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日本版カジノ計画 実現への機運は? FujiSankei Business i. 2008/7/16…--日本には30兆円規模のパチンコ産業があり、賭博の枠外に置かれています。新たに刑法の適用除外とするカジノとの整合性はどう取るのですか「パチンコ産業は透明化すべきときに来ています。パチンコは(出玉換金の際にホール、景品交換所、景品問屋を介する)『三店方式』により(風俗適正化法を根拠とする)娯楽と位置づけられていますが、実際には換金していない店などない。カジノは場内換金を認める施設になるので、カジノ解禁の法案審議の際、パチンコをどう法的に位置づけ直すかの議論は避けて通れません。カジノ問題と並行し、あるいは前後して議論されることになるでしょう」「パチンコはギャンブル課税もできないわけですから社会的貢献もない。パチンコは(風適法ではなく)専門業法の制定が必要です。一つの方向性は、一部を改良し、あくまで娯楽として残すこと。もう一つは正式に軽度のギャンブルと位置づけ、相応の税負担により、カジノのように社会的貢献をしてもらう考え方です。同時に、パチンコ問題を警察の裁量行政の中に置いていることが果たして健全なのかについても国民的議論が必要ではないでしょうか」ええぞおおぉぉ~。しっかり頑張れやっ!!
Jul 20, 2008
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耕作放棄地を実態調査 農水省、復元可能性など分析へ農林水産省は耕作放棄地の解消に向けて、初めて全国の実態調査に乗り出した。国内の耕作放棄地は約39万ヘクタールと埼玉県の面積相当まで広がっているが、どの場所に放棄地があり、農地への回復が可能かどうかはわかっていなかった。結果は年内にまとめる。現状を細かく調べ、耕作放棄地の解消を進める。調査は市町村などを通じて実施する。(1)草刈りなどで耕作が可能な土地(2)草刈りでは耕作できないが、基盤整備を実施して農業に利用するべき土地 (3)森林・原野になっていて農地への復元が不可能な土地――の3つに分類し、地図上で色分けする。調査結果を活用して、地方自治体に年度内に農地回復の具体策策定を促す考え。★ こういう調査って費用を国から市町村へ補助金がいって市町村は農協へ委託して結局農協へ金をばらまくための手段なんだよね地図に色塗りするだけで何億もの税金が消えていく… ★平成の農地改革として既存の土地所有農家から国が農地を相場より高く買い上げそして農業従事希望者に転売等の取得目的を制限した上で格安で払い下げる(ゼロ金利融資)。もちろん農業従事希望者には事前に1年ほどの職業訓練を施す。・・・でもしないと農業の復興は無理だろ。農家は後継者不足と嘆いてるが、本音は「血縁でない後継者イラネ」な上に実の子弟に「おまえは農業なんてしてたらダメぽ、街の大学出て町役場か農協に就職するんじゃ」と親が子に教えてるんだから農業衰退して当たり前。おまけに自分の土地は手放したくないときてる(売っても二束三文だから気持ちは判るが)もうどうしようもない。功利主義な農家の自業自得だよ。そのせいで日本の農業が衰退してる。 ★ 農地に道路とか公共事業がくれば超高値で売れるからずーっと持ち続けるよ。たとえ耕作放棄していてもちょっと植えて「農地です」って言い張り続ける。★ 耕作放棄地っていっても、休耕田扱いで補助金もらってるよ。耕作地の30%は必ず、休耕地にしないと補助金くれないもん 。(^o^)★ 兼業農家なんて、公務員でもない限り、無理。小規模農家なら米売っても100万円にも達しない。休耕して減反補助金もらった方が多いぐらい。農地なんて売り払いたいけど、買い手がいない。農業には何の魅力もないのはよく分かる。★ 後継者のない農家には年金の上乗せと引き換えに農地の権利を国が引き継げばいい。法律を改正して農地の転売を厳しく制限すれば、そっちを選ぶ農家も増えるんじゃないか。まとまった農地は農業企業体に管理させて収入を安定させれば農業人口も増えるんじゃね。★ 個人で零細で生業としてやっていくには企業サラリーマンとの年収・労働負荷が違いすぎる。農地解放・私有財産制度が農業を滅ぼしたね。昔から“田分け=馬鹿者”とはよく言ったものだ。。。(^o^)★ さっさと農協解体して、株式会社化すればいい。それと水田ばっかりで、畑は極端に少ないってのも問題だと思うんだが・・・★ 補助金なしの自助努力で進めている[*]ところもあるけど、そういう自助努力型の取り組みも、実は公然と行政がバックアップしてたり、メンバーにもと官僚がいたりして、行政のリソースを引き出せてなんぼなんだろうな。自助努力するにしても、ここは行政が動かないとどうしょうもないっていう場面はあるね。「公的資金投入」だけを強調すると、誤解されるけど、行政のバックアップは必要だね。*村のメンバーが集落内の耕作放棄地を委託で集積して法人化して効率化して合理的経営して、就農希望者にも土地を紹介するとか ★ 日本の田んぼは266万ha これで日本の米消費から計算すると実に200%を作れる。日本の畑は117万haあるがこれは作物を何度も作るから3回廻すことにより実に450万ha分の生産は出来るんだがこれで日本の野菜のほぼ80%以上は賄えるんだよ。日本が足りないのは飼料穀物や穀物を作る農地。トウモロコシ1600万トン 大豆500万トン 小麦600万トン トウモロコシは最低400万ha 大豆は170万ha 小麦は250万ha これらの農地が日本に必要だ。平野全部のアスファルトや街を無くして農地にしてどうにか出来る面積である。★ ↑ 日本の農地面積は、終戦間もない頃で約520万ha、最も多かったときでも600万haあまり。700万haもあったことはない。昭和35年以降の40年間で、農地は240万ha減少する一方で110万ha増加しているから、ピーク時に今より240万ha多かったというわけではない。★ 実際、現在も野菜の自給率は79%で、約8割を国内生産で賄っているからな。 キャベツは自給率97%、白菜は自給率100%。★ 農業じゃ食っていけないよ。爺さん婆さんが趣味というか生活習慣でやってるのが現状。派遣より可処分所得が少ないのが日本の個人農業。それと土地と人手の他に、肥料問題があるのもよろしく。糞尿じゃ地力は回復しないから。★ 耕作放棄地の復活には耕作専門の公務員を創設して対応させるのが良いだろう。これからは食糧確保として既存の農民層に任せるのではなく民間並みの効率で仕事をする食糧生産専門の公務員で対応すべきだ。★ 農地の流動化が全くないからこういうことが起こる。休耕田にするぐらいなら他に貸すか手放すという気持ちになるように重税をかけたほうがいい。★ 公務員なんか使ったら人件費がとんでもないよ。就農希望のある家族にうまいこといって耕作させるのが一番いい。★ 米が旨い地域は米を減反させずにガンガン作らせるべきだろう。そして あまり旨くない地域は米以外に転作させるべき。そんな政策をやるべきだろう。
Jul 20, 2008
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在日支那朝鮮人問題と“気違い”支那人移民政策1. パート1. 1/42. パート1. 2/43. パート1. 3/44. パート1. 4/45. パート2. 1/26. パート2. 2/2
Jul 18, 2008
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皇室をお護りするために、一部に「廃太子」が望ましいという声すらある━━━━━━━━━━皇室のありかたに疑問━━━━━━━━━━ 加瀬 英明● 東宮の動きに危機覚える畏友西尾幹二氏が皇太子殿下をお諫めする論文を、月刊誌『WiLL』5月号(『皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます』)に寄稿している。● 天皇が持つ摩訶不思議な力天皇は日本が太古の時代に国家となってから、今日まで国民を共同体として束ねてきた。天皇は大八島国(おおやしまくに)を知(しら)しめす――治められる、すめらぎ、すめろきとして、日本を統(す)べてこられた。その摩訶不思議な力をもって、わが国に継続性と安定をもたらしてきた。もし、天皇に対する独特な民族信仰が存在しなかったとすれば、日本は隣国の中国や、朝鮮半島と同じような政治文化を持つことになって、まったく違った国となっていたはずである。天皇は日本にとって、掛け替えのない貴重な財産である。今上陛下の御健康が心配されている。そのようななかで、皇太子殿下と妃殿下が国民から不信感を招くようになっていることは、わが国の将来にとって由々しいことだといわねばならない。まことに畏れ多いことであるが、皇室をお護りするために、一部に「廃太子」が望ましいという声すらあることを、憂えなければならない。● 無私の精神と皇統から発する責任もっとも、王制をとっているどの国をとってみても、皇太子にそのときどきの民族の理想の男性像にかなった教育が施されるものである。昭和天皇は皇孫時代から、明治の日本の理想の男性像にあわせた訓育を受けられたから、あの明治の優れた精神を体現されていられた。明治の日本をつくった徳目を備えていられたことから、天皇の一挙一動が多くの国民に感動を与えた。昭和天皇は歴史によって翻弄されたために、なみなみならない御苦労をされたが、何ごとについても真摯に取り組まれて、無私の精神に徹されたから、国民によって敬愛された。昭和天皇は皇統から発する御責任をよく弁まえられていた。日本の最高の祭主として、宮中祭祀も熱心に行われた。今上陛下も天皇としての御役割を、見事におつとめになられている。天皇としての御役目を心得ていられるから、侵しがたい品格を備えていられる。今上陛下も同じ世代の日本の理想の男性像を、現わされている。父帝と違ってお洒落(しゃれ)であられ、洋楽を好まれ、皇后陛下とときにはダンスを踊られ、家庭を大事にされるマイホーム主義者でもあられる。● 世俗的に見える皇太子・同妃殿下のありよう皇太子殿下も新しい世代の日本の男性の理想像の影響を、お受けになっていられる。新世代型の愛妻家でおいでになられ、皇太子としての御立場に顧慮されて、国民とのあいだに距離をお置きになるべきであるのに、妃殿下というよりも、御愛妻の期待にそうことに努めていられるように拝察する。今日の日本の男女は自分を共同体の一員として位置づけることなく、自己を中心に据えて、自分の欲望を充足することに人生の軸をおいている。そのために一族や隣近所や国家とのあいだの絆が弱まって、一族から国家社会まで支えてきた利他心が薄れているのは、嘆かわしいことである。皇后陛下と皇太子妃殿下とのあいだには、30年近い世代の差がある。このあいだに日本の国民精神も、大きく変わった。もちろん、皇后陛下は経済的にまったく不自由がない家庭にお育ちになられたが、それでも「手鍋下げて」嫁がれるという時代精神を、身につけられていた。このような言葉は、今日のあまり必要がない商品が溢れた日本において死語となってしまった。敢えて不敬な言辞を用いれば、皇太子同妃両殿下は同世代の日本の一般の男女と、あまり変わらないようにお見うけする。今日の日本の若い世代の夫婦は、親や家を大切にすることがない。同族を意味した「家」という言葉も、死語になってしまった。一族によって構成された家が、歴史を通じて重んじられたというのにいまでは家は住宅しか意味しなくなった。私は30年ほど前に、ラジオのお喋り番組をもっていた。相手役の女性アナウンサーが結婚する相手に、「私はあなたの妻になりますが、嫁にはなりません」といったと聞かされて、暗澹としたことがあった。そのころから、多くの妻が夫を「主人」といわずに、「連れ合い」と呼ぶようになった。● 衝撃的な皇太子殿下のご発言殿下に今日の世相が悪しき影響を及ぼしたとすれば、われわれは臣下として恥じ入らなければならない。結局のところ、皇室という一大傑作である文化財をつくったのは、2000年近くにわたって、美しい国をつくってきた国民だった。皇室のありかたを壊すことがあったら、靖国神社の社頭に詣でて、国体を護るために散華した御英霊にお詫びしなければならない。私も月刊誌『WILL』(平成17年2月号)に、東宮殿下に苦言を奉(たてまつ)る一文を、恐懼しつつお認めしたことがあった。花田紀凱編集長が『皇太子殿下に敢えて諫言申し上げます』という題名をつけたが、『皇室 戦後最大の危機』という副題がそえられていた。私は殿下が御成婚のときに、妃殿下に「自分がお護りします」と仰せられたことに、殿下が国民をよもやお信じになられないのか、私たちの不忠をお叱りになられたのかと思って、皇室をお護りすべき臣草の一人として、衝撃を受けた。皇室と国民の一体感が失われたとすれば、忌々(ゆゆ)しいことだった。皇国の歴史で歴代の皇太子がこのような発言をされたのは、はじめてのことだった。その後、東宮殿下のお口から「人格」、「プライバシー」という御言葉を仰ぐことになったが、なぜ、高御座(たかみくら)をお賤しめにならなければならないのかと思って、慄然とした。殿下はその徳をもって、国民から超然とされていられなければならないはずである。● 皇室は国民の鑑のはず殿下が妃殿下をお護りになるために転地療法の場として、オランダまでお出かけになられた。国内に御用邸が用意されているうえに、風光明媚な多くの保養地があると思われたのに、両殿下が外国でなければ御心をお休めになれないと思し召されたのだった。私たちが八島国(おおやしまくに)の美称をもって呼ばれた国を、高速道路や、醜い高層ビルや、広告板によって汚してしまったことに、慙愧に堪えなかった。私たちは「あきつ神わご大君(おおきみ)の天の下八州(やしま)のうちに」と、万葉集に歌われた秀麗な国を受け継いだはずだった。私たちが国土とともに、皇太子同妃両殿下の御心まで傷つけてしまったのだったら、何と罪深いことだろうか。心やさしい民が住む国だったのに、金銭だけを追求する獰猛な民になってしまった。万葉集や、古今集がこの国の心を表していたのに、猛々(たけだけ)しい企業が株主総会を控えて発行する報告書によって、置き替えられている。西洋にもベネディクションといって、よき言葉を発すれば、身のまわりの現実がそのように変わるという言霊(ことだま)信仰があるが、いまの日本にはマルディクション――悪しき言葉が充満している。皇太子同妃両殿下が都内の高価な三ツ星レストランに行啓された御写真が、週刊誌に載っていたのを拝した。下情を御視察になられたのだろうと、お察し申し上げた。両殿下は笑みを湛えられていた。国見をされて、贋物の内装が施された俗悪な場を、笑顔をもってお堪え下さったのは、日嗣の御子と御妃が備えられている聖徳だったのだろうか。かつて仁徳天皇が国見(くにみ)をされて、いっそう質素な日々を過ごされたという故事を思って、わが国の惨状に涙した。皇室は日本国民にとって鑑(かがみ)であるとともに、国民の姿を映しだす鏡である。私たちが麗しい国を破壊しているが、両殿下を御批判申し上げる資格がいったいあるものなのかと思う。(2008・6)自虐癖がねえ。ダメなもんはダメ、でいいじゃん。。。。(^o^)
Jun 5, 2008
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渡部昇一氏「石破防相の国賊行為を叱る」…横浜市 鈴木敏明氏より-敬称略ー石破防衛大臣の歴史観 (転載歓迎)月刊誌「Will」6月号で渡部昇一氏が「石破防衛大臣の国賊行為を叱る」というタイトルで論文を書いております。その中で次のように書いています。中国共産党系の新聞「世界新聞報」(1月29日)に、駐日記者が石破防衛大臣の執務室でインタビューをした内容が掲載されています。これは写真と共に世界中に配信されました。石破防衛相の発言は以下の通りです。現役閣僚がこのような発言を、中国共産党系の新聞において行ったということは信じがたいので「Will」編集部から石破防衛大臣に確認してもらいました。石破事務所からの解答:問 掲載された内容は、石破防衛大臣が話した事実に即しているのか。答 インタビューを先方が記事にまとめたものです。事実に即していないと言うほどではありませんが、事実そのままでもありません。問 記事が事実に即していない場合、それに対してなんらかの対処をされたか。答 前の答えの通り、どのマスメディアでも発言を加工することはありますので、特段対処というほどのことはしておりません。この解答では、石破の発言は大体において新聞記事に書かれたようなものと解釈できます。多くの読者はこの石破発言にはびっくりしているでしょう。しかし私には、やはりそうかという思いが先にきてしまいます。なぜなら去年、当時石破は元防衛庁長官という肩書きの時、これが元防衛庁長官の歴史観かと私をびっくりさせたことがあったからです。それは去年8月私が初めてテレビ出演した時、石破元防衛庁長官(当時)が同じテレビ番組に出演していたからです。毎週金曜日夜8時から日本テレビで「太田総理」という番組があります。この番組あまりお年寄りは見ていないようで、私自身も番組出演依頼があるまで見たことはありませんでした。ある議題を提供し、それに賛成派、反対派が集まって討論し、最後に聴視者を交えての投票で勝ち負けを決める番組です。私が出演した時の討論議題は、「アメリカに原爆被害の賠償金を請求します」でした。実はこのテレビ番組に私が招かれた理由は、その前年すなわち一昨年の10月に私は、「原爆正当化のアメリカと従軍慰安婦謝罪の日本」という長たらしいタイトルの本を出版していました。その本が日本テレビの目にとまったからでした。討論議題、「アメリカに原爆被害者の賠償金を請求します」に対して私は無論賛成派です。この番組の司会者が、漫才師、爆笑問題の太田光です。その太田は賛成派。反対派の首領が石破元防衛庁長官でした。この番組は正味45分ぐらいです。しかし収録はたっぷり2時間やりました。よく討論番組は、本番よりも収録の方が面白いと言われますが、まさにその通りで、2時間喧々諤々の討論というよりも言い合いでした。この時私は、石破の意見を聞いてまさしく驚きました。自虐史観そのもの。これが元防衛庁長官の歴史観か! あまりにも歴史(近現代史)について無知だったからです。石破は、原爆投下の二発目は、反対していましたが、一発目の投下は肯定しています。その理由はアメリカの主張とほぼ同じです。当時日本も原爆の開発をしていた。原爆投下していなかったら、米軍の上陸でもっと犠牲者がでただろうと言ったのです。私は驚くとともに彼に怒りさえ感じました。そして今度は、中国共産党系新聞のインタビュウーに対する現役の防衛大臣としての発言です。全く信じられない発言です。そこで私は、なぜ石破は自虐史観にとりつかれているのか、ネット上で彼の生い立ちや経歴を調べてみました。石破は今はやりの二世政治家です。鳥取生まれの鳥取県育ち。1957年生まれ、まだ51歳です。まずこの年齢は、自虐史観が教え込まれた年代です。鳥取県の中学を卒業すると慶応高校入学、慶応大学法学部卒、三井銀行に入社、そして若干29歳で親父の地盤をひきついで衆議院議員に当選。当時最年少当選です。以来連続七期当選。まぁ人も羨む幸運な人生を送っているわけです。それだけに苦労など何一つ知らず、ぼんぼんのまま政治家になった。こういう幸運出の政治家にありがちなのが、リベラル派です。わかりやすく言えば理想主義はだです。戦争イコール悪と考えがちな人たちです。若い時は誰でも理想主義肌になるのではないでしょうか。友人から苦労人と言われる私でさえ、高校卒業してしばらくの間は、自衛隊が嫌いであったし、自衛隊員はバカだと思っていたし、第一、将軍というのは、自分では直接の手を出さず、部下を使って大量の人殺しをした人と定義していたくらいです。それが世間に揉まれ、読書を通して30代前半で大体いまの歴史観を形成していったのです。ところが石破は世間で揉まれる前に、ぼんぼんのまま政治家になった。自虐史観をそのまま引きずって政治家になったのも同然です。石破の歴史観の形成に強く影響を与えたと思われるのは、彼は曽祖父の時代から続く4代目のクリスチャンだと言うことです。4代続くクリスチャンは、めずらしいでしょう。それだけに敬虔なクリスチャンと言ってまちがいないでしょう。彼は18歳の時、洗礼を受けています。日本のクリスチャンの総本山は、日本キリスト教協議会です。このキリスト教協議会は、徹底した大東亜戦争日本悪玉論者です。靖国問題、従軍慰安婦事件、南京虐殺など反日派の急先鋒です。創価学会の会員が、創価新聞の記事を信用して読むように、クリスチャンの石破は、キリスト新聞の記事を信用するでしょう。石破が自虐史観にとりつかれているのがわかる気がします。石破が中国の共産党系新聞に語った歴史観は、キリスト教協議会の歴史観と全く同じです。ここまで書くと読者の中には、渡部昇一氏も曽野綾子氏もクリスチャンですと反論があるでしょう。石破の年齢でも自虐史観のとりつかれてない人もいます。なぜか私は二つほど理由があると考えています。一つは歴史的センスだと思います。歴史的センスとはなにか。それは例え自虐史観を学校で教えこまれても、大東亜戦争でなぜ日本だけが批判されるのだろうか、戦争するには相手が必要なのに日本だけがなぜ一方的に批判されるのだろうかなどと疑問を持つ人です。その人は疑問を解くために歴史本を読みあさるようになるでしょう。そこで自分なりの歴史観を形成していくのではないでしょうか。二つ目の理由は、自分の父親あるいは肉親の人が戦場で戦死した人、あるいは戦死して靖国神社に祭られている人。この人たちは、学校でいくら自虐史観を叩き込まれても、そんなに簡単に信用しません。なぜなら自虐史観は、日本軍兵士を悪魔のごとく嫌うからです。要するに石破は歴史的センスもなければ、彼の肉親が戦場で戦死した者がいない。だから学校から教えられたり、キリスト新聞から読んだ自虐史観にとりつかれたまま防衛大臣になってしまった。それでも彼が歴史に興味を持っていて歴史本でも読んでくれれば救いもあるのですが、プラモデルの組み立てに非常に興味を示す彼では、自虐史観の払拭はまずのぞめないでしょう。彼はまだ51歳なので次期首相待望論もあります。そこで彼の政治家としての資質はどうかもネットの情報を参考にして考えてみました。政治家は自分の利益より政治家としての信条を優先するのが当然だと思います。その点からいうと共産党の政治家をほめてあげたい。私は共産党の代議士などバカ者あつかいしています。しかし共産主義など信じて、政治家になるのは大変むずかしいし、政治家になったところで大臣なんか夢のまた夢です。それでも自分の政治信条を信念でつらぬこうという精神だけはほめる価値があると思います。問題は政権を担当している自民党のなかに、自分の政治信条そちのけにしてやたらと利に聡い連中が多いということです。現役の自民党議員の中でやたらと「利に聡い」政治家かどうかを見抜く方法は、出戻り自民党代議士かどうかです。すなわち自民党を離党してまた自民に戻った連中です。この人たちは、自分の政治信条より「利」で動いたと断言できます。石破も出戻り自民党代議士です。しかも離党の仕方が悪い。新生党が結成された当時(1993年)、代議士数36名。この時石破は離党していません。新生党結党後の最初の選挙で代議士数55名に増えました。1994年に新生党から新進党に名称を変えた。自民党離党が自分の利にかなうかどうか慎重に検討した結果、新生党結党時離党をせず、選挙結果をみて離党に踏みきっています。石破は自民党を離党、新進党に入党した。自民党を離党して結党時から参加した代議士からみれば、「いまさらのこのこと参加してきて・・・」という感情があったことは間違いないでしょう。また彼独特のしゃべり方も人物評価の対象になります。石破は夫婦喧嘩した時でもあのしゃべり方で奥さんと対峙するのでしょうか。彼のあのしゃべり方は、熱血漢でないことがわかります。公衆の面前では、決して興奮したり、とりみだしたりすることはないでしょう。私など正直だからつい興奮して声を荒げます。石破は、どんな場合でも声を荒げることはありません。どんな場合でも冷静に、冷静に考えて発言、行動しようとするタイプです。そのため失言などめったにしないでしょう。しかし半面決断が遅くなる時があります。新生党結成当時に参加しなかったのもそのせいでしょう。一年遅れて離党しその後また自民党に戻っています。自分の政治信条などなし、「利」を優先にして動く典型的な代議士と推察しました。なぜ彼の歴史観は社民党や共産党と同じなのでしょうか。石破が29歳で初当選した時、手っ取り早く政治家になるためには、政治信条より親父の地盤をそっくり継ぐことで、自民党だろうとどこの党でもよかったのではないでしょうか。
May 19, 2008
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1. ペマ・ギャルポさん「チベット弾圧の現状と日本の問題点」1/22. ペマ・ギャルポさん「チベット弾圧の現状と日本の問題点」2/21. 青木直人さん「チベット弾圧と日本の対中支援問題」2. 青木直人さん「中国の排外主義ナショナリズムの実態」1. 青山繁晴さん「長野事件と中華帝国の脅威」2. 青山繁晴さん「戦後日本の外交姿勢問題」青木&青山さん「政界・財界・官界・マスコミ…敵は本能寺にあり!」
May 11, 2008
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May 6, 2008
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1. 佐藤優さん「主権回復記念日」を語る(平成20年版)1/22. 佐藤優さん「主権回復記念日」を語る(平成20年版)2/21. 佐藤優さん「主権回復記念日」を語る(平成19年版)1/32. 佐藤優さん「主権回復記念日」を語る(平成19年版)2/33. 佐藤優さん「主権回復記念日」を語る(平成19年版)3/3そして、いよっ!! 西尾の、幹んっちゃん!! (^o^) 「皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます」へのご意見を募集中毎月貴誌を愛読しているものです。特に、5月号と6月号の「皇室と小和田家」関連は、執筆された西尾幹二先生と編集部の皆様に拍手喝采を送りたい、そしてお礼を申し上げたいと思います。よくぞ喝破なさったと。雅子妃は「獅子身中の虫」「雅子妃の行動に地がでてきた」「小和田氏の卑しさ」今まで誰も口に出せなかったことです。さて、昨日は「昭和の日」先帝陛下の誕生日でした。今は亡き先帝陛下と香淳皇后はどのようなお気持ちで、今の皇室を皇太子一家をみておいででしょうか?私は日本人として、皇室を敬い、日本の根幹をなす存在だと思っています。世界で最も歴史をもつ旧家、唯一エンペラーの称号を持つ陛下、世界の社交序列第一位でもある両陛下。常に国民の幸せと五穀豊穣、国家安泰を祈り続ける両陛下。両陛下のお姿をテレビなどで拝見すると、非常に優しい気持ちになるのは多くの皆さんも同じだと思いますが、皇太子の情熱にほだされて、とんでもない妃を皇室に入れることを許したのは両陛下の優しさが裏目にでたとしかいいようがありません。私は皇太子と雅子妃には、将来の天皇、皇后になる器ではないと確信しています。皇太子は全く国民をみておらず、ただ雅子妃と愛子内親王の心配だけ。雅子妃の顔色をみるだけで、皇太子としての覚悟が全く感じられない。一体、帝王学を教育されてきたのか甚だ疑問です。雅子妃に至っては、病気治療をたてにやりたい放題。祭祀や公務はできなくても、スキーに行ったり、小和田家との食事や愛子内親王の親の集まりや夜中に遊び歩くことはOK.まるで、精神障害があれば何人殺しても、遺体をバラバラにしても罪にならない、キチガイと同じ。病気治療といえば、何をやっても許されると勘違いしている、単なるわがまま女。実家の小和田家と外務省を必要以上に介入させ、反日思想と左翼思想を植え付け、皇室の崩壊をもくろんでいるとしか考えられないような浅ましい小和田家。特に小和田氏は外務官僚時代の売国発言でもわかるとおり、明らかに反日の思想です。世界一の旧家の長男に嫁ぐのだから、そのくらいの覚悟をもたなければならないはずなのに、いつまでたっても婚家を理解せず、自分の考えに固執し、それが原因で多少おかしくなったらそれを盾にやりたい放題。高級外務官僚の長女として、甘やかされて育ち、海外で生活したことや個人主義の考えから逃れられず、親のコネで大学や外務省に入り、何の挫折もしらずに30年育って、世界一の旧家の長男から「一生守る」と求婚され結婚。何の挫折も知らずに育った雅子妃が唯一挫折感を味わったのが、皇室。今まですべて思いとおりになったものが、そうならない、今までの父親のコネがきかない、外国へ行きたくてもいけない、子供もなかなかできない、やっとできたら女の子、自分が考えていたことが上手く運ばない・・・ そういう現実を受け止められない、自らこの家で生きていくという覚悟をもつことができないままの結婚生活。それが「適応障害」なる病気を引き起こした原因だと思います。世界一の旧家に嫁いだのだから、我々一般庶民では計り知れない苦労があることは推測できます。でも、現実をうけとめ自分のなかで昇華させ、皇太子妃としての覚悟と自覚をもち、自らを律するのが勤めではないのでしょうか?今、幕末のファーストレディとして、薩摩の篤姫が脚光を浴びていますが、比較するのはどうかとも思いますが、篤姫の「嫁いだ以上は何があっても婚家を守る」という覚悟は、雅子妃には微塵も見られません。おそらく両陛下も相当なご心痛でいらっしゃると思います。お立場上、口にだしていうことは憚られ、余計に悩みも増すのでしょう。そのご心痛を一番感じていらっしゃったのが、秋篠宮殿下、妃殿下ではないかと思うのです。2年前に皇室典範が改正させようとしたそのとき、紀子妃殿下のご懐妊発表、まさに神風が吹いたと多くの国民は思ったはずです。そして、悠仁親王ご誕生。そして、地方公務中でいらした両陛下が、聴衆からのお祝いのことばに対し、予定にはなかったご返答をなさったときの、あの嬉しそうなお顔、どれほど後継問題で心を痛めていらしたのか如実に表れていました。皇室の問題というのは、色んなものが絡みあい一言では論じることができないものであることは十分理解できます。万世一系の皇統、日本の根幹をなす皇室、それこそ憲法にあるとおり「日本国民統合の象徴であり」、長い歴史と文明を誇る日本のシンボルなのです。皇太子妃に全くふさわしくない雅子妃と実家の小和田家と外務省の何らかの意図で、この象徴が崩されることは断じてゆるせません。皇室がなくなったら、日本国民はバラバラになり、隣の大毒国家に乗っ取られるという悪夢が現実になるということです。いまや、それが危険水域に近づいているのです。その国家の危機に対し、西尾先生と貴誌が大きな一石を投じました。灯りをともしました。その灯を消さないようにするのは、我々国民です。貴誌におかれましては、今後も惰眠をむさぼる国民の目を覚ます記事を期待しております。毎号のシリーズ化は必要ないと思いますが、ことあるごとに記事にして(特に小和田家)、多くの国民の目を向けさせてほしいと思うばかりですし、今後も読み続けます。投稿 Tsubaki | 2008-04-30 14:39バカ売れ、みたいっすネ・・・ (^o^)
May 3, 2008
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★平成20年5月1日・5月2日 放送★歴史、政局、安全保障、外交などなど、日本の直面している課題や時局のテーマについて 、深く、鋭く斬り込んでいく「闘論!倒論!討論!」。チャンネル桜ならではの粒揃いの論客達による討論を、週末の夜にじっくりとお楽しみく ださい。◆改憲?護憲?憲法9条を考えるパネリスト: 潮匡人(評論家) 江田忠雄(九条改憲阻止の会 会員・元60年ブント・元テレビプロデューサー) 佐藤守(軍事評論家・元航空自衛隊 南西航空混成団司令 空将) 塩見孝也(九条改憲阻止の会 会員・評論家・元赤軍派議長) 鈴木邦子(外交問題研究家) 淵上太郎(九条改憲阻止の会 会員・元ML派指導者・経営者) 正清太一(九条改憲阻止の会 会員・元練馬区議会議員・元社会党員) 三輪和雄(日本世論の会 会長)司会:水島総1. 【改憲?護憲?憲法9条を考える-Part1】 1/82. 【改憲?護憲?憲法9条を考える-Part1】 2/83. 【改憲?護憲?憲法9条を考える-Part1】 3/84. 【改憲?護憲?憲法9条を考える-Part1】 4/85. 【改憲?護憲?憲法9条を考える-Part1】 5/86. 【改憲?護憲?憲法9条を考える-Part1】 6/87. 【改憲?護憲?憲法9条を考える-Part1】 7/88. 【改憲?護憲?憲法9条を考える-Part1】 8/89. 【改憲?護憲?憲法9条を考える-Part2】 1/610. 【改憲?護憲?憲法9条を考える-Part2】 2/611. 【改憲?護憲?憲法9条を考える-Part2】 3/612. 【改憲?護憲?憲法9条を考える-Part2】 4/613. 【改憲?護憲?憲法9条を考える-Part2】 5/614. 【改憲?護憲?憲法9条を考える-Part2】 6/6
May 2, 2008
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中共に政治利用される天皇。……月刊現代に掲載された明治学院大学・原武史教授の論文には仰天した。「宮中祭祀の廃止も検討すべき時がきた」「皇太子一家『新しい神話づくり』の始まり」ハーバード大学ご卒業(コネ入学)、オックスフォード大学留学(一緒に留学した外務官僚達の中で一人だけ学位取れず)、優秀な外交官(子弟枠入省・外務省職員・キャリアと呼べるものはない・通訳も形だけ)である雅子様は、現代的価値観で「アマテラスだの皇祖皇宗だの言われても、よくわからなかったでしょう」と原氏は同情する。 (-_-)ウツダシノウ価値観が違って不適応になるのなら、皇室に入ることが不幸の始まりだったのでは?外戚の権力欲の道具にされたとしか思えない。原氏は、「皇太子夫妻の祭祀に対する温度差を広げる結果になりかねない」ので、祭祀も止めちゃえって。(笑)擁護もここまで来ると、寒気がする。これからの皇太子夫妻がするべきなのは「救済」だという。祭祀をする暇があったら社会の底辺層におりて、ネットカフェ難民やホームレスをお堀の内側に招いて一緒に食事をしたり、あるいはご夫妻でネットカフェに寝泊まりしてはどうか、と。これ以上書けない、笑いが止まらん。(^◇^; 雅子さんにマザーテレサになれというの?老人ホームのお年寄りに手を握られて、おしぼりを持ってこさせた雅子様にはハードルが高すぎて、ご病状が悪化してしまうことだろう。社会の底辺に下りる訓練として「手始めに奉仕団へのご会釈から始められてはどうですか」と原氏は雅子様にアドバイスして差し上げたら?ここからがすごい。こうした考え方は、儒教では民本思想と言われ、儒教(朱子学)が体制イデオロギーとなった朝鮮王朝では、それを実践した国王もいました。なぜここで朝鮮王朝が突然出てくるのか理解に苦しむ。実は、この一文こそ原氏が一番言いたかったことではないか。2660年続いてきた天皇と朝鮮王朝はまったく違う。同次元に下ろすことの意味がわからない。誰かが「愛子様を女帝にして、朝鮮王朝の末裔と結婚させれば王朝が朝鮮に移る」と語っていたことを思い出してしまった。祭祀王であることと社会の底辺層に手を差し伸べることは、決して矛盾しない。日本を守ることは、すべての日本人が恩恵を受けていることに他ならない。天皇皇后両陛下を拝見すると「ありがたい」と感じる感性は、「祈り」に裏打ちされているのである。学歴や職歴、容姿端麗で人々を尊敬させることはできない。神道や仏教は、日本人の生活規範の中に根付いている。「祈り」も生活の中にありふれたものとして実践されている。食事の前に「いただきます」と自然に言うことも「祈り」なのである。そのような穏やかで優しい神性をDNAとして持っているのが日本人なのだと私は思うし、誇りに思う。皇室も日本も、本来在るべき姿に戻ってほしい。 ショボン玉( ´・ω・)y━。 o ○(´・ω・`) 。 O (´・ω・`)
Apr 23, 2008
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まず中国政府の主張があって、それを莫邦富とか宋青宜とかの在日中国人が寸分違わずテレビで垂れ流してる…4/20(日)放送「報道2001」に駐日中国大使が録画出演、チベット、聖火リレー、毒ギョーザ、東シナ海ガス田など、好き勝手言うてましたなぁ。その場にいたのが司会の二人だけってこともあってか、ほとんど一方的な垂れ流し状態になってしまってました。せめて櫻井よしこさんとか中川昭一さんとか呼んどけよ!(T^T)中国大使は、聖火リレーで例のチベット人らしき男性が身障者の女性のトーチを奪おうとしてる写真をわざわざ持参、カメラに示して同情を買おうとしてました。主張内容も「中国政府はチベット文化を保護してる」とか「昔のチベットは農奴制だった」とか「平均寿命も60年前に比べて格段に延びた」とか、中共のチベット侵略を完全正当化。どっかで見聞きした主張や手法だなと思ったら、こないだから莫邦富とか宋青宜とかがテレビで言ってることとほとんど同じですやん。(どちらも「ピンポン!」で見ました。スタジオには幸い、莫邦富の時は宮崎哲弥さんが、宋青宜の時はペマ・ギャルポさんがおられて、きっちり反論されてました) つーか本当は逆で、まず中国政府の主張があって、それを莫邦富とか宋青宜とかの在日中国人が寸分違わずテレビで垂れ流してるってことなんですよね(莫邦富も「身障者のトーチ奪おうとしてる写真」をわざわざ持ってきて見せてた)。彼らは「あなたの主張は中国政府の主張そのままだ」と他の出演者に指摘されても、「いえ、これは私個人の意見です」なんて、うそぶいてるけどもね(-.-#)この腐れ外道真性チャンコロめら・・・ 中国人自体が環境問題ですっ!!アナウンサー 福澤朗氏/評論家 宮崎哲弥氏/チベット文化研究所所長 ペマ・ギャルポ氏/日中環境協会理事長 宋青宜氏ペマ・ギャルポ氏:共通して自由の認識は、自分の思うことを遠慮なく発言できる、表現できることなんですよ。それは、今例えば宋さんが今の中国の体制に対して今本当に自分の思っていることを言えるかって事が自由があるかどうかなんですよね。福澤朗氏:そういうことでしょうね。宋青宜氏:いや私は正直な人間だから中国でいるも いくら政治家たちに対してもはっきり言います。特に環境問題についてね、私10年前からずっと中国に行っててね、やはり何でも言いますよ。だから、あの、そういう自由がない(とか)のが(そういう)事がありません、と、ね。福澤朗氏:例えば、あの宋さんがお国に帰られて北京市内で中国の環境問題や政治状況や宗教問題、自由に発言できますか?宋青宜氏:いつも自由に発言してはります。宮崎哲弥氏:宋さんね、私がね、中国自由がないんだろうな、という風に思うのは例えば中国の当局のほうから長野県に関して批判をするな、と。つまり例えば、平穏理に抗議活動もやらないでほしいという要請がきますよね。日本は自由の国ですから批判や抗議の自由がある訳ですよ。暴力行為の自由はありませんよ。それを(あの)国レベルでこちら側に要請してくるという事は、それは自由がないだろうな、という風にそうして(捉えて)しまうのは当然だと思うんですね。福澤朗氏:確かに中国政府からね、長野市に報道規制をせよと言うね、そういった指示まできてる訳ですから。これは、どう考えても自由があるとは思えないですよね。宮崎哲弥氏:思えないですね。福澤朗氏:ええ。ペマ・ギャルポ氏:あの~、宋さんが本当に僕はね、こういうところ出ること自体、敬意を表しますけれども、あの同じ中国の例えば日本にいる学者なんかもね、こんな討論するの苦しいですよ。何故かというと本当のことを言ったら自分が困るし、本当の事言わなかったら世の中の自分の評価が変わっちゃうからですね。中国の人たちも実際ね、抗議行動して今捕まってる人たちもいるし、中国人の人たちでも。今回も例えばダライ・ラマ法王の談話に対して21名が命懸けで指示する。で、その人たちが捕まっている。アホくさ。うっさんくさい中共人の先駆者・莫邦富 コト もーけっこお ダカラ 帰れっ!!
