読書案内「水俣・沖縄・アフガニスタン 石牟礼道子・渡辺京二・中村哲 他」 20
読書案内「鶴見俊輔・黒川創・岡部伊都子・小田実 べ平連・思想の科学あたり」 15
読書案内「BookCoverChallenge」2020・05 16
読書案内「リービ英雄・多和田葉子・カズオイシグロ」国境を越えて 5
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和田誠「わたくし大画報」(ポプラ社) 市民図書館の新刊の棚で見つけました。はて、なんで? 著者の和田誠は数年前に亡くなった方のはずです。で、手に取って奥付を見て了解しました。1982年だそうですから、40年前に講談社から出版された本のポプラ社による復刊でした。 コミカルで、ほのぼのしたイラストの「のみのピコ」とか「あな」とかの絵本や、本の装丁、挿絵のイラストレイターとして、確か、1970年代半ばに人気者になった彼が、「お楽しみはこれからだ」(文芸春秋・国書刊行会)をはじめとする映画とかのイラスト付きエッセイで大活躍しはじめたころのエッセイですね。「麻雀放浪記」、「怪盗ルビィ」の映画監督になるちょっと前ですね。 で、借り出してきて、読み始めてとまりません。時間的には、40年以上も古い話で、いきなり、いずみたくとか永六輔とか中尾ミエとか出てきても、今の若い人には「???」 なのかもしれませんが、こちとらは、まあ、その時代の人間なわけで、懐かしさもあり、和田誠の物言いの楽しさもありで、速読(笑)でしたが、巻頭エッセイがこんな感じです。「猫について」 一九七四年十二月 わが家に猫が来た。 妻はこの猫の種類をアビタシオンだと言う。高級マンションのような名前の猫だなあと思ったが、よく聞いてみたらアビシニアンというのであった。そう言えば結婚した時に、いずみたく氏から蘭を贈られたのでありますが、この蘭の名をシンポジウムだと言うのですね。蘭の品種について討論でもするみたい。これも人に聞いたらシンビジウムというのだそうである。 さて、この猫だが、実は片親がアビシニアンで、どちらかが雑種なのだそうだ。ぼくはその方を好みます。名門は肌に合わない。ところでクレオパトラが飼っていた猫がアビシニアンだったそうで、アビシニアというのはエジプトの地名なのだという知識を妻はどこから仕入れて来た。妻はもうクレオパトラになった気でいるようだ。七月十四日生まれだから誕生日を憶えやすい。しかし猫の誕生日を憶えていても役に立つかどうか。それはそうと名前であるが、妻は「桃代」と名付けたのであります。何故か妻は幼い頃から猫に対して「桃代」というイメージがあったのだそうで、もっと正確には「桃代のシン子さん」というのが適当なのだと言う。「だって一重瞼の人はシン子さんていう感じだし、ネコは一重でしょ。どうしても洋子さんて感じじゃないもん」と言うのだが、このへんを理解できる人は少ないのではないかと思うのですけれども。(P17~P19) 巻頭のエッセイの出だし半分の引用です。後半は桃代さんとの暮らしですが、妻と呼ばれているのは平野レミさんですね。 上の左のページが桃代さんです。桃代はこんなふうに上むいて眠る とキャプションがついています。まあ、イラストがサイコーですね(笑)。 一九七四年の一二月から一九七六年九月までは「家庭画報」と題して、一九七九年一〇月から一九八一年九月までは「渋谷画報」と題して、隔月発売だったらしい「別冊小説現代」(講談社)、後に「小説現代」(講談社)に隔月連載されていたエッセイの単行本化です。 最後の記事は一九八一年九月号に掲載された分で、そこに「向田さん」という記事が載っていますが、まだ五一歳だった向田邦子さんが飛行機事故で亡くなったのは、この年の八月でしたね。和田誠さんも、今では、もう、この世にはいらっしゃいません。 楽しく読みながら、色んな人が亡くなっていくのを、まだ、若かった自分自身がどう受け止めていたのか、やはり考えてしまう読書でした。「同時代を生きる」とかいういい方がありますが、和田誠さんが、あれこれおもしろく書かれている、この時代を生きていたんですね。 新刊ですから、図書館で借りられます。なつかしい方はぜひどうぞ。イロイロ、思い出せますよ(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.11
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丸谷才一「猫のつもりが虎」(文春文庫) 表紙の絵が、なかなかいいとお思いになりませんか?丸谷才一のエッセイ集、「猫のつもりが虎」(文春文庫)ですが、もともとは「ジャパン・アヴェニュー」という、どこかの会社の広告誌に連載されていたエッセイを、マガジンハウスが2004年に書籍化した本で、文春文庫になったのは2009年ですね。 表紙をご覧になれば、すぐにお気づきだと思いますが、1章で1話、章ごとに和田誠のイラストの表紙絵と挿絵があって、400字の原稿用紙にして12枚程度、5000字弱の一話完結のエッセイが、全部で18作収められています。イラスト一つに原稿用紙6枚という釣り合いのようですが、これが、某所のお供にぴったりなんですね(笑)。 で、表紙は、本書の前口上というか、はじめにに当たるエッセイの挿絵です。 虎を描いて猫に堕す、とおぼえてゐたけれど、本当は、虎を描いてお犬に類す、らしい。とにかく絵が下手なことの喩へ。でもそれなら、ネコを描いたのに虎に見えたら、これは名人なのか。やはり下手なんでせうね。 しかしわたしの友達に言はせると、江戸時代は日本に虎はゐなかつたから、圓山應擧の虎の絵は自分の家の飼猫を見て写生したにちがひないさうである。そのせいで、猛獣でありながらどこか優しい風情があつてよろしいとのことであつた。 本当かしら。 今更いうのも気が引けますが、うまいものですね。こういうウィットというか、ユーモアというかが丸谷エッセイの持ち味ですが、一つだけ注意事項をあげれば、旧仮名遣いなのです。英文学、ジェームス・ジョイスの研究あたりから出発した、結構、バタ臭い世界の人なのですが、2012年に87歳で亡くなるまで、日本語表記に関しては、最後まで旧仮名遣い、歴史的仮名遣いを貫いた人なのですね。まあ、そこを、めんどくさいと感じる方もいらっしゃるかもしれませんね(笑)。 でも、まあ、お読みになれば慣れてしまうものです。試しに、最後に収められている「日本デザイン論序説」を引用してみますね。 