草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2025年01月23日
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あ ひ の 山

 夕べ、朝(あした)の憂い勤め、遊女の美しさは一時の花とは承知していながらその容姿に迷い通ってく  

る客に数々の艶書に筆を染めても誠は薄く、しかしながら、本当に惚れ込んだ恋人の場合には別で、富士

山を麓に見るような高い恋の山に自分から進んで分け入り、中戸での密会に儚い夢を結び、月の明るさを

恨んだ夜もある。

 嫌な客の座敷から他の客の許に呼ばれて行く途中でも、人目を忍んで恋人に逢うにも鹿島の神を知り、

芯から嬉しい可愛いと感じた相手へは身にも応えて忘れられない。

 初会から二度目までも相手を嫌ったのに、なおも懲りずに来る客にねだられていやいや祈請文を書いた

こともある。神も仏も一方の耳には誠を、他方の耳には嘘の誓言を囁かれているわけだが、自分としては



にも籬(まがき、店と入口の落間・おちまとの間の格子戸)越しである。

 何を嘆こう、嘆いても、身は十年奉公の繋がれ舟、今日の勤めを済ますと思えば、もう翌日の勤めが始

まるのだ。絶えずに目を光らせている遣手が攻めてくる。呵責の責めは地獄の鬼よりもまだ恐ろしい。仕

舞い太鼓(三番太鼓。これを合図に大門が閉まる。およそ午後の十時から午前二時の間)の音までも寂滅為

楽、死んだがましと響くのだ。

 死出の山路は誰であって同じ泊まりの旅の宿。憂き世を隔てる涙川、この世に浮名を晒すそれではない

が更科や、姥捨て、親捨て、身を捨てて、親は他国に子は島原に、桜花かや散り散りに、五つでは糸をよ

り初め六つでは難波にこの身を沈めて、八つで遣手に付き添い、九つで恋の小使い、十(とお)や十五の初

姿(はつすがた、初めて遊女の姿をすること)、髢(かもじ)入れずに地髪房々の衣装のこなし、心利発で道

中よくて、恋い知り譯知り、文の文章、「思い参らせ候」と、床での客のあしらいも上々で、沈(じん)や

麝香の香りまで今の手向けとくゆらせる。種を蒔き捨てた撫子(源之介のこと)の花の盛りを余所に見て、



何を以て後世の土産とも全く知らずに、白露の化野(あだしの)や、相の山野辺よりあなたの友と言っては

樒(しきみ)ひと枝一雫、これが冥土の友となる。せめてこの言葉があの世への道しるべとなってくれ。

形見ともなれ回向となれ。迷うな我も迷わじと思いを込めた一節に聴く人は哀れを催すのだった。

 扇屋夫婦は情け深く、ねえ、あなたは聞き及ぶ藤屋の伊左衛門殿であろうよ。人目を忍ぶのも時による

こと娘とも思う夕霧の臨終の心を堪能させてやりたい。早く会ってやってくださいな。ああ、忝けないと



な、と息子が縋り付けば家内の一同がわっとばかりに声を挙げて泣沈む。それも道理であるよ。

 重病の床につきながら手を合わせて、旦那様、小さい頃から御苦労に預かり、御恩も報ぜずに死にます

る。我ながら頼み甲斐のないこと、愛しい男と可愛い子供に会わせてくださいました。私はもう既に仏に

なったも同然で御座んす、いっそのことに伊左衛門様の手でこの髪を切って貰い、仏の形になって親子の

手から水を、水をという声も絶え絶えにこそなってしまった。

 おお、髪飾りは仮の戯れ、仏の三十二相とは荒木(伐り出したままの木材)に刻んだ卒塔婆こそがそれだ

と聞いている、ただいまそれがしが切る髪は阿字の一刀(阿字は梵字の根本で、一切の真理を含有し、これ

を深く観ずればあらゆる煩悩を去り、また、阿彌陀仏の名号を唱えれば全ての煩脳を絶つことが出来ると

され、その様を鋭利な劔で物を断ち切るのに譬えた)、彌陀の利剣を以て煩悩の絆を断つと観念せよ。と差

し添え抜いてかつては添い寝をして寝乱れたことのある黒髪をふっつと切れば、源之介は勿体無いぞ、大

切な髪を身に添えて悶え伏してぞ嘆いたのだ。

