草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2025年07月16日
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姫君はあきれておわせしが、聞けば笑止、いたわしや、いやと言うのは大抵どうよく者と言われ

うず。心得たと言ってから、迷惑するのは我だけであるよ。新枕はどうこうときおいかかって行く

嫁入り、道から貸して帰るとは咄にも聞かない事、こちゃ義理ずくめになったかと、声を挙げて泣

き給う。

 道理の上の道理なり、やや有ってから涙を抑え、むむ、よしよし、合点した。そなたがその思い

であるからは男も心にかかるはず。二人の縁が離れない中へ嫁入りして可笑しくはない。蓋も懸け

子(箱のふちにかけて中にはめ込むように作った箱)打ち明けたこそ(何から何まで打ち明けたの

が)夫婦である。男を貸してやるほどに互いの心を晴らしてたも。

 さりながら余り懸け子を開けすぎて底を抜きゃったらこちゃ聞かぬぞ。と、涙ながらに宣えば、



をよそに飛び梅の神(天満天神、菅公の愛した梅が大宰府に飛んで行ったと言う伝説による)も憐

れみ給うであろう。

 さあ、とてもなら早いのがよい。元信はかねてより傾城好きと聞いているので、この小袖を見

よ、廓模様に言い付けた、これを着て行きゃと打掛を脱いで、七日と言うのも忌々しい(縁起が悪

くて嫌だ。七日は人の死後を連想させるからだ)、月一杯貸すぞや。

 ああ、御志はありがたけれど遂には別かれるこの身であります。しからば、七七四十九日が中は

私が妻と思召せ。この分で死んだならば、定めし男の餓鬼道に落ちましょうと、泣く泣く立てば姫

君は、そう言うてみな吸い干しゃんな。どこぞ少しは残してたも。

 こちはこれから腰元を連れて歩いて戻る。あの乗り物で皆供をしや。と、帰る姿を見て遠山は、

姫君様の情ほどわが身の罪は重くなる。借りる時の地蔵菩薩、に捨てられて返す時の閻魔の庁、ど

う言って逃れようかと涙をかこう神垣や、神も仏も見通しに、酸いも甘いも梅青む、北野の借り屋



手の宮が来るとは思いもかけないこと。

 その心底が届いたこと、姫君の情と言い、かたがたもだし難ければ、門弟雅楽之介・采女・隼人

・大学なんど宗徒の(主だった)弟子共、すべてよく賄(まかな)い、春平にも内意を得て、表向きは

銀杏の前御入り有りしと披露すれば、方々の音物(いんぶつ、贈り物)、樽よ、肴よ、巻物(荒巻・

秋に獲れたサケを軽く塩を振って姿のまま漬けたものにした魚か)よ。太刀・折紙の馬代(ばだ



麻裃、雑煮の黒(こく)餅、子持ち筋がつきづきしくぞ見えるのだ。

 その日もようよう傾く頃に、名古屋山三春平がお見舞い申すと案内が有った。雅楽の介が出迎

えて、先ずもってこの度は姫君様、御料簡美しく、おみやもあっ晴れ元信心を落ち着け申す事、み

な是貴公の御蔭、門弟中も忝く、悦び存知候といづれも礼をなしたのだ。

 是は迷惑、元信の為と存じたれば各々、同前の大慶、さて今日は五日目、五百八十の餅をついて

(婚礼後五日後に五百八十の餅を持って里帰りする風習があったらしい)里帰りと言う事は縁篇

(婚礼)の式法であるが、親元は遠方ゆえ祝って我らが宅へ呼びたいと葛城も申すので、ちょっと

尋ねて見たいとあれば、雅楽の介は打ち笑い、いや、尋ねるには及ばない。やがて別れる日切りの

夫婦、寝入る間も惜しいと言って顔と顔を突き合わせて頭(かぶり)も振らないしたたるさ。里帰り

はさておき、台所にも出られませぬ。

 それはぎやうな(大層な)喰いつき様、そうして互いに飽かせたならば後の為には珍重(非常にっ

よい)、元信は筆は達者であるから一日一夜に半年の仕事は出来るであろうと笑った。

 かかる所に無紋の色に浅黄の上下(かみしも)、編み笠を取って入るのを見れば舞鶴屋の傳三郎、

出口の與右衛門は打ち萎れている風情である。

 名古屋を始め門弟中が興冷めして、これ、傳三、あんまりそれは粋過ぎた。婚礼の話を聞かなか

