草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2012年01月01日
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新年、明けましてお目出度御座います。本年も宜しく


お願い申し上げます。さて、大都会の喧騒の中で


時折味わう「雑踏と賑やかな音の洪水の中での孤独感」。十代


または二十台の頃の私・草加の爺はその感じが堪らなく嫌でした。


孤独感に押しつぶされるのではないかと懸念されて。今では


そのような一種病的な感受性は鈍磨して、滅多な事ではその様な


ある種恐ろしい感覚に襲われる事はない。それが幸せなことなのか


それとも不幸なのかは別問題として、純粋に己が抱え込んでいる


固有の孤独と真正面から対峙し、寂しさに耐えながら自分自身との





ハッピー・ライフへの道を辿っていると言えるでしょう、実際の所。


昨今、他者との対話・コミュニケーションの大切さが声高に叫ばれていますが


その大前提ともいえる「自己とのコミュニケーション」の重要性については



不思議なくらい何方も言及する事がない。えっ、そんなこと余りに


分かりきった事だから、物事をきちんと弁えた分別在る大人は、わざわざ


言葉で言わないだけですって。そうですか、それなら宜しいのです。


精神年齢十歳を自称する万年子供の私には、何か酷く気になって仕方が無い。


皆が皆、自分の孤独感から顔を背けて、或いは一刻も早くその孤独から



逃げ出そうと目論んでいるように思われて、ですね。何度も繰り返すようですが


「理解」という耳に心地良い欺瞞は最早手が付けられないほどに「堕落の極」


に達していて、私たちにはその事実が殆ど見えなくなっている。「他人を、






手段をより能率的に、便利に、簡便に、すればよいだけ」と底抜けに


楽天的でありますね。奇妙なくらいに。しかし、本当でしょうか?


歴史は、現実は全く正反対の事実を明瞭過ぎるくらいに明らかにしていると言うのに。


現代は本質的に悲劇的である。だから人々は物事を悲劇的に捉えようとはしない


― そう言明したD・H・ローレンスの言葉が胸に突き刺さってくるように





自分の中の惰性的思考に疑いの目を向けてみて下さい。そして


自己との対話を一歩一歩と深める努力をしてみて下さい。皆様方にとって


良いお年であるよう念願して元旦の所感と致します。草加の爺 謹白。






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最終更新日  2012年01月01日 18時24分42秒
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