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久しぶりの更新です。やはり、新しい仕事を完全に自分のものにするにはそれなりの時間、体力が必要です。ブログのことまで考える余裕がなかった、という感じですね。で、本当なら2月17日に書いておくべき日記を今日書きます。開港7年を迎えた「神戸空港」について、で。政治的な議論は、議員となられている政治家の方々にお任せします。私が書くのは、恐ろしいほど私的なことです。2006年2月16日。神戸空港の開港の日。私は、東京・羽田から神戸行きのスカイマークで、出張先の東京から神戸に夕方、帰って来ました。雨の日で。兵庫県のマスコット「はばたん」のワッペンとか入った記念品入りの袋を空港で受け取ってポートライナーで三宮まで帰ったのですが、その時の第一印象が今も私の中での神戸空港に対する印象となっています。『ああ、便利だなあ』本当にそう思いました。しかも、新幹線で新神戸から品川、あるいは東京に出るより、時間も短くお金も掛からない。空港を利用するまで、反対派の急先鋒みたいだった私は、開港の日から180度方向を変えて空港のファンとなったのでした。で、その空港がなければ、今の私の家族もおそらくいなかった、と思います。2007年3月。家内と付き合い始めた時、私は神戸市須磨区、彼女は東京都練馬区に在住でした。いわゆる遠距離恋愛でした。なれそめまで説明すると長くなるので、やめときますが、ここで神戸空港の存在が見事に2人の橋渡しをしてくれました。割引を使うケースも加えて片道8千円から1万円が当時のスカイマークの東京-羽田の料金。しかも、便数が今より片道2便ぐらいは多かった。これが使えました。うまくつなげば、須磨のマンションから練馬区の彼女の住むアパートまで2時間掛からずに行けましたから。これだと、遠距離という感じさえなく付き合えた。約1年間の交際。神戸と東京を月に2度はお互いが行き来する形。もし、神戸空港がなければ、こういう付き合い方は無理だっただろうな、と思います。ということは、1歳と3歳の2人の子供もこの世にいなかったことになる。だから、神戸空港の方向には、足を向けて寝られない、というのは事実なのです。神戸空港のあり方が取り沙汰されるのを聞くたび、『なんとかならないかなあ』と、だから、私は思います。今の私にとって、家族はかけがいのない存在です。家で仕事をしようとすると、1歳児、あるいは3歳児はそうは問屋が卸さない、とばかり待ち構えていますし、現実に、仕事なんか出来ません(笑)。ブログの更新さえもですから。1995年、時事通信の運動部記者としてオリックスの担当になった時、グリーンスタジアム神戸のバックスクリーン上ビジョンによく映し出されていた「神戸空港が出来れば・・・」の、市の広告に、『ケッ』と思っていた私。その私が今は…。東京と神戸をつなぐ、ということだけ考えると、あんな便利なものはなかった。過去形で悪いのですが、確かに5、6年前は神戸空港の常連客だった私は、実感として思います。問題が多いのは分かってますし、私の個人的な思いはむしろ少数派かもしれない、とも思ってます。それでも。うまく、空港が活用される道、誰かがきちんとつけてくだされば。あくまで、個人的な願いですが。(写真は開港の日の神戸空港、昨年7月に訪れた際の長男、今年 2月17日に開港7周年記念でやってきたウルトラセブンに 会ったわが息子2人、最後のだけは家内の撮影で見事なピンぼけです)
2013年02月23日

