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チャン・リュル「春樹」元町映画館 神戸の元町映画館が2026年8月の末から9月の初旬にかけてやっていた張律(チャン・リュル)監督の作品の2本目です。 まあ、ボクの好みに過ぎませんが(笑)、傑作!でした。 見たのはチャン・リュル監督の「春樹」です。チラシは「春樹」に「はるき」とルビを振っていますが、中国音だと「チュンシュウ」、登場する女性の名前です。ただし、英題だと「Mothertongue」、「母語」というわけで、なんだかややこしいのですが、作品はチャン・リュルが撮り続けている(と、まあ、ボクが思っている)、旅の映画でした。 「慶州」とか「福岡」とか、前日に見た「ルオム」とか、みんな旅先の町の名前が題名を飾っていて、登場人物たちが知らない町にやって来て、何となく彷徨うこの監督の作品がボクは気に入っていますが、今回の題名は人の名前で、彼女がやってきたのは中国の四川省、成都でした。 北京で映画の女優をしている春樹(チュンシュウ)という30代の女性が猫の樹樹と一緒にやってくる町が、彼女の故郷である成都でした。ボクにとっては三国志を思い出させる地名ですが、結構、奥地なんですね。 春樹は成都出身ということで抜擢されたにもかかわらず、肝心の成都語が話せないことがバレて成都を舞台にしてカンヌを狙うとかいう大作映画の主演を下ろされた失意の人のようなんですけど、彼女がこの町で出会うのが張梅ジャン・メイという、少女だったころの彼女に成都語を捨てさせて女優の道へと導いた先生です。それから、張梅の息子の冬冬ドンドン。春樹と同じくらいの年齢のようですが、上海で鉄工技術者として一人前に働いていた彼が、ここにいるのは母の張梅が認知症を発症し、その世話の為に仕事をやめて帰省したということです。 生れたときから使っていたはずの言葉を失った女性、生きてきた生活の記憶を失いつつある老女、仕事をやめて帰ってきた青年。 映画は、それぞれ、失うことを生きているかに見える三人が、かつての栄華を失った映画撮影所という廃墟を彷徨うという、不思議ですが興味深い設定で展開しました。 ボクは、まあ、偶然なのですが、この作品を見る二日前に55年前に卒業して別れて以来、ほとんど出会ったことのなかった中学校時代の同級生と再会し、そこで交わされる子供時代の言葉の響きを聞くという機会があったこともあってでしょうね、映画を見ながら、作品が描くことばと記憶、場所と記憶、顏と記憶について強く揺さぶられる気がしました。忘却とは忘れ去ることなり。 古いラジオドラマの有名なセリフですが、本当に忘却とは忘れ去ることなのでしょうか? スクリーンから聞こえてくる音読される詩の響きとか、頼りないタッチのピアノの音で聞こえてくるドレミファソラシドの静かな響きとか。その音と一緒に見ているボク自身に映画とは関係ないはずの記憶が湧き上がってくるのです。で、聞こえてくるピアノの音は繰り返しだとわかっているのですが、記憶を呼び起こす次の音に期待する気持ちが湧いてくることを不思議な哀しさで感じました。 中国語というのは、ナマケモノのボクが学校を出て以来、唯一、挑んだ外国語なのですけれど、結局、「ハオ・チー」(好吃)と「ウォ・チー」(我去)のちがいが耳ではわかっても、口ではいえないまま諦めたんですが、習った北京官話が、そもそも、上海では通じないとか、内モンゴルあたりに行くとモンゴル語、四川の奥だとチベット語、方言がいろいろあるとはいっても、まあ、ちがう言葉も飛び交っていてスゴイんですね。ボクなんて、北京であろうが、西安であろうが、フフホトであろうが通訳さんだよりなわけでしたけど、不思議でしたね。 で、この映画は、そういう言葉事情を背景にしていて、場内では笑っている人もいたわけで、多分、中国の人にはわかるんでしょうね。字幕読むのに熱中しているボクには???なのですが、まあ、いろんな意味で面白い映画でした。 やっぱり、チャン・リュルというこの監督、ただものじゃありませんね(笑)。拍手!監督・脚本 チャン・リュル製作 ポン・ジン撮影 ピャオ・ソンリー美術 ジェン・イーツァン衣装 リャン・ジェンアル編集 リウ・シンジューキャストバイ・バイホー(方春樹ファン・チュンシュウ)ワン・チュアンジュン(王冬冬ドンドン)リウ・ダン(張梅ジャン・メイ)ポン・ジン(春樹の母)ドン・チャン(俊峰ジュンフォン)レイ・シャーヨン(陽陽ヤンヤン)ホアン・チエンシン(黄建ホアン・ジェン)2025年・122分・中国原題「春樹」英題「Mothertongue」2026・09・01・no162・元町映画館no394追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.26
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トレイシー・レイモン「私たちはちょうどいい」シネリーブル神戸 シルバーウィークとかの人出が嫌で家にいました。まあ、「こりゃあかん!」と心配していたダメトラもマグレ!としか思えない連勝で持ち直してくれて御機嫌でしたが、今日から映画館です。「どこで、なに、見るの?」「シネ・リーブルでちょうどいいとか何とか。中国映画ちゃうか?」「気をつけてね。」「行ってきまーす。」 出かける前のいつも会話です。 で、あてズッポウで見ました。理由は、座席がすいてたからです。トレイシー・レイモン「私たちはちょうどいい」でした。 なんで、そう思っていたか、自分でもわかりませんが、中国映画ではなくて、アメリカの女性監督によるアメリカ映画でした(笑)。とても面白かったです。 最近見ていたのが、戦場とか、テロとか、そんなんばっかりでしたから余計そう思ったのかもしれませんが、インディアナとかいう地名が出てきますから、アメリカの真ん中あたりが舞台です。スマホが主役みたいな、今の時代を生きている人たちのこころがどこにあるのかわからないような哀しさを、やさしく励ましてくれる映画でした。 名前がボブ・トレヴィノという、クソとしかいいようのないオヤジ、だから、元の題は「Bob Trevino Likes It」なわけですが、今ではもう老人である、そいつに育てられて、オヤジだからというだけの理由で、そいつのクソな我儘を聞きながら、自分は、自分でクソな境遇で生きているリリー・トレヴィノという、まだ、20歳になるかならないかのオネーチャンが、もう一人のボブ・トレヴィノという、ちょっと暗めなオッサンと偶然知り合いになって、この世の中というのは、そうはいっても捨てたもんじゃない! まあ、そういう出会いと別れを経験する話です。 知り合いになるきっかけがSNS、フェイス・ブックというのが、ボクにはちょっと引っかかりましたが、現代を描くという意味ではリアルですね。お話はよくできていて、涙がとまらないシーンの連発でした。 主人公リリー・トレヴィノを演じるバービー・フェレイラという女優さんの体型がナカナカ個性的というか、デブというより、お尻も、胴回りもデカイという印象で、シルバーウィークに帰省してくれた、我が家のピーチ姫そっくりというか、まあ、顔立ちは主人公ほど可愛らしいわけではありませんが、それもあって釘付けでした。 映画が「父と娘」、「親と子」の葛藤の哀しさを描いていると感じながら見ていたからということもあってでしょうね。我が家での愉快な仲間たちとのあの頃の暮らしのシーンまで浮かんできて、やっぱり、涙なしに見ることはできませんでした。拍手! 先日は字幕なしで苦労しましたが、この映画では覚えた英語があります。YOLO ちょっと、ネタバレですが、You Only Live Onceの略で、訳せばたった一度きりの人生だそうです。 映画の中に、もう一人のボブ・トレヴィノというオッサンとリリー・トレヴィノという娘がキャンプに出掛けて、焚火にあたりながらペルセウス座流星群を眺めながるシーンがあるのですが、最高!でした。 先日見たリドリー・スコットの「ラスト・サバイバー」でも主人公の二人が星空を眺めるシーンがあって心うたれたのですが、この映画の監督トレイシー・レイモンが、たった一度きりの人生をいかに肯定するかに苦心しながら流れる星を、スクリーンが映し出すクヨクヨ哀しい人々の世界の向こう側に描いていることに拍手!でした。 主人公はじめ、登場人物たちの表情がよかったですね。敵役なんですけど、クソな父親を演じた、多分、フレンチ・スチュワートという男優の、何ともいえない鬱陶しさは大したものでした。拍手!監督・製作・脚本 トレイシー・レイモン製作 ショーン・マリン エドガー・ロサ フェリペ・ディエッパ撮影 ジョン・ロザリオ美術 シドニー・マルケス衣装 エドワード・テイラー編集 アニーシャ・アチャリヤ音楽 ジャック・ブラウトバー音楽監修 ティファニー・アンダーズキャストバービー・フェレイラ(リリー・トレヴィノ)ジョン・レグイザモ(ボブ・トレヴィノ)フレンチ・スチュワートローレン・“ロロ”・スペンサーレイチェル・ベイ・ジョーンズ2025年・102分・G・アメリカ原題「Bob Trevino Likes It」2026・09・24・no184・シネリーブル神戸no413追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.25
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ウェン・ムーイエ「歓迎来龍餐館」109シネマズ・ハット 不思議というか、日頃したことのない映画体験をしました。 日本語字幕のない中国の映画、で、舞台が中東ということで、登場人物たちの会話の言葉は、主人公は、もちろん、中国語。進駐軍らしいアメリカ人は英語。で、主人公が中華料理店を開いている、現地、「中東」としか書いてないんですが、多分、イラク。だから、そこにやってくる人たちは、多分、アラビア語、どれもわからないんですけど、字幕が中国語と英語なんですよね。まあ、そうだと知っていて見には来たんですけど、チンプンカンプンでしたね(笑)。 まず、気付いたのは、日頃、日本語字幕って、さっさと読めているんですね、これが英語字幕だと、そんなに難しい単語じゃないんですけど、全くついていけないということでしたね(笑)。 ああ、見たのはウェン・ムーイエという中国の監督の「歓迎来龍餐館」、中国語・英語字幕版です。 中華料理の、だから中国の料理人が中東のどこかの国、多分、アメリカが侵攻していた頃のイラク、出稼ぎに行って中華料理屋さんをやるという話。 上に入場するときに配られたカードの写真を貼りましたが、やたらおいしそうな中華料理のシーンが繰り返し挿入されている映画なのですが、現実には戦場映画。 たとえば、アメリカ兵が現地の少年を指さして「生まれながらのテロリスト!」とかいうシーンとかもあって、それに対して出稼ぎの中国人料理人に何をいわせるのか?というか、中国の監督がアメリカをどう撮るのか?っていうあたりが面白くて、一気に見入ってしまったんですが、その頃には字幕が読めないのもなんのそので、納得の結末でした。 言葉はわからないのですが、主人公のオッさんとか、彼の店を手伝う青年とか、二人になついて料理を覚える現地の少年とか、シーン、シーンの中で、目に語らせるというか、何を伝えたくてそこでそうしているのかが分かる!分かる!という気持ちに、見ているボクを引きずりこむ映画なんですよね。 オッサンとニーチャンが、戦乱の中で孤児になってしまった子供たちを店で働かせたり、気の強い少年に料理を教えたり、ことばはわからないんですが、なんでそうするのかがわかるんです。 銃が乱射され、爆弾が爆発し、次々と人が殺されていく世界に、そこにいるからという理由だけで引きずり込まれたよそ者の料理人のオッさんを人間として描き切った映画でした。拍手! 言葉もわからない所に行って、美味しいものなら通用するはずだ! ただ、その思いだけで、マジメに暮らしている人たちが、お互いに、えらい目にあっている中で、前を向いて生きている姿を見て、アッ、この人達の気持ちわかる!まあ、そういう感動でした。コトバはわからなくても気持ちは通じるんです。拍手! それにしても、なぜこの映画、日本語字幕なしで公開されているんでしょうね。字幕を付ければ評判になる作品だと思うのですが。 見終えて近くに座っていらっしゃったカップルの方に声を掛けると、中国の山東省からいらっしゃっている留学生の方で、「中国では評判の作品ですよ。」と教えてくださいました。勇気を出して訊ねたのですが、嬉しいお返事でした。拍手! 監督 ウェン・ムーイエ(文牧野)キャスト沈騰(シェン・トン)蒋奇明(ジャン・チーミン)オマール・シェリフ李 治廷(アリフ・リー)シャリフ・シャルビエハメド・サリムファルク・ムハンマド葦 青(ウェイ・チン)張 熙唯(チャン・シーウェイ)英題「ONCE UPON A TIME IN THE MIDDLE EAST」2026・09・19・no182・109シネマズ・ハットno89追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.24
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「9月のアサガオ」 ベランダだより 2026年9月22日(火) ベランダあたり 今日は2026年の9月22日、火曜日ですが国民の休日とかでお休みです。 我が家のベランダでは、ここの所、アサガオが元気です。 暑い夏の日が9月になっても続いていたのですが、ようやく秋風めいた風も吹き始めて、我が家のアサガオも生き返った様子です。 今日は、我が家のゆかいな仲間の一人で、関東で暮らしているピーチ姫が帰ってきます。 敬老の日とかだからかどうかは知りませんが、お休みが撮れたようです。 このベランダがある部屋から出て行って、もう、十数年たちます。姫とか呼んでいますが、もう、少女というわけではありません。 でも、帰ってくるところとして、ここを思い出してくれるのがうれしいですね。 関東とか、信州とか、四国とか、一時期には沖縄とか、それぞれ、何とも遠いところに散らかってしまっているゆかいな仲間ですが、時々帰って来てくれます。 台所のベランダのアサガオも待ちわびています。 みんな、帰って来てね(笑)。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.09.23
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鴻池瑠衣「純文学って何だよ」(集英社) 市民図書館の新入荷の棚にあって、「純文学って何だよ」という、ちょっと怒っているかの題名が気になって借りてきました。鴻池瑠衣という作家が、現代の「純文学」作家たちと対談している「純文学って何だよ」(集英社)です。 本稿では、所謂、文芸誌、「群像」とか、「新潮」という雑誌を、そこに掲載されている小説作品にフォーカスして、以下のように定義します。すなわち、「純文学と呼ばれるジャンルの小説を発表する媒体が、文芸誌である。」と。なぜなら、「純文学」とは何かを定義する際、「文芸誌に載った小説作品がすなわち純文学である」とする見方が、現場に携わる人たちの間で現在最も一般的だからです。(P7) これが、この本の「純文学」定義です。 だいたい、自ら純文学作家を名乗っている鴻池瑠衣っていう作家を知りません。彼がこの本で対談しているのは高瀬隼子、町屋良平、高山羽根子、砂川文次、石田夏穂、尾崎世界観、川本直、田中慎弥の9人です。鴻池留衣を加えれば10人ですが、作品を1作でも読んだことのある方が5人、名前は知っていた方が1人、あとは作品はもちろん、お名前も知らない方ばかりでした。 中学生のころ学芸会で「父帰る」と「屋上の狂人」という演目に出会って読み始めた純文学です。菊池寛ですね。で、ドクトル・マンボウの北杜夫。北杜夫から教えられてトーマス・マン「ブッデンブローグ家の人々」、庄司薫の赤ずきんちゃんからサリンジャーの「ライ麦畑」。ホールデン君とフィビーちゃんに心奪われて、なぜか大岡昇平とか、武田泰淳とかにつきすすみ、漱石、一葉、鴎外、芥川、太宰、坂口安吾とかをせっせと読み継ぐヒマな浪人生活。ここまでが10代。 で、大学生になったんやからと読み始めた「カラマーゾフの兄弟」はやっぱりスゴイとか、「夜明け前」って、怠そうやったけど読んでみると面白いとか、中学生以来、面白がり続けて10数年間、なんとなくな終着点に大江健三郎と村上春樹がいた感じですね。 その後の40年は、まあ、成り行きというか、国語の教員なんだからというか、芥川賞取った人くらいは読んどこかという読書でした。 もちろん、山田風太郎とか、司馬遼太郎とか、翻訳の推理小説、冒険小説も、まあ、本棚いっぱい読んできたわけで、「純」とかにこだわりはありませんが、しかし、心のどこかに「純文学はエライ!」とかいう思い込みはあったんでしょうね。 で、本書を読んで、近代文学の終焉とかいう言い回しが流行ったのが1980年代だったように思いますが、つくづく、ボクが知っている文学ってもう亡んだんだなと感じました。でもね、ここに載っている、それぞれの作家の語りは結構面白かったですね。今という時代に売れない作品(知りませんが)を書き続けている作家たちの、ちょっと、貧乏くさい(失礼!)本音のようなものが聞こえてくるんですよね。 やっぱり、この書名、いい線いってます。お喋りなさっている「純文学作家」の方々、どなたも、ちょっとキレているようですよ(笑)。まあ、そこが面白いんですけど。 で、この本の中で鴻池瑠衣、それぞれの方のおススメのこの1冊が下の一覧です。高瀬隼子「うるさいこの音の全部」(文芸春秋)町屋良平「私の小説」(河出書房新社)高山羽根子「オブジェクタム/如何様」(朝日文庫)砂川文次「越境」(文芸春秋)石田夏穂「緑十字のエース」(双葉社)尾崎世界観「転の声」(文芸春秋)川本直「ジュリアン・バトラーの真実の生涯」(河出文庫)永井みみ「ミシンと金魚」(集英社文庫)田中慎弥「完全犯罪の恋」(講談社文庫)2026-no084-1299追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.22
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是枝裕和「ルックバック」109シネマズ・ハット 早くからチラシが出回ってました。作品の名前「ルックバック」に覚えがありました。原作マンガを読んだ記憶もうっすらとあって、監督の名前に気付きました。是枝祐和? 最近、彼の新作を。迷いに迷ってパスしたんですけど・・・「ルックバックって、マンガ便で読んだかな?」「はい、以前お届けしました。」「ボクが持ってる?」「いいえ、回収してますが。」「万引き家族の是枝の実写やってるけどアニメは見た?」「はい、見ました。京都アニメの事件がらみで評判になりましたけどよかったです。」「アニメは見てへんけど、是枝やし。」「はい、まあ、なんでかんでも実写にすりゃあええというもんでもないとは思いますが。」 まあ、そういう会話がマンガ便のトラキチ君とありましたが、久しぶりに、是枝監督作品を見ました。是枝裕和監督による実写版「ルックバック」です。しみじみと納得する作品でした。 ボクは見た記憶がありませんが、同じ題名でアニメ版もあって、好評だったそうですが、今回は実写映画でした。 季節を巡る風景の移り変わりが延々と繰り返される作品です。夏、秋、冬、春、そして、幾度目かの夏。山があって、海があって、田んぼ道があります。東北の田舎の風景が映し出す時の流れの中で、生きて笑っている少女二人の姿を素直にうれしがる気分がボクの中に拡がっていくのを感じながら、還暦をこえた是枝祐和という監督の境地のようなものを感じました。拍手! マンガを描いている二人の少女の姿をイイナ!イイナ!と喜びながら、マンガの結末を思い出して落ち込みました。 藤本タツキの原作を読んだときにはピンとこなかった、したの表紙の絵が浮かんできました。 映画の帰り道、窓から差し込む逆光の光の中で懸命に描いている少女が映っていた姿が浮かびました。まあ、勝手にそういうシーンがあったと思い込んでいるのかもなんですけど。で、ようやく得心しました。あの後ろ姿は、確かに、藤野京だったんだ。と。 二人で一人の藤野キョウを演じた四人の女優さん、出口夏希(藤野)、七瀬ふうり(子供時代)、蒔田彩珠(京本)、岡田六花(子供時代)、どなたも素敵でした。拍手! 人気の原作マンガがあって、アニメ版が社会的話題になった作品を実写で撮るというのは、多分、大変だったと思うのですが、ボクには、原作を越えた作品でした。拍手!監督・脚本・編集 是枝裕和原作 藤本タツキ撮影 上野千蔵音楽 坂東祐大 シャークキック・ギター 米津玄師劇中曲Vocal 三浦透子キャスト 出口夏希(藤野)七瀬ふうり(子供時代)蒔田彩珠(京本)岡田六花(子供時代)野呂佳代(朱里 藤野の母)池田良(仁志)佐々木みゆ(恵)山田真歩(真鍋)宮藤官九郎(玉井 先生)菅田将暉(前田 編集者)2026年・99分・G・日本2026・09・17・no180・109シネマズ・ハットno88追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.21
