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2024.11.04
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カテゴリ: 光圀の諸国への旅
西ノ宮稲荷神社 ​での参拝が終わった後に、そのまま綾瀬駅界隈へゴー。このルートは​ 7年ほどぶり ​だった。昔ならもう一杯が食えたが、減量中のわしにはもう無理な話になってしまった。ところで、せっかく綾瀬に来たので、当然、綾瀬三社へ参拝しなくてはならない。



 帰宅のルートを考え、ちょっと回り道でまず綾瀬神社へ参拝。



 元々氷川神社であり、明暦5年(1659年)に​ 武蔵一宮氷川神社 ​から分霊を勧請して建立された。同じ場所にも宝暦5年(1755年)に建立した胡録神社、あるいは第六天神社があった。老朽化で両社を合祀し、 昭和50年に綾瀬神社へ名を改めた。主祭神は須佐之男命や淤母陀琉神。



 綾瀬駅の南側の界隈へさらに進んだら、綾瀬天神と呼ばれる北野神社に到着。



 創建年代は不詳であるが、北野天満宮から分霊を勧請して創建された。旧普賢寺村にはすでに稲荷社・天神社、第六天社、八幡社があった。永正元年(1504年)、葛西青砥村の新義真言宗寺院・薬王山宝持院真頂寺(青戸8-18-18)の僧侶・賢空が、同寺の寺領であった普賢寺村の文殊山養福寺を中興開基した際に、養福寺の隣地を稲荷社・天神社・第六天社・八幡社を合祀し、北野神社を建立したという。主祭神は菅原道真公、相殿は宇迦之御魂命。



 天満宮、北野神社には必ず撫牛の像がある。綾瀬天神の撫牛の隣は末社の八幡社である。



 綾瀬天神から北へ向かい、線路の下から渡り、住宅街へさらに進んだら、綾瀬稲荷神社に到着。綾瀬三社の本務社。



 金子五兵衛が開発した五兵衛新田の鎮守として伏見稲荷大社から分霊を勧請し、慶長19年(1614年)に創建された神社である。江戸時代で「稲荷神社」、明治7年(1874年)から「五兵衛神社」と呼ばれたが、昭和42年(1967年)に「綾瀬稲荷神社」へ名を改めた。主祭神は、宇迦之御魂命、相殿は、菅原道真公、水波能売神。

 北野神社や綾瀬神社の本務社であるが、御朱印なら綾瀬稲荷神社のもののみである。



 「綾瀬富士」あるいは「五兵衛富士」と呼ばれる富士塚。。富士北麓からボク石(溶岩塊)を西新井駅まで貨車で輸送し、さらに馬車で運び入れて昭和2年(1927年)に築かれた。​ 足立区の紹介 ​によると、「富士塚を築造したのは、麻布の包市郎兵衛が興した、山包講(やまつつみこう)の枝講である「山包丸渕講」で、現、山包綾瀬講。綾瀬地域の古称に由来する講名で、講紋は包の字を丸で囲んだり、山の字を丸で囲んだ紋を使用しています。現在では23区内唯一の山包講ですが、千葉県の市原・館山には多く残っています。」ということである。








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最終更新日  2024.11.16 15:30:17
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