久しぶりの更新になります。本来は、14日のバレンタインデーに更新しようとして、いろいろ準備したのですが。思わぬことがあって、今日になりました。で、その思わぬことは、あしたにでも記します。14日。仕事が終わったあと、今の仕事を始めてから使っている神戸地下鉄・海岸線の4つの駅を見たり、歩いたりしてみました。まず、私は神戸市民ですが、三宮・花時計前駅から旧居留地・大丸前まで、地下道が完全に通じているのを知っていませんでした。いや、本当に。灯台下暗し、というかまあ、情けない話ですが。それで、この日は、そこを歩いてみました。通路の両サイド。広告の掲示板が続いているのですが、そこで目だったのは震災前から最近までの、神戸の街の宣伝ポスター。神戸の魅力を、キャッチコピー、写真あるいは絵、で一発に表現するお洒落なポスターがずらっと並んでいて、初めてそこを歩く私はの目は釘付けとなりました。キャッチコピー曰く「君たちは、この街のことをまだ知らない。」「課長のことも、アイツのこともすっかり忘れて 神戸でボケーションやってるよ」「見たこともない神戸であそぼ。神戸ヌーヴォー 六甲アイランド」どれもこれも、本当に、さずがプロの作品(だと思います)、と思わせる素晴らしいポスターで。しかし、ここで、ハテ?と私は思いました。本来は、このポスターのある空間は、商業ポスターがあるべきではないのか、ということです。何か規定があって出来ないのかもしれない(不勉強ですみません)のですが、それにしても、ポスターを見ながら歩いたせいもあるとはいえ、徒歩で10分以上の距離、ほとんど市の広告(?)なのはどうなのかな、と。もし、この通路が、通称・さんちかの三宮駅周辺の地下と同じぐらい認知されていたら、というか、人の行き来があるなら、こういう使い方はしなかったのでは、という疑問です。海岸線では新長田と駒ヶ林も地下道でつながっています。少なくとも、上り下りの始発となる新長田、三宮・花時計前の両駅は次の駅と地下道でつながっていることになる。これが、どういう意味合いを持つのか、は素人の私には正確には分かりません。ただ、歩ける距離に駅が2つある、という事実は間違いないでしょう。ということは、この2駅間(三宮から大丸、新長田から駒ヶ林)の区間だけを地下鉄に乗る人はほとんどいないのでは、と思います。これは単純に、ですが。ちなみに、地下鉄の一区間だけの運賃は200円。JRで三ノ宮から元町までが120円。これはあかんわな、と思います。まあ、こんなことは僕が言わなくても、すでに多くの人が言ってることだと思います。ちなみに、この日は、旧居留地・大丸前を上がって、次のみなと元町までも歩いてみました。これは、バレンタイン仕様のポートタワーを見るためでしたが。春節祭でにぎわう南京街を横目に通過して、目指す駅にはついたのですが、ちょっと、風景が以前と違う。そう、タワーロードから、ポートタワーが見えなくなっていたわけです。いや、たまたま僕の見方が悪くて、まだ十分見えるのかもしれません。あるいは、記憶が錯綜していて、前から見えなかったのかもしれません。ただこの日は、ビルの谷間の隙間からかろうじて見える以外、見ることが出来ませんでした。仕方なく、2号線まで海側に下って撮る形になりました。あんなんだったっけ?マンションが出来て、見えなくなってるんじゃないかなあ、と思ったけど、真相は今の僕には分かりません。で、みなと元町駅で帰るために改札に向かったのですが。ここでも、広告掲載の大きなスペースがいきなり、3箇所、何も入れられていないのが目に入ってきて。『ああ、あかん』ほんまに、こう思いました。なにがあかんのか、は説明出来ないのですが、大丈夫?といった次元を越えている気が僕にはしました。神戸の地下鉄海岸線。今の僕は通勤に重宝してます。しかし、朝、通勤時間帯であるべき8時半頃に駒ヶ林駅から乗る人、3人、とかいう世界がまともな訳がない。行政の責任、とかいうのは簡単なのですが、そんなことは言いません。今の私にとって、愛すべき、この海岸線、少しでも長く、そして場合によっては、『そこまで使われるようになるとは』と、過去を知る人が驚くような線にする手はないか。私なりに考えてみます。プロや学者が考えても難しい、ことをお前が、と言われても、考えるのは自由ですから。(写真*三宮・花時計前から旧居留地までの地下道、元町・春節祭、ポートタワー、みなと元町駅の改札までの通路)
2013年02月17日

