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May 6, 2008
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 名残惜しくも、生きた歴史の証人、卓越した知識人であったと思われる「ぢぢ」さまはネットから消えてしまわれました。


 多分、話すだけのことは話した。後は、自分たちで考えて行動しなさい。というお気持ちだったのでしょう。ここにある発言がぢぢさまとしては最後の投稿となります。




19 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日: 2000/10/21(土) 00:54

>>16
さてさて、徴兵された者以外は、士官学校卒だと信じておるのか。
どこから説明すればよいのぢゃ。

そもそも、士官はすべて士官学校卒だとでも思っておるのかの。
志願兵制度についても知らんのかの。
困ったのう。


は今でいえば甲子園に出場して東大野球部をめざすのと同じくらい大
変なことでの、鮮人の士官学校出はおったぢゃろうが、数は多くはな
いぞ。

また、大学や専門学校などから志願した者は、幹部候補生を経て、士
官となる途があったが、軍隊の中では幹候と士官学校出では大きな違
いがあったのぢゃ。

多くは、兵卒として志願したのぢゃが、これとても大変な難関での、
競争は激しかったのぢゃ。まして、航空兵などともなれば、すぐにも
下士官になれるエリートコースであったからの。

そうでない、一般の兵卒は捕虜収容所などに配置されての、正直なと
ころ、前線の戦闘部隊では鮮人の兵士は多くはなかったのぢゃ。





>>20
>テ事は下働きですか

輜重兵を下働きというのは、ちと言い過ぎぢゃと思うがの。
たしかに、戦闘部隊の歩兵、砲兵などからは「輜重兵が兵隊ならば、蝶々
トンボも鳥のうち」などと揶揄されてはおったが。


兵站というのは、軍にとって大切な任務ではあるのぢゃ。
旧軍では、兵站を担当する部隊、兵士を輜重と呼んでの、捕虜収容所の運
営も輜重部隊の管轄ぢゃて。

そうそう、そもそも洪思翊中将はその輜重部隊の親玉ぢゃったで、戦犯に
指定されてしまったのぢゃ。これはある意味でとばっちりぢゃの。

ぢゃがの、鮮人兵士の多くが輜重部隊に配属されたには、訳があっての、
単に差別されていたというようなことではないのぢゃよ。

また、大きな声ではいえんが、旧軍の古兵や下士官、人によっては士官も
含めて、すぐにビンタを飛ばす暴力的な風潮があっての、もちろん個人差
はあるが、立派な帝国軍人たろうとする半島出身者は余計にその風潮が強
い傾向があったことも否定できんのぢゃ。

BC級戦犯に指定された兵や下士官は、監督責任ではなく、暴力行為や虐
待の実行行為を特定されて裁かれておるのぢゃよ。


25 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日: 2000/10/21(土) 02:22

>>24
>訳とはなんでしょう。
お若い方には、旧軍の仕組みについての知識は無いものと考えたほうが
よいぢゃろうの。

日本軍の戦闘部隊の根幹をなすのは、歩兵連隊、砲兵連隊なのぢゃ。新
兵が入営して、内務班で生活を共にし、訓練を受け、連隊旗のもとに命
令があれば全滅するまで戦うという、生死を共にする集団が形成された
のぢゃよ。

それが良いか悪いかなどというのは、戦後の価値判断での、戦前・戦中
は連隊の名誉のために命を懸ける兵士というのは当たり前の存在であっ
たのぢゃ。

そしてな、連隊というのは地域ごとに編成され、大阪8連隊、京都9連
隊というように、都市の名をかぶせて同郷の出身兵士によって構成され
ておっての、旧軍はこの原則を最後までくずそうとはせなんだ。

つまり、連隊は郷土の名誉も担っているという形で、それぞれその精強
さを競うようになっていたのぢゃ。この連隊を単位として旅団、師団な
どが編成されておった。

出身地の異なる少数の半島出身兵士には、航空兵などの特殊兵科を除け
ば、編入する先の連隊がなかったのぢゃ。このために、輜重部隊といっ
た後方部隊や補助部隊への配属が多くなったのぢゃよ。


83 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日: 2000/11/01(水) 21:08

>>78
はての、なにが知りたいのぢゃな。
何度もいうとるが、わしはただの老いぼれぢゃよ。軍から見れば
一介の地方人ぢゃて、帝国陸海軍の内情など、当時ならば誰もが
常識として知っておったような、とおりいっべんのことしか知ら
んのぢゃ。

ま、当時は誰もが知っておったことでも、戦後になってからは、
あれもこれもなかったことになっておる話は、たしかにあるでの、
そんな話でもすればよいのかの。

ただの、最初に言うておくが、大日本帝国はとことこんまで負け
たのじゃよ。これだけは忘れてはならぬぞ。

「勝てば官軍、負ければ賊軍」ということわざを知らんかの。

しょせん、戦争に正義などありはせんよ。いまさら、あれは正義
の戦いであったなどと主張しても、それは負け犬の遠吠えという
ものぢゃ。

さて、たしか、昭和18年も終わり頃に東京で大東亜会議という
のが開かれたと記憶しておるの。

チャンドラ・ボースのインド独立亡命政府も参加しておったな。
ほかには、南京政府の汪兆銘や満州国の代表、フィリピンやタイ
それからビルマの代表も参加しておったかの。

