草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2025年04月08日
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中 之 巻

 福徳円満に、天満天神の名をそのままに借りて橋の名として、真っ直ぐに天神橋と行き通う。所も神の

お前町営む業(わざ)も神ならぬ、紙の見世に、紙屋治兵衛と名をつけて、千早振るではないが客が降る

ほどに大勢買いに来る。

 正直の頭に神宿るとか、正直商売を心がけているので所柄もあり、父祖の家業を受け継いで手堅く商売

を続けている老舗である。夫が炬燵でうたた寝を枕屏風で風を防ぐ、外は十夜の人通り、店の商売と家庭

の商売を一手に締めくくって、女房おさんの心配り。

 日は短い、夕飯時に青物市が立っている天神橋北詰の川岸まで使いに行った玉は何をしているのだろう

か。この三五郎めが戻らないこと。風が冷たい、二人の子供が寒かろう。お末が乳を飲みたがる頃だ、何



 母(かか)様一人で戻ったと走って戻る兄息子、おお、勘太郎、戻りゃったか、お末や三五郎は何とし

た。天満宮の境内でたんと遊んで乳を飲みたいと泣きやりました。そうこそ、そうこそ、こりゃ手も足も

釘になった(寒さで凍えて冷たくかじかんだ様を言う)。父(とと)様の寝てござる炬燵にあたって暖まり

ゃ。この阿呆め、どうしようと、待ちかねて見世に駆け出せば、三五郎ただ一人がのらのらとして立ち帰

った。

 こりゃ田分け目、お末は何処に置いてきた。ああ、ほんに何処でやら落としてしまった。誰ぞ拾ったか

知り申しません。何処か尋ねて参りましょうか。

 おのれ、まあまあ大事な子を怪我でもあったらぶち殺すぞと、喚いているところに下女の玉がお末を背

中に背負って、おうおう、愛しや、辻で泣いてござんした。三五郎や、お守りをするなら満足にまともに

しなさいよ、と喚いて帰れば、おお、可愛や可愛や、乳飲みたかったであろうよ。同じく炬燵に添え乳を



今お宮で蜜柑を二つ宛くらわしました。そしてわしも五つ程喰らいました。そう阿呆の癖に軽口叩くので

おさんも玉も苦笑いするばかりなのだ。

 や、阿呆に気を取られてうっかり忘れるところでしたよ。申し、申し、おさん様、西の方から粉屋(こ

や)の孫右衛門様と叔母御(冶兵衛の叔母で、おさんの実母)様が連れ立ってお出でなされまする。

 これはこれは、それでは冶兵衛殿を起こそう。のう、旦那殿、起きさしゃんせ。母様と伯父(勘太郎と



が悪かろう。

 おっとまかせ、よしきたとむっくと起き上がり算盤を片手に帳を引き寄せて、二一天作の五(十を二で

割ると五)九引が三引(くっちんがさんちん、九を三で割ると三)六引が二引(六ちんが二ちん、六を三で

割ると二)、七八五十六、五十六歳になる叔母を打ち連れて孫右衛門が内に入れば、や、兄じゃ人、叔母

様これはようこそ、ようこそ、先ずはこれへと招き入れ、私は今急な算用を致しておりまする。四九三十

六匁三六が一匁八分で二分の勘定が立つ、勘太郎よお末よ。祖母(ばば)様伯父様がお出でじゃぞ、煙草

盆を持っておジャ。一二の三、それおさんお茶を差し上げましょう、と口早である。

 いやいや、茶も煙草も飲みに来たのではない。これ、おさんや。いかに若いとは言っても二人の子の

親。結構なだけ人が良いだけが手柄ではないぞ、連れ添う夫が放蕩するのは皆女房の油断からじゃ。身代

やぶり夫婦別れをするのは男の恥ばかりではない。夫にごまかされないように周囲に気を配り、心を引き

締めるが良い。と注意すると、叔母様よ、愚かなことをお言いでない。この兄をさえ騙す不覚悟者、女房

の異見などを大人しく聞こうか。

 やい、冶兵衛、この孫右衛門をぬくぬくと騙し、起請まで返して見せたのに、十日もたたないのに何じ

ゃと請出すだと。ええ、うぬはなあ小春の借銭の勘定をしているのか。措きやがれと、算盤を追い取り店

先の土間にがゎらりと投げ捨てた。

 これは近頃迷惑千万、先度より後は今橋の問屋へ二度と天神様へ一度以外は敷居より外へ出なかった

私、請出すことはさておき、小春のことは思い出しもしていません。

 言抜けはしないでおいて下さいな、言いやんな。昨夕(ゆんべ)十夜の念仏に講中の物語。曽根崎の茶

屋紀伊の国屋の小春と言う白人(はくじん、公認の遊里以外の色里の遊女を言う)に天満の馴染みの深い

大盡が外の客を追いのけて、直ぐにその大尽が今日明日にも請出すとの専らの評判だ。

 物価高で暮らしにくい世の中でも金と田分けは沢山にいると、色々の評判。こちらの親仁(おやぢ)五

左衛門は常々小春の名は知り抜いて、紀伊国屋の小春に天満の大盡とは治兵衛めに極まった。嬶(女房)

