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運命のいたずらか?三陽商会名古屋支店長の面接を終えて、内々定を頂き、市ヶ谷の三陽商会に出向いたが、結果的には、電報が届かず、不合格。東証一部上場東京スタイル自己資本比率75%のアパレル大手に合格しました。アパレル興亡(黒木亮著作)のモデル会社として、社名を変更して、物語りになっています。私の名前も、名前を変えて、登場してきます。物凄い会社でした。とにかく、とにかく、働け、働けという社風でした。昭和60年つくば万博時に、創業者羽富 正三と出会いました。もちろん、茨城県には、親戚は、誰もいない。そこからのスタートでした。ゼロから、人脈を広げていきました。ロコレディに転職したのが、昭和62年10月5日です。がむしゃらに、がんしゃらに働いて、働いて、働きました。平成元年5月に、妻と結婚をしました。養子縁組をして、この茨城県に骨を埋めることになりました。結婚が決定すると、父親方からの親戚から、猛反対がありました。「養子に行く。とんでもない。」という反対が出てきました。父方の親戚からは、結婚式にだれも出席しませんでした。母方の親戚だけが、結婚式参列してくれました。次回へ続きます。
2023.02.17
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高校3年生時です。担任の先生と父親と私の3人での進路相談会でした。佐藤先生から、「オイ、トシ坊~。愛知学院大学の推薦と駒沢大学仏教学部の推薦が出来るぞ。どうだ~、高校の先生をやらないか? できれば、駒沢大学へ行け~。 推薦入学できるぞ~」と言われました。ビックリしました。学校の先生なんて、考えたこともありませんでした。父親と帰りの車の中で、「としあき、東京へ行くなら、授業料は、出してやるが、生活費は、自分で稼げ。 毎月、仕送りは、2万円まで送るぞ。」と言われました。奨学金試験をいくつか受けていました。リクルート、コカコーラ、東京中日新聞の奨学金試験を受けようと考えていました。全て、一次は、レポート作成。全て、一次試験は、受かったのです。レポートを書く体験は、はじめて出した。2次試験は、新聞配達勤労奨学金試験だけが、受かりました。そして、大学受験のホテル宿泊も新聞社持ち、受験前日に、高熱が出て新聞社指定の病院で、治療して頂きました。もう、頭がガンガン痛む。何とか、何とか、試験を終えて名古屋へ戻りました。そして、大学は、最終的に東海大学政治経済学部政治学科地方行政過程募集は、30人に受かりました。そして、川崎市多摩区南武線の稲田堤駅付近の新聞販売所に配属が決まったのです。毎朝3時30分起床。夕刊も、集金も、販売拡張営業活動を大学に通いながら、仕事をしていました。給料は、毎月42,000円部屋代は、無料。朝晩は、販売所で食事付きでした。6畳一間。トイレは、協働。風呂無しの新聞配達所の寮アパートに入りました。次回へと続きます。
2023.02.07
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「美味しいコロッケ ありがとう。」キッチンカーは、もはや令和時代の駄菓子屋」「屋台のおでん」「紙芝居屋」なのでしょうか?コロッケのころっ家を始めてから、様々な場所で、様々な方々に声をかけられるシーンが増えました。ある寒い日に、コロッケのキッチン販売を行っていました。夕方時です。ある主婦(推定70歳代半ば?)が「ねぇ~、あなた降りてきてくれる~???」とキッチンカーいるスタッフに声をかけてきました。私も、近くに居たので、「クレームなのかなぁ~」と思い、近くまで。するともうびっくりなことがあったのです。「美味しいコロッケを提供してくれて、ありがとう。また、おもてなしが素晴らしいです。感動しました。私は16年前に、主人を亡くしましたが、主人用に買った「温かいひざ掛けと温かな座右布団をどこにしまったのか?しばらく見つからなくなった。でも、つい先日押し入れから、出てきたのよ。少し古いけど、新品同様です。寒い中の仕事ですから、どうぞ、使って下さい。もし迷惑なら、断ってくださっても、良いですヨ」と言われました。涙を流しながら、何度も、何度も、お礼を述べるスタッフと私。ご主人様の想い出も、たくさん聞かせて頂きました。「息子も、孫ももう大きくなりました。まるで、息子のようなあなたです。引き続き、美味しいコロッケを地域の皆さんにご案内してくだい」と言って、帰宅されました。心の豊かさの時代、心の温もりの時代をつくづく感じる一日でした。まだまだ寒い日が続きます。お身体ご自愛くださいませ。失礼ながらも、お客様のことを家族一員として考えています。
2023.02.02
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