今日(13日)から、「みんなの党」神戸市会議員団の政務調査員として、働けることになりました。神戸市役所が勤務先となります。とりあえずは、試用期間が2ヶ月。この間に、大きな失敗をやらかせば正規採用はなくなる契約ですから、気分的にはかなりプレッシャーが掛かってます。まあ、それでも、後がない、という気持ちでいますから、大丈夫じゃないか、とも。気力充実の時に、大きな失敗をしないのも自分の持ち味だと思ってますから。28年前の1985年。神戸市役所がある神戸・三ノ宮にあった新聞会館の2階。デイリースポーツ社で働き始めたのが私の社会人としての一歩でした。それから、約28年を経て、仕事場として神戸にようやく戻ってきた、という感じです。で、今日。「みんなの党」神戸市会議員団の政調会長である、かわなみ忠一市会議員に、政調員としての仕事として、主な新聞の記事のチェックを言われたとき。あるページで、『ああ、やはりどこか縁があるんだな』と思う出来事に出会いました。仕事の初日である今日、だったことに不思議さを感じたといえば良いのか。それは毎日新聞の7面、オピニオン欄でした。発信箱、と書かれたコーナーに写真入りで、ある記者の名を発見したわけです。名前は、小倉孝保さん。欧州総局が所属となっていました。おそらく、総局長か、論説委員のような肩書きなんだろうな、とは思いましたが。「英国の学校では体罰は犯罪だ」で始まる文章は、231対230、というわずか一票の差で1986年7月に英国下院で体罰禁止法案が成立、以後、体罰が法律上、禁止となった英国の体罰に関する現状を、きちんと分かりやすい事実だけで、小倉さんは繋いでいます。『さすがやなあ』と思いましたが、同時に、遠くまできたなあ、とも私は思いました。小倉さんは、私の大学のサークルの後輩。しかも、1985年から私がデイリースポーツで働き始めたのをみて、『あの人が出来るならオレでも出来る』と思ったに違いなく、記者志望を私に伝えてきました。その時、彼は関学大の2年生。その後、何度か、彼の作文とかを私が読む機会がありました。今の彼の立場を考えると恐れ多いのですが、「こうやった方が」とか言っていたわけです。だから、彼は就職の際、まっさきにデイリースポーツを受け内定を得ました。彼の力なら当たり前なのですが。その後、毎日新聞のテストを受け、結局はそちらに入られたのですが、その後は、中東やアメリカなど外信部で華々しい活躍を続けられ、雲の上の人(というのは彼に失礼かも。時々なりに連絡はありましたから)に。こちらが、時事通信をやめるあたりからは、音信不通になってました。それが。よりによって、この日に居場所が分かったわけで。「みんなの党」の政務調査員に試用とはいえ、雇われてなければ、そしてかわなみ議員が新聞のチェック(全ての面を見る必要はあると思います)を言ってくれてなければ、おそらく気が付いていない。そして。体罰を扱った原稿だったことにも縁を感じました。ある意味、体罰は私が30代後半から40代半ばにかけて書いた10を越える中・長編小説のテーマとして存在したものだったのですから。唯一、書籍になった「めっちゃピンぼけ」にしても、もちろん、このテーマからは離れていませんし。『遠くまで来たなあ』、今更のように小倉さんの原稿を眺めながら私は思いました。そして、そう思いながらも、またスタートラインに立てている自分の幸運さも思わずにはいられません。マスメディアを卒業、と2年前に決めた以上、前を向いて進むのみ。自分の仕事が、議員の方々のうまい助けとなり、神戸を、日本をより良く出来る方向に力添えしたと実感できる日がくれば。『遠くまで来た』ことも、感慨、とかいうセンチメンタルなものでなく、もっと力強いものとして感じられるようになるに違いありません。(写真は、毎日新聞のページ、サークルでの記念撮影=1984年=に残る 私=前、と小倉さん=後ろ)
2013年02月13日

