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映画ちいかわ 人魚の島のひみつ 大ヒット上映中。ひょっとしたら鬼滅の刃をも超えるかもしれないとも言われています。そして、案の定小さなお子さんやその親御さんを地獄に突き落としているようです。映画のラストシーンを観た子供が親御さんに「今のどういう意味?」と、聞いて親御さんの顔が引きつる、帰り道は通夜のようになる事例が多発しているらしい・・・・・まぁ、想定の範囲内ではありますが・・・・・( ̄▽ ̄;)かくいうワタシも映画を見終わってもモヤモヤ感がぬぐえないのでいろいろネットを徘徊していたら面白い記事を見かけました。それは島二郎についてです。島二郎は今回の映画初出のキャラクターでちいかわ達主人公を助けてくれる重要キャラです。島二郎がいなければこの映画は成立しないほどです。その特徴を言うと、強いだけじゃなくて多才、そして恐るべき優しさという感じです。原作で登場した時からこの島二郎の正体について考察がなされていてワタシ的にもかなり納得感があったので紹介します。島二郎の正体は「ポセイドン」というものです。ポセイドンはギリシャ神話の海の神です。兄に冥界の神「ハーデス」、弟に天界の神「ゼウス」つまり二男です。島二郎の二郎から連想されるように二男です。画像はAIに作らせたポセイドン風の島二郎(笑)島二郎の元ネタがポセイドンとするならばその強さや優しさ等納得行きます。もちろん、ポセイドンの能力があればセイレーンなんて敵じゃないような気もしますがそこは神という立場上片方だけに肩入れして一方的に罰しないという感じなのかな?と、思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ところが、面白い話があります。今回の「映画ちいかわ 人魚の島のひみつ」には もう一つの話があるというものです。この話の根拠には原作者ナガノ氏のX(旧Twitter)の投稿です。ご存じの通りちいかわはナガノ氏がXで投稿した1ページ漫画が原作です。ちいかわの原作以外にもイラストやナガノ氏の日常を描いた物も多数あります。そして、今回、映画公開前にX上でナガノ氏によるカウントダウンが始まりました。もちろん書き下ろしイラストです。ここで映画を観た方なら違和感を覚えるかもしれません。島二郎のスタイルが違うのです。島二郎は全裸に前掛けというスタイルなのですがイラストの島二郎は島の島民と同じスタイルです。島二郎は島の住民に知られる事なく生活していたという設定なのでこのスタイルは違和感があります。もちろん映画でもこのスタイルはありません。そして、映画にはない島二郎の敗北シーン。あくまで推測になりますがこのシーンはナガノ氏の考案したもう一つのストーリーではないかと思われます。もしくはif話、パラレルワールドと解釈しても良いかもしれません。映画ではちいかわの発案で激辛カレーで敵セイレーンの歌を抑えるという流れで島二郎が前掛けから取り出したキャロライナ・リーパーを加え敵を撃退する描写があります。ちなみにキャロライナ・リーパーはタバスコの数百倍という驚異的な辛さの世界一辛い唐辛子だそうです。ところが、前掛けのない島二郎だと、このキャロライナ・リーパーを出すシーンがなく当然、敵に敗北するという流れになります。これがもしも話の分岐点です。敗北した島二郎は捉えられ絶体絶命の大ピンチになると予想されます。ところが、最後に謎のキャラとちいかわが船の上で楽しそうな雰囲気のイラストが投稿されました。原作を知らない方はわからないかもしれませんがこれはハチワレのキメラ化です。ちいかわの世界では住人が突然モンスターと化すキメラ化という現象があります。キメラ化するプロセスははっきりしませんが、意志が関係しているという話もあります。元々、強さにあこがれているハチワレは特にキメラ化するのではという憶測が飛び交っていました。上記は、現実ではなくちいかわの意識内に入り込んだハチワレなのですがキメラ化してその強さに溺れるという描写があります。キメラ化すると強くなるだけではなく、元の心を失うのです。映画上映前のイラストで唐突にこのキメラ化ハチワレが登場したというのはどう考えると良いのでしょうか?映画で島二郎が敗北、捕らわれる。最強の味方を失い絶体絶命。島の住民や主人公側の仲間も〇される。ちいかわの物語を読んでる方ならお分かりでしょうがハチワレが大切にしているものは物じゃありません。それは友達です。もしも、ですが、この別なストーリーで島二郎が敗北して、ハチワレの大切な友達が〇されるという展開が起こったとしたらハチワレは怒りでキメラ化してもおかしくありません。(ドラゴンボールで孫悟空がスーパーサイヤ人に覚醒したように)キメラ化したハチワレにとってセイレーンはもはや敵ではなく文字通り、簡単に殲滅した事でしょう。そして、何事もなく船で島を離れる二人キメラ化したハチワレに元の記憶はなく敵を打倒して楽し気ですがその横にいるちいかわは笑顔ながらも一番大切な友達を失った悲しみで一杯そして、エンディング。映画の劇中、島民と焚火を囲んで「今日の日はさようなら」を歌うシーンがあります。いつまでも 絶えることなく友達でいよう明日の日を夢みて希望の道を空を飛ぶ 鳥のように自由に生きる今日の日はさようならまたあう日まで信じあう よろこびを大切にしよう今日の日はさようならまたあう日までこの歌は映画のキーパーソンである一葉と二葉の事を歌った曲ではあるが同時に、ちいかわとハチワレの事を歌った曲でもある。大切な友達が〇され、怪物になって心を失ってもなお友達でい続ける事ができるのか?と、いう悶絶するほどの重い問いを突き付けてくるのである。・・・・・・・・・・・・・・・・・・と、いう感じで、ナガノ氏の考えるもう一つの話恐ろしいほとえげつないのであるが原作をよく読んでる方ならこう思うでしょう。あいつならやりかねん。ワタシも同感です。猟奇的に心をえぐってくるのがナガノ氏なのです。恐らくですが、これだけちいかわがヒットして社会現象ともなるとナガノ氏は自分のやりたい放題はできないと思います。(鳥山明氏がドラゴンボールを止めたくても止めれなかったのと同じで 規模が大きくなり過ぎると何万人もの雇用に関わってくるからです。)なので、ハチワレのキメラ化は匂わしても実際はやらないと思います。そこで、ナガノ氏はストレス発散であのようなイラストを投稿してくるのだと思います。そう考えると、映画のラストシーン。ずいぶんと真面で安全で無難な終わり方だったように思います。
