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(2017年3月フェイスブック投稿文を2019年12月に楽天ブログに転載)私、ティアラ。私ね、最初保健所からもらわれた来た時、いたすらした私の子猫を飼い主が叱るたび、飼い主が子猫に害を与えるんじゃないかと思って、勇気を振り絞って威嚇したの。子猫を守ろうとして、一生懸命威嚇したの。「私が相手になる!子猫じゃなくて、私にかかってきたらどうなの!?シャ~ッ!」みたいな感じで。でも、ずぅ~っと一緒に暮らしているうちに、自分や子猫が大事にされてるってことがわかってきたの。だから、もう子猫が叱られれても、私飼い主に威嚇しない。だって、子猫が走り回って飼い主の物を壊したり落としたり危険なことをしたりして、ここではしちゃいけないことをしたって、私にもわかってきたし。自然界では自分より強い者のテリトリーを荒したり、食べ物を分捕ったり、持ち物を壊したりすると、怒られるのは当然だもん。5日くらい前、飼い主が私の娘の桜に新しい首輪と迷子札を付けようとしたら、桜ったら首輪に怯えて、飼い主を引っ搔いちゃった。桜は私の真横に座ってたから、私しっかりその現場を見ちゃった。ウチの飼い主ったら、必ずやり返す・・・と言うか、しっかり躾するのよね。引っ掻かれた途端に、「桜~!!!」って叫んで、桜にシャ~ッと猫風に威嚇して(← 人間なのに結構うまい。言語が専攻なんだって)桜を追いかけ回した・・・桜びっくりして、ソファの下に逃げ込んでた。桜が「もう怒ってないかな?」ってソファの出てこようとするたび、「引っ掻いちゃダメ!しばらくそこにいなさい!」って飼い主がシャーッと威嚇するもんだから、数時間、桜ソファの下から出られなかったっけ。桜があんまりソファの下から出てこないから、私ちょっと心配になって、途中で飼い主の顔を横目で見ながら、ソファの下に桜の様子を見に行ったっけ。桜ちゃんと無事だったから、私安心してすぐソファの下から出てきた。もう桜は飼い主を引っ掻かないと思う。だって引っ掻くと後が怖いもん。しばらくソファの下から出られないじゃない。でも、私ちょっと嬉しかった。こんな風にして私の子猫たちは時々怒られてるけど、毎日ちゃんとご飯を食べられて、清潔で暖かな環境で安心して暮らせるから。私もう子猫が叱られても飼い主に威嚇しない。それどころか、今日なんて飼い主にスリスリしちゃった。えへ。保健所で威嚇しすぎて譲渡不可猫に分類されてた私も、今じゃすっかり立派な飼い猫になっちゃったのかも。笑(写真:2017年3月11日撮影。向かって左が桜、右がティアラ。いつも一緒の仲良しこよし。)
2019.12.20
(2017年3月25日フェイスブック投稿文を2019年12月に楽天ブログに転載)昔ティアラをティアラの子猫と一緒に保健所からもらった時、猛烈に感動した。この子は生まれてからわずか1年ぐらいしか経っていないのに、しっかりお母さんをやっていたのだ。ティアラと子猫を別のケージに入れていたのだが、いたずらした子猫を叱るたび、ティアラはちょっと離れたケージから、大きさが自分の10倍もある飼い主の私に威嚇してくるのだ。明らかに人間を怖がっているのに、勇気を振り絞って必死でこちらに立ち向かってくる小さなティアラ。人間が果たして自分の10倍もある恐竜に素手で立ち向かえるか。恐竜に体当たりできるか。子猫を叱るたび、ティアラが威嚇するたび、私は感嘆の眼差しでティアラを眺めた。これが母性愛か。そうやって野良時代に子猫を守ってきたのだろう。子猫を守るために、食べ物や敵味方、周囲の環境など、いつもいろいろなことに気を配ってきたのだろう。子猫を守るために、たった1年で大人になったティアラ。ティアラはもらわれた後、自分たちが置かれた状況を把握するのも速かった。人間と一緒に暮らして「してよいこと」と「してはいけないこと」を把握するのも、子猫ではなく、既に大人だったこの子が一番速かった。もらって2年半経ち、最近ティアラは少し子猫らしいところがでてきた。大人っぽい成人猫ではなく、子猫のように自由に遊ぶようになった。野良時代はいつも緊張してたのね。野良時代に子猫として思う存分遊べなかった分、今遊ぶといいよ、ティアラ。(写真は、上がもらわれてきた当時(2014年10月)のティアラ、 下が2年半後2017年3月のティアラ)
2019.12.19
今朝家の前をほうきで掃いていた私をずっと見ていた人がいた。バイクに乗ってやってきた年配の女性で、しばらく私を眺めた後、とうとう話しかけてきた。彼女は昔ヤクルトの販売員で当時ヤクルトを買ってくれたお客さんのお宅のゴミ出しを手伝っているのだと言う。そのお手伝いに行く途中で私に気づいたのだ。とっくにヤクルト販売員は辞めたけれど、当時優しかったお客さんが皆老齢になって手伝いが必要になったので手伝っているのだと言う。ウチの亡き母もヤクルトを買っていたそうだ。そう言えば、私が小さい頃、ヤクルトを飲んでいたような気がする。この年配女性Mさんが言うには、Mさんがウチに集金に来て帰る時、ウチの母は玄関に正座して「わざわざ集金に来てくれてありがとう」と言って、お辞儀して送り出したそうだ。「お金を払う側が、集金に来てくれてありがとうとお礼を言う、そんなことしてくれたのは、お宅のお母さんだけやった。優しかった」と言っていた。確かに母は誰にでも平等に優しかった。猫や植物にも優しかった。花を切るのも、花が可哀そうだと言って嫌がった。「花を残して実や種を取るのなら別だけど、花は切らないと、実や種に栄養を取られて植物が弱るよ」と母に言ったので、母は頭では花を切る必要を理解していたが、それでも嫌がっていた。もちろん、猫にも優しかった。私が病気で1年3ヵ月間入院していた時に、私の30匹の猫の面倒を見たのは母である。母はその優しい愛情を私や猫に注いだ。老齢になったりアルツハイマーでボケたりすると、常識や道徳観で抑え込んでいた元々の性格が出て、暴れたりゴネたり絡んだり意固地になったりする人が多いが、母はアルツハイマーでボケても要介護5になって全く動けなくなっても、最期まで「ありがとう」と「(手間暇かけさせて)ごめんね」と不自由な口で必死で言い続けた。その優しい穏やかな性格で、デイケアセンターでもどこでも、母は可愛がられた。母は今でも私の誇りである。母の娘に生まれたことを私は本当に誇りに思う。お母さん、ありがとう。
2019.11.23
昔学生時代にオーストラリア人女性(オーストラリアの高校で確か数学を教えている先生だった)と一緒にスコットランドを旅行したことがあるが、私はスコットランド英語の発音がほとんど理解できなかった。でも、このオーストラリア女性と一緒にネス湖に急いでタクシーで向かう途中、彼女はスコットランド人のタクシーの運転手さんの話に相槌を打ち、微笑みを浮かべながら、にこやかに話していた。さすが英語のネイティブ!スコットランド英語も完全に理解している!凄い!後で彼女に聞いてみた。「凄い! 何話してたの? 私、あの運転手さんの英語が全然わからなかった!」と。彼女は困ったように、こう答えた。「あ~、実は私も半分くらいしかわからなかったけど、適当に相槌打って、(話題からずれてなさそうな)無難な質問しといたの・・・」謙遜かなと思ったが、その数時間後、スコットランドの駅でスコットランド英語の駅員さんのアナウンスを聞いた後、彼女が私に聞いてきた。「今のアナウンス、何て言ってたの?」一瞬絶句した。英語ネイティブの彼女にわからない英語が、日本語ネイティブの私にわかるわけないでしょ・・・その数年後の上智。英語ネイティブのアメリカ人教授のゼミのクラス(少人数)で、フランス語ネイティブのアフリカ人男性が英語で論文を発表した。長い論文だった。彼は自信満々に朗々と読み上げた。だが、彼が読めば読むほど、クラス全体の雰囲気がずんずん重くなっていった。完全なフランス語発音の英語で、ほとんど誰も理解できなかったのだ。たとえば、environment(環境)という単語、綴り字は英語とフランス語で同じだが、英語の発音はエンヴァイロンメント、フランス語の発音はアンヴィロモンである。フランス語を知らなければ、とてもアンヴィロモンがエンヴァイロンメントのことだとはわからない。このゼミ、最初のうちは、教授も学生も皆、このフランス語ネイティブによる英語の発表を理解しようとして途中で必死で発表を止め、何を言っているのか聞き返した。でも、答えてもらっても、フランス語発音の英語だったから、やっぱりさっぱりわからなかった。しかも、全ての単語を聞き返すことは礼儀上できなかった。途中から「こりゃダメだ、全く発表が理解できない、発表内容がわからないから、議論はもちろん質問さえできない・・・」という雰囲気がクラス全体に色濃く立ち込め始め、その絶望感は最後まで続いた。論文発表が終わった直後、しばらくシーンと気まずい沈黙の時間が流れた。それからやっと1人、何とか概要について質問できた学生がいた。フランス語を知っている学生だった。彼だけはフランス語の発音の知識でかろうじてフランス語訛りの英語の発表の概要(おそらく詳細は彼にも不明)を理解できていたのだった。(ちなみに彼の発表中、私が理解できたのは、コムニカシオン(仏語)=コミュニケーション(英語)とコミュニケ(仏語)=コミュニケ(英語)と、仏語と英語の発音がほぼ同じ単語だけだった。)ただし、その後、教授も他の学生もさっと彼の英語の論文(紙)を回してもらうかコピーしてもらって、タイトルや見出しをパッと見て何とかさっと概要を理解し、それからそれなりの議論をして事なきを得たが、詳細まで把握できなかったので、議論が盛り上がらなかったのは言うまでもない。(今思うと、論文発表が開始された時点で、すぐ論文のコピーを取って読みながら発表を聞くべきだった。)その数十年後、英語ネイティブのアメリカ人男性が、フランス語ネイティブのフランス人男性と英語でなごやかに話している場面に遭遇した。もっぱらフランス人が英語で話していたが、アメリカ人は本当ににこやかに、「そうだね、そうだね、うんうん、そうだね」などと、英語で相槌を打ちながら微笑んでいた。でも、私にはそのフランス人の英語の発音が全くわからなかった。何の話をしているのか概要さえ、全くわからなかった。で、そのフランス人が席を立ったあとで、アメリカ人に聞いてみた。「彼、何話してたの?」その若いアメリカ人は肩をすくめてこう答えた。「さぁ、わかんね~!(Well, I don't know!)」論文発表は議論が必要だったので笑ってごまかせなかったが、他の場合はほとんど、みんな相手を傷つけないよう、その場の雰囲気を壊さないよう、笑ってその場をやりすごしてるね。これは万国共通だった。(笑)
2019.11.23
(2017年5月下旬にフェイスブック(FB)に投稿したエッセイが、楽天ブログの「母性愛/Maternal Love」カテゴリーに該当するので、楽天ブログにも重複掲載。FBへの投稿は自分の投稿をカテゴリー別にまとめることも自分の過去の投稿だけを検索することもできないので、これからFB掲載投稿をカテゴリー別にまとめて、楽天ブログに重複掲載することが増えてくるかと思います。)ロシアで爆発事故が起こり、50歳のロシア人の母親がとっさに20代の娘の盾になって爆風から娘を守り、母親は死亡、娘は軽症で助かったというニュースを読んだ。このお母さん、爆風と娘の間に体を張って立ちはだかったのだ。相変わらず、母性愛はすごい。とっさに自分を犠牲して子供を助けるのだもの。そういえば、昔南米の火災事故で、煙に巻かれて「もはや焼け死ぬしかないという状況」の25階建て高層ビル(デパート)の15階の窓から、赤ちゃんを毛布かカーテンにくるんで抱きかかえ遥か下の地面に飛び降り、カーテンと自分の体をクッションにして赤ちゃんだけは助けた若いブラジル人の母親もいたっけ(当然母親の体はべチャッと砕けて即死)。母親が赤ん坊を助けて死んだブラジルのジョエルマビル火災 (←クリックすると、このビル火災の動画が見られます。)同時に別のニュースも読んだ。超優秀な某ビジネスマンが愛人3人を囲い、そのうち1人には子供2人、もう1人には子供1人を産ませておきながら、社会的な存在である妻には著名アナウンサーを選んだというニュース。この愛人の3人の女性は「いつか結婚してくれる・・・」と信じていただろうに。特に子供を産んだお二人は。このビジネスマン、いざという時に、この4人の女性や3人の子供を自分の体でかばうなんてことはしないだろうなぁ。逆にどこまでもエゴイスティックに、とっさに愛人や妻や子供を盾にして自分だけ逃げるんじゃないだろうか・・・でも、一般的に言っても、男性は「男たるもの、妻子や自分より弱い者を助けるべし」と教わっているから、一生懸命、女・子供を助けるのであって、「とっさに何も考えず自分の命を犠牲にする」なんてことは、もしかして性別的にできないのかも・・・?