Apr 22, 2008
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御即位20年にあたり、あらためて皇室の御高風を仰ぐ『皇太子さまに敢えてご忠言申し上げます』(WiLL5月号)…私はこれからは一個人の治療の話は止めて、国家の問題にしぼって議論を深めて欲しいと提言したのがあの文章である。加えて二つの具体的な提言、妃殿下の主治医を複数にすべきであること、外務官僚が東宮に勤務するのは諸般の事情から慎むべきであることも述べた。提言はすべからく具体的であるべきものである。しかしこの程度でさえ実現されるかどうかは覚束ない。たゞこれから雑誌の扱いが座談会でお茶を濁すような逃げ腰でなくなることが起こればよいがと思っている。せめてそれくらいの変化は起こってほしい。……ことの本質はそんなことではなく、世界最古の王家である天皇という祭司の伝統が、平成の御世で途切れようとしているといういってみれば無形文化遺産損壊の危機なのである。つまりは現皇太子夫妻が御世を担うにはあまりにもふさわしくないという点で。私はカトリック信者だから神道のことは詳しくないけれど(カトリックのことすら詳しくないけれど・・・)、共通するのはお清めという習慣である。カトリックでもミサの始めに、ミサを与るにふさわしくあるために、心の究明というものを行い、神様やマリア様、諸聖人や天使たちに、自分の心の罪を告白し、みずからの穢れを落とすということをする。神道でも同じである。なにせ精進潔斎がいちばんの特徴と思われるこの信仰では、神様の前にけがらわしい人間はいちゃいけないのである。だから冬の未明でも祭司たる天皇陛下は潔斎なさって、日本中の魔や悪を集め、これを封じ込める儀式みたいなのをなさるそうで、これがどんなに大変なことかは想像もつかない。近代国家の象徴という面と、大祭司の役割を両方担わなくてはならない明治以降の天皇という地位の重さを、現皇太子夫妻が認識しておられないことが大きく問題とされている。カトリックでは、ミサの1時間前には飲食をしないことになっている。ご聖体をいただくのに、食べ物が胃に残っていてはならないからだ。これも清めの一種だと思う。それから、金曜日は小斎といって肉類を食べないことなんかも神道の菜食と似ている。日本という国は古来瑞穂の国と呼ばれ、水と空気に恵まれた土地だから、日本の神様は農耕と深く結びついている。天皇陛下は農業の守護神でもあるといえそうだ。一般にあまり報道されないが、天皇家の祭祀というのはものすごくしょっちゅうあるようで、重い軽いの違いはあるにせよ、365日日本国民のことをお祈りくださっているということで間違いない。ここに、戦時中よく使われた「陛下の赤子」という言葉が生まれたのだろうと思う。天皇陛下が日本国民のことを全力で祈ってくださるがゆえに、国民は親を敬うように敬愛するという図式だ。そのお心の発露が、災害があったとき被災地へ駆けつけ、被災者を直接励まされるという行動へつながっていく。日本人は両陛下や皇族方の、優雅で慈悲深い笑顔に接するだけで幸福な気持ちになる。芸能人と違うところは、それが人気稼業だというためではなく、国民のことを本当に心配なさり、身を尽くしておられるというところだ。それには日常の祈りというものがなくては務まらない。私はあまりまじめに祈らないダメクリだけれども、日常お祈りをしている方、たとえば神父様やシスターの強さというものは、本当に常人には適わないものがある。私の教会では聴罪一筋何十年というおじいちゃんの神父様がおられるが、人間そう長いこと他人の罪の告白なんて聞けたものではない。それを80過ぎの高齢で続けられるのは、完全にみずからを神の道具とみなし、信じている神のお導きのままに一人一人を拾い続けられるためだ。その神父様の不思議な雰囲気は、告解で必ず私を泣かせる。赦しというものがこれほど心に救いをもたらすのかと。その超常パワーの源は祈りである。これに尽きる。カトリックで司祭が結婚できないのは、家庭を持つとどうしてもそちらが気がかりになり、神様へのおつとめに集中できなくなるためで、そういう意味でも天皇陛下というのは大変だなあと思う。跡継ぎを残すという仕事もその祭祀職のひとつであるからだ。家庭を作って誰に後ろ指さされることもないほど立派に営み、政治的は完全に身を退きつつ、それでいながら変な勢力に利用されないだけの知恵と機を見極める判断力を求められる。その上で祭祀長だ。どうあっても普通の育ちをしていては担える職務ではない。ところが今の皇太子家では、この「普通」さをもっとも欲しているようで、何かというと「普通の子供と同じ体験を」とおっしゃっては電車体験、レジャー体験を繰り返しながら子育てされているらしい。皇太子殿下のアイデンティティがかなり壊れていらっしゃるのはもう誰の目から見ても明らかだ。最近の雑誌でも、テニスの試合に出られたあと皇太子さまは昼間なのにお酒を飲み始め、侍従が何度諫めてもお聞き入れにならなかったという。もう本当にこのお方じゃだめだという気持ちになってきた。だって、ミサを挙げる司祭が酒びたりだなんて聞いたことがないし、アルコールで鈍った頭では心からの祈りを捧げることなどできない。見えない穢れまでを水で清める神道にあって、お酒の抜けない体など不浄以外の何ものでもないではないか。いくらジョギングやスキーで体を鍛えたって、常人以上のお酒飲みでは本末転倒である。この殿下をお育てするため、どれほど多くの人が心を砕いたか考えられないようではだめである。心は雅子妃と娘の内親王に侵され続け、体はアルコールに蝕まれている。私も仕事を続けてきて一時期アルコールへ逃避していたい心理状態になったから、こういう飲み方をされている殿下は正常な状態とは言えないと思っている。殿下は登山していてもウイスキーを持参されると聞いたが、激しく体を動かした後にアルコールというのは、誰が聞いたってよくないに決まっている。秋篠宮殿下の喫煙については、紀子さまが監督されているらしいけれど、殿下がテニスアフターのアルコールを昼間からやっておられる最中、雅子妃は学校の同窓会だったとか。記者会見で雅子妃を一貫して庇う方向で話される殿下は、実際夫婦間に溝はないのだろうか。小和田家に骨抜きにされていると言われているが、ご自身が皇太子であるという他に何もない男性だとするならば、妙な平等観や現代感覚を吹き込まれ、それに染まるのは簡単だ。貴族や公家という藩屏を持たず、絶対的不可侵の存在でい続けなければならない現代の皇族のもろさがここに現れているような気がする。まあ大変なお仕事ではあるけれど、要は何が大事かということを知っていればいいんじゃないかという反面もある。妃殿下も同じように身をわきまえ、ひたすら身を尽くされること。天皇という地位は個人のものでなく、次代にひきつぐべき宝であること。国民と天皇は密接につながったファミリーであること。そういう基本が、やれ外交だの時代に即した新しい公務だのといった考えの下に忘れられている。小さい頃私は、ミッションスクール育ちだった祖母の影響で、寝る前にお祈りする習慣があった。世界中に、餓えや病気、戦争や火事などで苦しむ人がなくなりますように、みんなが暖かい寝床でいい夢が見られますように、と単純に祈っていた。天皇陛下も、毎日、国民が幸せでいられますように、心を病んだ人や体のきかない人、貧困などで苦しんだりしませんように、と祈っておられるはずである。それを非合理だという感性の持ち主には、とても皇室はつとまらない。せいぜい個人主義能力主義の世界で勝ち抜いていってくださいと思うだけである。そんな人のことをも、天皇陛下はやはり、祈ってくださっているのだけれど。
Apr 21, 2008
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1. 「河野洋平特別版」:媚中派の華麗なるチャイナコネクション1/62. 「河野洋平特別版」:媚中派の華麗なるチャイナコネクション2/63. 「河野洋平特別版」:媚中派の華麗なるチャイナコネクション3/64. 「河野洋平特別版」:媚中派の華麗なるチャイナコネクション4/65. 「河野洋平特別版」:媚中派の華麗なるチャイナコネクション5/66. 「河野洋平特別版」:媚中派の華麗なるチャイナコネクション6/6子鼠待望論、勃発中ぅ~~。 小泉氏トップ、2位麻生氏=首相にふさわしい人-時事世論調査時事通信社が11~14日に実施した4月の世論調査結果によると、首相にふさわしい政治家は、自民党の小泉純一郎元首相が21.2%でトップだった。2位は16.0%の麻生太郎前幹事長。民主党の小沢一郎代表は7.2%で3位、福田康夫首相は7.1%で4位と、ともに振るわなかった。小泉氏自身は、再登板の可能性を否定しているが、衰えぬ国民的人気を見せ付けた。麻生氏も現在は無役ながら、小沢、福田両氏の倍以上の支持を集め、次期首相の有力候補として存在感をアピールした形だ。福田氏は、自民党支持層でも12.5%にとどまり、小泉氏の31.3%、麻生氏の28.3%を大きく下回った。麻生氏とともに、「ポスト福田」として取りざたされている谷垣禎一政調会長は2.4%、小池百合子元防衛相は1.5%、与謝野馨前官房長官は0.7%といずれも低かった。子鼠は、ポルポト竹中関連は「連中に騙されてたあ~」とぶっ飛ばして、頑固な靖国&排中路線堅持をぶち咬ましたら、もう支持率鰻登りでしょおおお~ああいう毎朝毎夕ワクワクさせてくれる政治家ってずえったい必要ぉ、だよなあああ~~
Apr 20, 2008
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“公”を語っていたからこその共感だった・・・報道ワイド日本Weekend 平成20年4月19日号青木直人の「仁義なき大放談」より。 蓮池透氏の発言について日本テレビの衛星放送「日テレNEWS24」に13日、蓮池薫さんの兄である蓮池透さんが出演して「環境が整えば北朝鮮に行って拉致問題の真相を問いただしたい」と語りました。透さんの発言を要約すれば、拉致問題は膠着状態にある。制裁は効いていない。制裁を続けるだけでは事態が打開できないので、北朝鮮の動きに応じて解除するなどして話し合いをするべきではないかといったようなことでしょうか。「制裁を続けるだけでは進展しない」という点に限っては私も意見は同じです。私も可能であれば北朝鮮に乗り込みたいと思いますし、電波だろうがビラだろうがファックスだろうが、北朝鮮の中に手を突っ込めることはなんでもすべきと思います。塹壕に入っているだけでは負けることはなくても勝つことはできません。その点、私の意見は家族会や救う会の方針とは多少異なるかも知れません。ただ、違うのは、「制裁を続けるだけでは進展しない」ので、「制裁以外のこともやる」か、「制裁をやめる」かの違いでしょう。蓮池さんは「制裁は効いていない。かえって末端が困っている」と言っていましたが、何か根拠があるのでしょうか。かえって、蓮池薫さんの兄がテレビで「制裁に効果はない。やめるべきだ」と言ったということは、北朝鮮への制裁が効果を上げていることの証拠だと思うのですが。「労働新聞」などでも日本への攻撃の中でたびたび「経済制裁」の話が出てきます。総聯の国会前座り込みや申し入れなどもありました。20年前ならともかく、もはや実組織人員は5万人を切ったとも言われる朝鮮総聯にとって、工作活動ならともかく、日本の世論に逆らって大衆運動をやるのは楽なことではありません。経済制裁に効果がないならこんなことをする必要はありません。また、蓮池透さんの条件が整えば北朝鮮に行きたいという発言ですが、すでに家族会の役員でもなく、副代表を辞任する前から家族会の活動にほとんど参加していない透さんが被害者家族の代表として行けるはずもありません。「真相を明らかに」と言っても、「どうなっているのか」と聞いて「実はこういうことです」と話でもすると思っているのでしょうか。北朝鮮がそういう相手かどうかは薫さんに聞いてみるといいでしょう。もちろん、日本は北朝鮮や中国とは異なり民主主義の国ですから、透さん自身の思っていることをどんどん発言することは認められるべきですが、透さんが拉致問題の解決に役割を果たせるのは、薫さんに北朝鮮で見たことをもっと話させることではないかと思います。自分らだけが助かってればもう関係ない、というような感じが見て取れるようになったらもう、誰も感動しなくなる・・・。これらは全て「戦後レジーム」=「占領期」からの脱却、に懸かると。 主権回復記念日(4月28日)について考える井尻千男の「快刀乱麻」桜プロジェクト報道ワイド日本 Weekend平成20年4月19日号a 昭和史でもっとも大事な日b 「被占領期」という歴史区分c 「戦後レジームからの脱却」d 4月28日を国民の祝日に!!
Apr 20, 2008
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1. どうなる拉致被害者? 青木直人の熱弁1/82. どうなる拉致被害者? 青木直人の熱弁2/83. どうなる拉致被害者? 青木直人の熱弁3/84. どうなる拉致被害者? 青木直人の熱弁4/85. どうなる拉致被害者? 青木直人の熱弁5/86. どうなる拉致被害者? 青木直人の熱弁6/87. どうなる拉致被害者? 青木直人の熱弁7/88. どうなる拉致被害者? 青木直人の熱弁8/8上記、5. 6. 7. 8. で暴露されてる「中共ロビイスト」の実態。河野議長が“親中派”ぶり発揮 楊外相との会談で河野洋平衆院議長は18日、来日中の中国の楊潔?(ヨウケツコ)外相と議長公邸で会談し、5月に予定される胡錦濤国家主席の訪日と、北京五輪の成功に期待感を表明。チベット問題に対しては「中国の主権の範囲で問題が解決されることを望む」などとして、チベット問題を内政問題として処理したい中国側の意向に配慮する姿勢を強く打ち出した。河野氏は「人権への国際的な関心が高いことには配慮する必要がある。もう少し広報の工夫があってもいい」と指摘したが、聖火リレーで混乱が続く北京五輪については「良い五輪になることを祈っている」と述べるにとどめた。これに対し楊氏は「日本がチベット問題を中国の内政問題ととらえていることを評価する」と河野氏の発言を歓迎する姿勢を強調した。同日、楊氏と会談した自民党の伊吹文明幹事長もチベット騒乱に関する報道について「中国の立場がメディアを通じて正確に伝えられていない。常に(中国がダライ・ラマ14世との)対話のチャンネルを開いていることをマスコミによく分からせる必要がある」と中国側を擁護した。まあ見事に世間の空気が読めてない連中だな。
Apr 19, 2008
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日本よ、今...闘論!倒論!討論!2008【映画『靖国』と表現の自由を考える!】★平成20年4月17日・18日 放送★◆映画『靖国』と表現の自由を考える!パネリスト: 潮匡人(評論家) 大高未貴(ジャーナリスト) 坂本衛(ジャーナリスト) 塩見孝也(評論家・元赤軍派議長) 高森明勅(神道学者・日本文化総合研究所代表) 野中章弘(ジャーナリスト/アジアプレス・インターナショナル代表) 前田有一(映画批評家) 三上治(評論家・元ブント叛旗派指導者)司会:水島総1. 【映画『靖国』と表現の自由を考える!-Part1】01/162. 【映画『靖国』と表現の自由を考える!-Part1】02/163. 【映画『靖国』と表現の自由を考える!-Part1】03/164. 【映画『靖国』と表現の自由を考える!-Part1】04/165. 【映画『靖国』と表現の自由を考える!-Part1】05/166. 【映画『靖国』と表現の自由を考える!-Part1】06/167. 【映画『靖国』と表現の自由を考える!-Part1】07/168. 【映画『靖国』と表現の自由を考える!-Part1】08/16 9. 【映画『靖国』と表現の自由を考える!-Part2】09/1610. 【映画『靖国』と表現の自由を考える!-Part2】10/1611. 【映画『靖国』と表現の自由を考える!-Part2】11/1612. 【映画『靖国』と表現の自由を考える!-Part2】12/1613. 【映画『靖国』と表現の自由を考える!-Part2】13/1614. 【映画『靖国』と表現の自由を考える!-Part2】14/1615. 【映画『靖国』と表現の自由を考える!-Part2】15/1616. 【映画『靖国』と表現の自由を考える!-Part2】16/16塩見孝也(評論家・元赤軍派議長)三上 治(評論家・元ブント叛旗派指導者)かつての新左翼の連中って、ホント、馬ぁ鹿あぁだったんだなあ(いい年こいた今もそのマンマ)と確認できましたネ。
Apr 18, 2008
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【桜プロジェクト】 -平成20年04月15日号より抜粋キャスター:青木直人・桜林美佐■ アジア開発銀行をめぐる日中関係の構造を探る!「地域格差の是正」と「資源の確保」を目的とする中国政府の一大国策プロジェクト「西部開発」、そして着々と進む交通インフラ整備によって止まることを知らないチベット・ ウイグルなどへの経済的・文化的弾圧に、日本も加担している!?対中ODAが縮小される一方で、アジア開発銀行(Asian Development Bank)による投資が増大する陰にある実情や、日本が取るべき道について、検証していきます!◆ VTR : ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 文化・広報担当官 ルントック氏へのインタビュー (H20.4.11)アジア開発銀行による融資と西部開発がチベットにもたらしている漢化の波や経済的苦境について、お話を伺います。1. 対中ODAとアジア開発銀行の実態 1/8 2. 対中ODAとアジア開発銀行の実態 2/8 3. 対中ODAとアジア開発銀行の実態 3/84. 対中ODAとアジア開発銀行の実態 4/85. 対中ODAとアジア開発銀行の実態 5/86. 対中ODAとアジア開発銀行の実態 6/87. 対中ODAとアジア開発銀行の実態 7/88. 対中ODAとアジア開発銀行の実態 8/8※上記【対中ODAとアジア開発銀行の実態】5.(コマーシャルあけ07.07から)&6.&7.「全面禁止されていた対中中古車(賄賂としての)不正輸出」に関連して・・・ ( ´・ω・)(・ω・` )■ 【良書紹介】 中国利権の真相 別冊宝島 real 青木直人編著より● 中国ビジネス独走の理由※【中国人民解放軍(※新疆王・王震)コネクションの先駆者・「伊藤忠商事」】 献金ビジネスの研究 なぜ伊藤忠商事だけが突出して中国ビジネスに入り込めたのか?● トウ小平一族(※長男・トウ樸方&次女・トウ楠)への接近、「江沢民」コネクションの開拓……。カンパこそが、シェアを維持する最良の投資だったのか?―― 前略 ――伊藤忠商事には、72年の国交正常化以前から、中国ビジネスを牽引してきたある有名な人物がいる。現在、同社の顧問であり、伊藤忠中国研究所の所長でもある藤野文晤だ。彼に関して、作家の深田祐介が次のような体験談を紹介している。「藤野氏は中国市場開拓のパイオニアであり、中国政府の中枢に深く入り込んでいることを自他共に認める人物だったが、彼は嬉々とした態度で『まもなく太平洋圏は完全な中華圏になりますよ』と確信に満ちて断言した。『太平洋地域が中華圏になると、日本はどうなりますか』私が訊ねると、藤野氏は平然として、『日本は中華圏の一国として、中国のリーダーシップの下で生きてゆけばいい』。要するに※【中国への朝貢国として生きてゆくのが、日本の執るべき道だ】というのだ」 (『正論』04年7月号)深田は、この発言に対して「絶句した」という。「外務省のチャイナ・スクール以外にもこういう日本人が実在していることに強い衝撃をうけた」実は私にも同様の体験がある。89年10月、天安門事件の後遺症がまだ色濃く残る経済制裁下の北京でのことだった。ある総合雑誌の取材で、中国のこれからの動向について話を伺いたいと伊藤忠商事に申し入れたところ、「うちで一番の人物を出します」と紹介されたのが、藤野文晤・伊藤忠商事顧問だった。私の目の前に現われた彼は、快刀乱麻を断つがごとくの高説を続けた。「中国はこれからも経済成長を進めます。指導部も実に優秀な方々です」「日本政府の(天安門事件に対する)経済制裁はばかげている。日本はかつて中国に散々ひどいことをした」「あんなもの、子どもの議論ですよ」(長谷川慶太郎の中国制裁論について質問した際の発言)「一切無関係です。彼はうちとはなんの関係もない」(伊藤忠の顧問だった瀬島籠三の改憲発言に対し中国が批判的であることについて質問した際の返答)「マスコミは軽薄ですね。なにも勉強していない。あることないこと垂れ流して」藤野の発言からは、経済制裁によって、日本からのカネとモノの流入が中断したために、事業の先行きがやや不透明になつたことへの危機感と焦燥感が伝わってきた。※【事業の早期再開という点では、彼のスタンスは中国政府の思惑と一致していた。】 自信満々の態度が豹変したのは、私が「(伊藤忠は)(※トウ小平の長男)トウ樸方の団体にカンパしていますね。これは政治献金だったのではないのですか」と質問したときだ。一瞬沈黙した彼は、まじまじと私を見つめ、弁解がましく、いっきにこうまくしたてた。「あそこ※【(康華実業総公司)は日本の円借款の受け入れ窓口にもなっている。要請されれば、断われない。ワイロだ、なんだと言われても、当方はなんもないと言うしかない】」 あまりにも「国辱的」な行為。インタビューはここで打ち切られた。瞬間、中国のよき理解者の顔は消え、生き馬の目を抜く中国ビジネスの現場に生きるやり手商社マンの素顔が覗いた。伊藤忠を代表してメディアに登場する藤野は、自分の発言が日本で活字になるだけではなく、中国側の目に触れる可能性も念頭に置いて発言していたのかもしれない。(日本で発売される主要な月刊誌は、中国大使館を通じて、中国国内に翻訳されて送られている。なかでも『文藝春秋』は全文翻訳され、関係セクションに閲覧配布されている)。私の取材に対しても、中国政府を決して刺激しないように周到に計算し、答えていたはずだ。瀬島龍三が伊藤忠と無関係なはずはないし、「無関係だ」と言い切るのは、そもそも瀬島に対して礼を失した発言ではないか。私の取材経験からいえば、※【中国進出中の日本企業のなかで、ここまで露骨に中国政府の意向を代弁した人物はいない。】 歴代の中国政府要人へのカンパとヨイショ。伊藤忠商事は、こうして日本最大の中国進出企業に成長したのだろう。そうだとしたら、それはあまりにも「国恥的」な行為である。中国市場経済の実態は、まだまだ深い閤に包まれている。…(以下略)■ 太子党、財務のボス※【王軍】が新彊ウィグル自治区へも投資 合計50臆元(750億円)を辺境の石炭産業開発へ 本日発売の香港誌『開放』によれば※【元軍事委員会副主席で国家副主席だった王震の長男・王軍】が率いるCITIC(中国国際信託投資公司)の投資境遇を詳述している。同社は以前は栄毅仁がトップだった。栄が米国へ事実上の亡命を果たして以来、王軍が同社を率いてきた。かれは牛乳を『牛のように飲む』大食漢としても有名で、ほかに300頭の犬を飼っていることでも知られる。競馬のない国でも馬主でもあり(ロンドン、香港、サウジなどで名馬を買い揃えている)、このような豪華な趣味を資するだけの報酬をとる。実際に中国国務院直属のCITICの資産は7,000億元と見積もられ、ウルムチの商業銀行を保有するほかに同市に国際会議場を建設中(日本で言えば首相官邸の直営企業が最大商社でもある、と同義語)。また石炭、コークスの生産工場をもち、石炭関連だけでも50億元の投資をしていたことが判明した。太子党、ますます財産を膨張させているようだ。
Apr 17, 2008
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★平成20年4月10日 放送★◆胡錦濤訪日と今後の日中問題パネリスト: 青木直人(ジャーナリスト) 荒木和博(特定失踪者問題調査会 代表・拓殖大学海外事情研究所 教授) 加瀬英明(外交評論家) 上島嘉郎(月刊「正論」編集部長) 西尾幹二(評論家) 宮脇淳子(モンゴル史学者) 司会:水島総・鈴木邦子1.【胡錦濤訪日と今後の日中問題-Part1】 1/92.【胡錦濤訪日と今後の日中問題-Part1】 2/93.【胡錦濤訪日と今後の日中問題-Part1】 3/94.【胡錦濤訪日と今後の日中問題-Part1】 4/95.【胡錦濤訪日と今後の日中問題-Part1】 5/96.【胡錦濤訪日と今後の日中問題-Part1】 6/97.【胡錦濤訪日と今後の日中問題-Part1】 7/98.【胡錦濤訪日と今後の日中問題-Part1】 8/99.【胡錦濤訪日と今後の日中問題-Part1】 9/910.【胡錦濤訪日と今後の日中問題-Part2】 1/911.【胡錦濤訪日と今後の日中問題-Part2】 2/912.【胡錦濤訪日と今後の日中問題-Part2】 3/913.【胡錦濤訪日と今後の日中問題-Part2】 4/914.【胡錦濤訪日と今後の日中問題-Part2】 5/915.【胡錦濤訪日と今後の日中問題-Part2】 6/916.【胡錦濤訪日と今後の日中問題-Part2】 7/917.【胡錦濤訪日と今後の日中問題-Part2】 8/918.【胡錦濤訪日と今後の日中問題-Part2】 9/9
Apr 11, 2008
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【櫻井よしこ 福田首相に申す】チベット弾圧抗議せよいま、どの国よりもチベット問題で中国に物を言うべきはわが国である。日本は、武力よりも、民主主義と国際法、人間の自由、文化・文明の尊重を以て戦後の道を切り開きたいと望んできた。同時に米国の占領政策によって、日本文明の粋を失う哀しみを味わってきた。だからこそ、ダライ・ラマ14世が「チベット文化の虐殺」と呼ぶ中国の弾圧に、率先して抗議しなければならない。日本と多くの価値観を共有し、日本に友好的であった国、チベットのために発言することは、日本が依って立つ基盤を守ることである。福田康夫首相が望むよき日中関係の構築も、日本が発言して初めて可能になる。しかし、チベット人の抵抗運動について、首相は「中国の内政問題」とし、「人権にかかわるようなことがあれば心配、懸念を表明せざるを得ない」と語るにとどまる。弾圧の中の沈黙は中国共産党の共犯者となることだ。中国のチベット侵略は1950年6月の北朝鮮の韓国侵攻以前から始まっていた。人民解放軍の調査隊がチベット軍の前哨基地があった東チベットのデンゴに入ったのだ。10月、彼らは東チベットを襲い、わずか11日で占拠した。翌年5月、中国共産党はチベットに17条協定への署名を強要した。協定は、まず、チベットは祖国(中国)の大家族に復帰するとうたい、事実上、チベットが中国の一部だと明記した。だが、甘言も書き込まれていた。チベット軍は中国人民解放軍に吸収されるが、チベットの仏教、信仰、風俗習慣は尊重され、僧院も保護されると明記されていたのだ。亡命を視野に入れていたダライ・ラマ14世は16歳、法王を取り囲む僧たちの17条協定についての意見は分かれた。身ひとつで亡命する、過酷な運命の予兆におびえる者もいた。そして彼らは若き14世に説いた。「われわれが中共を刺激さえしなければ、仏教が弾圧されることはない」と。51年9月、法王が開いた議会では、結局、毛沢東のチベット支配は象徴的支配にとどまり、僧院も仏教も、ダライ・ラマの神聖さも侵されはしないという希望的観測を結論とした。結果として、法王は「チベット地方政府」の名において、毛沢東に17条協定承認の手紙を送ったのだ。この半世紀余の歴史を振りかえれば、チベットと台湾に対する中国人支配の構図が似通っているのに気づかされる。共産党か国民党か、イデオロギーは異なっても、彼らは異民族支配の第一に中国人への同化政策を置く。チベットで、中共軍は17条協定をすぐに反故にして、寺院の9割以上を破壊し、財宝を奪い、仏教を否定し毛沢東主義、共産主義の学習を強要した。今回の、3月10日以来のチベット人の抵抗に直面して、中国政府は僧侶らに対する共産党大会の文献学習や愛国主義教育を強化したが、同種の政策はすでに60年近くも続いてきたのだ。さらに、チベット人からチベット語を奪い、中国語を習わせた。子供へのチベット語の命名を禁じた。 ◇人民解放軍の兵士をはじめ、多くの中国人をチベットに送り込んだ。中国人男性とチベット人女性の結婚は許すが、その反対は許さないのだ。こうしてチベット人は宗教と言語と民族の血を奪われつつある。中国は、チベットは中国領で、当然だと主張する。しかし、チベットは歴史的に見て中国の一部ではない。清国政府はチベットの宗主国としての立場を主張したが、チベットを支配したわけではない。国民党も台湾を一度も支配したわけではなかったけれど、中共との戦いに敗れて逃れた先の台湾を自分たちの領土だと宣言した。両者の主張は日本固有の領土の尖閣諸島や東シナ海に対する主張と同じである。チベット問題は台湾問題であり、尖閣問題であり、より大きな枠組みでの日中問題なのだ。チベット人がいま、命を賭して訴えているのは、彼らが最も大切にする信仰を軸としたチベット民族としての暮らしを守る戦いを、21世紀の文明社会はただ傍観するのか、それでよいのかという問いである。確実にチベット民族の消滅につながる中国の弾圧に目をつぶり、北京五輪を支援するのかと問うているのだ。人権にかかわれば、と首相は語った。答えは明らかだ。幾千年も続いたひとつの高貴な文明が弾圧の末に滅されようとしているのである。文明の危機に直面する深い哀しみを共有する日本であればこそ、首相は中国に、直ちに抗議しなければならない。国際社会の前で、ダライ・ラマ法王と話し合い、チベット人虐殺と弾圧を止めよと。国際機関をチベットに常駐させ、チベット人の望む高度の自治を実現させ、チベット仏教の再生を可能にせよと。それも言えないとしたら、福田首相には、日本を代表する資格はないのである。したがって、私は失望と憤りをこめて、一日も早い首相の辞任を望むものである。( ゚∀゚)o彡° ( ゚∀゚)o彡° ( ゚∀゚)o彡°
