草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2025年03月17日
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博多小女郎波枕(はかた こじょろう なみまくら)

        上 之 巻

 船をだしゃらば(出すなら)、夜深(ふか)にだしゃれ、帆影を見るさえ気にかかる。

 長門(今の山口県西北部、長州)の秋の夕暮は歌に詠まれている文字ではないが、門司が関、下の関とも

名に高い、西国一の大湊、北には朝鮮の釜山(ふさん)海、西には長崎薩摩潟(さつまがた)唐阿蘭陀(オラン

ダ)の商品代物を、朝な夕なに引き受けて、千艘が出港すれば入り船も、日に千貫目・萬貫目、小判走れ

ば銀が飛ぶ。

 金色世界もかくやらん、沖では何を待つのか、檜垣作(ひがきつくり、両舷に檜垣を組み立てた六、七

百石以上の荷船)、十四五端(遠距離を往来する回漕船で、十四、五反の帆を張るもの)の廻船に船頭や舟



り衆共が櫓(やぐら)の上でつっくつく(熟視するさま)、そよとの波音や舟影にも心を附ける蚤取り眼(まな

こ)、物案じている頬がこけた表情。中でも頭の毛剃(けぞり)九右衛門、生まれは長崎、国訛り、こりゃ

、うん達(お主たち)、まだ市五郎三蔵の舟は見えないか。心許(もと)なかばい、心魂切(たまぎ)りゃ夜敏

(さと)くなって、身だ(自分は)まんじりともせない(出来ない)。首尾よかろうば筑前さなへ(ちくぜん、今

の福岡県の北部、の方へ)この船を廻して、柳町(やなぎちょう、博多の遊女町の名)のしゃうしゃうてい

(遊女を言う。長崎の方言)ども請け出(だ)して上方さなへ突っ走る。

 表の間を借り切った上唐人(かみたうじん、上方の素性の知れない者の意)は船頭が馴染みで筑前まで乗

せなければならぬと言う。仕事がうまくいかなかったなら、筑前へは行けないぞ。船出の幸先がよいよう

に良い辻占でも聞きたいところだ。表の衆を呼んで来い。噺でもして気を紛らわそう。

 あっ、と答えて平左衛門が呼びに降りればその跡は、鬼とでも喧嘩しそうな男どもがあんぺら(南洋原

産の貝多羅・ばいたらの葉を竪に細く裂いて編んだ蓆)を取って敷かすやら、茶だし(急須)に唐茶(中国か



 表の乗り衆の小町屋惣七は生得慇懃で都の育ち、呼ばれて櫓に割り膝(正座)して、船頭と馴染みなので

押し付けがましい乗船を願った者なので、御尋ねがなくともご挨拶致す筈であり、無礼御免と手をつけ

ば、ああ、堅い、堅い、同船いたし一つ釜の食事を食べるのは親類同然と申して良い。さあ、お辞儀はや

められて手をお上げなさいよ。この五人は我らの仲間、隔てなく話をする仲、近づきになってお噺なされ

よ。



人)、こちらは同国の者で彌平次と申す仁、次は上方の小倉屋傳右、難波屋仁左、そこもとを呼びに参っ

たのは阿波(あは)の徳島平左衛門と申して髪月代(さかやき)を致している。十分とはいくまいが、船中の

間に合わせに理髪の用なら遠慮なく頼まれるがよい。して、そこもとはいづくいづかたから参られたのじ

ゃ、我らも生国は長崎で、伜の時分に親に連れられて生まれ所を引越し京住まいになりました。父の名は

小町屋惣左衛門、同名の惣七と申す者です。売り買いのために筑前へは毎年の上り下り、どなたも船中平

懐(ひらがい)御免(普段と同じ気持でいる意で、楽にする事を言う)、よいお近づきを求めることができま

したと、礼儀を崩して膝も崩れて、改まった詞遣いを止めて寝転んで、早くも千年の馴染みほどに打ち解

けたのだ。

 九右衛門は顔色も打ち解けて、船中の寂しさを紛らわすのには物語ほど退屈しのぎになるものはない。

おんども(おれども、の訛り。我々、我)が二十七の年に、薩摩者と喧嘩した噺は嘘じゃなかばん、正真正

銘の話だから聞かっしゃれ、九月の七日九日は氏神殿の祭り、本踊いろ、唐子踊いろ、見事なことばん本

興善(もときょうぜん)町と言うところで石御器(いしごき、茶碗)に一二杯、肝の束ね(臓腑の真ん中)へ諸

白(もろはく、上等の酒)をいっかけた(聞こし召した、注ぎ込んだの意)薩摩二歳(薩摩者を罵って言う詞、

二歳は年少者の蔑称)、ふとか男で有ったばん、諏訪(すは、長崎の東北にある諏訪神社)に踊りを見に行