和田誠さんとお話してゐて、わたしが、日本美には単純美とゴチャゴチャ美と二種類あるらしい、といふことを言つた。 その典型的なものは、能の舞台面の単純簡素と、歌舞伎のそれの複雑繚乱ですね。まるで違ふ。殊に対立が顕著なのは、能の橋かかりがすつきりしてゐるのに対して、歌舞伎の花道は役者(何人もの役者の場合もある)の向うに見物席があつて、そのまた向うに一段高く桟敷があつて、見物の女の人たちが着飾つてゐて、その上には桜の枝や赤い提燈と、じつににぎやかなことである。 すると和田さんが、思ひがけないことを言ひだした。 その対立を最も極端な形で示すのは家紋だ、といふのですね。一方には黒い丸を一つなんて、無愛想なくらゐあつけないものがある。他方には竹藪のなかに雀が二羽なんてものがある。さう言つたんです。 なるほど。いい着眼だなあ。 まあ、ここまでが枕ですね。ここからのうんちくの展開が丸谷才一ですね。 事典で調べてみますと、たとへば井伊家の井筒なんてのは井の字を太く書いたけ。まことにそつけない。加藤家の一蛇目は黒丸のまんなかが 抜いてある、ただそれだけ。毛利家の一本矢羽なんてのも、黒い輪のなかに黒く塗りつぶした矢羽が一つ。御存じ島津家の十文字は丸に十。黒い丸といふのは黒田家のその名も黒餅でした。 得意の展開です。まず単純な家紋が出てきましたから、当然、複雑な方は?と気になります。で、お好きな方は、ネット上に「家紋一覧」とかいうサイトがないか探し始めて、見つけ出します。 ああ、一蛇目って、こういうのだ。 とかなんとか寄り道しながら、次に進むとこんな感じです。 そしてこれに対するものは、まづ伊達家の竹の丸に二羽雀。二本の竹の輪のなかで雀たちも窮屈さうだし、笹の葉をたくさん描き添えなくちやならないからじつに厄介だ。鳥居家の二本竹に宿り雀といふのも面倒ですね。でも、こっちのほうが雀がのんびりしているか。 こうなると、「こっちが伊達でしょう。」「で、こっちが鳥居ですね」としばし夢中ですね(笑)。 で、読んでいた本のほうでは、話が家紋から、社会全般に進んで結論に向かうようです。単純と複雑が対比して並べられます。笑えます。伊勢神宮 対 日光東照宮小津安二郎の後期の映画に出てくる山の手の邸の室内 対 帰ってきた寅さんが訪ねる柴又の家の室内日本橋榛原の封筒 対 三条新京極さくら井屋の封筒五十円や八十円の普通の切手 対 日本画の名作を使った記念切手「週刊朝日」「週刊文春」の表紙 対 女性週刊誌の表紙 いろんな分野のデザインに表れている、単純と複雑、棲み分けの妙ですね。丸谷さん、お暇ですね。でも、ナルホド、ナルホド、で、面白いでしょ。 でね、棲み分けられないデザインが一つあるんですね。なんだと思います?どっちか一つに決めなければならない場合ですね、困るのは。 で、最後のうんちくは「日の丸」です。 まあ、ボクは、日の丸を見ると、ちょっとうんざりするタイプなのですが、金屏風からクリムトの例の絵まで持ち出して語る丸谷才一の結論(?)には、ちょっと、笑いましたね。気になるでしょ。お暇な方にはピッタリの「遊び時間」になりますよ。
2023.07.21
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菅野昭正編「書物の達人 丸谷才一」(集英社新書) 大文学者とかいうのは、なんか気が引けます。まあ、最後の文人とでも呼ぶのがふさわしい丸谷才一ですが、2012年に亡くなった翌年の2013年、世田谷文学館というところで「書物の達人 丸谷才一」と題されて開催された「連続講演会」が書籍化されて2014年に出版されたのがこの本「書物の達人 丸谷才一」(集英社新書)です。 市民図書館の新刊の棚にありましたが、新刊ではありません。目次はじめに 丸谷才一の小説を素描する 菅野昭正第1章 昭和史における丸谷才一(川本三郎)第2章 書評の意味―本の共同体を求めて(湯川豊)第3章 快談・俳諧・墓誌(岡野弘彦)第4章 官能的なものへの寛容な知識人(鹿島茂)第5章 『忠臣蔵とは何か』について(関容子)あとがき 菅野昭正 この目次によれば、講演者が5人ですが、実はフランス文学の菅野昭正の「はじめに」はかなり気合の入った丸谷才一論です。特に、初期の代表作「エホバの顔を避けて」、「笹まくら」という二つの作品を俎上にあげ、中期の「たった一人の反乱」以後への、丸谷流モダニズム小説の変遷をその英国文学体験から語り始める展開は、なかなか読みごたえを感じました。 残りの五人の論者も、それぞれ、「戦争体験と永井荷風」(川本三郎)、「新聞書評と英国文学」(湯川豊)、「国学院と折口信夫」(岡野弘彦)、「モダニズムと官能論」(鹿島茂)、「中村勘三郎と歌舞伎」(関容子)という具合に焦点化した視点で語られていて、丸谷才一という多面体が、5人の論者によって多面的なエピソードが持ち出され、ほぼ全面展開している様相で語られていて飽きません。 まあ、そういう奇特な方がいるのかいないのかはわかりませんが、文人丸谷才一を相手に「遊び時間」を過ごしてみようかという方には、うってつけの入門書かもしれません。 まあ、ボクにとってはですが、これは!というようなものすごい話がいくつかあったのですが、その中から一つ、案内してみます。 第三章の講演者、岡野弘彦という方のお話の中からです。岡野弘彦と言えば、三重県だったかの神社の跡取りで、折口信夫の弟子です。で、國學院大學で丸谷才一とは同僚だった歌人です。その岡野弘彦が「忠臣蔵とは何か」(講談社文芸文庫)という丸谷才一の評論を取り上げて、日本人の信仰の形について語っている一節があるのですが、そこでこんなことをおっしゃっています。 これを言うのに少し勇気がいるけれども、丸谷さんをしのぶ会で柔(やわ)なことを言ったら、丸谷さんはきっと怒るだろう。丸谷さんの魂もまだ鎮まってないでしょうから(笑)。大事な問題だから言っておきます。 日本人は近代になって、革命と言ってもいいような明治維新を遂げたわけですけれどども、その時、多くの死者が出た。そして、その死者の魂の鎮めの問題は今でも続いています。幕末の維新が遂げられて、近代国家へと歩み始めた直後は無理だったでしょうけれども、一〇年、三〇年と経過していくうちに、例えば、佐幕派の東北諸藩の死者たちをなぜあのお社に合祀してやらなかったのか、あるいは、幕府の遺臣たちの中で命を縮めていった人たち、江戸を守ろうとして死んだ人たちをなぜ祀ってやらなかったのか。あるいは、あの八甲田山の演習の死者たちをなぜ祀ってやらなかったのか。 