Apr 10, 2008
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米空母ジョージ・ワシントン、7日に横須賀へ向け出航【ノーフォーク(米バージニア州)=有元隆志】米原子力空母ジョージ・ワシントンが7日、米海軍横須賀基地(神奈川県)に向け、ノーフォーク海軍基地(バージニア州)を出航する。同空母は8月に横須賀基地に到着する予定で、同基地は、日本で初めて米原子力空母の“母港”となる。ジョージ・ワシントンは在来型の空母キティホークの後継。米海軍では中東からインド洋など「不安定の弧」と呼ばれる地域や、中国の軍事力強化、朝鮮半島情勢に対処するためにも、「能力を有する艦船を前方展開させる必要が増している」として、原子力空母の配備が必要と説明している。ジョージ・ワシントンは南米での訓練に参加した後、日本に向かう。ダイコフ艦長は横須賀行きに備え、努力を積み重ねてきたと強調している。原子力空母は、在来型より高速で長時間の航行が可能であり、運用の機動性が高まる。排煙によって飛行甲板に乱気流がおきる心配がないなど、運用面でのメリットが大きい。しかも、在来型が「空母の最も脆弱な瞬間」と言われる洋上給油を受けなければならないのに対し、その必要がないなど安全性も向上する。在来型に比べ、建造コストが高く、維持費もかかるが、冷戦後、地域紛争がおきる可能性が高まるなか、機動性に優れる空母戦闘群の存在意義が増し、米軍では整備を進めている。太平洋地域に少なくとも6つの機動部隊を配備することは、2006年2月の「4年ごとの国防計画見直し」(QDR)で打ち出された。
Apr 7, 2008
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ああ、やっと仏教界からの声が・・・ 天台宗のトップ、チベット問題を語る。◎兵庫県姫路市の天台宗 別格本山 書写山 圓教寺の大樹玄承 執事長の書簡今、私たち日本の仏教者の真価が問われています。チベットでの中国の武力行動によって、宗教の自由が失われることに心から悲しみと、止むに止まれぬ抗議を表明せずにはいられません。私たちはあくまでも宗教者、仏教者として、僧侶をはじめとするチベット人の苦しみを、もはや黙って見過ごすことができません。チベット仏教の宗教的伝統を、チベット人の自由な意思で守るということが、大切な基本です。皆さんは、日本の全国のお坊さんがどうしているのかとお思いでしょう。日本の各宗派、教団は日中国交回復のあと、中国各地でご縁のある寺院の復興に力を注いできました。私も中国の寺院の復興に携わりました。しかし、中国の寺院との交流は全て北京を通さずにはできません。ほとんど自由はなかった。これからもそうだと、全国のほとんどの僧侶は知っています。そして、日本の仏教教団がダライ・ラマ法王と交流することを、北京は不快に思うこともよく知られています。あくまでも、宗教の自由の問題こそ重大であると、私は考えています。しかし、チベットの事件以来、3週間以上が過ぎてなお、日本の仏教界に目立った行動は見られません。中国仏教界が大切な友人であるなら、どうして何も言わない、しないで良いのでしょうか。ダライ・ラマ法王を中心に仏教国としての歴史を重ねてきたチベットが、今、なくなろうとしています。私たちは宗教者、仏教者として、草の根から声を挙げていかなければなりません。しかし、私の所属する宗派が、中国の仏教界関係者から抗議を受けて、私はお叱りを受ける可能性が高いでしょう。このように申し上げるのは、私たちと行動を共にしましょうということではないのです。それぞれのご住職、檀信徒の皆さんが、これをきっかけに自ら考えていただきたいのです。オリンピックにあわせて、中国の交流のある寺院に参拝予定の僧侶もいらっしゃるでしょう。この情勢の中、中国でどんなお話をされるのでしょう。もしも宗教者として毅然とした態度で臨めないならば、私たちはこれから、信者さん、檀家さんにどのようなことを説いていけるのでしょうか。私たちにとってこれが宗教者、仏教者であるための最後の機会かもしれません。書写山 圓教寺 執事長 大樹 玄承 平成20年4月5日 後に続けっ!! 葬儀屋坊主じゃない人たち・・・かたや、『庶民の王者』の化けの皮剥し進捗中。 民主党はP献金を解明できるか『池田大作の品格』も触れる公明党の集金システム「自公政権のキングメーカーとして、また巨大宗教団体の指導者として、なぜ彼があれほど権力に固執するのか。彼の権力欲、名誉欲、支配欲への妄執について、学会の内外を問わず一石を投じるつもりでした」去る3月12日、都内某所で『池田大作の品格 万乗の君あらず』(日新報道)の出版記念パーティーが開かれた。著者の小多仁伯氏は1969年、池田大作・創価学会名誉会長の面接で学会本部に入り、芸術部書記長、文化本部副書記長など重職を歴任。学会中軸の実態を目(ま)の当たりにする立場であった。池田氏とも半世紀の関わりがある。「彼(池田会長)は神格化を演出するために、ある全体会議のとき、1000名以上の信者の前でおもむろにグランドピアノを演奏した。『荒城の月』『月光の曲』などを完璧に演奏し、万雷の拍手を浴びました。でも実際は、その当時できたばかりの自動ピアノ演奏に合わせて指を動かしていただけ」(小多仁氏)その言葉通り、本書は学会や池田氏の知られざる実態を赤裸々に綴(つづ)ったものだ。池田氏のスピーチの間違いや発音の不明瞭さを手直しする苦労。はたまた長男の博正氏の横顔など、リアルな記述が並ぶ。またこの著書は P 献金にも触れている。Pとは「プレジデント池田」を指す。P献金とは、公明党の衆参議員たちが上納金を党にするものだという。各週刊誌などで報じられているように、このP献金は今国会の爆弾となる可能性を秘めている。伏線は2007年10月16日、参議院予算委員会でのことだ。石井一・民主党副代表がP献金について追及すると、冬柴鐵三・国務大臣はこう切り返している。「P献金が何か知りませんけど、私はそういうことはいたしておりません。それから先ほど上納金とか何とかおっしゃいましたけれども、私は連続7回当選させていただきましたけどもそういうお金をどこへ出したんですか。どこに出したっておっしゃるんですか。私は党に対する公認料ということで、衆議院の場合には 300万、ええ、というよりは、もう少しきっちり調べた方がいいと思いますけれども、年収、あの、いただく報酬の2カ月分を党に出してます」(※冬柴氏は後に「間違いだった」とこの答弁を撤回)党に対する公認料といえば、自民党も民主党も党からもらうものだ。それが反対のようである。石井副代表は、そのカネの流れはどこへどう処理されるのか、と指摘し、さらにこの予算委員会で福本潤一・元参議院議員の国会召致も要求した。福本氏は公明党の公認を得られず、97年6月15日、参議院で記者会見を行って、「参議院議員は当選したら600万円、衆議院議員は300万円を党本部に上納した」とP献金を暴露し、公明党を痛烈に批判した経緯がある。現在、民主党はP献金解明のため、一川保夫・衆議院議員を座長とし、衆参議員25名を集めた特別チームが活動中である。石井副代表は覚悟を語る。 「献金されたカネがどのように処理されているのか。政治とカネの問題としても疑念を持たざるを得ない。まずは福本氏を参考人として招致する。その場で真相を明らかにし、最終的には池田名誉会長の証人喚問をする決意である。今国会では、わが党を挙げ、政官宗のトライアングルを解明していく」 支那並みの嘘吐き政党、ってかカルト・犬作教団・・・
Apr 6, 2008
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昨夜は8時から1時間半テレビに噛り付いたけど、それが早速今朝UPされてたのでこりゃあ今夜もやってくれるかな?と思って先に寝てからオットリ刀で見てみたら、いやあどーもありがとうさん、てなことでしたネ。繰り返せるし気になる発言もすぐに再確認できるし、やっぱりこっちの方が便利だもんなあ。1. 【毒餃子・チベット問題・北京オリンピック-Part1】 1/92. 【毒餃子・チベット問題・北京オリンピック-Part1】 2/93. 【毒餃子・チベット問題・北京オリンピック-Part1】 3/94. 【毒餃子・チベット問題・北京オリンピック-Part1】 4/95. 【毒餃子・チベット問題・北京オリンピック-Part1】 5/96. 【毒餃子・チベット問題・北京オリンピック-Part1】 6/97. 【毒餃子・チベット問題・北京オリンピック-Part1】 7/98. 【毒餃子・チベット問題・北京オリンピック-Part1】 8/99. 【毒餃子・チベット問題・北京オリンピック-Part1】 9/910. 【毒餃子・チベット問題・北京オリンピック-Part2】 1/911. 【毒餃子・チベット問題・北京オリンピック-Part2】 2/912. 【毒餃子・チベット問題・北京オリンピック-Part2】 3/913. 【毒餃子・チベット問題・北京オリンピック-Part2】 4/914. 【毒餃子・チベット問題・北京オリンピック-Part2】 5/915. 【毒餃子・チベット問題・北京オリンピック-Part2】 6/916. 【毒餃子・チベット問題・北京オリンピック-Part2】 7/917. 【毒餃子・チベット問題・北京オリンピック-Part2】 8/918. 【毒餃子・チベット問題・北京オリンピック-Part2】 9/9
Apr 5, 2008
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李登輝前総統に聞く■【李登輝氏】日台関係は中台関係以上に重要台湾新政権 来月発足 李登輝前総統に聞く【4月4日 読売新聞】● 日台関係は中台関係以上に重要 対日顧問役に意欲【台北=石井利尚】台湾の李登輝前総統(85)は3日、台北市内で読売新聞とのインタビューに応じ、5月20日に次期総統に就任する馬英九・前国民党主席(57)の新政権下で、事実上の「対日関係顧問役」として、日台関係促進に努める意欲を示した。李氏は「日台関係は中台関係以上に重要で、台湾経済発展のために日本との提携が重要だ。馬氏は日本をよく知らない。日本を知っている人間が仕事をしてあげるべきだ」と述べ、親日家として馬氏に協力する姿勢を強調した。ただ、李氏本人が要職に就くかどうかは「若い人にやらせるべきだ」と語った。日台の一部には、外省人(中国出身者)の馬氏が、尖閣諸島の領土問題で厳しい姿勢を示した経緯があることなどから、日台関係の先行きを懸念する声がある。李氏と先月会談した馬氏は「対日関係発展で尽力するとの話があった。今後、李氏の教えをいただきたい」と述べており、李氏は、馬氏と日本との橋渡し役として重要な役割を担っていくものとみられる。また、李氏は年内に日本を観光で訪問したいとの意向を表明、昨年に続き、松尾芭蕉の「奥の細道」をたどる旅をしたいとの考えを示した。訪問先としては新潟、福井両県などを挙げた。一方、戦後2度目の政権交代が決まった3月の総統選について、李氏は「民主化の深まりを示したもので、私が12年間かけて作り上げた民主化がさらに進むのではないか」と評価した。国民党が大勝した原因について、李氏は「民進党が政権を取った2000年は民主化が一歩進んだが、その後の8年間はどうか。住民は、汚職にまみれた民進党に失望し、不満を強めた」と分析した。 (・_・;)終わった後で唐突に言われてもなあ・・・んじゃ贔屓の引き倒しだったわけダ、鳥居民氏とか金美齢氏とか黄文雄氏とかその他大勢・・・そこいらはキチンと整理つけてもらわないとマズイよなあ。(・_・;)今後の中台関係について、独立志向の民進党内には、対中融和派の国民党政権が「対中統一に傾く」との懸念がある。李氏は「台湾は事実上の一つの国。中台関係はかなりの時間をかけても解決できない。中国は、複雑な内部の問題処理に追われ、台湾問題まで手が回らない」と述べ、「統一」の動きが進むことはないとの見方を示した。さらに李氏は、馬氏が掲げる中台直行便や中国人観光客受け入れ策への支持を表明、「表面的に中台関係は改善する」と語った。ただ、馬氏が目指す中国との平和協定は「できないだろう」とも述べた。で、日本ではまったく政治が機能しておらず・・・ (・_・;) 小沢氏また採決欠席 民主反対の思いやり予算で民主党の小沢一郎代表は3日、在日米軍駐留経費負担に関する新特別協定案を採決する衆院本会議を欠席した。民主党は採決で反対した。小沢氏は欠席の理由について千葉市で記者団に「別の日程があった」と説明。日程の内容に関しては「言う必要はない。わたしにはわたしの優先順位がある」と強調した。ミンスに投票したしとは恥じろぉよっ!!んで、加藤とか追い出せっ!! あと二回とか子がとか・・・ 加藤「偏狭」発言に昭一激怒自民党の加藤紘一元幹事長が中川昭一元政調会長の真・保守政策研究会を「偏狭なナショナリズム」と批判したことを受けて、中川氏は3日、伊吹派総会で「訳も分からず安易に批判されては黙っていられない。どっちが国のことを考えているか。私は負けていないつもりだ」と反論した。もっとズカッとエグッてほしいかもネ。櫻井よしこさんのように微笑みながらサぁ。
Apr 4, 2008
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さあっ!! 世界の方向転換が始まりつつありますよおぉ。 ■ 独首相、五輪開会式に不参加【ベルリン=黒沢潤】ドイツのシュタインマイヤー外相は28日、欧州連合(EU)非公式外相会合の開催地、スロベニアの首都リュブリャナ近郊で記者団に対し、メルケル独首相と外相自身が北京五輪の開会式に参加しない意向を明らかにした。2人の訪中はそもそも予定されていないと強調したが、ポーランドとチェコ、エストニアの3カ国首脳が中国・チベット問題を受けて開会式のボイコットを決める中、加盟国に影響を与えそうだ。独政府報道官によれば、首相の開会式不参加は、チベット問題発生以前の2月に中国に通告済みだったという。首相に代わって、ケーラー独大統領が参加するとみられるが、独ニュース専門テレビ局N-TVは28日、独大統領はパラリンピックの開会式にのみ参加を検討中だと伝えた。メルケル首相は昨年9月、ダライ・ラマ14世を独首相として初めて首相府に招き、独中関係が悪化した。1月下旬に「関係改善」を確認したものの、独政府は中国のチベット弾圧に反発を強めていた。開会式ボイコットを26日に表明したチェコのクラウス大統領は、北京を五輪開催地にするため投票した国々に対し、「これ(チベット弾圧)が中国の姿だ」と皮肉たっぷりに語った。 ヽ( ・∀・)ノ┌┛ガッΣ(ノ`Д´)ノエストニアのイルベス大統領も27日、開会式欠席を表明。「日程上の問題」と説明したが、中国政府を間接的に批判した格好だ。五輪開催時のEU議長国、フランスのサルコジ大統領は27日、ブラウン英首相との共同会見で、改めて開会式不参加の可能性に言及している。欧州各国は中国市場に大きな関心を持つだけに、外相会合での対応が注目されるが、フランス通信(AFP)によれば、オーストリアは開会式参加に懐疑的という。さすがヨーロッパ。支那移民に散々な目にあわされてるイタリアも当然間もなく追随でしょし。で、アメだが、結局中途半端に終わりそうな子藪には、これ以上余計なことは何もせずにとにかくさっさと引っ込んでもらってえぇ・・・ ■ マケイン候補の勝利を願う ≪偏ったメディア報道≫日本のメディアの米国大統領選挙の報道ぶりは明らかに公正さを欠いている。初めから共和党はイラク・ブッシュ失政でダメと決め込み、ヒラリーか、オバマか、初の女性大統領かいや黒人大統領成るかというセンセーショナルな二者択一に新聞もテレビも埋めつくされている。共和党のマケイン候補はフルネームさえ紙面・画面にのらず、まるで泡沫候補扱いだ。唯一例外が、古森記者の記事とブログ記載だネ。だが本当にそうなのだろうか。筆者はわずか200年と歴史の浅いアメリカ民主主義が、女性又は黒人の大統領をたやすく受け入れる程成熟しているとは思わない。オバマへの最悪の極端な反発もあるかもしれない。マケインは英国系WASPの代表、与党共和党の統一候補、祖父も父も海軍大将という名門の白人、ベトナム戦争で空母艦載機パイロットとして参戦し、撃墜され、拷問と虐待に5年半耐えた元海軍少佐の「英雄」であり、2000年大統領選でブッシュを追い上げた有力な下院・上院議員経験者である。71歳の百戦錬磨の政治家、ジョン・シドニー・マケイン候補が本選挙で史上初の女性候補、もしくは黒人候補と対決したとき、アメリカの有権者は果たしてどちらを選ぶだろうか。マケインは負けると先入観で決めこんでいて、埒もない福井県小浜市の“オバマ・フィーバー”の狂態の報道に、あんなに紙面や画面を割いていいのだろうか。ああ、やっと。よくぞ言ってくだすった・・・ 。゚(゚´Д`゚)゚。 ≪3候補の政策評価を≫外国の首長選挙ではあるが、中国と北朝鮮からの各種の脅威にさらされている今の日本にとって同盟国アメリカの大統領選挙の結果は、少なくとも向こう4年間の日本の国運を左右しかねない大問題である。核・ミサイル・拉致の一括解決を拒否されて6カ国協議から締め出されて孤立無援の日本にとって、日本の味方になってくれる候補者が米国大統領になることこそ望ましいことだ。首相官邸や外務省は内政干渉になるからコメントできないが、マスコミは少なくとも3候補のアジア政策、とくに対日・対中国政策を、日本の国益という観点から分析評価し、国民に誰が一番いいのかその利害得失を解説するのがその任務ではないのだろうか。ヒラリー、オバマ両候補の選挙演説をきくと、いずれもアジア政策は中国重視で、日本や日米同盟についての言及はゼロに等しく、いずれが勝っても日米関係は冷え切るだろう。一方ネオコンでもリベラルでもない“マーヴェリック(一匹狼)”の異名をとるマケイン候補の政見は、3候補中ただ一人いよっ!! トップ・ガンっ!! ( ゚∀゚)o彡°「日米同盟強化」「日本の国連常任理事会入り支持」「プーチンの覇権主義反対」「強硬な外交介入主義」「人権外交の立場からの拉致問題重視」を主張、さらに共和党でただ一人の「地球環境保護・公害防止論者」である。苛烈な戦争体験をもつ軍人だからこそイラク戦争について現実派の立場をとる。今の日本に必要な米国大統領は、このマケイン候補だと思う。100年前日露戦争の際、帝政ロシアの覇権主義的南下政策に反対して、日英同盟の英国と協力して日本の味方をしてくれたセオドア・ルーズベルト大統領の再来となるかもしれないからだ。 ≪直言受け入れる度量≫セオドア・ルーズベルトが1905年日本を支持して締結した「桂・タフト協定」はブッシュ=ライス=ヒルの対中鮮宥和政策により6カ国協議で中国に朝鮮半島の優越的支配を認める「逆桂・タフト協定」状態となっている。マケイン候補の最も尊敬する米国政治家がセオドア・ルーズベルトであることも奇遇である。もし彼が勝てば、アーミテージら共和党の知日・親日派がカムバックし、副大統領、国務・国防両長官、駐日大使など日本重視のホワイトハウス、ペンタゴン(国防総省)の布陣も夢でない。1990年1月8日、前内閣安全保障室長だった筆者は、アマコスト駐日大使邸で日米防衛関係の両国高官が出席した席で、マケイン上院外交委員長と日米同盟について激しい議論を交わした。日本の防衛努力の不足を、小柄だが精悍な同議員は厳しく批判し、「日米同盟の破棄を米国議会が決議したらどうする」と日本側に迫った。筆者は「私は同盟堅持派だが、米側が破棄通告してきたら直ちにマッカーサー憲法改正、核武装派となる」と応じた。「では私にどうせよというのか」と尋ねる同議員に筆者は乱暴な軍人英語で「口出しは無用」と直言した。驚いたことに激しい気性でなる同議員は「率直な意見だ。ではそうしよう」と筆者の非礼な直言を受け入れた。その度量の広さに感服した筆者は以来、同氏を高く評価しているのである。☆-(ノ゚Д゚)八(゚Д゚ )ノイエーイ自由に基づく恒久平和を――民主国家の連帯を軸とするパートナーシップを ジョン・マケイン 共和党予備選挙大統領候補 アメリカは冷戦期に西側を団結させた民主国家の連帯を復活させなければならない。アメリカだけで、自由に基づく恒久平和を実現することはできない。民主的な同盟国の意見に耳を傾けなければならない。……民主国家を「民主国家連盟」という一つの機構のもとに連帯させ、立場を共有する諸国が平和と自由のために協力するこの連盟が、国連がうまく対応できないような案件に対処していくようにする。私が大統領になれば就任1年目に、世界の民主国家の指導者とのサミットを開き、指導者たちとの意見交換をし、このビジョンを実現するために必要な措置を模索していく・・・ ( ゚∀゚)o彡° ( ゚∀゚)o彡° ( ゚∀゚)o彡°
Mar 29, 2008
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薬にみせかけた、毒薬。
Mar 27, 2008
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まもるべきもの
Nov 19, 2007
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あちこちで写してきて・・・ まもるべきもの■ まもるべきものいつのまにか当然の平和 そんな日々過ごす俺らの手には武器はないが世界のメディア 見れば映る WAR Century 21理想は悪くねえと思うぜ いつも忘れねえ昭和のでけえ傷も掲げる平和憲法 武力の威嚇・行使無き白旗戦法それで済むなら一番いいさ 外からすれば関係ねえ一切未だキナ臭いアジアの EAST SIDE 拉致・占領されてるし実際守るべきもの 人・文化・故郷 いざミサイル撃たれてから どうしようそれで間に合うかもう考えろ 何を守るの憲法9条いまこっそ Woo いまこっそ Woo いまこっそ Woo 見直っそ Woo守るべきもの 守るべき人 守るべき文化 守るべき故郷いまこっそ Woo いまこっそ Woo いまこっそ Woo 見直っそ Woo守るべきもの 守るべき人 守るべき文化 守るべき故郷そりゃやっぱ 戦争なんてないに越したことはないが 降り懸かる火の粉は払わねばらない 仲間や恋人や愛する家族自分の故郷は自分で守る憲法 それは決意表明 当然干渉されるいわれはない他国の顔色をうかがう必要もない 60年間 平和 平和唱え続けた結果 どうなった?9条なんてとっくに形骸化 軍じゃないのか自衛隊はもう黄色信号点灯 現行憲法今文化伝統に沿った変更が必要なんだ平和憲法なんて幻想さ 見ろよこの現状いまこっそ Woo いまこっそ Woo いまこっそ Woo 見直っそ Woo守るべきもの 守るべき人 守るべき文化 守るべき故郷いまこっそ Woo いまこっそ Woo いまこっそ Woo 見直っそ Woo守るべきもの 守るべき人 守るべき文化 守るべき故郷どこの国にも依存しねぇ 自存自衛 それが基本姿勢60年分溜まったツケ さっさと払って次に進め今決めなきゃならん自分達で 考えねばならん国民として平和主義の人間 そして 日本に生まれた男として一人一人がやるべき事 少しずつでいい まず考えよう憲法とはいったい何なのか? 平和とはいったい何なのかいまこっそ Woo いまこっそ Woo いまこっそ Woo 見直っそ Woo守るべきもの 守るべき人 守るべき文化 守るべき故郷いまこっそ Woo いまこっそ Woo いまこっそ Woo 見直っそ Woo守るべきもの 守るべき人 守るべき文化 守るべき故郷大前とか田原とか文筆・電波芸者らが蠢き出して、醜いったらありゃしない。 11月14日:“拉致問題は解決済み”という現実 11月15日:北朝鮮問題で改めて問う日本の国益と拉致と核こんな無根拠で薄っぺらな極主観的観測記事書いたら、普通はその業界から放逐されるんでないのぉぉ??ったく、バカみたい。。゚(*゚´∀`゚)゚ノ彡☆いまどきの中学生にも笑われてるでしょにね。
Nov 16, 2007
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小澤とか福田とかとか、やたら昔の名前で(が)出ていますだらけで、まったくツマランですな。対象ダラけてるせいか、いつも巡回してる各ブログなどもいまいちピリッと来ないし・・・。ところがぁ12日に、まったく久しぶりにビクンと来た、カナ。m9。゚(゚^Д^゚)゚。 CDを聴いて不覚にも泣けてきましたさっそく、英霊来世で申し込んで、待っておりますナ。以来、 Arei Raise -矜持-( MUSIC VIDEO )を、リピートでBGMにしてね。m9゚。(^Д^゚≡。^Д^)m9゚。■ 矜持作詞:斉藤“七生報国”俊介作曲:英霊来世日本に生れた喜び いつも心に 英霊来世 俺たちの矜持あの原子爆弾2個もってして 焼き尽くせなかったもんですぜ ダンナあんな惨禍超えてきたんだ やっぱ日本てスゲー少ない鉱物資源 核という名の人体実験克服してきた人材人間の 子孫がここにはいっぱいいるぜ日清・日露・大東亜聖戦 江戸・明治・大正・昭和・平成の経験が詰まった先陣の叡智に 今こそ学べ 前進の精神こそが何ものにも代え難い 未認定無形重要文化財逆襲の日本 さあ来るぞ まずは心に核武装美しき国 日本日が昇る国 日本 素晴らしき国 日本 日本 日本神の住む国 日本大好きな国 日本俺達の国 日本 日本 日本人は何かの犠牲の上に立つが 大事なのはその上に何を為すか戦争終わってもう60年 いい加減迎えよう 英霊と終戦負けると知りつつも立ち向かう 時に命賭して勝ち掴むそれは善悪超えて尊いしデカい 俺たちのご先祖は間違ってない俺ただ日本が好きなだけ 右でも左でもねえ大好きな日本と日本人 忘れんな希望と自尊心まず声を出せ日本男子&女子 神風の魂はいつもここに託された想いと共に 胸に刻め“公”の一(ひと)文字 美しき国 日本日が昇る国 日本 素晴らしき国 日本 日本 日本神の住む国 日本大好きな国 日本俺達の国 日本 日本 日本やっぱこの国本当好き だから心もそう 黄金の国 で在りたいね俺ら日本人 あるぜ一本芯 常に日々精進時間を超え 歌声よ届け いつだって きっと会えるここで想いは必ず 響きあう そう靖國の空で 虹になる俺達には出来ない事もある でも僕らだから出来る事があるこんな俺達でもやれる事 あるなら 歌おう声涸れる程受け継いだもの忘れないで いつも心に想い描いてそして繋げる次の世代へ 共に歩んで行く未来目指して日本 美しき国 日本日が昇る国 日本 素晴らしき国 日本 日本 日本神の住む国 日本大好きな国 日本俺達の国 日本 日本 日本 ・・・こんな俺達でもやれる事 あるなら 歌おう声涸れる程
Nov 15, 2007
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妙に共感したコメントみっけ・・・ フォト記念館・安倍内閣総辞職の日に振り返るどうしてこんなに安倍首相との別れが辛いのでしょうかね。今までの首相には感じ得ない寂寥感を感じています。安倍さんの「戦後レジームからの脱却」。全てはこれにつきます。ようやくこれを政権のビジョンに掲げてくれる政権が出来た!と安堵したのが一年前でした。ほぼ安倍さんと同年代の私は中学の音楽のテストに「ベトナム戦争についてどう思うか」という設問を発見して、心底驚きました。正解は「戦争はいけない」だったでしょうか。人生の複雑さを全く教えない教育がどれだけ日本人の心を蝕み、物事の価値を損得で見る浅ましい思考を植えつけてきた事か。義を見てせざるは勇なきなり、なんてもうとっくに消え去りました。それが、様々な利権をも作り上げてきたのでしょうね。卑怯という言葉を私達は子供たちに、しっかり教えて来たのでしょうか。危険に怯むことなくと、宣誓して勤務にあたる自衛隊の方々への否定的な風潮を何としましょうか。自分の手は汚さずに、君の手は汚れていると非難するようなものです。首相という立場の人に年金や事務所費なんぞ語らせてはいけないと思いますよ。そんなものは、その任にある人がやるもの。首相は、祖国をどこに導くのかを語らねばならないと思います。安倍さんを守り切れなかった国民は、やっぱり恥じるべきだと思います。国民に相応しい首相しかもてないのでしょうね。安倍さんがご健康を取り戻され、また果敢に国のため立ち上がってくださることを願っています。 ・゚・(つД`)・゚・
Sep 26, 2007