2019.11.23
(動画:シルフィを毛づくろいする疾風。2019年10月撮影) 僕、疾風。風邪引いちゃった。声がガラガラで出ない。熱はないし元気に動き回ってるけど。他にも猫がたくさんいるのに、なぜ僕だけ風邪を引いたかって?それは朝寒いサンルームに出たから。このサンルームは、お天気だと冬でも昼間は40度近くになるけど、夜は10℃前後に冷えるんだ。寒暖の差が大きいの。だから、寒いのが大好きなモフモフ長毛のシルフィが夜サンルームに出ないよう、僕の人間のお母さん、夜はサンルームへのサッシを閉めてる。朝15℃を超えると、お母さんサンルームへのサッシを開ける。そしたら15℃なんてへっちゃらの長毛3匹、シルフィ、エルフィ、凛は、大喜びでサンルームに飛び出していく。まだサンルームが寒いのがわかっているから、僕以外の短毛の猫達はすぐサンルームに飛び出して行かないけど、僕だけはこの3匹と一緒にサンルームに出ちゃうんだ。だって、この子達、僕の子供みたいな猫だから。この3匹がウチに来たときから、僕ずっとこの3匹の面倒みてるの。毛づくろいしてあげたりして。僕、ずっと自分の子猫が欲しかったから。保健所から来た5匹は5匹で固まってて、彼らにとって僕は単なる同居猫で、僕の猫家族になってくれなかったから。でも、長毛の子猫3匹は僕の子供になってくれたから、僕嬉しかった。僕、一生懸命この子達の面倒見たよ!だから、僕の子猫がサンルームに出るから、僕も一緒に出るの。朝のサンルーム、僕にはまだちょっと寒いけど。そしたら、このガラガラ声。困っちゃった。声、かすれて出ないんだもん。でも、人間のお母さんが、僕に風邪薬と抗生物質とビタミンをのませてくれたおかげで、少し良くなったかな。
2019.11.22
2018年2月25日にウチに来たすみれ坊や(男の子)の話です。すみれ坊やは東京北部で生まれ育った元地域猫(猫エイズ)。おそらく猫エイズが原因で具合が悪くなり、3歳頃に東京北部のキャットサポートの人達から、昔すみれ坊やを飼いたかった飼い主の元にリレーで渡されて来ました。今は家猫。里親制度や保健所から来た猫達、路上で拾われた猫、血統書付きの猫達と一緒に暮らしています。動画の中に、普段はブログで書いている文章を入れています。是非ご覧ください。
2019.11.19
魔法猫、凛(リン)初登場!魔法の青い瞳を持つサイベリアン(ネヴァマスカレード)の凛が昨年の2018年11月にウチに来ました。瞳がサファイヤブルーなので、ミドルネームはサファイヤです。人を魅了する青い瞳を持つ魔法猫、凛。とても可愛い甘えん坊さんです。凛「皆さま、凛です。初めまして。宜しくお願い申し上げます。」以下のタイトルをクリックすると、生後1か月から1か月半頃の凛が見られます。(動画の写真:2018年9月から10月上旬に撮影)魔法猫 凛 初登場![サイベリアン(ネヴァマスカレード/Siberian Forest Cat(Neva Masquerade)]
2019.11.11
2015年7月26日午前11時頃、調布の一般民家に飛行機が墜落した。そうとは知らず、その日の午後東京から高知に飛行機で保護猫のティアラと桜を連れて行くために、調布経由で羽田空港に向かうリムジンバスに乗った。バスの運転手さんが、午前に発生した調布の飛行機墜落事故のため、ルートを変えると言っていたが、無事到着時刻より早めに着いた。(バス到着の予定時間は、渋滞を見込んでかなり遅めに見ていることが多い。)後から、墜落され燃え上がった家の2階で、犬を助けていてトリマーの女性が死んだと聞いた。1階ではこの人の母親が、「娘がまだ中にいる!」と言って、炎の中に飛び込もうとして、近所の人々に制止されたとのこと。この母親は炎に飛び込めば自分の身がどうなるかなど咄嗟に考えなかった。おそらく、ただただ娘を助けたかったのだ。自分の身など考える余裕はなかった。この人は母親だった。母親の本能が作動した。おそらくトリマーの娘さんも咄嗟に犬を助けたのだろう。自分の身が危ないと考える余裕もなく。「熱い」という声が聞こえたそうだから、爆風で即死したのではなかった。2階のケージの中の10匹の犬をそのまま放っておいて、猛スピードで窓に向かって階下に飛び降りていれば、火傷や骨折だけで助かっただろう。この人は咄嗟にそれができなかった。2階から階下に犬を投げて助けていたそうだ。咄嗟に自分がどうなるのかを考えず、犬を助けようとしてしまったのだ。咄嗟に犬を助けて死んだ人。この人は犬たちの母親だった。この女性のご冥福をお祈り申し上げます。
2019.07.26
ガッチャが逝った。私は無気力に陥った。何もする気が起こらない。落ち着いた歌を聴くと、感情が込み上げてきて、とても不安になって耐えられないので、元気がいい曲ばかりかけている。普通、外猫は脳卒中だろうが心筋梗塞だろうが、自動車事故を除き、死ぬときは1匹で隠れて死ぬのに、ガッチャはみんなが通る遊歩道で、いつも座っている場所にちょこんと座ったまま逝った。確実に見つかる場所で逝った。私に連絡してくれる人が通る場所で逝った。そこに座っていれば、いつか私に見つけられる場所で逝った。猫は病気や怪我をした時は、心細いのか、最も信頼している人間や頼れる人間、好きな人間がいれば、そういう人間の所に行く。死期を悟った最期の時も、少なくともウチの猫は、最期はいつも私の所に来た。膝の上に乗ったり、挨拶しに来たり。ガッチャもそうだったのかもしれない。もしガッチャに人の目のつかない隠れ家で死なれれば、私は「きっともうガッチャ死んでる」と思いながら、いつまでもいつまでも必死でガチャを探し続けたと思う。果たしてガッチャがそこまで考えたかどうかはわからないが、少なくともいつもいる場所で猫ボラさんが通る時間に逝くことで、ガッチャは死体が野ざらしになることもなく、カラスに食べられることもなく、骨壷になって私のもとに帰って来ることになった。昔から、ガッチャはどの猫ボラさんにも、「あの子はかなり頭がいい」と言われた子だったので、この逝き方は、死期を悟ったあの子の最期の希望と優しさかなと思えてならない。子猫の「疾風」(はやて)を育てたのもこの子。できれば生きて戻ってきて欲しかったけど、たとえ骨壷の形でも、戻ってきてくれてありがとう、ガッチャ。ガッチャは最期まで優しくて正義感の強いオス猫だった。 (写真:2010年1月上旬、ウチに来て4ヶ月目のガッチャ) (写真:2012年12月当時のガッチャ)
2016.02.27
ガッチャは推定2歳から4歳の時、里親制度でウチに来てウチに約6年いた。人間不信の凶暴な野良猫のままウチに来た。私が他の猫をなでていると、私がその猫をいじめているのだと勘違いして、「猫をいじめるな!俺が相手になってやる!」と、私にシャーシャー威嚇する正義感の強いオス猫だった。悪い人間と戦う科学忍猫隊「ガッチャキャット」。そのうち、私が猫をいじめているのではないことがわかり、「人間でもいい奴がいるんだ!」と驚いたガッチャは、ウチに来て4ヶ月経った頃、なでさせてくれるようになった。しかし、その後、驚きが醒めた後は、なるべく私に体を触られないよう、私の両手がふさがっている時に限って、自分から私にスリスリしてくるようになった。触らせてくれないので、引越しの時は、いつも部屋の中に捕獲器を仕掛けて、捕獲器で捕まえて引越ししていた。2015年7月、そのガッチャが引越しの時、逃げた。特別養護老人ホームで骨折して右大腿骨を人工股関節に手術で入れ替え整形外科病院に4ヶ月間入院していた母を引き取るため、猫を引き連れて高知に帰る時のことだ。その時、ガッチャは捕獲器に入らず、引越し屋さんの開けたドアをすり抜けて逃げた。その直前、保健所から引き取っていた5匹の保護猫のうち1匹(桜)が捕まらず、ガッチャ用に仕掛けた捕獲器に、ガッチャの目の前で桜が入ってしまったのだ。ガチャンと扉が落ちる音に吹っ飛んで、捕獲器から逃げたガッチャ。慌てて桜をケージに入れ替え、捕獲器を設置しなおしたが、ガッチャの警戒が解けてガッチャが捕獲器に入る前に、引越し屋さんが来てしまった。すぐ探しに出たが、ガッチャは見つからなかった。高知で荷物を受け取るために、とりあえず他の猫を連れて飛行機で一旦高知に行った。荷物を受け取ったら、とんぼ返りで東京に戻ってガッチャを探した。ガッチャは朝4時半にすぐ近くの公園に出没した。ガッチャは空腹のあまり仕掛けた捕獲器に入りかけたが、他の猫が入ろうとして失敗。だが、この時現地のキャットサポートの人と知り合った。10月にもガッチャを探しに東京に行ったが、ガッチャは公園で見つからなかった。12月にまた探しに行ったとき、キャットサポートの人から、かなり離れた遊歩道でガッチャらしき猫が出没して、みんなから餌をもらっていることを知った。行ってみたらガッチャだった。いろんな餌をもらって、ふっくら太ったガッチャは、満腹で捕獲器に入らなかった。今回2月にもまた探しに行って遊歩道でガッチャに会った。だが、私の両手がふさがっておらず自由に動くのを見た途端、昔と同じく撫でられるのを嫌がったガッチャは、吹っ飛んで逃げた。他の人の両手が自由に動くのを見ても、ガッチャはそれだけでは逃げていなかった。ガッチャは私のことを覚えていたのだ。捕獲器を見ても、吹っ飛んで逃げた。遊歩道を歩く人がガッチャに餌をやらないようにと張り紙して、ガッチャを餌入り捕獲器で捕まえることも、猫サポートさんと話し合ったが、真冬にたとえ1日でも飢えさせるのは危険だし、遊歩道以外でも餌をやっている所が数箇所あるので無駄だと思い、餌はそのまま与えてもらうことにした。それに、ガッチャはみんなに可愛がられていた。遊歩道でいろんな人から美味しい餌をもらって、声をかけてもらって、かなり寒いけど、幸せそうだと思った。東京北部は冬寒いので、寒さで猫エイズが発症するのではないかと怖かったが、これから暖かくなるから、大丈夫かなと思った。安心して東京旅行から帰った翌日の2月25日夕方、ガッチャが突然逝った。なぜ!?どうして!? ガッチャの死を知ったとき、しばらく言葉を失った。だって、あんなに元気だったのに・・・! どうして!? 死因はおそらく寒さによる心筋梗塞か脳梗塞。外傷はなかった。自動車事故や自転車事故の可能性もほぼゼロ。この地域の猫は、餌をもらっているのに、皆、5歳か6歳以下。若い猫だけ。皆、怪我や病気や寒さで、中年になると死んでしまうのだ。8歳から10歳前後のガッチャには、冬が厳しすぎた。N子さんによると、2月25日は寒さがぶり返して、朝、雪がうっすら積もっていたそうだ。あと1週間で暖かくなったのに。あと1週間だったのに。夜零下になるこの地域で、12月、1月、2月とガッチャの体は、3ヶ月もたなかった。あと1週間だったのに。私はまだ茫然自失状態である。私のガッチャマンが逝った。(写真:上下とも、2009年9月ウチに来た当時のガッチャ)
2016.02.26
