草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2014年10月09日
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 私は前回、「個人」などというのは 迷妄 であると

断言いたしました。しかし、それは余りにも 常識はずれであり

おかしい。そんな暴論を吐くなんて、何という学のないやつか…、式の

反論、非難があちこちから聞こえてきそうでありますよ。しかしながら

私の、言葉足らずではありますが、主張している文脈に沿って素直に

お読みいただければ、従来の常識が間違いであったことに気付き、眼から

鱗の思いをされるはずでありますね。真の存在である絶対者の前で、ちり芥にも

値しない 我々ごとき微弱な者が自己をお仕立て、過剰に自己主張を押し通すなどとは

まさに笑止千万、へそがお茶を沸かすでありましょう。



西洋のような確固たる、本物の個人主義を確立するにはまだまだ時間がかかる」といったような

論評が流行しておりました。たとえば、そういった「場」における個人の意味合いと

私が目下問題にしている「個人」の場合では、全くレベルが、指している意味内容が

著しく相違していますね、お分かりですか?個人と絶対者とはイコールの関係で

釣り合っている。しかしながら、個人は全体の前で、己を否定しなくてはならない、最終的には。

この二つの命題は同時に成立する。少しも矛盾を孕んでなどいない。この辺の

「大人の論理」が正しく把握できないようでは、生を語ったり、人生を論じたりする

資格がないと申せましょうか。宗教とは、絶対者の前に顕な、裸の自己を晒す行為に

ほかなりません。せめて一年に一度は、この様な「宗教体験」を己に課すべきなのであります

現代人は。







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最終更新日  2014年10月10日 04時39分43秒
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