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しっかり療養して捲土重来、おおきに期待しております。現時のドタバタで、毛色の変わった味方ができるかも。飯島勲氏とかさ・・・。 安倍首相への評価 「短期間に多くの業績残す」 ■ジョージタウン大学東アジア言語文化学部長 ケビン・ドーク教授 【ワシントン=古森義久】日本の民主主義やナショナリズムの研究を専門とする米国ジョージタウン大学東アジア言語文化学部長のケビン・ドーク教授は14日の産経新聞とのインタビューで、安倍晋三首相の辞任表明に関連して、安倍氏が米国では日本の歴代首相のうちでも「明確なビジョン」を持った指導者としての認知度がきわめて高く、米国の対テロ闘争への堅固な協力誓約で知られていた、とする評価を述べた。 ドーク教授はまず安倍首相の約1年に及ぶ在任の総括として「安倍氏は比較的、短い在任期間に日本の他の多くの首相よりもずっと多くの業績を残したが、その点がほとんど評価されないのは公正を欠く」と述べ、その業績として(1)教育基本法の改正(2)改憲をにらんでの国民投票法成立(3)防衛庁の省への昇格-の3点をあげた。 同教授は米国の安倍氏への見方について「米国では安倍首相への認知が肯定、否定の両方を含めてきわめて高かった。たとえば、森喜朗氏、鈴木善幸氏ら日本の他の首相の多くとは比較にならないほど強い印象を米側に残した。慰安婦問題で当初、強く反発したこともその一因だが、日本の今後のあり方について明確なビジョンを示したダイナミックな指導者として歴史に残るだろう。安倍氏が米国の対国際テロ闘争に対し堅固な協力を誓約したことへの米国民の認識も高い」と語った。 ドーク教授は安倍氏の閣僚任命のミスなど管理責任の失態を指摘しながらも、「戦後生まれの初の首相として日本の国民主義と呼べる新しい戦後ナショナリズムを主唱して、国民主権の重要性を強調し、対外的には国際関与を深める道を選んだ。安倍氏が『美しい国へ』という著書で日本の長期の展望を明示したことは、今後消えない軌跡となるだろう」とも述べた。 同教授はさらに「逆説的ではあるが、安倍氏の辞任表明の時期や方法も、それ自体が業績となりうると思う。健康上の理由、政治上の理由、さらには唐突な辞任表明での責任の問題もあるだろう。だが安倍氏が国民投票法など本来、まずしたいと思ったことを達成し、さっと辞任するという動き自体が今後の政治指導者の模範例となりうる」と語った。ハナから性根すえて、靖国参拝に各種下らん談話の全否定、そして集団的自衛権保持声明出してその(屁)理屈付けを内閣法制局に命じるてなことを、とにかくざっくりとやってくれたら、いつ辞めようと満点だったのになぁ。(´;ω;`) 同教授はまた「現在の日本での安倍氏への評価は戦後の旧来の産業社会の文化や規範を基準としており、情報社会の文化基準を適用していないために、『戦後レジームからの脱却』などがあまりよく理解されず、支持されないのだろう」と説明した。そんな高尚なもんじゃけっしてありまっせんでしょ。緊張感なんてまるで縁のない参院議員、その半分の定時改選での例によっての名前だけ連呼しか脳のない選挙で、腹黒小澤ができもしない利権バラマキ空約束での田舎モン馬鹿にした手法で結果的に小選挙区一人区総なめしたってなダケじゃん。それにいくら田舎モンでも大体がそんな「空約束」自体を本気で信じてたかどうか。どっからめっけて(押し付けられて)きたのってな人相悪い大臣とか貧乏神そのまんまの絆創膏貼っ付けた大臣とかてめぇのことばっかで何の役にも立たん官房長官とかいい加減にせぇよぉってな感じの単なるお灸据えダケでの、所詮大勢に影響なんて丸で無しの参院選だし、てなハズだったのにぃ・・・という単純なとこだと思うなぁ。マス塵ですよ。私怨晴らしの・・・。恨み骨髄で、とにかく体調整えたら、今度はコイツらを最初のターゲットに、完全復活してくらさいナ。ゴ━━━━(# ゚Д゚)━━━━ルァ!!待ってたかぁてな感じでサ。まとめてぶっ潰しタルっ」!!とね。。゚(*゚´∀`゚)゚ノ彡☆ギャハ ◇ 【プロフィル】ケビン・ドーク氏 1982年、米国クインシー大卒、シカゴ大で日本研究により修士号と博士号を取得、ウェークフォレスト大、イリノイ大での各助教授を経て、2002年にジョージタウン大に移り、東アジア言語文化学部の教授、学部長となる。日本での留学や研究は合計4回にわたり、京大、東大、立教大、甲南大、東海大などで学び、教えた。著書は「日本ロマン派と近代性の危機」「近代日本のナショナリズムの歴史」など。
Sep 16, 2007
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またもや、蜃気楼得意の、自民下野手前異分子引きずり込み一連托生足掻き作戦かぃ?? 。゚(゚^∀^゚)゚。ギャーハッハ 自民総裁選で「ポスト安倍」として福田氏支持広がる 福田氏は13日夕、国会近くのホテルで町村派名誉会長の森喜朗元首相と会談し、立候補を最終決断した。… 福田氏の意向を受け、森氏らは古賀、山崎、伊吹、谷垣、二階の各派などに協力を要請。 古賀派会長の古賀誠元幹事長は「政治信条は福田氏に近い。麻生氏は政治責任がある」と語った。野中広務が後ろで糸引いてと。つまりは、麻生と伊吹は葬ってなってこと。 それぞれ13日夜まで会合を重ねるなど、福田氏支持に向けた動きが加速。各派は独自候補擁立を見送り、福田氏の出馬表明に合わせ、支持を打ち出す方向だ。 一方、額賀氏は(角榮→竹下・媚中利権バラマキ残党の)津島派内の若手・中堅の強い要請を受け、昼の派閥総会で「困難な時に同志と英知を結集して戦っていきたい」と決意を表明した。しかし、一部幹部や参院側が福田氏支持を強めており、派内に「大差で負けたら派閥がギクシャクする」などの慎重論が広がっている。…当然ポスト・バーターの立候補辞退福田支持だろさ。どうせやるんなら、公明外しの国交大臣ポスト要求したら面白いな。で、こんな流れ見たらすぐにこういう感想抱くのは当然なわけで。 福田圧勝の悲劇…一旦は圧倒的に支持した小泉、安倍路線を今度は圧倒的に否定しているわけで、これでは自民党は次の衆院選にどう立ち向かって行けばよいか分からないだろう。だから当選のためにはとりあえず身を寄せ合おうという姿だけが見える。清和会(町村派)とは何なのか。小泉、安倍と「改革路線」を支持したと思ったら、あっさり「守旧派」に転換。町村氏自身、立候補の意思表示で少しは筋を見せるかと思いきや、森喜朗前会長に押し切られてダウン。派内全体、論理も哲学も無い事を天下に晒した。小泉、安倍の両氏がやらんとしてきた事は、自民党をぶっ壊す、戦後レジュームからの脱却。要すれば経済あって政治無しの吉田茂レジュームからの脱却と田中角栄バラマキ政策の否定だった。一旦は2人を支持しておきながら、今度はそれとほぼ正反対の福田支持だという。ただただ主流派で居たいというだけ。見下げ果てた連中だ。福田氏は親中派の先頭だ。したがって党内の媚中派閥は雪崩を打って福田支持に回った。自らの地位を守る事を、国民を守る事より優先させたのだ。論理も哲学も愛国心も感じられないこと、民主党と全く変わるところがない。この手で社会党巻き込んでの、史上最低・社会党左派村山トン爺ぃ内閣だったよなぁ。で、社会党をぶっ潰したんだろ??総裁選は麻生氏惨敗。額賀氏も立候補を貫いたとしても「実績」は遺せないだろう。(角榮直系残党の津島派には)麻生氏と親しい人、福田で利権を守ろうとする人たちが派内に沢山いるからだ。理念全くなしの寄らば大樹の陰の連中ばっかだもんな。これで日本は世界から笑われる。インド洋で世界の笑いものになる。加えて中国の属国への道をまっしぐらだ。敗戦後62年。亡国内閣と共に地獄に墜ちて行く。あの敗戦後、トルーマンとマッカーサーが意図した日本の国づくりは独立国ながら2度と再び米国に挑戦する愛国心、団結力をもてない国づくりだった。政治より金儲け。国防よりもGNP。言葉は悪いがインポテンツ日本を作ることだった。しかも国民は誰もそれに気付いていない。衆愚政治の恐ろしさを実体験しながら生き延びて行くのは悲しい。 2007・09・14まず、 安倍首相の孤独なクーデター…福田政権誕生の悪夢によると、「10月13日で万景峰号の入港を阻む制裁がリミットを迎える。…入港禁止措置は10月半ばで打ち切り。万景峰号は日本国民を嘲笑うかのように入港して来るだろう。」ってことで、このときになって一気に怒りが爆発するんだろな。と、期待したい。その後の媚中行動も一気に曝されのバレてさ。圧倒的に非難轟々ってわけ。んで、安倍タンも体調回復して、自民党内からもすっかり毒素排出し、民主党もやらせてみたら自民以下の散々だってことバレて、有志でのとにかく「日本第一」の新党(保守でも革新でもないヤツ)結成なると。んまぁ、2年後の2009年中ってことで、ちょうど憲法改正論議もすぐちょい先にできるようになっていて、ちょうどいいんでないのぉ??
Sep 14, 2007
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何とか踏ん張ってりゃ風が…とか思ってたのに結局、既に7月27日に櫻井よしこさんが言ってたようになっちまったかなぁ。 ある種の弱さ… 漠然とした空気の中で安倍首相、安倍政権批判が渦巻いている。年金問題、故松岡利勝前農水相の自殺や事務所費問題、果ては赤城徳彦農水相の「絆創膏(ばんそうこう)問題」といった事柄で、ムードができている。安倍政権は信頼できないという空気が蔓延(まんえん)し、本質的な議論がなされることが少なくなっている。 このような形で安倍首相が批判される一因は、人事の拙(まず)さであろう。小泉純一郎前首相も人脈が狭く、「人を知らない人だ」「勉強していない人だ」と思ったが、安倍首相はそれ以上ではないか。 首相の「人事力」の不足が、閣僚のスキャンダルなどの些末(さまつ)な問題を引き起こし、本来評価されるべき政策、法案を通してきた実績がつまらない形で帳消しにされている。 首相が参院選後に政権を維持するのであれば、有力なアドバイザーを置くことが必要だ。首相と価値観を共有し、加えて世の中のことがもう少し分かる人材を脇に置かなければいけない。はっきり言って、今のままの人事力では政権はもたないだろう。どんなに良い理想を持っていても、内閣や党の要に、上手に人材を配置できなければ、それを実現するのは無理だ。 参院選で、年金に議論が集中しているのは、国民にとって切実であるとともに、民主党が選挙戦の争点に年金問題を設定し、それを朝日新聞をはじめとする一部メディアがあおった面はある。しかし、安倍首相・自民党も憲法改正でなく、年金を最大の争点にした。6年間の任期で解散がない参院議員を選ぶ選挙では外交や安全保障など、国家の基本的な問題を考えなければいけないのに、それを問い続ける覚悟がない。争点を年金にしたのは首相のある種の弱さの反映ではないか。 首相には、堅固な価値観を貫くことが政治的強さにつながることを認識してほしい。 たとえば、北朝鮮は安倍首相の失脚を願っているが、それは、安倍政権は歴代政権で唯一、北朝鮮が恐れた政権だということだ。対北政策で決して揺らがなかったからこそ、ようやく金正日政権から、軽んじられない政権になったことを忘れてはならない。 これらも含めて、有権者が安倍首相の実績を総合的に正当に判断して、それでも信頼できないとするのであれば、首相は甘んじて受けるしかない。しかし、閣僚スキャンダルや年金問題だけをみて、投票するのは全体像を見失っている。 私は、安倍政権が続いてほしいと考えるが、大事なのは首相が掲げた理念、価値観、憲法改正による自立した国家を目指すといった考えが継続されることだ。安倍首相の継続を好ましいと思いつつも、万一の場合、まだ52歳なのだから、一度、退陣し、強靭(きょうじん)なる精神を身につけてから再チャレンジするというほどの余裕を持ってほしい。(ジャーナリスト・櫻井よしこ氏 談)(2007/07/27 07:48)しかしこの無様な辞め方じゃあ、当分どころかもう復活の目も危ういかもなぁ。 世界の笑いものになった… ▼テロとの戦いの現場にも赴いて、国民に、給油活動の重要性を説明してほしかった。11日付小紙に掲載された世論調査では、テロ特措法延長に賛成の声が、反対を上回っていた。明らかに潮目は変わりつつある。それが、小沢氏から党首会談をことわられたからといって、投げ出すとは。 ▼「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留置きまし大和魂」。首相が尊敬する吉田松陰が、死刑判決を受ける前日、書き上げた遺書『留魂録』にある歌だ。ひるむことを知らない松陰の生き方は、志士たちの奮起を促し、維新を導いて、現代に生きる人々をも魅了する。 ▼「局面を変える」ために逃げることが、松陰の意にかなうものなのか、首相はわかっているはずなのに。健康上の理由もあったらしいが、世界の笑いものになったことには変わりない。 ▼ 今さら、ウェーバーの『職業としての政治』を引くのも気が引けるが、最低条件として、後継首相は、政治家を「天職」とする人物であってほしい。すなわち、「断じて挫けない人間」であり、「どんな事態に直面しても『それにもかかわらず!』と言い切る自信のある人間」のことである。ふぅ。もはや溜息しか出ないわなぁ。。゚(*゚´∀`゚)゚ノ彡☆ “敵前逃亡”… 多分、テロ特措法に身体を張った安倍総理としては、若し失敗したらどうしようか?ブッシュ大統領からなんと言われるだろうか?などと気になって仕方がなくなり、かといって相談するにも気心が知れた相手も居らず、どんどん落ち込んで解決のめどが立たなくなったのではないか?と思われる。 そのような症状に陥る原因には、幼少時から少年期、青年期を通じて、周辺から「きつく指導されることなく」常に大切にされて、全てが「意のまま」になってきた生活環境から来るものが多い、と思う。早い話が「お坊ちゃま育ちの弊害」である。よく3代目に現れる、と世間では言うがそれは正しのであろう。 かといって「育ちが悪い」者ほど金や女に対する欲望が強いので、これとは違った間違いを犯しやすいのだが、純粋培養経験者ほど意志が弱く「弁慶と戦う牛若丸」のような若武者が出る確率よりも、「蛇に睨まれた蛙」のように挫折する者が多い。即ち「エリートの弱さ」である。 私はそんな安倍総理の表情の変化を少々不安に感じながらも、“若い”安倍総理は毅然として「テロ特措法延長に政治生命をかけ」、理不尽な野党の攻勢と断乎として戦い、最後に「超法規的対応をとっても」刺し違えてこれを成立させる心構えだろう、と読んでいたのだが、まさか“敵前逃亡”するとは予想もしなかった。… それにしても戦後生まれの日本人、特に“男性”は、なんとも虚弱になったものだと正直裏切られた気分である。まったく返す言葉もありまっせんです。(´;ω;`)ウッ… 実は、8月15日の靖国参拝が第一のバロメーターだったのだが、参拝を「回避」した時点で不安が増大した。「自らが信ずるところを実行しなかった」責任はあまりにも大きかったからであり、これを見た多くの支持者が「離脱した」ことを体感したからである。靖国の英霊もお怒りになったことだろう、とあの日私は境内で強く感じ失望したのである。それは英霊が戦った「特亜諸国」の軍門に下ったことになったからである。英霊は裏切られた!と涙したことであろう。…結局総理在任中はまったく参拝しなかった、どころか、閣僚もたったの1名除いて誰も参拝せずとのまったく不名誉な記録作っちゃったことになってしまったわけだしねぇ。
Sep 13, 2007
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【正論】新・安倍内閣発足 政治評論家・屋山太郎 法や政策を官僚抜きで作り「改革」を ■公務員制度改革と地方分権で評価 ≪大問題の半分は片づいた≫ 安倍改造内閣は各派の重鎮を揃(そろ)えて重厚な布陣となった。激しく批判していた舛添要一氏を厚生労働相、笹川堯氏を議院運営委員長に起用する度量の深さを見せる一方、倒閣に動いた谷垣派を干し上げた。参院枠の2つは守ったが、尾辻秀久議員会長の推薦を無視した。小泉時代も崩せなかった青木幹雄氏が築いた“参院王国”がぶっ壊された。小鼠開拓した首相の怖さを示せたね。宏池会(谷垣派)所属の中谷元(6回、高知2区)に、中谷元などと共に自民党の内部から首相の責任論(倒閣運動)を展開した石破茂は、ハナからボツと。 “チーム安倍”の色彩が薄れたが、少ない同志を糾合して一気にやろうという手法は幼稚すぎた。重厚内閣に変じて“安倍路線”が変わるかというと、基本的に変わらないだろう。今度はスピードを落とし、態勢を整えて目標に迫る方がよい。 「戦後レジーム」に安住している人、脱却することを恐れている国民がこれほど多いと安倍氏は思わなかったのだろう。方向は正しいのだから、じっくり時間をかけて説明していく必要がある。まぁこの「戦後レジーム脱却」ねぇ。せめて「戦後体制」あたりにして、はっきり定義付けをご自分の言葉でしていただきたかったもんねぇ。これからも折に触れて“サウンド・バイト”(メディアで引用されやすい気の利いた短い台詞)を明確に意識して、例えば教育再生の事例など引っ張って、具体的に説明して欲しいもんです。そのための専門家も早急に官邸に入れなきゃね。 憲法改正は「国民投票法」が成立したが、3年間は発議できない。議論する時間ができたと認識すべきだ。これは都市地方間格差等の具体的政策打っていくのと同時進行で、極めて抽象的な論点を分かりやすく具体的に議論していくチャンスだよね。なんせ教育再生についてのタウンミーティングの経験があるわけだからさ、八木氏あたりに応援頼めばええでしょに。八木秀次氏の専攻は、もともと憲法学に政治思想史なんだからしてねぇ。 「教育基本法の改正」と共に教育3法の改正も行われた。伊吹文明文科相、山谷えり子教育担当首相補佐官の態勢で引き続き教育改革は推進できる。防衛省の昇格も果たした。社保庁の解体6分割はこれに勝る解決策はない。大問題の半分は片づけた。 ≪内政の当面の課題は?≫ 安倍首相が直面する内政上の最大の課題は公務員制度の改革と地方分権だ。渡辺喜美行革相に公務員制度を担当させる一方、総務相に増田寛也氏を起用した。増田氏は熱心な地方分権・道州制論者である。この2人を安倍首相がどこまでバックアップできるかが安倍政権の評価を左右することになるだろう。 公務員制度の改革は(1)人材バンクの設計(2)定年制、評価制度の導入-の仕事が残っているが、目標は公務員も民間並みの働き方にするということだ。161の独立行政法人、特殊法人などはすべて法的根拠をもって設立されている。ろくな仕事もないのに何千万円もの俸給をもらうポストを作って天下る。これはどうみても “汚職”だ。 立法府がその設立に根拠を与えているのは、議員が手伝わされていることを物語る。この姿はまさに明治以来の「官僚内閣制」の姿だ。 首相が目指しているのは、憲法の主旨通りに「議院内閣制」を確立し、官僚が政治、経済の分野を支配しているのを清算することだ。官僚が4500法人に2万8000人も天下り、そこに税金が5兆9000億円も流れているのは異常だ。 地方分権は待ったなしである。国は戦後コメの値段を上げることで農村の所得を引き上げてきた。それが限界に達すると公共事業、農業土木に金を注ぎ込んできた。その結果が800兆円を超す借金だ。う~む。ここいらもねぇ。借金っても、韓国のような短期資金(返済期間1年内)を海外から借り入れして片輪にバブってるわけではないからなぁ。個々の農家の集団化、てっとり早くは企業の農業参入(農地借り入れ)と効率化がまったくタブーだったからでしょ。投入する国家資金の非効率な運用が拙かっただけ。ここいらも「財政赤字は世代間所得移転ではない」あたりからキチンと議論積み上げて欲しいなぁ。リチャード・クー氏を招いてさ。それにしても、農林水産大臣は人を得なかったみたい。まずはコイツから改造だろな。。゚(゚^∀^゚)゚。 小泉首相は三位一体を唱えて国税を住民税に振り替えたりしてきたが、疲弊した地方では、住民税の増収など全く期待できない。いま地方交付税は14兆円。ほかに19兆円の補助金がバラ撒(ま)かれている。この補助金の大半を交付税並みに地方に配分することにしただけでも地方財政は自由度を取り戻し、活性化するだろう。 こういう行政システムの改革を阻んでいるのは、補助金を握った中央官僚である。補助金がなくなれば省の存立にもかかわると必死で握って離さないのである。 こう考えると公務員制度の改革と地方分権とは密接な関係にあることがわかるだろう。 ≪改革の足引っ張る官僚≫ 増田氏は地方振興は補助金をもらってくることではなく、企業誘致や産業振興によるべきだとの論者だ。かつて国が音頭をとった新産業都市計画や工業団地造成はことごとく失敗している。そこに投資した程度の金額を地方に渡して自由に使わせていたら、様々な特色をもった都市が誕生していたに違いない。 安倍首相は道州制の実現を5年程度の長いスパンで考えていたようだが、中央集権制度を早く革命的に変える必要がある。首相の改革の足を引っ張ってきたのは中央のキャリア官僚たちで、公務員法の改正案は次官会議で決定できなかった。彼らは安倍政権が潰(つぶ)れるのを期待していただろうが、参院の第一党が民主党になって思惑は裏目に出た。 参院第一党の民主党も基本的には公務員制度の改革、その象徴として天下り禁止を打ち出している。また地方分権・道州制にも賛成だ。今後法案をめぐって両院協議会や与野党協議が行われることになろう。 官僚抜きで、法律や政策が政治家によって作られてこそ「改革」は実現できる。う~ん。その言われる「官僚」の中にも、本来の意味での国家公務員は、しっかり居られますでしょう。ステーツマンは方向付けが仕事で、それを整合性ある「政策・法律」に仕上げてくのは、国家のシンクタンクたる各省の構成員たる国家公務員諸氏の役目でしょうからね。首相は「美しい国」を再生するために、これこれのことをやるのだっ!!と明確に命令して、その理屈などなどをさっさとトラックで持って来いっ!!とね。まずはそこいらを、集団的自衛権で試してみてくださいよ。 中国共産党が党大会を10月15日開会、権力基盤強化へ [北京 28日 ロイター] 中国の国営メディアは28日、中国共産党が第17回党大会を10月15日から開催すると報じた。指導部の刷新を通じた権力基盤強化が図られるとみられている。 党大会は5年に1度開かれ、期間は通常約1週間。今後数年の重要政策方針の設定に加え、胡錦濤・国家主席の後継者となる次世代幹部の指導部入りなどが注目されている。さて。ここでお約束のえざわ一派のぶっ潰し完了が確認できたら、秋季例大祭が10月17日から20日までだし、安倍首相だけでも靖国神社に公式参拝いたしましょうねぇ。ま、麻生幹事長も当然ご一緒でしょうが。マッチー外相がさっそく露払い(兼対中共バーター提供)してくれてることだし・・・。安倍押上げの環境は、着々整いつつありますですね。。゚(*゚´∀`゚)゚ノ彡☆ 自民党執行部:「塩崎政調会長代理」幻に 麻生氏が難色 内閣改造に伴い、新しくスタートした麻生太郎幹事長率いる自民党執行部で、改造前の「お友達内閣」の象徴である塩崎恭久前官房長官が、予定されていた党政調会長代理から外されるという番狂わせが28日起きた。 麻生氏は参院選大敗を受け、地方重視の政策優先にかじを切っており、構造改革論者の塩崎氏が石原伸晃政調会長の頭を押さえて、党の政策決定の主導権を握ることを嫌ったためとされる。 塩崎氏は安倍政権への「お友達内閣」批判の矢面に立たされ、官房長官を退任したばかり。ただ、石原氏とは98年の「金融国会」で与野党協議の取りまとめに奔走した「政策新人類」のコンビだったため、石原氏も塩崎氏を政調会長代理として処遇する考えに傾いていた。 これに反発したのが麻生氏。麻生氏は就任時の記者会見でも「(小泉純一郎前首相に)ぶっ壊された自民党の再興が我らの使命」と強調しており、参院選惨敗からの党勢立て直しは、小泉構造改革路線で疲弊した地方を救済することと考えている。 政策転換をより鮮明にする狙いがあるとともに、「お友達」のシンボルである塩崎氏を排除したい思惑があるようだ。 塩崎氏に代わり政調会長代理への起用が決まったのは、山崎派の渡海紀三朗前党財務委員長。渡海氏は参院選後に、安倍首相に批判的な国会議員が結成した勉強会に参加していたが、渡海氏は28日「政調会長代理という立場になったのだから、続けるわけにはいかない」として同勉強会から脱会した。角榮手法と媚中ヘタレの故宮沢の息のかかったところをぶっ潰すためダケの方便でしかない「構造改革」路線だったんだからさ、目的達成したら、そんなもん弊履っしょ。ポルポト竹中の下らん「経済財政路線」も、さっさとぶっ飛ばしちゃって下さいよ。友達がいない利己主義者っぽい塩崎は、この9ヶ月の罪償いに、「お友達」沢山居そうなアメにでも日参して、恩人・安倍首相の真意の宣伝広報活動に、この際多少の恩返しにでも邁進して欲しいもんだな。
Aug 29, 2007
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若手=一騎当千の遊軍と、古手・中堅=正規軍の使い分け。 <<内閣支持率は急上昇>> どうも、いわゆる識者と称する人たちには、批判するのが仕事と心得ている向きが多いようだ。安倍改造内閣に対してもやたら批判ばかりである。 テレビのワイドショーなどでもコメンテーターという「にわか政治評論家」があれこれ勝手なことを喋っている。 そういう人たちは、メディアの内閣支持率調査をどう見るのだろうか。 ネットで気付いた調査結果を。いずれも改造直後の27日夜から28日にかけて行われたものだ。カッコ内は参院選直後の調査との比較である。(pはポイント) 支持率 不支持率 共同通信 40・5%(+11・5p) 45・5%(-13・5p) 読売新聞 44・2%(+12・5p) 36・1%(-23・8p) 日経新聞 41%(+13p) 40%(-23p) 朝日新聞 33%(+7p) 53%(-7p) 総じて40%台を回復している。これは5月以来という。 安倍政権に批判的な朝日は支持率が読売などと10%ほど違う傾向があったのだが、それでも33%に上昇している。 調査結果を見ると、国民は実力者を要所に配した布陣を素直に評価しているようだ。 安倍自民は「年金」「政治とカネ」「閣僚の失言」の3点セットで惨敗を喫したのだが、いま、年金問題はあれほどの騒ぎがウソのように消えた。事務所費や失言は、該当する閣僚がいなくなれば批判も薄まるという性質の問題だ。 支持率の急回復。政治は生き物であるということが実感できる。 いまさら言っても遅いのだが、安倍首相は内閣発足の時点で、こういう陣容で臨んでいたら、展開はまったく違っていたはずだ。一騎当千の若手野武士を集めても、結集した力にはなり得なかった、どころか内輪もめで各自力量を殺ぐ羽目に陥ってた、ってことだね。彼らには米国等にどんどん出向いて同士を募るなど、本来の一騎当千の働きをさせたほうが、それぞれの将来のためにも現時の日本のためにも、はるかに相応しくまたより期待すべきことだろうから・・・。 「隠忍自重」美しい内閣はできたのか 安倍改造内閣 安倍晋三首相(52)が27日、内閣改造・自民党役員人事を行った。参院選大敗で「人心一新」を迫られた安倍首相にとって起死回生を狙った人事だった。 昨年9月に「美しい国づくり」を掲げて順調なスタートを切りながら、年金記録紛失問題や閣僚の不祥事・失言で急失速した安倍首相は27日夜の会見で、「適材適所、強力な布陣をつくった」と語ったが、人事を行うにあたって熟慮の末に選んだのは「安倍カラー」をしばらくは封印する「隠忍自重」という言葉だったようだ。■「野武士の形相」 アジア歴訪から25日に帰国した安倍首相は、公邸にこもって人事案を練った。ほおはこけ、目だけはらんらんとなり、「野武士のような形相だった」(周辺)という。 内閣支持率を回復させるには新鮮で特色のある顔ぶれが、党をまとめるには重厚でバランスの取れた布陣が必要だ。だが、人事をめぐっては「政治とカネ」の問題が壁として立ちふさがった。国会での野党の攻勢を考えると、疑惑やスキャンダルは完全に命取りとなる。■重量級で挙党態勢 安倍首相は自民党や内閣情報調査室に閣僚候補者の徹底的な「身体検査」(身辺調査)を指示したが、これにより意中の閣僚候補は次々に外さざるを得なくなった。安倍首相は会見でも「十分な説明ができなければ去っていただく覚悟で閣僚になってもらった」と述べ、配慮したことを示した。 党幹事長に意中の麻生太郎(あそう・たろう)前外相(66)を起用。外相に町村信孝(まちむら・のぶたか)氏(62)を再登板させ、防衛相に高村正彦(こうむら・まさひこ)元外相(65)を充てたのは、派閥の領袖クラスを起用し、党内融和を狙ってのことだけではない。民主党に参院第1党の座を奪われた非常事態をかんがみ、「重みのある人物が必要だった」(自民党筋)とされる。 安倍首相は、ここで1度立ち止まり、参院選で示された民意や、首相の政策の優先順位に対する党内の批判にまず応えることを選んだ。民間から増田寛也(ますだ・ひろや)前岩手県知事(55)を総務相兼地方・都市格差是正担当相に抜擢(ばつてき)したことや、厳しい首相批判を繰り返してきた舛添要一(ますぞえ・よういち)氏(58)を厚生労働相に起用したことも、そうした姿勢の表れだろう。 最大限の「配慮」を見せた改造だったが、自民党内には不満も渦巻く。森喜朗(もり・よしろう)元首相(70)が強く促した谷垣禎一(たにがき・さだかず)元財務相(62)と福田康夫(ふくだ・やすお)元官房長官(71)の入閣も見送った。 その森氏は27日午後、神戸市内の講演で、「『お友達』内閣の年長さんから年中さんが残っている」との不満を示した。与党内には安倍首相の“お手並み拝見”を決め込む声もある。森・ハニガキ・福田は、北朝鮮(拉致)への態度が、安倍首相とは180度違う連中だからな。こんな当然のことよりも、この解説が欲しかったわけで。【内閣改造】 首相以外の閣僚の全部、または一部が代わることを言う。首相は憲法68条に基づき、閣僚を自由に任命したり、罷免することができるため、政権基盤の強化などを狙って改造が行われることが多い。内閣改造の場合、首相を改めて選ぶ首相指名選挙が行わないため、「○×改造内閣」と表記する。今回は、昨年9月の内閣発足以来、初めての改造だから、「安倍改造内閣」となる。ただし、改造が複数になると、「安倍第2次改造内閣」「安倍第3次改造内閣」となっていく。 これに対して、衆院選後は、同じ人物が首相になる場合でも内閣が総辞職して改めて首相の指名を行い、閣僚の任命が行われる。このため、内閣改造とは言わず、「第○次○×内閣」という表記になる。仮に衆院選が行われ、安倍首相が改めて首相に指名されれば、「第2次安倍内閣」となる。
Aug 29, 2007
