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2016年09月26日
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第 九十 回 目


 個人を超越した、大きな存在者の手元の動きを感じ取っている者にとって、表面的な

華々しさや、一時的な名声・富など、何程の価値も持たない。人間の幸・不幸を決めるものは

もっと別の所に、認められる事を、見極めているからだ。

 保元の乱直後から、再び高野山に籠り、時局の移り変わりを静観し続けている西行にとって、

平治の乱は先の乱の、単なる延長としてしか、捉えることは出来ない。事態の本質的な山は、

既に見えていたのであるから。

 時代の変革を代表するものが、京の都に繰り広げられた、戦乱であったとすれば、西行個人の

青春の終焉を象徴しているのが、落飾して真性定と号した美福門院の死、であろう。



可能性の豊饒さを包含しているとすれば、の話である。しかし、これは直ちに西行の後半生が

狭隘、且つ、貧弱であった事を意味しない。

 青春の終焉とは、豊かな将来の実りを約束する、確かな種子が、最も肥沃な土地に播かれた

事を、正しく意味している。

 従って、折からの、降り積もる雪の中で美福門院の遺骨を、高野のお山に迎える西行の

胸中には、深い悲しみの感情の底に、或る清澄さが宿っていた。― 過ぎ去った、懐かしい

日々への痛切な想い、心の慟哭…。往時への淡い、感傷の情ではなく、今では取り返す術も

なく、遠く隔たってしまった若年への、限りの無い愛惜…。

 それ等、大波の如く次から次へと、押し寄せる激情に身を浸し、翻弄されるが儘に、

委せ切る事が可能なのは、彼が常にギリギリの人生を、その時々に、精一杯生きて来たからに

他なるまい。どうしようもない必然を、自覚的に辿って来たからこその、正当な後悔、とは



 美福門院の死は、西行に悲哀に感情だけを、齎したのでは無い。彼女は此の世での生を

終えた今始めて、西行の心の中に、永遠の生命を得た。そうとも言えるのだ。美しく、妖しく、

高貴な、決して盡きる事のない魅惑に溢れる、久遠の存在。それは人生の理想と見做し得る、

美しさで輝いている。西行が生き続ける限り、彼女の思い出もまた、燦然と生き続けるに

相違ない……。



四ヶ月前の七月、一人の老僧が禅林寺南隅に塚を築き、自らを埋めるという、市井の出来事

としてはかなり衝撃的なものである。

 西行は勿論、この事件を直接に目撃したわけでは、なかった。都からの便りや、自然に届いて

来た噂などで、事の概要を知っただけである。その話を聞いた時西行は、何故かあの空海の

即身成仏義抄を彼に与えた、西山の修業僧の姿を想い起こしていた。あの雨に打たれて、瞑想

に耽っていた聖の顔の表情を、二十年後の今日でもありありと、思い浮かべる事が出来る。

 あの、何処の、誰とも知れない聖が、あの時の儘の表情を崩さず、夥しい数の群衆が一様に

好奇の眼差しをむけるのを尻目に、従容として死に就いた。その有様が手に取るように、

想像出来る。西行の気持ちの中では既に、その老僧は、あの時の聖と、決められていた。扨

その上で、かの聖は何故に、その様な見世物じみた最後を演出したのかと、訝しく思った

のである。

 あの孤独に徹し切った超俗の姿勢からは、少しもその様な振舞いが、連想できない。その癖に

正にその様な死こそが、あの時の聖の最後として最も相応しいような、奇妙に矛盾した確信も

一方に存在する…。それにしても何故、如何なる理由があって、あの聖はその様な 死 を

死んだのか?彼にとってその死は、必然だったのか…。それは空海の説く即身成仏の、実践

だったのか?或いは、単なる自殺に過ぎないのか…。しかし結局西行には、そのいずれでも

なかったと、見える。かと言って、尤もらしく言い広められている如くに、汚濁した現実社会

に対する抗議・批難を意図する、一種の 諌死 であると解する説にも、俄かには賛成し兼ねる

のだ。

 聖がその様な死を選んだのは、勿論彼自身の意志だった筈。そして、確かにその意志の中には、

対世間的な、働き掛けの意図が見て取れる。詰り、己の尊い生命を的にした、芝居気たっぷりな

或る訴えの仕草が、覗える。その訴えは、世を捨て、世に捨てられた聖が、長年に亘る厳しい

修業の果てに掴み取った、何かである。が、その何かを、毎日の生活に追われ、現実に密着し、

拘泥し切っている俗人達に伝達し、理解を迫る事自体に、大きな無理がある。その自明な理を、

聖が見落としていたとは、判定し難い。聖は世俗に伝え得る事柄を、ごく自然に伝えようと

図ったに過ぎまい。

 その死が結果として、多くの男女の異常な関心を集め、強い感銘を与えたとすれば、それは

聖の死に反応した各個人の、心の問題である。聖がその死を傍観した群衆の心の中で、様々な

死を死んだ事も事実ならば、彼自身としては、必然の死を、従って一種の自然死を遂げたことも、

又事実なのではないか…。西行には、どうしてもそんな風に、思えてならない。

 と、すれば、その勝手な空想が事実だと仮定すれば、かの聖も、美福門院とは又違った意味

に於いて、西行の心底に生き続ける権利を、確保したのだと言えよう。

 現実の蒼穹の涯てに在って、美しい恒久の光を、地上に投射している星々の如く、彼等も

西行の心の夜空に澄み反り、冴え冴えとした輝きを発することを止めない、麗しい星達で

あった。人は実に、斯かる方法に依って、永遠の生を生き、永遠の生命に参画する事が、

許されていたのである。



 六時半ころ、春美がベッドから起き出して来て、夫の書斎を覗き、こんな朝早くから起きて、

読書している姿を発見して、何か珍しい物でも見るように、不思議そうな顔をした。

 その半分寝惚けたような、妻の化粧していない素顔が、彼の朦朧とした意識を、少ししゃんと

させた。― 彼は、ショックを受けたのだ。別に妻を人並み外れた「美人」だと、錯覚して

いたわけではないが、今朝の妻の寝くたれ顔は、醜怪であった。それとも、常日頃から見慣れて

いる筈の、女房の顔を、醜怪だと感じた彼の方が、やはり何処かに異常を来たしていると、考える

べきなのか…。その様に一応は、反省を加えてみたのだが、その際のショックの名残りは、バス

に乗ってからも、まだ尾を引いていた。





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最終更新日  2016年09月26日 13時22分36秒
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