毎度のことながら、変な時間に更新です。今日は、12日に神戸市須磨区の須磨海浜水族園で受けた「須磨ドルフィンコースト」プロジェクトの説明会から。ネットや新聞で概要とかは書かれてると思うので、私が書くのはあくまで私的な感想ということになります。須磨水族園のイルカライブショー。昨夏は、午後5時以後、9月2日まで何度でも入館できる「クールスポットパスポート」のおかげで、夕涼みがてら、子供2人(当時は3歳と0歳)を連れて何度(写真で見る限り4度は行ってます)も、最後の回を見させていただきました。おかげで、夏=イルカ、という構図が改めて私の頭の中には出来てしまったのですが、今回のプロジェクトはそのイルカのうち2頭を、須磨の海に夏の間(今年6月上旬から7月下旬にかけての間)放とう、というもの。ヨットハーバーの西の海域、と聞いて、『ああ、あそこか』と思いました。微妙に、海の家が切れた水域、地域。壁があって、それこそ、10年ほど前、「夏の支配者」という出版とかの形で発表されることがなかった初の中篇小説を、『実際に汗かきながら書かな分からへん』とか、変な理由を付けて、6月後半から7月半ばまで、雨の降らない日、プロ野球のナイター取材のある日の昼間、2、3時間書いていた場所です。今、考えるとただのアホですが。熱中症にならなかったのは奇跡ですよね。あの場所で、海にイルカが浮かんでいるのを見ながら何か書くとすると。違った発想が浮かんでくるように思えるから不思議です。絶対、そんなことはないのに、実際の気温より、涼しく感じられる気がしてならないのです。海で泳ぐイルカが、自分の生まれ故郷でもある須磨の町の活性化につながるならこんな嬉しいことはない。夏の須磨の海=ビーチバレー、という構図も最近、あまり聞かなくなった気がしますし。イルカが呼び水になって、須磨の海岸がいろんな形で注目を集めるようになってくれればいい。ベタかもしれないですが、単純にそう思います。海水浴→水族園、あるいは水族園→海水浴。元々、海岸を上がれば水族園はそこ、の立地ですから。海水浴を夕涼みに置き換えてもいいですよね。海に浮かぶイルカと夕日の写真とか、撮るのも見るのも楽しそうですし。と、本当にとりとめにない感想を書いた日記になりましたが、須磨の海が注目されるかもしれないことに『ああ、良かった』と思っていることだけは間違いありません。(写真は、昨年の須磨水族園関係のもの。活躍したクールスポットパスポート、夕暮れのドルフィンライブ、水族園からの夕闇)
2013年02月12日

3連休もあっという間に終わりましたね。先週、4日から8日まで「みんなの党」神戸市会議員団団長の大石よしのり市会議員のインターンとして勉強させて頂きました。これまで、デイリースポーツ社、時事通信社、日本ボクシングコミッションと3つの組織で27年間社会人として働かせてもらってきてましたが、その中で身に染み付いたことが生きたり、邪魔になったり、という5日間でした。まあ、簡単にいうと経験はやはりプラスとなり、慣れはマイナスになる、という当たり前のことを確認した、というだけのことですが。政治の世界は、国家を成り立たせる「司法」「立法」「行政」の3権が見事なほど入り組んでいます。それに加えて、組織のある地域、そしてそこに住む人々との係わりがあります。「何を当たり前のことを」と言われると、まさに、その通り。しかし、たった5日間に、大石議員に任された仕事、お供させて頂いた場所、お会いさせていただいた人、その全てが実態を伴ってその通りでした。この間、朝のビラ配りとか、戸別訪問(まだ未経験です)とかはありませんでしたが、政治家が自分の時間を確保する、というのも、真面目に取り組めば取り組むほど難しい、ということも確認させて頂きました。2月6日に傍聴させていただいた、「都市防災委員会」。午前、午後で合わせて4時間に及ぶ委員会でしたが、ここでは市の都市計画総局が資料として提出していた『民主党、自由民主党、公明党、自民党神戸の4会派から、改めて(中略)、配慮を求める要望書をいただいた。これを受けて(中略)開催することとした』と書かれた陳情に対する神戸市の考え方に噛み付いた(表現的にふさわしくないかもしれません)ベテラン議員の声が、会派を越えて印象的でした。