信じられない・・・昨夕5時過ぎにガッチャはいつもちょこんと座っている場所で、猫道を通り過ぎる猫ボラ(猫ボランティア)の皆さんから、ご飯をもらっていたそうだ。元気だったとのこと。でも、それから1時間後の6時に、次の猫ボラさんが通り過ぎた時、ガッチャはいつもの場所で死んでいたそうだ。まだ温かくて綺麗な死体だったとのこと。ガッチャは人間に捕まる子ではないから、虐待ではない。口から泡を吹いていなかったそうだから、毒や食中毒ではない。猫エイズでもない(猫エイズでは、ここまでいきなり死なない。)いきなり死ぬなんて、ガッチャひどいよ。周りの心の準備ができてないよ。ガッチャが一番懐いていた猫ボラのN子さんは、電話で「昨夕(2月25日)5時すぎにご飯を上げたときは元気だったのに・・・信じられない・・・」と泣きじゃくっていた。私はあまりのことに仰天して涙も出ない。とにかく信じられない。一昨日の朝(2月24日)、高知に帰る日の朝6時にガッチャを見たのが最後になった。カツオのナマリをあげたら食べてた。昨日は寒い日だったから、心臓発作か脳梗塞でも起こしたのかな。でも、半年間ガッチャは思う存分走り回り、外の世界を満喫し、シーバやらチュールやら、ロイヤルカナンやら、いろんな美味しいフードをいろんな人からもらって、いつも満腹で、「ガッチャ!ガッチャ!」と声をかけてもらえて、幸せだったと思う。まだ、ガッチャの死を納得できないけど、最期まで満腹で幸せで、長時間苦しまずに一気に逝ったのが、せめてもの救いかもしれない。同じくガッチャの死を信じられないN子さんが、今日の午後2時にガッチャの火葬に行ってくれる。猫ボラさんたちが火葬をアレンジしてくれてた。ガッチャの写真と毛をとってきてくれるように頼んだ。私も納得できないから。 (この2枚の写真は、2015年12月にN子さんが撮影)(この下の写真は、N子さんが2015年12月23日に撮影したガッチャ)
2016.02.25
(先日アップロードした掲載に1本追加です)先週、遂に不規則なフリーランス翻訳生活(夜働くことが多い)に見切りをつけ、日中在宅で勤務する正社員翻訳者・翻訳管理者として転職することを決意して、1昨日友人の紹介により、超大手の英国系リクルート会社に登録しました。在宅勤務で正社員というのは難しいだろうけど、何とか見つけて欲しいと頼みました。昨年2015年9月に母を引き取ってから、160cm 49kgだった体重が2016年2月には44kgまで落ち、睡眠不足で母を支えて関節炎になったり、翻訳を徹夜で仕上げて提出した後、徹夜明けで疲れていて母(要介護5、車椅子生活)の体を支えきれず、母を2回も床に転倒させたりしてしまったので、もうフリーランス生活はダメだと思いました。幸い、母はこの半年間に栄養失調が改善され、パーキンソン病が治り、曲がっていた背骨も真っ直ぐになるなど骨が強くなっていたので、転んでも骨折はしませんでしたが。 ところが・・・今週火曜日に英語の履歴書と翻訳履歴を提出したあと、翌水曜日の昨日この英国系リクルート会社の東京在住の担当者から、高知に電話がかかってきました。彼女の英語はつたなく、おそらく母語はフランス語だろうと思われる柔らかな発音でした。彼女曰く、「あの・・・いつ東京に来るんでしょうか。在宅勤務で正社員というのは、なかなかないんです。」私曰く、「(それは最初から百も承知しています!)電子メールに(英語で)書いたとおり、1年半後です。今すぐ東京に引っ越すのは無理です。母はかなり良くなっていますが、まだ良い特老ホームに入れられるほどではありません。でも健康上の理由で、母のため自分自身のため、今すぐ日中、在宅勤務できる会社に入りたいんです。」彼女曰く「あ・・・なら、高知在住の外資系会社で通勤勤務の募集があったら、ご連絡します。」(私は内心、「え~っ!? 担当する人間の住んでる地区もリサーチせずに電話をかけてきたの~?」と仰天しつつ)私曰く、「高知県は貧しい県なので、大金を払える外資系会社は高知にはありません。」彼女曰く、「あ・・・なら、高知の近くにある外資系に通うというのはどうでしょう?」私曰く「・・・」(←もう何も言えない)近くの外資系というと、大阪か神戸。空港に車で1時間半かけて行き、飛行機に乗って神戸や大阪に行くと、少なくとも片道3時間、往復6時間。香川県の高松市でも、四国山脈を電車や車で超えるのに、片道3時間。これも往復6時間。いずれにせよ、会社に着いた途端、とんぼ返りしなきゃ、母がディケア・サービスから帰ってくるまでに、家に帰れないわね・・・日中在宅勤務の正社員採用。そのうち東京に戻ることもあって、私の希望は東京在住の外資系会社。(翻訳会社は、どこも経営が苦しいので、考慮外)ああ、私の転職は前途多難だわ・・・・
2016.02.18
(皆様、1年間ご無沙いたしました。 この間、Facebookに書いた投稿から21話を選んで、一挙に掲載しました。 とりあえず文章だけをアップロードし、写真は後で。) 簡単にこの間の経緯を申し上げると、 2014年秋に保健所から5匹保護猫をもらい、 2015年夏にそれまでの1年半の間に認知症が一気に悪化した母(要介護5)と、 バリアフリーの家に住み始めました。)先日いつものように、若いオス猫逹が、あちこち蹴倒しながらワイルドに部屋を走り回る中、携帯の電話が鳴った。今は携帯など全く使えなくなった母のために、2014年1月に買った携帯電話で、現在では私が使っている。「何だろう?」と思って、「どちらさまですか?」と聞いた。電話の主は訝(いぶか)しげにこう言った。「119番、救急です。あの、そちらからこちらにおかけになったのですが・・・」ひぇ~~~~~!!!!母が具合の悪い時にすぐ救急車を呼べるように、母の携帯では、「119番」を「短縮番号1」として登録して、いつも画面に表示されるようにしていた。それを猫が走り回っていて押してしまったのだ。あの電話の音は、こちらから発信して119番側で鳴っているベルの音だったのだ。「すみません!すみません!すみません!かけ間違いです!!!」・・・そう叫んで電話を切った。「猫が短縮番号で119番しました」とは、咄嗟に言えなかった。お騒がせして申し訳ございませんでした、救急の皆様・・・(写真はお母さん猫ティアラ。2013年春生まれ(推定))
2016.02.07
保護猫から飼い猫になったウチの猫逹の近況:(オス猫:アモール、マロン、ジョー、メス猫:ティアラと桜):ドコドコドコドコ!今日も若いオス猫3匹が部屋の中を走り回る。時には若いメス猫「桜」も参加する。皆、1歳半と若いだけあって、パワフルである。くんずほぐれつ取っ組み合いをしながら、颯爽と走り回る。床を爆走し、介護ベッドの下に潜り、大テーブルの上にジャンプして、テーブル上のクッションを蹴散らし、ラッセンの特大版画の上に駆け上り、障害物競争の障害物のように対面式キッチンをヒラリと軽く乗り越え、キッチン・トップから冷蔵庫の上にジャンプする。走るついでに、この子達はいろいろ落としていく。この前は、お気に入りの「ケーキ入れのガラスの蓋」を棚から落として割った。ケーキ入れの横に、紐が付いたエプロンを置いてあったのが不運だった。猫は紐が大好きである。朝4時に紐を見つけた子が、大喜びでエプロンの紐を引っ張って遊び、エプロンと一緒にケーキ入れも落とした。おかげで私は朝4時に、飛び跳ねたガラスの破片を掃除する羽目になった。そのまま置いておくと危険だから。4日前は枕元のPCだった。(20cmしたのカーペットに落下しても、支障なく動いている富士通製PCは立派である。) そう言えば、確か昔ロビンという猫がパナソニック製レッツノートをカーペットに落としたが、 これも無事であった。日本製PCは優秀なのか?)窓際の爪とぎ用の大きな丸太も、颯爽と走りながら蹴倒していく。1昨日落としたのは、私の朝食。母に朝食を食べさせてディケア・サービスに送り出し、ちょっとくつろいで目を離したいた隙にやられた。ヨーグルトがあたり一面に飛び散った。また蒸気クリーナーを買わないと、新しいカーペットに付いたこの白いヨーグルトの染みは消えないだろうなぁ・・・(前の蒸気クリーナーは保証期間後1ヶ月経って壊れた。修理代の方が買うより高かったので捨てた。)昨日落としたのは、部屋干ししていた母のお気に入りの白ピングのパジャマ。今日はペーパータオル。私は遂に部屋に置いてあった陶器を別の部屋に避難させた。部屋にお気に入りの陶器を飾るのは私の趣味だったが、このままでは陶器も全滅しそうだったから。天然ボケでトロいマロンは、ウチにきた当初に既に1皿割っている。覚えておられる方もいるだろうが、この子は版画の上に登り、壁沿いに立てかけてあったラティスの上を歩いていて、足を滑らせて、飛び降りる目測を誤り、陶器の皿の上に落下した。マロンが怪我しなかったのが、不幸中の幸いだった。この7月に買ったばかりのヤシの木の葉も、既に半分猫達に食べられてない。しかし、何が良かったって、ここが1階で本当に良かった。猫逹はカーペットの上を走り回っているのに、地響きがするのだ。ドコドコドコドコ!と。君たち、本当に野生の猫?音がしたら、獲物に気づかれるんじゃないのか?全速力で走っているときは、獲物が気づいて逃げているときだから、爆走音がしてもいいのか?でも、本当に本当に1階で良かった。ドコドコドコドコ!ドコドコドコドコ!まるで地鳴りだ。(写真は黒猫アモール。耳を桜カットしているのは、当初里親に出すつもりだったから。)
2016.02.06
4歳の女の子「猫の疾風」は、最近私の枕の隣で寝ている。眠る時も起きる時も、疾風は私に頭をこすりつけてスリスリ。私も疾風の全身をゆっくりと撫ぜ、猫風に、疾風の頭やお腹に頭をこすりつけて、疾風にスリスリ。モフモフ。とっても幸せな気分で眠っているのだった。だが、1昨日、朝5時に目が覚めて真横を見ると、疾風がいない。「あれっ?どこに行ったんだろ。」と思って周りを見回すと、全然別の所で寝ていた疾風と目があった。「あれっ?お母さん、もう起きたの!?」と言いたげな疾風の顔。私はそのままお手洗いに行って、部屋に帰ってくると・・・他の猫はグーグー寝ていたが、疾風だけは私にまとわりついてきて、ニャーニャーと一生懸命鳴くのだ。「ごめんね。ごめんね。 お母さんが早く起きるなんて思ってなかったから。 起きた時、傍にいなくてごめんね。」・・・と言っているように思えたので(何匹も猫を飼ったが、疾風だけは私をお母さんと呼んでいるようだ)、「いいよ。いつも一緒に寝てくれなくても。ありがと。」・・・と声に出して言ってみた。すると疾風はちょっとびっくりしたような顔をした。「えっ。僕の言っていること、わかるの?」みたいな。「わかるよ、疾風。」でも、疾風、それを言うなら、疾風も私の人間語わかったんじゃないの?早朝の不思議な会話。まだ夢の中だったかな。笑(写真は疾風。2014年10月撮影)
2016.02.05
昨晩は11時半に寝た。朝3:33に目が覚めた。もう一度寝直そう、そう思ってまた眠った。次に4:44に目が覚めた。ゾロ目だなぁ・・・と思ったら、黒猫ミークのことを思い出した。優しくて温和なミークは、約25年前の5月5日に、約5歳5ヶ月で突然心臓発作で逝ってしまった。東大動物病院で健康診断をした1週間後だった。東大動物病院に連れていった時、爽やかな風が吹く五月晴れの空の下、室内飼いのミークをキャリーバッグから出して抱っこして、「ミーク、あれが空よ。 あれが木々よ。 あなたは室内飼いで滅多に見られないから、目に焼き付けておいてね。」と語りかけたっけ。ミークは目を輝かせて、空や木々を見上げていた。そのミークに突然逝かれて、それまであの子達との幸せな日々が永遠に続くと思っていた私は、あまりのショックに3日間わんわん泣いたっけ。いつか私が逝く時、既に逝ってしまった、あの優しい猫逹は、私を迎えに来てくれるんだろうか。そう思いながらまた眠った。
2016.02.04
猫達に食べ尽くされて枯れたヤシの木の鉢に、パプリカの種を蒔いた。芽が出た。喜んだ。これは室内でパプリカを栽培して取れるかも~♫が!今朝見ると、モコモコの可愛い物体が、パプリカの芽の上で気持ち良さそうに日向ぼっこしている。ここは日当たりが良かったのだ。室内でパプリカを栽培して食べるという夢は、あっという間に消えた・・・*写真は鉢の上で日向ぼっこする疾風(はやて)。
2016.02.03