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メアリー・ブロンスタイン「ワンオペレーション」シネリーブル神戸 イヤーァ、予告編を見て、見るからにめんどくさそうなのでどうしようかと迷ったんですけど、封切日に見ました。メアリー・ブロンスタインという女性の監督の「ワンオペレーション」です。 チラシの女性はリンダさんとおっしゃる主人公の女性ですが、なんとも、お疲れの表情ですね。見終えた徘徊老人も疲れました(笑)。 主人公のリンダさん、配偶者というか、夫というかはいらっしゃるようなのですが、どうも、出張族のようで、小学生ぐらいのお嬢さんと二人暮らしのようです。 で、このお嬢さん、ご飯が食べられない、だから、摂食障害っていうのですかね、胃瘻っていう、あれで経管栄養摂取していて、学校にも送り迎えがないと、自分では行けないようなんです。 リンダさん自身はカウンセラーを仕事にしている女性です。夫は軍人らしくて年から年中出張暮らしのようですが、やたらスマホで電話してきて、夫する人です。 というわけで、主人公の女性は、所謂、シングルマザーというわけではありませんが一人です。 で、まず、彼女が住んでいる家が、突如、壊れます。現実に天井が落ちて水浸しです。なぜ、そうなったのか最後まで分からない所が、ちょっと納得がいきませんが、主人公の気持ちは想像できます。 で、取りあえずの娘と二人でモーテル暮らしですが、娘や仕事相手との人間関係が壊れます。予想通り、最後は心が壊れます。見ていて、笑えません。ただ、ただ、可哀そうなだけです。 「ワンオペレーション」という題名は、多分、「一人で背負い込む」という意味だと思いますが、元の題は「If I Had Legs I'd Kick You」で、この映画を作った人の怒りがさく裂している印象でした。 のけぞりながら、でも、やっぱり、拍手!でした。 男女平等とか、女性解放とか、フェミニズムとか、ズーッと耳にしてきました。最近のことはよく知りませんが、結局、働いて、結婚して、子どもを産んで育てている女性を正面から撮るとこうなっているのが現実社会なのですね。 生活や家族、子どものことは配偶者に任せて、自分はまともな社会人でいるつもりの男性の多くは、この作品の主人公を、自分とはかかわりのない世界の住人として笑うか、あるいは、わけ知り顔で心配したりするかもですけど、多分、これが、ボクたちが暮らしている社会の実情でしょうね。 まあ、ボクも男性の一人なわけで、だからこそ、とことんメンドクサイ映画としてため息をついて見終えたわけですが、目を背けることはできない世界であることは確かですね。 監督で、出演もしていたメアリー・ブロンスタイン、徹底的に孤独なリンダを演じたローズ・バーンに拍手!でした。監督・脚本・出演 メアリー・ブロンスタイン撮影 クリストファー・メッシーナ美術 カルメン・ナビス衣装 エリザベス・ウォーン編集 ルシアン・ジョンストンキャストローズ・バーン(リンダ)コナン・オブライエン(同僚セラピスト)ダニエル・マクドナルド(キャロライン)クリスチャン・スレイター(チャールズ)エイサップ・ロッキー(ジェームズ)メアリー・ブロンスタイン(プリング先生)アイビー・ウォルクラーク・ホワイトダニエル・ゾルガードリデラニー・クイン2025年・113分・PG12・アメリカ原題「If I Had Legs I'd Kick You」2026・09・18・no181・シネリーブル神戸no412追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.20
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岸政彦「調査する人生」(岩波書店) 三宮の古書店の棚で見つけました。岸政彦という社会学者に、一時ハマっていましたが、この本の表紙に並んでいるお名前に「面白そう!」 並んでいるのは打越正行、齋藤直子、丸山里美、石岡丈昇、上間陽子、朴沙羅の6人です。面白そうでしょ(笑)。 読んだのは、岸政彦がホストとして、この6人の学者さんたちと対談した内容を書籍化した「調査する人生」(岩波書店)です。所謂、対談集ですね。面白かったです(笑)。最年長の岸政彦が1967年生まれで、59歳でしょうか、1984年生まれの朴 沙羅が最年少、42歳ですね。 読み終えて、書名を見直して、ナルホドそうか、でした。腰巻に「人生をかけて、相手の人生を聞く」 こうあります。 この本に登場するのは7人の社会学者です。それぞれ大学とかの先生だったりです。彼らの学問の方法は聞き取り調査です。そこでは、学者による「研究・調査」の対象として出会う、それぞれの人が生活の実感を語っています。まさに、それぞれの人の人生が語られるわけですね。でも、この対談集を読み続けることがやめられなくなる理由は、人々の人生を聞いてきて、今、対談をしているた人の言葉に、聞いている人のがわの、だから、学者さんたち自身の人生が聞こえてくると感じさせてくれるところですね。 たとえば打越正行であれば、「ヤンキーと地元――解体屋、風俗経営者、ヤミ業者になった沖縄の若者たち」(ちくま文庫)という代表作がありますが、沖縄のヤンキーの青年たちとヤンキー生活をする中で、心を許してくれたヤンキーのニーチャンたちに直接話を聴くという方法で徹底しています。参与観察というそうですが、一緒にヤンキー生活をするという聞き取り方です。 斎藤直子であれば「結婚差別の社会学」(勁草書房)にまとめられている、差別の体験者。丸山里美は女性ホームレス。石岡丈昇はフィリピンのボクサー。上間陽子であれば「裸足で逃げる――沖縄の夜の街の少女たち」(太田出版)、「海をあげる」(筑摩書房)が有名ですが、沖縄の子供たち。朴沙羅は「家(チベ)の歴史を書く」(ちくま文庫)にまとめられている、在日コリアン一世の、オジサン、オバサン。 皆さん、それぞれの人たちと出会って、それを記録し、その体験で考えたことを本にしている人たちです。もちろん、学者さんたちですから学問として整理されている本ばかりです。でも、この対談で語られていることは、本にする前に、それぞれの学者さんたちが見つけた、彼ら自身の人生ですね。皆さん、真摯に自分と向き合っていらっしゃるのにボクは感心しました。引用はしませんが、登場する学者さんたちのプロフィールを貼っておきます。司会をしている岸政彦の著作をはじめ、面白い本山盛りです。 岸 政彦(1967年)京都大学大学院文学研究科教授。社会学。 沖縄社会研究、生活史、社会調査方法論。著作 『同化と他者化――戦後沖縄の本土就職者たち』(ナカニシヤ出版)、『街の人生』(勁草書房)、『断片的なものの社会学』(朝日出版社)、『質的社会調査の方法――他者の合理性の理解社会学』(石岡丈昇・丸山里美と共著、有斐閣ストゥディア)、『はじめての沖縄』(新曜社)、『マンゴーと手榴弾――生活史の理論』(勁草書房)、『社会学はどこから来てどこへ行くのか』(北田暁大・筒井淳也・稲葉振一郎と共著、有斐閣)、『100分de名著ブルデュー「ディスタンクシオン」』(NHK出版)、『地元を生きる――沖縄的共同性の社会学』(打越正行・上原健太郎・上間陽子と共著、ナカニシヤ出版)、『生活史論集』(編著、ナカニシヤ出版)、『東京の生活史』(編著、筑摩書房)、『沖縄の生活史』(石原昌家と共同監修、沖縄タイムス社編みすず書房)、『大阪の生活史』(編著、筑摩書房)。「岩波講座社会学」編集委員。 打越正行(1979年~2024年)和光大学現代人間学部講師。社会学。 沖縄、参与観察法。著書 『ヤンキーと地元――解体屋、風俗経営者、ヤミ業者になった沖縄の若者たち』(ちくま文庫)、『最強の社会調査入門――これから質的調査をはじめる人のために』(前田拓也ほか編、ナカニシヤ出版)、『地元を生きる――沖縄的共同性の社会学』(岸 政彦・上原健太郎・上間陽子と共著、ナカニシヤ出版)、『〈生活―文脈〉理解のすすめ――他者と生きる日常生活に向けて』(宮内洋・松宮朝・新藤慶と共著、北大路書房)。 齋藤直子(1973年)大阪教育大学総合教育系特任准教授。社会学。 部落問題研究、家族社会学。著書『結婚差別の社会学』(勁草書房)、『入門家族社会学』(共著、新泉社)、Educaciones y Racismos, Reflexiones y casos(共著、el Centro Universitario del Norte en Universidad de Guadalajara y Universidad Pedagógica Nacional,)、『恋愛社会学――多様化する親密な関係に接近する』(共著、ナカニシヤ出版) 丸山里美(1976年)京都大学大学院文学研究科准教授。社会学。 ホームレス、貧困、ジェンダー研究、福祉社会学。著書 『女性ホームレスとして生きる――貧困と排除の社会学』(世界思想社増補新装版)、『質的社会調査の方法――他者の合理性の理解社会学』(岸 政彦・石岡丈昇と共著、有斐閣ストゥディア)、『貧困問題の新地平――〈もやい〉の相談活動の軌跡』(編著、旬報社)、『Living on the Streets in Japan: Homeless Women Break their Silence』(Trans Pacific Press)、『女性たちで子を産み育てるということ――精子提供による家族づくり』(牟田和恵・岡野八代と共著、白澤社)「岩波講座 社会学」編集委員 石岡丈昇(1977年)日本大学文理学部教授。社会学。 身体文化論、都市エスノグラフィー研究。著書 『ローカルボクサーと貧困世界――マニラのボクシングジムにみる身体文化』(世界思想社・増補新装版)『Southern Hemisphere Ethnographies of Space, Place, and Time』(共著、R. Rinehart eds., Peter Lang)、『タイミングの社会学――ディテールを書くエスノグラフィー』(青土社)、『エスノグラフィ入門』(ちくま新書)上間陽子(1972年)琉球大学教育学研究科教授。 教育学。著書 『裸足で逃げる――沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版)、『海をあげる』(筑摩書房)、『沖縄子どもの貧困白書』(加藤彰彦・鎌田佐多子・金城隆一・小田切忠人と共編、かもがわ出版)、『誰も置き去りにしない社会へ――貧困・格差の現場から』(平松知子ほかと共著、新日本出版社)、『地元を生きる――沖縄的共同性の社会学』(岸政彦・打越正行・上原健太郎と共著、ナカニシヤ出版)、『復帰50年沖縄子ども白書2022』(川武啓介・北上田源・島村聡・二宮千賀子・山野良一・横江崇と共編、かもがわ出版) 朴 沙羅(1984年)ヘルシンキ大学文学部講師。社会学。 ナショナリズム研究、社会調査方法論。著作『外国人をつくりだす――戦後日本における「密航」と入国管理制度の運用』(ナカニシヤ出版)、『家の歴史を書く』(ちくま文庫)、『ヘルシンキ 生活の練習』(ちくま文庫)、『ヘルシンキ 生活の練習は続く』(筑摩書房)、『記憶を語る、歴史を書く――オーラルヒストリーと社会調査』(有斐閣) 2026-no077-1292追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.19
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小林聖太郎「平行と垂直」キノシネマ神戸国際 神戸のキノシネマで封切ったのが9月の初旬だったのですが、結構人気で、何となく避けていると、上映時間が夕方の5時を過ぎてしまう変更もあって、もういいかなと思っていたのですが、頼りにしている映画好きの友だちが「今年いちばん泣いた!」とかいう感想を書いたりしているのを読んだりして、「やっぱり、見とこかな・・・」と揺れもどして、ちょうど、この日、同居人が、別の映画館の午後5時頃はじまる作品を見るというし、ここの所負け続けているダメトラのナイターが休みだということもあって、17時50分開始ですが見ました。普段は、こんな時間に映画館に来ることはありませんが、今日は見ました(笑)。 小林聖太郎監督の「並行と垂直」です。 いい話でした。 ボクが、一番気に入ったのは大貴君の職場の、須賀さんでしたっけ、同僚のオッさんでした。大貴君が、彼をこわがっていない所に胸うたれました。 で、思い出したのは、30数年務めた教員生活の終わりごろに出会った少年のことでした。 入学直後、少年の母親が学年主任をしていたボクに面会を申し込み、少年の自閉症の症状について、事細かに訴えられる機会がありましたが、それから3年間、彼は、大好きだった音楽系のクラブを途中でやめたこと以外、卒業を目前にして出席不足の補講が必要になったことが唯一のトラブルという高校生活を送りました。「お前、なんで、毎朝、こんなに遅刻したん?」「校門に先生が立っているとはいられへんねン。」「で、どうしたの?」「下の、公園。」「で?」「先生がおらんくなったら入れる。」「そこまで公園で座って待ってて、で、遅刻か?」「うん、まあ、そう。」「なんで、入られへんねン?」「こわいから。」「そのこと、担任の先生にいうた?」「いや、いうたことない。」「なんで?」「3年間、担任の先生、みんなこわかったってん。」「なんでやねん、I先生とか、和やかに話聞いてくれたやろ。」「うん。でも、こわかったから。」 卒業認定直前の時間補充でトイレ掃除を一緒にしていた時の会話です。「おい、そんな丁寧にせんでも、適当でええで。」「先生が、それいうたらあかんのんとちゃう?」「いや、まあ、そうやけど、ボクもマジメにせなアカンようになるやん。するけど。」「ここ、済んだら、ちょっと、クラブの練習聞いてきてもええ?」「ええで、あっちの女子トイレ、オレがやっとくわ。」 隣の女子トイレの掃除をすませて廊下に出てみると、少年は、かつて、彼が所属していた音楽クラブが練習している音楽ホールの二階の渡り廊下の陰に隠れて練習を聞いていました。ボクも下から見えないように座りました。「クラブ、なんでやめたん?」「ミーティングの時間が守られへんかってん。」「なに、それ。」「練習の始めに、パート・ミーティングってあるねん。ボク、いっつも遅れるねん。パート・リーダーにおこられ続けやねん。」「行かれへんのんか?」「うん、なんか、行ったら叱られるような気がして。」「リーダー誰やったん?」「Kさん。」「やさしい子やん。」「うん、わかってんねんけど。ちゃんとっしてって。で、結局、顧問の先生に叱られて、やめてん。もうちょっと、聞いとってええ?」「ええで、1階の男子トイレにおるから。」 しばらくして、トイレ掃除に戻って来た少年に聞きました。「オマエ、なんで、ボクには、そういうこといえんのに顧問とか担任にはいわんかったん?」「だって、こわないやん。」「ボクがか?」「うん。補講の担当、S先生やって聞いてホッとしてん。」「それ、なんか、誤解してへんか?(笑)」 こんなことを思い出して、ここに書き留めているのは、この少年がすでにこの世にいないからです。彼は、この出会いから数年後、大学卒業間際、この世を去りました。その間、何度か、彼から誘われて、同じような会話をしました。でも、彼が生き延びることを支えることはできなかったわけです。 この映画で、K察のエライさんが「責任とれるの?」とか聞くシーンがあります。悪意はないんでしょうけど、みんな、そんなふうな聞き方をするんですよね。一方で同僚の須賀のオッさんは大貴君が掃除する姿を呆れて見ているんです。でも、だから、大貴君は須賀のオッサンがこわくなかったんですよね、きっと。 そこのところを描いたこの作品に涙がこぼれました。拍手!です。 共生とか、相互理解とか、美しい言葉はいっぱい出回っています。大貴君が相手の顔に触るというシーンがあります。「そんなことしたら、みんなこわがるやろ。」 おかあさんが諭します。みんなこわがりながら相互理解とかいうんです。どうして、もう一歩、近くによって顔を撫でてもらわないんでしょう。大切なのは隣の人に顔を寄せて出会う勇気ですね。 そういえば「突然具合が悪くなる」という映画でもマリーさんだかが「もっと近づいて・・・」とかいってましたね。 「平行と垂直」、考えぬいた結果の題名なんでしょうね。希と大貴、妹と兄、家族、そして世間。何が平行で、何が垂直なのか。見ていて、どうしても客観というか、こわいもの見たさというか、一歩離れた所から頑張ってるネ・・・とかいっちゃいそうなんです。ドラマですからそうなってしまうんですけど、二人だけの問題じゃないと思うんです。そのあたりに届きそうで届いていない弱さも感じました。まあ、どうすれば表現できるのかわかりませんが、誠実な作品であることは間違いないですね。拍手! のんという女優さんの演技を初めて見ました。こういう感じってヘタウマ(笑)っていうんですかね、いいですね。安田章大という人も初めてでした。まあ、カメラの前だけでしょうが顔作るの大変だったでしょうね(笑)。ああ、それから紗奈ちゃんを演じた子役さん。やるもんですね(笑)。小林監督って、あの、上岡龍太郎さんのご子息なんですね。なんか、しみじみしちゃいました。皆さんに拍手! いろいろ思い出させてくれた作品でした。見てよかったです(笑)。拍手!監督 小林聖太郎原案・脚本 山野海撮影 大塚亮編集 宮島竜治音楽 富貴晴美主題歌 浮 安田章大キャスト安田章大(日向大貴 兄)髙田幸季(幼少期)のん(日向希 妹)武藤凪(幼少期)伊島空(田澤雅也 希の恋人)高山トモヒロ(日向義孝 父)谷村美月(日向咲子 母)福田転球(吉川 先生)芦川誠(須賀峰雄 同僚)早織(安藤靖子 少女の母)河野咲良(安藤紗奈 少女)神野三鈴(田澤芳子)菅原大吉(田澤茂一)2026年・118分・G・日本 東映2026・09・16・no179・キノシネマ神戸国際no74追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.18