明治、大正、昭和の三代は日本が近代国家になるために外国と戦いをいくつもした。そして、敵、味方の多くの人が亡くなりました。特に今度の戦いの後、昭和天皇はA級戦犯を靖国に祀ることに絶対に反対であった。それを宮司さんが代わって、福井藩士の松平春嶽のお孫さんで海軍の高級将校であった人が宮司になった途端にA級戦犯を合祀した。それは昭和天皇の与り知らないことであったわけです。そのときから昭和天皇は靖国神社へ参拝なさらなくなった。今の天皇もそれを継いでおられます。 今の天皇は明治、大正、昭和の天皇とは違っております。先の三代はあんなふうにいくつも戦いがあって、我々の先輩たち、祖先たちは戦い抜いて、そして、この近代国家、日本ができたわけです。しかし、同時にその戦いの相手の国、あるいは、東洋の近隣の諸国にいろいろな被害を及ぼした。そのことを、敵も味方もへだてなくその魂を鎮めるということに専念していられるのが今の天皇です。そして、昭和天皇よりもさらに細やかに地方を回られ、戦跡を訪ねて、敵、味方の魂を鎮めるためにあんなに敬虔に祈られる天皇と皇后というのは歴史の上にも前例がないほどです。 だから、そういうことを考えると、今の政治家たちの発言の不用意さというものが、私には嘆かわしいことだという気がします。領土問題について中国の政治家が「昔の人たちは非常に聡明だったから解決法もあっただろう。しかし、我々はそれほど聡明にはなり得ていないから、これは保留にしておこう。やがて、聡明な我々の子孫たちが自然に解決する時が来るだろう」と言ったと伝えられています。孔子、孟子の国の政治家が言う言葉ですよね。それなのに前の東京都知事なんかが、大変粗略なことを、然もアメリカに行って申しました。(P114) ちょっと、トンボ切れなのですが、近代日本という国家の成立過程で、見捨てられた荒魂に対する「魂鎮め」、「御霊信仰」をめぐって、「王」として天皇について、穏やかですが、本質的にはラジカルなことをおっしゃっていますね。国家における祭祀の王の役割の意味は、まあ、現代ではタブー視されていて、平成帝の戦跡や災害地訪問は「やさしさ」のエピソード・ニュースとしてしか扱われないわけですが、さすが、折口信夫の一番弟子という視点ですね。 まあ、こういう調子で、最後まで飽きさせません。いかがでしょう、古本屋さんの100円均一の平台でも時々見かけます。文人丸谷才一、この本あたりから「遊び時間」を始めてみませんか?
2023.07.19
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【BookCoverChallenge no5】 丸谷才一・和田誠「女の小説」(光文社文庫) 「1週間で7冊」のブックカバーチャレンジの最中です。「本」について「焼く」、「印刷する」、「装丁する」、「図書館で借りる」とやって来ましたが、今日は「紹介する」ですね。3日目の和田誠さんの紹介で、さあ、つぎはと考えたのが装丁家和田誠が好きだった人、この「が」はそのまま主格なのか、和田誠さん「を」という意味の目的格なのか難しいですが、何となく相思相愛的な人たちとして思いうかんだ人が数人います。 最初に浮かんだのが村上春樹ですね。ところが彼は安西水丸という、もう一人のイラストレイターとも長いつきあいです。 次がつかこうへい。文庫版の表紙に描かれていたマンガ風のイラストカバーがとても好きだったのですが、彼の場合は「本」とのつながりがむずかしい。なにせ、演劇の演出家ですから。 それから和田誠が映画を撮った阿佐田 哲也こと色川武大。うーん博打の話になってしまいそうだ。 というわけで、ヤッパリこの人ですかね、という感じで作家の丸谷才一に落ち着きました。それに4日目に紹介した本のキーワードは「女」でしたよね、ピッタリのを見つけちゃいましたよ。題して「女の本を紹介する」話。 丸谷才一・和田誠「女の小説」(光文社文庫) 本がつくられたのが二十年前で、お二人ともが亡くなってしまった今となっては、ただ、懐かしいという思いでページを繰る本になってしまったわけですが、繰ってみるとそうも言っていられない「本」です。 丸谷才一が17人の女流作家を紹介し、和田誠がそれぞれにイラストをつけるというコラボなのですが、例えば第一章「誘拐されて」と題された紫式部「源氏物語」の「若紫」の紹介の表紙には雀の子を追う若紫の、なんともいえない、軽妙なイラストが描かれていて、もうそれだけでため息をついてしまいそうなのですが、ページを繰るとこんな文章で始まっています。「若紫」は、作りが派手で、読みでがある出来のよい巻だ。当時から評判だったらしく、藤原道長の邸の宴会で、酔っぱらった藤原公任が、紫式部に「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ」と言ったという話が「紫式部日記」に書いてある。 ねッ、読み始めるとやめられなくなるのはぼくだけではないと思いますよ。丸谷才一のブック・レビューの特徴は、作品や著者、その周辺事実に対する、おそるべき博覧強記なのです。 たとえばここでは道長と公任です。実はこの二人、同い年でライバル。血筋のポジションとしては公任に分があったはずなのですが、結果は道長の一人勝ちで「一家立三后、未曾有なり」と、もう一人のライバル実資(さねすけ)にあきれられた話は有名です。 公任は「三舟の才」というわけで、文才で名を遺しますが、実は同世代の出世頭だったことは、案外知られていませんね。 藤原公任が「頭の中将」に一番乗りしたころ、道長は公任や兄道隆の息子たちの栄達を遠くから眺めていた身分だったのですが、あっという間に道長の「わが世」が始まってしまいます。その間に、公任は「頭の中将」在位期間歴代一位という、ある意味、不名誉な記録保持者として名をのこしてしまうのです。 紫式部が執筆にあたって「頭の中将」を思い浮かべたとすれば、この人だった可能性だってあるかもしれませんよ。 なんてことを丸谷才一は先刻御承知に違いなくて、ここでは軽く流しましょうとでもいう書きぶりが憎いんですよね。 第二章はフランスの閨秀作家コレットの小説「牝猫」の紹介です。バトンをくれたSさんは大のネコ好きですが、この章の中には「ミャオ」、「ムルクルニャオ!」、「ネウネウ」、「ムゥルーィン」、「「ニヤア」という、古今東西、いろんな作品で描かれているネコの鳴き声が紹介されています。 もちろん「牝猫」ではネコが準主役です。名前はサア。他にJ・ジョイスの「ユリシーズ」のネコは有名かもしれませんね。