の為には甥であるが、こちらは他人だ、娘が大事。茶屋者(白人に同じ)請出して女房を茶屋に売るだろ

うよ。衣類一切を傷つけられないうちに取り返してくれようと、沓を脱いで半分は降りられたのを、のう

のう騒々しい、穏やかにも出来ることを明るい暗いを聞き届けた上での事とおし宥めてこの孫右衛門が同

道して来たのだ。

 孫右衛門の噺では、今日は昨日の冶兵衛ではない。曽根崎の手も切れて極上の真人間、そう聞けば跡か

らぶりかえる(一旦快方に向かった病人がまた悪くなるのを言う)、そもそもどの様な病気なのか、そな

たの父(てて)御は叔母の兄じゃ。愛しや光誉道清(治兵衛の父親の戒名)が往生の枕を上げて、婿であり

甥だ、治兵衛の事を頼んだぞの一言が忘れられない。しかし、そなたの心一つで頼まれた甲斐もないわい

の。そう言うと、かっぱと伏して恨み泣きしている。

 治兵衛は手を打って、はああ、読めた、読めた、取り沙汰のある小春はあの小春であっても請け出す大

盡は大きに相違、兄貴もご存知の暴れて踏まれた身すがらの太兵衛だ。妻子眷属(親類)を持たない奴で

す。金は在所の伊丹から取り寄せる。とっくにきゃつめが請出すのを私に引き止められていたのに、この

度時節到来と請出すに決まった。我らは存じもよらぬ事と言えば、おさんも色を直してホッとし、例え私

が仏でも、男が茶屋者をうけだしたら、その贔屓をするはずもない。是ればかりは此方の人に微塵も嘘は

ない。母(かか)様、証拠には私が立ちまする。と、夫婦の詞、割符を合わせたようにぴったりと合い、

食い違いはないのだ。

 さてはそうかと、手を打って叔母と甥共に心休めたのだが、むむ、物には念を入れることが肝要。まず

まず嬉しいが、とてものこと心を落ち着ける為に、かたむくろ、頑固一徹の親仁殿、疑いの念が無いよう

に誓紙を書いてもらうが合点か。

 何が何、千枚でも仕ろう。いよいよ満足だ。と、即ち途中で求めたのだと孫右衛門が懐中から熊野の牛

王(ごおう、神社仏閣から出す護符)の群れ烏を取り出して、小春と比翼連理を誓って取り交わした、そ

の誓紙とは打って変わって、今は天罰起請文(起請文は最初に、天罰起請文之事と書くのが例であっ

た)、小春と縁を切る思い切る、偽り申すに於いては上は梵天帝釈(ともに仏法守護の神)下は四大(四大

天王、帝釈天の下に属して、同じく仏法を守護する神)の文言に仏を揃え、神を揃えて、紙屋冶兵衛名を

しっかりと書き、血判を据えて差し出した。

 ああ、母様、伯父様のお陰で私も心が落ち着き、夫婦の間に子供までなした今日までついぞ見たことの

ない誓約、皆さん喜んで下さいませ。

 おお、尤も尤も、この気になれば身持ちも固まる。商い事も繁盛しよう。一門中が世話をかくのも皆治

兵衛に良かれと思ってのこと。兄弟の孫共が可愛いからだ。孫右衛門おじゃ、早う帰って親仁に安堵させ

たい。周囲世間が冷えて来ている、子供に風邪をひかしゃんすな。これも十夜の如来(阿弥陀如来)のお

蔭、せめて此処からなりともお礼の念仏を唱えましょう。南無阿弥陀仏、と言って立ち帰る。心は直ぐに

仏になる。

 門送りさえそこそこに、敷居も越すか越さぬうちに炬燵に又も冶兵衛はころりとなり、布団を被った。

布団には格子縞、まだ色里を忘れかねているのかと、おさんは呆れながら立ち寄って、蒲団を取って引き

退ければ枕に伝う涙の滝だ。身も浮くばかりに泣いている。

 引き起こし、引き立てて炬燵の櫓につき据えて、顔をつくづくと打ち眺め、あんまりじゃ治兵衛殿、ほ

れほどに名残が惜しいならば誓紙などを書かなければ良かったのです。一昨年(おととし)の十月中の亥

の子に炬燵を開けた祝儀にまあ、これここで枕を並べた時以来、女房の懐には鬼が住むのか蛇が住むの

か、二年と言うもの巣守(もと、孵化しないで巣の中に残る卵を言うが、ここは孤閨を守る意に用いた)