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これで本格保守政権の原点に戻れたのかというと、そこはにわかに判断できない。安倍首相は記者会見で憲法改正には言及しなかった。 参院選は「生活」「格差」重視路線の民主党に負けた。ならば、安倍政権もこれに「迎合」し、「戦後レジームの転換」路線を薄めていくというのであるならば、考え違いというべきだ。 「国民生活の安定、向上」が政治の要諦であることはいまさらいうまでもない。それを前提にして、この国をどういう姿にしていこうとするのか、明確な国家像を示すところに保守政権の面目、存在意義がある。 参院選惨敗からまず立ち直ること。そのための「戦術的改造」と見たいのだが、どうだろうか。角榮直系小澤という「敵」も、そのばっさり切捨て非難できる「手法」(非効率バラマキ)も分かりきっているのだから、ドスを効かせてギリギリ追い詰める布陣てなことで、よろしいんじゃあないでしょうか。 【主張】内閣改造 総力挙げ改革路線貫け ねじれ国会へ重厚な布陣だ 政権の立て直しに、派手さよりも手堅さを重視した布陣といえよう。 改造内閣や自民党新三役の顔ぶれからは、がけっぷちの安倍晋三首相が何とか踏みとどまり、与党内に幅広く人材を求めながら、改革路線を継続していこうという決意が読み取れる。 参院選大敗から約1カ月を経て、内閣支持率や首相の求心力に回復の兆しはまだない。人心一新をもってしても、厳しい再出発であることに変わりはない。 ◆ベテラン起用で安定感 首相は改造を機に、新しい国づくりを再スタートさせると述べた。参院選1人区の惨敗などを背景に、与党内では地域間格差への対応を求める圧力が強まっている。首相の基本路線に揺らぎがあってはならない。もしそうなれば、続投の意義は失われる。 主要閣僚では、内閣の要役となる官房長官を塩崎恭久氏から与謝野馨元通産相に代えたほか、外相に町村信孝、防衛相に高村正彦の両元外相を起用し、内閣の危機管理や外交・安全保障担当にベテランを配置した。 安倍内閣発足後、事務所経費や失言などで閣僚が辞任する度に、首相や内閣官房の対応のまずさが指摘され、参院選にも悪影響を及ぼした。 与謝野氏は組閣後の会見で、「地味でも着実に仕事をしていく」と基本姿勢を述べたが、若い首相を支える観点からも、政策通で党務にも通じたその手腕が期待される。 日米同盟の維持、強化を図りながら「価値の外交」「主張する外交」を継続する意味で、外相経験のある町村、高村両氏の起用は安定感を与える。秋の臨時国会では、テロ対策特別措置法の延長が焦点となるが、それを見据えた人事ともいえよう。 政策通で「族議員」でない舛添要一氏を、年金問題などの対応が急務となる厚労相に起用したのも人事の柱の一つだ。公然と首相批判を展開していた人物を登用した意外性もある。同じ批判でも、石破・中谷の両名とは質が違うからな。 全体としては、町村、高村両氏や額賀福志郎財務相の起用に象徴されるように、各派の領袖クラスを閣内に取り込むことなどで挙党態勢を図った。 派閥の均衡うんぬんよりも、要所にベテランを置くことで、若さと稚拙さが同居していた前内閣の印象を拭(ぬぐ)うねらいがあったと受け止めたい。この財務相起用は、どうでるかなぁ。中共にヘタに媚びないといいが・・・。ま、手近で安倍首相が押さえるんだろがさ。 ◆力点置いた「対民主党」 自民党三役人事では、外交政策などで首相と政治路線が重なり合う麻生太郎氏を、党再生の先頭に立つ幹事長に起用した。総務会長には、国会運営や選挙対策に通じ、かつて新進党時代に民主党の小沢一郎代表と行動を共にした二階俊博氏を充てた。政調会長には、平成10年の「金融国会」で、金融再生関連法をめぐり民主党との協議にあたった石原伸晃氏を起用した。 3氏とも、参院第一党となった民主党との政党間協議に取り組む考えを示しており、衆参のねじれ現象に対応して政策運営にあたるシフトだ。 もっとも、民主党の小沢代表は話し合い路線はとらず、徹底して安倍政権を弱体化させ、解散・総選挙に追い込む戦術をとるものと予想される。 その意味で、与野党協議の態勢は組むにせよ、重要な政策、法案で政府・与党が譲れない点については、ベテラン閣僚が明確に答弁し、必要な反論を行うことが重要である。本来有利なんだから、ガンガン突っ込んでちょうだい。 テロ特措法の延長に民主党が反対を表明していることについて、町村氏が就任早々、民主党は方針を転換すべきだと主張したのは適切である。 民間人の増田寛也元岩手県知事を総務相に起用し、地方対策重視の姿勢も示した。地方分権に取り組み、改革派知事と呼ばれた人物だが、担当分野の広い重要閣僚に抜擢(ばってき)したのは注目される。問題は、地方重視を名目に、公共事業を通じた対策に与党内の関心が集まっていることだ。 厳格な財政再建路線に立つ与謝野氏が閣内に入り、石原政調会長は従来型の公共事業による地方対策は効果が薄いと明言する。 しかし、麻生幹事長や二階総務会長を含め、公共事業に一定の効果を期待する意見は多い。非効率でダラダラ納期、が問題なんだろさ。額賀財務相に与謝野幹事長、厳格財政再建路線てのはポルポト竹中路線の承継だから、まずそれを明確に全否定して欲しいがなぁ。で、大田経済財政担当大臣とも三者で詰めて、リチャード・クー氏も呼んで、そこいらはキチンと再考して欲しいもんだ。 憲法改正への取り組みなど、新しい国づくりを含む構造改革路線を貫けるかどうか、参院選大敗への反省という文脈で安倍首相は進むべき道をあいまいにしてはならない。ん。まずは10月の中共権力把握を確認してからの、靖国神社参拝断行だろね。
Aug 28, 2007
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安倍首相の本来持ってる中身の発信力が増すだろね。てか、増してほしい。そのためにも、自分のことはきっちり自分で始末つけろっ!!と予めの宣言ですね。やはりトップたる首相の怖さをはるか以前に出してくれてたらと思ってたものね。結構なことです。 説明不十分な閣僚は去ってもらう…内閣改造で首相会見 安倍首相は27日夜、首相官邸で記者会見し、閣僚の政治とカネを巡る不祥事に関し、「閣僚は何か(問題を)指摘されれば、説明しなければならない。十分な説明ができなければ、(内閣から)去っていただく覚悟で閣僚になっていただいている」と述べ、厳しく対処する考えを示した。 内閣改造の狙いについて「失われた信頼を政治に行政に取り戻すために、新しい内閣のメンバーで全力を尽くし、成果を上げていきたい。強力な布陣を作った。政策実行力に力点を置いた」と説明した。首相の国民への国家の大目標のアッピールを邪魔するなよっ!!ってことでしょ。閣僚個々人の問題は自分で処理しなっ!! それぞれの分野での争点はきちんと説明せぇよっ!! 全部首相に持ってくるなっ!! ・・・とね。ったく、役立たずどころが役割まったく分かってない塩崎にはウンザリだったからなぁ。 また、11月に期限が切れるテロ対策特別措置法の延長に関し、「全世界がテロとの戦いを進めており、日本の貢献が期待されている。民主党、野党にも理解してもらえるよう努力したい」と強調した。高村防衛相だから、重量級だね。どっかで何か勘違いしてるような小池氏には、執着しなくて結構でした。 都市と地方の格差については「格差に配慮すべきだ、というのが参院選で受け止めた教訓だ」として、地方の活性化に務める考えを示した。定期借地農地と株式会社農業参入で、農林水産大臣がクローズアップされるな。それに宅地並み課税で財務相と。すでに麻生幹事長発言あるように、地方での公共工事の適度の復活ありだろうし。 改造内閣:小池防衛相去り…首相批判の舛添氏抜てき ●舛添要一厚労相 「批判すべきは批判する。しかし今は一体となって自民党を立て直さなきゃいけない」。舛添要一氏は、参院選のさなかに自民大敗の予想を公言し、安倍首相の続投表明も「フライングだ」などと非難したが、就任会見では協力姿勢を強調した。…課題が山積みの厚生労働行政に対する熱意を、よどみなく語った。 前任の柳沢伯夫氏が「女性は産む機械」発言で窮地に立たされたこともあり、厚労省職員には新大臣の弁舌に期待と不安が入り交じる。 ある幹部は「出直しにふさわしい人選では。テレビの討論番組のようにスパッと説明してくれれば、国民の不信も解消されていくと思う」。別の職員は「トップダウンが多くなりそう。不用意な発言で墓穴を掘らなければいいけれど……」と苦笑した。自治労という敵がはっきり分かっているんだから、攻め一方でやってちょう。本来は、余計な論点外の思いつき発言(なぁ~にが「産む機械」だ)なんか一切する必要ないんだからさ。前任は官僚上がりポリティッシャン(利益調整分配屋)の悪いところが満開だったからな。しかし、中川昭一氏はどうしたんだろね。「石原伸晃の総務会長って?中川(酒)の留任で良かっただろうよ。指導力全然なさそうだが。役に立つのか?」・・・だろねぇ。 内閣改造と自民党人事…【官房長官】 与謝野馨【外相】 町村信孝【財務相】 額賀福志郎【経産相】 甘利明(留任)【経済財政担当相】 大田弘子(留任)(民間)【厚労相】 舛添要一【少子化担当相】 上川陽子【国交相】 冬柴鉄三(留任)【防衛相】 高村正彦【行革担当相】 渡辺喜美(留任)【総務相】 増田寛也(民間)【文科相】 伊吹文明(留任)【法相】 鳩山邦夫【農水相】 遠藤武彦【環境相】 鴨下一郎【沖縄・北方対策担当相】 岸田文雄【国家公安委員長】 泉信也【官房副長官】 的場順三(留任)、岩城光英、大野松茂党三役は麻生閣下が幹事長、売国奴・二階が総務会長、実績あるんだか無いんだかよく判らない石原伸晃が政調会長。…・冬柴の留任。選挙上手くいかなかったんだから、創価との連立を解消すれば支持者も戻ってくるだろうに。・甘利の留任。東シナ海ガス田を中共にくれてやる気か?マッチーの牽制に期待。・古賀派・津島派・山崎派に妥協しすぎ。利権主導になりそうやな。…って、これはやぶぅあい連中は手元に置いといて、常に牽制するつもりなんでしょよ。。゚(*゚´∀`゚)゚ノ彡☆ハニートラップ完全に篭絡済みでもう出てってもらうつもりの連中は一切無視とね。ハニガキの一族郎党&ヤマタフ本人。以上総じて、この印象に、大賛成ですね。 安倍首相の新内閣人事は成功だ…■「小池外相」でなくてよかった ■ 町村信孝さんは、前に外相をなさったときも飄々として手堅く、そして言うべきことはしっかり発言しておられた。 外相に適任のかた。 小池百合子さんの留任だ横滑りだとウジウジせずに、やはり外交に明るい高村正彦さんを防衛相に据えたのもよかった。 逆らう者、乱す者は「切る」という気迫こそ求心力なのであって、今回の人事は安倍首相の「人のよさ」への揶揄がようやく鎮まる転換点になると思います。 参院選後に一瞬にぎやかだった舛添要一さんを厚生労働相に持ってきたのも面白い。 年金問題への安倍政権の対応はじっさいのところ精一杯、よくやっていたわけで、それを国民に広報する口達者な大臣を得られずにいたところが問題だった。 失言男の柳沢伯夫さんに消えていただけて、せいせいする思い。 (返すがえす、消えていただくのが遅かった。) 舛添さんには、安倍批判でつかった元気の百倍を発揮して、安倍政権の年金政策の広告塔役および執行監督役に猛進してもらいたい。 (この辺、「適任だろうな…」という気持ちと「お手並み拝見」の気持ちが半々。)■ 残すべきひとは残した ■ 官房長官に知性派の与謝野 馨さんをもってきた人事も納得。 新内閣は総じて新奇を追わず納得性の高い布陣になった。 女性陣では、内閣総理大臣補佐官の拉致問題担当に中山恭子さん、教育再生担当に山谷えり子さんと、留任ねがうべき両名をしっかり残したところもよかった。 小池百合子外相にしなくて大正解。 もし小池さんを外相にしていたら、メディアは連日、首相より外相のほうを大きく取上げ、誰が首相か分からないような日々となっていたろう。 これからも、首相の「こわさ」を取り戻すべく、安倍首相には問題閣僚は途中で片っ端からすげかえるぞという気迫が必要。 メディアが、やれ「トカゲの尻尾切り」だ、やれ「詰め腹切らせるな」などなど論評しても気にしないでほしい。 いま、安倍首相にもっとも必要なのは「こわさ」の演出だ。 周りが「安倍ちゃん」などと言いにくい雰囲気づくりだ。ご本人が「周りが坊ちゃんで甘ちゃんだと思ってるところが私の強みなんですよね」と分かっておられても、その上辺の印象に乗ってヘラヘラしてる連中をいきなりバッサリやらんきゃあ、印象のマンマですもんね。ノ(´д`*)いい評判ですが、まさに小手先に終わらんことを、切に望みます。 <<なかなかの布陣だ>>…安倍改造内閣はなかなかの布陣である。挙党体制の確立と安倍政治の継続。この、ともすれば相反する難問に直面して、安倍首相が考え抜いた結果だ。 安倍首相は昨年9月の内閣発足時に、こういう組閣をやればよかった。いまからいっても遅いが、これだけ重厚な顔ぶれを並べておけば、つまらぬ大臣の失言騒ぎや事務所費問題なども相当に回避できたのではないか。 挙党体制のポイントはいくつかあるが、党内が重視していたのが、二階俊博氏の処遇だ。かつて小沢一郎氏の側近だったが、保守党を経て復党した。他党とのパイプも太く、その政治手腕には定評がある。総務会長はまさにはまり役だ。 だが、その「永田町くささ」を薄める意味もあってか、政調会長に石原信晃氏を起用するあたり、かなりの周到さをうかがわせる。国民的人気度を誇る麻生太郎幹事長は党の沈滞イメージを一掃するかもしれない。ニュー党3役はおもしろいことになりそうだ。ふ~ん。そういう捕らえ方でありますか。 党側の人事で忘れてならないのが、菅義偉氏の選挙対策総局長への起用だ。官房長官かとも思われたが、直近になって起きた事務所費問題が響いたか。安倍首相は次期総選挙に向けて、盟友を重要ポストに据えた。 与謝野馨官房長官は、安倍首相がかねてからあたためていた構想だった。党内的な政治基盤は薄いが、党きっての政策通であり、温厚な性格から敵がいない。与謝野氏の登用で、官邸の雰囲気が一変するかもしれない。閣僚経験者なのにオチャラケ海江田にしてやられたときは、今回以上に「愚民どもがっ!!」って思ったっけなぁ。(ノ´∀`*)しばらくは四ツ谷とか新宿の居酒屋で遭遇しょっちゅうで、ホント、ご苦労様でありましたですよ。テレビの前でも首相同席なのにそっぽむいて私語してるような前官房長官とは打って変わって、確かに官邸の雰囲気一変というのは、分かるような気が致しますです。 派閥の会長やナンバー2と目される人材を5人ほど起用した。前岩手県知事の増田寛也氏の起用を早くから固めていたというが、地方重視の姿勢を示す意味でも評価できる。舛添要一氏の厚生労働相起用は、しがらみのない立場から社会保険庁退治をやるにはうってつけだ。 総じて国会での答弁には不安のない顔ぶれである。説明責任を果たしていくうえで、まず心配はなさそうだ。 谷垣派は今度も冷遇され、怒りまくっている。安倍首相にとって怖い存在ではない、ということだろう。旧宏池会系3派が一緒になる大宏池会構想が実現したときが厄介なことになるわけで、麻生氏を幹事長に起用し、古賀派から2人を入閣させたのだから、そういう懸念はない。加藤=ハニガキ一派は、もう追出しモードでしょ。
Aug 27, 2007
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「国や政府として、謝罪するのは当然のことである」記者:1995年、村山首相(当時)は「村山談話」を発表し、日本が過去の一時期において国策に誤りがあり、戦争の道に走った」ことに触れている。あなたは「村山談話」をどう評価するのか?渡辺恒雄氏:私は「談話」に積極的な評価を与えるものである。「談話」の表現は比較的にソフトなものであり、過去の一時期と言っているが、実はあの時期は別に短くはなく、10数年も続いた。あのような戦争を起こしたのは、国と政府として、謝罪するのは当然のことである。記者:日本は中国、韓国などの国との間で歴史認識において隔たりが存在し、この本だけに頼って日本と隣国との歴史認識における食い違いを取り除こうとするなら、明らかに不十分である。日本と隣国との歴史的和解の実現、相互理解と友好協力の強化について、あなたはどんなことを提案したいと考えているのか?渡辺恒雄氏:日本が国外の被害の状況について「検証」を行うことは非常に困難である。現在、それに立ち会った人々はほとんどすべてが故人であり、被害者である中国の人たちも大部分がもうこの世にはいない。しかし、学者たちは歴史資料を発掘しており、日中両国の歴史学をすすめている人たちも共同研究を行っている。私はもう 81歳になるが、これから先何年あるのか?寿命はそれほど長くはないだろう。そのため、私は時間を切り詰めて1冊目の本を出し、日本国内の状況を「検証」し、この本を利用して日本人の考え方を変えなければならないと考えている。私は、日中両国の学者がさまざまな資料と記録を収集して、一緒に「検証」を行うのはすばらしいやり方だと思っている。第二次世界大戦の期間に、私は2等兵として動員されて日本本土の防衛戦に参加し、中国とアジア諸国を侵略することに参加したことはなく、中国などその他の地域での状況を目撃したことはなく、いくつかの記録と資料を通じてその時の状況をいくらか知ることに限る。しかし、私は対中侵略戦争に参加したことがある人の証言などの資料を収集し、それを記録する必要があると思っている。中国、韓国、インドネシア、マレーシア、インドなどの国の人々の悲惨な状況に対して「検証」を行い、何冊かの書籍を出版する必要もある。今のこの本だけではそんなに多くの内容を含めることは難しい。今後は『戦争の責任を検証する』のような形の本を絶えず発行し、過去や歴史に対して清算を行うべきであり、これは非常に重要なことである。戦争の歴史に対する「検証」は時間性のあるものであり、この本の「検証」は1928年を起点としているものであり、その年に国際社会が戦争を放棄する『ケロッグ-ベーリアン条約』に調印し、各国がすべて戦争を行うことに飽きあきしたからであった。あの条約を破棄して、戦争を再度引き起こしたのは日本であった。そのため、この本の歴史に対する「検証」では1928年までしかさかのぼっていない。「トウ小平の言葉によって、私は『親中派』となった」記者:中日両国政府と民間の信頼関係を構築する上での最も有効な方法は何か?あなたは中日関係の発展に対し何かご提案でもおありなのか?渡辺恒雄氏:私が最も尊敬している中国人政治家はトウ小平氏である。私は1982年3月に中国を訪問した際に、トウ小平氏とお会いしたことがある。私がトウ小平に日本の対中侵略戦争の責任問題に対しどうに見ておられるのかとおたずねたところ、彼は、侵略戦争を起こしたのは日本政府と軍隊の中のひと握りのものであり、広範な日本国民に罪はないと言明された。私はトウ小平氏のこの言葉を聞いた後「親中派」となった。日本経済団体連合会会長は、もし中国がなければ、日本の経済が発展を遂げることは不可能だと語った。日本経済界の人たちはすべてこう見ている。私は、信頼関係構築の肝心な点は政治にあると思っている。安倍首相の唯一の功績は就任してからまず中国を訪問し、5年も中断していた両国トップの相互訪問を回復させたことである。安倍氏は小泉氏の靖国神社参拝による望ましくない状況を払拭した。今までのところ、なんでもすべて日米同盟ということになっている。私は今後日本と中国の関係を強化し、経済の面でも安全保障の面でもすべてそうすべきだと思っている。そうすれば、日本がより多くアメリカに依存する必要はなくなり、中国との関係の発展を通じてみずからを発展させることができる。今後誰が首相となるかを問わず、いずれも靖国神社を参拝しないことを約束しなければならず、これは最も重要な原則である。安倍氏は参議院選挙の後に引き続き首相でありつづけるが、私も彼に絶対に靖国神社に行ってはならないと進言しなければならない。もしその他の人が首相になるなら、私もその人が靖国神社を参拝しないと約束するよう求めなければならない。さもなければ、私は発行部数1000数万部の『読売新聞』の力でそれを倒す。私は新しい首相ができるだけ早く中国を訪問するよう促し、そのほかに皇室メンバーの訪中を促し、皇太子が日中友好関係のためになることはよいことであり、それから胡錦涛主席の訪日を招請する。「北京週報日本語版」 2007年8月10日まぁ皇室の媚中利用も奨めて、まったく分かり易い売国奴ぶりですこと。血盟団なんてセッコイこと言ってないで、やはりこりゃ平成の新撰組っ!!の出番だなぁ。天誅っ!!っとかさぁ。m9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーッハしかし、ここまで露骨に“なに”言っちゃうともはや、誰も相手にしないかもネ。大多数が「害爺ぃ、はよっ逝ねっ!!」って心の中で軽ぅ~く思うだけぇ・・・。m9゚。(^Д^゚≡。^Д^)m9゚。
Aug 25, 2007
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記者:小泉氏は在任中、自分の参拝は「心」の問題だと語っていたが、あなたはどう思うのか?渡辺恒雄氏:私は、それは偽善的であり、彼は心から参拝に行きたいと思っているのではなく、そういうパフォーマンスで、戦犯の遺族から得票を増やすためであったと思っている。89歳の中曽根氏は第二次世界大戦の時は海軍少佐であったお方で、彼が首相として参拝した時、私は彼に苦言を呈したことがある。中曽根康弘少佐っても、主計科でしょお。 艦船で食事を担当している部門は、主計科である。炊き立てのご飯をイメージしたのか、…識別したマークは「白」だった。主計科士官の教育は、将来主計科士官になる生徒、2年現役主計科士官(いわゆる短現)を、(兵科の江田島ではなく)東京の築地、いま魚市場のあるところにあった海軍経理学校でそれぞれの期間行った。主計科士官は、江田島で教育した兵科将校、舞鶴で教育した機関科将校と対応する。…主計科士官となるべき生徒として学んだものは、軍需品学としての糧食、厨業管理、基礎的栄養学、糧食会計。そして当然ながら法律、経済、財政、会計。主計科下士官兵は、海兵団に入団してから5ヶ月間、まず全員烹炊(ほうすい)員として教育を受け、終わると艦船に配属されて、苛烈な烹炊作業に従事させられる。このようないわゆる飯炊きでなく、庶務とか経理とか、そういう事務部門に行きたいときは、試験を受け、それにパスすれば希望が達しられた。彼はその時、自分は東條英機を参拝に行ったのではなく、戦争の中で戦死した自分の弟のために行ったのだと言った。現在、自分の両親、兄弟のために参拝に行く人はめったにいないかも知れない。確かに、政治家の中でかなりの人は戦争の残忍性、侵略性を知らず、彼らにそれが非常に残忍な戦争であったことを知らせるためにこの本を出版したのは非常に意義のあることである。記者:靖国神社の中に遊就館があり、そこで示されている見方は今の日本政府の見解と違っている。政治家がそこに行って参拝する行為は靖国神社の主張を支持する面があるのかどうか?渡辺恒雄氏:はい。靖国神社の中にある遊就館に展示されている資料はあの戦争が「自存自衛」の戦争としており、それは彼らの史観である。日本の小学生がそれを見た後の感じは、日本はあの戦争の勝利者であり、日本が敗戦国であることを知っていない。遊就館には真珠湾奇襲などの日本が勝利をかち取った写真が展示されており、歴史を知らない人は日本があの戦争に勝ったと思うこともあり得る。遊就館は非常に有害な場所であり、あれは閉鎖しなければならない。かつて自民党の幹事長であった加藤紘一氏は遊就館を参観した後、遊就館はまことに行き過ぎだと語った。まったくどこから拾ってきた嘘ほざいてるかねぇ。てめぇだけがそう思ってたことあるんだろ。m9゚。(^Д^゚≡。^Д^)m9゚。「右翼勢力も反論できない」記者:『戦争の責任を検証する』という本は昨年の発行いらい、何冊売られたのか?日本人読者の中でどんな反響を呼んだのか?渡辺恒雄氏:第一部は5.4万冊を売り、第二部は4.1万冊を売り、上下両巻はあわせて9.5万冊を売った。当時、私は右翼分子の攻撃を受けるのではないかと心配していたが、結果的には彼らはなんの反応も示さなかった。日本には二大新聞があり、一般的に言って、『朝日新聞』は左派的なものであり、『読売新聞』は保守派的なものと言われている。全般的に言うと、『産経新聞』を除いて、日本のメディアは戦争の責任と靖国神社などの問題について、重要な共通認識をもっている。この本の出版は評価されており、まだ批判を受けていない。本の内容は「検証」の角度から書いているものなので、本の内容はニセモノで、誤ったものだと大胆に言える人はまだいない。右翼勢力も反論できない。今の日本人の多くは戦後の生まれで、戦争を体験した人は少ないため、ほとんどあの戦争を知っていない。彼らにあの戦争はどんな戦争であったのかを教える面で、この本は教育的意義を持つものである。最低位の陸軍2等兵も満足に勤まらなかったあんたが、何を偉そうに「どんな戦争であったのか」教えるってぇ~?? m9^Д^)m9^Д^)m9^Д^)単に馬齢を重ねたダケじゃん。挙句の老醜曝しぃのばぁ~か。m9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーッ記者:読売新聞社に今後その他の歴史「検証」面での書籍を出版する計画はあるのか?日本の小学生を知らせる歴史検証の書籍を書くことはあり得るのかどうか?渡辺恒雄氏:当時の日本の軍部と政府があの戦争を起こしたことは少しも意義はなく、多くの日本人もあの戦争の被害者であった。日本人に彼らの父親の世代の悲惨なありさまを知らせるべきである。靖国神社と遊就館の観点は誤ったものである。学校の先生たちにこれらの歴史を知らせなければならず、これによって先生が更に生徒たちに教えるのである。日本は中国と東南アジア諸国の人々にきわめて大きな苦しみをもたらし、現在この面での「検証」は日本国内にはまだ少ない。まず日本人に彼らの父親たちの世代の悲惨なありさまを知らせるのは非常に重要なことである。
Aug 25, 2007
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日本の左翼だけが、“国賊”となった不思議 …反日的日本人をただ眺めるだけでは埒があきません。たとえ孑孑(ぼうふら)でも、発生するにはそれを可能にした条件があります。それをあきらかにしないかぎり、話におさまりがつきません。つまり、批判のための批判に終わるだけです。進歩的文化人に対する今までの批判者に、共通して欠けていたのは、実にここのところなのです。… 進歩的文化人のほとんどは反日的日本人です。そしてもちろん、彼らは共産主義者またはその同調者あるいは追随者です。では、それぞれの国にいるたくさんの共産主義者は、彼らの祖国を国家全体として罵倒し、国民を軽蔑し、歴史をさかのぼって、古代以来、中世以来の祖国の歩みを、暗黒であった、罪悪であったと、ひたすら論じたてているでしょうか。 申すまでもありますまい。答えは全面的に、決定的に、否、です。 私の知るかぎり、世界各国の共産党の重だった人びとは、例外なく愛国者です、もちろん彼らも共産主義者である以上、階級闘争の敵である資本家(ブルジョアジー)を憎みます。しかし祖国をまるごと憎むなんて、祖国の歴史をまるごと罵るなんて、そんな一国民としてあるまじき論法は用いませんでした。フランスはモーリス・トレーズも、イタリアのトリアッティも、祖国フランスを、祖国イタリアを、本心から愛していたように思われます。 こうして見わたしたところ、世界の共産主義者は階級闘争の敵を憎みますけれども、祖国に対しては愛国者であるのが常例です。祖国への愛が強いからこそ共産主義者になったという例も、けっして珍しくありません。 したがって、日本だけが、本当に日本だけが、例外なのです。わが国の共産主義者だけが、祖国を憎み、祖国の歴史を悪しざまに罵り、国民に軽侮の眼を向け、反日的日本人になるのです。これはどうやら日本だけの特殊な現象なんです。(反日的日本人の思想・谷沢永一)宮沢喜一が逝き、畜生徹夜がそろそろで、このクソバカ恒雄が性懲りもなく・・・。 日本人に戦争の真相と戦犯犯罪をはっきりと知らせるようにしなければならない─渡辺恒雄氏に対する特別取材 2005年、日本の戦争責任の反省のため、総裁兼編集長の渡辺恒雄氏の主導のもとで、日本の読売新聞社は戦争責任検証委員会を創設し、「日本が中国の東北地域を侵略した『九・一八事変』(日本で一般に「満州事変」と言われている)は、なぜ中日戦争へと発展したのか」などの5つのテーマをめぐって、1年余りをかけて調査・検証を行い、日本で発行部数が最大といわれる『読売新聞』が調査結果を1年間連載するとともに、それを『戦争責任を検証する』という本にまとめ、日本語版と英語版を出版した。先日、この本の中国語版が新華出版社から出版、発行され、広範な中国人読者の手元に届けられた時に、当ネットの記者は渡辺恒雄氏に対し独占特別取材を行った。「日本の首相の靖国神社参拝は、私が絶対に我慢できないことである」 記者:読売新聞社が『戦争責任を検証する』という本を企画、出版した目的は何か?あの戦争からすでに60年余年を過ぎた今日、戦争の責任を提起するとともに、それを追及する意義は何か? 渡辺恒雄氏:直接の動機は靖国神社の問題のためである。小泉元首相の靖国神社参拝は、外交問題へと発展し、中国と韓国に強く反対されたばかりか、日本の国内にも反対する人がいる。日本の国内には2種類の観点があり、1つは日本における参拝がなぜ問題となり得るのかを理解しないものである。いま1つは小泉氏の靖国神社参拝に反対するものである。小泉氏は政権の座にあった5年余りの期間に毎年靖国神社を参拝し、日中関係をひどく悪化させ、両国トップの交流が中断した。日中外交関係の悪化は両国にとってよくないことであるばかりか、アジア全体にとっても望ましいことではない。靖国神社にはA級戦犯が合祀されており、これらの戦犯は国のために命を落としたのではなく、裁判で死刑に処せられたものである。したがって、日本人がもし道徳的判断を失うならば、危険なこととなろう。日本人にあの戦争がどのようにして起こったのか、戦犯がどんな罪を犯したのかを知らせるべきである。日本の首相の靖国神社参拝は、私が絶対に我慢できないことである。すべての日本人はいずれも戦犯がどのような戦争の罪を犯したのかを知るべきである。もし中国の読者がこの本に対し何か不満を感じるならば、この本は侵略戦争が中国にどれだけ大きな傷と損害を与えたのかということに触れていないからかも知れない。日本が真珠湾を奇襲したことも戦争犯罪の一種であった。この本の中で日本が外国に対して行った残酷な戦争犯罪を記述しているところは非常に少ない。なんだこのバカ爺ぃ。真珠湾奇襲が「戦争犯罪」だったってぇぇ??…東京裁判の米検事は、真珠湾攻撃を「宣戦布告前の殺人」と意気込んで訴追したが、最終的には出先大使館の単なる事務的ミスと納得したのか、訴因を取り下げ、事前通告義務を定めたヘーグ条約の不備を指摘するにとどまった。(昭和史の謎を追う[上]・秦郁彦)つまりは「真珠湾奇襲」では、あの杜撰な復讐劇であった東京裁判でさえ、「法廷が処罰者を出さなかった」んだろが。無知な支那の中共記者相手だからって、ハナから出鱈目こいてんじゃねぇぞぉっ!! 記者:一般の日本人は戦争をどう見ているのか?靖国神社は一般の日本人の目の中ではどのような場所なのか?渡辺恒雄氏:一般の人は、靖国神社は明治維新いらい、国のために戦死した軍人を祭っている場所と思っている。かなりの人たちは、神社には国のために戦死した「英霊」が祭られており、それを参拝して感謝の意を表わすことは当然だと思っている。しかしながら、今の日本人はあの戦争の侵略性、残忍性の側面に対してあまり知らない。私は陸軍2等兵としてあの戦争に参加したことがあり、軍隊の残忍性を知っており、当時、多くの若い軍人が自殺行為を余儀なくされたり、戦闘機を操縦して敵に体当たりしたなどは今日の自爆テロ行為と同じであり、非常に残忍なことであった。「遊就館は非常に有害な施設の1つであり、あれは閉鎖しなければならない」記者:日本人には靖国神社を参拝している人もおれば、参拝しない人もいるが、参拝している人の方が多いか、それとも参拝しない人の方が多いか?どれぐらいの政治家が参拝したのか?渡辺恒雄氏:日本の人口は1億2000-3000万で、毎年500万人が参拝に行ったかも知れないが、1億以上の人が参拝に行ったことはない。与党の自民党内で参拝を固持している政治家は数十人はおり、私はこの人たちの行為に対し怒りを覚えている。この人たちは若い政治家であり、これまでの戦争のことをほとんど知らず、もしこの人たちが戦争のことを知っているならば、こうしたでたらめな事をすることはありえない。日本には「遺族会」(日本の戦死者の遺族の全国的組織――当ネットによる注)という組織が1つあり、ほぼ100万人の会員がおり、この人たちは政府から恩給を給付されており、政府が恩給の給付を確保するとともに、物価の上昇に伴って金額をスライドさせるよう望んでいる。政治家らはこの人たちの選挙によって票を獲得するために靖国神社を参拝しているのである。小泉氏が自民党総裁の座につくための選挙戦の際、しばしば彼らに、もし自分が首相になったら靖国神社を参拝することを約束した。