毎日、保護猫マロンが電話をかける。宛先不明。電話機(固定電話)の上に乗って数字を押すのだ。数字を押すたびにピッピと音が鳴るのに、全く気にしてないマロン。そのたびに怒るんだけど、この子はなぜ怒られているのか、まだよく理解できない。昨日はカーテンレールの上に乗ろうとして、カーテンを外してしまったマロン。眠っていて猫ケージの棚からずり落ちたのもこの子だった。ラティスの上を歩いていて足を踏み外し、私のお気に入りの陶器の上に落下して、陶器を割ったのもこの子だった。天然ボケというか、ドジというか。自然界では生きてけないね、君。一体どうやって公園で生きてたんだろう・・・・きっとお母さん猫のティアラがしっかり警戒して子猫を危険から守っていたのね。マロンは表情も純真無垢。天然ボケ猫、マロン参上。(写真はマロン)
2016.02.02
キッチンの方でガサガサ音がした。「また誰か「おいた」をしているわね~。」そう思って見に行った。あれっ?キッチンのシンクが明るい。シンクの上の電灯が煌々と点いている。誰かがキッチントップに登り、シンクの上の電灯の紐を引いて、電灯を点けたのだった。ソファに戻ってきてくつろいでいると、また音がする。キッチンに見に行くと、そこには逞しい保護猫ジョーが、可愛いお手手(前足)で紐を引っ張る姿が・・・(写真は栗之丞(通称:ジョー)
2016.02.01
(2015年春に書いたエッセイです。)僕、保護猫の黒猫アモール。お母さん猫のティアラと子猫4匹(推定5ヶ月)で去年の秋、保健所からここに来たんだ。このウチでは、5匹で3ヶ月以上ずぅ~っと猫ケージの中にいたんだ。猫ケージは飼い主のベッドのすぐ近くにあって、毎日先住猫が気持ち良さそうに飼い主のベッドで眠ってるのみてた。先住猫がそこでお昼寝してるとこや、夜熟睡してるとこ、猫ケージの中から見てた。毎日毎日見てた。いいなぁ・・・あそこが猫の特等席か。僕もあそこで寝っころがりたい。こっから出たら、あそこで眠るぞ!って思ってた。飼い主は毎日数時間、僕たち子猫4匹を猫ケージから室内に出してくれてだんだけど、この前遂によく馴れているオス猫3匹を出しっ放しにしてくれたんだ!1匹ずつ。一度に3匹出すと、気が優しい先住猫の疾風(はやて)とガッチャがビビるからだって。ボス猫「栗」と気が強い黒猫「愛」は平気みたいだったけど。僕、人も猫も大好きだから、真っ先に出してもらえた。嬉しかった。もう猫ケージの中で寝なくていい!思う存分、走り回れる!んで、僕が真っ先にしたことは・・・もちろん、あの憧れの人間用ベッドで眠ること!えへへ。次に出してもらえたジョーも同じ。真っ先に人間用ベッドでゴロゴロ気持ちよさそうに寝てた。人間用ベッドって、大きいんだよ!とろいマロンが出してもらえたのは、3匹の中で一番後。猫ケージの外に出ても、とろさは変わんないみたいで、毎日いろいろドジってるみたいだけど、マロンもやっぱり一番先に人間用ベッドで寝てた。広々して気持ちいいし、数ヶ月間の憧れの場所なんだもん。当然だよね。だって、見て見て。これが昔の僕らの寝場所。猫ケージの中では、猫トイレでみんな仲良く寝てたんだけど、どうみても窮屈だよね・・・(写真は保護猫が来た当時、2014年秋のもの。 黒猫=アモール、白サバ=桜、茶トラ=ジョーとマロン)
2016.01.31
(2014年12月頃執筆)ここ数日間、一日2時間から3時間ほど、保護猫4匹(約7ヶ月の子猫)を猫ケージから出して、部屋で遊ばせている。みんな、大喜び。はしゃいではしゃいで、部屋中を思い切り走り回る。だが、それで部屋はあっという間にゴミ溜めと化した。気がつくと、キッチンのスポンジが居間に転がり、100本の楊枝が床に散らばっている。しかも、「あっ!本物のお手洗い見つけた! 僕たちここでお手洗いするからね! 僕たち知ってる、ここならお掃除しなくていいんだよ! ここでするから、もう人工のお手洗い箱のお掃除しなくていいよ! 今までお掃除してくれて、ありがと!」・・・こんな感じで、観葉植物の鉢の土の上でお手洗いをしてくれるのだ。「そこでしちゃ、ダメ~~~~!!!! ダメ!ダメ!ダメ~~~~~!!!」 と叫ぶ私。「えええ~~~!?ダメ!?何で~!?」怒られて仰天しながら、吹っ飛んで鉢から走り去る保護猫たち。でも、この子達は賢かった。2回怒られて、少なくとも私が見ている時は、観葉植物でお手洗いをしなくなった。でも、まだまだ油断できないなぁ・・・見ていないとするかも。そうやって、じっと注意して見ていると・・・メス猫「さくら(桜)」(旧名:ゲイル)が嬉しそうに、咲き終わった黄色のハイビスカスの花をちぎって口にくわえて行く。花なんてどうするんだろう?と思ってみていると、桜は窓際の特等席に座って、ハイビスカスの花を器用に小さく裂いて食べ始めた。本当に美味しそうに。丸々1花、全部食べた。猫草不足やビタミン不足ではない。猫草は1日10分間猫ケージに入れてるし(それ以上入れておくと、 猫草の鉢を土ごとひっくり返されて遊び道具にされる)、部屋にも猫草があるので、桜も猫草を食べていたのに・・・でも思えば、昔、野良猫時代、公園でお腹が空いたとき、この子達は、こうやって草や花を食べていたのだ。それでも、お腹が空いて餌で釣られて罠にかかり、保健所行きになった。もう花や草なんて食べなくてもいいのに・・・と思いつつ思った。人間も、菊の花の「おひたし」なんて食べるよね。ハイビスカスの花も美味しいのかもしれない。春になったら、猫「さくら」に本物の桜の花をあげよう。きっと気に入る。(写真は、右が桜(旧名=ゲイル)、左がお母さん猫のティアラ。撮影は2014年12月当時)
2016.01.30
翔泳社からお知らせと印税の報告が届いた。10年以上前に訳した「静かなリーダーシップ」を再度校正をかけて、増刷(第8刷:累計部数12000部)するとのこと。ダイヤモンド社の某編集者によると、ビジネス書は6000冊売れれば、「まぁまぁ」とのことで、12000冊なら、ヒットではないが、そこそこ売れた方だろう。この本は、DTPや編集の過程で、文章が飛んだり切れたり、人称代名詞を挿入されたり、「中間管理職」が「ミドルマネジャー」に変更されていたり(赤入れの時、中間管理職に戻した)、とにかく滅茶苦茶な本だったが、これでやっと完成したような気がする。印税報告を見ると、また少し売れてた。毎年この印税で1年間の猫のドライフードが買えるのだった。今年は電子書籍番も加わったので、保護猫も含めた8匹分の年間ドライフード代はこれで何とかまかなえそう・・・この本は、組織や日常生活で法律どおりに杓子定規に行動すると自分の良心に反する時、法律違反にならない範囲でちょっと法律を拡大解釈してみよう・・・みたいな本で、読後感が爽やかだった。売り切りの実務翻訳と違い、印税収入の出版翻訳は「売れなきゃ極貧」の世界なので、私はこの「静かなリーダーシップ」と、もう1冊、出版社から頼まれて訳したマーケティングの本以外は全く訳していない。(このマーケティングの本は、「これは売れない」と言って、この本の要約(シノプシス)を書いた他の翻訳者が逃げた本。案の定、全く売れなかった。苦笑)でも、静かなリーダーシップは猫ブログで紹介しているので、新しく猫ブログに来た人が買っているらしい。(購入してくださった皆様、本当にありがとうございます。)猫ブログのうち、約半分はウチの猫について書いている。つまり、ウチのお猫様は自分で自分の食事代を稼いでいるのだった・・・笑(写真は、床でくつろぐ栗(手前右)、ジョー(奥)、黒猫アモール(手前左))
2016.01.29
(2015年8月に執筆)今日の夕食はホッケ3匹だった。中くらいの大きさだったので、ウチの8匹の猫におねだりされても、私が食べる分は残っているだろうと思った。塩辛くなさそうな皮以外のところをお猫様に差し上げようと思った。が!あっという間に、ホッケ3匹はお猫様のお腹の中にどんどん入っていった。何せ育ちざかりの1歳半の猫が4匹いるのだ。しかも、そのうちの3匹は雄猫。人間でいえば、10代後半から20歳前後の男の子達か。まさに食べ盛り。おまけに、13歳の栗を除けば、みな4歳以下。人間でいえば、約30歳以下か。疾風4歳、愛3歳、ティアラ2歳、桜・マロン・ジョー・アモールが1歳半。みんなでバクバク私の夕食を食べた。さて、私は何を食べようかなぁ。冷蔵庫に何かあったっけ・・・(写真は、手前が栗之丞(くりのじょう。通称:ジョー)、後ろが栗)
2016.01.28
ドコドコドコドコ!今日も保護猫が部屋の中を走り回る。ドコドコドコドコ!保護猫は朝から元気。ドコドコドコドコ!キッチンで朝食を作っていると聞こえてくる。ドコドコドコドコ!・・・ドッターン!!!あれは誰かが高いタンスの上から床に飛び降りた音だ。ドコドコドコドコ!今日も保護猫の運動会が続く・・・ウチは平和だ。(写真は、爆走を一時停止してソファで休む猫たち)
2016.01.27
以前「飼い主の責任」を書いた記事を読んでいて仰天したことがあった。その記事では、あるアメリカ人の飼い主を褒めていた。その米国在住のアメリカ人は、引越しでそれまで飼っていたドーベルマンか何かの大型犬を飼えなくなり、引き取り手も見つからなかったため、飼い犬を撃ち殺したのだという。その記事には、「これくらいの覚悟と責任感を持って、動物を飼え。安易に捨てる飼い主はこのアメリカ人の飼い主を見習え!」と書いてあった。私は心底この犬に同情した。そりゃ確かに、人間社会にとっては、飼えなくなった犬や猫を飼い主が自分で始末してくれる方がいいでしょうよ。人間社会に対する責任を果たしている立派な飼い主でしょうよ。「地球は人間の物」という人間のエゴが当たり前で、人間社会への責任が何より優先されることも、当たり前だと思っている社会的な人間なのでしょうよ。でも、犬の側から見ると、自分の命を助けてくれるはずの飼い主、自分の飼い主に撃ち殺されるなんて・・・これって、犬と人間の信頼関係に対する裏切り行為じゃないのか。その一方で、2014年に日本のドイツ村のドッグランに、引っ越して飼えなくなったシーズー犬(12歳:心臓病持ち)を置き去りにした飼い主もいる。後日、薬と謝罪文が差出人不明でドイツ村に届いたそうだ。「保健所に連れて行く前に遊ばせてやりたくてドッグランに連れて行ったが、楽しそうに遊ぶ姿を見て保健所に連れて行けず、ドッグランにそのまま置いてきた・・・」と。もちろん、この飼い主は無責任だと批判された。そりゃそうだ。社会的な責任を果たさず、飼えなくなった犬を他人に押し付けたんだから。でも、おそらくこのドッグランに捨てた飼い主は、こう思っていたのだろう。自分はどんなに批判されてもいい、この子の命が助かってくれればいい・・・12歳で心臓病持ちの犬では普通は貰い手がないが、ドッグランに捨てて、報道され話題になれば誰かきっともらってくれると。(しかも、差出人不明なので、実際には批判されても、飼い主は痛くも痒くもない。)この飼い主の読み通り、このシーズー犬は報道され、新しい飼い主に引き取られていった。この「社会的に無責任で」賢い飼い主のおかげで、この子の命は助かった。猫や犬を捨てるのは、決してその子を殺すことを他人に押し付けるためではなく、命のバトンを次に渡して何とか助かって欲しいからだと私は思う。犬や猫の立場からするとどちらがいいのか。「もう飼えないからと社会的な責任を果たすべく、 自分を撃ち殺す飼い主や、自分を保健所に連れて行く飼い主、 つまり自分を100%殺す飼い主」と、「批判されることを覚悟で、自分の命が助かる可能性にかけてくれる飼い主や、 社会ではなく自分の命を助けることに何とか責任を持とうとする飼い主」と。犬や猫の側から見れば、人間社会の社会的責任を優先する飼い主より、(たとえ人間社会では身勝手でも)自分の命を助けることを優先する飼い主の方がいいに決まっている。100%殺されるより、里親制度のウェブサイト掲載や捨て猫・捨て犬など、助かる可能性がある方がいいに決まっている。(ただし、道端に捨てると、かなり惨めな死に方をする確率が高い。施設のドッグランに犬を捨てた飼い主は、かなり頭が良かった。)社会的責任で100%動物を殺す人間と、自分で殺すに殺せず無責任を承知で動物が生き延びる可能性に賭ける人間と。どちらが人間的か。どちらが命に対して倫理的か。どう考えても、殺せない方だよね。敵を殺すのが当然視しされている戦争でも、おそらくあっさり敵を殺すのは前者の人で、敵を殺せず捕虜にして捕虜に優しく接するのは、後者の人だろうなぁ・・・私はもちろん犬や猫を捨てる人を褒めているのではない。彼らは社会的に批判されて当然だろう。最近は里親制度もあるのだから。でも、犬や猫を殺しきれない彼らの心を考えると、捨て猫・捨て犬を心から批判しきれず、せっせと彼らが捨てた猫を拾ったりもらったりする私であった。