にして捨てておいて、ようやく母様や伯父様のお蔭で睦まじい夫婦らしい寝物語もしようと楽しみ時間も

与えずに、本当に酷い、つれない態度。それ程に心が残っているのでしたら泣かしゃんせ、泣かしゃん

せ、その涙が蜆川に流れて小春が汲んで飲むでしょうよ。ええ、曲もない(面白くもない、詰まらな

い)、恨めしいと膝にすがって、身を投げ伏して口説き立ててぞ嘆いたのだ。

 治兵衛は眼を押し拭い、悲しい涙は目より出て、無念の涙は耳からなりと出るならば、言わずに心を見

せるのだが、同じ目から溢れる涙の色は変わらないので、心が見えないのは尤も、尤も、小春め、人の皮

着た畜生女、名残もへちまも何ともないぞ、遺恨のある身すがらの太兵衛、金は自由、妻子はない。色々

と小春を請け出す工面をしたけれども、その時までは小春めが太兵衛の心に従わず、少しも気遣いなさる

な、たとえこなさんと縁が切れて、添われぬ身になったとしても、太兵衛には請け出されません。もし抱

え主が金の力で、今の二人の仲を割き無理に私を太兵衛の手に渡すならば、ものの見事に死んで見せまし

ょうと何度も言葉を発していたが、これを見よや、退いて十日も経たないのに太兵衛めに請け出される。

腐れ女の四足め、心は夢々残らないが、太兵衛めと言う増上慢の悪口屋が、冶兵衛は身代が行き詰まり金

に詰まってなんどと大阪中を触れ回り、問屋中の附き合いにも面をじろじろ見詰められ生き恥をかくかと

思えば胸が裂け、身が燃える。ええ、口惜しい無念な、熱い涙、血の涙、ねばい涙を打越えて熱鉄の涙が

溢れるとどうと伏して泣いたので、はっとおさんが興醒め顔。

 やおうはう、それならば、愛しや小春は死にゃるぞよ。はてさて、なんぼ利発でもさすがは町育ちの女

で女郎の気持などは分からない。あの不心中者が何で死んだりするものか。灸を据え薬飲んで命の養生を

するだろうよ。

 いや、そうではないよ。わしも一生言うまいと思っていたが、隠し包んでむざむざ殺すその罪も恐ろし

く大事の事を今打ち明けまする。小春殿に不心中は芥子粒ほどもないけれども、二人の手を切らせたのは

この私小春の細工なのです。こなさんがうかうかと深みに入り込み死ぬる気色も見てたので、余りの悲し

さ、弱い者同士の女は相身互い、お互いに相手の立場を思いやるのが本当だと思い、思い切れぬであろう

がどうかそこの所をどうぞ夫の命を頼みます、頼みますと掻き口説いた手紙の文言に動かされたものか、

身にも命にも代えられぬ大事な殿ではあるが、引かれぬ義理合思い切るとの返事。わしゃ、これを我が身

の護符として、離さないでいる。これ程の賢女がこなさんとの契約を違えておめおめと太兵衛に添うもの