Aug 25, 2007
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指向(思考)方向ってか、個々の人間が狂ってるんだからもうお手上げでしょ。もう人間の総入れ替えか組織解体しかないでしょにねぇ。それにしてもその思考態度って、完全に相手間違えて「謝罪」てか「言い訳」してしまったありもしない「従軍慰安婦」つまり戦地売春婦への態度表明と同じ。自分の祖父らへのひいては自分の素質へのサディステックな態度。 【やばいぞ日本】第2部 資源ウオーズ(7)「工作の成果」1兆円 中国にある旧日本軍の化学弾の処理をめぐり、日本政府が今年度予算を含め、投入する国費は累計約683億円に上る。さらに今後建設される発掘回収施設費は940億円。無害化処理施設の建設費は1000億円を超えるとみられる。 現地での人件費や施設維持費などがかさみ、「日本の持ち出しは総額1兆円規模になる」と専門家は分析する。やってるのが人民解放軍だからその差し出す総額1兆円てのはつまりは、顕在敵の中共私軍(軍閥)への献金てなわけだわなぁ。それもタダ同然の「現地での人件費・施設維持費」を思いっきり膨らませられて言いなりに支払うってな、バブル末期に支那進出したトロイオーナー経営者並みにネ。ヤツラの場合はあぶく銭だったけど自前だったが、今回のは所詮税金=他人のカネってことで、ますますやられ放題を絵に描いたような成り行きなわけね。 この遺棄したとされる化学兵器の処理問題ほど、重要な条件が不明なまま、中国の言い分を受け入れた例は類をみないと指摘されている。 ある外務省OBは「中国にとって旧日本軍の化学兵器処理は戦後最大の対日政治工作の成果だ」と語る。 1997年に発効した化学兵器禁止条約によれば、遺棄化学兵器とは「1925年以降、いずれかの国が、他の国の領域内に当該他の国の同意を得ないで遺棄した化学兵器」と明記されている。 敗戦によって満洲を含む中国大陸の旧日本軍は降伏し、すべての兵器、施設、財産は旧ソ連と中国に没収、接収され、所有権は両国に移転した。 また、いったん包括的に没収したあと、中国に旧日本軍の化学弾を残したのはソ連である。 ここから導き出されるのは二つの疑問である。 一つは、武装解除や占領による没収は、当該国の同意を得たことにならないのか。もう一つはソ連に条約上の処理義務は生じないのか。 こうした旧日本軍化学弾の所有権はどこにあるか、という問題こそ、日本政府は詰めなければならないはずだ。 ところが、外務省は所有権が日中いずれにあるのかを精査した形跡はない。ロシア政府に対しても情報や資料の提供を求めていない。害務省はすでにキチガイ集団だってば。 95年9月、この条約に批准した当時の村山富市首相は「遺棄した方の国にその処理の責任がある。誠実に実行するのは当然だ」と国会で答弁した。河野洋平外相は「外国が遺したものを含めて日本が責任をもって処理する」とまで言い切った。河野氏らは引き渡したことを証明した書類がないとして、中国に有利な化学兵器処理策を推進したのである。もうこの2人って、嗚呼、出でよ平成の血盟団、てなことになっちまってるカモネぇ~。ノ(´д`*) 日中両国は99年7月、日本側が遺棄処理費の全額を負担することなどを盛り込んだ覚書を交わした。将来の事故まで日本が補償することとされた。初めから日本に責任ありきという結論があったがゆえに政府は所有権問題に背を向けてきたといわざるを得ない。 だが、化学弾を引き渡したという証言が、外務省による遺棄化学兵器に関する旧日本軍兵士16人への聞き取り調査で明らかになった。 2004年3月に受け取った報告書には「終戦時は黒龍江省牡丹江市付近に駐屯し、鏡泊湖付近の平地で(ソ連軍の)武装解除に応じ、他の鉄砲や弾薬とともに数千発の化学弾を引き渡した」という元軍曹、二本柳茂氏の証言が盛り込まれていたからだ。 ただ外務省はこの報告書を公表していない。「ソ連軍と引き渡しの文書を交わしたという証言ではないからだ」(中国課)と説明する。やっとまともな中共関連記事を書けたのが、支那専門家ではなく古巣持ってる英米報道の古森記者だったことの実例がはっきりあるのだから、まずは手っ取り早くこの「中国課」の連中を全員、まともな頭・価値観に接しているであろう米欧担当してきた連中に入れ替えることするんだね。 遺棄化学兵器の処理は、国の名誉にかかわる問題だ。外務省が事実関係を明らかにしなければ、国益は損なわれていくだけだ。処理経費の一部が、中国軍の近代化に寄与する可能性もある。 対中迎合外交のつけを日本国民は子々孫々までたっぷり払わされることになるのだろうか。(高木健一) ◇「日本製を夜間にころがした」 8月14日、8人の陸上自衛官が中国吉林省ハルバ嶺近くの敦化(とんか)に飛んだ。自衛官たちは9月18日まで、埋められている旧日本軍の化学兵器の発掘、回収作業に汗を流す。 一方で旧日本軍の化学弾が発掘された同じ場所から他国の砲弾がみつかっている。2004年9月に陸上自衛官が黒龍江省寧安(ねいあん)市内で行った発掘、回収作業では化学兵器、通常砲弾、地雷、小銃弾など2000発が混在して発見されたが、旧日本軍のものは89発にすぎなかった。 中国に派遣されたことがある自衛官は「発掘した通常弾、化学弾の中には(弾には必ず巻かれている)銅帯が抜き取られた弾がいくつもあった」と振り返る。中国軍が日本から没収した化学弾から、カネになる銅だけを奪って地中に埋めたに違いないと、軍事専門家は解説する。 処理作業に携わった政府関係者は「朝、発掘、回収予定地に着いたら、昨夜はなかった日本製の化学弾ひとつが現場にころがしてあった。どこかに保管されてあったものだ」とも語る。セッコイチャンコロがやりそなことだわなぁ。(*´д`*) これらは、化学兵器禁止条約が問題にする「同意を得ずに遺棄された化学兵器」に当たらないことを示していよう。 昨年春、山形県にある全国抑留者補償協議会(全抑協)のシベリア史料館に、中国で旧日本軍が武装解除の際に引き渡した武器・弾薬の詳細を記した「兵器引継書」約600冊が残っていることが明らかになった。 90年代に故斎藤六郎・元全抑協会長がロシア各地の公文書館などから合法的に持ち帰ったものだ。引継書に記された兵器移交目録の「受者」には、「陸軍少将 李盛宗」「軍政部特派員 楊仲平」などと国民党軍の責任者の身分、署名、捺印(なついん)があった。 これを受けて昨年5月12日の衆院内閣委員会で戸井田徹議員(自民党)が政府の対応をただした。安倍晋三官房長官(当時)は「この資料は精査すべき内容だ。政府としてもしかるべき調査をする」と答弁した。 その直後、戸井田氏の議員会館の事務所に外務省の中国課長が飛び込んで、こう言い放った。 「(引継書が)600冊出てきたところで全容は分かりませんよ」。 戸井田氏は「あなたはどこの国の役人だ」といさめたという。もうその中国課長の個人名を新聞記事でもはっきり出すべき時期だわなぁ。 外務省は結局、昨年10月、シベリア史料館の600冊の引継書の約3分の1を写真撮影し、民間の専門家に判読を委託することになった。 また、今になって、中国の言い分がいかに科学的根拠を欠いているかがわかってきた。 旧日本軍が遺棄したとされる化学兵器の総数について、中国が主張していたのは「200万発」。当初の日本政府説明は「70万発」。それが埋設地の吉林省ハルバ嶺で行った日本側による磁気調査の結果、30万-40万発にとどまることが後で判明した。 日本がこれまで発掘、回収した旧日本軍の化学兵器は約3万8000発。推定埋蔵数の1割にすぎない。条約で義務付けられた処理期限は2012年4月までだ。それまでに処理作業が完了することは難しい。 旧日本軍の化学弾の所有権を不明にしたまま、合意を急いだことが大きな禍根を残している。昨日の今日だし、ってことで。。゚(*゚´∀`゚)゚ノ彡☆ パル判決全文から出題せよ――田久保忠衛 キャリアの外交官育成についてですが、基本のところで、日本の国家は戦前・戦後どういう状況のなかをいかに歩んできたかを把握しておく必要があると思います。これは外交官というだけでなく国家公務員試験全般についていえるのですが、ここを押さえないと良くならないと思うのです。 極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判で、公表を禁じられ、あとで公刊されたパル判決全文があります。これは戦時国際法のテキストでもあるし、近現代史、とくに満洲事変以降の各国の動向が詳述されているわけです。東京裁判は満洲事変のスタートから裁いた裁判ですから、近現代史が分からないと、あのパル判決全文は読めませんね。いやあ、これは自分が学部生のとき“珍聞漢文”のまま振り回されたんで、まったくそのとおりですわね。(;^ω^) ここで、パル判事が頻繁に引用しているのは、当時の国際情勢分析として権威があったイギリス王立国際問題研究所・チャタムハウスの『国際情勢概観』です。これにはアーノルド・J・トインビーがある時期調査部長として書いているものです。「検事側の主張する国際情勢判断は違う」と、パル判事が引用しているのはトインビーの分析です。ですから王立国際問題研究所の『国際情勢概観』の分析を含むパル判決全文は、外交官たる者のテキストです。 ここからとくに外交官志望の人々に問題を出すとか、国家公務員試験は少なくともこれを読んでなければ何問かは答えられない、というシステムにすればいいのではないか。 そうすれば、必然的に日本の戦後、薄れてきた「国家とは何か」という考えや、官僚の使命感も養われますし、国家のためにやるぞ、と気合が入るのではないかと。優秀な外交官を研修所でトレーニングするよりも、もっと手っ取り早いと思うのですが。 それと、新渡戸稲造の『武士道』などは、外交官なり、国家公務員になる素養として読まざるを得ないようにしないと、基本のところがしっかりしないのではないかと思います。ってさぁ。まぁ今の中国課の方々は「症状的に」既に手遅れってことで、放逐てなことは変わりないでしょうがね。。゚(゚^∀^゚)゚。
Aug 25, 2007
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先ほどご紹介しましたとおり、私の今度の旅には、日本を代表する企業の皆様が200人ちかく、一緒に来てくれています。まさに今、この時間帯、インド側のビジネスリーダーとフォーラムを開き、両国関係強化の方策を論じてくださっているはずです。 こうなると、私も、日本とインドとの間で経済連携協定を、それも、世界の模範となるような包括的で質の高い協定を一刻も早く結べるよう、日本側の交渉担当者を励まさなくてはなりません。インドの皆様にも、早く締結できるようご支持を賜りたいと、そう思っております。 両国の貿易額はこれから飛躍的に伸びるでしょう。あと3年で200億ドルの線に達するのはたぶん間違いないところだと思います。 シン首相は、ムンバイとデリー、コルカタの総延長2800キロメートルに及ぶ路線を平均時速100キロの貨物鉄道で結ぶ計画に熱意を示しておいでです。あと2カ月もすると、開発調査の最終報告がまとまります。大変意義のある計画ですから、これに日本として資金の援助ができるよう、積極的に検討しているところです。 そしてもう一つ、貨物鉄道計画を核として、デリーとムンバイを結ぶ産業の大動脈をつくろうとする構想については、日本とインドの間で今いろいろと議論を進めています。とくにこの構想を具体化していくための基金の設立に向けて、インド政府と緊密に協力していきたいと考えています。 今夕、私はシン首相とお目にかかり、日本とインドの関係をこれからどう進めていくか、ロードマップをご相談するつもりです。会談後に、恐らくは発表することができるでありましょう。 この際インド国民の代表であられる皆様に申し上げたいことは、私とシン首相とは、日本とインドの関係こそは「世界で最も可能性を秘めた二国間関係である」と、心から信じているということです。「強いインドは日本の利益であり、強い日本はインドの利益である」という捉え方においても、二人は完全な一致を見ています。* * インド洋と太平洋という二つの海が交わり、新しい「拡大アジア」が形をなしつつある今、このほぼ両端に位置する民主主義の両国は、国民各層あらゆるレベルで友情を深めていかねばならないと、私は信じております。 そこで私は、今後5年にわたり、インドから毎年500人の若者を日本へお迎えすることといたしました。日本語を勉強している人、教えてくれている人が、そのうちの100人を占めるでしょう。これは、未来の世代に対する投資にほかなりません。 しかもそれは、日本とインド両国のためはもとよりのこと、新しい「拡大アジア」の未来に対する投資でもあるのです。世界に自由と繁栄を、そしてかのヴィヴェーカーナンダが説いたように異なる者同士の「共生」を、もたらそうとする試みです。 それにしても、インドと日本を結ぶ友情たるや、私には確信めいたものがあるのですが、必ず両国国民の、魂の奥深いところに触れるものとなるに違いありません。 私の祖父・岸信介は、いまからちょうど50年前、日本の総理大臣として初めて貴国を訪問しました。時のネルー首相は数万の民衆を集めた野外集会に岸を連れ出し、「この人が自分の尊敬する国日本から来た首相である」と力強い紹介をしたのだと、私は祖父の膝下(しっか)、聞かされました。敗戦国の指導者として、よほど嬉しかったに違いありません。 また岸は、日本政府として戦後最初のODAを実施した首相です。まだ貧しかった日本は、名誉にかけてもODAを出したいと考えました。この時それを受けてくれた国が、貴国、インドでありました。このことも、祖父は忘れておりませんでした。 私は皆様が、日本に原爆が落とされた日、必ず決まって祈りを捧げてくれていることを知っています。それから皆様は、代を継いで、今まで四頭の象を日本の子供たちにお贈りくださっています。 ネルー首相がくださったのは、お嬢さんの名前をつけた「インディラ」という名前の象でした。その後合計三頭の象を、インド政府は日本の動物園に寄付してくださるのですが、それぞれの名前はどれも忘れがたいものです。 「アーシャ(希望)」、「ダヤー(慈愛)」、そして「スーリヤ(太陽)」というのです。最後のスーリヤがやって来たのは、2001年の5月でした。日本が不況から脱しようともがき、苦しんでいるその最中、日本の「陽はまた上る」と言ってくれたのです。 これらすべてに対し、私は日本国民になり代わり、お礼を申し上げます。* *かっこう良過ぎぃぃぃぃ。。゚(*゚´∀`゚)゚ノ彡☆ 最後に皆様、インドに来た日本人の多くが必ず目を丸くして驚嘆するのは、なんだかご存知でしょうか。 それは、静と動の対照も鮮やかな「バラタナティアム」や、「カタック・ダンス」といったインドの舞踊です。ダンサーと演奏家の息は、リズムが精妙を極めた頂点で、申し合わせたようにピタリと合う。――複雑な計算式でもあるのだろうかとさえ、思いたがる向きがあるようです。 インドと日本も、そんなふうに絶妙の同調を見せるパートナーでありたいものです。いえ必ずや、なれることでありましょう。 ご清聴ありがとうございました。こりゃあまったくスタンディング・オーベーションだわなぁぁ。まさに大向こう唸らせたっ!! m9゚。(^Д^゚≡。^Д^)m9゚。しかし、この何十分の一かの演説でも、先般の参院選でやれたらなぁ・・・とか嫌でも思っちゃうわいねぇぇぇ。・゚・(つД`)・゚・それから、当然、言論の国、アメでもさぁ・・・。「場」さえ都合つけてくれたら、彼ならきっとやってくれるな、こりゃあぁ。アメの日本の印象が、丸っきり変わっちゃうだろにね。m9゚。(^Д^゚≡。^Д^)m9゚。で、アホのチャンコロわぁってぇとぉ・・・ 中国:安倍首相は「中国排除」訪印演説でメディアが批判 23日付の中国英字紙、チャイナ・デーリーは安倍晋三首相が日米とインド、オーストラリアの4カ国の連携強化を呼び掛けたインドでの国会演説について「中国なしのパートナーシップを推進」との見出しで批判した。チャンコロがいつパートナーだったんだってぇぇぇ??? m9。゚(゚^Д^゚)゚。 中国では、民主主義を共有する4カ国の連携を目指す安倍首相の「価値観外交」に強い反発がある。同紙は、民主主義国家の同盟という考えはこの地域の平和と安定に有益でないと指摘。また「中国をライバル視したり、封じ込める試みはうまくいかない」との専門家のコメントを紹介した。 国外の報道を翻訳して転載する新華社系の新聞「参考消息」は、1面トップで「安倍首相は中国を排除して大アジア構築狙う」との見出しを付けて演説内容を伝えた。(北京・共同)一党独裁のすべての自由無関心の無関係、どころか、捏造「戦地売春婦」に「南京ギャグ」やってるところが、いまさら何をホザイテんだああぁぁよぉぉいぃ。Ψ(`∀´)Ψケケケてめぇらは勝手に「腐海」に沈めぇやっ!! 属国チョンもまかせたぞぃ。引き摺り込んでね。3特亞さん。m9^Д^)m9^Д^)m9^Д^)んでまた赤匪が狂ってるしぃ。m9。゚(゚^Д^゚)゚。 赤匪伝聞社説… そもそも安倍首相の価値観外交は、中国包囲という色彩を帯びている。「色彩」?? ズバリそのもんじゃん。 03年度以降、インドは中国に代わって円借款の最大の受け取り国になった。価値観外交の展開に伴って、援助額はさらに膨らんだ。 しかし、日本にとって中国が持つ重みは、インドとは比べものにならない。在留邦人でみれば、中国が10万人を上回るのに対し、インドは2000人ほどだ。相互依存の度合いが全く異なるのだ。角榮以来の腐った自民のODAキックバック路線の結果そうなってしまっただけじゃん。 中国を牽制するテコにインドを使うような外交は見透かされる。インドにしても中国との交流を深めており、利用されることに甘んじるような国ではない。 価値観を声高に唱えるような一本調子の外交は考え直した方がいい。 偏った媚中価値観がはるか先行してたんだろがぁ。それを真っ当にするだけさ。あんたらはとにかく特亞と一緒に「腐海」に沈んでね。で、なんだぁこいつら。 恥ずかしい日本人全249名麻生太郎石原伸晃小泉純一郎島村宜伸中山成彬町村信孝森喜朗森山眞弓扇千景山東昭子武見敬三中曽根弘文山本一太少なくとも以上の方々は、さっさと辞めないとマズイっしょ。
Aug 24, 2007
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インド国会における安倍総理大臣演説 「二つの海の交わり」 Confluence of the Two Seasインド洋と太平洋、ね。モハンマド・ハミド・アンサリ上院議長、マンモハン・シン首相、ソームナート・チャタジー下院議長、インド国民を代表する議員の皆様と閣僚、大使、並びにご列席の皆様、 初めに私は、いまこの瞬間にも自然の大いなる猛威によって犠牲となり、苦しみに耐えておられる方々、ビハール州を中心とする豪雨によって多大の被害を受けたインドの皆様に、心からなるお見舞いを申し上げたいと思います。 さて、本日私は、世界最大の民主主義国において、国権の最高機関で演説する栄誉に浴しました。これから私は、アジアを代表するもう一つの民主主義国の国民を代表し、日本とインドの未来について思うところを述べたいと思っています。 The different streams, having their sources in different places, all mingle their water in the sea. インドが生んだ偉大な宗教指導者、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(Swami Vivekananda)の言葉をもって、本日のスピーチを始めることができますのは、私にとってこのうえない喜びであります。 皆様、私たちは今、歴史的、地理的に、どんな場所に立っているでしょうか。この問いに答えを与えるため、私は1655年、ムガルの王子ダーラー・シコー(Dara Shikoh)が著した書物の題名を借りてみたいと思います。 すなわちそれは、「二つの海の交わり」(Confluence of the Two Seas)が生まれつつある時と、ところにほかなりません。 太平洋とインド洋は、今や自由の海、繁栄の海として、一つのダイナミックな結合をもたらしています。従来の地理的境界を突き破る「拡大アジア」が、明瞭な形を現しつつあります。これを広々と開き、どこまでも透明な海として豊かに育てていく力と、そして責任が、私たち両国にはあるのです。 私は、このことをインド10億の人々に直接伝えようとしてまいりました。だからこそ私はいま、ここ「セントラル・ホール」に立っています。インド国民が選んだ代議員の皆様に、お話ししようとしているのです。* * 日本とインドの間には、過去に幾度か、お互いを引き合った時期がありました。 ヴィヴェーカーナンダは、岡倉天心なる人物――この人は近代日本の先覚にして、一種のルネサンス人です――が、知己を結んだ人でありました。岡倉は彼に導かれ、その忠実な弟子で有名な女性社会改革家、シスター・ニヴェーディター(Sister Nivedita)とも親交を持ったことが知られています。 明日私は、朝の便でコルカタへ向かいます。ラダビノード・パール(Radhabinod Pal)判事のご子息に、お目にかかることとなるでしょう。極東国際軍事裁判で気高い勇気を示されたパール判事は、たくさんの日本人から今も変わらぬ尊敬を集めているのです。 ベンガル地方から現れ、日本と関わりを結んだ人々は、コルカタの空港が誇らしくも戴く名前の持ち主にせよ、ややさかのぼって、永遠の詩人、ラビンドラナート・タゴールにしろ、日本の同時代人と、いずれも魂の深部における交流を持っていました。まったく、近代において日本とインドの知的指導層が結んだ交わりの深さ、豊かさは、我々現代人の想像を超えるものがあります。 にもかかわらず、私はある確信を持って申し上げるのですが、いまインドと日本の間に起きつつある変化とは、真に前例を見ないものです。第一に、日本における今日のインド熱、インドにおける例えば日本語学習意欲の高まりが示しているように、それは一部特定層をはるかに超えた国民同士、大衆相互のものです。 背後にはもちろん、両国経済が関係を深めていくことへの大きな期待があります。その何より雄弁な証拠は、今回の私の訪問に、日本経団連会長の御手洗富士夫さん始め、200人ちかい経営者が一緒に来てくれていることです。 第二に、大衆レベルでインドに関心を向けつつある日本人の意識は、いま拡大アジアの現実に追いつこうとしています。利害と価値観を共にする相手として、誰に対しても透明で開かれた、自由と繁栄の海を共に豊かにしていく仲間として、日本はインドを「発見」(The Discovery of India)し直しました。 インドでは、日本に対して同じような認識の変化が起きているでしょうか。万一まだだとしても、今日、この瞬間をもって、それは生じたと、そう申し上げてもよろしいでしょうか?* *かっちょええぇぇぇ。m9。゚(゚^Д^゚)゚。フ ここで私は、インドが世界に及ぼした、また及ぼし得る貢献について、私見を述べてみたいと思います。当の皆様に対して言うべき事柄ではないかもしれません。しかし、すぐ後の話に関連してまいります。 インドが世界史に及ぼすことのできる貢献とはまず、その寛容の精神を用いることではないでしょうか。いま一度、1893年シカゴでヴィヴェーカーナンダが述べた意味深い言葉から、結びの部分を引くのをお許しください。彼はこう言っています。 "Help and not Fight", "Assimilation and not Destruction", "Harmony and Peace and not Dissension." 今日の文脈に置き換えてみて、寛容を説いたこれらの言葉は全く古びていないどころか、むしろ一層切実な響きを帯びていることに気づきます。 アショカ王の治世からマハトマ・ガンディーの不服従運動に至るまで、日本人はインドの精神史に、寛容の心が脈々と流れているのを知っています。 私はインドの人々に対し、寛容の精神こそが今世紀の主導理念となるよう、日本人は共に働く準備があることを強く申し上げたいと思います。 私が思うインドの貢献とは第二に、この国において現在進行中の壮大な挑戦そのものであります。 あらゆる統計の示唆するところ、2050年に、インドは世界一の人口を抱える国となるはずです。また国連の予測によれば、2030年までの時期に区切っても、インドでは地方から大小都市へ、2億7000万人にものぼる人口が新たに流れ込みます。 インドの挑戦とは、今日に至る貧困との闘いと、人口動態の変化に象徴的な社会問題の克服とを、あくまで民主主義において成し遂げようとしている、それも、高度経済成長と二つながら達成しようとしているという、まさしくそのことであろうと考えるのです。 一国の舵取りを担う立場にある者として、私は皆様の企図の遠大さと、随伴するであろう困難の大きさとに、言葉を失う思いです。世界は皆様の挑戦を、瞳を凝らして見つめています。私もまた、と申し添えさせていただきます。* * 皆様、日本はこのほど貴国と「戦略的グローバル・パートナーシップ」を結び、関係を太く、強くしていくことで意思を一つにいたしました。貴国に対してどんな認識と期待を持ってそのような判断に至ったのか、私はいま私見を申し述べましたが、一端をご理解いただけたことと思います。 このパートナーシップは、自由と民主主義、基本的人権の尊重といった基本的価値と、戦略的利益とを共有する結合です。 日本外交は今、ユーラシア大陸の外延に沿って「自由と繁栄の弧」と呼べる一円ができるよう、随所でいろいろな構想を進めています。日本とインドの戦略的グローバル・パートナーシップとは、まさしくそのような営みにおいて、要(かなめ)をなすものです。 日本とインドが結びつくことによって、「拡大アジア」は米国や豪州を巻き込み、太平洋全域にまで及ぶ広大なネットワークへと成長するでしょう。開かれて透明な、ヒトとモノ、資本と知恵が自在に行き来するネットワークです。 ここに自由を、繁栄を追い求めていくことこそは、我々両民主主義国家が担うべき大切な役割だとは言えないでしょうか。 また共に海洋国家であるインドと日本は、シーレーンの安全に死活的利益を託す国です。ここでシーレーンとは、世界経済にとって最も重要な、海上輸送路のことであるのは言うまでもありません。 志を同じくする諸国と力を合わせつつ、これの保全という、私たちに課せられた重責を、これからは共に担っていこうではありませんか。 今後安全保障分野で日本とインドが一緒に何をなすべきか、両国の外交・防衛当局者は共に寄り合って考えるべきでしょう。私はそのことを、マンモハン・シン首相に提案したいと思っています。* * ここで、少し脱線をいたします。貴国に対する日本のODAには、あるライトモティーフがありました。それは、「森」と「水」にほかなりません。 例えばトリプラ州において、グジャラート州で、そしてタミル・ナード州で、森の木を切らなくても生計が成り立つよう、住民の皆様と一緒になって森林を守り、再生するお手伝いをしてまいりました。カルナタカ州でも、地域の人たちと一緒に植林を進め、併せて貧困を克服する手立てになる事業を進めてきました。 それから、母なるガンジスの流れを清めるための、下水道施設の建設と改修、バンガロールの上下水道整備や、ハイデラバードの真ん中にあるフセイン・サーガル湖の浄化――これらは皆、インドの水よ、清くあれと願っての事業です。 ここには日本人の、インドに対する願いが込められています。日本人は、森をいつくしみ、豊富な水を愛する国民です。そして日本人は、皆様インドの人々が、一木一草に命を感じ、万物に霊性を読み取る感受性の持ち主だということも知っています。自然界に畏れを抱く点にかけて、日本人とインド人にはある共通の何かがあると思わないではいられません。 インドの皆様にも、どうか森を育て、生かして欲しい、豊かで、清浄な水の恩恵に、浴せるようであってほしいと、日本の私たちは強く願っています。だからこそ、日本のODAを通じた協力には、毎年のように、必ず森の保全、水質の改善に役立つ項目が入っているのです。 私は先頃、「美しい星50(Cool Earth 50)」という地球温暖化対策に関わる提案を世に問いました。温室効果ガスの排出量を、現状に比べて「50」%、20「50」年までに減らそうと提案したものです。 私はここに皆様に呼びかけたいと思います。「2050年までに、温室効果ガス排出量をいまのレベルから50%減らす」目標に、私はインドと共に取り組みたいと思います。 私が考えますポスト京都議定書の枠組みとは、主な排出国をすべて含み、その意味で、いまの議定書より大きく前進するものでなくてはなりません。各国の事情に配慮の行き届く、柔軟で多様な枠組みとなるべきです。技術の進歩をできるだけ取り込み、環境を守ることと、経済を伸ばすこととが、二律背反にならない仕組みとしなくてはなりません。 インド国民を代表する皆様に、申し上げたいと思います。自然との共生を哲学の根幹に据えてこられたインドの皆様くらい、気候変動との闘いで先頭に立つのにふさわしい国民はありません。 どうか私たちと一緒になって、経済成長と気候変動への闘いを両立させる、難しいがどうしても通っていかなくてはならない道のりを、歩いて行ってはくださいませんでしょうか。無論、エネルギー効率を上げるための技術など、日本としてご提供できるものも少なくないはずであります。* *