2026.07.30
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ひっさしぶりに映画館に行ってきました。タイトルは映画ちいかわ 人魚の島のひみつもう最初に言っておきますがこの映画、近年のアニメ映画では最高傑作ではなかろうかと思います。これ以上、語る事はありません。終わり!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と、いうわけにもいかないか・・・(笑)まだ観ていない方も多いと思いますのでなるべくネタバレしない程度に語っていきたいと思います。まず、ちいかわという作品。元々は、ナガノ氏がX(旧twitter)で発表した4コマ漫画です。徐々に人気が出て書籍化、そしてアニメ化もされて最近の大ブームにつながっていきます。ちいかわという言葉は主人公の名前なのですがちいさくて可愛いやつという意味だそうです。最近、ちいかわが大ブームとなっていてスーパーやコンビニ等でちいかわ商品を見ない事がないほどちいかわ商品が溢れていてもはや社会現象と化しているほどです。ただ、原作漫画を読んでいない方や、アニメ作品をちょろっとしか見ていない方はちいかわを、まるでハローキティやミッキーマウスのようなイメージで捉えているフシがあります。ちいかわが可愛いそうです。ただ、これはちいかわを表面的にしか捉えていないとしか言わざるを得ません。ちいかわは基本的に残酷でえげつない物語なのです。この辺は昔のブログにも書きました。「ちいかわ」という闇の深い作品https://plaza.rakuten.co.jp/saisuke/diary/202302220000/そんなちいかわがついに映画なると聞いた時にワタシは非常に複雑な思いでした。なぜなら映画の元になるのは原作の「島編」と呼ばれる話だったのです。この島編は闇の深い原作の中でも屈指のトラウマ級の内容で原作を読んでいた当時でも、さすがにこれはアニメ化できんだろう!と、思っていました。ですので、映画化決定の報に顎が外れそうになったのはワタシだけではないでしょう。この原作がそのまま映画化できるハズがない。映画化したとすれば不都合な部分はカット、もしくは改変されて骨抜きになる事は目に見えていました。アニメ版ちいかわでも、視聴者の配慮のためか飲酒シーンはかなり改変されていました。(最近は解禁になってるっぽい)なので、映画化するなら最低でも【PG12】小学生の観覧には、親又は保護者の助言・指導が必要。できれば【R15+】15歳以上が観覧可能(15歳未満は観覧禁止)が望ましいと思います。しかし、年齢制限をかけると興行収入が減るのは当然なので、多くの配慮と忖度して【 G 】年齢無制限にしてくるという予想でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そして、発表された映画観覧年齢制限は【 G 】ああ、終わったな。映画ちいかわは骨抜きにされてただの可愛いアニメ映画になってしまった。本日、映画を見るまでそう思っていました。ところが・・・・・・・ワタシの予想は大きく覆されたのです。ワタシは映画製作スタッフの執念を感じる事になりました。原作漫画の映画化に際に原作者は原作とだけテロップされるのが普通です。つまり、原作者は映画化の許可だけ出して映画製作は丸投げするのがほとんどところが、映画ちいかわはナガノ氏の名前が原作・脚本としてテロップされているのです。これは原作者が映画製作にもかなり関与しているという事です。そして、映画の内容にも驚愕しました。一切の忖度なし!もっというと、一切の容赦がありませんでした。それどころか、映画の大スクリーン、美しい映像、透き通るような歌声等原作漫画では感じられないような臨場感でした。原作のエグいシーンもそのまんまです。普通、こういう絵柄で子供向けのアニメや映画は悪が出てきて、正義の主人公が悪を倒してめでたしめでたしとなる展開が多いのですが映画ちいかわはまるで違います。映画を見ても何が正義で何が悪なのかわからない何が正しくて何が間違っているのかわからない映画の中で正解というものが示されずに見終わってもモヤモヤするのです。こんな映画を小学生とかに見せて良いものか?とても疑問なのですが映画関係者はやっちゃいましたね。多分、映画をみた子供はトラウマになるかもしれません。ただ、多少の配慮はあって、何の知識もない小学生が何も考えずにこの映画を見たら「悪い敵を仲間達で力を合わせて倒した」いわゆる王道映画のように見えるようにつくってあるのでそれだけが救いかもしれません。それでも解る子なら解るでしょう。そして、本当にトラウマになるかもしれません。もしかすると、その小学生が30年後に見直してこの映画は子供の頃に見たらわからなかったけど、30歳過ぎて見たら手の震えが止まらなくなった。と、感じるかもしれません。年齢制限をなくして、子供でもエグいドラマを見せようとしたスタッフは目先の興行収入を減らしてでも、子供の心に刻み込み考える力を付けさせようという大きな心があったのかもしれません。ワタシも還暦を過ぎましたがもし自分がこの映画の登場人物になったとしたらどういう行動をとるだろうかと考えても答えは出ません。ワタシもまたモヤモヤしながら生きていく事になりそうです。主人公のちいかわ原作で登場した時は本当にただの無能でした。力もない、頭も弱い、気も弱い、周りの助けがなければすぐに終わっているキャラクターです。そのちいかわが数々の出来事の中で鍛えられ少しづつ強くなっていくのがこの作品の肝のような気がします。今回の映画の終盤で、ちいかわが真実を知るシーンがあるのですがそれを誰にも告げずに一人で抱え込みます。いわゆる「言わない強さ」です。ちいかわも強くなったあなぁ・・・・・と、映画館で涙を流していた還暦のおっさんでした。(笑)
2026.07.27