 重ねて樒の水を携えて、これ、夕霧よ、人界は一生造悪の娑婆世界だぞ、わけて遊君、流れの身は面に

紅粉を飾ってあまたの人を迷わし、綾羅錦繍を身に纏い多くの酒を汲み流し、煩悩の種を植えて菩提の根

を絶つとは遊女のこと。この水は極楽の八功徳池の水と思い、雨甘露法雨愍衆生故(うかんろほううみんし

ゅじゃうこ)と聞くときは、これを飲んで心身を潤し、九品の淨刹(せつ)に往生し、半蓮を空けて待ってい

てくれ。これがその折の証拠になるように、と同じく自分の髪を切り落として親子夫婦の手向けの水を夕

霧の口にたらしこんだ。哀れでもあり、又頼もしい限りだ。

 こうした所に吉田屋の喜左衛門が六尺(駕籠舁き)に金箱を持たせて、これは平岡左近様の奥方のお雪様

のお使いで、夕霧を請出す手はずが違ったのは、今更悔やんでも仕方がない。けれども代金の八百両はそ

の為の金子であるから、外に使う手段はない。ご病気はもってのほかの由、この金にて請出して一時なり

とも廓の外で往生させなさいとのお使いであるよ。

 そう言っているところに下袴(町人が使用する略式の袴)姿の若い者が金箱を数多く人足に担がせて、こ

れこれ、扇屋殿、我らは藤屋伊左衛門様の御老母、藤屋妙順様よりのお使い、伊左衛門様は父(てて)御の

御勘当に関しては今はこの世に亡きお人なれば、お袋様の我が儘で勘当の御免はなり難い。夕霧様には御

一子まであること、一時なりとも廓を出し、外にて往生させたいとのお願い。金子二千両を持参致すの

で、さあさあ、片時も早く廓を出して下されい、と勢い勇めば扇屋了空、ご尤もなれども金子を取って隙

をやるとはこれからの年月を無事に勤める女郎の場合である。今死んでしまう夕霧に大分の金銀を取って

隙をやるとしたら、この扇屋は盗人も同然になってしまう。殊に全盛して親方に大分儲けさせてくれた此

の太夫、命さえ助かるものならその為には扇屋の財産の半分を投げ出しても惜しくはない。この金子は夕

霧、そなたにやろう。臨終に金を与えるとは異なことと思うであろうが、この金であれば万部読経(一人ま

たは万人で万部の経を読誦すること)も出来るであろうよ。死後にどのような追善供養がして欲しいか、さ

あさあ、暇をやったぞ、廓を連れてお出なされよ。と実に潔い取りなしである。流石に長年粋を磨く遊里

に住んできただけのことはあるのだった。

 今を限りの夕霧、にっこと笑い、ああ、どなたもどなたも有難い御志ですね、お礼を申して下さいま

せ、伊左衛門様、これ源之介よ、この金は親方様から下された、そなたに母(かか)が譲る、立派な歴々の

町人になって父(とっ)様の名を挙げて下さいよ。そなたの出世を草葉の陰から見守るであろうなら、万僧

の供養に勝って母(かか)は仏になれるであろう。さりながら、伊左衛門様、源之介と妙順様を並べて三尊(

彌陀・観音・勢至)が来迎なされたと拝みたい気持ちですよ。

 やれ、妙順様をお迎えに走れと立ち騒ぐと、いや、呼びにやるまでもないぞ、病状を気遣って、あれ、

門口にと、手代を伴って入ったので、のう、嫁御や、珍しいや珍しや、嬉しい対面、誠の仏は西方のお迎

え、この妙順はこちらのお宅に迎えとり、金でなることなら何でもして養生させ、この姑が精力で本復さ

せてみせよう。と、家内が勇む勢いで病気は心の持ち様一つで罹りもすれば治りもする。夕霧はたちまち

にして本復し、顔も生き生き、にこにこと立って踊るのだ。

 扇屋の看板太夫の夕霧が憂えは霧消して却って喜びを語る、語り伝えて三十五年、又五十年、又百年、

千年の秋の夕霧を遥かに万年後の人々も仰ぎ見ることをやめないのだった。





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最終更新日  2025年01月23日 19時36分22秒
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