曰く「(市会議員総数の)69名のうち、35名、というような要望書を書いて行ったら(要望をなんでも)聞いてくれるのか?」議会政治は、多数決で成り立つのが基本とはいえ、露骨に議員内の与党と野党を分けて、その上で与党の声しか聞かない、と取られても仕方ない神戸市の出した資料。陳情の趣旨とは関係ないことではあるのですが、『なんだかなあ』と、私も思ったのは事実です。他にも、いくつも気がついたことはあるのですが、今後、政治にこのまま携わっていく形になるようでしたら、またおいおい書かせていただきたいと思います。で、最初に書いた「経験はプラスになり、慣れはマイナスになる」ですが、はっきり書いてしまうと、調べたり分析したりは記者時代の経験そのままですから政治でも圧倒的にプラスに作用する、と実感しました。しかし、人と接する際の「挨拶」など基本を、あまり細かいことを言わない、言われない世界で長く仕事してきた私は、身に付けたのかどうかさえ、怪しいことになっています。政治の世界では、私はまだデビュー前の4回戦ボーイでさえありません。前職のJBCの前事務局長だった安河内剛さんは、「私はリングに立つボクサーを限りなくレスペクトしています」と公私、どこででも言っていましたが、これは彼がプロボクサーのライセンス(C級)を取りながら、リングに上がって戦った経験のないペーパーボクサーとして終わったことにもよります。同じことは私にも言えます。政治の世界で、某党に国政選挙の公認をもらったことはボクサーに例えればライセンスを交付されたのと同じだったと思います。しかし、リングに上がる前にやめてますから話にならない。やり切った方々に、敬意を払うのは当たり前です。長くなりましたが、ともかく、学ぶことばかり。幾つになっても学べる喜び、は十分実感してます。今後も、こんな日が続く環境に身を置けるようになれればいいな、と思えることが幸せかも。(写真は、神戸市役所の「みんなの党」の部屋のある階からの眺め、 全く関係ないけど11日に長男と家内がウォークラリーに行った高取山からの風景、 その間、私がお守りしていた1歳1ヶ月の次男)
2013年02月11日

久しぶりに、ブログを更新します。4日から8日まで、神戸市会議員でみんなの党神戸市会議員団団長の大石よしのりさんのインターンとして神戸市役所を中心に学ばせていただいたのですが、私なりに気を張る形となりまして(笑)。帰ると、もう夢の国、みたいな日が何日か、になってしまってました。5日間のことは、あした(9日)からの休日の間に書きますね。で、今日。神戸市は長田区の、神戸地下鉄海岸線の駒ヶ林駅付近で感じたことを書きます。今日書かないと、書かない気がするので。私の住まい(新長田再開発地区にあるマンションの一室です)は、地下鉄・新長田駅から徒歩約7分、駒ヶ林駅からは同約6分の距離にあります。なんで細かい数字を書くか、というと、神戸市役所内の「みんなの党」の部屋へ向かうのに、朝の1分間が非常に貴重な形になるためで(笑)。1分でも長く寝ていたい、という私の切なる願い実現のためにも、新長田駅より、ほんの少し近くにある駒ヶ林駅の存在はありがたい。しかも、こちらの方が三宮に近いので、電車の到着時間も1分間、新長田より遅くなる。都合、朝の貴重な2分間を、新長田駅へ行かず駒ヶ林駅へ向かうことで私は得ることが出来ていた訳です。まあ、そんなことはいいのですが、駒ヶ林駅で乗り降りするようになって突然、意識したのは音、音楽でした。新長田駅は、鉄人モニュメントの最寄駅とあって、おなじみの鉄人の曲が流れてきても、当たり前、のこととして気にもせずに構内を歩いていたのですが、駒ヶ林駅で鉄人のテーマ曲が流れていることにものすごい違和感を感じてしまった訳です。理由は、今日、突然気付きました。駅の壁画との兼ね合い。新長田駅の壁に描かれているのは鉄人28号で、駒ヶ林駅の壁に描かれているのは三国志。