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気まぐれで始めた自叙伝シリーズですが子供時代から始まって現在まできたので一応の区切りとなります。やっぱ予想した通り不幸自慢になってしまいました。読んでて楽しくなかった事と思います。謹んでお詫び申し上げます。m(_ _)m結局、ジョニーも不幸に耐え切れずに最終的に宗教に逃げちゃったか?と、思っている方もいらっしゃるかもしれませんので一応弁明しておきます。それは誤解です。いろいろと考えてるうちに仏教っぽい結論になってしまったのは確かですがワタシは別段仏教や他の宗教に感化された訳ではありません。たまたま結論が宗教っぽくなってしまっただけです。ただ、お釈迦様の提唱していた仏教(便宜的に原始仏教と呼ぶ事にします)は物理学と類似性が高いので以前から気になっていました。なので、原始仏教の考え方に感化はされているかもしれません。あんまり自覚はないですが・・・・・ちなみにお釈迦様が原始仏教を提唱したのはインドですが、現在のインドでは仏教はほとんど信仰されていません。現在のインドの宗教はヒンドゥー教なのです。また、日本では仏教が定着しているのは間違いないのですが原始仏教とはだいぶ異なっています。いわば魔改造された仏教です。東南アジアでも仏教は盛んですが、それらも独自進化したもので原始仏教とはだいぶ異なっています。つまり、お釈迦様の発明した原始仏教は廃れてしまって今現在世界でほとんど信仰されていないという事です。お釈迦様の時代から2500年以上経つので、仏教も時代や地域に合わせて独自進化するのも理にかなっているのではありますが原始仏教と現在の仏教がかなり違うので同じ仏教でも同じと考えない方が良いと思います。なんでこんな事になってしまったのでしょうか?それは、原始仏教はあまりに高度で難しく一般の方には難し過ぎて理解しずらく、実践も敷居が高すぎたのだと思います。なので、原始仏教は衰退したのだと思います。お釈迦様の原始仏教は苦しみの原因は煩悩にあるので修行によって煩悩を消し去ると苦しみが消えると、いう理屈です。ところが、煩悩なんか簡単に消せるはずがありません。家も財産も全て捨てて出家して何年も修行する必要があります。一部の高僧なら可能かもしれませんが普通に暮らしている一般人にはあまりにもムチャぶりなのですそこで、いろんな人が色々は考えたんでしょうねぇ。誰でも手軽に救われる方法はないか?そうして、編み出されたのがお経を唱えたら苦しみが消えるとか幸せが訪れるという方法。財産の処分も、家族との離別も、苦しい修行もいりません。ただ、念仏を唱えるだけです。ほとんどハリーポッターの呪文と同じですね。ワタシはどちらかというと理系脳な気がするので原始仏教の方がわかりやすいのですが大多数の方には簡略版呪文系仏教の方がわかりやすいのかもしれません。ちなみに、前述の通りワタシは仏教徒でも何でもないので大いなる事実誤認してるかもしれません。ご容赦下さい。まぁ、結局、本人が幸せならどっちでも良いのですが良くないのは宗教に振り回される事。苦しくて宗教に走る気持ちはわからないでもないですが考える事を止めたときに本当の不幸が始まるような気がします。宗教を参考にしても盲信は危険です。宗教はほどほどに、宗教の使いすぎはあなたの健康を損ないます。(^_^;)
2026.07.25
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子供が倒れて緊急手術して生還してからもう2年が経ちました。何の変化もないまったりとした毎日を暮らしています。あの騒ぎは何だったんだ?と、思えるほど平和な毎日です。ところがワタシ自身はあの日を境に随分変わったような気がしています。あの日とは病院の手術室の待合室の長い夜です。なんというか、生きるのがものすごく楽になったのです。下記は最近のワタシの志向です。まぁ、元々そういう気質はあったのですがそれがより強くなった感じです。●流行に興味がない●スポーツ観戦にも興味がない ●高級車に興味がない、車は動けば良い ●ブランド品に興味がない。 ●家は賃貸が最強。 ●SNSはただの連絡手段。なんか世間一般の動きと真逆を動いているような感じです。変な意味でお金にも興味がなくなりました。普通に生活できれば充分です。普通とは雨漏りしない家で家族揃ってご飯が食べられる事です。もう、それ以上は必要ないです。でも、欲がなくなった訳ではありません。世間一般的に言われているような(外側から与えられるような)事には興味がありませんが自分の内面から湧き出るような事、つまり物欲よりも知識欲が上回っている感じです。知識欲という偉そうに聞こえるかもしれませんがワタシの知識欲なんて大層なものではありません。道路の中央分離帯になんで猫じゃらし(エノコログサ)が生えているのか知りたいとか渋柿は何のために渋いのか?とか、身の回りにあるたわいのない事ばかりです。でも、その疑問を調べて自分なりの結論が出た時にスカッとするというか大げさに言うと快楽を感じるのです。それで幸せを感じるのです。サイン波(正弦波)ってご存じですか?グラフで書くと上記のような感じです。上がったり下がったりするバイオリズムなんかこんな感じです。ワタシは世の中の幸せと不幸はこのサイン波のようなものだと思ってました。人生、良い事もあれば悪い事もあって、ちょうとこのサイン波のように上がったり下がったりするようなイメージを持ってました。ゼロ(0)の横線が普通としましょう。するとゼロより上の部分が幸福、下の部分が不幸です。これだと人生、幸福もあれば不幸もある、最終的にプラスマイナスゼロ。世の中そんなもんだ。不幸があっても耐えてればそのうち終わってまた幸せがくる。ワタシはずっと、そんなイメージを持ってました。でも、今回の事件でワタシは重大な発見をしたのです。横線の位置は自分で変えられるのです。例えば、横線のゼロが普通だとしたら人生で起こる事は半分が幸福、半分が不幸となります。仮に、自分がどこかの国の国王の息子に生まれたとして働かなくても良い、何もしなくて良い、欲しいものは全て手に入るみたいな生活だったとしたらその人にとってプラス1(+1)の横線が普通になります。つまり、人生で起こる事全てが不幸となります。逆に、自分の普通がマイナス1(ー1)にあったらどうでしょう?