ワルディーの京都案内

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2026/06/19
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テーマ: 鉄道(27155)
カテゴリ: 京都市の鉄道史
京都市の鉄道史
~その9~


9.私鉄電車の興隆(続き)
2)阪急電鉄
① 箕面有馬電気軌道

 阪鶴鉄道の国有化について前述したが、阪鶴鉄道には申請しながら国有化されなかった池田/豊中/十三/大阪の路線があった。これを利用すべく、明治40年10月に箕面有馬電気軌道が設立された。これが、阪急電鉄の前身である。明治43年3月、現在の宝塚本線・箕面線にあたる梅田駅/宝塚駅間、石橋駅(現・石橋阪大前)/箕面駅間を開業した。
 実質的な創業者は三井銀行から阪鶴鉄道に入り、阪鶴鉄道国有化後、その清算人となった小林一三(いちぞう)であった。路線は郊外の田園地帯を走り、通常の乗客数は少ないと予想されたため、小林は過密化や工場の公害で住環境が悪化している大阪都心部に住むより、郊外の自然豊かな自社沿線に住宅を建てて住み、電車で都心へと通うのが理想的だと宣伝し、沿線開発に力を入れた。明治43年6月には、日本初の住宅ローンを活用した戸建て住宅の分譲販売も行った。また、明治44年5月に宝塚新温泉(後の宝塚ファミリーランド)を開業、大正2年7月には宝塚唱歌隊(現・宝塚歌劇団)を結成するなどレジャー事業による集客にも力を入れた。後には、大正9年11月に梅田に阪急ビル(旧館)を建て、食堂を開業し、大正14年6月には、同ビルに直営マーケット(阪急百貨店の前身)も開業している。小林は現在では当たり前になっている鉄道会社が沿線開発を行って、自ら鉄道需要の創出を行うという私鉄ビジネスモデルの基礎を作り上げたという点で特筆される。

② 阪神急行電鉄・・・・阪急京都線は京阪電鉄の路線だった!!
 大正7年2月、箕面有馬電気軌道は社名を阪神急行電鉄に改称。この社名には「京」の字が入っていないことに注目したい。もともとは、京都方面に進出する計画はなかったと思われる。現在阪急路線になっているが、過去はそうではなかった路線もあり、以下に、どの会社(特に京阪)がどの路線を開業したかも含め記述する。
・明治40年8月 阪鶴鉄道、鉄道国有法で国有化。池田/豊中/十三/大阪の免許は国有化されず
・明治40年6月 箕面有馬電気軌道 設立
・明治43年3月 箕面有馬電気軌道 梅田/宝塚間 石橋/箕面間開業
・明治43年5月 京阪電気鉄道(以下、京阪) 天満橋/五条間開業
・大正2年6月 京阪 中書島/宇治間 開業

・大正7年2月 箕面有馬電気軌道は社名を阪神急行電鉄に改称
・同年年11月 北大阪電気鉄道設立
・大正9年7月 阪神急行電鉄が神戸本線十三/神戸(後の上筒井)、伊丹線塚口/伊丹間を開業
・大正10年4月 北大阪電気鉄道が十三/淡路/豊津間(現阪急京都本線・千里線の一部)を開業
・同年9月 阪神急行電鉄が西宝線(現・今津線の一部)宝塚/西宮北口間を開業。
・同年10月 北大阪電気鉄道が豊津/千里山間を開業。
この時点での阪神急行電鉄・京阪・北大阪電気鉄道の路線図を図②-1に示す。


 大正10年時点で、淀川右岸(西岸)には、国有鉄道は走っているが、図②-1に示すように、まだ私鉄は走っていない。この淀川右岸を利用して、大阪/京都を結ぶ路線を敷設することを目論んだのが京阪である。
・大正11年6月 京阪が淀川右岸での大阪/京都間路線を敷設・営業するための子会社として新京
 阪鉄道を設立(以下、新京阪)
・大正12年4月 北大阪電気鉄道が新京阪に鉄道事業を譲渡