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ゾンボル・ディガ「オペレーション カブール極限救出48時間」109シネマズ・ハット 1940年代の日中戦争に始まって、2024年のガザ、2023年のウクライナ、1960年代のベトナム、で、今日の映画は2021年のアフガニスタン、カブールです。なんか、ここの所戦争映画ばっかりで疲れます。 見たのはゾンボル・ディガというハンガリーの監督の「オペレーション カブール極限救出48時間」、ハンガリー映画でした。 2001・9・11以降、ウサマ・ビン・ラディンをかくまうタリバン政権を駆逐せんとしてアフガニスタンに侵攻し、20年に渡って駐留していた米軍、および、NATO軍が撤退するというので、大混乱に陥っているカブール空港が舞台でした。 切迫する時間、押し寄せる大群衆の中からの限られた輸送人員の選択、行方不明の同胞の捜査、自爆テロを駆使するタリバンゲリラとの銃撃戦、まあ、見せ場は山のようにあるわけで、目の離せないシーンの連続です。 結果的にハンガリー軍の輸送機が無事離陸し機内に笑顔が戻るという、見る立場によればよかったよかったという結末の、いわば英雄譚なのですが、ボクには、なぜ、今、ハンガリーでこの映画が撮られたのかな。 そういう疑問が残りました。 アフガニスタンといえば、2019年、誰が彼を殺したのか、多分、今でもわからない不慮の死を遂げた中村哲の名前しか浮かばないのですが、この映画で「敵」として描かれているタリバンのゲリラ兵たちが、ボクにとっても敵なのかどうかということも定かではありません。 映画のヒロインとして描かれているエステルという女性医師が救出されたことにはホッとしましたが、この作品が描いている世界の今の輪郭がつかめないのですね。 空港で先に撤退するイギリス軍の将校が、拉致された同胞の奪還に向かうハンガリー軍の兵士たちに「健闘を祈る。オレたちは先に撤退する。」という意味の言葉を投げかけたことが、妙に記憶に残る作品でした。 ハンガリーの人たちは自国の兵士たちの英雄譚としてこの作品をご覧になるのでしょうか。 まあ、あれこれ言ってますが、あの時のカブールを展開の面白さで描いて見せている手法には拍手!でした。 もともと、戦争映画って好きなんですけど、ここの所見終えて考え込んでしまいますね。監督 ゾンボル・ディガ脚本 アーロン・ホーバス撮影 タマーシュ・ドボス音楽 アッシャー・ゴールドシュミットキャストガボール・ヤスベレーニ(バーリント・ケレシュ中尉)ブランカ・メサロス(医師エステル)タマーシュ・ボロビチ(ヘルツェグ(フレッド)中佐)デビッド・ハジマシ(ペトロフ曹長)ベルティグスタフ・ディーツズズサ(ズス)ノーラ・トロカンファリハクラリッサ・ラカトシュアフメドアドリアン・サムドフスキーシルヴェステルシルベステル・パーリンカ2025年・97分・G・ハンガリー原題「Sárkányok Kabul felett」2026・09・13・no168・109シネマズ・ハットno87追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.17
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クリストファー・ノーラン「オデッセイア」キノシネマ神戸国際 まあ、監督も「オッペンハイマー」とかで、ここの所、贔屓の監督ですし、前評判も。で、なんといっても「オデッセイア」ですからね、見ました。 クリストファー・ノーラン監督の最新作、「オデッセイア」です。うーん、ダルかったですね(笑)。 ギリシア神話の定番というか、チラシにもある通り「すべての物語の原点!」だそうですからね。 ヨーロッパ文学の原点、ホメロスの叙事詩、あの「オデュッセイア」ですからね。やっぱり、期待しちゃいますよね。でも、なんか、ポカーン・・・・でした。 まあ、読んだのが半世紀前で、話の筋なんて、ほぼ、完全に忘れてはいるんですが、シーンに登場する人物の名前とか、エピソードとか、見ていると浮かんできたりするわけで、トロイ戦争の木馬のくだりに差差し掛かってくると、「どんな木馬で、どうやって???」 ワクワクしながら見入るのですが、なんだか当てが外れましたね。なんというか、リアリティのない現代劇を見ているダルさでした。 ノーラン監督が、なぜ、今、この題材を映画に撮るのか? そこのところが伝わってきませんね。 一方で、彼が、この作品で何をいいたかったのかという、現代社会に対する批判というか、警告意図というかについては、結構、素直に共感するものがあることは否定しません。ですが、それって、オデッセイアでやります?まあ、そういう感じでした。 ここの所、戦争関連の映画ばっかりで少々疲れてるんですけど、今回はトロイ戦争ですからね。事実だと仮定すれば4000年前です。で、10年がかりで帰郷するオデッセイウスが、ボクの目から見ればPTSD、戦争後遺症にしか見えないのですからねえ。そりゃあ、そういう解釈はあり得ますけど、堪忍してくださいよノーラン監督・・・ まあ、そういう気分で見終えました。 マット・デイモン君もアン・ハサウェイさんも、ボクがイメージするオデッセイアとか、ペネロペ―とかとは全く違いましたけど、よく頑張っていらっしゃいました。そこのところは、何とか、拍手!(笑) 悪口ばっかり書きましたけど、クリストファー・ノーランのような優れた映画製作者の皆さんが、例えば先日見た「ラストサバイバー」のリドリー・スコットもそうだと思いますが、現代社会に対して、深い憂慮というか、危機感を伝えようとしていらっしゃることには共感の拍手!でした。 リドリースコットが、ボクたちが小さな星である地球の住人であることを思い出させんとするラストでしたが、クリストファー・ノーランは争いのるつぼになった故郷イタケを捨てて西の海に旅立つラストでした。なんだか、しみじみしてしましたね。拍手!監督・製作・脚本 クリストファー・ノーラン製作 エマ・トーマス製作総指揮 トーマス・ヘイスリップ原作 ホメロス撮影 ホイテ・バン・ホイテマ美術 ルース・デ・ヨンク衣装 エレン・マイロニック編集 ジェニファー・レイム音楽 ルドウィグ・ゴランソン視覚効果監修 アンドリュー・ジャクソン特殊効果監修 スコット・R・フィッシャーキャスティング ジョン・パプシデラキャストマット・デイモン(オデュッセウス)アン・ハサウェイ(ペネロペ)トム・ホランド(テレマコス)ロバート・パティンソン(アンティノオス)ルピタ・ニョンゴ(ヘレネ/クリュタイムネストラ)シャーリーズ・セロン(カリュプソ)ゼンデイヤ(アテナ)サマンサ・モートン(キルケ)ジョン・レグイザモ(エウマイオス)ジョン・バーンサル(メネラオス)ヒメーシュ・パテル(エウリュロコス)キュクロプスビル・アーウィンエリオット・ペイジ(シノン)ベニー・サフディ(アガメムノン)コーリー・ホーキンズ(ポリュボス)ミア・ゴス(メラント)トラビス・スコット(楽人)2026年・172分・G・アメリカ原題「The Odyssey」2026・09・15・no169・キノシネマ神戸国際no73追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.16
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豊永浩平「はくしむるち」(講談社) 「月ぬ走いや、馬ぬ走い」(講談社文庫)という作品で衝撃を受けた豊永浩平の第2弾「はくしむるち」(講談社)を読みました。これを書く20代の作家がいるのだ! 驚きの傑作!でした。 デビュー作の題名が「月(ちち)ぬ走(は)いや、馬(うんま)ぬ走(は)い」だったわけですが、今度は「はくしむるち」、全部ひらがなですが、意味不明です。本作を100ページほどお読みになれば「はくし」が白紙、「むるち」は沖縄語で怪獣を意味するのだということにたどり着けるのですが、とりあえず書き出しから写してみます。 〈プロローグ〉 波 一つ、腹ペコのまま学校へ行かぬこと 一つ、天気のいい日に布団を干すこと 一つ、道を歩く時には車に気をつけること 一つ、他人の力を頼りにしないこと 一つ、土の上を裸足で走り回って遊ぶこと(ウルトラ五つの誓い) くりかえす波の音は、きみがカチャカチャとスプレー缶を振って、エアロゾルをシーッと擁壁に噴射すると、少しのあいだ聞こえなくなった。やはりきみは、計画(プラン)のときとおなじように、目のまえにあらわれる線に、それを刻むグラフィティの音だけに集中して、炎天下の日光も、潮の満ち引きも、ぬるい湿気の混じった海洋風も額からつたう汗もすべて忘れる。(P003~P004) 「きみ」と呼ばれている少年が今いる場所は沖縄の浜辺のコンクリートの擁壁の前です。書き出しを、もう少し写してみます。 遠くから、瑞人たちのオートバイのエンジンのうねりが聞こえてくる。たしかに、きみには聞こえてくるけれど、すぐに後景に退く。そうするうちに図柄は、あんまり暑いせいで風景のなかの輪郭を消してしまうしろっぽい日光のなかで、淡く立ち上がってくる。その日、まず、きみが描いたのはあの人の心の光(アクシズ・ショック)を見せた、背中のフィン・ファンネルが特徴的なνガンダム―それから、もちろんきみだからこそ持っている、計画(プラン)で使い損ねた、ダンボールのステンシルですばやく描いたウルトラマンゼロvsベリアルの、角突き合わせた対峙の図。そして「ウォッチメン」の赤い血がしたたるピースマークを描き、さらに文字のみのライティングを付けくわえる。「WHOWILLWATCHTHEWATCHMEN?」 コンクリートの壁に描かれた血を滴らせたピースマークが問いかける、このことばには読み仮名が振ってあります。「誰が見張りを見張るのか?」 ウルトラマンかガンダムの原作にある言葉なのでしょうか。そうかもしれません。でも、書出しのここで、このことばが記されている理由は豊永浩平という、この若い作家の、この作品に対する宣言のように感じます。 コンクリートの壁に、このことばを吹き付けている「きみ」が生きている世界、この絵の向こうに見えている世界への問いかけですね。 「きみ」が生きているのは、薩摩による併合以来、大日本帝国による領有、1945年の日米決戦最後の戦場化という悲惨を経て、アメリカによる軍事基地化、植民地化、1972年の「核抜き・本土並み」返還という美名のもとで始まった日本による新たな植民地化から50年たった沖縄です。「きみ」が見ているのは今、沖縄で生きる人たちの姿です。 「All Along theWatchtower」という歌があります。70年代にボブ・ディランとかが歌っていた歌です。「見張り塔からずっと」と訳されていますが、もともとは「旧約聖書」のなかで剣が世界を滅ぼすことを予言したといわれたバビロン捕囚を伝える言葉ですね。 で、小説が始まります。 そして、やっぱり物語はヒーローの話から幕を開ける。きみにとって、漆間瑞人とはいったい何者だったのだろう、ヒーローの条件、その徴のようなものが、彼にはあっただろうか?(P004~P005) スプレー画を描きおえた「きみ」の後ろには「またそれやってんの?ついにユッキーもヤンキーになっちゃたか」 ユッキーこと中村行生くんに声を掛けるママチャリに乗った円鹿(まどか)ちゃんの登場です。 舞台は2020年くらいの沖縄です。書き出しでオートバイをふかしている瑞人君はじめ、ユッキーとかマドカちゃんとか、みなさん、高校生たちの世界です。 で、ユッキーに「きみ」と呼びかけているのは誰なのかという問いを追いかけて読みすすめていると、「私」と一人称で名乗る人物が語りはじめる章に逢着します。引用はしませんが1945年の沖縄です。そこに登場するのは、80年後の今、ユッキーたちが集うマンガ喫茶「赤インコ」の店主、大伯父の修仁さんです。彼は、沖縄戦に中学生の学徒兵として従軍し、奇跡的に生き延びた人です。 というわけで、2020年、あの時から80年たった沖縄で生きている少年たちを見ているのは、90歳を優に超えた元学徒兵かもなんです。確証はありません、読んで確かめてください。 で、物語はどんなふうに展開し、どんな結末を迎えるのでしょうね。まあ、そのあたりは読んでいただく他ありませんが、ユッキー君たちがたむろするマンガ喫茶「赤インコ」の御主人が、ユッキー君にとっては大伯父にあたる修仁さんで、ユッキー君は、そこでウルトラマンとかに没頭するのですが、ウルトラマンの原作者金城哲夫って、1950年代の沖縄の少年だったってご存じでしょうか。この作品にちりばめられたオキナワは沖縄戦を生き延びた修仁さんだけじゃないんですよね。 若き、豊永浩平が直接描いているのは、今、現在のオキナワの少年たちですが、作品は、沖縄の、あるいは、琉球の、少なくとも、ここ100年の歴史を問い直す視点で書かれているというのがボクの読み方です。 もう一度言います。傑作です!(笑) お読みください。面白いですよ。 2026-no075-1290 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.15
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塚本晋也「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」キノシネマ神戸国際 映画「野火」の監督塚本晋也がベトナム帰還兵で、PTSDに苦しんだアレン・ネルソンという人を映画にしたということを知って、封切り日に見ました。 塚本晋也監督の最新作「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」です。 「日本鬼子」、「蟻の兵隊」で日中戦争の兵士の話、「戦場0地帯」でウクライナの戦場。「ヒンド・ラジャブの声」ではガザの虐殺。で、今日はベトナム戦争帰還兵の話でした。なんか、疲れますね。 主人公のネルソンさんは18歳で海兵隊に入り、沖縄のキャンプ・ハンセンで訓練を受けて、ベトナムに送られたのが1966年、戦場での違和感に始まり、23歳で除隊した彼を心の闇が襲い始めます。 そんなネルソンさんが、小学校の教員になっていた、幼なじみのダイアンさんと再会し、彼女の勤めている小学校の教室でベトナム体験を語りはじめるところから、映画は始まります。 ベトナムで従軍している父親もいる子どもたちに気遣いながら、自らの心の闇と向かい合って何とか何とか語り終えたネルソンさんに一人の少女がこう尋ねます。「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」 そこから、「動くものはすべて殺せ」の戦場シーンが繰り広げられます。 記憶に苦しみ、絶望の淵に追い込まれていくネルソンさんと出会うのが、精神科の医師、ダニエル先生です。 ダニエル先生はカウンセリングの終わりに、必ず、こう尋ねます。「あなたは、なぜ、人を殺しましたか?」 この質問が、この映画の支柱でした。 塚本監督の「野火」を見たことがありますが、あの映画で日本軍から棄てられた田村一等兵がフィリピンの山野を眺めるシーンがありますが、あのシーンを撮った監督の意図を彷彿とさせる響きがこの問いにはあると思いました。「大岡さん、あなたがたは人を殺しましたか?」 それが、この「ネルソンさん」を見終えて、ボクの頭に最初に浮かんできた言葉でした。この国の戦後文学において、ボク自身、とりわけ敬意をもって読み継いできた大岡昇平とか、武田泰淳とかいう作家たちが帰還兵であったことに気付きなおして考え込んでしまいました。 戦後文学の作家たちが兵士として、戦場で何をしてきたか、何をさせられてきたか。苛酷な戦場をどうやって生きのびたのかとか、あるいは、帰還した後、作家とし残した傑作群の文学的評価とかにとらわれながら、そこのところは見落としていことに気づかされたんですね。 ベトナム戦争を日本人の監督が、2026年の今、撮ったということに、まず、拍手!でした。 米軍にあった(多分、今でもある)、アフリカ系兵士やアジア人に対する蔑視、沖縄での夜郎自大、こういうシーンは塚本晋也の眼でないと描けなかったでしょうね。 加えて言えば、軍備とかが、いかにもな口調で語られ、いつの間にかミサイル基地の建設を当然視する、この国の風潮に対する塚本監督のNO!ですね。拍手! 映画の中でも出てくる言葉ですが、「動くものはすべて殺せ」というセリフを聴いていて、ハッと、思い出した本があります。 ニック・タースというジャーナリストが書いた「動くものはすべて殺せ」(みすず書房)という大著です。10年ほど前にみすず書房から布施由紀子の翻訳で出版されています。「ベトナムでアメリカ兵はなにをしたか」 を徹底的に暴いた本です。ソンミとかの虐殺事件が一部公表されていますが、戦場でのアメリカ兵にとって敵は動くものであって、それが、子どもであろうと老人であろうと関係なしであったことが描かれています。いくら読みすすめても明るい気持にはなれない、まあ、実に読むのがしんどい本ですが、「戦争」について理解するためには必読書かもですね。 それから、この映画を見ていて思い出した本をもう1冊。 ベトナム帰還兵に蔓延する、この映画が描く症状を解き明かしたジュディス・ハーマンの「心的外傷と回復」(みすず書房)という本です。1990年代に出た本ですが、訳者に中井久夫の名前を見つけて読んだことがあります。 今ではPTSD(ポストトラウマ障害症候群)という言葉が、普通名詞のように使われていますが、ベトナム戦争での戦場後遺症の研究から始まった概念で、その研究の始まりの本といっていい本だと思います。これも、読みでがありますが、読んで深く納得の本です。 なんか、読書案内みたいな感想になりましたが、ついでにいうと、実は戦後文学、特に武田泰淳の戦争体験は高橋源一郎が「DJヒロヒト」(新潮社)で、すでに書いています。そっちは、いずれ(笑)、読書案内しようと思っています。 っそれにしても、いろいろ考えさせてくれる面白い映画でした。拍手!監督・脚本・撮影・編集 塚本晋也原作 アレン・ネルソン製作総指揮 木下直哉音響演出 北田雅也音楽 ermhoiキャストロドニー・ヒックス(アレン・ネルソン ベトナム帰還兵)マーク・マーフィ(アレン・ネルソン青年期)タチアナ・アリ(リンダ ネルソンの妻)ジェフリー・ラッシュ(ニール・ダニエルズ カウンセラー)リリー・フランキー(黒井 講演活動の協力者)2026年・116分・PG12・日本 キノフィルムズ2026・09・07・no167 塚本晋也・キノシネマ神戸国際no72追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.14
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杉浦日向子「YASUJI東京」(ちくま文庫) 1980年ころ、やまだ紫、近藤ようこと、この人、杉浦日向子、「ガロ三人娘」とか、呼ばれて、そこはかとなく人気があって、その頃からのファンです。 三人の中で一番若い1958年生まれの杉浦日向子さんは、2005年、なんと、48歳の若さで亡くなってしまっていて、一番年上で、1948年生まれのやまだ紫さんが2009年、60歳で亡くなってしまって、今やご存命なのは1957年生まれの近藤ようこさんだけのようです。 まあ、この三人の作品を読むようになったのは、その頃、だから80年代に同居人になったチッチキ夫人の書棚で見つけたのが始まりなわけで、今回、この杉浦日向子「YASUJI東京」(ちくま文庫)を読むきっかけになったのも、チッチキ夫人が読み終えて枕元に並べていた青木海青子の「不完全な司書」(晶文社)というエッセイ集(?)を読んで、この本が紹介されていたからです。「杉浦日向子の「YASUJI東京」ってある?」「たぶん、ないわね。」「亡くなって、ずいぶん立つね。」「ろくでもない男で苦労して、早死にしちゃったのよ・・・。」「荒俣宏やったっけ、あの人、ボク、結構、読んだけど。」 というわけで、古本で購入でした。 青木海青子「不完全な司書」(晶文社)の中に「窓を眼差した人」という題でこんな文章がありました。 『YASUJI東京』は、どこか杉浦日向子さん自身の面影を備えた一人の女性が、明治の江戸・東京とビルの立ち並ぶ昭和の東京を行き来しながら、明治を生きた風景画家・井上安治の足跡を辿っていくという物語です。物語は安治の師である画家・小林清親と井上安治の関係性やそれぞれの作風を軸に進んでいきます。清親の描く絵は、温かくドラマチックにそこに息づく人々の営みを切り取るのが特徴で、変わりゆく東京の風景に対しても万感の思い、甘やかな切なさを感じさせます。清親の芯の温かい目線がにじみ出たような作風です。これに対して弟子である安治の描く東京は、画者が透明であるかのような、ある種のあっけなさをまとっていて、画者の気配が立ちのぼるかのような作風とは一線を画しています。こうした安治の風景画のことを、主人公の女性は「安治の網膜に映った風景。たしかにこれは絵ではない。まして写真でもない。百年の時を貫き東京が見える。―窓だ」と評しています。(P56) 青木海青子が杉浦日向子のこの作品に、なんというか、「これだ!」というふうに感応したのは、「窓」という発想ですね。 青木海青子という人はルチャ・リブロという私設図書館を東吉野の山奥で開設して、そこで司書をしている人です。パートナーの青木真兵とお二人でネットでのオムライスラジオとか(聴いたことはありませんが)発信したり、「彼岸の図書館」(夕書房)をはじめ、あれこれの本を出版したりしている面白い人なのですが、「不完全な司書」(晶文社)というのは彼女の単著で、日頃の図書館の様子とか本の紹介とかが、とてもいい文章で書かれていて、楽しいエッセイ集です。 で、そのエッセイの根底には読書を「窓」としてとらえるという独特な見方が流れているのですが、その発想が杉浦日向子が井上安治という風景画家の作品を窓から見る東京としてとらえているところに反応しているわけで、この反応の連鎖にボクは引っかかったわけです(笑)。 というわけで、『YASUJI東京』(ちくま文庫)ですが、懐かしい杉浦日向子がいました。 今、こういうふうにマンガと、マンガですから吹き出しですが、マンガを挿絵化した構成で物語を描く作家はあまり見かけませんね。たとえば表紙の絵は井上の作品の模写だと思いますが、本文では、ほとんど随筆といっていい吹き出しが添えられていて、実に興味深いのですね。 若くして亡くなったのが、もう一度寂しいマンガ家です。あの頃、杉浦日向子が好きだった方にはきっと懐かしいと思いますが、彼女を知らない若い方にも手にとっていただきたい作品ですね。 この文庫本には、単行本には収録されていない「鏡斎まいる」の連作とか「白犬」、「梅殿、桜殿」といった短編も収録されていますよ。2026-no083-1298 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.13