日本軍に投降したインド独立派の兵士は、ボースに指導されて、
インド国民軍というのを作って戦闘に参加したはづぢゃ。



84 名前: つづきぢゃ 投稿日: 2000/11/01(水) 21:10

しかしの、お若い方には理解しにくいかもしれんが、戦前に亜細
亜の独立国といえば、日本のほかにはあまり実のある独立国はな
かったのぢゃよ。

タイが戦前からの独立国であったが、列強の力関係の中で綱渡り
のように名目的な独立を保っていたにすぎんでの。

支那とて、租界やらなにやらで半植民地状態であったのぢゃ。
それに、支那の国民党軍はそれなりの戦力を持っておったが、日
本と協調して南京政府をつくった汪兆銘は、結局、国民党軍の協
力を取り付ける事ができなんだでの。

ぢゃから、日本人は前の大戦、当時は大東亜戦争と呼んでおった
が、これが、追い詰められて起こした戦争とはいえ、白人支配の
世の中を変える戦争であるとは、認識しておったが、亜細亜の同
盟軍といっても、傾きかけた戦局に影響のあるような戦力を持っ
た独立国があったわけではないぢゃ。

みな、亜細亜の諸民族の連帯だのという建て前や精神面はともか
く、実際の戦力として、あてにしてはおらなんだよ。

それとな、台湾の熟蛮の兵士ぢゃが、これは同盟軍などではなく、
帝国陸軍、日本軍の兵士ぢゃよ。
たしか、台北と台南に現地人の歩兵連隊があったはづぢゃ。
(熟蛮=じゅくばん=台湾総督府の施政方針に順応した原住民のこと)

もともとは、通常の歩兵連隊とは別枠の治安維持用の連隊で、台
湾歩兵と呼ばれておったが、先の大戦では南方に出征したぢゃろ。



85 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日: 2000/11/01(水) 21:11

>>79
残念ぢゃが、それについては知らんの。

そのお方のことも知らんが、そもそも航空兵を志願するような半
島出身者であれば、日本風の氏名を名乗っておったことぢゃろう
し、当時の日本風の氏名は通称ではなく本名ぢゃでな、区別はつ
かんよ。

話題になったのは、戦後も親日派が糾弾されるような時代になっ
てから親族(親御さんやご兄弟ではなかったの)に遺品を引き渡
す段になって、韓国政府が介入して拒否した例があるくらいぢゃ
の。

両親が存命であれば、戦時中か戦後まもなくにそっと引き取った
であろうから、表に出ることもなかったろうて。


80 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2000/11/01(水) 20:22

私のおじさんは高射砲兵になるといって帝国陸軍に志願したそうですが、
内実は特攻隊員にまわされると言ったことが噂され、父によって逃がされ
たそうです。
当時そのように戦争に帝国臣民として協力するのはしょうがないと思いますが、
いまだに朝鮮、韓国人を見てチョンとか言っているのを聞くと、なんだか
差別って消えていないのねと思います、まぁいいけど、慣れっこですから。






86 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日: 2000/11/01(水) 21:13

>>80
まったくもって、けしからんことぢゃの。

ぢぢが謝って気の済むことであれば、幾重にも謝ろう。

まことに、あいすまぬことぢゃ。





93 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日: 2000/11/01(水) 22:05

>>90
ふぉ、ふぉ、ふぉ。
まことに礼儀正しいお人ぢゃの。
ぢゃが、そんなに堅苦しくなることもあるまいて。

>あの当時南方の島々まで、戦線を広げるメリットがなにかあったのでしょうか。
はて、ABCD包囲陣というのをご存知ないか。

日本が戦争にまで追い詰められたのは、石油の禁輸によるのぢゃ。
石油が欲しかったのぢゃよ。

それと、ゴムやポーキサイトの戦略物資を押さえたのぢゃ。

当時、日本本土や台湾、朝鮮、南洋諸島、日本が勢力圏としていた
満州や支那では石油が採れなかったのぢゃ。

満州で石油が発見されたのは、戦後もずいぶんと経ってからのこと
ぢゃでの。

>私の義父は、海軍でしたが乗る軍艦もなくなり陸戦隊に配属され、ニュウギニア
なんとなんと、大変な目におうたことぢゃろうて。
いやいや、ご苦労様なことぢゃ。しかし、生きて復員されたのであれば
不幸中の幸いということぢゃの。



 以上、長々とありがとうございました。


 詳しく対話の様子をごらんになりたい方は 大日本史 をご覧ください。ぢぢさまの証言を裏付ける資料も集められているようです。








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最終更新日  May 6, 2008 11:30:23 AM
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