鉄人の画をバックあるいは、横に見ながら、鉄人のテーマ曲を聴かされるのは、違和感がない、どころか、勇気をもらったような気分になる。ところが、三国志の画を横目で見ながら、鉄人のテーマ曲を聴かされると、これはもう、で。まさに『違う』の世界だと気付いた訳です。人間の五感の中で、聴覚と視覚、この2つを同時に刺激する形で効果を挙げているのが新長田駅なら、ミスマッチで「?」という効果になっているのが駒ヶ林駅。そして、決定的なのは壁に描かれた三国志には、鉄人のような誰でも知っているテーマ曲が存在しない、ということだ、という結論に私は達しました。音の効用。駒ヶ林は「三国志」の街を売りにしてます。私はそう認識してます。その「三国志」に決定的に欠けているもの、それは「音=音楽」ではないのか、と。3歳のわが息子は、新長田駅から一番街商店街にかけて鉄人のテーマが流れていると、その曲に合わせて「ビルのまちをガオー」と歌うのが習慣になっています。もちろん、私はその曲が出来たリアルタイムの頃から知っている(笑)。もう50年近く生きている曲という訳です。駒ヶ林駅、そして周辺の寂しいとしか言い様のない光景を見る時、ここに「画」と合った誰でも知っている音楽があったら、違う光景もあったのかもしれない、と思います。同じ横山光輝さんなら、「魔法使いサリー」や「仮面の忍者赤影」など、最低、私たちの世代には確実になじみのある「曲」を持ったキャラクターもあったのに。街のにぎわい、を音の観点から考えた時、駒ヶ林にとって痛恨(失礼)だったのは、誰でも知っているテーマ曲を持たないキャラクターをシンボルに選んだことにもあったのでは?そう考えてる最中にも、鉄人28号のテーマが私の頭の中には流れているのですが(笑)。(写真は昨年の「三国志祭」、新長田駅の鉄人28号画、駒ヶ林駅付近)
2013年02月08日

神戸市長田区の、長田神社で行われた「古式追儺式」を初めて見に行かせていただきました。節分といえば、豆まき、の発想しかなかった私にとって、室町時代から約650年間続いている、という、重要無形文化財にも指定されている神事は、興味の的だったのですが、今日は家族(家内、子供2人)が一緒だったこともあって、ずっと見ている、というのは残念ながら出来ませんでした。大体、1歳、3歳の子供に合わせると、スタートから「もうほんまに」という感じで。1時に現地にいるつもりが、3時半着ということになってしまいましたし。でも、追儺式の魅力は十分に味わえました。長男を、よく見せてやろう、と肩車して前で見せたら、あまりの迫力もあって「怖い」と、後ろ向きに。以後、前の方で見ることは出来ませんでしたが。中抜けもありましたが、大体6時半の、最大の見せ場という「餅割りの儀」まで、自分の住んでいる場所の近くでこういう、格式のある儀式が見れる、ということに感謝。厄除けのうどんは、すでに完売で食べられませんでしたが、厄除けの餅はしっかりといただいて参りました。それと、厄除けの割り符。3度息を吹きかけて、真ん中からバキっと割るのですが、これ気持ちいいのよね。ということで、今年は家の中での豆まきはなし(笑)。あしたからは某所で、今後の生き方に大きく作用すると思われる実習に入ります。厄除け、が生きることを祈るばかり。(写真は、追儺式、食べられなかった厄除けうどんの掲示、 途中で抜けた時に街中で見つけた儀式の紹介写真、厄除け割り符)
2013年02月03日

夜中ですが更新します。 先にどこに向けて発信してるのか、神戸市の広報への疑問に関するシェアをしましたが、私もひとつ。 手元にある、フリーペーパー。名前を「2011SHIN-NAGATA STREET BOOK」(新長田ストリートブック)といいますが、1年半ほど前、須磨から新長田へ転居を考えた時に、新長田再開発地区にあったモデルルームでもらったものです。16ページの中に、長田の由来から始まって、祭り、鉄人、三国志の横山光輝の世界、靴、映画、グルメ、商店街、などなど、ほぼ新長田の再開発地区の文化、衣食を網羅している我が家にとって掘り出し物のタウンガイドとなっています(家のまん前にある菊水温泉も紹介されてる)。 