くすれ違いに、長か赤鰯(あかいわし、錆びた刀、ここは単に刀を罵って言ったもの)の小尻がくさの、お

んどもが脇腹さなへ當たるが最後、引っつまんで壁へかいなすろうと思って、刀の小尻を逆に掴んでくる

りと投げ倒した。それはそれは見事なことで有ったがのう。

 他国者に投げられては国へ帰っても成敗、処刑されて死ぬよりほかはない。死ぬ命は何処でも一つと、

二尺八寸を引き抜いた。コリャン、ほたゆるな(ふざけるな)と又引き担いで投げたがの。角(かど)のある

溝石でくさ、頭の皿が粉みじんに砕けた。お、舟で割れたと言うのは忌々しい。頭の皿が走った、走っ

た。血が飛ぶやら、涙が出るやら、頭を抱えて連れていた供の雇人に負われて、小宿さなへ往(い)んだが

の。今で思えば無慚(むざう)らしげに(酷いことをした)、そがいにせでも大事なかたん。上方衆は気がよ

か(気が優しいから)けん、こがいなことは有るまいと、仕形交じりの高噺、皆安閑(ぼんやり」と聞いて

いる。

 さあ、京のお客がお話なされよ。段々に所望せん(面白い話を聞かせてもらおう)。上方は色所だから定

めて深い訳、色恋沙汰もあるだろう。お噺をなされと口々に乗せれば、乗って、さればされば、親惣左衛

門は吟味強く(監督が厳しくて)京・大阪では鐚半文(びたひら、銭一文、半銭でも)も自分のものであって

自由にはならない。毎年の筑前通いを幸いに、柳町の小女郎とはそもそもより互いに熱くなってのぼせ、

是非当年は請出して、相手の遊女も女房にしてもらうつもりでいる。こちらも当然に女房にするつもりで

いる。

 半分聞いて、ああ、仰るな、聞くまでもない。我らも博多に参るもの、この一座五人が小女郎殿の身請

け幇間(たいこ)、大尽くゎっと祝儀を弾みなさるがよい。と、毛剃りが起きて膝を立てれば、ようよう、

身請けの大尽様、こりゃ誰が大尽です。小女郎様の大尽と一座の者がはらりと惣七を取り巻いて、座興も

過ぎれば惣七はむっとして、嬲りものにするのか、それとも侮るかと、心がくるくるしてわき返る。

 胸を抑えて、えへんえへん、今朝から風邪をひいて頭痛が致す。跡の噺は後刻後刻と言い、どなたもこ

れにゆるりと御座れと挨拶して、思い悩みながら立ち煩い、やっとのことで下に這い降りた。

 身請けする程に内証(懐)が温かなくせに風邪をひいたとは、どこやら足りない和郎(わろ、人を罵って

って言う)そうなと悪口、苦口、豊前の小倉の方向から波を押し切って来る俊足の小舟が、この船を目当

てに真一文字、脇目もふらずに真っ黒になって漕ぎ着けたのだ。

 九右衛門は始めに立ち騒いで、やあ、三蔵、市五郎、首尾は、首尾は。近年の拍子よくて、荷物受け取

り受け取り、銀(かね)渡し、あっちも機嫌、こちらも仕合せ、荷数を手形に引き合わせて渡しましょう

と、聞く嬉しさ、船頭起きよ。舟子(かこ)も来い。荷物受け取れ、よしきたまっかせと、心も勇む虎の

皮百五枚、仕合せすれば心の塞ぎを治す薬だ。

 海老手(えびで)の人参(にんじん、韃靼国・カスピ海から太平洋沿岸までの非常に幅広いユーラシア大

陸の地域・産で、飴色を帯びて尾が曲がって海老の形に似ているので言う)五箱で三十斤、仕損じたのは

手廻しの緞子(どんす)七櫃二百本。舟から船への移しの麝香、四十臍(へそ)。

 何と、遠見(とうみ、海上監視の役人)に見つけられはしなかったか、気もないことを言わしゃるな、そ

んな間抜けは致さない。紗島絽(しゃしまろ)が十五箱、さりながら五絲緞(むりよう)の繻子が十二丸、世

話入った(精製に手数をかけた)漆七桶、運が強かったのは一昨日(おととい)の夜の月影、照りのよい光沢

のあるべっ甲百斤、首尾よく済まして帰りました。

 天地の恵み、明星ほどの珊瑚珠(さんごじゅ)八十粒、契約書の記載に従って渡しましたよ。この一通は

来夏船の割符(わつふ)、迎え船のおでなされとの言伝でした。そう言って渡せば、押しいただいて、手柄

高名休み召されよと言い、船中の者に向かって、二人の衆にも酒を飲ませよと命じた。

 三蔵と市五郎は喜んで、お目出度いお頭様、ご褒美をしっかりと頂戴して、御酒も祝って下さいませと

二人は本船の方に乗り移った。

 九右衛門は相仕(仲間、相棒)等を呼び寄せて、小声になって、いづれもみなかったか、荷物を船につみ

こむ時から、乗合の京の奴、垣立(檜垣)から顔を差し出して、合点が行かないといった顔つきだった。生