Aug 24, 2007
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国会演説「二つの海の交わり」(1)演説内容 * 太平洋とインド洋という「二つの海」の交わりによって、東アジアと南アジアの融合した新しい「拡大アジア」が出現しつつある。これは、米国や豪州を巻き込み、太平洋全域にまで及ぶオープンで透明なネットワークに成長しうる。 * 日印両国は、基本的価値と利益を共有するアジアの二大民主主義国家として、その要をなす。 * 日印両国は、海洋国家としてシーレーンの安全確保に他国とともに取り組む。 * インドは寛容の精神、民主主義の下での貧困克服・高い経済成長への挑戦という2つの点で世界史に貢献。この2つの点で日本も協力する用意がある。 * 自然との「共生」を哲学の根幹に据えてきたインドこそ、気候変動問題で先頭に立つにふさわしいとして、インドの前向きな取組を要請。 * 日印関係は「世界で最も可能性を秘めた二国間関係」であり、「強いインドは日本の利益、強い日本はインドの利益」であるとの認識から、日本はインドの台頭を歓迎。(上記2.に挙げられている具体的施策に言及し)インド経済発展のための支援、日印間の重層的な交流強化の姿勢を強調。(2)反響 * 国会は、シン首相、アンサリ上院議長、チャタジー下院議長臨席のなか、上下両院議員によって満席であり立ち見が出るほどの盛況であった。また、アドバニ野党下院リーダー、ジャストワン・シン元外相、グジュラール元首相を始めカピル・シバル科学技術相現職閣僚多数を含む有力な政治家も顔をそろえており安倍総理のスピーチに対するインド側の高い期待が伺われた。 * 安倍総理のスピーチに対しては、聴衆より随所で30回以上の拍手が起こり、スピーチ終了後は聴衆が総立ちとなるスタンディングオベーションとなった。 * 演説後、シン首相、アドバニ野党下院リーダー、ムカジー外務大臣等より、総理演説は素晴らしい内容であったとのコメントがあった。まったく、誇らしいこってす。。゚(*゚´∀`゚)゚ノ彡☆
Aug 24, 2007
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政治家( statesman )は、押すべき時引かざるを得ない時、を心得なければならんのだよな。直情径行、勝手気楽に「試金石」置きまくって、「それ」やらなかったらダメだっ!!てな安直正義感振り回すのは、分かりやすいがみっともないって、今回は行動で示したんだろさ。 安倍首相、パール判事長男と面会 「日印関係基礎築く」 【コルカタ=杉本康士】インド訪問中の安倍晋三首相は23日午前(日本時間同日午後)、コルカタ市内のホテルで、極東国際軍事裁判(東京裁判)で判事を務めた故パール判事の長男、プロシャント・パール氏と面会し、東京裁判で被告全員の無罪を主張したパール判事の業績をたたえた。 パール判事は東京裁判に対する意見書で、戦勝国が事後法により敗戦国を裁くことに疑問を提起し、原爆投下を批判した人物。 首相は冒頭、「お父さまは今でも多くの日本人の尊敬を集めている。日印関係の基礎を築かれた一人だ。パール判事のご遺志は日印関係を発展させることだったと思う。今日、日印関係は大変強化されている」と語りかけた。 プロシャント氏は、昭和41年に父親とともに日本を訪れ、安倍首相の祖父である岸信介元首相と面会したことに触れ「岸氏に会う機会を得てから長い期間が過ぎた」と振り返り、岸氏と一緒に収まったモノクロ写真を贈った。 「安倍首相が、岸氏と同様に日印関係の発展に尽くされると確信している」と伝えると、首相も「関係発展に全力を尽くしたい」と応じた。 安倍首相は、東京裁判で有罪判決を受けたいわゆる「A級戦犯」について、国会答弁で「国内法的に、戦争犯罪人ではない」と明言している。 首相には今回の面会を通じ、A級戦犯の合祀(ごうし)を理由に首相の靖国神社参拝を批判する中国とはまったく異なるインドの対応を際立たせることで、アジアには多様な歴史認識が存在することを浮き彫りにする狙いもあった。 首相は、先の大戦で日本とともに戦った「インド独立の英雄」であるチャンドラ・ボースの記念館なども視察した。まったく見事であります。 博士4度目の来日 パール博士は清瀬一郎、岸信介両氏の招きに応じて昭和41年10月1日、四たび来日され、日本国民に非常な感動を呼んだ。博士はすでに齢(よわい)80歳の高齢で、そのうえ前年に胆石の手術を受けられたばかりである。…10月3日の尾崎記念会館におけるあの感動的な講演会では、私の肩によりかかって聴衆に合掌したまま、ついに一言も発せずして会場を去った。…(パール判事の日本無罪論・田中正明) パール判事が最後に来日したのは昭和41(1966)年。この時、80歳、前年に持病の胆石の手術を受けたばかりで、主治医は「生命にかかわる」と訪日に反対したが、パール氏は「人生の黄昏時に、ぜひ、もう一度だけ、日本を見ておきたい」と強く希望したという。長身で恰幅のよかったパール氏は、痛々しいほどにやせ衰えていた。 来日3日目、パール氏の講演が予定されていた。だが、清瀬一郎がパール氏の業績を紹介し、時間が過ぎてもパール氏は姿を現さなかった。直前に腹痛を覚え、ホテルで安静にせざるを得なかったのだ。その報は会場にも伝わり、400人の聴衆が諦めかけたその時…… パール氏は、演台で無言のまま合掌し、深い黙礼を送るだけ。その姿はかすかに震えていて、苦痛に耐えているかのようにも見えた。 しかし聴衆はやがて気づいた。パール氏は強い感動に震えているのだと。 中老の紳士が、嗚咽の声を上げた。それがきっかけになって会場にはすすり泣きの声が広がった。パール氏の「無言の講演」は終わった。 「博士は安静の身です。今日は、このまま失礼させていただきます。」聴衆は立ち上がり、一斉に万雷の拍手を送った。半数ほどは、いつの間にか合掌していた。 帰りの車中でパール氏は言った。「病気のせいばかりではない。胸がいっぱいで口を開くこともできなかったのだ。」 パール氏はこの来日からわずか3ヶ月後に亡くなった。…(いわゆるA級戦犯・小林よしのり) 東洋の政治的復活 (昭和41年10月11日朝日新聞夕刊所載) 来日中の東京裁判のインド代表判事だったラダ・ビノッド・パール博士(80)は、東京や京都で日本の秋を楽しみ、12日羽田発で帰国の予定であるが、本社記者がたまたま宿舎の京都国際ホテルを訪ねた際「日本の皆さんに」というメッセージを託された。ここに掲載するのはその抄訳である。 パール博士は東京裁判の判決にあたって「この裁判の目的が正義の実現にあるのではなく、復讐心の満足と勝利者の権力の誇示にある」「原爆投下は最大の戦争犯罪である」と主張し、敗戦下の日本人に深い感銘を与えた人として忘れることはできない。またその後の20年間は国連の国際法委員会の委員として活動するとともに世界連邦建設同盟の熱心な推進者としてもよく知られている。 日本の皆さんに 私がこの老齢、この健康で今度日本へまいりましたのは、日本の皆さんに対する私の敬愛の念を親しくお伝えするとともに、皆さんに東洋精神の尊厳さを再び確立していただくようにお願いしたいからでありました。東洋は今、大きな政治的ルネッサンスを迎えようとしており、東洋の諸国は日本に注目し、日本の奮起を期待しているのです。 現在、世界中で西洋化が進行しています。この西洋化は進歩に必ず付随する現象でしょうか。それとも、古代文明の例が示すように、崩壊の兆候に過ぎないものでしょうか。ギリシア、インド、バビロン、中国などの文明の歴史を大観して盛ると、文明の発達を計る基準は、領土の拡大に見られる環境の征服や、技術の進歩に見られる自然の征服ではないことが証明されていると思います。 われわれの聖者マハトマ・ガンジーは、この西洋文明の宿命を予見しました。そして、インドがみずからを救おうとすれば、現代の西洋の技術と西洋の精神を排斥しなければならない、という結論に達したのでした。この精神のシンボルが糸紡ぎ車(カダール)です。彼は、インドのすべての男女に、自国産の綿を手で紡ぎ、その糸を手織りにした綿布を身につけるように説きました。この手紡ぎこそ、インド国民の熱意とエネルギーを、物質的行動面から精神的行動面へと切り替える必要性の象徴だったのです。 大英科学振興協会会長サー・アルフレッド・ユーイングが1932年の総会で、次のような発言をしています。「科学は確かに人類に物質的な幸福をもたらした。だが、倫理の進歩は機械的進歩に伴わず、あまりにも豊富な物質的恵みを処理できずに人類はとまどい、自信を失い、不安になっている。引き返すことはできない。どう進むべきであろうか」と。われわれすべてが当面しているのと同じ悩みを表現した感動的な言葉です。産業化と民主主義という新しい推進力は、全人類の利益のために新興勢力が自由に活動できるような、全世界を打って一丸として社会を建設するのに用いられるでしょうか。それとも、われわれはこれから、史上に比を見ないこの強力な新しい力を、大昔から存在している戦争、部族主義、奴隷制度などに悪用して、全人類自殺の方向に向かって行くのでしょうか。 日本の青年に 自由の国、日本の青年の皆さん。あなた方もこの質問に答えなければなりません。いや、貴重な伝統という遺産を持つあなた方こそ、この世界的問題に答える義務があるのです。貴重な伝統という遺産といっても、輝かしい過去を想起するだけでなく、現在のあなた方の持つ潜在能力をも強く意識してほしいのです。 西洋の観察者の中には、すすで曇らせたメガネをかけて世界を見渡し、西洋化された表面だけを見、その下に燃えているその土地独特の火を無視して、自己満足している者が多くいます。つまり、わざと東洋の長所に目をつぶっているわけです。その連中の思い上がった意見を受け入れてはいけません。人種的劣等感は捨ててください。日本人は世界文明に創造的な寄与をしてきたのですから。 また、西洋の「分割して統治せよ」という政策を警戒してください。どんなにたいせつなイデオロギーのためであっても、分裂してはいけないのです。分裂していると、その場かぎりのことでも絶対的なことに見え、肝心の重要問題から注意がそれされます。現在、全世界にわたってイデオロギーの戦争が進行中です。この戦争に勝つためには、建設的理念を持ち、相反する国際的、文化的イデオロギーを調和させなければなりません。イデオロギーの相違を固執してはいけないのです。 現代は過渡期であり、未来は現代にかかっています。現代は、伝統的に相いれない東洋文化と西洋文化が接触している時代です。お互いの文明の価値を破壊し合うのではなく、相互に補い合うようにすることこそ、次の時代のおもな仕事であるべきです。 若い日本の皆さんにお願いしたい。物質的に順応するだけではいけない。精神的に順応することがたいせつです。身近な仕事や目的に順応するばかりでなく、大局的なビジョンに基づいて仕事や目的を決めていただきたいのです。人類社会に対する高い使命に燃えて、人生の意義を十分に発揮していただきたいのです。 日本人の若い女性に 新しい環境に順応するのは、社会は新しい生命力を必要とします。そのために社会が最も期待をかけるのは、若い人たちの中でも女性、つまりあなた方です。 現在のあなた方は、知的にも道徳的にも最も感受性に富み、最も包容力の大きい時期にあります。学校教育から、本物とにせ物を見分ける能力、お国の将来を形成していく力についての知識を得てください。特に、宣伝にまどわされない判断力を得てください。 わざわざこういうのは、宣伝が大衆を支配するために案出された実に警戒すべき手段だからです。ほとんどの大国が宣伝省を持ち、有能な人を宣伝大臣に任命していることからでも、その強力さがわかります。宣伝の恐ろしさは、たえず感情に働きかけ、知らず知らずのうちに、自分の本性と矛盾することを信じ込まされる点にあります。 皆さんひとり残らず、どんなことに出会っても、勇気とやさしさと美しい魂とで、処理してください。皆さんひとり残らず「世界を歩む美女は何万といるが/どんなに飾り見せびらかしても/彼女の完全な美しさとは比べものにならない」と、尊敬の念をもっていわれるように行動されることを願っています。
Aug 24, 2007
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企業の農地借用、来年度にも自由化…戦後農政を転換へ 農林水産省は22日、企業の農業参入を促進するため、株式会社などによる農地の借り入れ制限を原則撤廃する方向で検討に入った。 2006年度の食料自給率(カロリー換算)が13年ぶりに40%を割り込むなど、農産物の国内供給体制が弱まる中で、企業の力を活用して、規模拡大と競争力の強化を促す狙いだ。 農水省は今秋にまとめる農地改革の柱とする考えで、来年の通常国会に農業経営基盤強化促進法などの関連法改正案を提出し、08年度中にも実施したい考えだ。 戦後の農地政策は、農家が自ら耕作者となる「自作農主義」が根幹となっている。実現すれば戦後農政の転換点となる。24日に農水省が開く有識者会議で検討が始まる見通しだ。 現行法では、企業による農地借り入れは、耕作放棄地や耕作放棄されそうな農地が「相当程度存在する地域」(指定区域)という条件がついている。昨年末時点で区域を指定している市町村は600に過ぎないうえ、こうした区域は水利が悪く、出荷が不便な山間地なども多いため、不評だった。このため農水省は、指定区域の条件を撤廃し、優良農地の貸し出しも認める。 また、企業が安定して農業経営をできるように、農地を20年程度の長期にわたって借りられる定期借地権制度も導入する。 農家は一般に農地を長期で貸し出すことに不安が強く、現状の貸借期間は平均6年程度にとどまっている。借地権に明確な期限を区切る定期借地権が導入されれば、企業の長期・計画的な農地利用が可能になると期待されている。借地代は一部でも相手借り手会社の株式でも認めると、それに勤労年齢の貸し手の雇用もなんとか上手い具合にバーターできる法制になればいいね。 一方で、企業の進出に対する農業関係者の警戒感にも配慮し、農地の所有については農家以外に認めない原則は堅持する。 地元の市町村に対しては、企業に貸す区域を指定する権限は残す方針だが、農水省は「農業従事者の高齢化と後継者不足、耕作放棄地の拡大といった問題が深刻化しているため、指定区域は今後広がっていく」と見込んでいる。 企業による農地借り入れは、05年から全国で認められているが、企業数は10年度目標の500に対し、07年3月時点で206にとどまっている。 企業が借りている農地の面積は595ヘクタールと全農地の0・01%程度に過ぎず、制度活用が課題となっていた。市町村農業委員会への権限残しが、どう出るかなぁ??教育委員会と同じレベルの、ノウタリン揃いだからなぁ。とにかくこれが出たら、次というか同時並行して、大都市圏農地の宅地並み課税でしょ。 農地税制の改革を潰した男 日本の住宅問題についてもこんな思い出がある。昭和40年代のことだが、当時、経済企画庁のエコノミストは「日本の高地価は必然である」という論文を書いていた。国土面積あたりのGNPがアメリカの○倍だから地価も○倍であるという簡単な論拠だったが、実際は「農地が過保護で宅地転換できない」のが原因だった。 そのとき建設省の某課長は、農林省の某課長と膝詰め談判した。土地問題というが、要は、東京の農地を市街地や住宅地に変更すればよいだけのことである。そうすれば、東京の住宅問題はたちまち解決する。農林省の課長も最後には分かったという返事をし、東京都内の農地は一坪もないことにしよう。それが東京のためである。日本国のためである。農業は別のところでやることにしよう、という結論がでた。敢えてそれだけのコストかけてもやる農業となれば、高級料亭向けの高級野菜とか、ホテル向け高級鑑賞花などの栽培に特化するだろしな。それは経営者の才覚だわな。バカでもできる栗林に家庭菜園へのタダ貸しなんてモロ合わなくなってダメってこと。これも敢えて土いじりしたい人らは、歳相応に郊外に移り住んでいただいて自前の菜園もつか近在の農家から借りるか、でね。 こうして、新都市計画法案が誕生した。市街化区域と市街化調整区域を指定して、大都市部の農地には宅地並み課税するというのがこの法律の中身である。農地は固定資産税が100分の1で、しかも相続税がかからなかったが、それをやめることにする。そうすれば農家は土地を売るか、貸し家を建てるだろうという考えを農林省も承知して、お互いに省益を超えた合意が成立した。 ところが、税通で知られる自民党の山中貞則衆議院議員が、新土地計画法案の中身を知って口を出した。農地課税を100倍も上げるとは何事だ、というのである。農地への課税を上げるのではなく、東京の農地を宅地に指定変更するだけの話だが、共産党も猛反対になって、結局、農地の宅地並み課税は見送られた。 市街化区域の制度は実現した、指定はした。しかし、農地が市街化区域に指定されても税金は別に上がらない。農民にとって、こんなうまい話はない。市街化区域の中に入れば、道路その他の整備は進むが、税金はかからない。農民は大喜びした。自民党様々になった。 こうして日本中の市街化区域の指定は途方もなく広くなった。みんな指定してほしいのだから当然である。しかし、保有コストが安くて、しかも値上がりが期待できる農地を宅地に売却する農家はないから、サラリーマンの遠距離通勤と住宅ローン地獄はその後30年も続くことになった。東京のそれもど真ん中に、延々神奈川、千葉とか茨城の奥の方から、毎日通勤だもんなぁ。片道2時間3時間で往復4時間6時間なんて、洒落にもならんわぃ。借家(マンション)でもちょいとマトモな広さだったら、埼玉・千葉・神奈川で、超満員通勤電車にスシヅメでの片道1時間半、だったよなぁ。ったくぅ・・・ 霞ヶ関の官僚は虚脱状態となった。われわれがいくら相談していいことを決めても、自民党にはかなわないのかという空気になった。やがて、だんだんと省庁間の足並みが乱れはじめ、自民党政調会長は昭和50年代には途方もなく偉くなってしまった。 各省の局長・課長は、他省庁まで相談に行かなくなった。自省の縄張りを譲ることなくひたすら省益を主張して、最後は自民党の政調会長に採決を仰ぐようになった。これでは国家公務員とは言えない。 それまでは日本国家のために一生懸命相談していたのが、今は懐かしい。(人間はなぜ戦争をするのか・日下公人)自民党の腐った部分はあらかた追出したんだし、残りもやたらその売国ぶりが目立つから、この際、正論でガンガン押し出して欲しいもんだがなぁ。
Aug 23, 2007
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インドネシア・インド・マレーシア訪問(インドネシア共和国) 平成19年8月19日、インドネシア、インド及びマレーシア訪問のため政府専用機で羽田空港を出発した安倍総理は、同日午後にインドネシア共和国の首都ジャカルタに到着しました。 翌20日午前、大統領宮殿で歓迎式典が行われ、その後、スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領と首脳会談を行いました。会談では、昨年11月のユドヨノ大統領訪日時に合意した「戦略的パートナーシップ」に基づく協力関係を強化することで合意しました。 会談後に、両国の貿易・投資の拡大やエネルギー安定供給などを盛り込んだ「経済連携協定」及び温暖化防止への協力強化を柱とした「気候変動、環境及びエネルギー問題についての協力の強化に関する共同声明」に署名しました。 ユスフ・カッラ副大統領の表敬に続いて、日本・インドネシアビジネスフォーラムにユドヨノ大統領と出席して挨拶を行いました。 その後、ジャカルタ市内のホテルでインドネシアの政財界や学界の代表に対して、今後の東南アジアの外交方針となる政策スピーチを行いました。スピーチは、「日本とASEAN-思いやり、分かち合う未来を共に」と題して、ASEAN設立40周年というタイミングをとらえて、今後の我が国の対ASEAN外交についての基本方針を示しました。夜には、昭恵夫人とともにユドヨノ大統領主催の晩餐会に出席しました。 翌21日午前、日本への留学経験者等との懇談会に出席、その後、カリバタ英雄墓地での献花を行いました。 インドネシア共和国の日程を終えた安倍総理は、次の訪問国であるインドに向かいました。大東亜戦争の「アジア解放戦争」の面をクローズアップしたわけだね。インドネシア独立戦争に参加指導した旧日本軍人の奉られているカリダバ英雄墓地墓参をとおしての、靖国の英霊への尊崇を明確かつ拡大して表明したと評価いたしまする。そして今日、次の訪問国のインドではパール判事の息子さんと会談して、東京裁判全否定をクローズアップするということですね。そのときかまたはレセプションでの演説ででも、「東京裁判の少数意見としてのパール判決書は英文にして1275頁、日本語にして100万語に及ぶ詳細かつ厖大なる判決文でありますが、パール判事はその最終文に、『時が熱狂と偏見をやわらげたあきつきには、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつきには、とのときこそ、正義の女神は、その秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するだろう。』と記されました。そして判事が後に訪日された折の帝国ホテルでの歓迎会でのある人の『同情ある判決をいただいて感謝にたえない』との挨拶にたいしては直ちに発言を求めらて立ち、『私が日本に同情ある判決を行ったと考えられるならば、それはとんでもない誤解である。私は日本の同情者として判決したのでもなく、西欧を憎んで判決したのでもない。真実を真実と認め、これに対する私の信ずる正しき法を適用したに過ぎない。それ以上のものでも、また、それ以下のものでもない。』と仰ったと承っております。『私は正しい法を適用したにすぎない』、この公平なる『法の支配』という共通の価値を、私ども両国は伝統的に保持いたしております。」云々と、はっきり言ってくれたら最高だね。m9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャー 大東亜戦争を継いだ男たち…英雄墓地に眠る皇軍兵士ついでに「佐賀北」はたいしたもんだネ、とかも言ってくれると、ますますモテルでしょ。m9゚。(^Д^゚≡。^Д^)m9゚。 佐賀北V 「特待生」に痛烈な皮肉 夏の高校野球 特待生問題で高校野球界が大揺れした直後の夏の甲子園。頂点に立ったのはごく普通の県立校だった-。初優勝を果たした佐賀北高の関係者は「みんな試験を受けて入学した県内の生徒たち」「これが高校野球」と胸を張る。来年度入学予定者について特待制度を容認した高校野球界に痛烈な皮肉を浴びせる結果となった。 プロ野球西武の裏金問題を契機に表面化した特待生問題。日本高校野球連盟が全国調査したところ、46都道府県で376校の違反が申告された。 今大会出場49校でも違反申告校が25校を占めた。背景には、全国的に注目を集める野球で学校の名前を売るという各校の戦略がある。いやはや、今回は西東京代表が何と、層化だったのねぇ。モロうっさんくっせぇぇ。で、それ関連の試合は目が穢れるから全く見ずと。m9(^Д^) 一方、佐賀北高関係者は「勉強をおろそかにせず、文武両道で頑張ってきた結果」「うちはプロに行くような選手はいない。チームが一つになって勝ってきた。それが高校野球」と話す。 近年は私立校の活躍が目立った夏の甲子園。公立校が優勝したのは平成8年の松山商(愛媛)以来だった。苦々しい出稼ぎ横綱朝青龍ら(出稼ぎ露助)への、強烈なアンチにも懸かるダロしさ。Ψ(`∀´)Ψケケケあらま。もうインド国会で演説されてましたネ。 日印、安保協力を強化 中国牽制、両首脳が共同声明 【ニューデリー=杉本康士】安倍晋三首相は22日夜(日本時間同日夜)、ニューデリー市内でシン首相と会談し、来年のシン首相訪日までに2国間の安全保障協力に関する報告をまとめることなどで合意した。 経済交流の活発化に加え、安保面での協力強化に踏み込んだのは、著しい経済成長と軍拡を続け、アジア域内で影響力を強めつつある中国を牽制する狙いがあるとみられる。 両首脳は会談後、日印の2国間関係や安全保障に関するロードマップと、環境・エネルギーに関する2つの共同声明に署名。声明では、日印関係を「基本的価値観を共有し、最も可能性を秘めた2国間関係」と規定し、昨年12月に合意した戦略的グローバル・パートナーシップ具体化のため、多方面にわたる関係強化・深化を目指す姿勢を打ち出した。 海上共同訓練などによる防衛協力向上の必要性を確認した背景には、インド洋など南西アジア海域で海軍力増強を進める中国の存在がある。 中東からの輸入原油の輸送路であるシーレーン(海上交通路)の安全確保は、原油の多くを中東に依存する日印両国にとって死活的に重要な意味を持つためだ。 一方、地球温暖化対策について、両首脳は京都議定書後の新たな国際的枠組み作りに協力することで一致。シン首相は、2050年までに温室効果ガスを半減させるとの日本提案を評価し、安倍首相は会談後の共同記者会見で「気候変動問題の解決に向け、一定の前進を得た」と強調した。これもタイムリーですな。何やらアメが大変なようで・・・。夏なのにマフラー NYで最高気温15度! 記録的な猛暑が続く日本。フル稼働のクーラーによる電力消費などのため、東京電力の最大電力需要が22日、この夏最高を記録した。 その一方で、地球の反対側の米ニューヨークでは、21日の最高気温が15度前後と10月下旬並みの肌寒さとなった。 CBSテレビによると、8月の最高気温で最も低かったのは、1911年に記録した15度で、約1世紀ぶりのタイ記録。8月21日の最高気温で過去最も低かったのは1999年の16度で、21日に限ると、過去最低となる。 ニューヨークではこの日、朝から断続的に雨が降る肌寒い1日となり、トレンチ・コートを着た人やマフラーを首に巻く人など、真夏とは思えない装いが街のあちこちで見られた。 夏のこの時期がかき入れ時のアイスクリームやフレッシュ・ジュースの路上販売は早々に店じまいを強いられた。 ニューヨークに一足先に本格的な秋が来た様相だが、予報によると、涼しさは一時的なもので、週の後半からは再び気温が上昇し、30度を超す天気となる見通し。 気象の“異変”はニューヨークだけではない。米中西部ではミネソタ州やウィスコンシン州などで、先週末から豪雨が続き、洪水被害が拡大、AP通信によると、21日までに22人が死亡した。豪雨は21日にはオハイオ州に及び、住宅が浸水して住民がボートで救出される事態となっている。アメは支那と似てるっていうけど、こんなとこまで似てきたってわけっすかねぇ。。゚(゚^Д^゚)゚。 経済面では、2010年までに日印間の年間貿易額を200億ドル(06年は85億ドル)へ倍増を目指すことや、経済連携協定(EPA)の早期締結に向けた交渉加速で合意。さらに、日本によるインドへの高速貨物専用鉄道への資金援助の検討を確認した。 また、シン首相は、民生用原子力技術協力のための米印協定に理解を要請。しかし、安倍首相は「国際原子力機関(IAEA)との査察協定交渉に適切に対応することが不可欠だ」と指摘し、慎重に検討する考えを示した。 これに先立ち、安倍首相はインド国会で演説し、両国の経済成長を念頭に「強いインドは日本の利益であり、強い日本はインドの利益だ」と強調。 また、極東国際軍事裁判(東京裁判)で被告人全員の無罪を主張したインド出身のパール判事に言及し、「たくさんの日本人から尊敬を集めている」と評価した。 日印共同声明骨子 一、安全保障分野での将来の2国間協力の方向性を検討し、次回首脳会談までに報告するよう指示 一、2010年までに年間貿易額を200億ドルに増やすよう取り組む。経済連携協定交渉を可能な限り早期に終える。幹線貨物鉄道輸送力強化計画実現に向けた協力継続を期待 一、北朝鮮による非核化に向けた措置継続の重要性を確認。インド側は拉致問題の早期解決に向けた協力を表明 一、シン首相は気候変動対策に関する安倍首相の提案を評価。温室効果ガス排出量を2050年までに半減させるとの長期目標については、科学的合意に基づき気候変動枠組み条約でなされる必要性があると強調 一、両首脳はすべての国が参加する京都議定書後の枠組みと国際的な協調行動への決意を表明はい、結構なことでした。