人生では幸福しか起こらないのです。グラフの横線は閾値(しきい値)と呼べるかもしれません。自分なりの幸せと不幸の境界線です。この線より上が幸せで下が不幸。大事な事は、人によってこの閾値(横線の位置)が違うのです。世の中全ての方は幸せを望んでいると思います。立派な家に住んで、良い会社に勤めて、多額の給料を貰って高級車に乗って、ブランド品に身を包んで、周りの人にちやほやされてこれが幸せだと(一般的には)信じています。でも、それは自分でわざわざサイン波グラフの横線の位置を上げているようなものです。良い会社に勤めて高額な給料もらっていても会社が永遠に繁栄するとは限らないし高級車も古くなって頻繁に買い替えないといけないしブランド品も毎年買わないといけません。今までちやほやしてくれた人は些細な事で悪口を言うかもしれないし結局、幸せどころかビクビクしながら生活しているのではないですか?ならば、しきい値をマイナス1まで下げたらどうでしょうか?大金はいらん、生活できれば充分。車は中古で良い、家は賃貸で充分。服はスーパーので充分。周りの人が何を言おうとまったく気にしない。これができれば人生は楽しくてしかたないような気がします。世の中コスパ、コスパと言いますが当の人間のコスパはどうなのでしょうか?毎日、毎月、毎年、大量のお金がないと幸せを感じないのであれば幸せのコスパが著しく悪いとも言えます。逆に、缶ビール1個と特売の餃子で幸せになれる人は幸せのコスパが著しく低いと言えるでしょう。大量の高級品に囲まれて不安を抱える人もいれば何にもないけど毎日が幸せの人もいる。それが幸せの正体のような気がします。あの日どん底で言われた男は死ねという言葉は男は幸せになろうと思うなという言葉はワタシが幸せという執着を手放すきっかけになりました。ところが、その幸せという執着を手放した途端にワタシは毎日が幸せなのです。朝、水を飲んでも幸せを感じるし昼、そよ風にも幸せを感じるし夕、夕焼けを見たら幸せを感じるのです。幸せは手に入れるものではなく幸せがすでにあるのだと感じるものなんか哲学的になってしまいましたがそれ以上の言葉が見つかりません。幸せを手放すと幸せになれる。これが今回の大事件で手に入ったご褒美でした。
2026.07.23
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そもそもなんで自分は不幸だと思っていたのか?事実自分は大量のご褒美を受け取っていました。結局のところ、不幸だと思っていたのはワタシが勝手にそう思っていただけでワタシがご褒美だと気づいた瞬間に不幸はご褒美になったのです。つまり不幸は外からやってくるのではなく、自分の頭の中でつくっていたのという事に気がついたのです。例えば雨が降ったとします。ある人は雨を呪い、またある人は雨に歓喜するでしょう。雨が降ったという事実は自然現象としてなんの意味もないのですがそれに意味を付けるのが人間で同じ出来事でもそれが不幸だったり幸福だったりするのです。この世の全ての事には理由などなくその意味を人間が勝手に付けているとすれば・・・・・・悪い意味を付けまくるとこの世は悪い事しか起こらない壮絶な地獄と化します。また、起こる全ての事に良い意味を付けまくるとこの世は良い事しか起こらない楽園と化します。幸福も不幸も天国も地獄も全て頭の中にあったのです。ワタシは別段に仏教徒という理由ではありませんが以前からお釈迦様の言葉には興味がありました。物理学とお釈迦様の言葉に類似性があるからです諸行無常色即是空空即是色因果応報などなど言葉としては知っていてもその深い意味までは腹に落ちていなかったのですがなぜかそれらの意味が実感としてわかるようになりました。自分も幸せになりたい子供に苦労はかけたくないそれらは執着でありその執着を手放した時に苦しみがなくなったのです。そのきっかけが「男は死ね」です。幸せという執着を手放していつでも死ぬ覚悟を持つという意味です。その覚悟を持った時に今まで見えなかった物が見えるようになった気がします。今まで嫌な事ばかりだと思い込んでいた過去もうすでになくこれからどうなるか不安でたまらない未来はまだないそれら全てが存在しない。つまり無い。有るのは今現在のこの瞬間だけ。今、この瞬間にある全ての事に感謝して今を楽しもうという気になったのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうして深い深い闇の底から帰ってたワタシですが気がつくと手術も終わっていました。子供の一命は取り留められましたが、今後手足の麻痺等の障害が出る可能性がありました。しかし、ワタシは子供の命を救ってくれた大勢の方に感謝の気持ちしかありません。それから2年経ち、子供はリハビリを続けています。最初は立つ事もできませんでしたが、徐々に立てるようになり今では多少歩く事ができます。将来不安がないとは言いませんがこれも全てご褒美だと信じて毎日を楽しんでいます。
2026.07.22
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子供の開頭手術は予定時間を大幅に超えても終わりませんでした。順調でない事は容易に想像が付きます。その事がワタシにさらなる時間を与えたように思います。ワタシは更なる闇の深みに沈んで行きました。たぶん、子供は助からない。ワタシには幸せになる権利なんかない。幸せになっちゃいけないんだ。・・・・・・・・・・・そんなどん底ではありましたがふと、ワタシは自分の事しか考えてない事に気が付きました。そうだ、そんな事考えてる場合じゃない。どうすれば良いか考えよう。とはいえ、手術の待合室で待つワタシにできる事はありません。定番の神様に祈る事しかできません。神様、お願いです。子供を助けて下さい。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします。もう、ワタシは何もいりません。幸せなんかいりません。一生不幸で良いです。お金がかかるならいくらでも払います。ワタシの命が尽きるその瞬間まで働いてお金は払います。だから、子供を助けて下さい。助けて下さい。助けて下さい。助けて下さい。助けて下さい。助けて下さい。