かしておいたら頬桁叩き喋り散らして、やがては難儀が降りかかるのは目に見えたことだ。さりとて切り

殺してしまうのは大事な門出だ。血を見るのが忌々しい。絞め殺して海に放り込め。彼の供の者もいるよ

うだな。油断するでないぞ。

 おっと任っかせ、呑み込んだ。皆の衆抜かるな、心得た。とばかりに鉢巻・襷・尻からげ、腕骨試し、

力試し、船の仕切り板を小盾代わりにして、時分を伺い、櫓の下の降りるのも忍び足、場所は沖合の真っ

只中で潮風以外には仲間だけしかいない。聞く人もなければ見る人もない。人は知らないだろうと思うの

が結局は自分達の身の上を知らないのだ。

 下人が喚く、よしきた、という声、下人が櫓の上に躍り上がるのを追い続けて、彌平次と傳右衛門の二

人が中に取り巻いて、中に差し上げ是わいなと船外に放り込む。波に飲まれて哀れや、下人は海底の水屑

(みくず)となってしまった。

 さあ、一人はしてやったぞ、惣七めが見えないぞ、探せ、探せ。こりゃこりゃ、此処に伝馬・てんま込

め(船の舳先と艫の両方にある出入り口。開口・かいのくち)に居るぞ、という声に、惣七は水棹をおっ取

って狂い出て、やあ、海賊めら、様子を一々見届けたぞ、死ぬとしても一人で死ぬものか。外滅法、滅多

矢鱈に打ち立てた。

 後ろへ廻って市五郎、隙を伺い掴みかかれば取って投げ、投げられながら相手の足首をしっかりと取

り、真っ逆さまにずんでんどうと、どうと響く波音に乗じて襲い掛かった。

 大勢でかかってだんぼらぼ(海中に物を投げ込んだ水音)、辺も知れない海の中真っ逆さまに打ち込ん

で、さあ、し済ましたぞ、目出度いぞと笑う声、惣七がはっと気づいて見れば自分は伝馬舟の中いる。物

音がしたら都合が悪いだろうと、纜(ともづな)を解いて艫を押し立て悪魚毒蛇の口よりも遁れ難い場所か

ら逃げ出して、一反ばかり漕ぎ出し、漕ぎ出した。

 おっ、皆々骨折(ほねおり)、骨折。惣七は此処からお礼を申すぞ。この返報は重ねて返してやるぞ心が

急くのでえいさっさ、えいや、運は伝馬舟にあったぞ。押すや櫓腕の続く限り、命を限りと漕ぎに漕ぐ。

 いひきにて、いひきにて、すいちゃえんちゃ、すはひすふいてう、ひいたらこはいみさいはんや、さん

そ、うゎうわう、うゎうわう、ああ、起きや起きや(禿の声である)、のう、欲市(盲目の三味線弾きの名)

殿、その拍子では踊れませんよ、銭太鼓の三味線を知らないのなら始めから始めからそう言ったらよい

に。長崎の伊左衛門様(さん)(欲市を指して皮肉って言う、知ったかぶりをする田舎通人の意)は違ってい

るもの、もう踊りませんよ、それで藝があがるものか、三味線が弾き止むまでさあさあ、踊りなされ。と

言ったところ、何と言われても踊りませんよ。三味線を止めてこなたも石臼か跛(ちんば)でも引くがよい

ぞ。何だと、跛をひけだと。盲と思って侮るなよ。目を二つ持ったおのれらにさあ、思い知らせてやろ

う。そう言って三味線を振り上げて、声をあてどに追い回した。

 亭主の奥田屋四郎左衛門が奥の台所から立ち出でて、こりゃ何じゃ欲市よ、慎みなさいな、大人げない

ぞ。禿共も悪ふざけすると遣手に告げて叱らすぞ。やい、重(しげ)の丞(禿の名)、今日は小女郎様の母御

の十三年忌、追善の為に身揚(みあが)りして(遊女がみずから揚代を負担して勤めを休むこと)、小女郎様

は奥の間で経念仏をしておられるぞ。付いている太夫様の親御のこと、線香でもあげようと思う気はなく

て、盲を相手に何事じゃ。

 いえいえ、私ども二人は銭稽古をしていたところ、欲市が三味線で邪魔をしたのです。その銭太鼓がな

お悪いぞ、あんな賑やかな稽古はこんな日にするものではないぞ。奥に行って太夫に付き添っていなさ

い。二人ともにとっとと行きなさい。こりゃ、欲市、表の二階に宰府(さいふ)の源様が来て御座るが見廻

ってご機嫌伺いをしたのか。

 おっと来た、早速に祝儀の一角(一両の四分の一の価の金貨)にありつこうと、人の巾着を宛にして貰わ

ぬ先の締めくくり。財布ならぬ、宰府の客へと取りに行く。





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最終更新日  2025年03月17日 17時08分28秒
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