英語で綴れば「マーキュリー」という鳴き声から、主人公ブルームの「旅」への連想が始まるカギになります。まあ、旅って言ってもダブリンの町をめぐるだけなのですがね。 谷崎潤一郎の「猫と庄造と二人のをんな」に出てくるのはリリーという牝猫、そこから「源氏物語」で女三宮が飼っていたネコのことが思い浮かんで、その唐わたりの牝猫の鳴き声を「寝む寝む」と誘いの声に聴く柏木くんがまで登場します。 中の一つはフランス語のネコの鳴き声ですが、それぞれどの作品の鳴き声かわかりますか? 蛇足ですが、15章で「女弟子であること」で紹介されているのがイザベル・アジェンデ、チリの大統領だった人の姪っ子ですが、ここで「師匠」とされているのが、コロンビアの作家ガルシア・マルケスでした。 この章では、マルケスの「百年の孤独」についても触れているのですね。一筆書きのような短い文章ではあるのですが、マルケスに関しての簡にして要を得た解説の章段になっていますよ。 まあ、このあたりの符合もうれしくて、5日目の本になったわけです。 さて今日は、仔猫のようなというのは失礼でしょうか、二月に一度、「本」を読んで、おしゃべりする会でお出会いする「美少女マコちゃん」にバトンをお渡しして、じゃあこれでバイバイ。六日目をお楽しみに。 ああそうだ、解答ですね。「ミャオ」:フランスでは、一般にこう鳴くそうです。「ムルクルニャオ!」:「ユリシーズ」ではこの鳴き声「Mrkr」から「メリクリウス」英語なら「マーキュリー」という神の名、ギリシア神話なら「ヘルメス」が連想されて主人公ブルームの旅へと、イメージがつながる話が書かれています。「ネウネウ」:女三宮が飼っている唐わたりのネコが三宮に懸想する柏木の膝で「床」を誘うように泣く声です。「ムゥルーィン」:これがコレットのネコ。「ニヤア」:谷崎のネコは「花」はサクラ、「魚」は鯛の紋切り型で「ニャア」ないし「ニヤア」なのだそうです。気付いてました? では、あらためてサヨウナラ。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.05.24
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丸谷才一 「新々百人一首(上・下)」 (新潮文庫)雪のうちに 春はきにけり うぐいすの 氷れる泪 いまやとくらむ 二条后 新年明けましておめでとうございます。 今年もよろしくご愛顧いただきたいと心から思っております。読者の皆さんにも元気な一年でありますようにお祈り申し上げて「週刊読書案内」2020年版を始めたいと思います。 さて、今年はちょっと格調高く和歌からスタートです。 神戸は、雪とは縁のない暖かい正月の朝ですが、雪の正月の歌です。高校生に案内を渡していたころから年の初めはこの歌。まあ、好きだからしようがありません。 作家の丸谷才一が数々の名著を残して、この世を去ってもう何年たったのでしょう。過去の人なんていって忘れ去られるのは何といっても惜しい人。この案内では、今後、最多登場回数を記録するに違いない人ですが、今年の始まりは「新・新百人一首(上・下)」(新潮文庫)。そのはじまりの三首目にのせられている二条の后の和歌です。 二条の后といえば、高校時代の古典の教科書に出てきたに違いない「伊勢物語・芥川」で鬼に食われてしまった、あの女性のモデルということで名前ぐらいはみなさんご存知のことでしょうが、この女性、若い頃は平安朝きっての色好み在原業平との艶聞が世間をにぎわし(?)やがて伝説化され、その後、清和天皇の女御として入内し、陽成天皇の母となった人です。ところが清和帝亡き後、こともあろうに善裕という坊さんと密通して后位を剥奪されるという波乱の生涯をおくった人で、その名を藤原高子、「たかいこ」と読むそうです。まぁこんなコトも丸谷さんのこの本にはみんな書いてあることなのですが。 ところで、お正月といえば「百人一首」。中学校や、今では小学校でも「三学期にはカルタ会」が恒例行事になってきているようですが、ご家庭で「百人一首」をなさるなんてことはあるのでしょうか。 江戸時代に始まった遊びらしいのですが、普通、「百人一首」といえば「新古今和歌集」の選者のひとりで平安朝屈指の歌人、藤原定家が選んだもので彼の住まいの呼び名を取って「小倉百人一首」というのですが、今回案内しているのは「新新百人一首」。 本書の前書きによれば、百人一首のような形式のオムニバス詩集は定家のものに限らないらしく、たとえば室町幕府九代将軍足利義尚による「新百人一首」というのもあるそうです。 しかし、知名度と大衆的人気において問題にならないらしく、なによりもその後800年にわたる文化的影響力を考えると、やっぱり「小倉百人一首」しかないようなものなのだそうです。その向こうを張って現代の小説家丸谷才一が選んだのが「新・新百人一首」。 「新・新」とついているのは、藤原定家と足利義尚とに敬意を払ってのことであるらしいのですが、万葉の歌人から平安末期・鎌倉の歌人までを対象とした王朝和歌秀歌集であるところは「小倉百人一首」と同じ体裁になっています。 当然かさなる歌人は多いのですが、同じ和歌は多分ありません。日本文学史を独特の視点から書き直した文芸批評家としての自信と遊び心のなせる技でしょうね。 この本のよさは一首ごとにつけられた詳細な解説です。「オモシロ国文学講義」とでも言うべき綿密さで、これこそ読みどころですね。エッセイの達人の洒脱な文体で読み物として書かれている文章なので、どなたがお読みになっても、大丈夫だと思います。 ぼくのように和歌なんて知らない、「源氏物語」は眠くなるという古典文学音痴にとっては、実に勉強になる本なのですが、欠点は、お調子者が読むと妙にわけしりの気分になって、やたら薀蓄を傾けたくなることですね。 うぐいすの泪ってわかる?うぐいすは鳴くでしょ、だから泪という連想になるのが和歌的想像力なの。 じゃア、泣かない魚を相手にしてる芭蕉にこういう句がありますね。 行く春や 鳥啼き魚の 目は泪 彼はこの句を詠んで奥の細道の旅に出発したらしいけど、この句はどこがしゃれてるかわかりますか? なんて調子で、際限がなくなる。もちろん本書に其の解説はありますから、「えっ?」と思われた方は、本書のほうでどうぞ。 ところで、本家「小倉百人一首」について書かれた解説は、江戸の歌人の解説書から謎ときまで山のようにあります。 その中でオススメは「田辺聖子の小倉百人一首」(角川文庫)。「かもかのおっちゃん」に講義している名調子の文体で、笑いながら読めます。「なにっ?かもかのおっちゃんをご存じない?そりゃ、こまった。」 しかし、まあ、内容は超一流、且つ、用意周到。お世話になりました、ほんと。田辺聖子さんは小説家ですが、古典文学の名ガイドのお一人だったんです。昨年、2019年の夏ごろだったでしょうか、哀しい知らせが聞こえてきましたね。この場を借りて、ご冥福をお祈りしたいと思います。(S)ボタン押してね!ボタン押してね!おくのほそ道を旅しよう (角川文庫 角川ソフィア文庫) [ 田辺聖子 ]
2020.01.01
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「2004年《本》の旅(その6)」 池澤夏樹「パレオマニア」(集英社) これも「2004年《本》の旅」と銘打って案内している、過去の案内のリニューアルシリーズ。沖縄からフランスへ行ってしまった池澤夏樹さんは、その後帰国して、たぶん北海道に住んでいらっしゃるようです。池澤さんの大作、「静かな大地」も、この年に出た小説です。それはまたの機会ということで、今回は「パレオマニア」と「イラクの小さな橋を渡って」の案内です。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 沖縄からフランスに移住してしまった小説家池澤夏樹に「パレオマニア」(集英社文庫)という洒落た本があります。 彼の趣味である大英博物館通いが高じて、展示されている古代の遺物の現地に行ってみなければ気がすまないという、なんとも贅沢な旅の記録です。 ちなみに、大英博物館というのは日本のどこかにあるのではなくて、もちろん霧の都ロンドンにあります。イギリスが大英帝国の威信をふるっていた時代に、文字通り全世界のお宝を集めまくった博物館です。だいたい、海の向こうの他国の博物館に、元の国にとって国宝級の遺物が所狭しと展示されていること自体が現在では考えられないことですが、植民地主義の時代に世界の覇者として日の没することのない大帝国を作り上げたイギリスだからこその展示品の山であって、一日や二日では、到底、見終えることが出来ない内容を誇っているらしいですが、もちろんボクに行ったことがあるわけではありません(笑)。 ボク自身は大英博物館どころか、わが国の国立博物館にさえ行ったことかあるかどうか怪しいのだから、わかったように書いていますが、ここまで、みんな作者の口真似です(笑)。 ギリシャに始まって、エジプト、インド、カナダのトーテムポール、カンボジア、イラン、イラク、トルコ。 美しい写真とその地の人々の現在の生活が活写される紀行文。本の作りも美しい。世界史を勉強し始めた高校生にはうってつけの古代文明入門書。パレオマニアというのは古代妄想狂という意味の造語。 もっともボクが「パレオマニア」という本を思い出したのは「イラクの小さな橋を渡って」(光文社)という同じ作者の小さな本を読んでいてこんな言葉に出会ったからです。 イラクに行こうと思った。直接の目的は遺跡を見ることだ。数年前からある雑誌に遺跡による文明論を連載している。そのため世界各地へ旅をして、いろいろな遺跡を見てきた。その中には当然、メソポタミアが入るべきなのだが、しかしここは除外するほかないと考えていた。 週刊だか月刊だか忘れましたが「プレイボーイ」という雑誌に連載していた文章をまとめた本が「パレオマニア」です。目の前のこの本「イラクの小さな橋を渡って」と、あの本「パレオマニア」は同じ旅から生まれているのです。 おなじ場所に立っている一人の文学する人である作者の視点を遺跡から現実の社会に移せばこんな本になるのです。そうか、そうか、どうりで面白かったはずだ。 2001年の秋からアフガニスタン攻撃を追いながら、この種の報道に接している自分とは何者であるかとしばしば考えた。ぼくは政治家でも、外務官僚でも、また石油資本の経営者でもない。もちろん軍人でも革命の戦士でもない。戦争から遠いところにいる普通の日本人の一人だ。自分が石油を大量に消費する国で安楽に暮らしていることを知らないわけではない。今の世界経済システムの恩恵を受けて日々を送っている身なのだ。貧富の差を拡大するばかりのグローバリズムの問題点を論じてはいても、このシステムの外にでて無人島で自給自足で生きていけるわけではない。武力を背景とするアメリカの政治的・経済的な覇権を批判する文章を書いたところで、それ以上のことはできない。それでも想像力はある。2001年の晩秋には、自分がアフガニスタンに生まれていたらとかりに考えてみることはできた。その時に想定したのは軍閥のトップでもタリバンの幹部でもなく、普通の市民という身分、つまり、爆弾を受ける身だった。イラクの事を考えて、もしも戦争になった時に、どういう人々の上に爆弾が降るのか、そこが知りたかった。メディアがそれを伝えないのならば自分で行ってみてこようと思った。 こう考えて池澤夏樹くんはメソポタミア文明の地、チグリス・ユーフラテスの国イラクを旅するわけです。どこの国にでも、そのように生きている、普通の人びとと出会い、帰ってきて二冊の本を出版する。 ナシリアの町で一人の男がロータリーの縁石を白と緑に塗り分けていた。走る車の中から一瞬見ただけだが、ペンキの刷毛を動かすその手の動きをぼくはよく覚えている。世界中どこでも人がすることに変わりはない。自分と家族と隣人たちが安楽に暮らせるように地道に努力すること。それ以外に何がある。まだ戦争は回避できるとぼくは思っている。 2002年12月、あとがきに、こう書いて小さな本「イラクの小さな橋を渡って」は出版されます。 直後にアメリカが戦争を始めます。この小さな本に書かれている人々の生活と、「パレオマニア」の美しい古代文明の国を、ありもしない軍事施設と、結局いなかったテロリストを理由に叩き潰してしまいました。で、そのことは、ボクたちにとっても、他人ごとではありませんね。どこかの国の「自衛隊」と名乗っていたはずの、実は『軍隊』もまた参戦しているのですからね。この軍隊がどんな仕事をしているのか、やっぱり調べてみた方がいいと、最近つくづく考えています。池澤夏樹は2004年秋、理由は知らないけれど、フランスの田舎町に引越ししてしまったそうです。やれやれ。 初稿2004・9・28・改稿2019・11・01追記2019・11・12ところで、「2004年本の旅(その7)」は、ここをクリックしてくださいね。追記2023・02・28フト、思い出して修繕しました。にほんブログ村ボタン押してね!
2019.11.01
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池澤夏樹「カデナ」(新潮社) ちょうど十年前、ぼくは高校生に向かってこんな「読書案内」を書いていました。高校生の歴史離れ、無関心が本格化する中で、特攻賛美まがいのロマンチックな小説が流行し、総理大臣が腹痛を理由に職を投げ出したころですが、沖縄の普天間基地移転の話は始まっていました。以下、その時のまま掲載します。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 沖縄にあるアメリカ軍の基地をどこに移転するかということが大きな問題になっています。去年の秋に人気スターのように総理大臣になって、憲法を変えたいと騒いでいた人が、無能の象徴のようにして辞職してしまいました。 ところで、なぜアメリカ軍の軍事施設が日本にあるのか。実際に活動している大きな米軍基地が、なぜ沖縄に集中しているのか。高校生諸君は知っているのでしょうか。 池澤夏樹の新作小説「カデナ」(新潮社)は1968年の沖縄、嘉手納基地が舞台です。1968年の夏、ベトナムで、沖縄で、何があったのか。そんな事は何も知らない10代の人たちが読んで充分面白い小説だとぼくは思います。 主な登場人物は模型飛行機屋のおじさん、嘉手刈朝栄。フィリピン人の美女で、且つ、米軍基地の将校秘書フリーダ=ジェインさん。ベトナム人の貿易商安南さん。B-52のエースパイロット、パトリックくん。米軍基地でライブをやっているバンド・ボーイ、沖縄の少年タカくん。 アメリカの軍人、フィリピン出身の女性、商人、地元のおじさんと少年です。 カデナ基地にその夏から配備されたB-52のパイロット、パトリックと秘書のジェインが恋に落ちます。「きっと疲れているのよ」とあたしは言った。彼は無言。「また試しましょ。今日は星の巡り合わせが悪いのかもしれないし」やはり無言。男にとって屈辱なんだろうなと思った。 最初のデートの夜の様子がジェインの言葉によればこんなふうなんです。何だか元気がない、実にアンチクライマックスな展開で小説がはじまります。 高校生に小説を紹介しながら、男女のいちばんきわどいシーンを最初の話題にするなんてどうかしている。PTA総会が待っているんじゃないか。そんなご批判もあるかもしれません。 いやいや、ちょっと待ってください。この小説を、この後、フムフムと読んでいくと、このシーンはとても大事なんだってことがわかるのです。 当時、世界最大の戦略爆撃機、一機あたり20トンの爆弾を搭載して北爆に出撃していたB-52のエースパイロットが、自らデートを申し込んだ女性と、さあ・・・というシーンになって、しょんぼり寂しそうにするのはなぜなのでしょう。「サイゴンに爆弾を落とした?」とあたしは彼に聞いたことがある。パトリックは嫌な顔をした。だいたいB-52に乗る連中は爆弾という言葉が嫌いだった。爆弾とか爆撃といわないで、荷物とか配達って言う。パトリックは任務の話はしない。夜になってもその日のコックピットでの数時間のことは言わない。武勇の話は一切なし。下から飛んできたミサイルや高射砲弾やすれちがったミグのことは言わない。子供の頃の話は良く聞いたけど。 パトリックが仕事である爆撃のことを話したがらないのはなぜなのでしょう。それがこの小説では、見落としてはいけないポイントなのです。 やがて、小説はパトリックを愛しながら、いや、愛しているからこそジェインが模型屋のおっちゃん、ベトナム人の貿易商、沖縄の少年と四人組を組んでカデナの基地の中からB-52の出撃計画をスパイし、北ベトナムに情報を流すという展開になります。 そうなった、詳しい経緯は読んでもらうとして、愛するパトリックの出撃をスパイすることが、ジェインにとって裏切りにはならないという、彼女の心の動き方を、読者のぼくがリアルに納得しようとしたときに、さっきの二つの何故が大切なんです。 パトリックは戦争そのものに傷ついていると考えたジェインが、彼をいたわるためには、彼が運ぶ荷物が誰も殺さないようにすればいいわけです。彼女が戦争そのもを操作することで、爆撃の罪を消すことができる。そのために自分にできることは、何かと考えたにちがいないとこのシーンは物語っているのです。 読み進めていくと、パトリックがもっとも恐れていたことは、ベトナム戦争末期に計画され、実行がシリアスに検討されたらしい原爆による北爆の可能性でした。なにしろ、B-52という爆撃機は常時、原爆を搭載して長距離爆撃を目的に開発された飛行機だったのですからね。 パトリックの搭載貨物に対する不安と怖れは、結果的には杞憂に終わります。読者はヨカッタ、ヨカッタとホッとします。ところが、どっこい、やはりそこは戦場だったのです。とんでもない落とし穴が待ち構えていました。というわけで、あとは読んでのお楽しみですね。 米軍から兵士を脱走させるべ平連の活動が、大きなエピソードとして描かれているのも、ぼくたちの世代には懐かしい話なのですが、ここまで書いて、誤解の無いように付け加えますが、この小説は楽しくほろ苦い青春小説だとぼくは思います。ジェイン、パトリック、主人公のタカ。みんな若いのです。ぼくが、ここまで語ったのは、小説のサイドストーリーでした。 現実社会と対峙し、その桎梏にもがくのは、ジェイソンとパトリックだけではないのです。一人一人の若者が、それぞれの状況と向き合い、乗り越えようとするところにこそ「青春」はあるのです。作家は書こうとしているのは、そこのところなのではないでしょうか。ジジ臭い結論でどうも、ははは。※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ あれから十年たった。ぼくは仕事をやめて、ただの徘徊老人になった。東北で大きな地震があり、原子力発電所の爆発があった。「おなかが痛い」と言ってやめた政治家がまた登場して、憲法を変えると騒いでいる。かもしれないと疑っていた「作家(?)」は、インチキな正体をあらわし、歴史修正主義の売文家へと転身しているように見える。相変わらず人気はすごいらしい。 眼をそむけたくなる現実だが、「戦争を!」と、口に出して言う国会議員まであらわれるに至って、ただ黙っているのは癪に障る。穏やかに、戦争って何?を書いている作品の案内くらいはしたい。それくらいのことならできるかもしれない。(2019・05・14)(S)追記2020・05・04 新コロちゃん騒動が社会を根元から変える様相を呈してきました。今、本当のに苦しんでいる弱者を救うという考え方以外に、このような危機を乗り越えるすべはないと思っていましたが、「一体化」ムードで弱者を切り捨てている権力者が「新しい生活秩序」などということを口にし始めました。権力者の無責任を、むき出しにした言質という自覚もないようです。 利権主義で国家を利用してきた人たちには千載一遇のチャンスを利用し始めたようです。 マスクを配るというたわ言で数百億の金が使途不明化している可能性すら現実に進行中です。沖縄の基地移転計画もお金だけは使われたようですが頓挫しています。どうなっているのでしょうね。ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.15
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丸谷才一「闊歩する漱石」(講談社文庫) この案内で、蘊蓄ふうに書いている内容のほとんどは、独創ではないことを吉本隆明の案内で書きました。 たとえば、「三四郎」を「都市小説」、あるいは、新しい社会との「出会い小説」として読んで案内しているのは、丸谷才一の評論集「闊歩する漱石」(講談社文庫)の中に「三四郎と東京と富士山」というエッセイがあって、それに教えられていることは明らかなのです。 手元に2000年の初版があります。出版されたときに読んだことは間違いありません。それ以来、高校生相手のおしゃべりの場面においても、この「案内」のような内容をしゃべってきたことを、今、思いかえしています。 もっとも、もう20年近く昔の読書ですから、確たる記憶があるというわけではありません。その結果、ぼくが、自分自身でも、そう考えているという口調になってきたのかもしれません。 こう書くと、人間の言葉を口真似する鸚鵡や九官鳥のように、永遠に意味にはたどり着けないような気もしますが、はたして、そうなのでしょうか。 口真似を続けた結果、口から出てくる言葉の意味を分かっていると思い込む鸚鵡を想像すると、ちょっと、異様なのですが、人間にとっての様々な解釈や理解は、実は、そういうプロセスのものではないでしょうか。 独創とかにたどり着くのは生半可なことではないし、知っていると思っていることでも、本当は、どこで、どう知ったかということをきちんと報告することは、たとえブログとかであっても、処世のモラルとしても大切だと思うのですが、最近は、それを忘れ始めていることに気づくことが、われながら多いのに驚きます。特に、丸谷才一のように学識の広さと深さが超絶していて、その上、おしゃべりな人から受け取った知識や納得は、時々、立ち戻ることがないと、自分自身の空回りに気づかない、ただの鸚鵡ということになってしまうので要注意ということです。 今回、案内をもくろんでいる、「闊歩する漱石」には、ほかに「忘れられない小説のために」、「あの有名な名前のない猫」という二つのエッセイが収められていますが、それぞれ、漱石の「坊ちゃん」と「吾輩は猫である」という小説を主題にしながら、丸谷一流の博覧強記がさく裂していて、痛快、かつ、超ペダンティックな文学論です。 面白いこと限りなしです。まず最初に俎上に挙がるのは、たかだか(?)「坊ちゃん」なのですが、この中学生用と思しき読み物を、あざやかに料理して見せる丸谷の、あらゆる食材を知り尽くした、あたかもフランス料理の腕利きシェフの趣を味わうことにもなります。 「あだ名の効用」に始まって、「もの尽くし」、「擬英雄譚的乱闘」、「典型としての人物描写」と料理の種類も多彩な中、しょっぱな、「綽名文学」の代表として、ラブレーの「ガルガンチュア物語」が出てきたところで、ミハイル・バフチンとかを思い出すグルメがいればとりあえず拍手!で済めばいいのだが、話は「源氏物語」へすすみ、「平家物語」、はては「千夜一夜物語」へと大皿に並べて澄ましていらっしゃいます。 次にやってくる「流謫の文学」の皿には、小樽の啄木から隠岐の小野篁まで、彩も鮮やかに盛り付けられ、それぞれの産地の食材の味わいの変化も、周到に用意され、決して飽きさせません。 メイン・ディッシュにはイギリス18世紀の大河小説、フィールディングの「トムジョーンズ」がストーリー、解説付きで差し出されます。もちろん漱石が倫敦でこの作品を読んだことが間違いないことに加えて、創作のインスピレーションを得たに違いないという、丸谷才一の独創的見解がソースとなってかかっているわけです。 今、こうして案内している丸谷才一のコース料理の現在位置は、ほんのとっかかりに過ぎません。ここから、いったい何がでてくるのか、テーブルに着いて、味わっていただくほかはないのですが、最後のデザートを口にしながら、ボクのような迂闊な客は、このテーブルで、ジョイス、プルーストへ続く、反19世紀小説、モダニズム文学へのコースを堪能したことに、ようやく気づくという趣向になっています。 残りの二つのテーブルも、様々な食材とソースが用意されていて、もうそれだけで、素人グルメには蘊蓄の山なのですが、そこはそれ、あのナイフが、とか、あの食材がと、料理人の後を追いかけたくなるのがミーハーの常というわけで、図書館とか、本屋さんとか、あれこれ忙しいことになるのですが、それもまた、鸚鵡の口真似から人間の口真似への進化のプロセスなのかもしれません。仕方ないですね。 まあ、しかし、丸谷才一の場合、料理の口当たりは抜群なのですが、口真似をするのは、少々、忙しすぎるし、骨が折れます。困ったものですね。(S)2018/10/29追記2019・10・16 漱石関連に限らず、丸谷才一には「案内」したい評論が多い。小説では「笹まくら」(新潮文庫)が代表作なのだろうが、ぼくには「樹影譚」(文春文庫)が印象深い。新聞の書評欄も工夫とか、対談の面白さも読んでほしい。大野晋との「光る源氏の物語」(中公文庫)や「日本語で一番大事なもの」(中公文庫)も読み逃すわけにはいかない。 先日、丸谷才一が愛したイラストレイターの和田誠の訃報が伝えられた。「ああ、また一人、好きだった人が」と思いながら、丸谷才一の一冊、一冊の本を棚から引っ張り出して手に取って、才能を認め合っていたに違いない二人を思い出した。 丸谷才一の新刊に出会えなくなって何年経つのだろう、「お楽しみはこれからだ」というわけで、向こうで再会し、二人のコラボが本となってこの世に届けられたら、どんなに嬉しいだろう。和田誠という、丸谷いうところの「軽妙で批評にみちた大才」がこの世を去ったことを心から哀しいと思う。追記2022・09・22 丸谷才一なんて、もう、若い人は誰も読まないのだろうかと思っていると、若い人ではありませんが、同居人がかぶれていました。棚から落ちた本を拾うと、他の仕事の手がとまるということで始まったようですが、どうするのでしょうね。 案内を読み直して、少し修繕しましたが、何言ってるのかよくわかりませんね。自分が書いたはずなのですが、書いたやつはめんどくさい奴だと思ってしまいました。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.12