そんな時に、ワタシの頭の中で不謹慎にとある漫画のキャラクターの顔が浮かんだのです。その顔は魁!男塾 の江田島平八氏の顔でした。正直、ワタシはその漫画はちゃんと読んでいません。散髪屋やラーメン屋に置いてあった少年ジャンプを読んだ時についでに読んだ程度です。なんか不良ばかりの高校?が舞台のバトル漫画だったように思います。まともに読んでない漫画でしたが、最終回だけはどこかで読んだ記憶があり妙に覚えていたのです。そして、どん底でワタシが思い出したのはその最終回のワンシーンでした。最終回は、その高校?の卒業式校長?(塾長?)の江田島平八氏が卒業生に語るシーンで語った言葉が男なら死ね!男なら幸せになろうと思うな幸せになるのは女と子供だけでいい。前代未聞の荒唐無稽なこのシーンネットでも滑稽なギャグシーンと扱われているのがほとんどだと思いますがしかし、絶望のどん底でワタシの頭の中で叫んだ江田島平八氏はギャグではありませんでした。男なら幸せになろうと思うな。男なら死ね!と、本気で𠮟咤されたように思えたのです。おそらく大半の方には理解不能だと思いますがワタシは頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けたのです。そういえば野生動物の雄は家族を守る為に普通に命を賭けて戦います。そして、命を落とす雄は普通にいます。雄は命を賭けて戦い死ぬのが仕事です。文明に飼いならされた人間は男女平等とか言ってますが、筋肉量の違いは明らかでやはり戦って命を落とすのは男の仕事です。つまり人間も家族を守るために命を賭けて戦え。そのためには幸せとか考えるな!と、いう事なのでしょう。そういえば戦国の時代にも似たような言葉がありました。武士道とは死ぬことと見つけたりこれも意味は同じです。「命を捨てよ」という意味ではなく、「死を常に覚悟することで、保身や損得勘定を捨て、今この瞬間を悔いなく全力で生き抜け」という、武士の覚悟と生の哲学を説いたものです。どん底で江田島平八氏に叱咤されたワタシは頭の中の暗い霧が徐々に晴れてきたような感じでした。しかしそれと同時に、また思考のループで昔の嫌な思い出が蘇ってきました。子供の頃は他人の家に預けられ 子供の頃から自立心が高くなった欲しい物も買ってもらえず ないものは自分で作る素養ができた。 なんでも自分で修理して多方面のスキルが身についた。高校の時はいじめられ家庭も崩壊して両親は離婚してアル中の父親と壮絶な生活を強いられて 恐るべき強メンタルが身に付いた。莫大な借金を背負わされて 合法的に処理する社会の仕組みを学んだ警察には容疑者扱いされて 新しい販路を開拓して売上アップした。生まれた子供には障害があって全てを捨てて故郷を離れて 過疎一直線の故郷を出て自由になれる理由になった。上手く行ってた仕事も駄目になり 収益性の良い仕事に乗り換える理由ができた。あれ?????試練だと思っていた事が全てご褒美になっている。今まで薄々気がついていたがこうやって考えると、ワタシは試練の度に鍛えられてる気がする。それはご褒美と言っても良いレベル。だとすると・・・・・・今回の子供のくも膜下出血。これはワタシの試練ではなく子供に与えられた試練。すなわちそれは子供に与えられたご褒美。親は子供の可愛さのあまり子供が苦労しないように先回りして子供の人生の困難を取り除く事が多いがそれすらもやってはいけない事なのでは?子供自身の不幸は子供自身の幸福。子供が幸福になる権利、すなわち子供が不幸になる権利。子供が不幸になる権利を奪っていはいけない。なんかうまく言葉で説明できませんが試練とか、幸福、不幸、の関係がワタシの頭の中で1本の綺麗な糸として美しく繋がったのです。
2026.07.21
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その時はやってきました。子供が倒れたのです。クモ膜下出血でした。時系列的な事は当時リアルタイムで記事にしたので今回は割愛致します。それまでの日常が一瞬で消滅しました。ワタシは病院の手術室の待合室で何もできずに祈る事しかできませんでした。ワタシは何度も何度も自問自答しました。どうしてこうなった?どうしてこうなった?どうしてこうなった?どうしてこうなった?どうしてこうなった?そうしているうちにワタシの人生で訪れた辛かった事を考え始めていました。なんで自分だけこんな目に遭うんだ?なんで自分だけこんな目に遭うんだ?なんで自分だけこんな目に遭うんだ?なんで自分だけこんな目に遭うんだ?なんで自分だけこんな目に遭うんだ?なんで自分だけこんな目に遭うんだ?なんで自分だけこんな目に遭うんだ?ワタシは自問自答しているうちに深い闇の中に落ちて行ったような感じでした。子供の頃は他人の家に預けられ欲しい物も買ってもらえず高校の時はいじめられ家庭も崩壊して両親は離婚してアル中の父親と壮絶な生活を強いられて莫大な借金を背負わされて警察には容疑者扱いされて生まれた子供には障害があって全てを捨てて故郷を離れて上手く行ってた仕事も駄目になりそうして、今、子供が息絶えようとしている・・・・・・・・・・・・・・・・・なんで自分だけこんな目に遭うんだ?なんで自分だけこんな目に遭うんだ?なんで自分だけこんな目に遭うんだ?なんで自分だけこんな目に遭うんだ?なんで自分だけこんな目に遭うんだ?なんで自分だけこんな目に遭うんだ?なんで自分だけこんな目に遭うんだ?なんで自分だけこんな目に遭うんだ?世界の不幸が全て自分に降り掛かって来てるような気になっていました。なんで自分だけ!なんで自分だけ!なんで自分だけ!なんで自分だけ!なんで自分だけ!なんで自分だけ!なんで自分だけ!なんで自分だけ!なんで自分だけ!正直、心が折れていたと思います。ワタシは幸せになれないんだ。なっちゃいけないんだ。ワタシは深い深い闇の底でそう考え始めていたのです。
2026.07.20
