇貝原益軒の『大和俗訓』は、ベンジャミン・フランクリン的チェックリストの本だった。(61)自らの行いと努力に重きを置く儒学は、Self-Help の精神と相性が良かった。

●中村にとって『西国立志編』の魅力は、「国家の進歩は、個人の勤勉、エネルギーや正直さの総和」と言う考え方。(63)→これは『学問のすゝめ』の考え方と同じだ!

〇前に述べた「成功青年」の登場に伴い、明治時代後半から、自助努力を富の獲得と結びつけ、修養を通した成功が説かれるようになるのだが、その象徴的人物が村上俊蔵。『成功』誌の創刊者。(67)

〇『成功』誌の創刊経緯(68-9)。

〇村上俊蔵は『西国立志編』に傾倒していたが、雑誌『成功』は、アメリカナイズされた金儲け主義的なところを帯びていく。(77)



〇露伴もまた電信技士出身で、彼の『努力論』は、大部分、『成功』誌に掲載された。(82)

〇『西国立志編』の品行主義は、ささやかな出世を試みる日本の庶民を励ましただけでなく、その出世ができなくても、人格陶冶したのだからそれでいいのだ、と言う形で、出世できなかった人々をも慰めた。(83)それが非凡なる凡人、である。

〇明治末の日本で、オリソン・マーデン流行!

〇漱石の『坊ちゃん』にも、マーデンの『前進あるのみ』の話題登場。(85)

〇マーデンはその後、ニューソート系のポジティヴシンキングの信奉者となった。その時代の彼の書である『快活なる精神』(1907年邦訳)や『楽天生活』(1910年邦訳)などが日本でも翻訳された。(91)

〇マーデン同様、ニューソート系ではトラインが生長の家の谷口雅春に影響を与えた。エマソンも明治末から昭和初期にかけて日本で出版され、ニューソート系の認識を受けていた。(93)ニューソートを現代の自己啓発思想の源流とするならば、それは明治末から大正初期には、日本に既に入っていた。

〇人格の向上を目指す修養と、教養が分岐し、修養=ノン・エリートの文化となっていくのは、明治末期から大正時代にかけて。(95)

〇『成功』が創刊された1902年から、『実業之日本』も成功譚を売り物に。(99) 1903年からは、他の雑誌も成功記事を掲載し始める。(101)

〇明治の終りから大正にかけて、「成功」を売り者にする書物は減少し、ブームは一旦去るが、「処世ブーム」は継続。この頃から、新渡戸稲造が登場。(104)

〇新渡戸の『修養』(1911)と『世渡りの道』(1912)は大ベストセラー。

〇新渡戸はこれまで大正教養主義の人と目されていたが、大正初期から中期にかけ、教養主義が修養主義から分離独立してエリート文化となると、新渡戸はそちらの方のキーパーソンともなったが、片やノン・エリート向けにも『実業之日本』を主戦場に修養を説くようになった。(106)

〇新渡戸はクエーカー教に影響を受けたが、キリスト教宗派の中でもクエーカー教は、むしろ仏教などとも通底する部分があり、その辺りが新渡戸や新渡戸の説く「宗教っぽい」教えには合っていた。

〇新渡戸の修養論で引用が多いのは、『言志四録』や『菜根譚』だった。(121-2)

〇エリートのための教養、ノン・エリートのための修養という分離はあったが、戦後、その境が曖昧になり、ノン・エリートも教養を目指す時代がくる。それが大衆教養主義。(132)

〇しかし60年代に入って高等教育の大衆化が進むと、大衆教養主義も下火に。代わって70年代半ばから80年代にかけ、歴史ブームが始まる。このブームは2000年代に収束。(133)

〇1956年、「成功法」に関する書物の出版ピーク。これは明治末期の第一次成功ブームに続く第二次成功ブームのピーク。(145)成功者となるためのハウツーの流行。経営学ブーム。

〇しかし1960年代初頭以降、松下幸之助的な日本型経営者にスポットライトが。これはアメリカ式ハウツーへの反省から。アメリカ式経営学一辺倒への反省。むしろ日本人経営者の生きざまが注目されるように。(144ー6)

〇松下幸之助の船場バックグラウンド(165)。上方商法の原点は西鶴の『日本永代蔵』。また石田梅岩も人気(168)。そして船場思想には、近江商人の「三方良し」(売り手によく、買い手によく、世間によし)の商法からの影響が大きかった。(169) そして近江商人の商法には、浄土真宗の影響が。その意味では、浄土真宗が日本型資本主義に大きな影響を与えていた。

〇1970年代以降、修養は個人のものであると同時に、会社と言う集団の中で取り組まれるものになってきた。(223)

〇勤勉に働く社員は、会社にとっても都合がいい。かつて個人の精神向上のためのものであった修養は、サラリーマンの規範ともなった。これが社員研修などの形で表に出るように。(228)

〇しかし、バブル崩壊以降の1990年代、会社が研修をすることが少なくなり、自己啓発は再び個人のものに。(238)

〇学生文化における教養主義は、昭和40年代から下降、50年代には衰退した。(240)

〇1950年代中ごろ、人生論ブーム。また1954年にカッパブックスが創刊され。記憶術などのハウツーブーム到来。60年代には松下幸之助的な経営者論。教養ブームから第二次成功ブームへ。(241)

〇1970年代前半、生きがい論ブーム。バブル以降の1980年代後半から90年代は、豊かさの中で失われたものを探すブーム。1990年代後半は春山茂雄の脳内革命ブーム。(242)

〇1970年代以降、「ビジネス書」というジャンルが確立。教養主義の後退と軌を一に。(243)

〇著者は自己啓発思想における自己責任の考え方に否定的。「修養においては、その曖昧な性格ゆえに、欺瞞や搾取、トラブルが生じることがある。努力すること自体が自己目的化し、疲れ果ててしまうこともあるだろう。努力が苦手な人や、そもそも努力ができない人もいるかもしれない。いくら努力を傾けても結果に結びつかないケースもあるだろうし、自分一人の努力ではどうやっても変えられないような現実もある。それらをすべて本人の自助努力が足りないせいにしてしまえば、その先にあるのは、自分や他者を容認できない、不寛容で息苦しい世界だ」(260)との一文あり。


 とまあ、私に役立ちそうな情報は、こんなところかな・・・。

 それにしても、これだけ自己啓発本について考えてきた挙句、最終的に、「すべて自己責任にされるのは嫌」という結論になるというところが、私には興味深いですな。

 それはともかく、なかなか面白い本でした。私には大いに刺激的な本でありました。





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Last updated  August 30, 2022 09:30:46 PM
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Comments

釈迦楽@ Re[3]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  ああ、やっぱり。同世代…
丘の子@ Re[2]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 釈迦楽さんへ そのはしくれです。きれいな…
釈迦楽@ Re[1]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  その見栄を張るところが…
丘の子@ Re:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 知らなくても、わからなくても、無理して…
釈迦楽 @ Re[1]:京都を満喫! でも京都は終わっていた・・・(09/07) ゆりんいたりあさんへ  え、白内障手術…

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