2016.01.25
(2015年4月執筆)最近の東京は、どこもかしこも中国人だらけ・・・(笑)最近の東京はどこに行っても中国語を話す人(中国本土人、香港人、台湾人、シンガポール人)に必ず遭遇する。私のバレエの先生も同じことを言っていたが、「でも中国の人は服装ですぐわかる。何というか、服装のセンスが違うのよね。選ぶ服が違うというか・・・」とも言っていた。先生、甘いよ~。中国人だとすぐわかるのは、中国本土からの短期旅行者だけ。井の頭公園で写真を撮ってくれるように私が頼んだ「いかにも日本人という感じのサングラスをかけた格好いい女性」は、香港人だった。香港人の服装のセンスは、日本人とほぼ同じ。しかも、中国本土から日本に来て長年日本で住んでいる人も、服装が日本化していて、日本人と全く同じ。先日も関東地方のウチ(当時)の近くの交差点で信号待ちをしていたら、いかにも地元の日本人といった感じの2人が、私の後ろで中国語で話していた。今の日本、少なくとも都市部の日本は、おそらくどこもかしこも中国人だらけなのだ。それで思い出した。どこかで読んだ中国人同士のコメントを。とても真面目に話していたコメントだったが・・・「日本は民度(民衆/一般大衆の倫理観やマナーのレベル)が高くて、住みやすい。」「日本に住みたい。」「俺も日本に住みたい。」「そうだ!そうだ!みんなで日本に移住しよう!」「でも、そうすると、 日本が俺たち(マナーの悪い)中国人だらけになって、 日本に移住する意味がなくなるんじゃないか・・・?」「・・・」この自己認識の鋭さとユーモア(?)のセンスに、心底感服して爆笑した。
2016.01.24
中国本土の貧しい農村を描いた映画数本を見て、気づいたことがある。どれも景色の色が暗いのだ。どんよりとした空、重く厳しい自然。そんな中、原色の衣装で着飾った踊りが、村に登場するとぱっと華やぐ。特に赤や黄色の派手な原色で元気を出しているという感じがする。ある中国映画では、結婚式の場で、花嫁さんだけではなく、参加者全員が、男性も女性も全身真っ赤な衣装を着てお祝いをしていた。日本で結婚式の参加者全員が全身真っ赤な服を着るなんて、まず考えられない。逆に日本の花嫁衣装の純白は、彼らの地方では、冷たくて厳しい冬の雪の色。お腹を空かして凍える淋しい色。白はお祝いの色ではないという中国本土人の人たちの気持ちが、彼らの映画を観てわかる気がした。そういえば、昔大学の寮にいた台湾人の女の子も、白いチャイナ・シューズやチャイナ・ドレスは、台湾ではお葬式の色だと言っていたが、それを実感した。(日本でも、白装束は死装束だけどね・・・)白やパステルカラーの穏やかな色が映えるのは、暗く厳しい北国の地方ではなく、強烈な太陽光線がギラギラ照りつける熱帯地方でもなく、穏やかな光に包まれる温暖な地方なのだ。原色は、アジアの寒い北国の人々がお祝いの場で着るだけではない。日差しが明るくて強い南国高知や沖縄、欧州の地中海では、普段着で着る。なぜか。明るい太陽のもとで、シックで渋い色をまとっても、強烈な光に負けて、くすんでみすぼらしく見えるのだ。なので、暗く厳しい自然のアジアの北国と、強い光が照りつける南国では、明るい原色が好まれる。でも、なぜ寒い北欧で白人系の人たちが原色を着ないのか。多分、彼らは透き通った容姿なので、きつくて強烈な原色よりも、穏やかで淡いパステルカラーや渋い色の方が、品良く似合うのだろう。ヤレヤレ・・・自分に合った色や元気が出る色を着るには、例えば、自分の勝負服を選ぶには、周りの自然だけではなく、自分の色素も考えねばならないのだった・・・
2016.01.23
(2014年9月執筆)今日は一日翻訳で忙しかった。昨日別件で手間取って、予定がずれ込んだのだった。一日頑張ったら、お腹が空っぽ。冷蔵庫を開けて見てみたら、冷蔵庫も空っぽ。なので食料品の買い出しに行くことにした。栗の好きなカツオ節やマグロのお刺身も買ってこよう!カツオ節も切らしていたから。スーパーでしこたま食料を買い込んだ。マグロのお刺身もカツオ節も買った。栗が私と一緒にいて、「おい、みんな喜べ~!飼い主がまぐろの刺身を買ったぞ~!今日の夕食はマグロだ~!やったぁ!」と叫んでいるような気がした。帰り道、ルンルン気分で自転車で走っていると、「あ~っ!!!」と、2人の女性に呼び止められた。中国語の先生達(厳密に言うと中国本土人と台湾人)だった。「あれ~?こんばんは~!何でこんなところに~?」と、これまたルンルン気分で挨拶した。何せもうすぐ猫も私も美味しいものを食べられるのだ。・・・すると彼女たち曰く、「え~~~~!!!今日、火曜日だよ~!中国語クラスあるよ~!今終わったとこ~!」私は「ええええ~~~~っ!!!」 完全に忘れていたのだ。空腹に中国語が負けた・・・かなりショックを受けている私をみて、先生は「見て、今日はスーパームーンだよ」と月を指さした。今日はスーパームーンだったのか。それすら知らなかった・・・でも、綺麗なお月様だったな。
2016.01.22
四季はよく人生に例えられる。命が芽生える春。桜ピンクの未来。命が躍動する夏。真紅に燃え盛る。秋、忍び寄る老い。深みを帯びた茶。冬、静寂の死の世界。真っ白な雪と氷の世界。私は美しくて純真無垢な雪景色が好きで、1枚PCの背景画像に入れていた。どこまでも雪原が広がり、雪に覆われた白樺がところどころに散在する。澄み渡る青空で、寒さがヒシヒシと伝わってくる。キーンと身が引き締まるような雪景色だった。母に聞いてみた。「綺麗でしょ?」母の返事は・・・「さみしいから、いや」だった。命のかけらもない雪景色。冷たい氷の世界。母の年代は晩秋である。命が消える冬は、既にすぐそこまで来ている。母の友人も1人1人消えていく。木々が枯れ、命が消え、無機質の冷たい雪や氷に覆われている景色は、母には美しいというより、寂しかったのだった。
2016.01.21
イスラム教はコーランで聖戦を認めている。なので、何か思い通りに行かないと、すぐ聖戦を理由に誰かを殺せる。しかもイスラムの理想は多宗教共存ではなく、イスラムという理想が単独支配する世界である。これがイスラム教に争いが多い理由だが、イスラム教ではコーランの批判はタブーなので、戦争の理由をコーランで聖戦を認めているからではなく、他の理由つまり国際政治や米国や西欧、他宗教のせいにする。イスラム関係の仕事で儲けている他宗教者も(イスラム研究者やイスラム専門の商社)、イスラム教を批判すると仕事ができないし下手すると殺されるので、「聖戦を悪用するのはイスラム教徒ではない、本当のイスラム教は素晴らしい」などと言ってイスラム教を擁護する。世の中、心の強い人や清く正しい人ばかりではない。心の弱い人間や卑怯な人間が多い中、イスラム教の聖戦やイスラム単独支配による理想郷は、戦争を正当化できるので、イスラム教の宗教的な弱点となる。しかし、イスラム教徒自身がそれを認めて改善しない以上、穏健なイスラム教徒がどんなに「イスラム教は平和な宗教です」と主張しても、まず間違いなく、これからもイスラム教内の宗派争いや、イスラム教と他宗教との争いは続くだろう。
2016.01.20
(2014年5月コメントとして執筆)中国語で日本人がつまずくのは、発音・聞き取りだそうです。中国語には四声があることもあって、中国語と日本語では発音がかなり違いますから。中国語クラスで長年中国語を勉強している方の発音を何人か聞きましたが、皆さん発音にかなり苦労していらっしゃいますね。中国人の先生に「彼女たちの発音の中国語で、中国の人は彼女たちが何を言っているのか理解できる?」と聞いてみたら、「かなり難しいと思う」という返事が返ってきました。彼女たちの発音を何度直しても、彼女たちはお手本の発音を正確に聞き取っていないので、そっくり真似するのが難しいようです。なぜかというと、皆さん、「日本語の発音体系」で中国語の発音を理解しているんですね。なので、中国語の発音を覚える時に、中国語に少しでも似た日本語の発音から入っていけば、少しは中国語に近い発音になると思うのです。このため、外国語学習に慣れていない一般の人が外国語を勉強するときに、カタカナ表記を使用してもいいんじゃないかと、私はカタカナ表記の使用を肯定的に考えています。既に日本語の発音体系で耳が固まっている大人に、いきなり外国語を聞いてそのまま真似しろといっても、かなり無理があります。母語の似た発音から外国語の発音に入っていった方が、まだその外国語に近い発音ができるわけです。ただし、発音体系が固まる前の10代前半までの子供と外国語学習の専門家は別です。この集団は外国語を聞かせると、日本語の発音体系を介在させずに、その外国語の発音を聞いたまま捉える可能性があります。
2016.01.19
原文を原文で理解する。たとえば英語なら英文を英語の頭で、日本語を介在させずに理解する。多分、プロの実務翻訳者(=翻訳会社経由で企業や公共機関などの翻訳を引き受ける人)は、少なくともこのレベルに達していなければならないだろう。でも大抵の日本人は、英語の構文や表現を理解するために中学時代や高校時代にやった英文和訳の方法で、英語を理解したつもりになってるんじゃないかな。つまり、中学生や高校生の英文和訳とは、1. 英語の単語を日本語の単語に置き換える。2. その置き換えた日本語の単語を日本語の文法に従い、日本語の文章を構成する。3. その構成した日本語で、原文の英語の意味を類推する。英語を理解させる目的で作成している日本の中学校や高校の英語の教科書は、この方法でも英文本来の意味を把握できるような英文を選んでいるが、実際にプロの翻訳者に依頼される英文は、この中学生や高校生の英文和訳方法が通用しないものが多い。中学生や高校生の英文和訳の方法では、前述の3の段階で類推した意味と英文本来の意味が、かなりズレることがある。1つ1つの英単語と日本語の単語の意味や使用法が、ほとんどの場合、完全には一致していないからだ。最初の英単語→最初の日本語の単語に置き換え(ここで意味や使用方法に誤差が発生)、次の英単語→次の日本語の単語(ここでも意味や使用方法に誤差が発生)・・・と1単語、1単語置き換えているうちに、全体として大きなズレが生じることがあるからだ。元々同じ言語だった英語とドイツ語では、意味や使用方法が一致する単語が多いが、日本語は英語と根本的に語源が違うので、英単語=日本語の単語の「1対1」の対応は、最近のカタカナ用語以外、まず無理だ。単語レベルの置換えでは意味不明で、英文全体で意味を理解しないと意味がわからないこともある。ところが、不況でここ数年間に翻訳業界に他業界から流入してきた翻訳者の中には、前述の中学生や高校生の英文和訳が正しい翻訳だと思っている偽翻訳者がかなり混じっている。