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軽貨物のお仕事を始めたワタシですがはっきり言って快適でした。まず、仕入れがいらない。(在庫を持つ必要がない)収入が安定している。天候や為替の変動をあまり気にしなくていい。つまり収入から経費を差し引いた手取りがだいたい思った通りになるのである。多くの方は何を当たり前の事を言ってるんだと、笑うかもしれませんが長年物販をやってきた身から言うとなんでこんなに気楽なんだ!と、踊り出したい気分です。仕入れの事、在庫の事、売り上げの事、経費の事。物販やってると心が休まる暇もありませんが軽貨物はホントに気楽なのです。例えばネットで物販をやっていると資金繰り、運動不足、精神安定とか色々考えないといけませんが軽貨物だと、適度に運動するし、適度に人と会話もあるし、資金繰り等考えなくても良いし一石二鳥どころか、一石五鳥って感じです。まぁ、身体が資本なので、事故だけは気を付けています。収入も多くはありませんが、家族で暮らすには充分で仕事終わって飲むビールが最高にうまいのです。なんかもう、これで良いんじゃね!!!と、いう気になってきました。もはや物販に戻るのがめんどくさくなってきたのです。そうして、つかの間の平和を満喫していたワタシですがついにあの事件がやってきます。
2026.07.13
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夜勤アルバイトにより家族とすれ違ってしまい本末転倒状態になってしまったワタシですがその後も、いろんなアルバイトを経験するようになります。本来ワタシは探索者気質が強いようで知らない事を知る事に喜びを感じるようです。(笑)本業のネット販売は黙々とルーチンワークの繰り返しなのですがアルバイトで資金と運動と好奇心を満たす感じになっていました。そして、やっと本業、アルバイト、家族との時間を絶妙なバランスで保つ事ができるようになった時またもや試練に見舞われます。円安です。ネット販売を始めた頃は1ドル80円程度で結構儲けていたのですがそれが90円、100円となり1ドル120円までくるともう利益がかなり薄くなって何をやっているのかわからなくなります。そうこうしているうちにあっというまに130円を突破150円も見えてきました。そうです。海外からの輸入ビジネスが完全に破綻したのです。理屈から言うと、円安ならば逆をやれば良い。つまり輸出ビジネスをすれば良いのですがそう簡単ではありません。実は、リスク管理の観点で海外サイトでの販売もやっておりましたが梱包等や輸出手続きがあまりにもめんどくさいので輸入1本に絞っていたのです。(輸入の場合は海外の発送会社が全部手続きをやってくれるので楽)そして、ワタシの本業があっけなく消滅してしまいました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・またもや試練の到来です。でも・・・・・・なんというか、ここまで試練が続くとまたか!┐(´∀`)┌ヤレヤレという感想しか沸き上がりません。試練慣れしちゃったというか感覚が麻痺してしまったというかもう黙々と次の手を打つだけの事です。結局、ワタシは会社は放置して個人事業主として軽貨物の運送業を始めました。もちろん会社は放置しているので売り上げはありませんが決算はちゃんとやって税金も払っているのでいつでも再始動は可能です。海外に借りてる倉庫もそのままなのでたまに個人的に欲しい海外製品なんかは買って倉庫に送っておけば簡単に手に入れる事ができるので便利です。そうして始めた軽貨物運送なのですがふと気が付けばビールを運んでいるのです。昔はビールは酒屋が配達する物でしたが、激安酒屋の登場でビールは車で買いに行く物になりビールは重い事に気が付いた顧客は今度はネット通販で買って配達してもらうようになりビールは運送業者が配達しているのです。1周回って元に戻ると言いますが酒屋を辞めたのに気が付いたらビールを運んでいるというこの不思議な巡りあわせ人生の悲哀を感じるというと言いすぎでしょうか・・・・・
2026.07.09
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資金繰りに四苦八苦していたワタシですがさらに深刻な問題に直面します。部屋の一室を会社にしてネット販売をしていると家族以外とは会話がなく、笑う事もあまりなくなり一日中家にいて外出せずにほとんど運動しなくなりました。なんというか、心身ともに壊れてしまう。そんな予感がしたのです。その解決策として、副業でアルバイトをする事にしました。本業のネット販売の業務を圧縮・効率化して空いた時間にアルバイトをする。これで、資金繰り、運動不足、精神安定全てを解決する妙案に思えたのです。まずはコンビニでアルバイトする事にしました。実はワタシはコンビニのシステムに興味があったのです。酒屋時代は自分なりにコンピューターを連動させて効率化を図っていたのですがコンビニのそれは比較にならないほど先進的なシステムです。それを見たかったのです。結果から言うと、コンビニのシステムは素晴らしいものでした。だがしかし、見たくなかったコンビニの闇まで見る事になってしまい華やかなコンビニの裏の世界まで知ってしまいました。結局、半年ほどで辞めてしまいましたが、このコンビニのアルバイトでは良くも悪くも多くの事を知り、個人的にも多くの学びがありました。書くと長くなるので今回は割愛します。そのうち気が向けば書くかもしれません。コンビニの次は某食品工場の夜勤のアルバイトもしました。単純に自給が良かったのです。ここで知り合った方がめちゃくちゃゲームに詳しい方で意気投合して楽しかったですね。最初の目論見どおりアルバイトにより、資金繰り、運動不足、精神安定の問題を解決したかに思えたのですが別の問題が持ち上がってきました。夜勤のアルバイトだと、昼間本業をして、夕方や夜から夜勤アルバイトに行き朝方帰ってきてそのまま昼間で寝て本業を始めるという感じになります。すると、当たり前ではありますが、家族と時間がずれてしまって同じ家に住んでるのに家族とすれ違って何日も会話をしていないという本末転倒な事になっていました。
2026.07.08