・同年5月 京阪京津線の札ノ辻駅/浜大津駅間が開通し、京津線全通
・大正14年10月 新京阪が天神橋(現・天神橋筋六丁目)/淡路間を開業
・大正15年12月 阪神急行電鉄が西宮北口/今津間を開業。西宝線が全通。今津線と改称
・昭和3年1月 新京阪が淡路/高槻町(現・高槻市)間を開業
・同年11月 新京阪が高槻町/京都西院(現・西院)を開業。第二京阪線ともいえる路線を実現。

この時点での阪神急行電鉄・京阪・新京阪の路線図を図②-2に示す。


 昭和4年米国を発端にして起こった世界恐慌が日本にも波及し、昭和恐慌が起こり、人口稀薄地域を走る新京阪は経営状況が急速に悪化した。
・昭和5年9月 京阪は再編のため、新京阪を合弁
・昭和6年3月 京阪が西院/京阪京都(現・大宮)間開業。関西初の地下鉄
・昭和11年4月 京阪神急行が神戸本線西灘(現・王子公園)/神戸(現・神戸三宮)間を開通さ
 せ、神戸本線全通
この時点での、阪神急行電鉄と京阪の路線図を図2-③に示す。


③ 京阪神急行電鉄⇒阪急電鉄
 乱立する鉄道・バス事業者の整理統合促進のために、昭和13年8月に陸上交通事業調整法が施行された。これにより、戦時下の昭和18年10月、阪神急行電鉄は京阪電鉄と合弁し、合弁会社の名称を京阪神急行電鉄(株)とした。また、昭和20年5月、 京阪神急行電鉄が交野電気鉄道を合併した。この時点で、図③-1のような路線図になったのである。


 戦後の昭和24年、京阪神急行電鉄の旧京阪側は、京阪神急行電鉄からの分離・独立に舵を切り始め、合弁の前の状態に戻すことを主張した。これに対し、旧阪神急行側は、昭和19年から開始された旧・新京阪線の旧・阪神急行電鉄阪急梅田駅への乗り入れ実績を踏まえ、旧・新京阪路線を阪急側の所属とすることを主張した。旧阪急側の役員の頭数の方が多かったこともあり、京阪神地域の将来を見据え、京・阪・神の一社による円滑な接続という考え方から、旧・新京阪路線は阪神急行電鉄側へ割譲されることになり、昭和24年12月、京阪電気鉄道は分離独立した。旧・新京阪線は、京阪神急行電鉄京都本線・嵐山線・千里線となった。すなわち、現阪急京都本線・嵐山線・千里線の大部分は、もともとは京阪グループが敷設した路線なのである。
・昭和38年6月 京都本線大宮/河原町間延伸開業。
・昭和48年4月 阪急電鉄(株)に商号変更。
図③-2に昭和48年4月時点の阪急電鉄・京阪の路線図を示す。


④ 阪急嵐山線は戦前は複線だった
 右の写真は阪急嵐山線の先頭車両から筆者が撮影した写真である。嵐山線は現在は単線であるが、戦前までは複線だった。戦時下の金属供出で単線化されたが、戦後も輸送能力に不足をきたすことがなかったので、単線のまま運行されている。写真を見ると分かるように、複線の名残で、路盤や架線柱は複線分の幅がある。橋台や橋桁が複線分の幅のままで、残っている部分もある。


⑤ 新幹線の線路を走った最初の営業列車は、阪急電車 
 東海道新幹線の線路を走った最初の営業列車は、新幹線の列車ではなく、阪急電車の列車だったいうエピソードである。テレビ番組で取り上げられることもあり、ご存知の方も多いと思う。
 東海道新幹線と阪急電車が、図⑤-1の写真のように並走する区間がある。図⑤-2に示す京都本線の大山崎/上牧間である。


 新幹線は高架で建設されることになったが、この高架化工事により、並走する阪急線が地盤沈下する恐れがあることが分かり、阪急線も高架化することになった。昭和38年4月から12月の間、先に完成していた東海道新幹線の高架線路を阪急線工事中の仮線として用いて、仮設の駅ホームを設置して暫定的に阪急の車両を走らせていた。






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最終更新日  2026/06/21 04:25:33 PM
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