った筈もなく、葬礼の戻りに祝言の家に立ち寄るのは、なめ過ぎた不道化(馬鹿にした悪ふざけ)、

可笑しくもない、帰れ、帰れ。と、苦々しく叱られて、鼻を打ちかみ、目をすりすり、姫君様の御

祝言と遠慮を致しておりましたが、脇から沙汰が有っては御恨みの程もいかがかと嚊(かか)が心を

つけまして今日七日目の墓参り、ついでながらのお知らせ、常々気立てが結構で、おみやとは言わ

ず佛々と申したので、あったら仏をやくたいもなく、骨仏(こつほとけ)にしてのけたと、さめざめ

と泣いている。

 人々は更に誠とはせずに、酒に酔ったのか、それとも狂気なのか、みやは少し様子があって姫君

代わり四郎二郎と祝言して、五日前から二人で並んでいる。

 たわけた事を抜かすまい、いや、私をたわけになされるが七日前に死んだ者が五日前に来るもの

か。蓮台寺專譽(せんよ)様の御引導、舟崗山で灰にして、和國さまを始め女郎衆から名代に、禿共

が灰を寄せ(死人の骨や灰を拾う事)て、五輪(ごりん、地水火風空に配した五重の石塔)まで立て

ている。どうして偽りなど申しましょうかと真顔で言えば、人々もぞっとして怖げに立ち寄って、

して、真実かどうして死なれましたかと言えば、真実かとはいとしぼげに、常の癪持ち、ぶらぶら

とはしながら一日として寝込んだことはない人が、いつぞや葛城様の身請けの晩から頭痛がすると

て引っ込んで、それからは枕が上がらない程に重って来る程に、お客衆の引き引きで柳原の法印さ

ま、半井(なからゐ)の御典薬が幸いと和國さまに對馬の客から参った朝鮮人参、尾張大根を見るよ

うなのを刻みもせずに丸ぐち(丸ごと)、人参のふろふきを一期(いちご)の見始め、人参でも鉄砲で

もいかな喉を通すにこそ、もう無いに極まってから私を呼び、今までは隠していた遠山と言った昔

から四郎二郎様と夫婦の契約をして、目出度く願いが叶ったなら、夫婦連れで熊野参りを致そうと

願いをかけてこの笠の紐も手づからくけました。

 これを着て四郎二郎様、熊野へ参って下されと、死しても心は連れ立ちますと、書置きもしたい

のですが、口でさえ尽くせませぬ、筆にはなかなかまわりません。目をほっちゃりと開いて、南無

阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と七八遍は聞きました。

 なう、肝心の時には念仏と言う物もなんのごく(役)に立ちません、南無阿弥さえすうすう陀佛ま

でやらずに、ころりと取って行きましたとわっと叫べば人々も、扨ては定(じょう)よと手を打っ

て、皆々袖をぞ絞らるる。

 名古屋も呆れていたのだが、疑いもなく夫に引かれる魂魄が仮に姿を見せたのだ。さおもあれ様

子を尋ねる為腰元衆、腰元衆と呼びければ、あいと答えて奥から出る。

 何とおみやは機嫌がよいかと問いければ、ああ、機嫌よくにこにこと、笑って御座んする。去り

ながら心ざし有りとて酒も魚も口に寄せず、樒(しきみ)の香の煙絶やすな。煙が絶えれば此処にい

る事は許されないと御寝間の内は抹香でふすぼりますと言いければ、して、四郎二郎はどうして

ぞ、ああ、さればおみやさまのたのみで、おねまのふすまに熊野の絵をあそばしてござんする。

 さてはみやの幽霊は疑いない。と言えば腰元衆は驚いて、ああ、怖や。なう、知らないのでお側

にいられました。膝の側に這いよって身をかがませたのは道理であるよ。

 雅楽の介は心を決しようとして、さもあれ、狸や野干(やかん、狐)の業も有る。誠の死したる幻

は形は有っても影は映らないと承っている。某行って直に会って笠を渡し、燭(ともしび)を立てて

實否(じっぴ)を試し申すべし。

 方々は庭から障子の影をご覧あれ。たとえ怪しい事があっても、必ずわっとは言うまいぞ。

 何が怖い事がありますかと口では言うが、夕暮れである。小気味の悪さは言うまでもないこと。

籬(まがき)の本、軒にやぶ蚊が餅をついているのも、遣り手の赤前垂れの名残りかと心細くも佇ん

でいる。

 雅楽の介は何気ない調子で、これは暗いお部屋、みやさまそれにかと、火を灯したらよう御座ろ