Aug 22, 2007
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首相、ASEANと互恵関係の進展目指す 【ジャカルタ=杉本康士】安倍晋三首相は20日、ジャカルタ市内のホテルで、東南アジア外交に関する政策演説を行い、「ASEAN(東南アジア諸国連合)共同体」の基本原則などを定める「ASEAN憲章」の起草に向け、地域統合に全面的に協力していく方針を表明。 「法の支配」「人権」など基本的価値観を共有するパートナーとして、ASEANと互恵関係の進展を目指す考えを強調した。これに先立つインドネシアのユドヨノ大統領との会談では、経済連携協定(EPA)に署名した。 政策演説で首相は、日本側の具体的取り組みとして(1)EPAネットワークを活用した経済関係の緊密化(2)地域統合の条件となる域内の格差是正策として、メコン川流域各国(カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナム)に対する経済協力(3)経済発展や民主化の土台づくりとなる平和構築に向けた支援-を掲げた。 地球温暖化問題では、2050年までに温室効果ガスの排出量を半減させる構想について「ASEANにも地球温暖化を止める計画の力強い一翼を担っていただきたい」と要請した。 日本がEPAを締結するのは8カ国目。日本が輸入する天然ガスや原油の安定確保のための枠組みとして(1)インドネシアが輸出規制する際の早期通報と既存の輸入契約の保護努力(2)投資環境の整備(3)政府間協議の新設(4)輸出手続きの透明性確保-などを明記。 貿易自由化の関連では、即時または段階的に関税を撤廃。自動車や電子機器など日本からの輸出総額の90%、鉱工業品やバナナ、エビなどインドネシアからの輸入総額の93%が無税となる。除く特亞政策に邁進しよぉお~。 【首相演説要旨】「思いやり、分かち合う未来を共に」 安倍晋三首相の政策演説「思いやり、分かち合う未来を共に」の要旨は次の通り。 日本はASEAN諸国、諸国民と「ケア・アンド・シェア」(思いやりと分かち合い)の精神で共に歩む。アジアと世界が直面する挑戦に対し、インドネシア、ASEANの皆様には、ぜひわれわれ日本人と一緒に立ち向かっていただきたい。 ASEANの各国指導者は、「民主的諸価値の強化」「法の支配の維持」「人権の尊重」といった基本的価値に対する真摯(しんし)な取り組みを語る。日本国民が大切に思う基本的価値を旗印に掲げ、「One ASEAN」として新しい門出を遂げようとしていることに、静かな興奮を覚える。 ASEANには、東アジアサミットなど地域協力枠組みの「運転席」に座り続け、東アジア協力の推進力になってもらわなくてはならない。ASEANの発展はアジア、日本の利益だ。 経済連携協定(EPA)のネットワークを活用し、ASEAN諸国と深く幅広い経済関係をつくりたい。日本政府はメコン流域諸国の安定的成長のため助力を惜しまない。平和がなければ経済の発展はない。 私は「クールアース50」(美しい星50)という新しい地球環境防衛策を世界に提案した。ASEANの皆様も、2050年までに地球温暖化を止める計画の力強い一翼を担っていただきたい。 日本とASEANには、名実ともに相互補完的な関係が成立している。私たちを見舞う問題を一緒に解くために互いを必要とする「問題を共有し、解決を共に模索する」関係を結ぶ段階にすでに突入した。 安倍首相 「価値観外交」で中国牽制 【ジャカルタ=杉本康士】安倍晋三首相が20日に行った政策演説は、民主主義や人権の尊重など基本的価値観を共有する国との関係強化を図る「価値観外交」を、東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国にも展開する姿勢を強く打ち出したものだ。ASEANへの影響力を増大させる中国を強く牽制し、日本の存在感をアピールする狙いもある。 ASEANに関する政策演説としては、福田赳夫元首相が1977年にフィリピンで「福田ドクトリン」を発表。2002年には小泉純一郎前首相がシンガポールで、インドやオーストラリアなども巻き込んだ東アジア地域の「コミュニティー(共同体)」構想を打ち出している。今回の安倍首相の演説は「福田演説、小泉演説に続く3つめの本格的な政策演説」(外務省筋)という位置づけだ。 「ASEAN共同体」の目標や基本原則などを規定する「ASEAN憲章」の起草をめぐっては、人権問題を抱えるミャンマーなど一部加盟国から異論が出ている。こうした中で日本の首相が民主化や人権尊重を求めれば「ミャンマーやベトナムなどから反発が起きかねない」(同行筋)ともみていた。 しかし、安倍首相は演説で、ASEAN憲章の起草に向けたこれまでの議論や各国首脳の発言で、「民主的諸価値の強化」「グッド・ガバナンス(良き統治)の保証」「法の支配の維持」「人権の尊重」といった価値観が取り上げられたことを指摘。「このようなASEANの動きにどれほど深く喜び、かつ励まされているか、言葉ではなかなか伝えきれない」と称賛してみせた。 また、安倍首相が掲げた3つの具体的な取り組みのうち、メコン川流域各国への支援は「法の支配を促していくため」、また平和構築支援は「選挙を実施し、政治が民意を反映する仕組み」をつくるためのものと位置づけ、価値観外交の象徴だといっていい。当然ながら「こうした提案は国内に人権問題を抱える中国にはできない」(同行筋)。 ASEANが中国や韓国との自由貿易協定(FTA)を順次発効させる一方、日本は出遅れている。 安倍首相は「ケア・アンド・シェア」(思いやりと分かち合い)をキーワードに地域統合を促しつつ、価値観外交を前面に押し出すことで、踏み込んだ内容のASEAN憲章を目指すインドネシアやフィリピンなどを後押しする思惑がある。
Aug 21, 2007
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占守島の戦いは、終戦後の無駄な戦いなどではない。それどころか、大いに意義のある誇りある戦いであった。 そもそも、なぜソ連は、火事場泥棒的に対日参戦したのか? 実は1945年2月、米英ソはヤルタ協定で、スターリンは対日参戦の見返りとして、南樺太・千島列島をソ連領とする密約を交わしていた。だがその後、ルーズベルトの急死など情勢の変化で、それが破約寸前だった。そこで千島・樺太の占領を既成事実化するために、火事場泥棒参戦を強行したのだ。しかもスターリンは北海道北部の占領をトルーマンに要求し、拒否されていた。つまりソ連軍は千島列島を一気に攻め下がり、北海道の北半分までを占領するつもりだったのである。 しかしソ連軍は、最初の一歩で大きくつまづいた。占守島における実質十数時間の戦闘で、日本軍の戦死者三百数十名に対して、ソ連軍は海上で3000、地上で4000に上る甚大な被害を出し、一週間釘づけにされた。その後、千島列島は占領され、不法占拠されたまま今日に至るのだが、北海道にはソ連が到着する前に、米軍が進駐。北海道の分割占領だけは阻止されたのである。 当時、ソ連政府機関紙イズベスチャはこう述べた。 「占守島の戦いは、満洲、朝鮮における戦闘より、はるかに損害は甚大であった。8月19日はソ連人民の悲しみの日であり、喪の日である」 だが、日本にとって占守島の戦いは、大東亜戦争最後の大勝利であり、侵略者から国土を守った偉大な戦いであったと記録せねばならない。 この戦いが戦後長らく忘れられていたことを英霊に詫び、感謝を捧げようではないか。・・・と、感謝すべきは感謝し、また死に所と死に際を目出度く得た方々の、その決断にあやかりたいものだ、と思うわけ。当時の現実を想像するのは、なかなか指摘されないと分からないもんだということもあるわけネ。 軍隊生活はマニュアルで動く 戦争もまた、意外に日常的である。一般の理解では戦争とは血湧き肉躍るもので、軍人は命を惜しまず勇敢で、毎日緊張しているものだというイメージがある。もちろんそれは虚像ではないが、そういう部分だけが戦争映画になっている。極端なことを言えば、軍人になっても退役するまでの40年間、実戦が一回もない人のほうが多いし、実戦があればすぐに死んでしまう人がいる。30年間訓練して、10分間でお終いということはたびたびである。海軍の戦争などは、敵弾が直撃すれば軍艦は沈没してしまうから、本当にすぐ終わる。ところが、実戦で勝つためには10年も20年も、とにかく毎日訓練ばかりしていなければならない。訓練にはスケジュール表やマニュアルが表があって、そのとおりにやっている。当然、馴れた人には退屈なものだ。新兵や、士官学校に入った最初の頃は面白いが、中尉、大尉くらいになると、毎日同じことをするのは退屈であるらしい。 軍隊は官僚制度の典型である。すべてが文章化され、数値化されている。社会のあらゆる階層の人を集めて働かせるためには、画一化と標準化が欠かせない。まず、言語を統一する。ズボンと言ったりパンツと言ったりしていては通じが悪い。たとえば靴は「軍靴」ということに決まっている。最初はそれを覚えるだけで忙しいが、覚えてしまえば、あとは楽だ。靴といったら軍靴だけで、他の靴は存在しないから、ひじょうにシンプルな生活になる(正確に言うと帝国陸軍の兵隊には三種の靴が支給された。教練・外出・戦闘に用いるのが編上靴、営内で履くヒモのないつっかけが営内靴、部屋の中で履くスリッパは上靴[じょうか]で、どういう場合にそれを履くかはしっかり決められている。間違えると殴られる)。 陸軍士官になると、連隊に勤務する。2万平方メートルぐらいの土地に練兵用のグラウンドと兵隊が生活する建物があって、将校は近くの官舎から馬に乗って出勤する。門を通る時は、中尉には中尉の、少佐には少佐の厳格な敬礼があるので、それを受ける。部屋に入ると本部からきた書類が山ほどあって、返事を書く。 スケジュールががっちり決まっている。毎朝8時には朝礼があり、その時は服装を整えて整列しなければならないが、今日は雨天時の服装を着るのか晴天時の服装を着るのか悩む。週番士官が判断して、早めに通達しなければならない。 兵隊に敬礼の仕方を教えたり、四列縦隊での歩き方を教えたり、鉄砲の手入れや撃ち方を教えたりしなければならない。兵隊は2年間いるから、2年間をいくつかの期間に分けて、軍隊のイロハを教えていく。三ヶ月経つと一等兵になる。それを勤務評定して、1年後には2、3割を上等兵に上げる。物覚えのいい者が出世していく。2年で満期除隊になるから、短期大学のようなものだ。それでまた次が入ってくる。2年間に教えることが、マニュアルで完全に決まっている。それをきちんと教えたかどうかを調べる検閲がある。連隊長の検閲があったり、師団長の検閲がある。その時にはきちんとやってみせないと、小隊長や中隊長が叱られる。兵隊が失敗すると自分の勤務評定が悪くなるというわけだ。それから、対抗試合のスポーツをしょっちゅうやっている。中隊対抗とか小隊対抗、分隊対抗で、繰り返しスポーツをする。なにしろ20歳前後の男ばかりを集めているのだから、スポーツでもやらさないと元気が余ってしまう。 士官はスケジュール表に従い、兵隊をグラウンドへ連れ出して、12時まで各種の練習をする。12時になったら解散で、兵隊は大喜びで食事に行く。自分も将校食堂へ行って飯を食う。食事が終わったら午後のスケジュールがあって、5時になると終わる。今の自衛隊であれば、夕方5時にラッパを吹いて日の丸を降ろすと決められている。兵隊はそれから就寝まで、食事・入浴・掃除・洗濯・兵器、服、靴の手入れなど生活上の仕事をするので忙しいが、将校は自宅へ帰るだけだからヒマである。家に帰っても軍隊の町は寂しいところが多いし、夜の街に繰り出すような月給はもらっていない。将校が、あまり変な人と付き合うと悪い評判が立つから、軍人は軍人同士で付き合う。一階級上の人から、今夜、将棋を指しに来いと言われたら、喜んで行く。町の人や出入り業者が釣りに行こうと誘ってくれても、それは接待にあたるかどうかで悩む。そんなふうに毎年同じことをして暮らしているが、新聞を読んでも戦争は起こりそうもないし、緊縮財政で軍事予算は削られるし、そろそろ中尉になる歳なのに、昇進は一年繰り延べになってしまう。 平時の軍隊生活は退屈の極み 日露戦争が終わってから昭和12年まで、軍人はだいたいそういう生活をしていた。構造不況業種の生活である。唯一の刺激と言えば、東京の参謀本部が戦車との共同作戦要領や対戦車戦のマニュアルを起案したので、説明するから将校2、3名を東京へ出せ、という指令が来た時などである。これは大喜びで行く。「ほう。これが戦車か」というわけだ。時には、敵の戦車は装甲が厚いから操縦席の前にある天視孔という穴を狙って撃て、などという実行不可能なことを教わって帰ってくる。それでも連隊へ戻ってきたら、彼はいちばんの戦車通になっている。それでマニュアルを見ながら兵隊を集めて訓練する。戦車はないから、オート三輪や大八車にベニア板を貼ってそれを戦車に見立てて、グラウンドで同じことをやる。それは戦前の帝国陸軍の話で、今は事情が違うだろうなどと思ってはいけない。教材が最新鋭の対戦車ヘリコプターであったり、装輪装甲車とか多連装ロケットMLRSであったりするだけの話である。そんなことをしているうちに、中学校時代の友だちと比べると自分の月給がひどく安いということに気がつく。しまった、軍隊なんか入るんじゃなかった、と思っているうちに、あまり出世しない人は40歳ぐらいで退官の危機が迫ってくる。軍人は定年が早くて、アメリカでも44、45歳になった時、中佐か大佐で終わりである。スケジュールどおりに刺激がないままやってきて、気がついたら44、45歳で中佐か大佐で辞める。それを越えて少将になる人は、100人に3人ぐらいしかいない。中将になっても、53、54歳で定年退職となる。大佐、中佐で終わった人は、その後、退役将校の会に入る。英語では退役軍人をベテランというが、アメリカにはベテラン関係の会社や組合がたくさんある。ベテランになった軍人は何百万人もいるから、ベテラン・ゴルフコースとかヨットハーバー、ベテラン旅行会社にベテラン生命保険、ベテラン新聞からベテランのための墓地まで、何でもある。そこの社員や役員になって勤めたり、あるいは民間へ天下って軍需会社の顧問になったりする。おおよそ世界中の軍人は退屈している。世間の人を見て、うらやましいと思っている可能性も大きい。彼らは、もともと優秀で健康な人たちである。そういう人たちが退屈している。だから、規律が緩んだ国では軍人がゆすり・たかりをしたり、自分たちでも商売をしようということになる。それが悪いというわけではない。軍隊とはそういうものである。 「百年兵を養うはただ一日の用にたてんがため」であるという諺があるが、これはヒマだということだ。 毎日が退屈だから、ケジメをつけるために国旗を上げ下げしたり、演習や検閲をたびたびして、無理矢理緊張を作っている。そこだけ人に見せて、見えないところでは要領よく鼻くそをほじっている。 軍人を侮辱しているのではない。人間とはそういうものなのである。(人間はなぜ戦争をするのか・日下公人)
Aug 18, 2007
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ソ連軍は、準備の間もなく出動させられた火事泥棒の無謀作戦だったため、現場は大混乱だった。一番先に揚陸すべき部隊や武器が船底に押し込められ、荷物を積みすぎて沖合で船底がつかえ、重装備のまま海に飛び込んでおぼれ死ぬ兵も続出した。 霧が晴れてくると、ロパトカ岬の12センチカノン砲5門が砲撃を開始。それに対し、男体山の重砲2門が応射、20分ほどで敵のカノン砲を全滅させた。日本の国土から、国境越えの砲撃戦で敵を撃破! 日本陸軍砲兵史上、空前にして絶後の快挙であった! この猛射で、砲兵隊は確認できただけでも敵船13隻を沈め、戦死傷3000、さらに同程度の人数を海に叩き込んだ。浜はソ連兵の死体で埋まった。 だが戦果に酔う暇はなかった。その後ろにはなんと、さらに200隻の舟艇が続いていた! ソ連軍はこの小さな島ひとつに、2万もの兵力を投入していた! それを水際で迎え撃たんとする村上大隊は600名程度! たちまち大洪水に飲まれたように包囲され、玉砕する部隊が出始め、陣地のいくつかはソ連軍に奪取された。厚い霧に阻まれ、救援部隊の到着は遅れた。そこへ真っ先に馳せ参じたのが…… 「戦車!」「友軍の戦車です!」 池田大佐は堤師団長に最後の通信を送り、突撃を敢行した。「池田連隊は四嶺山の麓にあり、士気旺盛なり! 0550 池田連隊はこれより敵中に突入せんとす。祖国の弥栄(いやさか)を祈る!」 攻撃開始午前5時50分、突撃する戦車隊! 中には天蓋から身を乗り出し「神州正氣の歌」を朗々と吟じる者もいた。 「天地正大ノ氣~~粋然トシテ神州ニ鐘(あつま)ル~~秀デテハ不二ノ嶽(がく)トナリ~~巍巍(ぎぎ)トシテ千秋(せんしゅう)ニ聳(そび)ユ~~注(そそ)イデハ大瀛(だいえい)ノ水ト為リ~~洋洋トシテ八洲ヲ環(めぐ)ル~~發(ひら)イテハ萬朶(ばんだ)ノ櫻ト為リ~~衆芳與(しゅうほうとも)ニ儔(たぐ)ヒシ難(がた)シ~~凝ッテハ百錬ノ鐵ト為リ~~鋭利?(かぶと)ヲ断ツ可シ~~」 幕末の儒学者で、激烈な尊皇攘夷論者であった藤田東湖の詩である。「天地には正大の気というものが充満し、常に流動している。それが純粋に結晶しているのは、我が神州日本のみ。それが物に凝結しては、千秋に聳ゆる富士の嶽となり、国土の周りを環る大海の水ともなり、爛漫たる桜ともなり、鉄兜も断ち切るほどの鋭利な日本刀ともなる。そして『正気』が人に表れれば、中臣鎌足や北条時宗のような人びととなり、国難を救ってきた。」そして次のような決意でこの詩は締めくくられる……「死シテハ忠義ノ鬼ト為リ~~極天皇基(きょくてんこうき)ヲ護ラン~~」 死んでも忠義の鬼となり天地のあらん限り皇国の基礎を護ろう、と。またぁ相当造ってるっしょぉ。講談師見た来たような嘘を云い・・・まぁいいじゃないっすか、何となく、格好いいしサ。。゚(*゚´∀`゚)゚ノ彡☆ 「男体山右側、三百! 撃て―――っ!」「命中! やった!」四嶺山を埋めたソ連兵たちは、突如出現した戦車隊に狼狽して逃げ惑いながら、戦車隊へ滅茶苦茶の乱射! 「前進! 前進!」 濃霧の中、敵味方入り乱れての乱戦続くも、戦車隊はソ連軍を撃退していく! 「機を失せず敵を急襲し、一挙に敵を圧倒して水際に撃退せん。攻撃! 前進!」 第二次攻撃、午前7時25分。戦車連隊の猛攻は敵を四嶺山の稜線下深く圧迫。だが濃霧で方向を見失うもの、密生する這松(はいまつ)に足をとられて立ち往生するものが続出して攻撃速度は大きく鈍った。そこへ、遅れていた敵の対戦車銃、対戦車砲の揚陸が完了、次々火を噴く。そして池田連隊長も……! 「連隊長!」 連隊長車は天蓋から黒煙を上げながら、戦車数台が炎上している間を、なおも低速で動いていた! 炎上した車内で、誰がどうやって操縦していたのか…… 後日、戦車内部から池田連隊長ら4人の焼死体が重なり合って発見された。操縦不能になった戦車の内部には、昨日まで故郷の話に笑顔を見せていた少年同士が抱き合って自決している姿も…… 池田連隊長直属の通信係将校・佐藤三男少佐は小柄な全身、エネルギーにあふれ元気溌剌、誰にも親しまれる性格。握力が強いのか、よくドアの把手(とって)を壊して同期生に冷やかされていた。 (日記より) ワレワレ団体生活ヲナスモノニシテ、個性ヲ出スコトハ、最モ戒シムベキコトナリ。一人ノタメ、部隊員ガ犠牲トナル例、マタ尠ナカラズ。(略)シカレドモ、個性ノ中ニテ、明朗闊達ナド団体ニ寄与スルコト大ナルモノハ、努メテ、マスマス伸長セシムベキナリ。(略)自分ノ士官学校ノ信念ハ、予科士官学校ト異ナリ、遠大ナル理想ノモトニ、己ガ行動ヲ律スルツモリナリ。予科ト同ジウスルハ、タダ純真ノ一事ノミ。 佐藤少佐は、池田連隊長の戦車からほど遠くない地上で戦死。その手は死んだ後もなお通信マイクを固く握りしめていた。 ますらおは腰にひっさぐ剣(つるぎ)あり 来たれば来れ何ぞ恐れん 佐藤三男 戦死 昭和20年8月18日 北千島 占守島 陸軍少佐 戦車十一連隊 擱座炎上した戦車は18輌。戦死者は連隊長以下93名に及んだ。しかし将兵の士気は一向に衰えることを知らず、擱座した戦車より乗員が飛び出し、拳銃、小銃を乱射して敵中に突入。独立歩兵283、竹下大隊の歩兵と共に肉弾戦を強行する乱戦を展開! そこへ戦車11連隊の後続約40輌が到着! 連隊長以下指揮官クラスが全員先に突撃してほとんど戦死していたが、さすがは士魂部隊。一斉射撃のたびに、前進してくるソ連兵が17、8人ずつ宙に舞った。ソ連軍は10機ほどの戦闘機を出撃させたが、戦車隊の防空射撃の前に手も足も出ず引き上げた。戦闘は四嶺山を血に染め、2時間にわたって続けられたが、敵はついに竹田浜方面に撤退していった! 一方島の南部、片岡飛行場に残っていた7機の航空機も出撃! 海軍97式艦上攻撃機4機は、すでに魚雷を処分していたため、爆弾を搭載。陸軍一式戦闘機3機は対戦車炸裂弾「夕弾」を搭載し、攻撃と補給を繰り返し、島の南北を何度となく往復した。荒谷上飛曹らが搭乗する97式艦攻は、攻撃中に被弾、火を噴き出したが、そのまま敵艦に壮絶な体当たり。瞬時に轟沈させた! その姿を目の当たりにして、地上の兵の士気はさらに高まる。わずか7機の軍機は、輸送船2隻、艦種不明1隻撃沈、輸送船2隻を撃破という大戦果を収めた。 この激戦のさなか、ソ連軍機の爆音が響く濃霧の港を22隻の独航船が出航した。船には20歳前後の若い女性が約400人乗っていた。食糧増産のため缶詰工場で働いていた女子挺身隊である。船は危険を承知で出港。5日後、占守島でソ連兵が「女がいるはずだ、出せ!」としつこく探し回っている頃、船は無事、北海道に到着した。まさに危機一髪だった。 当初の停戦予定時刻だった午後4時を前に、日本軍側は停戦交渉に動き出し、軍使を送ったが、ソ連側は全く停戦の意志はなく、猛射を受けて通訳や護衛兵に犠牲が続出。それでも、敵の司令官が「千島のゲロイ(英雄)」と呼んだほど勇敢だった軍使・長島大尉の働きでなんとか交渉は始まり、本格的な戦闘は一応収まる。しかし、ソ連側の態度は恫喝に近く、提出した条件は停戦即時武装解除、つまり降伏勧告そのものだった。堤師団長は前線の宿舎でも自ら茶をたてる風流人で、いつも穏やかな表情をたたえ、めったに部下を叱ったこともなかったが、ソ連側の条件をやむなく受諾したという参謀長の報告を聞いて激怒した。「としあえず停戦することを交渉に行かせたまでで、その他の条件は許可していない! そんな停戦協定は取り消してこい!」 近いところでは50メートルほどの距離で、一触即発の状態で敵味方が対峙し、8月19、20日と時が過ぎ、その間、ソ連軍はついに戦車を揚陸、戦闘準備を整えていた。「爾今貴方において苟も戦闘行為に出づることあらんか、予は断固として貴軍を撃滅すべき事を厳粛に声明するものなり」 堤師団長はソ連軍に声明を送り、さらに8月21日午前6時攻撃再開と命令を発した。だがその直後、札幌の第5方面軍から命令が届いた。「テイセンスベシ ブキヒキワタシモ リョウカイス」 将兵たちは激しく嗚咽した。「俺たちは勝った。この島では勝った。しかし日本は負けたんだ!」 武装解除は8月23日三好飛行場で行われた。勝者が敗者に武装解除されるという理不尽な運命に誰も言葉がなかった。ソ連兵たちは競って日本兵の持ち物を略奪した。中には将校の姿もあった。取り上げたカメラで早速婦人将校を撮り、すぐ蓋を開けて「写ってないぞ!」と怒鳴る者。腕時計を二の腕につけて得意になっている者。秒針が動いているだけで満足気、止まっているとネジを巻くことも知らず「スパーチ(眠っている)」と捨ててしまう者…… 日本兵たちは数ヶ月収容された後、帰国させると言われて船に乗った。だが着いた場所はシベリアだった。彼らは2年から4年の間、過酷を極める強制労働を強いられた。収容所で、池田連隊長の最期の様子を聞いた関東軍の将校はこうつぶやいた……「池田さんはしあわせだなあ……」 シベリアには全部で60万人が抑留され、6万人が死亡したと長らく言われてきたが、それはソ連側が主張する過小な数字で、近年の研究では抑留者200万、うち死者40万、原爆投下に匹敵する大虐殺だったことが明らかになってきている。決して忘れてはならない蛮行である。 抑留生活を生き抜き、ようやく帰国した彼らに戦後の日本は冷たかった。戦後は、敗戦だけが語られ、勝ち戦は軽視された。まして、終戦後の戦闘だった占守島の戦いは、ほとんど忘れ去られていた。参戦者がたまに体験を話す機会があっても、返ってくる反応といえば、こんなもの…… 「ばかなことをしたもんだな。」「犬死だ。」 戦後50年を経てようやく現地慰霊祭が行われたが、厚生省の担当者が、「私は身内に戦死者がいないので遺族の気持ちはわかりません。」……と言い放つ始末。 慰霊塔を積み忘れ、戦跡を回る時間が十分取れないといったトラブルが続出。追悼の辞は総理大臣でも厚生大臣でもなく、派遣団長の厚生省課長補佐のもの。北海道知事からは花の一輪も供えられない。これで遺族が不満を言うと、「それなら、慰霊祭をやらないほうがいいというのか」と言う者までいたという。 これが池田連隊長が「弥栄(いやさか)」を祈った祖国なのか……。
Aug 18, 2007
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「ソ連軍無警告ニテ占守島ニ侵入ヲ開始ス」との第一報を受けた第5方面軍司令官樋口季一郎中将(札幌)の表情はきびしかった。すでに大本営からは戦闘行動の停止を命令されている。だが、すでに述べたように「自衛戦闘ハ妨ゲズ」という「但し書き」がある。 いずれを選択するか―――樋口が悩んだのは当然である。だが彼は、ソ連軍を「このまま放置すれば、北海道が危ない」と判断した。それはシベリア出兵のさい、ハバロフスクの特務機関員として、またポーランド駐在武官を経て、満洲国の哈爾濱の特務機関長としてソ連の、ソ連内情に詳しく、ソ連の行動様式を熟知している彼ならではの判断だった。樋口には北満の在留邦人を捨てて、満洲南部にいち早く逃亡した山田乙三関東軍司令官のような無責任な態度などとれなかったということである。彼は、ただちに「自衛戦闘」の命令を下した。 占守島守備隊の航空戦力―――といっても、わずか2機の艦上爆撃機(海軍)と、やはり2機の戦闘機(陸軍)が、勇躍出動し、そして、ソ連の駆逐艦2隻を撃沈し、また、上陸船団に銃撃を加えた。せめて10機の爆撃機があったなら侵攻ソ連軍を、1人残らずオホーツク海の藻屑としてしまうことができただろう。そうなれば、ソ連軍の千島占領の企画は挫折し、現在の「北方四島」の問題など起こらなかったかもしれない。だが、ソ連軍は上陸した。日本軍は、ソ連軍を水際で撃滅するべく攻撃したが、ソ連軍は橋頭堡を築くのに成功した。そして火砲を揚陸、本格的な攻撃を開始したのである。 日本軍は虎の子の戦車体を繰り出して逆襲を開始した。関東軍でも精鋭とされていた池田戦車連隊(中戦車30数輌、軽戦車20数輌)は、8月16日以来、終戦処理のため武装解除をはじめており、8月18日には海中に沈める予定だったのである。 池田末男大佐が連隊長を務める池田戦車連隊は突撃を開始した。上陸ソ連軍はこの日本戦車隊の逆襲に押され、多数の戦死者を遺して海岸の橋頭堡まで敗走した。もうひといきというとき、戦場に濃霧がかかった。視界は20メートルもない。行動を妨げられた戦車隊に、ようやくソ連軍の対戦車砲が反撃した。霧のなかにおぼろげに見える黒いかげを目標に100門の火砲が火を吹く。そして池田連隊長は27輌の戦車を失い、自身も戦死した。 日本軍も隣の幌筵島から援軍がかけつけ、師団は全力をあげてソ連軍の殲滅態勢をとった。停戦期限はその日8月18日の午後4時とされていた。それまでソ連軍を海に叩き落そうというのだ。 停戦交渉中も、ソ連軍は攻撃を中止しなかった。日本軍も自衛戦闘を続けざるを得ない。そして、正式の停戦協定が成立したのは8月22日だった。 この戦闘で、日本側の戦死350余、行方不明330余。それに対して、ソ連側では精鋭の海軍歩兵一個師団(1万)の約30%が死傷したとソ連軍戦史は記している。日本軍は戦闘には敗れなかったのである。 この占守島守備隊の敢闘は、ソ連軍の北海道強行占領の意図をみごと挫折させた。この4日間の守備隊の抵抗により、ソ連軍の北海道進駐が不可能となったのである。日本は分割占領の危機をからくも水ぎわで食いとめることができたのだ。 ソ連が北海道占領を意図していたことは、戦後まもなく、はじめてソ連を訪れた国会議員団がモスクワで見た地図に、北海道がすでにソ連領として彩色されてあったという事実から見て間違いないだろう。 もし、北海道が占領されたならば、本州北部(仙台以北)までもソ連の占領地帯とされた可能性もあり、そうした分断国家日本の戦後の復興は、はたしてどうなったかは疑問である。…(現代史への挑戦・佐治芳彦)これも割りと、淡々として筆記ではありまするな。そこで、やはりここいらを熱く語って一番なのは、小林よしのり、よりしんの「挑戦的平和論 下巻」は最終第11章「占守島の戦い」だろなぁ。…千島列島の最北端にあるのが占守島! 琵琶湖の半分ほどの大きさで、ソ連・カムチャッカ半島南端のロパトカ岬から13キロ程度しか離れていない。年間を通じて濃霧の発生が多く、冬は昼間が7時間ほどしかなく、気温は零下十数度。猛吹雪で積雪は2メートルに達する。10月から5月まで雪に閉ざされ、雪解けとともに四季の花が一斉に咲き、島全体が花畑と化す。 さらに東に目を向けると、アラスカ西端から連なるアメリカのアリューシャン列島がある。大東亜戦争当時、米軍が北方から日本を攻めることも考えられ、日本軍はアッツ・キスカの2島を占領した。しかし、米軍の反攻で1943(昭和18)年5月、アッツ守備隊2638人は大東亜戦争で最初の孤島玉砕を遂げた。だが同じ
Aug 18, 2007
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