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カウテール・ベン・ハニア「ヒンド・ラジャブの声」シネリーブル神戸 ガザの今を映画化した作品、まあ、そういう興味で見ました。カウテール・ベン・ハニアというチュニジアの女性監督の作品「ヒンド・ラジャブの声」です。 映画を見て、ただ、ただ、腹立たしい、哀しい、やるせない、そういう気持ちになったのは、多分、初めてです。つい先日見た、ウクライナの戦場を描いた「戦場0地点」にも、打ちのめされた気分になりましたが、あれは戦場での戦闘行為でした。 しかし、この映画で、電話の向こうから助けを求めているのは5歳の少女です。2024年1月29日です。スクリーンに登場する人たちは、何とか彼女を救い出そうと、焦りに焦っていました。当然です。しかし、その5歳の少女の命を奪うということがガザというところでは、そこを統治している国の軍隊によって行われているのです。やっとのことで助けに駆け付けた救急車も、乗っていた隊員も殺されました。これは、ただの虐殺です。 その日、ヒンド・ラジャブという5歳の少女と駆け付けた救急隊員もイスラエル軍が虐殺したという事実があったことについて知ることがすべてです。 映画の内容がどうとか、目的がどうとか、言いたい人はいえばいいですが、ボクの中に浮かんでくるのは「もう、やめて!」 ただ、それだけです。 ガザで何が起こっているのかということについてサラ・ロイの「何故ガザなのか」(青土社)、ディーナー・ホサーム・アブールバイアの「ガザ 戦争の物語」(地平社)とか、アーティフ・アブー・サイフの「ガザ日記」(地平社)とか、少しづつ読んでいます。 それぞれの本には、この映画が描いている虐殺、ジェノサイドが「ことば」で記述されていますが、この映画からは、その時、助けを求めた少女の声が聞こえてきます。「誰か、迎えに来て!」 今、世界で起きていることについて関心を失いたくないと、自らを励ましながら、本を読み、この映画を見て、少女のあの声を聴いて、出来ることは何もないのでしょうか。 とりあえず、映画を作ったカウテール・ベン・ハニアという監督に拍手!くらいしかできませんが・・・ 元気のない結論になりましたが、皆さん是非ご覧になって見てください。監督・脚本 カウテール・ベン・ハニア製作 ナディム・シェイクルーハ ジェームズ・ウィルソン オデッサ・レイ製作総指揮 ブラッド・ピット デデ・ガードナー ジェレミー・クライナー ホアキン・フェニックス ルーニー・マーラ ジョナサン・グレイザー アルフォンソ・キュアロン エリザベス・ウッドワード ジェマイマ・カーン ジェラリン・ホワイト・ドレイファウス モハナド・マラス フランク・ギストラ ファルハナ・ブーラ アリ・ジャーファー ハムザ・アリ ベイディー・アリ フランチェスコ・メルツィ・デリル グレース・レイ脚本 カウテール・ベン・ハニア撮影 フアン・サルミエント・G美術 ベッセム・マルズーク衣装 カディア・ゼガイ編集 クタイバ・バルハムジ マキシム・マティス カウテール・ベン・ハニア音楽 アミネ・ブハファキャストサジャ・キラニ(ラナ・ハッサン・ファキフ)モタズ・マルヒース(オマール・A・アルカム)クララ・フーリ(ニスリーン・ジェリース・カワス)アメル・フレヘル(マフディ・M・アルジャマル)2025年・89分・G・チュニジア・フランス合作原題「The Voice of Hind Rajab」2026・09・10・no166・シネリーブル神戸no411追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.12
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リドリー・スコット「ラスト・サバイバー」109シネマズ・ハット 2026年も9月になりました。いくらなんでも、そろそろ涼しい季節を期待していますが、やっぱり、暑いですね。で、暑い日差しの中、今日はリドリー・スコットの名前に惹かれて、久しぶりに109ハットです。見たのはリドリー・スコット監督の最新作「ラスト・サバイバー」でした。面白かった!ですね(笑)。 理由はわかりませんが、廃墟になっているデンバーの飛行場にセスナでやってくるのが青年ヒッグ君と愛犬ジャスパー君です。誰もいないにもかかわらず、自動的に維持されているかの巨大都市でガソリンとか、食糧とか、医療品とか調達して回るシーンに鷲摑みでした。まあ、マンガ的なんですけど、ボク、こういうの好き! そういう作品でしたね。 何が起こったのかを映画は、具体的には説明しませんが、見ているこっちとしては「コロナ後の世界」をストレートに想起させる展開で、うまいなあ!でした。 たとえば、セスナでロッキー山脈の峻険な谷あいに舞い上がりながら、なんと、エンジンを切って漂流飛行です。山々のどこかにぶつかれば墜落です。でも、善意であれ、悪意であれ、疑うことが習慣づけられた他者、他の人間はどこにもいません。 まあ、最初はワンちゃんがいるのですが、夢のようなひとりぼっちの世界です。コロナ騒ぎの最中、結局マスクをしなかった徘徊老人は、人込みが復活した、今、なんだか嘘くさい人ごみを避けて歩くことが習慣になっています。ヒッグ君の孤独な漂流を、どこか、共感とあこがれを感じながら見てしまうのですね。 主人公の青年、ヒッグ君(ジェイコブ・エロルディ)だけが生き残っているのかと思いきや、相棒のバングリーさん(ジョシュ・ブローリン)と二人です。コロラドあたりですからロッキーの山の中です。 ヒッグ君は元整備士、バングリーさんは元軍人という取り合わせが、いってしまえばご都合主義ですが、山の中の小さな飛行場を要塞化して暮らしているという設定が二人と一匹の平和のリアリティーを支えています。こういう、マンガ的な所も好きです。 何故、彼らがそこで生き延びているのか、理由はわかりませんが、山の中の小さな集落で子どたちを守り育てている人々も登場します。「モルモンの連中。」 バグリーさんが吐き捨てるようにいうところに、いかにもアメリカ的な差別感がひびきますが、ヒッグ君は否定します。世界を覆う災厄を避けて隠れ住んでいる「仲間」なんですね。 やっぱり正体不明ですが「敵」もいます。略奪と破壊を象徴化したかの奇怪な集団として描かれていますが、その正体不明さが妙にリアルでした。 で、主人公が愛犬を失ってしまうところからリドリー・スコットでした。 原題が「The Dog Stars」です。大犬座、小犬座という星座がありますが、あれです。 恐らく、この映画が描く世界に至る、ここ数年の異常事態の中でヒッグ君が体験した絶望経験を支えていた、愛犬、ジャスパー君の死。というわけで、物語はここから始まるのですね。 はたして、ヒッグ君は希望を取り戻すことができるのでしょうか? シーマ(マーガレット・クアリー)という女性とその父との出会い、グランド・ジャンクションとかでの戦い、最後はジャスパー座を眺める二人の男女。拍手!拍手! いや、ホント、ホッとしました(笑)。愛する妻と生まれてくるはずの子供を失い、その上愛犬まで失ってしまったヒッグ君が、もう一度、この世界で生きる気持ちを取り戻したシーンを、満天の星空、永遠に輝き続けるジャスパー座を、共に「生きる」こと選んだ二人、ヒッグ君とシーマさんが寝転んで眺める姿で描いているのが、何だか、とても嬉しかったですね。 88歳のリドリー・スコットが、人間が地球という小さな惑星で生きていること、生死を越えた永遠の時間の中、自然のかけらのように存在していることを思い出すところに、もう一度「希望」が生まれるこを静かにうったえている作品だと思いました。拍手! 最近、街を歩いていて人出が増えたことを実感します。若いカップルのお人形ファッションとか、お子さんをスマホ付きのバギーに乗せて電車に乗ってこられるスマホ世代のご夫婦、まだマスク姿の方たち、どなたを眺めていても、なんとなくな違和感を感じながら、浮かんでくるのは「コロナ後の世界」という言葉です。 コロナの最中、人がほとんどいなくなった映画館がとても居心地がよくて、以来、映画館徘徊が毎日のルーティーンになって数年たつのですが、何かが変わりましたね。 なにをうしない、何が横行しているのかはわかりませんが、この作品がたどり着いたところに思い出すべきことがあると感じました。 老いたるリドリー・スコットに拍手!監督・製作 リドリー・スコット製作 マイケル・プラス マーク・L・スミス クリフ・ロバーツ原作 ピーター・ヘラー脚本 マーク・L・スミス撮影 エリック・メッサーシュミット編集 サム・レスティボ クレア・シンプソン音楽 ハリー・グレッグソン=ウィリアムズキャストジェイコブ・エロルディ(ヒッグ)ジョシュ・ブローリン(バングリー)マーガレット・クアリー(シーマ)ガイ・ピアース(ジャック)アリソン・ジャネイベネディクト・ウォン2026年・119分・PG12・アメリカ原題「The Dog Stars」 配給 ディズニー2026・09・02・no163・109シネマズ・ハットno86追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.11
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岸善幸「白鳥とコウモリ」キノシネマ神戸国際 別に、つい、先日亡くなった東野圭吾の死を悼んで見たわけではありません。出演者の名前に柄本佑とか、井川遥、風吹ジュン、吉田羊、ついでにいえば三浦友和の名前があることに興味を引かれて見ました。ザンネンんがら主演のお二人については、お名前も顔も知りませんでした。でも、松村北斗、今田美桜、ともに素直な演技が印象的でよかったですよ。 発表当時から160万部も売れたという東野圭吾の作品を原作にして、岸善幸監督が撮った「白鳥とコウモリ」です。 この原作は読んだことがありませんが、「放課後」(講談社文庫)で江戸川乱歩賞だったかを取ってから「容疑者Xの献身」(文春文庫)で直木賞を取るころまで読んでましたが、その後の超人気作家東野圭吾の作品は全く知りません。 で、映画です。 2017年11月1日、白石健介という弁護士の刺殺死体が発見され、容疑者として、愛知県に住む倉木達郎という男が浮かびます。捜査するのは警視庁捜査一課の刑事五代努です。 で、倉木は弁護士殺害と、33年前岡崎市で起こった殺人事件という二つの犯行を自供します。 ドラマは2017年の東京と1984年の愛知を交錯させて展開しますが、倉木の自供を巡って「なぜ父は、殺人を犯したのか?」「なぜ父は殺されないといけなかったのか?」 と、登場した、容疑者の息子と被害者の娘のその問いが、謎解き映画の段取りでした。面白く見終えました。 面白さの一つは、スマホやネットの時代になっている2017年に33年前を重ねた結果、古いアルバムや手帳にあるアナログ情報が謎を解く鍵を握っていたことですね。 ボクがこの手の推理作品を見たり読んだりしていたのは1970年代からの10年間くらいのことで、たとえば、まあ、ちょっとベタですが、松本清張とかの作品の事件はたいてい戦後を引きずっており、捜査の武器は足でしたが、この映画の事件の一つがその時代を彷彿とさせてくれて、何だかワクワクしたんですね。 結果的には街中に設置された監視カメラが決め手にはなるのですが、好景気に沸いたかに見えた、あのバブルの時代の裏側の記憶を古い写真や手帳のメモで解き明かしていく展開は印象に残りました。 で、もう一つは、「父と子」の物語だったことですね。 おそらく20代でしょうね、働き始めた息子から見た、娘から見た、それぞれの父の姿を、若い二人の俳優が、懸命の表情、ことばにならないことばの演技によって演じようとしているのにうれしい気持になりました。 いつの間にか、見ているボク自身は殺されたり、殺したりした父のがわの人なんですからね。父親が生きてきた人生の足跡をたどる子どもたち このあたりが、東野圭吾という作家の持ち味、彼の人気の理由なのでしょうね。 久しぶりの風吹ジュン、井川遥、吉田羊、そして三浦友和、みなさん、お元気そうで何よりでした。拍手! 謎ときに引き込まれる代込みも悪くなかったのですが、ボク自身が生きてきた「時代」を振りかえることを促すかの展開にしみじみ見蕩れました。拍手!監督 岸善幸原作 東野圭吾脚本 向井康介撮影 羅偉恩編集 二宮心太音楽 網守将平主題歌 大森元貴キャスト松村北斗(倉木和真 容疑者の息子)今田美桜(白石美令 被害者の娘)柄本佑(五代努 警視庁刑事)中村芝翫(白石健介 被害者・弁護士)漆山拓実(白石健介・40年前)吉田羊(白石綾子 被害者の妻)三浦友和(倉木達郎 容疑者)井之脇海(倉木達郎・40年前)風吹ジュン(浅羽洋子 小料理屋「あすなろ」女将)井川遥(浅羽織恵 小料理屋「あすなろ」娘)前原滉(中町刑事)宇野祥平松岡依都美松尾諭丸山智己三浦誠己斉藤陽一郎原田琥之佑のせりん五頭岳夫2026年・145分・G・日本・松竹2026・09・07・no165・キノシネマ神戸国際no71追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.10
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徘徊日記 2026年9月6日(日)「あんカフェ!」和田山・法道寺あたり 玄関では、こんなお出迎えの方が笑っていらっしゃいます。ここはどこかといいますとこんな暖簾が下がっております。 「あんカフェ」という古民家カフェですね。もう少しカメラを引きますとこんな感じです。 朝来市和田山町の北西部を大蔵地区と呼びますが、そのハズレの法道寺という、今では三十数軒だと思いますが、小さな村があって、その村にあるのが「あんカフェ」というぼた餅とコーヒーの取り合わせが評判のカフェです。 実はここ、ゴジラ老人の生まれた家、実家なんです。ボクの実家、今ではカフェなんです(笑)。 で、今日は、もう秋ですけど、この夏というか、2026年というか、はじめての里帰りでした。 この「あんカフェ」はアキヤマさんという、ボクの姉のお友達らしいのですが、もともとは、小学校の保健室にいるセンセーをなさっていた方が切り盛りしていらっしゃいます。 今日は、ひろみちゃんという、アキヤマさんのお嬢さんも手伝っていらしゃって、はじめて、ご挨拶しました。 実は、彼女のお父さんはボクの高校の同級生です。「エッ?アキヤマくん?」「オッ、シマクマ?」 まあ、そういう、懐かしくも思いがけない出会いもありました。 あんカフェでは、ひろみちゃんが焼いていらっしゃるらしいあんパンとかも販売していらっしゃいました。 というわけで、コーン・クリームパン・ランチとかいただいて、美味しいコーヒーを堪能して久しぶりの実家の裏庭の景色に浸りました。 池もあります。ケヤキとか、昔は栗の木もあって、なかなか立派に見える裏庭があるのが、亡くなった父親の自慢の庭だったんですね。松の木、梅の木、さつき、つつじはもちろんですが、但馬の奥の、どこかの山から掘って来たシャクナゲとかの植え込みもあるはずです。 こうやって写真で見ると、いかにもシブイ庭園にみえますが、裏の畑にのぼる石段です。 玄関を出ると、松の枝にこんな看板です。またのお越しを お待ちしております あんカフェ また、帰ってこようと、しみじみ思いました。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.09.09
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「播但線、終点、和田山!」 徘徊日記 2026年9月6日(日)駅あたり 2026年、9月6日、日曜日の朝の10時です。 但馬の朝来市和田山駅の特急「はまかぜ1号」鳥取行きです。播但線を経由して大阪から鳥取まで行くジーゼル特急車です。寺前から和田山間が電化してないんですね。廃止が話題になり続けている路線です。 9時前に姫路駅から乗りました。到着したのが、先日、同窓会で出会った和田山中学のある町のJRの駅です。数年ぶりです。故郷の町です。 今日の用事は親族の御不幸です。まあ、そういうことでもないとここまでやってくる気力というか、やる気が出ない徘徊老人の今日この頃です。 駅前では和田山で暮らし続けている姉の出迎えです。ここから豊岡まで久しぶりの但馬の道でした。 葬儀が終わって、和田山まで帰ってきました。午後3時40分ころです。今から、播但線、寺前行き普通列車、1両編成です。1両ですが、ちゃんとトイレもあります。ジーゼル車です。 これまた懐かしいですね。こういってはなんですが、今どきジーゼルです(笑)。 普段の日なら、和田山中学校の中学生が乗ってくる時刻ですが乗客はまばらです。今日は日曜日ですからね。 何年ぶりでしょう、帰省のたびに乗った列車です。天空の城とかの竹田を越えて青倉、新井、生野峠に差し掛かるあたりから生野駅まで、上り坂に苦労してスピードが、ぐっと落ちのは相変わらずです。まあ、それが懐かしいんですね。 車窓の風景に釘付けです。頭のなかは、湧き出してくる思い出でいっぱいでした。 なつかしい一日でした。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.09.08
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ミスティスラフ・チェルノフ「戦場0地点」シネリーブル神戸 何となく行き当たりばったりで見ました。ビックリしました。コトバを失いました。スゴかったです! ミスティスラフ・チェルノフというウクライナの監督の「戦場0地点」、原題は「2000 Meters to Andriivka」、「アンドリーウカまで2000メートル」です。 Andriivkaというのは、この撮影の時、ロシア軍に占領されていたウクライナ国内の小さな集落の名前でした。 一面の、この時は何も作られていないのですが、多分、普段は耕作地、麦畑の真ん中に、戦禍のせいでしょうか、枯れた潅木の茂みが続く、幅数メートルの直線地帯があって、周辺の畑地は地雷地帯だそうですが、そこだけは歩ける通路のようです。 この被占領地の小さな集落を奪還しロシア軍の補給を絶つことを目指すウクライナ軍の2000メートルの奪還作戦の始めから終わりまで、手持ちのカメラ、兵士のヘルメットのカメラ、多分、ドローンによる空中撮影を駆使して撮影した、ホンモノの戦場の実況中継でした。 時々、煙や火の手が上がるのは見えますが、実際に飛び交う弾丸は見えません。見えたとしても埃のようですし、銃声もパンパンと玩具のような音で聞こえるだけです。でも、次の瞬間、目の前の兵士が倒れるのです。本物の戦場です。面白がる余裕はありません。ただ、ただ、目の前の予想を超えた出来事に目を瞠り、結果的に考え込まされました。 撮影しているミスティスラフ・チェルノフ監督も命懸けですが、撮影に協力している兵士たちも命懸けです。それぞれがウクライナの青年たちで、塹壕でホッと一息ついたときにカメラマンと兵士のあいだで交わされる会話は、何だか、そのあたりで交わされる日常会なのですが、それが、かえって、互いが命懸けで、そこにいることを実感させて、文字通り本気の言葉のやり取りです。 劇場で座って見ているボク自身の立場を痛感しました。ロシアが悪いとか、ウクライナの国内情勢はどうとか言う気になりません。「たのむから、早くやめて!」 浮かんできたのは、そんな、頼りない言葉でした。やっぱり、戦争は悪です。監督・脚本・撮影 ミスティスラフ・チェルノフ製作 ミシェル・マイズナー ラニー・アロンソン=ラス共同製作 アレックス・バベンコ追加撮影 アレックス・バベンコ編集 ミシェル・マイズナー音楽 サム・スレイター2025年・108分・G・ウクライナ原題「2000 Meters to Andriivka」2026・09・05・no164・シネリーブル神戸no410追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.07
