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アナ・ルイーザ・アゼベード「ぶあいそうな手紙」シネリーブル神戸ゴジラ老人を自称しているシマクマ君は太り過ぎで困っています。歩くことが今のところ苦になりませんから、とにかく外出して歩くことを目指していますが、行き先のない「散歩」、あるいは「ウォーキング」は苦手です。 というわけで、酷暑の中、今日もシネリーブルにやって来ました。神戸駅から歩きはじめて、元町映画館でちょっとおしゃべりをして、もう一息歩きます。 今日の狙いは「ぶあいそうな手紙」です。題名が不愛想なので不安でしたが、何となくな予感はありました。で、大当たりでした。ブラジル南部、ポルトアレグレの街のアパートで一人暮らすエルネストが主人公です。彼は78歳の独居老人ですが、どうも目が不自由なようです。 彼は隣国ウルグアイからやって来て、もう、何十年もブラジルで暮らしているのですが、ウルグアイには友達がいるようです。その旧友の死の知らせの手紙が届くところから物語が始まりました。 ほとんど目の見えないエルネストがどうやって手紙を読むのか、どうやって返事を書くのか、という人間喜劇風のトラブルをめぐって、エキセントリックなブラジル娘ビアとの出会い、葉巻を吸う隣の老人ハビエルとの交友を軸にした展開で描かれている、宣伝の文句のとおり「ハート・ウォーミング」な作品でした。 こう書くと、お気楽なコメディかなにかのように聞こえるかもしれませんが、この映画は、所謂「ウェル・メイド」な「ヒューマン・コメディ」ではないと思いました。 というのは、隣国ウルグアイの公用語がスペイン語であり、ポルトガル語が使われているブラジルでは、家政婦としてやってくる女性にはスペイン語の筆記体の故郷から来た手紙が読めないということが当たり前の事実として描かれてる南アメリカの歴史を抜きにこの作品は成り立ちません。 加えて、40数年前、エルネストは何故ウルグアイからブラジルにやって来たのかという理由が、彼が映画の中で朗唱する詩の文句と、ブラジル娘ビアが最初に彼の書棚から盗み出す本が「休戦」という作品であり、ビアにエルネストが薦める映画が「自転車泥棒」であるというところに暗示されているようです。 ぼくも知りませんでしたが、気になって調べてみると「詩」と「小説」はマリオ・ベネデッティという、1970年代後半から80年代半ばにかけて軍事政権であったウルグアイからの亡命作家の作品だそうですし、「自転車泥棒」は言わずと知れたイタリア映画の傑作ですが、70年当時のウルグアイを始め、南米で民主化運動をする学生たちに人気のあった作品だったのだそうです。 マテ茶をウルグアイ風に入れながら、親しくなったビアにさしだすエルネストの「故郷喪失者」、「ディアスポラ」としての人生をなにげなく描きながら、思いがけない結末を用意していた監督アナ・ルイーザ・アゼベードはただ者ではないと思いました。 エルネストを演じるホルヘ・ボラーニと隣人ハビエルのホルヘ・デリアが、彼の地では名だたる芸達者であるに違いないと思いましたが、ビア役のガブリエラ・ポエステルの、印象的な目は二度と忘れないと思いました。 それにしても、酷暑の中、歩いて行った甲斐があったというものでした。ブラジル映画恐るべしでした。 監督 アナ・ルイーザ・アゼベード 製作総指揮 ノラ・グラール 脚本 アナ・ルイーザ・アゼベード ジョルジ・フルタード 脚本協力 セネル・パス 撮影 グラウコ・フィルポ 編集 ジバ・アシス・ブラジル 音楽 レオ・ヘンキン キャスト ホルヘ・ボラーニ(主人公・エルネスト) ガブリエラ・ポエステル(ブラジル娘・ビア) ジュリオ・アンドラーヂ(息子・ラミロ) ホルヘ・デリア(隣人・ハビエル) アウレア・バチスタ 2019年・123分・ブラジル 原題「Aos olhos de Ernesto」 2020・08・18シネリーブル神戸no63追記2020・08・27 チッチキ夫人とピーチ姫が、久しぶりの二人映画を楽しんできたようです。「おかんがキッパリ言うとったから、安心した。」「なにを?」「エルネストと息子の様子に感動したらしくって、私らの老後はほっといてくれていいよって。」「?????」「親子は、ああでなくっちゃって。」「でも、あの息子、金は援助してたやん。」「うちの場合、ない袖は振れない。それが現実や。」 わけのわからない会話で申し訳ありませんが、主人公の最後の出発に心が動いたチッチキ夫人が、何か口走ったようです。 ところで、シマクマ君はエドゥアルド・ガレアーノというウルグアイの作家を見つけてしまって、興奮しています。 感想どころの話ではなさそうです。追記2023・04・01うーん、3年ほど前の話を、全く覚えていない自分が怖いのですが、これから、だんだん、そうなるのでしょうね。まあ、そんなことを考えながら修繕しました。ボタン押してね!にほんブログ村
2020.08.19
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パブロ・ソラルス 「家へ帰ろう El ultimo traje」 シネリーブル神戸 映画com(映画情報はここをクリック) 映画が始まった。 画面いっぱいに目ばかりぎょろぎょろしていて、とても街の仕立て屋には見えないこの男の顔がある。 男は不機嫌だ。手触りがごつごつしていて、見かけもよくない。その上、嵩も高いし、重くて邪魔になる。どこかで静かに転がっていてほしい、そんな岩のような老人がいる。 娘たちに疎んじられたリヤ王の顰に倣うかのように老人はさまよいでるのだ。行き先は、小さなメモ用紙に書かれてはいるが、決して声に出して読み上げようとしない。 書いてある国の名は「ポーランド」。アルゼンチンからポーランドは遠い。頑固にこだわり続けながら、一方で、ころがる大岩のように無計画な旅。 70年ぶりの帰国なのに、理由も目的地も説明しないうえに、賄賂をちらつかせる老人を、今時、おいそれと入国させる管理官はいないし、安ホテルの置き引きは何の容赦もなく全財産持って行ってしまう。だいたい、陸路でドイツを通らずポーランドには行けない。 疲れ果てて居眠りする老人の夢が、彼を頑固な岩にしたいきさつを語る。岩で全身を鎧い、思い込んだ執念だけの男の「心の友」は、あの時以来、70年間、痛み続けた右足だけだ。 アコーディオンをひいて殺された父親。 10歳になれなかった美しい妹。 番号を入れ墨されながらも逃げ延びた青年。 夢は過酷な過去をなぞりながら、その過去の現場に戻る事を恐れる老人の「生」そのものを映し出してゆく。 でもね、助けてくれるおばさんや、若い人もいるんだ。 右足を切断しないと判断してくれた医者とそれを伝え、車で送ってくれる看護師。 何だか凄みのあるホテルの女主人。 ベンチで隣に座った青年。 とてもコーデリアとは言えないが、父親と同じ刺青をしている末娘。 困った老人を放っておけない旅する文化人類学者や旅人たち。 ひっそりと、街の仕立て屋暮らしを70年続けて、今でもミシンの前に座り続けて老人を待っていた男。 枯れ木のような老人が岩のような老人を抱きかかえる。 エンドロールが流れ始める。岩のような老人の後ろ姿を見つめながら、涙が止まらない。こうして、一人の男が生きてきたことが、旅の途中、出会った人たちに伝わっていたことがうれしかった。同じようにじっと黙って暮らしながら、待っていた男がいたことがうれしかった。 一着の青いスーツを運ぶ旅。大文字で語られる歴史ではない。人間と人間が生きて出会う姿を描いた監督に拍手。 監督 パブロ・ソラルス キャスト ミゲル・アンヘル・ソラ(ブルスティン・アブラハム) アンヘラ・モリーナ(マリア) オルガ・ボラズ(ゴーシャ) ユリア・ベアホルト(イングリッド ) マルティン・ピロヤンスキー(レオナルド 隣席の男) 原題 El ultimo traje 2017年 スペイン・アルゼンチン合作 93分 2019・01・22・シネ・リーブル神戸(no13)追記2019・06・16「ドイツという国には、決して足を踏み入れたくない。」虚仮の一念のように、生涯、ドイツを憎み続ける主人公の老人がいる。その思い込みは、時に滑稽でおろかに見えるかもしれない。しかし、同じように日本のことを感じている人が、アジアにも大勢いることを笑ってごまかすことはできないと思う。 生きている人間・生きていた人間を、あたかも消しゴムで消すような真似はしてはいけない。 否応なく、その時代と社会を生きてきた老人の「右足」がすべてお見通しなのだから。 そう感じた映画でもあった。追記2020・04・03 徐京植「プリーモ・レーヴィへの旅」(晃洋書房)という本を読み終えて、この映画を思い出した。 歴史を、今を生きている人間の都合で偽ってはいけない。個人のであろうが、国家のであろうが、「ことば」にして言う必要が必ずしもあるわけではない。思い出したくないことも、言いたくないことも、あるいは、言ってはならないと感じることさえあるだろう。もちろん、言っても誰にも通じないこともある。 しかし、あったことを、なかったことにして吹聴するようなことはしてはならない。 「プリーモ・レーヴィへの旅」の感想は題名をクリックしてみてください。にほんブログ村家へ帰ろう [ ミゲル・アンヘル・ソラ ]
2019.06.16
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