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丸谷才一「日本文学史早わかり」 (講談社文芸文庫) 女子大生の皆さんと出会っていると、自分自身の無知もさることながら皆さんがモノを知らないことに唖然としてしまう場面に遭遇します。知らなくてもいいことかもしれませんが、知っていたほうがいいことのひとつに「文学史」があります。 どの作品を誰が何時書いたか、そんなふうに要約されがちなジャンルなのですが、本来は、少し違うと思います。万葉集以来、ハハハ、大きく出ましたね、どれほどの書物が、この国において、文学の範疇として残されてきたのかは、よく知りませんが、それが何故、その時代の、その人物によって書かれたのか、そう考える所に文学史の意味があるのではないでしょうか。そこが文学史の「史」たる所以というものだと思います。 文学史とは文学を文化現象として捉える為の歴史記述ではないでしょうか。そう考えると、もう亡くなって久しい、丸谷才一という一人の小説家の名前がすぐに思い浮かびます。「日本文学史早わかり」(講談社文芸文庫)、「忠臣蔵とは何か」(講談社文芸文庫)、「恋と女の日本文学」(講談社文庫)の三部作はぼくたちのような素人向けに書かれた丸谷流日本文学史の珠玉と言っていい作品群だと思います。 たとえば、「忠臣蔵とは何か」では歌舞伎の演目としての「忠臣蔵」において討ち入りのシーンは何故あのような火事場装束という衣装の役者によって演じられたのか、ということを考察のきっかけとして話を始めています。 御霊信仰の文学的意味に始まり、その語りは、文化人類学から演劇史に至るまで、懇切丁寧、且つ、薀蓄山盛りで、文学史に興味を持っている、いないにかかわらず、読み出したら止まらないに違いないと思います。 「恋と女の日本文学」では中国の古典文学には恋の話が極端に少ないのに対して、万葉和歌から源氏物語に代表されるわが国の古典は「恋」だらけ、いったいこの違いはどうしてだろうというのが基本テーマです。 丸谷才一が言うには、この違いに関心を持った、おそらく最初の人物が本居宣長だそうです。「石上私淑言(いそのかみのささめごと)」(宝暦十三年・1763年)という「もののあわれ」について論じた書物の中で以下のように論じているそうです。丸谷才一自身の現代語訳を引用します。彼は旧仮名遣いの人なのであしからず。 人間が好色なのは、昔も今も、日本も中国も、みな同じだが、中国歴代の史書を読むと、あの国は日本よりも淫猥なことが少し多いやうである。ところがあの国は、何につけても倫理善悪のことだけうるさく言ひつのるのが癖になってゐて、好色のことなども例の賢ぶる学者たちが非難してあばき立て、憎々しい口調で厭らしさうに書き記す。さういうふわけだから、詩にしても、自然さういふ国の風俗に従い、堂々たる男子の雄々しい心構へについて言ふのが大好きで、それだけをあつかふ。めめしくて見つともない恋情の情など、恥ぢて口にしない。しかしこれはみな、表面を取りつくろい、偽る態度で、人情の真実ではないのに、それを読む日本人は深く洞察せず、中国の詩文にあるのを事実と思ひ込み、中国人は色情に迷ふことが少ないなんて判断する。馬鹿げたことである。 わが国の人は何につけても寛大で利口ぶらないため、道徳をうるさく言ひ立てることもしない。人生の姿をありのままに表現した本のなかでも、歌にまつはる物語などはとりわけ「もののあわれ」を大事にしてゐるので、色好みな人びとの感情を率直勝つ流麗に書き記す。(以下略) 本居宣長がこうした主張にいたった事情について、丸谷は二つのポイントを指摘しています。 ひとつは西洋近代の恋愛小説を知らなかったにもかかわらず、こう主張した宣長の恋愛体験について。 もうひとつは宣長が日本の古典のみならず、漢文の書物についても非常に博学多識、勉強家であった点。 もちろん、日本文学に関する考察としては、ここが始まりであって、宣長の影響下に明治の小説群もあったというのが丸谷才一という作家の主張です。 ついでの話ですが、宣長が平安朝の美意識を評して使い、今では常識として定着している「もののあわれ」という用語の出典は藤原俊成の歌だそうです。 恋せずは 人は心も なからまし もののあわれ もこれよりぞ知る 藤原俊成 この本の後半では、丸谷は「女の救われ」というテーマで、今度は平家物語の悲劇のヒロイン建礼門院徳子めぐる考察を繰り広げています。これまた面白いのなんの、ハハハ。 要するに皇后さんの男性遍歴についての考察なんですね。面白がり方が少しおっさんかもしれませんね。反省! ともあれこの本は講演を元にしていて、読むのに手間がかかりません。教養の間口を広げる読書としては超オススメですよ。今では、全集で読むしかないのかもしれませんが。図書館になら、まだあるでしょう。是非どうぞ!(S)追記2022・05・28 ときどきお出会いしている女子大生の皆さんには「伊勢物語」とか「方丈記」とか、まあ、なんでもいいのですが、古典を手にとって読み始めてみることをおすすめしたいのですが、たとえば「伊勢物語」が、一読三嘆!の作品かというと、そりゃあ、中にはピタリとジャストミートする方もいらっしゃるかとは思いますが、誰もがそうかというと、そういうわけにもいきません。で、あれこれ読んで「ナルホドそうか!」とかを繰り返しながら、もう一度、元の作品を読み直してみて「一嘆!」にたどり着ければ儲けものというのがシマクマ君の経験でした。 あれこれ読むのが、読書ということだと思うのですが、たとえば丸谷才一なんて、とりあえずのあれこれに最適だと思うのですが、いかがでしょうね(笑)追記2023・04・21突如、昔の記事が出てきて焦りました。今はこっちのブログです。ボタン押してね!ボタン押してね!
2019.04.11
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