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エドワード・ヤン「恐怖分子」シネリーブル神戸 「海辺の一日」という初期の作品が上映されたので初めて見て「ふーん・・・」とか思っているとこの作品も上映されたので見ました。 エドワード・ヤン監督の「恐怖分子」です。 小説を読むときに、この描写の書き手は?ということが気になる読み方をするようになって久しいのですが、映画館を徘徊し始めて10年近くたって、最近、ようやくですが、このシーンは誰が見てるの?ということが気になり始めました。 小説なら、作家が書き手ですが、プロット、プロットでは、作家による創作人物が語るということが組み合わされて「書かれた世界」が、読み手の意識の中で立体化するわけですが、映画であれば「映像」ですね。 上のチラシで、ビルの窓から拳銃が出ていて何かを狙っているようなんですけど、普通、この拳銃は、誰が誰を狙っているのか、なのですが、ボクの場合は、ここの、このシーン、誰が見てるの?という疑問です。 このシーンは予告編でも映されていて、実際、映画の本編の中にもありました。でも、このシーンが誰の目によって見られているのか、ボクには最後まで分からなかったんですね。 この映画には出来事の視点人物としてカメラ小僧とでも呼ぶべき少年が登場して、目の前で偶然起こる事件にカメラを向けて夢中になりなりながら、被写体である不良少女に心を奪われるという、本筋を支える裏筋ともいうべきストリーが配置されていて、ややこしいことこの上ない展開なのですが、じゃあ、このシーンを見たのはカメラ小僧なのかといえば、ボクは怪しいと思うのです。 だいたい、このシーンはあったのか?ですね。 このあたりがエドワード・ヤンという監督の才能というか、映画的感性の図抜けた所なんでしょうね。中国語では「恐怖份子」という題なのですが、份子なのですね。いうならば、ナレーション的なこのシーンを挿入することによって、映画が描く「恐ろしさ」を観客に負担させる、分担させるとでもいう意図なんでしょうかね。実に面白い発想でしたね。拍手! ただ、ボクは、そういう映画的作為には、大いに喜んだのですが、映画そのものには、それほど感心しませんでした。まあ、ボクの好みというか、感じ方のせいだと思いますが、最後に銃に弄ばれた主人公といい、作家である女性といい、まあ、こういってなんですが、ありきたりというか、通俗だと感じちゃったんですね。 なんていうか、人って、こういうふうに、こういうことに振り回されて、死んだり生きたりしているんですかねえ・・・という感じですね。しんどいですね。 普段は、そんなに遅くまで外にいることが少なくなった夜、午後9時を過ぎた帰り道で、映画の作意を反芻しながら、何だかこの世界のむなしさに浸りました(笑)。 しかし、まあ、よく考えられた作品であったことは事実なわけで、やっぱり、拍手!ですね。監督・脚本 楊徳昌エドワード・ヤン製作 リン・トンフェイ脚本 シャオ・イエ撮影 チャン・ツァン美術 ライ・ミンタン編集 リャオ・チンソン音楽 ウォン・シャオリャンキャストコラ・ミャオ(周郁芬 作家)リー・リーチュン(李立中 医師)チン・シーチェ(沈維彬 編集者)クー・パオミン(警察官)ワン・アン(不良少女)マー・シャオチュン(カメラ小僧)ホアン・チアチンリウ・ミン1986年・109分・香港・台湾合作原題「恐怖份子」英題「The Terrorizers」2026・08・31・no161・シネリーブル神戸no409追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.05
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チャン・リュル「ルオムの黄昏」元町映画館 元町映画館が2026年8月の末から9月の初旬にかけて張律(チャン・リュル)監督の作品を、2本連続で上映してくれてます。 「柳川」とか見て、ただものじゃないなあという記憶で印象深いチャン・リュルというこの監督について、その出身が朝鮮なのか、中国なのか、訝しく思っていましたが、彼が中国の吉林省の延吉市生まれの朝鮮族三世だということ、で、もともとは小説家を志していた人だということをようやく知り、ますます興味をそそられての鑑賞でした。 まあ、時間の都合もあって、まず見たのはチャン・リュル監督の「ルオムの黄昏」でした。 北京で中国舞踏のダンサーをしているらしい白(バイ)という女性がルオムという町を訪ねてやってくるという旅の映画でした。ルオムというのが、漢字で書けば羅目鎮、四川省の峨眉山という仏教の聖地の麓の町の名前であることに気づいて「へぇー、そうなんだ!」という調子で見始めたのでしたが、白が泊まったホテルの女主人である劉(リウ)という、ナカナカ個性的な女性が登場し、北京の魯迅博物館とかで働いていた過去がある人だということなのですが、彼女が、「天国は嫌だ、地獄は嫌だ、君たちと付き合うのも嫌だ」という意味(まあ、ボクが、そう理解したという適当な記憶ですけど)の、魯迅の詩の一節を暗唱するシーンで鷲摑みでした。 ボクの勝手な見方にすぎないのかもですけど、そこからは、この映画に登場するすべての人たちのこころの奥底に流れる通奏低音として、魯迅のこのことばが聴こえてくる印象で、とどのつまりの結末にも、「ああ、やっぱりね。」という納得でした。 白のかつての恋人、王(ワン)が送って来た一枚の絵葉書に記された「羅目鎮の黄昏」が、白を、この地に招き寄せた物語の発端なのですが、この監督が、今まで見てきた作品でも描き続けてきた、見知らぬ土地を歩く「旅人」としての人の姿と、その人々が見あげたり、座ったり、歩いたりする、山々の風景、水辺、階段、廃墟、庭、すべてのシーンが、この映画でも美しさを湛えながら、ある哀しさを孕んでいる印象が素晴らしいですね。 やっぱり、この監督、ただものではありません。拍手! ダンサーである白のたよりなげに踊る姿に漂うこころの揺れ方も、劉と黄(ファン)という老カップルの別れに至る淡い関係も、吃音を気にして大人とは口をきけないのに子どもとは話せるメイド、雷(レイ)の存在も、朝鮮族の旅の男朴(パオ)の登場と退場も、たしかに、見失った恋人を探す白の内面については、かなり丁寧に描かれているのは当然としても、それぞれの登場人物たちの「心のかたち」を意味ありげに焦点化しない、この監督の世界の描き方の自然さがボクはスキですね。 さて、次は「春樹」です。ワクワクですね(笑)。監督・脚本 チャン・リュル張律製作 ポン・ジン製作総指揮 ホアン・ジェンシン撮影 ピャオ・ソンリーキャストバイ・バイホー(白バイ 旅の女性)リウ・ダン(劉リウ ホテルの女主人)ホアン・チエンシン(黄ファン ホテルの居候)ワン・チュアンジュン(王ワン 白の恋人)ポン・ジン(彭ポン 劉の女友だち)レイ・シャーヨン(雷レイ ホテルのメイド)ピャオ・ソンリー(朴パオ ホテルの客)2025年・99分・中国原題「罗目的黄昏」英題「Gloaming in Luomu」2026・08・29・no160・元町映画館no393追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.04
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ハロルド作石「THE BAND 5」(講談社) 我が家へのマンガ便の配達人トラキチ君はハロルド作石の傑作「BECK」(講談社)のファンです。当然、このマンガは大好き!なんですね。 ボクも好きですが、トラキチ君とか、まあ、ゆかいな仲間に教えられて読んだんですね。2002年の講談社漫画賞、懐かしいですね。ハロルド作石だって、もう、58歳だそうですし。 8月のマンガ便で届いたハロルド作石の「THE BAND」(講談社)、第5巻です。 表紙のユウヘイクンも、彼がよせてもらっているドラカリスという3人組のバンドも、まだまだヒヨッコです。今回、初めて、人前で演奏するシーンがありました。「新曲が唸りを上げる?!」 この新刊の腰巻にはそうあるんですが、ユウヘイクンも、読者も納得してません。でも、まあ、いよいよ、始まったようです。まあ、それにしても、登場する人たち、みんなカワイイ(笑)。がんばれ!2026-no082-1297 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.03
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鈴ノ木ユウ「竜馬がゆく 17」(文藝春秋社) 2026年8月のマンガ便です。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を鈴ノ木ユウがマンガ化している「竜馬がゆく」(文芸春秋社)の第17巻です。 第16巻の表紙は岡田以蔵の苦闘の顏でしたが、この17巻の表紙では笑っている武市半平太です。舎弟というか、彼を信じた足軽岡田以蔵を見捨てた(?)武市半平太が、「郷士ごときが!」と隠居したはずの藩主山内容堂に見捨てられ、切腹を命じられて果てるのが17巻のメインストーリィーです。 伝説として語り伝えられることになる三文字切腹で、見事に死んでみせた武市半平太最後の笑顔!ですね。もちろん着ているのは死装束です。 機を見るに敏とばかりに、公武合体に舵を切った土佐藩で徹底的に弾圧された土佐勤皇党破滅のピークです。容堂派の走狗として板垣退助、後藤象二郎が登場するのが、歴史の面白さといえばいいのかもしれませんが、ここからの「竜馬がゆく」の結末と、明治新政府の茶番的権力闘争を歴史事実として知っている眼から見れば、やはり「人間的悲劇」の連鎖!にしか見えませんね。 この作品をマンガ化している鈴ノ木ユウは、原作の司馬遼太郎が、どんな思いを「竜馬がゆく」(文春文庫)に托していたのかを考えるとき、司馬遼太郎のトータルな歴史観を云々する以前の、文学的感受性というか、人間に対する興味のあり方をこそ描きたいという絵柄と場面描写を続けて描いています。マンガとして描くにあたっての焦点化もあるのでしょうが、鈴ノ木ユウというマンガ家の人間観も感じられて、面白いですね。2026-no081-1296 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.02
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ヨハン・グリモンプレ「叛逆のサウンドトラック」シネリーブル神戸 60年代のアメリカでの、さまざまな社会批判、公民権をはじめとする抵抗運動と、同じ時期のジャズというか、音楽的シーンを絡ませた回顧映画かな、まあ、そんな、実にいいかげんな興味で見ました。仰天しました! 凄い作品でした。先日見た「美しく、黙りなさい」も、そうだったのですが、まず、自分も生きていた同じ時代に、世界で起きていたことについて、あまりにもな、無知、無関心だったことをストレートに指摘される、実に厳しい映画でした。 見たのはヨハン・グリモンプレという1962年、ベルギー、ブリュッセル生まれの監督の「叛逆のサウンドトラック」です。 映画は、出だしから、50年ほど前に、大学生になった頃のボクが初めて聴いて、「ああ、これがジャズいう音楽か、サイコーやん!」そう思ったことを鮮烈に覚えているメロディーとリズムが流れはじめ、ルイ・アームストロングをはじめ、マックス・ローチ、ガレスビー、コルトレーン、エリントン、ニーナ・シモンといった、まあ、ボクでも顔とか、音とかがわかるビッグ・ネームが、次から次へと登場します。「スゴイ顔ぶれやけど、音楽映画やんな?」 焦点が定まらないまま、そう思ってみていると、戦場化しているコンゴというアフリカの国の写真や映像が重ねられ、はしゃいでいるとしか見えないフルシチョフが登場し、そして、マルコムX、国連事務総長ダグ・ハマーショルドです。最後にはアイゼンハワーやカストロも登場します。映画が、何を描こうととしているのか、なかなか理解できていません。で、この音楽と、この事件と、この政治家たちは?で後半に入っていきました。 座って見始めて40分くらい、まあ、時計で確認したわけではありませんが、マルコムXが、繰り返し登場し始めるあたりからでしょうか、そういう、困惑が徐々に解きほぐされていきます。監督が何をやろうとしているのかが、何となくわかり始めて、ドキドキし始めました。抵抗のリズム覚醒のリズム革命のリズム チラシの裏にあるウタイ文句ですが、「茶番に利用されたジャズ・ミュージシャンたち」がチラシの表にあったことも忘れたらあきませんね。 フルシチョフがテーブルを叩くのも、マックス・ローチのドラムも、サッチモの懐かしいトランペットも、ある時代のBGMだったんですね。 スゴイ描き方でした。 マックス・ローチとアビー・リンカーンが国連で暴れる姿の映像に感動しながら、果たして、世界は20世紀の植民地主義、人種差別を本当に反省したのだろうか?というスルドイ問いを突き付けるヨハン・グリモンプレ監督に拍手!拍手!でした。 1903年以来、ベルギーの植民地であったコンゴが1960年、一旦独立したのち、指導者であるパトリス・ルムンバが1961年に暗殺されたということを、まず、歴史事実として知りませんでした。当時の国連事務総長ダグ・ハマーショルドが良識派のスウェーデン人だったらしいという理解でなんとなく記憶していましたが、彼が、アフリカの人たちの尊厳を本当に希求していた人だったかどうかも、この映画の問いの一つでした。 ベルギーの監督が、今、この映画を作る時代認識の鋭さに唸りました。スクリーンのアーカイブな映像も衝撃的でしたし、音楽も楽しいんですね。まだまだ、知るべきこと、気づくべきことが山ほどあることをいろいろな映画が教えてくれますね(笑)。拍手!監督・脚本 ヨハン・グリモンプレ製作 ダーン・ミリウス レミ・グレレティ編集 リック・シャウベットナレーション マリー・ドールン パトリック・クルーズ・オブライエンキャストルイ・アームストロングディジー・ガレスピーアビー・リンカーンマックス・ローチニーナ・シモンミリアム・マケバジョン・コルトレーンデューク・エリントンメルバ・リストンエリック・ドルフィーチャールズ・ミンガスオーネット・コールマンル・グラン・カレロック・ア・マンボドクター・ニコマリー・ドールンパトリス・ルムンバエディ・ウォーリーウィリス・コノーバールネ・マグリットアンドレ・ブルアンニキータ・フルシチョフイン・コリ・ジャン・ボファーネマルコムXコナー・クルーズ・オブライエンアレン・ダレスジョン・F・ダレス2024年・156分・ベルギー・フランス・オランダ合作原題「Soundtrack to a Coup d'Etat」2026・08・28・no159・シネリーブル神戸no408追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.01
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「55年ぶりの幼なじみ!」 徘徊日記 2026年8月30日(日)姫路駅あたり 2026年、暑かった8月の終わりの日曜日、姫路に来ています。お昼の12時です。久しぶりの姫路城です。 で、目的は中学校の同窓会です。幼なじみたちとの、50数年ぶりの再会です。昨晩は、ちょっと寝られませんでした。 姫路駅のすぐ前にあるホテルが会場です。到着しました。和田山中学校3期生の会です。 今では朝来市ですが、ボクが中学1年生になった1967年当時は朝来郡でした。当時、和田山町の中学校は、名前こそ統合和田山中学校でしたが、ボクが最初通った大蔵校舎、糸井校舎、竹田校舎、そして和田山校舎の4つ校舎に分かれていました。だから統合和田山中学校の1期生、2期生の方たちはそれぞれ別の学校の生徒のままでした、ボクが3年生になった1969年(昭和44年)、ようやく新しい校舎、グランドが和田山の柳原というところに完成し、町内の中学生が一堂に会する統合和田山中学校がスタートしました。 というわけで、実はボクたち3期生が、実質的な1期生なのですね。 和田山は兵庫県の北部、但馬地域の南部に位置する小さな田舎町ですが、町内の中学生たちは、その時から、徒歩通学、自転車通学、汽車通学、スクールバス通学、そして、翌年以降には冬季の寄宿舎まで建設されて、中学校に通うというだけでも、実にさまざまな体験をするようになったのですが、その始まりの中学生が、今日、集まった3期生なのですね。 今回の同窓会が、和田山からは播但線で2時間以上かかる姫路で開催されたのは、開催の労をとられた方たちが、卒業後50数年、街を離れ、神戸や大阪で暮らすようになっている多くの同窓生、まあ、ボクもその一人なのですが、の境遇を慮っての結果です。ありがたいことですね(笑)。 集ったのは、みなさん70歳を越えた、当たり前ですが、同い年の方たちでした(笑)。1学年300名ほどの同窓生の内50人をこえる方々が集われて、にぎやかな、楽しい会でした。 で、校舎ごとに同じテーブルだったのですが、4つの校舎の中でも、とりわけ人数の少ない、1学年40数名しかいなかった「大蔵校舎」の仲間たちがこのイラストです。 このメンバーは保育園、幼稚園から一緒で、中には中学校卒業後、同じ高校に進んだ方もいるのですが、小学校で転校してきたエビハラクン以外は、お互い、ユミちゃん、ジュンちゃんと幼いころの呼び名の応酬で、いや、ホント、ウルウルしっぱなしでした。いつまでもたえることなくトモダチでいよう♪ ホント、そう歌いだしたくなる帰りの電車でした。幹事の皆さん、本当にありがとう!今日の日はさようなら、また会う日まで♪皆さん元気でね(笑)。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.08.31
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原泰久「キングダム 80」(集英社) トラキチ君の届けてくれる8月のマンガ便です。原泰久の「キングダム 80」(集英社)です。遂に80巻到達です。 時は始皇18年、西暦なら紀元前229年です。「キングダム」78巻くらいから始まっている秦趙大戦は三日目に突入しています。 舞台は趙の都邯鄲を目前した趙の領内です。 登場する将軍たち、誰が趙軍で、誰が秦軍なのか、半ボケのシマクマ君には、もう、すぐにはわかりません(笑)。 だいたい、表紙の3人だって、下の二人が信と羌瘣だとはわかりますが、中央にいるが、多分、李信のライバル王賁なのですが、すぐには気づけません(笑)。 闘いは秦軍、若き闘将王賁の作戦が功を奏し、膨大な数の趙軍の防衛線を突破、飛信隊、遂に邯鄲城攻城戦に突入かと思いきや、趙の名将李朴の登場で、飛信隊、邯鄲城を背に、絶対絶命の窮地です。 またしても81巻が待ち遠しい結末。 いやはや、何とも、疲れる展開ですが、ワクワクは変わりません(笑)。 2026-no080-1295 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.30