彼らは英単語を1単語ずつ日本語の単語に置き換えて構成した日本語の文章(=直訳)から、英文本来の意味からズレた意味を類推して、そのズレた意味の方が正しい意味だと思っている。ある程度、英語の読解力があれば、たとえ自分で英文の意味を英語で理解できなくても、「日本語を介在させずに、英語を英語で理解して意味を把握し、微妙なニュアンスまで訳出した意訳」が、「この意訳、英文本来の意味を確実に捉えている」とわかるが、ほとんどの人はその水準にさえ達していない。(これがプロの水準に達していない偽翻訳者と呼ばれる理由である。)偽翻訳者は英文を英語で直接理解できず、「自分が作った直訳の日本語から類推した意味」が正しいと信じ込んでいる。不運にも(翻訳会社、クライアント、プロの翻訳者にとって)、偽翻訳者が低賃金を武器に翻訳の編集や品質管理を担当してしまった場合、「自分が直訳の日本語から類推した英文の意味」と「その英文本来の意味」が違うと、ほとんどの人が「あれ?(自分が直訳で把握した)意味と違う。なんでこんな訳になるの?この訳、おかしい」と、正しい意味の訳を自分が把握したズレた意味の誤訳に、ほぼ100%変更している。英文を理解できないので、「正しい意味」がわからないのだ。彼らは自分の低レベルがわからないほどの低レベルだ。逆に、あるレベルに達した人は、自分が低レベルであることを自覚できる。自分が低レベルであることを自覚している人は、それなりにレベルが高いと言える。不運なことに、最近偽翻訳者によるこの種の改悪が、かなり見られる。こういう「原文の意味を把握できず思い込みで直訳から原文の意味を想像する人」がプロの翻訳プロセスに参加すると、翻訳が滅茶苦茶になる。以前、「英日翻訳で英語力と日本語力ではどちらを重視するか」については、敢えて言うなら日本語を重視すると書いたことがあるが、英日翻訳でも、少なくとも英語を英語で把握できるだけの英語の読解力が、プロの翻訳者には必要だと最近実感している。プロとしてはTOEIC900点と英検1級は当たり前。しかも、英検1級やTOEIC900点はプロとして最低クリアしていなければならない出発点で、実際にプロの実務翻訳者で生き残るには、この水準を遥かに超えた水準が必要。英検1級スレスレの力だと、バイリンガルの外資系企業クライアントに叩き潰される可能性大なのだ。もし万が一英語で英文を理解できないのに、仕事でたまたま翻訳や通訳をする羽目に陥ってしまった人は、自分が日本語に置き換えて理解した意味が英文の根本的な意味と違う可能性があることを徹底的に自覚して取り組んだ方がいい。自覚していれば、いろいろ対策を立てるので、大恥をかかなくて済むかもしれないからだ。偽翻訳者による改悪の具体例については、また機会を改めて書こうと思う。(かなり凄まじい改悪です。笑)
2016.01.18
お風呂用の防水DVDプレイヤー(約1万円)を買ったので、お風呂で早速「山の郵便配達」を日本語の字幕付きで観ることにしました。日本語や英語は音声だけでわかるので、翻訳の仕事中にPCでBGMとして、日本語や英語の映画をかけっぱなしにしても、音声だけで理解できるけど(画面では翻訳ファイルを見ています)、中国語やフランス語の映画は、日本語の字幕がないと意味がわからないので、字幕を読む必要があるのでした。お風呂につかってじっくり一日の疲れを癒す私にとって、お風呂でDVD鑑賞をするのが最適。字幕をチラチラみながら、お風呂に入れるから。最近はお風呂で読める本も販売されていますが、DVDの方がてっとり早いと思います。皆様も、ぜひお試しあれ。
2015.02.01
これは最新ニュース。2015年の話です。---------先ほど1月31日(土)の午前中に、アマゾン中国から中国映画のDVDが届いた。ずっと欲しかった「山の郵便配達」のDVD。(中国語のタイトル「那山、那人、那狗」英語のタイトル「Postmen in the Mountains」。)1980年代の中国本土の山間部の話で、こつこつ徒歩でその全生涯を通じて郵便を配達していた老郵便配達人が引退し、いつも一緒に配達していた犬、そして後を継ぐ息子と一緒に最後の配達をする。父子が山々を3日かけて一緒に歩き、手紙や荷物を配達する。しみじみした父子愛の話。じっくり見せる。今回入手したこのDVD、何と中国語版なのに、日本語の吹替と日本語と英語の字幕付きなのだ。もちろん中国語の音声と中国語の字幕(簡体字と繁体字)も付いている。この映画は日本でかなり評判が高いにも関わらず、日本では廃盤に等しく、楽天ブックスでもアマゾンジャパンでも、レンタル店でも入手不可。ところが、この映画の中国版に日本語の吹替と字幕が入っていること、そして日本国内からアマゾン中国で買い物ができることを一昨日の1月29日(木)に知って、即日アマゾン中国でこの中国語版DVDを探して購入した。DVDが20元(アマゾン中国サイトは円表記だが、実際には元なので注意)で400円かからない。日本への送料はDVD1本あたり35元とDVD本体より高いが、それでも総計55元と送料込みで1000円前後の価格。日本でこのDVDは3000円を遥かに超えるので、格安の値段である。日本では、このDVDの中古にプレミアムをつけて6000円で売っている人もいる。アマゾン中国では映画の原作の書籍も20元で売っていたが、本の送料は1冊110元と本自体の値段に比べて高い。しかも、今のところ私には中国語の本をさっと読める中国語の読解力がないので、今回は断念した。不思議なのは、普通便はかなり時間がかかるはずなのに、木曜日の夕方に注文してから正味1日半の土曜日の午前中に、フェデックスと西濃運輸経由で届いた。配達予定は2月2日で、かなり速いと思っていたら、更に2日早く届いた。まるで直通航空便(請求料金が普通便の料金であることは、同梱の送り状で確認済み)。日本から香港に日本郵便経由で送ると、2週間近くかかるのに。アマゾンの配達は日本でも中国でも速い・・・中国でもアマゾンはアマゾンということか。(でも、ネット検索すると、アマゾン中国からなかなか購入物が届かないという人もいたので、ケースバイケースで違うかも。)実は中国語の勉強のために、日本国内の中国人の友人から、中国本土の映画無料視聴サイトを教えてもらって、この映画の中国語(簡体字)の字幕付きバージョンを入手していた。しかし、映像と中国語の字幕でおおよその察しはつくが、細かな意味がわからない。逐一画面を止めて中国語の字幕の意味を辞書で調べればいいのだが、その時間がないし、たとえあっても、できればてっとり早く学びたい。苦笑そこで、今回日本語の字幕も付いているDVDを購入した。日本語の字幕で一度映画を見て、何を話しているのかについてシーンごとに把握してから、中国語の字幕で映画を見れば、中国語の字幕を理解しやすい。この方法なら、てっとり早く中国語の音声と意味を覚えられるのだった。言語学習中の方は、是非お試しあれ。ポイントは、日本語(母語)で意味を理解してから、学習対象の音声と字幕を見て、音声と字幕を理解すること。この音声はこの文字でこの意味というふうに、なるべく音声と文字と意味を頭の中で結びつけながら。最近の中国映画のDVDには中国語の字幕が入っているものが多いので、中国語の学習に最適ですが、中国語学習用DVDを入手するのではなく、単に映画のDVDを安く購入したい人にとっても、アマゾン中国は有益かもしれません。この場合、日本語の音声や日本語字幕が入っていること、英語が日本語よりできる人は英語の字幕が入っていることを確認したうえで購入した方がよいかもしれません。ただし、詐欺行為で悪名高い中国本土との取引なので、アマゾン中国のアフィリエートではなく、たとえアマゾン中国自体と取引する場合でも、100%安全だとは言い切れませんが。
2015.02.01
「ウォーターシップダウンのうさぎたち」や「バンビ」など、英国や米国の子供向け物語って、自然界の弱肉強食や人間のエゴ優先といった真実を伝えてるなぁ・・・と時々思う。バンビでは、蛇に噛まれた人間を救うために鹿の肝が必要だからと母鹿は殺され、母鹿を殺した人間に育てられた小鹿(これも人間同士であれば、これはかなり残酷な仕打ち)のバンビも、成長して人間の作物を荒らすようになったからと最後には殺される。最初から最後まで人間優先主義を見せつける物語なのだ。これが自然なのだ、人間なのだと思い知らされる。それに対して日本はどうか。同じ高知出身だから悪く言いたくはないが、やなせ・たかし作詞の「手のひらを太陽に」というの曲、みんな生きているのはわかるが・・・仏教の宗教観で命は皆平等なのはわかるが・・・最後が何とも甘い。「手のひらを太陽にすかしてみれば、真っ赤に流れる僕の血潮。オケラだって、もぐらだって、アメンボだって、みんなみんな生きているんだ、友達なんだ~♫」友達だと思っているのは、霊長類のトップに君臨する人間だけで、オケラももぐらもアメンボも、生きているものは、ほとんどの場合、他の生物を友達とは思っていない。そう思って何かが自分に近づくのを許したが最期、とって食われるからだ。命は平等でも、生物間は友人ではない。だからこそ、異なる生物が仲良くするビデオがもてはやされる。普通ならありえないことだから。ある養蜂場が数年前に一般の子供から募集したカレンダーも同じ。ある小学生が書いた「ミツバチがクモの巣に捕らわれている絵とセリフ」が選ばれていた。そのセリフとは・・・「ミツバチさんを食べちゃだめ!」でも・・・クモに捉えた獲物を食べるなというのなら、クモは何を食べたらよいのだ?この子が、世界中の数え切れないクモに生き餌の代わりとして人工的な栄養物を与えることができるのか。できるわけがない。この子は何も考えず、「みんな仲良くしましょう」「みんな平等です」という人間界の倫理観を、弱肉強食の別世界で必死に生きているクモにまで当てはめたのだった。もし本当にクモが巣にかかった生き餌を食べなければ、クモは餓死してしまうのに。人から教えられたまま、それを盲目的に全てに当てはめる子。自分で深く考えることをせず、周りがほめてくれそうな「良いこと」を言って、得意満面でいい子ぶりっ子する子。いくら養蜂場とは言え、何も考えず、ある意味では「クモに餓死を勧めている」(笑)絵を選んだ大人も馬鹿である。昔「ウォーターシップダウンのうさぎ達」のDVDを見た直後にこのカレンダーを目にした私は、正直かなりうんざりした。現実認識のあまりの落差に、こんな子供やこんな大人が登場する日本は現実から目をそらして、いい子ぶりっ子してるだけじゃないだろうかという気がしてきた。いい子ぶりっ子していれば、自分が悪いという発想がないので、気持ちは楽だが、個人的には、自然の厳しさや人間のエゴを見せつけてくる西洋の話の方が、自然や人間の本質や自分自身を自覚できるので、まだ好感がもてる・・・*クックパッドに英国人ジョナサンさんが教えてくださったシェパード・パイのレシピを掲載しました。ピーターラビットのお父さんウサギが捕まってこのパイにされたとか・・・でも、美味しいパイでした。興味ある方は、日本で入手しやすい牛肉でお試しあれ。まぁ、牛肉でもウサギ肉でも、生き物を殺して食べることに変わりはないんだけど・・・シェパード・パイ
2015.01.09