か、我も人も、女子と言うものは一度こうと決め込んだらなかなか後へは引かないものだ。死にやるわい

の、死にやるわいの、ああ、ああ、ひょんな事、困ったことになった、さあさあさ、どうぞ助けて、助け

て騒げば夫も敗亡(はいもう、驚き慌てて)し取り返した起請の中、知らぬ女の文が一通。兄貴の手に渡

ったのはお主から行った文だったか。それならばこの小春は死ぬかも知れないぞ。

 ああ、悲しい、この人を殺しては女同士の義理が立たない。まずはこなさん早く行って、どうぞ殺して

下さるな。そう言って夫にすがり泣き沈む。

 それであってもどうしたらよいのだ。たかだか身請けの金の半額を手付として一時食い止めるだけのこ

と。小春の命は新銀(享保銀)で七百五十匁を呑まさなければこの世に留まる事は適わない。今の治兵衛

には四宝銀三貫匁の才覚、体を打ち砕いても出て来はしない。

 のう仰山な、それで済むならば非常に易いことです。そう言って立ち上がり、箪笥の小抽斗を開けて惜

しげもなく様々な糸を綯交(ないま)ぜにした紐附き袋を押し開いて投げ出した一包み。

 治兵衛が取り上げて、や、金か、しかも新銀で四百目、こりゃどうしてと、自分が置いていない金に目

が覚めるばかりなのだ。

 その金の出所も跡で語れば解ることです。この十七日に岩国の紙の仕切り銀に才覚はしたけれども、そ

れは兄御と談合して商売の穴は開けない。小春の事は急なこと、そこに四々の壱貫四百匁と、大引き出し

の錠を明けて箪笥を開き、ひらりと飛ぶ鳶八丈(鳶色、茶褐色と黄色糸を縦横にして織った太織り紬)、

今日散ってしまい明日はない京縮緬の様な夫の命が知れない、白茶裏(うす茶色の裏地)、娘のお末が両

面(裏表共に紅の絹)の紅絹(もみ)の小袖に身を焦がす。

 これを曲げて(質入れして)、勘太郎が手も綿もない袖なし羽織も混ぜて、郡内(ぐんない、甲斐の国

都留郡を郡内と言い、そこから算出する絹布)の倹約からまだ袖を通していない浅黄裏(あさぎうら)、黒

羽二重の一張羅定紋丸に蔦の葉の、退きも退かれもしない中は、内は裸でも外は錦、男飾りの小袖まで浚

えて物数十五色。内端(うちば)にとって新銀三百五十匁、よもや貸さぬとは言うまいと思う物までもア

リ顔に、夫の恥と我が義理を一つに包む風呂敷の中に情けを込めたのだ。





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最終更新日  2025年04月08日 16時43分28秒
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