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緒方正人「チッソは私であった」(河出文庫) これを書いているのは2026年の8月です。7月の末に熊本で大きな地震がありました。それから余震が続いているようです。10年前にも被災した熊本のことを思いながら、この本のことを思い出しました。緒方正人「チッソは私であった」(河出文庫)です。 地震の話ではありません。今では50年も昔のことになりましたが、水俣病の患者の方たちがチッソという会社や国、県を相手取って闘っていらっしゃった、水俣病闘争を牽引していらっしゃった人たちの中で、もっとも過激派として知られている緒方正人という方がいらっしゃいます。 その「チッソ」と闘っていた緒方さんが、「チッソは私であった」という、聞きようによっては信じられない発言なのですが、ご自分の思想のたどり着いた、その「場所」について語っていらっしゃるのがこの本です。「家出から運動へ」と題された最初の文章の中に、その発言に「たどり着く」に至る、はじまりの語りがあります。 私が六歳になろうとするとき、非常に健康だった親父が発病し、手足のしびれから始まって後頭部の痛みを訴えて入院しなければならなくなる。病名も原因もわからないまま、二ヵ月後に亡くなるわけです。あまりにも激烈な死の遂げ方、亡くなっていく様は、幼い私には受けとめようがなかった。病院でも狂いに狂って、畳が擦り切れてしもうてですね、のたうちまわるもんですから。よだれは流すし、飯食うときもこぼしてしまうし、もう、クワーッとなって、なんもかんもこぼれてしまうわけですね。煙草を吸ってましたから、煙草をこうして、もうそれこそ振動も数え切れないぐらいの振動、動きを、ものすごくやるわけです。煙草はまともに灰皿には入らないわけですね。そこら辺に落ちたり、畳が焼け焦げたりするわけです。自分の足で、太股でねじりつけて消したりしてましたけど、そういうのを見てて、しかもですね、薬も注射も何も効かんし、モルヒネをお医者さんがあとで打っていたと思います。これは麻薬だからと言って。これしかもうなかったですって。もうお手上げ、お医者さんもむなしいかったことですよ。本当に。私が水俣病のことを考えていく過程で一番大きな動機は、親父の発病と狂い死にしていく様を見せつけられたことだったと思います。 すでに成人していた兄や姉と違って、私は幼児期に、あまりにも異様な親父の姿を見てしまって受けとめようがなくて、チッソという会社も見たこともなく、そして金の値打ちもほとんど知らない。そこから自分の水俣病が始まっていく。ですから、私自身の「固有の水俣病」という捉え方があるように思います。これは決して私だけではなくて、それぞれの患者、被害者に「固有の水俣病」があると思います。私の家の向かいの、隣の、あるいは近所の家でも、自分の親やつれあいや兄弟やこどもや、そういう人たちを亡くした人たちはたくさんいるわけです。そういう一人ひとり固有の人間苦があった。水俣病事件史は確かに大きな流れとしては一つですけれども、私はその「固有の水俣病」がそれぞれの人生に深く食い込んでいると感じています。 親父が亡くなるのと同じ頃、親父の孫が二人生まれましたが、母親のお腹の中で水銀の毒が入ってしまう胎児性の水俣病だったわけです。そうやって親父の発病から始まって、私からすれば甥や姪、それから兄弟たちにも毒が回っていく。小さな漁村で、当時、「奇病」「伝染病」といわれた水俣病をかかえて、家の前を人が口を押えて小走りで通り抜けて行ったり、私の家で捕った魚は市場で買わないというように、うつることを恐れて避けられて、非常につらい思いをしてきました。 魚を食べたのはその決して親父だけではなくて、家族全部、食べているんです。しかし、一番その激しい形で症状が出たのは親父だったわけです。あるいは生まれたばかりの孫だったわけです。私自身もやはり現在でも手足の痺れや、口のまわりの痺れ、後頭部の頭痛があります。それは激しいときと、そんなにまでないときと、波があるわけです。 写せども、写せども,、写し続けたくなる、まあ、そういう文章というか、語りというかがあるものですよね。本当は、本書の最後まで筆写してお読みいただいたらイイナという気持ちです。ボクが彼の言い草を要約することなんて、どう考えてもできないんですから。 緒方さんは、ボクより一つ年上の方だと思いますが、悪くいうなら「老いの繰り言」のような語りです。 でも、彼が被害者認定申請をとり下げたのは1985年、30代の始めです。で、この語りを本にして世に問うたのは50代だったんです。決して老いの繰り言ではありません。 文庫になって、初めて緒方さんのこの本に出遭ったボクが、この本で緒方さんが語る世界を繰り言のように読み返しているにすぎません。 緒方さんが、30代でたどり着いてしまった場所。人間の本質を「チッソは私であった」という境地について、繰り返し読み返しながら考え込みながら、納得と困惑を行き来するかの、こうして案内しながら「それで、何を伝えたいのか?」が形をとってくれない自分の姿にこそ「老いの繰り言」を感じているのかもしれません。ところで、みなさん、チッソってご存じですか? 今、振り返れば、近代という時代の象徴のような化学合成会社として、戦後、九州の水俣に登場した「チッソ」という会社です。戦前は朝鮮半島のどこかでもやりたい放題の垂れ流しをやっていた会社です。海や川に水銀を垂れ流して、魚をはじめ、生きものたちを殺し尽くしてきた会社です。 で、この本は、その会社の悪行に家族を殺され、世間から差別され、やむにやまれずその会社と闘った青年が「チッソは私であった」という結論にたどり着いた苦闘の経緯を、オジサンになって繰り返し語った本です。 「加害者」としてのチッソがあって、被害者としての水俣の人たちがいる。ボクの20代からの理解の仕方を要約すればそうなります。彼の論旨を「近代社会批判」として、人間同士の「加害と被害」として読む発想です。ボク自身も、一読、そう読みました。 で、今、読み返して思うんです。「そう読むべきなんでしょうか?」 とてもつらいことですが、「ぼくたちは、チッソなんです!」 そう読めないと、緒方さんの言葉の場所にはたどり着けないんです。人間が「自然」であるということを心の底からわかることを求めている語りです。 今、ボクは、この本は、自分が自然現象であるということを忘れた、ボクも含めた人間たちの滅亡を予言している書だと思います。「水俣」が歴史的事象として忘れられつつある、今、読むべき本じゃないでしょうか。2026-no046-1261 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.29
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デルフィーヌ・セリッグ「美しく、黙りなさい」元町映画館 「去年マリエンバードで」のデルフィーヌ・セリッグという女優さんが1976年に監督して撮ったインタビュー作品、「美しく、黙りなさい」を見ました。50年前の作品です。 ボクが映画にハマっていた70年代の後半、スクリーンに登場していた女優さんたちの、50年後の、今、聞いてもギョッとするような発言が集められているドキュメンタリィーでした。いずれも名画の誉れ高い作品に出演している女優たちです。 「ジュリア」のジェーン・フォンダ、「愛と追憶の日々」・「アパートの鍵貸します」のシャーリー・マクレーン、「中国女」のアンヌ・ヴィアゼムスキー、「ラスト・タンゴ・イン・パリ」のマリア・シュナイダー、「アリスの恋」のエレン・バースティン、「カッコーの巣の上で」のルイーズ・フレッチャー、「結婚しない女」のジル・クレイバーグ。 今でもそうですが、俳優の顏も名前もきちんと覚えようとしない、ただの映画好きだったあの頃の映画の記憶が、化粧っけなしのまま語る彼女たちの姿を見ていてにワラワラと浮かんできます。でもね、浮かんでくるのは男性のスター俳優の顏と男性の監督の名前なんですよね。 聴こえてくるというより、字幕を一生懸命追いかけて「聴く」、彼女たちの発言に、50年近くたった、今、それぞれの映画を、ボクがどう見ていたのか、映画に登場する女性を演じる彼女たちの姿をどう見ていたかを思い知らされます。カッコいい男優たちの活躍を男の夢として記憶に焼き付けながら、「美しく、黙っていた」 彼女たちの姿を、そういうもんだという、考えてみれば傲慢この上ない女性観を育てながら、かわいいとか、色っぽいとか喜んで、その容姿や表情に惚れこんでいたんですね。 たとえば、このインタビューの終わりころに、ジェーン・フォンダが「ジュリア」という作品に出演してリリアン・ヘルマンを演じた喜びを語りながら、結局、フレッド・ジンネマン監督は彼女の演技の意図を理解できなかったことを語っているシーンがあります。ボク自身は、この映画を1970年代の後半、そのころ読んでいた作家のダシール・ハメットをめぐる女性たちの愛の物語として50年記憶してきたんですよね。 女性解放とか、ウーマン・リブとかが叫ばれ始めたあの時代に、結構、多感に反応する20代だったと思っていましたが、男性原理主義者である本質には、自分自身でも気づかないまま、あたかも、男女平等主義者であるかの自己認識を取り繕ったまま50年間、常識的な社会人のつもりでいたことを、真っ向から批判され、気づいていなかった自分自身を暴露されていく、実に衝撃的な映画体験!でした。 50年前にこの作品を作ったデルフィーヌ・セイリグ監督にこころから拍手! で、語っている二十数人の女優達にも拍手! そして、今、この作品を上映する努力をなさっている人たち、上映してくれた元町映画館にも拍手!です。 「因習」ではすまされない差別や偏見がひろがっている社会ですが、チラシにあるの言葉ですが、「50年経っても変わらないこと」を、自分自身が抱えていること、また、ボクに限らず、今でも多くの人たちが変わらないままでいることを気付かせてくれた、恐るべき作品でした。拍手!監督・インタビュー デルフィーヌ・セイリグ撮影・編集 キャロル・ルッソプロス編集 イオアナ・ビーダーキャストジル・クレイバーグJill Clayburgh(1944.4.30-2010.11.5)マリー・デュボワMarie Dubois(1937.1.12-2014.10.15)デリア・サルヴィDelia Salvi(1927.10.27-2015.3.2)ジュリエット・ベルトJuliet Berto(1947.1.16-1990.1.10)パティ・ダーバンヴィルPatti d’Arbanville(1951.5.25)メイディ・ノーマンMaidie Norman(1912.10.16-1998.5.2)ルイーズ・フレッチャーLouise Fletcher(1934.7.22-2022.9.23)ジェーン・フォンダJane Fonda(1937.12.21)シンディ・ウィリアムズCindy Williams1947.8.22-2023.1.25リタ・ルノワールRita Renoir(1934.1.19-2016.5.4)ジェニー・アガターJenny Agutter(1952.12.20)リュス・ギルボーLuce Guilbeault(1935.3.5-1991.7.12)シャーリー・マクレーンShirley MacLaine(1934.4.24)アンヌ・ヴィアゼムスキーAnne Wiazemsky(1947.5.14-2017.10.5)ローズ・ド・グレゴリオRose de Gregorio(1934.10.17-2023.8.17)マリア・シュナイダーMaria Schneider(1952.3.27-2011.2.3)ヴィヴァViva(1938.8.23)キャンディ・クラークCandy Clark(1947.6.20)バーバラ・スティールBarbara Steele(1937.12.29)ミリー・パーキンスMillie Perkins(1938.5.12-マロリー・ミレット=ジョーンズMallory Millett-Jones(1939.11.19)スーザン・ティレルSusan Tyrrell(1945.3.18-2012.6.16)エレン・バースティンEllen Burstyn(1932.12.7)1976年・115分・G・フランス原題「Sois belle et tais-toi」2026・08・25・no157・元町映画館no392追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.28
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ヨン・サンホ「新感染 ファイナル・エクスプレス」キノシネマ神戸国際 あの、ですね。そんなに見たことがあるわけじゃないんですけど、韓国の映画でマ・ドンソクさんが暴れるのって好きなんですよね。で、この映画のリバイバルを待ってました。 ヨン・サンホ監督の「新感染 ファイナル・エクスプレス」です。 面白かったですね。 実は、例の「コロナ騒ぎ」のあとに作られた作品だとばかり思いこんで見たんですが、2016年の作品なんですね。だから、もし、その当時に見ていたら、まあよくできたゾンビ・ホラー映画、もちろん、今見てもそうではあるのですが、として笑ってみてた気がしますが、街からも映画館からも人が消えた、あの、「コロナ騒ぎ」を知っている今になって初めて見たものですから、感染を恐れる人間たちの振る舞いというか、心というかが妙にリアルに見えて、そういう面で面白かったですね。だから、かえって、この監督ヤルナ! まあ、そういう印象でした。拍手! お目当てのマ・ドンソクさんですが、暴れるだけ暴れたうえに、体を張ってみんなを守る、いい役してましたね(笑)。最後のセリフが泣かせてくれて、やっぱり、この人好きです(笑)。拍手! チョン・ユミという女優さんが演じる彼の妻のソンギョンさんもいいですね。臨月のお腹を抱えながら、行きずりの少女のスアンちゃんの手を引いて走りに、走る! おなかの赤ちゃんと孤児になってしまったスアンちゃんを守りとおした心意気というか、根性に拍手!でした。 で、最後にスアンちゃんが歌った歌が「アロハ・オエ」だったことに感激!しました。歌詞は変えてありましたけど、この映画を、この歌で終わらせた監督と歌ったスアンちゃんに拍手! ゾンビ役の皆さんも、ご苦労様でした(笑)。拍手!監督 ヨン・サンホ 연상호 延尙昊製作 イ・ドンハ製作総指揮 キム・ウテク脚本 パク・ジュスク撮影 イ・ヒョンドク美術 イ・モグォン編集 ヤン・ジンモ音楽 チャン・ヨンギュキャストコン・ユ(ソグ ダメなパパ)キム・スアン(スアン 歌う少女)チョン・ユミ(ソンギョン 妊娠中をものともしない走りっぱなしの妻)マ・ドンソク(サンファ 妻を守り続ける正義漢)チェ・ウシク(ヨングク 野球少年)アン・ソヒ(ジニ 野球少女)キム・ウィソン(ヨンソク ただの悪人)チェ・グィファ(人のいいホームレス)パク・ミョンシン(ジョンギル 老姉妹の妹)イェ・スジョン(インギル 老姉妹の姉)シム・ウンギョン(感染者の女)2016年・118分・G・韓国英題「Train to Busan」2026・08・26・no158・キノシネマ神戸国際no70追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.27
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「8月のアサガオ」 ベランダだより 2026年8月26日(水) ベランダあたり 暑い、暑い8月もあと1週間です。毎朝のベランダではアサガオが咲き続けています。この暑さにも枯れないのはチッチキ夫人の丹精のおかげです。 でも、例年に比べると元気がありません。 朝から、この日射しに向かって咲くんですからアサガオだってつらいでしょうね。 健気な姿です。 日蔭を選ぶように咲いている花もあります。午前9時を過ぎても咲き続けています。こちらは、日盛りで咲いたせいでしょうね。同じ時刻に、すでに萎れています。なんか、つらいですね。 9月になれば涼しくなるというホショウはありませんが・・・、でも、そういえばそんな歌があったような気がしますね。だれでしたっけ? にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.08.26
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NTLiveジョン・ミリントン・シング「西の国のプレイボーイThe Playboy of the Western World」大阪ステーションシネマ 今日は久しぶりの大阪ステーションシネマです。旧友入口君とナショナルシアターライブ観劇です。見たのはジョン・ミリントン・シングというアイルランドの劇作家の作品で、カトリーナ・マクラフリン演出の「西の国のプレイボーイ」という舞台です。「これって、新しいの?」「いや、100年ほど前の作品。日本では菊池寛とか最初にが紹介したんかな?」「西の国って?」「アイルランドの西やからな。」「大西洋ちゃうの?」 というわけで、入口君は原作戯曲を読んできたようですが、ボクの方はなんの予備知識もなしに見ました。 菊池寛で思い浮かぶのは「父帰る」とか「屋上の狂人」とかですけど、お芝居は「父殺し!」でした(笑)。 なんか、物騒なことをいって笑っていますが、ボクには、このお芝居の展開がコメディにみえたんですね。ボクが知らなかっただけで、結構、知られている戯曲のようですが、ちょっと、ボクが受け取ったあらすじをいいますね。 父親から奴隷のように扱われていた頼りないクリスティという男が「思わず父親を殺してしまった」 結果、罪の深さに恐れをなして流浪の日日、で、たどり着いた田舎町で、なぜか「父殺し」を語る男が「男らしい」と評判になって、パブの女性ペギーンが色目を使い始めるのを皮切りに、夫殺しとけなされている未亡人のクィンはじめ、村の女子たちにモテマクルんですね。上のポスターの兩サイドに写っているのがペギーンとクィンなんですけど。 で、真ん中にいるクリスティ君、「自信をもてば人は変わる!」の典型で、プレイボーイ、伊達男に変身していくのが前半戦でした。 なんだか意味不明の展開の前半ですが、実は父親は死んだりしていないことが明かされる後半に入っても、やっぱり意味不明で、シッチャカメッチャカで困惑の結末でしたが、笑えました。拍手!「なんなの、これ?」「お父さん、二度目も生き返る展開凄いなあ。」「いや、生き返らんと話が続かんやろ。」「ペギーという女性のキャラもすごいなあ。」「結局、彼女がフラれる話?あの、お調子者の青年はどうなるの?」「うん、最初の変身で、純愛の結末になれへんとこがポイントかな?」「うん、それはわかる気がするけど、最後、おいおい出て行くんかい?やん。」「やっぱり、そっちのハッピーエンドにはならんねんな。」「存在感の塊みたいなペギーン。デカイあの女の子なんやったん?」「うん、最初登場したとき、ぼくも驚いた。」「ボクは最後に驚いたわ。」「これがアイルランド風いうことかな?」 というわけで、大阪駅の地下2階の居酒屋で機嫌よく意味不明のお喋り、ビールで乾杯、阪神電車の乗り場まで送ってくれたのはよかったのですが、帰りの道中で老眼鏡紛失という大事件、あーあ・・・・の結末でした(笑)。 これが、今日の大阪。スゴイですねえ(笑)。演出 カトリーナ・マクラフリン作 ジョン・ミリントン・シングキャストニコラ・コクラン(マーガレット・フラハティ 通称ペギーン・マイク)エナ・ハードウィック(クリスティ・マホン)シボーン・マクスウィーニー(寡婦クィン)2026年・151分・G・イギリス英題「The Playboy of the Western World」2026・08・24-no156・大阪ステーションシネマno004追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.25