イスラム・・・・主張と主張がぶつかった場合、どちらも自らが正しいと信じて戦った場合、勝つのはどちらがより正しい方ではない。勝つのは強い方だ。私は昔、発展途上国からの研修生を通訳・コーディネーターとしてお世話したことがある。研修員のために一生懸命頑張っていたら、研修員のサウジアラビア男性(イスラム教徒)から15番目の僕の妹(裕福な家出身の彼には母が4人、兄弟姉妹が14人いた)と言われて、可愛がってもらった。「アモーラ」(清楚/純潔/純粋という美)というアラビア名ももらったが、最近のイスラムにはついていけない。昨年穏健派のふりをして日本に入国したイスラム教徒が、仏像を何体か破壊する事件が起きた。イスラムでは偶像崇拝は罪だからだ。自分の宗教だけに偶像禁止を適用すればいいものをイスラム教徒は他宗教にもこれを押し付ける。あらゆる偶像を破壊することが正しいと心底信じているからだ。イスラム教徒はバーミヤンの仏像を破壊しておきながら、西洋諸国には他宗教を尊重して、イスラムのラマダン(断食の風習)も尊重してラマダン期間中はイスラムを攻撃するなと主張する。西洋のように多宗教が共存できる宗教に関係ない政治体制を良しとせず、イスラム教徒だけが良しとされるイスラム法を国法とする国を理想とする。ここまで他宗教や多彩な価値観を認めず、堂々と自宗教だけに有利に持っていこうとする宗教は他にない。イスラム教徒が米国を目の敵にするのは、米国がイスラエルを支えているからだけではないだろう。おそらく米国が多様な価値観を認めることを理想としているから、そしてその米国が自国よりも強く、自分達の理想であるイスラム教が支配する国を実現するのに邪魔だからだ。イスラム穏健派も、内心はイスラム過激派と同じだろう。例の世界貿易センターのテロ攻撃9.11の際、エジプトの穏健派イスラム教徒の一般市民が手を叩いて大喜びしている姿を見たが、あれが彼らの本心だと思う。穏健派は口では、テロはいけない、暴力はいけないと言いつつ、イスラムの理想実現にとって邪魔な強い米国をやっつけたイスラム過激派を心のどこかで応援しているのだ。米国無しでは日本はあっという間にイスラムに征服されそうだ。 1人の普通のイスラム教徒の仏像破壊さえ防げない。おそらく日本国内のキリスト教のイエス像やマリア像も標的になるだろう。日本国内のイスラム教徒の数が増えれば、憲法を改正(改悪?)されて、イスラム法が国法とされるだろう。フランスではそれを狙っていたかもしれないが、フランスではそうなる以前にイスラム過激派の事件が起きて、イスラムに対する国民感情が悪化し、今のところフランスのイスラム化は不可能になっている。仏教徒は異文化で比較的歓迎されるが、イスラム教徒は歓迎されない。これは、仏教徒は現地の文化や風習を尊重して現地に溶け込もうとするが、イスラム教徒は他文化や他宗教を尊重せず、自らのやり方をやり通し、逆に周りをイスラム化しようとするからだそうだ。ところで、哺乳類のオスの本能にはテリトリー争いがあり、自分より強いものを叩きたい、自分の方が強くなりたいという本能がある。これを日本より強い米国に対して発揮して米国を叩こうとしているとしか思えない日本人男性が時々いるが、現実を認識して、とりあえずこの本能や男の誇りは横に置いて、米国と一致協力はできないのだろうか。日本より米国の軍事力が強いのは周知の事実、日本は米国無しでは、日本と価値観が異なるイスラムに対抗できないのも、おそらく事実である。全世界をイスラム化するという理想に燃えるイスラムは、「日本には強大な軍事力がありません、日本は平和主義です、だから日本はこのまま見逃してください、日本をイスラム化しないでください・・・」と言って通用する相手ではないと思うが。イスラムの件では、これを利用して日本国内の政治争いによる叩き合いや潰し合い、責任転嫁もあるだろうが、イスラムに対しては、日本全体が一丸となって協力体制を敷くべきではないだろうか。日本人の中でも、既にイスラム教徒になっている日本人は、全国民にイスラム教徒になってほしくて、協力体制に反対するかもしれないが・・・
2015.01.08
(写真:1歳4ヶ月の頃の疾風)私がソファにいると、栗と疾風が横にいる。私がキッチンに移動して、ふと後ろを振り向くと、あれ? 栗と疾風が私の真後ろで寝ている。ふ~む。そこで、私がキッチンからソファに移動する時に後ろをチラリと見てみた。すると、栗坊と疾風がいそいそと私の後ろについて、一緒に移動しているのであった。「飼い主冥利」に尽きるね。
2015.01.07
私は毎日違うヨガのDVDを見ながら、ヨガをしている。今日は横になるポーズが多いヨガ。仰向けに寝っ転がってポーズをとっていると、んんん。何か髪の毛に触るものが・・・?視線を向けると、そこには同じく仰向けに寝っ転がった疾風の姿。疾風も仰向けになって、空中に前足と後ろ足を突き出し、ヨガをしているのだった。突き出した後ろ足をモコモコ上下に動かしていて、その可愛い「あんよ」が私の髪の毛に触れたのだった。次は、座って膝を抱えて丸くなり、足の両膝の間に頭を入れるポーズ。あれ? 左膝の間から、疾風の胴体が見える。私の真横に移動してきたのね。・・・と思っていると、膝の間から疾風の可愛い顔がにゅっと・・・・疾風は首を低く折り曲げて、私の膝の間に顔を突き出し、私の顔を覗き込んでいるのだった・・・まるで、「あ・・・お母さんの顔、ここにあった!良かった!」と言っているかのようだった。疾風、大丈夫、ヨガで顔は消えないってば。笑
2015.01.06
僕、猫の疾風(「はやて」って言う名前だけど、女の子だよ)。さっき飼い主がビデオ見ながら、床でモコモコ運動してた。ヨガっていうんだって。ふぅ~ん。 面白そう。「んじゃ、僕も!僕も一緒にヨガやる!」って、飼い主の真横で、僕もヨガをやってみた。まず、ぐぅ~んと背伸び。あ・・・これ、気持ちいいね!次は仰向けに寝て、前足を空中に突き出してくねくね。後ろ足も空中に向かって伸び~!お尻尾もパタパタ。お腹も伸ばしたり丸めたり、くねくね、くねくね。床をゴロゴロ、ゴロゴロ、綺麗に回転~!飼い主に言わせると、人間のヨガとかなり違うみたいだけど、僕、気にしない。これでも飼い主と一緒にヨガやってるつもり。それで十分。楽しいもん!ねぇ、飼い主と一緒にヨガするのって、とっても気持ちいいね!
2015.01.05
以下は2013年春の日記です。---------------------------------(写真は2015年2月4日に撮影した疾風(はやて))「ねっ、かまってくれる?」と、疾風がすりすり寄ってくる。疾風を抱っこしていて、ふと思った。この子と一緒にいられるのはあと何年かな。この子はもうすぐ2歳。でも、20年なんてすぐだろうなぁ・・シッポは、ロビンがいたころ2年半以上ロビンにいじめられて、胃炎を起こし、毎日吐いていた。ロビンがいなくなって、ほとんど吐かなくなったが、特に老化が激しい。腎臓が悪いわけでもないのに、毛並がパサパサ。ウチでは15歳を超えても、こんなに老化する猫は珍しい。おそらくウチに来たとき、既に4歳ではなく、もっと年をとっていたのだろう。シッポがウチに来てから、もう5年半以上経つ。もしかしたら、シッポはもう10代前半なのかな・・・栗を撫でていて、時々思う。栗と一緒にいられるのは、あと何年かな。栗はおそらくもう8歳。あと10年くらいしかないのかな。私よりも遥かに寿命の短い猫の子達。この一瞬を大切にしようと思った。ウチは長生きの家系だが、それでも、私もいつかあの世に旅立つときが来るだろう。そのとき、この子達との思い出を全部もっていこう。そう思ってる。
2015.01.04
2014年4月17日朝7時、さっきシッポが逝った。20日間の寝たきり闘病生活の後。享年10歳(推定)。この子は本当によく頑張った。私はこの20日間、枕元で眠るシッポの看病のために、ベッドに横になって翻訳をしていた。昔自分が病気だった頃に翻訳していたように。ウチの猫は具合が悪くなると、人間の枕元に寝かせて、目を離さないようにしている。猫エイズが発症したシッポはもう体が麻痺して動けず、お手洗いに行くことも自分で食べることもできなくなっていた。猫エイズが脳細胞の奥深く入り込み作動し、神経を麻痺させたのだ。サーシャとセイラの時はまず運動神経が麻痺し、次に視覚中枢が麻痺し、最後には呼吸中枢が麻痺して逝った。猫エイズにかかっている以外はどこも悪くなかったのに。シッポは幸いにも、口の運動神経と体内から体外へと排泄する神経はまだ機能していた。運動神経や自立神経が完全に麻痺したわけではない。そこで私は柔らかい缶詰や液体状のフェロビタを口に流し込み、垂れ流した汚物をすぐ取り除いて濡れた部分を拭き、シッポの身体全体が濡れないようにしていた。昨日午後3時頃、「私治りたい!治りたい!」とシッポが叫んでいるような気がした。不思議に思って、枕元の傍のシッポをよく見ると、意識がなかった。「なぜ!?」と思って、シッポを包んでいた猫用カシミアを取ってみると、便をしていた。便をして腹圧が狂ったのだ。数日前も便をしたとき、この子は意識を失いかけたが、何とかすぐ意識が戻っていた。今回は戻らなかった。そういえば、数年前20歳で逝った母の猫「シャトン」も、便をして腹圧が狂って意識不明に陥り、そのまま逝ったっけ・・・たったそれだけのことで逝ってしまうほど、あの子達の体は弱っていた。シッポは歩けず、お手洗いに行けなかったので、カシミアの中におむつ代わりにペットシーツを敷いて、ペットシーツごとカシミアで包んでいた。でないと、尿をしたときに、毛がびしょびしょになるのだ。20日間の闘病中、お腹が空いたり、喉が渇いたりすると、口をもぐもぐさせて、私に教えたシッポちゃん。北の国「福島」から来た寒がりのシッポちゃん。人間を嫌がらない野良猫で、サジさんに拾われ、ウチに里親制度で来たシッポちゃん。猫なのに猫嫌いで、他の猫と喧嘩ばかりしていたシッポちゃん。ロビンにいじめられて胃炎になったシッポちゃん。人間に触られるのも嫌いで、抱っこも嫌い。抱っこされるとグルグル文句ばっかり言ってたシッポちゃん。シッポにとっては、たった1つの自分の猫人生。もっと幸せにしてやりたかった。でも、最後の20日間だけは、カシミアに包まれて、とても暖かかったね。今もまだシッポの体は暖かい。*福島原発から20kmの所に住んでいたサジさんは、原発で極度のうつ状態に陥ったとのことで、シッポの死を未だに伝えていません。おそらくこの日記も読んでいらっしゃらないと思うので、掲載しました。執筆は2014年4月17日。
2015.01.03
(2014年の6月頃の日記です。)さっきアマゾン米国からCDとDVDが届いた。6月末の同時通訳の先生のお別れパーティ用のプレゼントとして、天使の声「アンドリュー・ジョンストン」のCDアルバム(One Voice)を買ったのだ。個人的にも最近は透き通った美しい声の歌ばかり聴いている。アンドリュー・ジョンストンとか、ヘイリー・ウェスティンラとか、ケルティック・ウーマンとか、エア・サプライとか。透明で心がなごむ天使の声。「この世の中、汚いことなんかありません」という感じの声。全てが浄化されそうな清純な声。ついでに米国アマゾンで、日本で発売していないCDやDVDも買った。ミュージカル・キャッツのDVD(CDは簡単に入手できるけど、DVDはなかなか入手できなかった)。エレイン・ペイジがグリザベラ役を演じているロンドン版。「オペラ座の怪人」の後続ミュージカル「ラブ・ネバー・ダイズ」のCD(シエラ・ボーゲスとラミンが歌っているもの)。日本で発売されている「ラブ・ネバー・ダイズ」のDVDは、主役がシエラとラミンじゃないみたいなのよね・・・シエラ初の個人ライブのCDアルバムも購入(ミュージカルの一部で歌っているのではなく、全編シエラの歌声)。シエラは発音と会話の流暢さから察して明らかに英語のネイティブだが、ネパール語で何回も「こんにちは」(ナマステ)と言っていたので、ネパール系米国人なのかも。歌は・・・うーん。かなりうまいけど、ライブより馴染みがある歌が多いミュージカルの方がいいな。しかも、ライブのトークに慣れていないみたいだった。ちなみに、ラミンはイラン系。クィーンのフレディ・マーキュリーもこの辺りの出身。この辺りの人は声量が生まれつき違うのかな。歌に天性の才能がある気がする。ところで、オペラ座の怪人というと、25周年記念でシエラがクリスティンを演じた後のアトラクションで、初演時にクリスティンを演じたサラ・ブライトマンが歌った時はショックだった。サラ・ブライトマンは全盛期の時代のCDを数枚持っていて、セリーヌ・ディオンやマライヤ・キャリーなんかと一緒に、仕事中のBGMとしてよく聴いているんだけど・・・(この3人の歌姫、何となく歌声や歌唱法が似てますよね。)25周年記念のサラは、高音のファルセット(裏声)のキーが外れるのだ。張り裂けんばかりに叫ぶ歌なので、「音が外れたかなきり声」という感じ。その直前のシエラの歌がかなり良かっただけに、サラの歌は聴いていてかなり辛かった。正直な話、聴くに堪えなかった・・・サラはもう50代後半。高音部の声をコントロールできなくなっている・・・そういえば、同じく美しい歌声のミシェル・ポルナレフも70代前後で、高音部に限らず、全般的に音程が安定しない。これも聴いていてかなり辛かった。何か悲しいな・・・と思いながら、今が全盛期のシエラとラミンの歌声を聴く。
