草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2022年11月26日
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世の中は 空しきものと 知る時し いよよますます 悲しかりけり(― 世の中は虚しいもの

だとつくづくと自覚すると、なお一層心の底から悲しさが湧き上がって来る。これは仏教で説く

世間虚仮などとは無関係に、人間が人間である以上は、本来「悲しい」存在である事に由来する

のだろう)

  一見、何の技巧も凝らさずに、極めて自然にさらりと言ってのけている所に、この和歌の真

骨頂があるようだ。言葉では表現できない心のあり方、心境、生まれてこの方胸に抱き続けてい

た感懐を何か劇的な突発事によって強烈に自覚させられる。己を知るとは、この本来的な 悲し

さ を深く突き詰める自ずからなる営みなのではないだろうか。してみると、作歌とは本質的に

人間的な行為なのだと言わなければならないだろう。意味している所も確かに大事だが、歌の生



させられる運びとなる。これなどは日本の和歌史上でも特筆すべき名歌であろう。


 大君(おおきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と しらぬひ 筑紫(つくし)の國に 泣く子な

す 慕ひ來まして 息だにも いまだ休(やす)めず 年月も いまだあらねば 心ゆも 思はぬ

間(あひだ)に うち靡き 臥(こや)しぬれ 言はむ術(すべ) 為(せ)む術(すべ)知らに 石

木(いはき)をも 問(と)ひ放(さ)け知らず 家ならば 形(かたち)はあらむを うらめしき 

妹(いも)の命(みこと)の 我(あれ)をばも 如何にせよとか にほどりの 二人並び居(ゐ)

 語らひし 心背(そむ)きて 家ざかりいます(― 大君が支配なさる、遠い政庁が存在する場

所であると言って、遥かに遠い九州の地まで、泣く子が親を慕っている如くに急いでおいでにな

って、まだ旅の疲れの息さえも十分に整えることもしないで、年月もまだ経過していないのに、

全く思いもかけずに病気になって、妻は床に臥してしまわれたのでした。何と言って慰めたらよ

いのか、どうしたらよいのかも分からずに、身の周りの石にも木にも物を問いかける術を知らな



ありますが、私にどうしろと期待しているのだろうか、あんなに仲良く語り合った夫婦仲だとい

うのに、私の気持に背いて一人で家を離れてあの世に行ってしまったのです、永遠に)


 家に行きて 如何(いか)にか 吾(あ)がせむ 枕づく 妻屋(つまや)さぶしく 思ほゆべし

も(― 家に行ったところで、私は何としよう。枕を並べてある妻屋もきっと物淋しく思われる

であろう)




すべなさ(― ああ、こうゆうことであったのに、私を慕って九州の地まで来た妻の心の、何と

もするすべもなく心を打つことだよ)


 悔(くや)しかも かく知らませば あおによし 國内(くぬち)ことごと 見せましものを(―

 残念なことだなあ。こういうことと知っていたならば、国中を全て見せておくのだったのに)


 妹が見し 楝(あふち)の花は 散りぬべし わが泣く涙 いまだ干(ひ)なくに(― 妻の観た

楝・栴檀 の花は散ってしまうだろう。私の涙はまだ乾かないと言うのに)


 大野山(おほのやま) 霧立ち渡る わが嘆く 息嘯(おきそ)の風に 霧立ちわたる(― 大野

山に霧が一面に立ちわたっている。私の嘆く、嘆きの息によって一面に霧が立ち渡っている)


 父母を 見れば尊(たふと)し 妻子(めこ)見れば めぐし愛(うつく)し 世の中は かくぞ

道理(ことわり) 黐鳥(もちどり)の かかはしもよ 行方(ゆくへ)知らねば 穿沓(うけぐつ)

を 脱(ぬ)き棄(つ)る如く 踏(ふ)み脱(ぬ)きて 行くちふ人は 石木(いはき)より 成り

出(で)し人か 汝(な)が名告(ぬ)らさね 天(あめ)へ行かば 汝(な)がまにまに 地(つち)

ならば 大君(おおきみ)います この照らす 日月の下(した)は 天雲(あまくも)の 向伏

(むかぶ)す極(きは)み 谷ぐくの さ渡る極(きは)み 聞(きこ)し食(を)す 國のまほらぞ 

かにかくに 欲(ほ)しきまにまに 然(しか)にはあらじか(― 父母を見れば尊く、妻子を見れ

ば胸が痛くなるほどに可愛いと思う。この世間ではそれが道理である。この世を逃れて行く所は

ないのだから、モチに引っかかった鳥のように離れられないものなのだ。穴あき靴を脱ぎ捨てる

ように、脱ぎ捨てて行ってしまう人は、石や木から生まれた非情な人なのか。お前の名前を言い

なさい。天に行くなら、お前の思うままにするがよいが、この大地の上は大君が治めておられ

る。この照り渡る太陽や月の下は、雲の果、陸の果てまで、天皇の統治遊ばされる麗しい立派な

国なのだ。ああ、こうと、自分の思いのままにするのもよいが、私の言う通りではないだろう

か。物の道理は)


 ひさかたの 天路(あまぢ)は遠し なほなほに 家に帰りて 業(なり)を爲(し)まさに(―

 天に昇って自由に振舞う道は遠いのだから、素直に家に帰って家業に励みなさい)


 瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食(は)めば まして偲(しの)はゆ 何處(いづく)より 來

(きた)りしものそ 眼交(まなかひ)に もとな懸(かか)りて 安寝(安い)し寝(な)さぬ(― 

美味しい瓜を食べると子供の事が思われる。又、栗を食べれば一層子供のことが愛しくなる。一

体、子供という存在は何処からやって来たのだろうか。何時も目の前に子供の存在がちらついて

安眠さえ出来ないのだ)


 銀(しろかね)も 金(くがね)も玉も 何せむに 勝れる寳 子に及(し)かめやも(― 人間

というものは金銀財宝などと言う化物にとり憑りつかれては、一生を棒に振るものだ。しかし、

考えるまでもなく子供という有難くも愛らしい至宝が神様から我々に与えられているのだ。何を

齷齪する必要があろう)  ―― 子供に加えるに、私は、草加の爺はもう一つ自然環境を加えた

いが、如何? 日本は昔から、神ながら(ー 神様の御心のままに人間を始め万物を正しく導い

てくださる の意)の国と正当に言い伝えて来ていますが、貴方様はどの様に思われますでしょう

か。





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最終更新日  2022年11月26日 09時56分17秒
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