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エンジェル・テン(鄧依涵)「鯨が消えた入り江」元町映画館 ちょうど一年前のシネリーブル神戸でやっていたのですが見逃したんです。そしたら、今度は元町映画館でやってくれるというので、初日にとびつきました。 エンジェル・テン(鄧依涵)という、多分、台湾の監督の「鯨が消えた入り江」です。 上に貼ったのは今回のチラシです。で、こちらが1年前のチラシです。 テレンス・ラウという香港の俳優さんとフェンディ・ファンという台湾の俳優さんの愛のお話かと思いきや、時をかける少女ならぬ、時をかける少年たちのお話でした。 この写真でティエンユー天宇(テレンス・ラウ)くんが眼をつむっていて、アシャン阿翔(フェンディ・ファン)くんがこっちをじっと見ているというのが物語での二人の関係というか、ストーリィーを暗示していたんですね。 それぞれ男前の二人の俳優さんの表情や仕草に魅せられるための映画!という段取りでした。たしかに、人気者であるに違いない男前でした(笑)。ただ、見ている徘徊老人には、上の写真のような原付バイクでの疾走シーンも悪くないのですが、つい先日「左利きの少女」のイージンちゃんとイーアンちゃんの疾走シーンを見たばかりですからね、男前の二人乗りでも、あれには勝てませんね。というわけで、こっちの映画では、そういうアクションより台湾の海辺の風景がとてもよかったですね。拍手! 赤い郵便箱が取り持つ孤独な少年と優しいオニーチャンの出会いと別れ、そして再びの出会いという20年間の時間の流れ行ったり来たりする物語は錯綜していてメンドクサイのですが、ラスト近く、レストランの壁に貼られた2023年に開催されるレスリー・チャンのコンサートのポスターを、テレンス・ラウ扮するティエンユー(天宇)君が見あげるシーンが映し出されるに至って、この作品が2003年に自ら命を絶った香港の人気スター、レスリー・チャン(張國榮)へのオマージュであることにようやく気付く徘徊老人でしたが、面白い作品でしたよ。拍手!監督・脚本 エンジェル・テン鄧依涵脚本 ウー・ジモ セブン・リョンキャストテレンス・ラウ劉俊謙(ティエンユー天宇 香港の作家)フェンディ・ファン范少勳(アシャン阿翔 台湾のチンピラ)チャン・ツーシュエンアリソン・リンレイチェル・カン2024年・101分・G・台湾原題「我在這裡等你」英題「A Balloon's Landing」2026・08・22・no155・元町映画館no391追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.24
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池谷薫「蟻の兵隊」元町映画館 「私たち日本人にとって戦争とは何か」という特集の最終日でした。20年前に作られた作品だそうですが、見ていないことが気になっていて見ました。 見たのは池谷薫監督が奥村和一という、敗戦後、元日本兵の山西省残留の責任の所在を巡って国と裁判で争っていた、この映画製作当時80代の方のようでしたが、その方を徹底的に追いかけたドキュメンタリィー作品「蟻の兵隊」でした。 こちらが今回の特集チラシについていた解説付き写真です。 ボクは、奥村和一をはじめ、この映画に登場する方たちの子供の世代、1950年代に生れて、戦後復興、高度経済成長の時代を生きてきた世代なのですが、その同じ時代に彼のように生きてきた方がいらっしゃったことについて、うすうす気付いてはいましたが、「やっぱり、そうですよね!」という、思いを新たにさせる作品でした。 前日に見た「日本鬼子」という作品が日中戦争における日本の加害性を徹底的に暴いていたことに胸うたれましたが、この映画では1945年の敗戦後の「戦後処理」を巡って、戦中、自らが徴兵し戦地に送り出した兵士・軍人たちに対して都合の悪いことは知らぬ存ぜぬで押し通し、平和憲法下の日本という国の新たな加害性が浮き彫りにされていました。 靖国神社ではしゃぐ人たちの姿をじっと見つめる奥村和一さんの眼差しが突き刺さった作品でした。拍手! 上映後、監督の池谷薫さんのお話がありました。制作当時お元気だった奥村和一さんも今ではこの世の人ではないことが語られるのを聞いて、しんどくなってしまい、途中でしたが席を立ちました。 帰り道を歩いていて、靖国神社で軍服を着てはしゃいぎながら、何とかバンザーイとか叫んでいる人のシーンが浮かんできて、ウンザリしました。イヤな世の中ですね。 開館16周年記念と銘打って日本の戦後を問う、それぞれシブイ作品を上映してくれた元町映画館、上映映画の紹介や劇場トークで奮闘され、連日満員札止め功労者の池谷薫監督、ご苦労様でした。拍手!監督 池谷薫撮影 福井正治 外山泰三音楽 内池秀和キャスト奥村和一金子傳村山隼人藤田博百々和森原一宮崎舜市2005年・101分・日本2026・08・21-no154・元町映画館no390追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.23
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村上春樹「Sydney!①コアラ純情編」(文春文庫) とりあえず村上春樹「Sydney!②ワラビー熱血編」(文春文庫)を読み終えて案内も終わったので、次は、同じく村上春樹「Sydney!①コアラ純情編」(文春文庫)のご案内です。 2000年9月のシドニーオリンピック観戦記、シドニー日誌の初日から始まると思って開いた目次の最初には1996年7月28日アトランタとあります。で、次のページには一人の女性ランナーの名前があり、その次のページがこう始まりました。 折り返し地点で、髪を不思議な色に染めた、すらりとしたアフリカ人のランナーとすれ違って、あいだに開いた距離を目で測ったとき、これはもう追いつけないかもしれないと思った。先頭を行くそのランナーと、自分たちの集団とのあいだには一分か、あるいは二分近くの時間差がある。彼女の走り方には追従を許さない強さがあった。脚の運びはたくましく、ストライドは滑らかで、自信に満ちていた。あのスピードは簡単に落ちないだろう。これだけの距離を詰めていくのは現実的にほとんど不可能かもしれない。 こうなったらあの先頭ランナーのことは忘れるしかない。彼女はそう思う。(11P) 書き手は村上春樹、走っているランナーは女性で「彼女」と三人称で呼ばれて始まっています。それが、次のページから「私」という一人称が語りはじめます。 でもこのアフリカ人のランナーはいったい誰なんだろう?私はこの人の名前すら知らない。(彼女がファツマ・ロバという名前のエチオピアのランナーであることを知ったのは、レースが終わったあとだった)。(P12) さて、この「私」は誰でしょう。 エゴロワに抜かれた時点で脚が停まった。それはすっかり死んでしまった。なんとしてもエゴロワにしがみついていこうという積極的な気持ちはもう絞り出せなかった。どこをどう探しても、そんな余裕はない。それだけめいっぱいの走り方をしてきたし、消耗は既に限界を超えていた。(P22) めったに人を褒めない監督が、ひとつだけいつも褒めてくれることがある。「お前は脚が死んでもスピードが落ちないね。駄目になっても、どーんと駄目にならない。それだけは誇りに思っていいよ」 そう、私は死んでも走れるのだ。 もう、おわかりですね。 「私」は、あの、有森裕子さんです。もちろん、取材記事だと思いますが、「小説有森裕子」ですね。「ふーん、こんなの書いてたんだ!」 まあ、ボクは嫌いではありませんが、いかがでしょう。というわけで、シドニー!第1巻はアトランタで始まっています。後半はシドニー日誌ですから、所謂、観戦記、オーストラリア見物記ですね。 村上春樹のエッセイの、ちょっとひねた文体がお好きな方には楽しいと思います。 もっとも、20年前の本ですからね、2026年には77歳だかになったはずの彼も、まだ50代です。作家自身がシドニーを走っているシーンも書かれています。 ボクのように、思い出がうれしい人にはいいでしょうが、ちょっと古いかもですね(笑)。2026-no076-1291 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.22
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松井稔「日本鬼子(リーベン・クイズ) 日中15年戦争・元皇軍兵士の告白」元町映画館 「私たち日本人にとって戦争とは何か」という特集を2026年の8月15日から1週間、日替わりで5本の映画を元町映画館が上映しています。元町映画館、開館16周年記念の特別企画だそうです。 ラインアップされている作品を眺めていて小林正樹の「東京裁判」とか、原和夫の「ゆきゆきて、神軍」とか、50年ほど前に見た、被告席の東条英機の姿とか、荒れ狂う奥崎謙三の雄姿とかの記憶が浮かんでは来るのですが、もう一度!という元気な気分にはなれないまま、これは!と思ったのが松井稔監督の「日本鬼子」でした。中国語読みだと「リーベン・クイズ」、意味は、文字通り「日本の鬼!」、英語にするとJAPANESE DEVILSですね。 ボクは初めて見るのですが、今から25年前に作られたドキュメンタリィーですね。登場される元日本軍の兵士だった方は1945年の時点で20代の後半の方たちです。 当時の名称でいえば中華民国です。その中国本土への侵略の始まりである満州事変が1931年、その後、全面侵略の始まりが1937年、所謂、支那事変のはじまりですね。その後、1945年の敗戦に至る15年戦争に、大日本帝国軍、皇軍兵士として従軍し、2000年に存命だった方たちの証言集でした。 日本から来た「鬼子」だった14名の方たちの、実に淡々とした証言です。ふるえました。 戦後、復員、結婚して、数十年の平和な歳月を暮らし、結果、20代の頃の自らの所業を文章にして発表したのを見た配偶者の方が「なぜ? 黙っていれば、誰にも知られずにすむのに!」とおっしゃたことが語られますが、この映画に登場するどなたもが、「なぜ?」については一言もおっしゃらないのがこのドキュメンタリィーの凄さだと思いました。 製作されて25年、英語版のビデオはあるそうですが、日本での公開は2019年に劇場公開されて以来のリバイバル上映だそうです。おそらく、証言者の多くも、もう、御存命ではないでしょうね。そこにも、胸うたれました。 証言を残された方たちはもちろんですが、映画を製作し、記録として残した松井稔家督をはじめ、製作者の方々に、上映してくれた元町映画館にも拍手!でした。 1950年代に生まれ育ったボクのような世代にとって、ここで証言されている方たちは父親やオジサンたちの世代です。 ボク自身についていえば、伯父の一人は大陸で戦死。もう一人の伯父はシベリア抑留の後、無事帰国して、晩年、自らの戦争体験を若い人たちに語り継ぐ集まりに参加する余生を送ったのち、数年前に亡くなりました。ザンネンながら、ボク自身はそのオジサンの話を聴くことができなかったのですが、聴いておけばよかった!と、映画を見ながら思い出しました。 もう一つ思い出したのは中国に 兵なりし日の五ケ年を しみじみと思ふ 戦争は悪だ 宮柊二という歌です。井上俊夫 「初めて人を殺す」 (岩波現代文庫)という本の案内で紹介したことがありますが、戦争は悪です。 監督・製作 松井稔製作 撮影 小栗謙一音楽 佐藤良介ナレーション 久野綾希子制作補 花井ひろみ英語版字幕 リンダ・ホーグランドキャスト土屋芳雄篠塚良雄永富博道船生退助絵鳩毅榎本正代金子安次鈴木良雄小山一郎鹿田正夫富永正三久保田哲二小林武司湯浅憲2001年・160分・日本英題「JAPANESE DEVILS」2026・08・20・no153・元町映画館no389追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.21
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ツォウ・シーチン鄒時擎「左利きの少女」シネリーブル神戸 予告編で、チラシの女の子ですけど、主人公らしき少女が踊るシーンがあって、それが見たくて見ました。 見たのは「左利きの少女」。監督は漢字で書くと鄒時擎だそうです。ツォウ・シーチンと読むらしいのですが、台湾出身の女性監督のようです。 お目当ての踊りのシーンは早々にあるのですが、「もう一度、この子の踊るとこ見せてよ!」 まあ、そう期待しながら最後まで見ていて、ひょっとしてここで?と思っていると「おーっ!そうくるか!」という結末で拍手!拍手!でした(笑)。 チラシにも写っているのオチビさん、名前はイージンちゃん、6歳です。かわいいったらありゃしない女の子なんですけど、台北の屋台市場街で志那ソバ屋さんをしているおかあさんのシーフェンさんとオネーチャンのイーアンちゃんの3人暮らしです。市場の人気者です。 軽快なBGMが流れて、イージンちゃんが市場の中を歩き回るのを、同じ目線というか、彼女の後ろ姿に密着したシーンが繰り返されるのですが、これが、ワクワクドキドキで、この監督のセンス、サイコーでしたね。 世界の捉え方が素晴らしい!しいですね。 彼女のオネーチャンのイーアンちゃんもいいですね。 自動車、バイク、人が溢れていてこれが台湾! まあ、そういう、印象の街中を、二ホンなら捕まると思いますけど、イージンちゃんを前に乗せた原付スクーターでぶっ飛ばすシーンにも見惚れますが、なんといっても、彼女の眼付がなんともいえません。 借金だけ残してトンズラかましたらしい父親にも、未練たらしく、その父親に引きずられ続ける母親のシューフェンさんの生き方にも、結局、男に弄ばれている自分自身の生き方にも我慢できない18歳の少女の眼ですね。 ボク、こういう目つきの少女、大好き!です。 一方、その彼女が、妹イージンちゃんの「悪魔の左手の所業」に気付き、屋台の一軒一軒を訪ねて謝らせて回るシーンの、何ともいえずヤサシイ眼差し。「なんか、あるな!」 なんとなく、そう思わせて、驚きの結末!でした。拍手! 昨年の話題作「アノーラ」のショーン・ベイカー監督との共同脚本、共同制作だそうですが、ボクはこっち押しです! これから、ちょっと、目が離せない感じの新しい才能の登場ですね。ツォウ・シーチン監督に、もう一度、拍手!です。監督・製作・脚本 ツォウ・シーチン鄒時擎製作・脚本・編集ショーン・ベイカー制作 マイク・グッドリッジ ジャン・ラバディ アリス・ラバディ製作総指揮 アレックス・C・ロー ニール・バーラム アディティヤ・チャンド ジェニファー・ジャオキャストニーナ・イエ(イージン 妹)マー・シーユエン(イーアン 姉)ジャネル・ツァイ(シューフェン 母)2025年・108分・G・台湾・フランス・アメリカ・イギリス合作原題「左撇子女孩」英題「Left-Handed Girl」2026・08・18・no152・シネリーブル神戸no407追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.20
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村上春樹「Sydney②ワラビー熱血編」(文春文庫) 村上春樹の追っかけを続けて50年近くたちました。「風の歌を聴け」(講談社文庫)がはじまりですから、彼の登場の、ほぼ、最初からです。20代の始めに出会ったと思い込んでいましたが、1979年に発表されたわけですから、ボクが25歳より後ですね。でも、まあ、学生時代であったことは間違いありません。 先日、学生時代から読むことを競うようにつきあってきた友だちと会う機会があって、会えばこうなるという感じのこんな会話をしました。「春樹の新刊が出たらしいけど読んだ?」「村上春樹とか、もう読まんよ。」「えーっ?そうなん?」「うん、本箱にいっぱいたまってたのみんな捨てたよ。」「えーっ?そうなん?大江は?」「捨てた。」「おもんないん?」「うん。」「本というか、他の小説とかも読まんの?」「いや、読書はしてる。」「なに読んでんの?」「源氏。」「源氏?おもろいの?」「いや、大鏡の方がおもろいかもやな。でも、読んでんで。」「ボク、相変わらず、村上とか大江やで。」「おもろいか?」 彼は、ボクより一つ若い、まあ、今となっては、お互い老人ですが、同じ「国文専攻」の学生だったわけで、同じ職業について暮らしてきて、ついに「源氏物語」に着地したようです。ボクはといえば、相変わらず春樹とか源一郎とかです。 で、村上春樹が新作を出したと聞くと、久しぶりに春樹を読もうか、 で、購入したのが村上春樹「Sydney!②ワラビー熱血編」(文春文庫)です。新刊の「夏帆」(新潮社)とかいう作品が評判で、ベストセラー化しています。ちょっと待てば・・・という目論見で「あっ?これ読んでない。」で買ったのがこの本です。 シドニーオリンピックの観戦記。「コアラ編」と「ワラビー編」の上下2巻ですが、間違えて下巻を買ってしまったので、下巻から読みました。「シドニー日誌9月24日(日曜日) いよいよ女子マラソン」から始まっています。このシリーズのメイン記事である「シドニー日誌」は2000年の9月11日に作家がオーストラリアに到着した日から始まっていて、23日までは上巻です。で、下巻の始まりのこの日は、あの高橋尚子さんが勝った女子マラソンの日です。懐かしいですね。 観客席から空を見上げると、ヘリコプターが五機も六機も舞っているのが見える。マラソン・ランナーが刻々と競技場に近づいているのだ。光がまぶしい。客席がざわめき始める。人々はトップ・ランナーの登場を待つ。ランナーを待つ間BGMにギリシャ音楽がかかる。人々はそれに合わせて手拍子をとる。手拍子に合わせて場内の空気が揺れる。腕時計を見る。午前十一時二十分。スタートからちょうど二時間二十分が経過した。モニター・テレビにはオリンピック・パーク内の見慣れた道路を走り抜ける高橋尚子の姿が映し出される。あと少しだ。 気がつくと、手にしたプラスティックのボールペンをテーブルにこつこつと強く打ちつけている。じっと待っていることができないのだ。この大きな乾いた音はなんだろうと思ってよく見たら、知らないうちに自分がボールペンのお尻のところを机に叩きつけていた。(P23) 村上春樹を久しぶりに読んでいる実感がわく描写ですね。 どこが?まあ、そう問われても答えようがないんですけど。高橋尚子という名前も懐かしいのですが、今、スタンドの記者席にいる作家自身による自己描写のうまさとでもいうことでしょうか。 高橋はトラックの最後の直線に入って後ろをちらりと振り向くが、そのままペースを乱すことなくゴールインする。 優勝タイムは二時間二十三分十四秒。オリンピック新記録。オリンピック新記録?このコースでオリンピック新記録?(ちなみに一九五六年のメルボルン・オリンピックでの男子マラソンの優勝タイムは、今回の高橋より遅い二時間二十五分だった。)(P25) 文庫本化されたときのあとがきにはこんな文章があります。 アテネ・オリンピックに興味があるかと言われれば、正直言ってあまりない。オリンピックはシドニーで一生分ぐらい見てしまった。もういいや、というのが、偽らざる気持である。僕がオリンピック大会に関して何よりも心寂しくなるのは、獲得されたメダルの数ばかりが日々の話題になること、いささかいびつな(と僕には感じられる)ナショナリズムの盛り上がり方、そしてますます金まみれなっていく(としか思えない)大会運営だ。本文の中でも書いたけれど、こういうのはどこかでなんとかしないといけないと思う。そうしないと世界はどんどん歪んでくる。「平和の祭典」という表現が昔から一般的によく使われているようだけれど、長い歴史を通じて、オリンピックは実質的に、平和になんてちっとも寄与してこなかったんじゃないか、というのが僕のささやかな言い分である。(P244) 2004年ですから「シドニー!」が書かれて、4年後の文章ですね。ここにも、懐かしい村上春樹がいますね。 久しぶりに読みましたが、やっぱり読ませてくれました。ボクは、もうしばらく棚の春樹の山を捨てることはなさそうです。さて、次は上巻です(笑)。 2026-no079-1294 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.19
