教授のおすすめ!セレクトショップ

教授のおすすめ!セレクトショップ

PR

Profile

釈迦楽

釈迦楽

Keyword Search

▼キーワード検索

Shopping List

お買いものレビューがまだ書かれていません。
June 22, 2025
XML
カテゴリ: 教授の読書日記
これまでアメリカの自己啓発思想についてあれこれ研究してきたわけだけれど、最近、必要があって、日本の自己啓発思想についても、あれこれ本を読み始めています。

 日本の自己啓発思想というのは、明治維新で士農工商の身分制度が撤廃されたことをきっかけに広まっていくのだけれど、そこで生まれた立身出世という概念は、アメリカ的な個人主義を元にしたものではないのね。つまり、日本という国家が海外列強と伍していく、その礎になるという意味での出世だったと。

 だけど、そうやって日本が富国強兵化していくにつれ、出世コースも整備されていく。要所要所で試験が行われ、その試験を突破したエリートだけが出世できるという風になるんですな。

 で、そういう狭き門が完成した頃、日露戦争で勝った後の混乱もあったりして、若い人(いわゆる「青年」)が一枚岩ではなくなってくる。エリート街道を突っ走る者と、落ちこぼれて享楽に走る者、あるいは人生いかに生くべきか、みたいな感じで煩悶しちゃう「煩悶青年」に三分割される。

 で、そうなった時に、いやいや、学問ってのは、何もエリートになるためだけのものじゃないよ、むしろそんなことより人格の陶冶が重要だ、ってなことを言い出したヤツがいる。それが新渡戸稲造大先生。で、新渡戸稲造が旧制第一高等学校の校長になったことで、この人格の陶冶なるものが「修養」という概念で言い表されて普及する。

 で、この時に、修養概念が、国家的人材育成のためのものではなくなり、個人の人格をいかに向上させるかということを問題にするようになるわけ。つまり、新渡戸稲造において、日本の自己啓発思想は、個人的なものになるのね。

 だから、日本の自己啓発思想史の中で、新渡戸稲造大先生は、重要なポジションにあると。

 で、新渡戸大先生は、西洋の教養で育った人だから、学生にもそういう本を読め読めと勧めるんですな。だから、日本において、修養はイコール「教養」ということにもなっていく。

 西洋の場合、教養ってエリートしか持ってないから。だから、教養は貴族的なのね。だけど、日本の場合、旧制高校に通うような学歴エリートは、元は田舎の庶民出身だから。日本において、教養とは修養の一端でしかない。そこに貴族と庶民との壁がない。ここがすごく特殊なところ。日本において、修養と教養は切り離せない、ということになるわけ。



 昭和初期に一時、マルクス主義が浸透するのだけど、その影響は意外に大きくなかったんですな。事実、マルクス主義自体が、西洋哲学を根っこにして育ってきたものであるから、それを理解するためには、そもそも西洋哲学を理解しなければならない。だから、マルクス主義を信奉するにしても、そのために修養/教養は必要だということになってしまう。

 ここにも、日本において、教養は貴族のものではなかった、というのが効いてくる。マルクス主義=庶民のもの、だから、庶民が力を合わせて貴族階級をぶっ潰せ、ということには、日本ではなりにくいのよ。

 あと、戦争前・戦争中において、軍国主義的な思想も旧制高校の中には浸透しない。だから、左からも右からも影響を受けずに、日本の高等教育レベルでは、自己啓発思想としての修養/教養は生き続け、戦後にまで延命したと。

 で、昭和10年代からの10年、この意味での日本の修養/教養系自己啓発思想を体現するのが『学生生活』とか『学生に与う』とかの一連の学生叢書で有名な河井栄次郎という人。この人の学生叢書が、学生たるもの、こういうものを読め! とか言って、読書案内とかをしちゃったおかげで、旧制高校生にとって修養/教養がマニュアル化されると。いわば新渡戸稲造が打ち出した個人的自己啓発思想としての修養/教養が、河合栄治郎によって完璧にマニュアル化された、っていう流れがある。

 で、この流れは昭和40年代まで続くんだけど、この辺りで大学の大衆化っていうのが起こるんですな。

 初期の帝国大学なんて各世代の1パーセントくらいしか行かなかったわけ。だからそれはすごくエリート的だったんだけど、昭和50年代に入る頃には、35パーセントくらいが大学に行くようになる。3人に一人は大学生の時代。

 昔は、大学に入ると、先輩から「お前たち、こんな本も読んでないのか」的にいじられて、とにかく教養書を読んで先輩たちに追いつかなくちゃ、という焦りを抱かされることになったんだけど、大衆化された大学では、大学に遊びに来たアホ学生たちが、一部のエリート大学生を揶揄するようになる。「勉強なんかしちゃって、超ダサい」とか。

 こうやって、明治以来、連綿として続いてきた青年たちの修養/教養は、息の根を止められたのでした。

 昭和50年代頃には三人に一人だった大学生も、今や二人に一人だからね! そりゃ、修養/教養なんて、薬にしたくたって、そんなものはもうないよね!

 ・・・とまあ、そういう流れなんですって。まあ、面白いというのか、情ないというのか、よく分からないけど、とにかくそういう流れであるということは分かった。

 それはともかく、こういうことを踏まえて、また私自身の自己啓発思想研究を、研ぎ澄ませていかないとね。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  June 22, 2025 08:36:57 PM
コメントを書く
[教授の読書日記] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

Calendar

Comments

釈迦楽@ Re[3]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  ああ、やっぱり。同世代…
丘の子@ Re[2]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 釈迦楽さんへ そのはしくれです。きれいな…
釈迦楽@ Re[1]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  その見栄を張るところが…
丘の子@ Re:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 知らなくても、わからなくても、無理して…
釈迦楽 @ Re[1]:京都を満喫! でも京都は終わっていた・・・(09/07) ゆりんいたりあさんへ  え、白内障手術…

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: