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2011年04月28日
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なにか難しそうなタイトルになりましたが




例によって私・草加の爺の書く文章ですから




そんなに吃驚するほど高級でも、難解でもありません。どうぞ




気楽に読み流していただければ幸いです。




「歎異抄」で有名になった悪人正機説というのがありますね。





親鸞の師の法然にも似たような表現があり、親鸞の独創ではない






ようですが、善人ではなく悪人こそが菩薩の救いの対象だとする






この主張は、一見して人の目を驚かす逆説のようにきこえます。





しかし考えてみれば、悪人とはなに?善人とはだれ?と言われてみれば











一驚。そうです、わたしたちは悪人と善人を混ぜ合わせたような存在。






純粋な善人も、逆に根っからの悪人も皆無と思われます。それが





われわれ平凡人のあり方というものでしょう。また他力本願という





言葉・表現がありますが、自力で、自分の力だけで極楽往生を遂げる






ことは至難の業と素人の立場からも理解できますね。煩悩具足の凡夫が





有難くもこの世に生をうけて、曲がりなりにも人並みに世を渡ってゆく。






それだけでも殆ど奇蹟のような感じさえするではありませんか。それなのに






誰彼の区別無く「極楽・天国」に救い取られうる。こんなに嬉しく






また有難い話はありませんが、これも偏に「如来・菩薩・仏・絶対者・神」






といった「他力」のお陰。他者の命を戴きながら生活し、社会や周囲の






全てのものに「迷惑」をかけなければ一日たりとも生きては行けない身。












決して思わないでしょう、金輪際!いま私は「有難くも」この世に






生を享けと書きましたが、八苦の娑婆とも申しまして苦痛と悲しみで






みちみちた今世を「嫌だ」、「嫌いだ」、「剣呑だ」と眉を顰めて忌み嫌う





人々が大勢いるわけですから、そうしたお方たちには直ぐには





通じにくい表現かも知れません。けれど、冷静になって我が身を振り返りさえ











しかし再度考えてみるに、この世には様々な理由でこの明々白々な





道理が素直には受け取れない境遇のひとが、これまた沢山いらっしゃる事実を





否定し去る事はできませんね。またぞろいつもの口癖がでます。みんな





大人たちがわるいのだ、と。楽しさの種である「苦」を大事に育てる





工夫を教える代わりに、若芽や双葉に育てばまだしも「種」に水や





養分という大切な物を、自分勝手な「無知蒙昧さ」から、奪い取って





与えようとしない身勝手きわまりない横暴ぶり。まさに正視にたえないとは





このこと。こんな具合に表現しても当人は自分のこととは夢考えたりしない。





まことに始末に困ってしまう人種が現代にはやたらとはびこっている。





こんな駄文でも何かの役に立てたらと菲才浅学を省みず試みているのは





未来ある世界の宝・子供たちを本当の意味で大切に、また真っ正直に育てる





義務のある大人の端くれという自覚のなせる業。一種の使命感からなのですから





偉そうにという不快感を抱かれたお方がもしいらっしゃったならば、どうぞ





ご勘弁ねがいます。草加の爺、謹白。







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最終更新日  2011年04月28日 12時00分20秒
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