2015.01.02
あけましておめでとうございます。筆不精でほとんど更新していないにも関わらず、アクセスがある模様。ありがとうございます。フェイスブック(FB)に掲載したものの中からいくつか選んで、今から次々にアップロードします。(猫関連の日記はFBでも見られますので、リアルタイムで猫日記をお読みになりたい方は、FBにお越し下さい。公開設定にしていますので、FBフレンドでなくても、どなたでもお読みになれます。)まずは2013年12月4日に行ったボンジョビのコンサート。2014年以前の日記は古すぎて、既に楽天ブログに掲載できなくなっているので、2015年元旦付でアップロードします。以下コピー貼り付けです。----------------------------------------いつもはDVDでいろいろなミュージシャンのコンサート録画を楽しんでいるが、そのミュージシャンが引退または死去(失礼!)する前に、一生に一度自分の目で見ておきたいコンサートがあった。それはスティングとエリック・クラプトンとボンジョビ。昨晩ボンジョビの東京公演が東京ドームであった。2階の結構良い席のチケットが間際まで売れ残っていたので買って行くことにした。(←つまり、ファンクラブに入ったり、アリーナの最前席を取るほどの熱狂的なファンではない。)風邪気味だったが、頑張って行った。オープニングは、光とサウンドの壮大で美しい乱舞。オープニングでボンジョビ曰く「今日はあまりしゃべらないことにするよ。 東京ドームのサウンド(音響)は、ここ20年間全然よくなってないからね。」そう言って笑っていた。(確か英語は・・・ "I won't do a lot of talking tonight, because the sound hasn't got any better here in the Tokyo Dome in the last 20 years." ・・・だった。)コンサートでも、彼の歌唱力はCDと同じ。実際には歌が下手でも、CD用に何回も撮り直して、CDだけはよく聞こえるシンガーも多いけど、この人のCDの歌は実力相応だったのね。こちらは風邪をひいていたので座っていたかったが、オープニングからほとんどの観客が総立ち。歌に合わせて、一斉に右手をリズミカルに振り上げている。最初からノッてるのだ。前の人も立ってる(つまり、自分も立たないと、ステージが見えない・・・)あ~。なので、風邪を無視して立つことに。中盤、前の人が座ったので、自分も座ると、なぜか2階席の詳細など見えないはずのボンジョビに「ほら、そこ立って、立って!」(Get them up! Get them up!)と言われ、また立つことに・・・よく見ると、ところどころ座っている人がいた。疲れたのね。何せボンジョビ(1962年3月生まれ)が「夜明けのランナウェイ(Runaway)」でデビューしてから、約30年が経っている。当初からのファンは、もう40代から50代なのだ。最近までヒット曲を出していたので、若いファンも来ていたが、年配の観客も結構いた。しかし、現在51歳にしては、身軽な彼。見た目も若い。未だに細身。真っ白な歯もキラキラ。笑。若い頃にありがちな「ブームに乗った変な装飾や虚飾」は捨てたけど、やはりスターは若くてハンサム/美人な方が人気が高いから、容姿には気を使ってるんだろうなぁ・・・とファンらしくないことを思いながら、熱狂的なファンと一緒に、彼らの歌を熱唱。(ノリがいいボンジョビの歌を仕事しながら時々聞いていたので、歌詞とメロディが意識下に叩き込まれていたらしく、熱狂的なファンと一緒に、ボンジョビの歌が歌えたのでした。歌えるとは思っていませんでしたが・・・)まっ、12000円の価値はあったわねと思いつつ、アンコールへ。アンコールでボンジョビは、また叫んでました。「携帯電話やデジタルカメラ持ってるんなら、取り出して撮れよ!思い出作れよ!」 ”Anyone who has a cell phone or a digital camera, take it out and turn it on! And make a memory!” ここ、「make your memory」だったかな?ちなみに、「turn it on」は、「電源を入れる」とか「作動させる」という意味です。この「turn ~ on」という慣用句は、文脈によっては「~をその気にさせる」という意味もあります。基本的にこの表現は、何かを「ON」状態にすることを指しているから。笑)サービス精神旺盛ね。お言葉に甘えて、しっかり撮りました。笑。画像は悪かったですが・・・交通手段は、地下鉄「後楽園駅」を使うと比較的込んでいないので、往復とも後楽園駅を使用して、さっさと帰宅。楽しい夕べでした。今度はエリック・クラプトンが2月に来日しますが、これも行くかも・・・でも、今度は間際までチケット残ってないだろうなぁ・・・(結局、行きませんでした。)ロンドンやブロードウェイのレ・ミゼラブルやオペラ座の怪人などの本場のミュージカルも直接観てみたい(いつもDVDで視聴)。日本版の出演者の方々はオペラ歌手並みの声量がなく、何とも物足りない。なので、爆発的声量で歌うロンドンやブロードウェイ版を直接観てみたいけど、来日公演ないだろうなぁ・・・こちらから海外に観に行くしかない。残念。以下はコンサートの写真
2015.01.01
昨日9月9日、日英・英日の同時通訳第一人者である井上久美先生が、乳がんで亡くなられました。ラクトリン久美の名で覚えていらっしゃる方も多いと思います。このブログに掲載した以下の話に、2人の通訳さんが登場しますが、アンヴィロモンの方のエピソードは、久美先生からお聞きしたものです。通訳の話お別れはご家族だけで行われるとのことです。久美先生のご冥福をお祈り申し上げます。
2014.09.10
皆様、お久しぶりです。お元気でしたか。突然ですが、明日5月25日(日)に東京都四谷の上智大学で、2014年ASF (上智大学オールソフィアンズの集い / All Sophians' Festival)が開催されます。1年に2回、5月と12月に上智大の在校生や出身者が集うフェスティバルです。語学劇、各種講演、チャリティバザー、国際色豊かな各国の模擬店、英語落語などのアトラクション、各学科の同窓会などが催されます。お近くの方は、上智出身者でなくても、是非いらっしゃってください。私も行ってみます。翌日の26日は私の誕生日ですし、何かいいことあるかも。笑午前中は11時頃から1号館101教室で英米滞在歴20年の「さしみさん」(ハンドルネーム)の英語落語を聞き、午後は上智外英の同窓会に参加する予定です。詳細はこちらでご覧ください。オールソフィアンの集い上智出身の方々、ソフィア会SNSにこのイベントの連絡ページ「私はどこ@ASF」が設定されています。多くのソフィアン(上智の在校生と出身者の総称)が、催し物やご自分が何時にどこにいるのかを記載しています。ソフィアンの方々、久しぶりに会ってみたい方がいたら、このイベント・ページでSNSのハンドルネームなどを検索して会って見られてはいかがでしょうか。楽天ブログ読者の方々、ご無沙汰していてごめんなさい。最近はフェイスブックに時々書いています。フェイスブックに発表していないものも、20エピソード以上書きためていますが、まだ楽天ブログには掲載していません。そのうちまとめて掲載しますね。皆様、お元気で。
2014.05.24
*アップロード数が多すぎて、全ての話を同じページに表示できないようです。ハーバード大や東大、北京大などの無料インターネット大学ネットワーク(MOOCs)の3話については、一覧をクリックしてお読みください。僕、猫の疾風(はやて)。僕って言ってるけど、実は女の子。人間のお母さんがね、お魚食べてた。ホッケで言うんだって。白身魚を焼いてレモン汁っていうのを垂らすと、美味しいんだって。とっても良い匂いがして、美味しそうだったから、「僕も!僕も食べる!」って、おねだりした。僕、お母さんの手の平に乗せてもらったお魚にバクって噛みついた。だって、お母さんが食べてるものだから、絶対変なもんじゃないもん。でも・・・あっちっちっ!熱いよ~、お母さ~ん!!何でこんなの食べられるの~?お母さんがどんなに勧めても、僕、もう二度と食べなかった・・・人間の母曰く、「疾風、猫舌だったのね・・・ごめん。」
2013.10.03
いつものようにテーブルの上を横切ろうとした栗。一瞬ぎょっとして立ち止まっていた。そう、テーブルの上一面に、ドライハーブにするために、ベランダで摘んだミント、青じそ、バジルの葉が、1枚1枚重ならないように並べられているのだ。「何だ、このいつもと違うものは・・・そういえば、 これ、さっき飼い主が大切に並べていたような気がするぞ。」・・・みたいなことを栗はきっと一瞬のうちに、あの可愛い小さな頭でパパパッと考えたに違いない。栗は一瞬たじろいた後、葉と葉の隙間に、前足や後ろ足を器用にそぅっと置いて、1枚1枚、葉を踏まないようにしながら、抜き足差し足で、見事にテーブルを渡っていった。決断が速いうえ、器用だね、栗坊。もしかして、君、頭の回転がかなり速い?野生動物みたいに、生き残るために、一瞬で「状況」と「取るべき行動」を判断するんだろうか。でも多分人間と暮らしたことがない猫は、こんなことしないだろうなぁ。人間と暮らしたことがない猫は、多分何も思わず、自分の通り道にある邪魔な物は、蹴散らして歩くだろう。人間が大切にしているものは、自分も大切にしよう。そう思ってくれたのかなぁ。栗、ありがとね。
2013.10.02
気をつけよう。虎やライオンを見て、「あ・・・可愛い!」と喜んで寄って行かないこと。多分、ほとんどの虎やライオンにとって自分は「食べ物」なのだ・・・
2013.10.01
バレエ・レッスンに行った。バー・レッスンはついていけるけど、センター・レッスンは、まだステップを覚えていないので、見よう見まね。なかなか難しい。身体だけは、数10年のブランクがあっても、「骨なしクラゲ」と言われるほど柔らかいんだけどね~。バレエは4歳から7歳まで3年間学んだだけだから、初心者のための入門クラスで、せっせと基本を覚えることにしま~す。でも、楽しかった。踊り、好きなのよね。
2013.09.30
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