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大病院の近くに引っ越して新たな生活が始まりました。それからも子供は何度も入院を繰り返したのですが、さすがに県内最高レベルの大病院です。とても心強かったです。ワタシは地元でやっていた酒屋を廃業しないで引っ越し先に持ってきていました。会社は移転登記して酒免許も移転手続きしました。引っ越し先の部屋の一室がワタシの会社となったのです。とはいえ、店舗はありませんのでネット販売をメインにする事にしたのです。実は引っ越しする1年以上前から店舗の販売を意識的に縮小し代わりにネット販売に舵を切っていたのです。こうすれば引っ越ししても仕事を続けられる作戦でした。具体的には海外から商品を輸入して日本国内でネット販売する感じです。でも、正直苦しかったです。そこそこ売上はつくっていたのですが何というか資金繰りがかなりキツかったです。海外から商品を仕入れても到着まで早くて2週間、遅いと一カ月以上かかりそこから販売して代金回収がもっと後になる。つまり仕入代金が先に出ていって売上代金がなかなか入らないのです。当時、代金回収が一番早かったのがヤフオクだったのでそこを主戦場にしたのですが一方的な決済方法変更でヤフオクも代金回収に時間がかかるようになり売れば売るほど資金が不足するという事態に陥ったのです。これが地元で商売しながら副業でネット販売しているとすれば本業の利益で生活しながら副業の利益を仕入れに回せて更に利益を伸ばす事が出来るのですがネット販売1本だとネット販売で得た利益を生活費に回さざるを得ず、いつまでたっても仕入れが増やせず、上記のように資金回収の遅れも加わって資金繰りに苦労するようになリました。支払い期限ギリギリで入金があって慌てて振込したり延ばせる支払いはギリギリまで延ばしたりもう起きていても寝ていても資金繰りの事ばかり考えていたのです。子供の事、家族の事、そして資金繰りに追われて自分の事を考える暇もなく自分の顔を見る余裕もありませんでした。胃もキリキリ痛く検診で胃潰瘍だと診断されました。そしてある日の事。顔を洗おうと鏡で自分の顔を見た時に愕然としました。いつの間にか黒髪が全て白髪になっていたのです。映画や漫画で一夜にして白髪になるような描写がありますが、まさか自分がそんな事になるとは夢にも思ってませんでした。
2026.07.07
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話は少し戻りますがY氏に学んだワタシのお店は劇的に変わりました。お客さんもどんどん増えて新聞や書籍、ビジネス雑誌に紹介されたりTVから取材を受ける事も増えました。年に一度フランスのボージョレ・ヌーヴォーというワインが発売されるのですがワタシのお店では県内の最大都市(人口50万人)の有名デパートより多く売ってました。ワタシのお店があったのは人口3万人の町です。まさに「頭のおかしいレベル」で売っていました。そんな一見絶好調のワタシのお店でしたがワタシは不安でたまらなかったのです。理由はいくつかあります。まず、酒屋という業種がすでにオワコンというか時代に合わなくなっていたのです。酒屋は元々強力な免許制度に守られており免許制度ありきだったのですが時代の流れで免許制度は撤廃、逆風により全国で廃業が相次いでいたのです。もちろん酒専門店というジャンルもありますが人口の少ない町ではかなり厳しいと言えます。また地元の過疎化も深刻でした。全国の平均を遥かにしのぐ急激な高齢化で全国衰退都市ランキングで上位に君臨していたほどです。半面、若者はどんどん少なくなっていて、その少ない若者のほとんどは高校を卒業後地元を離れて就職するという状態。肌感覚では人口の半分以上が老人という感じです。データーを見ても今後は衰退以外の未来しか見えません、また父親の残した莫大な借金も重荷でした。今後売り上げも利益も減少すると予想される状態では不安でしかありません。そして最後のトドメが子供の医療問題です。正直、この町に留まっていたら子供が死んでしまうかもしれないそんな危機感がありました。1つや2つの荒波であれば乗り越える自信も覚悟もありましたが4つまとめてくるとそれはもうひとつの方角のみを指示しているようにしか思えません。生まれ育った故郷を出る。苦渋の決断でしたが、この頃起こる全ての現象がそちらに向かっていたのです。とはいえ、ワタシのお店は祖父の時代からつづいておりワタシで三代目です。店を閉めるのは簡単な事ではありません。50年以上続いたお店は地元に深い根を下ろしていて店を閉めるのは大木を伐根するようなものだったのです。結局準備に1年以上要しました。50年以上続いたお店も生家も多くのお客さんもお世話になった知人、友人、親戚も全て捨てて故郷を出ていく事にしました。もう情けないやら悲しいやら悔しいやらいろんな感情がぐちゃぐちゃになって訳がわかりませんでした。それでも多くの友人達に手伝ってもらってなんとか成し遂げました。感謝しかありません。引っ越し先はお世話になっていた大病院の近く。医療の問題がなくなる事だけが希望の光だったのです。
2026.07.06
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二人目の子供が生まれました。生まれてしばらく経った頃、家族で公園に行きました。曇り空だったので特に用心はしていなかったのですが子供の皮膚が真っ赤に腫れあがってしまい慌てて病院に駆け込みました。それが新たな試練の始まりだったように思います。二人目の子供には生まれつき障害がありました。免疫が弱く普通の子供なら軽い風邪で済むようなものがいきなり肺炎で生死を彷徨うような感じです。それからというもの子供は何度も何度も入院して生死を彷徨う事になります。地元の病院では処置できず、夜中に高速道路を飛ばして遠くの大病院へ行く事も珍しくありません。子供が入院になれば妻も付き添いで病院に行ってしまうので仕事はワタシ一人でやることになります。とは言っても配達業務も多々あったので一人で店を回す事はできません。急ぎの配達は断って、溜めた配達を店を閉めてから行くような感じになります。お客さんにしてみれば「最近あの店はよく閉まってるなぁ」という印象だったでしょう。ワタシもだんだんヤケクソになってきて近場の配達なら店を閉めずに放置して配達に行ったりしてました。お客さんにしてみれば「お店に行っても誰もいない」と、いう感じだったと思います。地元の医療も本当に不安な状態でした。慢性的な医師不足に加えて頼りになる設備もありません。