で、このフリーペーパー、どこを見ても、編集、発行人の名前がない。裏表紙にあるマンションの広告に、神戸市、名鉄不動産、長谷工コーポレーションの名前があるので、そのどこかか、全てが作ったという想像は出来るのですが、実際には分かりません。 手に入れてから1年半を経た今も、我が家にある新長田地区限定のガイドブックはこれだけ。というか、本当に重宝していてこれしかいらない、と言っていいぐらいですね。 我が家大推薦のこのフリーペーパー(ガイドブック)、発行人が分からない以上、新しいものがあるのかどうかも分からない。まあ、その気になれば長谷工コーポレーションとかに聞くでしょうが、今は必要ない。ただ、おススメショッピングとして載せられている琉球ワールド沖縄宝島と大丸新長田店が無くなるなど、やはり状況は変わってますから、新しいものがあるなら手に入れた方が便利なのは確か。 で、こういうものを神戸市が「再開発」を謳うのであれば、きちんと毎年作って、JR新長田駅や地下鉄の駒ケ林駅に置くだけで、訪れた人への大サービスになるのは間違いないと思います。少なくとも、私と感性が近い人には大いなる助けになります。 街に住んでいる人、あるいは訪れた人向けならこういうフリーペーパーの活用が実は、非常に効果があると私は思います。駅ごとに、「街の魅力発見」(新長田ストリートブックの表紙にある文句、そのまま)を謳うしっかりしたものがあれば、立派な広報になる。実際には、私が知らないだけで、とっくにやってるのかもしれません。ただ、新長田に限ると、引っ越してきた昨年9月から今まで、そういうまとまった無料配布のタウンガイド、にはあたっていない(MAPなどはありますが)。 観光も含め、神戸市が街の魅力を売りにする、というならこれぐらいまとまったタウンガイドを街ごとにフリーで配布するのも手として悪くないのでは? すでにやっていて、私が知らないだけの可能性はあります。もし、そうでしたら、先に謝っておきます。すみません。まあ、とりあえずジャーナリストの看板は降ろしてるので許してください(笑)。 (写真は全て「新長田ストリートブック」から)
2013年02月02日

今日も、やわらかい話題です。昨夜は、神戸市須磨区の「創作DINING NENGOROYA」で行われた「日本酒を文化として語り味わい学ぶ会」に参加させていただきました。昨年12月末まで、私自身、約5年間、禁酒していたのですが、なんだかふとした気の迷い(笑)、である人と一緒の時だけは禁酒を解くことを決めました。その、ある人も参加されていたので、この会ではめでたくお酒OKで。日本酒自体は、正月のお屠蘇も含めて2008年以来、飲む形になりましたが。店の雰囲気、入れるもの(グラスか、お猪口か)、一緒に飲むメンバーで味の感じ方が見事に変わることを改めて確認しました。というか、グラス系のものに日本酒を注ぐ、ということ自体、初体験だったのですが、これ、本当に味がワイン風に思えてしまうから不思議で。お店が、場所的にも隠れ家といえる、洒落た内装を持ったところだったのもお店が、場所的にも隠れ家といえる、洒落た内装を持ったところだったのも“ほんとならデートスポットなのにな”と、私に思わせるに十分でした。12種類の日本酒がテーブルに出される形だったのですが、帰りに一緒に参加した方々に迷惑をかけるのが嫌だったこともあって、8種類目を飲んだあたりで、新しいものを口にすることを私は断念。だから、飲み比べ、は出来てません(笑)。適度に酔って、気持ちよく話して。飲み会って、こうだったよな、と久しぶりに昔を思い出した夜。少し遅れた報告になりましたが、楽しい今年一月の最後の夜でした。(写真は出された日本酒のボトルとお店の中。とても日本酒と思えないラベルを持ったお酒もありました)
2013年02月01日
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