うと声を掛けたのだ。

 ああ、さればいのう、心が迷った身の上、闇に闇を重ねる辛さ、晴らして欲しやと言うその夕顔

のたそかれを照らす行燈の障子に映るのをよく見れば、元信は元の人躰(にんたい)で女の影は五輪

とみやの物腰(みぶり)だけである。人間の地水風の風脆い、木の葉に結ぶ陽炎(かげろう)の露の姿

ぞ哀れであるよ。

 四郎二郎はろうろうと疲れ侘びたる如くである。雅楽の介はまだ訝しくて、この菅笠は里の便り

に参ったのだが何に必要なのですかと言えば、なう嬉しや、嬉しや、ほんにこれが欲しかった。私

が熊野を信ずること、敦賀では遠山、三國での名は勝山、伏見に売られて浅香山、山と言う字を

三度つけ、それ故に木辻(きつじ、奈良の廓町)では三つ山と付けられました。

 思えば熊野の三つのお山(新宮・本宮・那智)の名を穢し、牛王(ごおう)の咎めも恐ろしく、お主

と一緒にして下されば、連れ立ってお礼に詣でましょうと笠の紐までくけておきました。追っ付別

れる身ではあるが、一日でもこうして添ったからは願いは叶った、同前神仏に嘘はないと、この襖

戸にお山の絵図を頼みました。参った心で拝まんと思う所に、この笠はどうした便りに来たこと

ぞ。余の事は何も言わなかったか。又の便りに傳三殿へたとえ如何なることが有ろうとも、四郎二

郎様に歎きが懸かる事だけは知らせまして下さんすなと、よう言い届けて下しゃんせと、苔の下ま

で(死んだあとでも)我が夫、といたわる心が不憫であるよ。

 さあ、夫婦連れで参りましょう、こな様は勝手に行って、後夜の鐘(午前四時頃の鐘)鳴るまで念

仏を切らして下さんすな。似合ったかは知らぬ、と笠を打ち着たる五輪の影、五つの借り(人間の

身の儚さはよそ事ではなく)の夢うつつ、余所の事ではなくて、泣く泣くも元の座敷に人々は宗

旨、宗旨の手向け草、題目真言念仏の回向に更けるのも……。


               熊野 かげろふ 姿

 あら惜しや、あたら夜や。夫婦の仲に咲く花も、一夜の夢の眺めとは知らぬ男のいたわしや。

と、泣くより外の事は無し。

 昔の朝の身じまりに、髪にたいたり裾にとめ、そよと吹くそれではないが、袱紗の色風も今、焼

香に立つ煙、反魂香(はんごんこう、死者の魂を呼び返し、その姿を煙の中に現ずると言われる霊

香)と燻るかやや。香炉の灰の灰寄せも順を言うならこなさんを、我こそあらめ逆様の水の流れの

身のならい、所々の死に水を誰に取られん浅ましと、余所に言いなす言の葉を世に無い人とはそも

知らず、ああ、忌々しい。老い木の末の思い置きは由なやな。

 こちもそなたも若松の、千代の盃、ざんざ、浜松の音、七本松の七本を女は卒塔婆に数えるが男

は今日の七五三、嫁入りをした戯れも今は眞事(まごと)と嬉し気に、手を引きあって笑い顔。

 我は朝顔、萎みゆく花の上にある露とも知らぬ儚さよ。月は欠けてもまた満ちる。熊野の三つ

山、娑婆の便りは片便り、義文も届かない、言伝も言わないで心の熊野路や。照手の姫の窶(やつ)

れ草、常陸小萩も夫故、身を果たす、旅籠屋も水棚の端、箸に目鼻を付けたようにやせ衰えての餓

鬼阿弥を夫(つま)とは更に知らずに、白糸の縁は汚き土車、心は物に狂わないが姿を物に狂わせ

て、引けや、引けや、この車、えいさら、さら、さら、笹の葉に死出の旅路の後世(ごせ)の友、一

引き引けば千僧供養、二引き引けば萬能(まんのう)の薬の湯本と聞くからに四百四病は消えもせ

ん。骨になっても治らないのはわしがそさまを恋い病、変わる心を案じては、神の御名さえぞっと

する。飛鳥の社、濵の宮、王子々々は九十九所、百になっても思い無き、世は和歌の浦、梢にかか

る藤代や、岩代峠、潮見坂。描き写すえは残るとも我は残らぬ身。





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最終更新日  2025年07月16日 20時14分22秒
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