地元の病院に入院した時の事です。ネブライザーという機械で薬剤を霧状にして口から吸い込むのですがその病院(地元で一番大きな病院です)には子どもの顔に合うアタッチメントがなく紙コップに穴を開けて管を通して使っていました。その薬剤吸入に使った紙コップも使い終わった後洗浄もせずに病室置きっぱなしで何度も再利用してました。また看護師さんが不注意でその紙コップを床に落としたのですが何事もなかったように元に戻して、また薬剤の吸入に使おうとするのです。肺炎で入院して薬剤を吸入するのに、床に落とした紙コップを再利用する事に何の疑問もないのでしょうか?本当に恐ろしくなりました。またこんな事もありました。大晦日に子供が咳をし始めて肺炎の兆しがあったので地元の一番大きな病院に連絡したら「今は診れないので1月4日に来てください」とか言われるのです。死にそうになってるのに4日後に来いだなんて・・・・・速攻で80km離れた大病院に連絡して高速道路を飛ばして走って即日入院となったのは言うまでもありません。その大病院だけが唯一の支えでした。そんな事が何度も続き、ワタシは地元の医療をまったく信用しなくなったのです。ワタシの生まれ育った町ですが父親と壮絶な戦いをしてまで守った店ですがここに居たら子供の命が危ないと感じ始めたのです。
2026.07.04
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前回のAさんの話からだいぶ後の事です。ワタシはとある職場で働いていました。その職場にはBさんがいました。Bさんは仕事以外のことは喋らずに同僚の誰とも関わろうとしない一見暗い人でした。同僚の他の人はBさんに遠慮して関わろうとしませんでしたがワタシはなぜか彼はBさんに付きまとってくだらないギャグや奇行を繰り返してました。なぜって?いやぁ、なんとなくです(笑)なんか知りませんがBさんを笑わせてみたくなったのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・最初は嫌がっていたBさんでしたがある日ワタシのくだらないギャグに一瞬笑ってしまったのです。その一瞬を見逃さなかったワタシは今、笑ったな! 俺の勝ちだ!!!と、謎の勝利宣言したところBさんはなぜか負けたような気分になったらしく今後絶対に笑わないと宣言しました。そうして、笑わそうとするワタシと、笑わないとするBさんの不思議な戦いが始まりました。しかし、Bさんは奇行師を自認するワタシの敵ではなく呆気なく敗北して毎回ワタシに笑わせられていたのです。Bさん、実は以前に自動車工場の期間工として働いていたのですが何ヶ月も会話もなく同じ部品の取り付けをしているうちに心が壊れてしまったそうで、他人と関わる事が怖くなったそうです。それでも生活しないといけないので今の職場に来たそうなのですがなるべく誰とも話しないで仕事をしていたそうです。結局、ワタシに笑わされ続けたBさんはいつの間にか普通に笑えるようになって他人とも普通に笑って話せるようになったらしい・・・・・・不謹慎な行動が他人の人生を変えてしまう事があるんですね。肝に銘じます。( ̄▽ ̄;)
2026.07.02
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Y氏に学んだワタシのお店は劇的に変わりました。お客も増え、ありがとうのメッセージも頻繁にもらうようになりました。その中でも印象的だった話があります。端的に言うと「引きこもりから立ち直った」らしいです。らしいというのは本人の自己申告なので医学知識もなにもないワタシには本当の事はわかりません。・・・・・・・・・・・・・・・・ある日の事です。Aさんがお店にやってきました。海外旅行に行ったのでお土産を持ってきましたとの事です。仲の良いお客さんにお土産を頂くのはたまにあるのですがAさんからお土産を頂くのは若干違和感がありました。ワタシが少々困惑しているとワタシが何も聞かないのにAさんが勝手に語り始めました。Aさんは女子大生なのですが、いろいろあって人間不信になり人と会うのが怖くなって大学を休学し自宅に引きこもりそれから外に出られなくなったそうです。大学にも行けない、外にも出られない、不安でいっぱいだったそうです。そんなAさんの家にワタシの作成したニューズレターが投函されました。ニューズレターというのはワタシの作成したチラシ的な印刷物です。チラシは商品の売り込みに特化しているのですがワタシの作成したニューズレターには商品の売り込みがほとんどなく代わりにワタシの個人的な日記やくだらない話、戯言等が満載でした。ワタシはその戯言満載のニューズウィークをお客に配布していたのですがお客じゃない不特定多数の家庭のポストにも勝手に投函していたのです。Aさんの家に勝手に投函される謎の戯言レターを読んだAさんは次第にワタシに興味を持ち始めお店に行きたいと思うようになったそうです。それでも外出が怖かったので母親同伴でワタシのお店にやってきたそうです。そんな事情などまったく知らないワタシは他のお客さんと同じように接客してました。たぶん。他の方に聞くとワタシの接客方法は独特で最初は商品説明なんですが、次第に脱線して馬鹿話になっていつの間にか人生訓のような感じになって最後に商品に戻る特異な構成らしいです。本人に自覚なし(笑)そんなワタシの戯言にさらされたAさんは「世の中にこんな人がいるんだ」と驚きつつも、人に会うのが少し怖くなくなったそうでそれからは母親抜きで一人でお店に来るようになったそうです。そして、次第に自分を取り戻したAさんは大学を復学。さらには一人で海外旅行に行くようになりその時のお土産を持ってきたという事らしいです。そして、帰り際に「ありがとうございました」と、深々と頭を下げて行きました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・訳がわからないけど事実です。商売は商品を売るだけではない。お客の人生を変える事もあるんだ。そんな事に気がついたワタシでした。
2026.07.01
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