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ガス・バン・サント「マイ・プライべート・アイダホ」シネリーブル神戸 「デッドマンズ・ワイヤー」という、最近の作品を見てガス・バン・サントという監督が気に入っています。 今日見たのは「マイ・プライべート・アイダホ」という、1991年ですから、30年以上も昔、この監督の初期の作品でした。 30年前に見ていたら泣いていたと思います。二人の少年の、まあ、友情という二は濃すぎるかもですけど、ボクの目には「友達の物語」でした。 マイク(リバー・フェニックス)とスコット(キアヌ・リーブス)という二人の男の子がなぜ、気が合って、なぜ、別れなければならないのか・・・ 50年前にその年齢だった自分自身の、あの頃の記憶を暴き立てるかのように見える少年たちの表情に釘づけにされる印象でした。 ボク自身、お二人のような男前ではありませんし、スコットのようなお金持ちの御曹司でもありません。マイクのようにナルコプレシーなんて言う奇病の持ち主でもありません。父親が誰で、母親がどうやって育ててくれたかということに疑問や不安を持った経験もありません。にもかかわらず、アイダホの一本道の道ばたに立ちすくんで、「この道を知っている。」とうそぶくマイク君のことを他人事だとは思えなかったんですよね。 ラストシーンで、やっぱり、そこに帰ってきたアイダホの一本道の道端で倒れ込み、通りすがりのかっぱらいに身ぐるみ剥がれ、次にやって来た、誰だかわからない乗用車に拾われて消えていったマイク君を見て、それでも、やっぱり、ホッとしました。命は大丈夫だったんだ! 見終えて帰ってネットを覗いて驚きました。マイク君を演じていたリバー・フェニックスという俳優さんは、この作品の2年後、なんと、23歳という若さで亡くなっているんですよね。 で、映画を見ている間中、「この子の子供の頃を知っているような気がする!」 まあ、そんなふうに思い続けて見ていたんですが、あの、「スタンド・バイ・ミー」のクリス君だったんですよね。思わず、涙ぐんでしまいました(笑)。あの映画に登場した4人の少年の中で、一番贔屓だったのがクリス君だったんですが、そのクリス君が、アイダホの一本道の道端で倒れて、とどのつまりは、23歳であの世に旅立ってしまっていたんですからね。 それにしても、ガス・バン・サントという監督の人間の哀しさに対する、視点の優しさと深さに拍手!でした。 余談ですけど、主人公の持病として描かれているナルコプレシーの症状を見ながら阿佐田哲也さん、色川武大さんを思い出しました。「麻雀放浪記」(角川文庫)はもちろんですが、「百」(新潮文庫)とか「狂人日記」(講談社文芸文庫)とかすごい作品が懐かしいですね。彼が亡くなったのは1989年、60歳の時で、この映画より古い人なんですよね。 結局、いつものように老いの繰り言になってしまいましたが、いい作品を見ました。拍手!監督・脚本 ガス・バン・サント製作 ローリー・パーカー撮影 エリック・アラン・エドワーズ ジョン・キャンベル美術 デビッド・ブリスビン衣装 ベアトリス・アルナ・パーストル編集 カーティス・クレイトン音楽 ビル・スタッフォードキャストリバー・フェニックス(マイク)キアヌ・リーブス(スコット)ジェームズ・ルッソ(リチャード マイクの兄)ウィリアム・リチャート(ボブ 街の顔役)キアラ・カゼッリ(カルミラ スコットの恋人)ロドニー・ハーベイマイケル・パーカージェシー・トーマスグレース・ザブリスキーフリートム・トゥループウド・キア(ハンス ドイツ人セールスマン)ジェームズ・カビーゼル1991年・104分・PG12・アメリカ英題「My Own Private Idaho」2026・08・17・no151・シネリーブル神戸no406追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.18
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マーティン・アトキンス「Live from Madison Square Garden2008」キノシネマ神戸国際 「クラプトン・フェスティヴァル」という企画で、今年、2026年の夏、エリック・クラプトンのコンサート映画を公開するようで、その第1弾のエリック・クラプトン&スティーヴ・ウィンウッド「ライヴ・アット・マディソン・スクエア・ガーデン」を見ました。監督はマーティン・アトキンス、2008年のマディソン・スクエアー・ガーデンの実況です。はい、文句ありません。堪能しました! 多分、残りのシリーズも見ると思います。 1945年生まれのクラプトンは今年81歳だそうです。フィルムは2008年ですから、60代の後半の姿ですね。一緒に演奏しているスティーブ・ウィンウッドというギタリストも似たような年齢ですけど、カッコイイのは変わりませんね。知っている曲は、半分くらいしかありませんけど、クラプトンの音色でした。拍手! これが、今後のスケジュールのようです。料金も、ちょっと割高なんですけど、やっぱっり見ちゃうんでしょうね(笑)。今回のプログラムはこんな感じ。 2008年2月25/26/28日 ニューヨーク マディソン・スクエア・ガーデン01.泣きたい気持 Had To Cry Today02.ゼム・チェンジズ Them Changes03.フォーエヴァー・マン Forever Man04.スリーピング・イン・ザ・グラウンド Sleeping In The Ground05.プレゼンス・オブ・ザ・ロード Presence Of The Load06.グラッド Glad07.オール・ライト Well All Right08.ダブル・トラブル Double Trouble09.パーリー・クイーン Pearly Queen10.テル・ザ・トゥルース Tell The Truth11.ノー・フェイス、ノー・ネイム、ノー・ナンバー No Face, No Name, No Number12.アフター・ミッドナイト After Midnight13.スプリット・ディシジョン Split Decision14.ランブリング・オン・マイ・マインド Rambling On My Mind15.我が心のジョージア Georgia On My Mind16.リトル・ウィング Little Wing17.ヴードゥー・チャイル Voodoo Chile18.マイ・ウェイ・ホーム Can’t Find My Way Home19.ディア・ミスター・ファンタジー Dear Mr. Fantasy20.コカイン Cocaine監督 マーティン・アトキンスキャストエリック・クラプトン(g, vo)スティーヴ・ウィンウッド(g, vo, kbds)ウィリー・ウィークス(b)イアン・トーマス(ds)クリス・ステイントン(kbds)2009年・140分・G・イギリス英題「Live from Madison Square Garden」2026・08・15-no150・キノシネマ神戸国際no69追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.17
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新城毅彦「あの星が降る丘で、君とまた出会いたい。」キノシネマ神戸国際 この映画が2023年に話題になったらしい「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」の完結編だなんてことはまったく知らないで見ました。もちろん、前作も見ていません。結果、不思議なというか、困惑のというか、いつもはあまりしたことのない映画体験をすることになりました。 見たのは新城毅彦という知らない監督の「あの星が降る丘で、君とまた出会いたい。」という作品です。 特攻隊で死んだ青年のことを、一面の百合の野原で思い出している女性、いかにも制服という姿の女子高生が映し出されるシーンから始まりました。 でも、ボクの目には変なんですね。戦闘機と兵士は80年前のようなんですけど、少女は最近の女子高生なんですよね。で、彼女の、今の生活が映し出されはじめると、まんま、現代! ???? おそらく、「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」という前作を知っていれば、この困惑は緩和されるのでしょうが、目の前にいる主人公の百合さん(福原遥さん)が、まあ、どういう方法というか、どういう事情でそうなったかはともかく、80年前の、あの時代にタイムスリップした経験者であるということが前提のお話だということに気づくまで、ただひたすら????でしたね(笑)。 ボクのように、初めて、何も知らずにご覧になられると、とりあえず、なんなん、これ?どうなってるの?なんですけど、藤谷千代さん役の倍賞千恵子さんが登場なさるあたりから、何となくわかり始めて、結果的には、胸打つお話になっていくんですよね。 正直、福原遥さんとか細田佳央太君の高校教員ぶりにはちょっと引きましたけど、若い人たちが作る「いいお話」であることに異存はありません。拍手!でした(笑)。 原作を書いていらっしゃるらしい汐見夏衛という方の作品に興味を持ちましたね。高校の教員をなさっている方らしいです。 映画の中でニーチェの言葉を引いて、生徒に語り掛けるシーンがありました。 世界にはきみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。ひたすら進め。 という、まあ、有名なことばなんですけど、それを教員である百合さんが生徒たちに語り掛けるんですね。現代の高校生に戦争を伝えることを思い付いた百合さんと涼君の共同企画の授業なのですが、その授業で80年前に特攻隊員として死んでいった兵士たちの手紙を、生徒、一人一人に音読させるシーンが、まずよかったんですね。肝は「音読」ですね。今の高校生がたどたどしく読んでいく「声の響き」が、何かを変えていくシーンです。「そうか、この方法があったかもな!」 数十年、その現場で暮らした元教員の記憶を揺さぶるシーンでした。 で、ニーチェのことばを引用して、百合さん自身にとって「どうしても!」の思いを伝えるシーンへと続くのですが、拍手!でした。これが出来たら、教員という仕事をやっていてうれしいでしょうね。 まあ、そういう感想もあって、原作者に興味を持ちました。きっと、まっすぐな人なんじゃないでしょうか。 で、もう一つ、余談もいいとこなんですけど、この映画には百合ちゃんのお母さん役で中嶋朋子さんが登場するんです。彼女の姿を久しぶりに見て、ドキドキしました。もう、40年以上昔のテレビドラマ「北の国から」で蛍ちゃんだった彼女が大好きでした。今、55歳なんだそうです。お元気な姿を拝見して、拍手!拍手!でした(笑)。監督 新城毅彦原作 汐見夏衛脚本 山浦雅大撮影 西岡章編集 小野寺拓也音楽 日向萌主題歌 福山雅治キャスト福原遥(加納百合)中嶋朋子(百合の母)細田佳央太(宮原涼)出口夏希(藤谷千代 昔)倍賞千恵子(藤谷千代 今)豊嶋花(鮎川紗良 高校生)井之脇海(藤谷林吉 千代の夫)石丸智志(伊藤健太郎)水上恒司上川周作小野塚勇人松坂慶子2026年・128分・G・日本 松竹2026・08・14・no149・キノシネマ神戸国際no68追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.16
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パスカル・プリッソン「ウィー・ハブ・ア・ドリーム」シネリーブル神戸 日頃、テレビとかあんまり見ない暮らしなのですが、ちょうど、我が家の愉快な仲間のオチビさんたちくらいの年ごろの子供たちがコマーシャルに出てくるシーンをよく見かけます。素直に「カワイイねえ!」といっていればいいようなものですが、子どもたちをCMとかに登場させている魂胆のようなものが、何だか引っかかって、あんまり楽しくありません。 で、今日見たのは6人の子供たちの話でした。いかにも、文部省とかが喜びそうな「美談」といえばそうなのですが、子どもの可愛らしさを商売に利用する国の話とはかなり違いました。 画面に登場するのは8歳から14歳の子どもたちです。フランスのモードさんは14歳、義足のバレリーナ、ネパールのニルマラさんとケンドさんは共に14歳。お互い、数年米のネパール地震で片足を失った病院で知り合った親友同士。ケニアのチャールズ君は生まれながらに目が見えないランナー、11歳です。ルワンダのサビエル君は生まれついてのアルビノで差別の社会を生きている14歳。ブラジルのアントニオ君は8歳の自閉症です。夢に限界なんてない! 映画の宣伝文句としてはありきたりですが、世界のあちらこちらで、自分の人生を生きている彼らの姿には、これまた、ありきたりですが、正直、励まされました。みんな、ガンバレ!拍手! 彼らの存在を知って、その姿を映画に撮ったパスカル・プリッソン監督にも拍手! どんな境遇であれ、前を向いて生きている子供の姿に、ただただ、胸うたれました。それ以上、ことばがありません。監督・脚本 パスカル・プリッソン製作 ルイーズ・バンガタラマン エディ・バンガタラマン製作総指揮 マリー・トジア撮影 シモン・ワテル編集 エリカ・バロシェ音楽 シルバン・ゴールドベルグ マッテオ・ロカシュッリ2023年・96分・フランス英題「We Have a Dream」2026・08・13・no148・シネリーブル神戸no405追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.15
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ファティ・アキン「白パンと独裁者」シネリーブル神戸 チラシを見たときから狙っていました。封切り二日目、人出が予想される土曜日で、猛暑の午後です。「みなさん、評判の開戦なんちゃらに気をとられいらっしゃるだろう。」まあ、そういう予想でやってきたシネリーブルですが、なかなかの盛況でした。 見たのはファティ・アキンというトルコ系のようですが、ドイツの監督の「白パンと独裁者」です。 ヒトラーの自殺によって決着がついたナチスドイツの敗戦を12歳の少年の視点で描いた傑作でした! 原題は「Amrum」、その先の半島部がデンマークというドイツの一番北のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の西側、北海に浮かぶアムルム島という美しい島が舞台でした。地図を見ればすぐにわかることですが、イギリスからの爆撃機が上空を通過しドイツ本土に向かう通路にある島です。 映画はジャガイモ畑で鋤を曳きながら爆撃機の爆音に脅える馬の慄きの悲鳴から始まりました。美しい海と空があり、爆音を響かせて飛来する爆撃機の編隊を見上げる二人の少年、疎開して、母の故郷の島にやってきたナニング君と島の少年ヘルマン君。空を見上げながら馬をなだめる美しい農婦テッサさんです。 爆弾をまき散らしながら上空を通過する、この最初のシーン、もう、いきなり鷲摑みでしたね(笑)。 農作業の駄賃としてもらった牛乳とジャガイモを持ち帰った自宅の前には鍵十字の旗が翻っています。母親のヒレさんは妊娠中です。叔母のエナさんと弟妹と5人家族です。 翌日の1945年4月30日、ヒトラーの自殺が報じられ、ヒトラー支持者人であるお母さんは、ショックで破水、出産します。自らが生んだ赤ん坊の不幸を叫びながら、「白パンと蜂蜜」を要求します。 人々が日々口にしているの黒パンとジャガイモです。ナチスが東欧諸国に対して、飢餓による絶滅作戦を計画し、食料統制を利用したことは、すでに指摘されていますが、敗戦を目前にして、鍵十字に服従を誓った自国の民衆たちも、また、飢餓の苦しみにあえいでいたことが、母親の「白パン!」という叫びによって浮き彫りされています。 敗戦前後の数日間、出産後、何も食べようとしない母親のために、小麦粉とバターを求めて、文字通り、命がけで奮闘する12歳の少年が見た敗戦が見事に描かれていました。拍手! なによりも、まず、アムルム島の美しさがすばらしいんです。 砂丘が続く遠浅の海岸を自転車を曳いて隣の島まで往き来する少年の姿。本土から疎開してきた子供たちと島の子供たちのぶつかり合い。睨み合いから友情へと変わっていくあれこれのエピソード。ヒトラー支持者のおじさんの死。 どれもこれも、その時代に12歳だったナニング君が確かに体験したこと、忘れらない記憶として印象深く描かれています。 敗戦の現実を「負けた!」という人と「終わった!」という人との、それぞれの処世、人生の姿として描いている視点の深さにも打たれました。ファティ・アキン監督に拍手!です。 帰ってきて知りました。ハーク・ボームという脚本家による回想録の映画化だそうです。映画の最後に美しい海辺で夕陽を見る老人として、恐らく90歳を越えていらっしゃるご本人が登場されていました。あれから80年、どうしても語り残しておきたかった戦争! 歴史を振り返って考えるということが失われていく時代に深い問いを差し出す、美しい作品だと思いました。 それにしても、出てきた子供たち、ナニング君、ヘルマン君、目力が素晴らしい少女、よかったですね。改めて拍手!監督・製作・脚本 ファティ・アキン製作 ヘルマン・バイゲル脚本 ハーク・ボーム撮影 カール・ウォルター・リンデンローブ美術 セス・ターナー衣装 ブリギット・ミサール編集 アンドリュー・バード音楽 ハインバッハキャスティング モニーク・アキン ジャクリーン・リーツキャストジャスパー・ビラーベック(ナニング 少年)ローラ・トンケ(ヒレ 母)リーザ・ハークマイスター(エナ 叔母)キアン・ケップケ(ヘルマン 親友)ダイアン・クルーガー(テッサ 島の農婦)ハーク・ボーム(海に佇む老人)デトレフ・ブック(サム・ギャングスターズ)ラース・イェッセン(アルジャン)ジャン・ゲオルグ・シュッテ(オンノ)マティアス・シュバイクホファー(テオ)マレク・ハーロフ(パン屋のテーヴェ)リタ・フェルドマイヤー(インジ)ジーメン・リューハーク(ボイ・クレーガー)トニー・カナル(オスカー)ポリ・ロイナー(難民の少女)チャード・ニッセン(マッカー)マヨラ・リヒター(メヒトヒルト)モーテン・ボー・ハイネ(リヒャルト・ペータース)ベルント・モス(シュナイダー博士)マレク・ハーロフ(パン屋のテーヴェ)マックス・ホップ(マイン医師)ヘディ・シュトルムヨリッド・ルカチックトーマス・パーキンス(兵士)ディルク・ブーリン(肉屋)ステッフェン・ウィンク(ヴィルヘルム・ハーゲナー)2025年・93分・G・ドイツ原題「Amrum」2026・08・08・no147・シネリーブル神戸no404追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.14
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野口武彦「幕末 旅役者歩兵隊」(法蔵館) 今日の案内は「幕末 旅役者歩兵隊」(法蔵館)です。著者は2024年6月に永眠された国文学者野口武彦さんです。 鳥羽伏見で敗れた幕府軍の総大将、将軍徳川慶喜が大阪城から船でトンズラするという、唖然とするような騒乱のなか、幕府歩兵隊として徴集、参戦し、右も左もわからぬ大阪の地で見捨てられた江戸っ子たちが、なんと歌舞伎役者に成りすまし江戸に逃げ帰るという奇想の顛末を描いた歴史小説です。 実は、著者の野口武彦さん、ボクにとっては、学生時代に始まり、その後、50年間、折に触れてセンセーと呼ばせていただいた、まあ、こちらが勝手にそう思ってきたにすぎないのかもしれませんが、生涯の師ともいうべき方です。 著者亡き後の出版で、本書の編集、解説の労をとっていらっしゃる石川肇氏はじめ、出版を引き受けてくださった法蔵館の方々、遺稿を何とか世に出そうと努力されたお弟子さんたちの思いの結晶のような本です。 ボク自身は2026年1月、本書の出版と同時に読み終えました。 で、困ったことに感想が書けないのです。ただ、この作品、どなたか、たしかな方に読んでいただきたい! まあ、そういう気持ちだけは浮かぶわけで、ボクにとって、こちらは高校時代以来の、もう一人の師であるM先生が思い浮かび紹介しました。で、紹介しました。 結果、M先生から期待どおりの内容のご返事をいただきました。 『幕末旅役者歩兵隊』、隣町の図書館にあったので、借りました。 一読して一番驚いたのは、野口氏の歌舞伎の造詣の深さでした。これと専門分野である幕府歩兵隊との組み合わせ。どうしても書きたかったテーマだったのでしょう。 山崎街道の段、斧定九郎の話は落語「中村仲蔵」でよく知っています。熊五郎一行の戦場からの退却ぶりは、関ヶ原の時の島津の退き口が念頭にあったかも知れません。旅役者への変身は、落語の芝居物の中に、当時の民衆が歌舞伎の実演に熱中する様子が描かれているし、農村歌舞伎の伝統もありますから、荒唐無稽な設定ではないと思います。 桑名・名古屋・下田までは快調で、芝居の様子が生き生きと描かれています。また背景にある大名たちの動向も巧みに書かれています。歴史小説の地の文に横文字を使うのは絶対反対ですが、時代設定もあり、不思議に違和感がありません。 しかし横浜からは、ここまでは主体的に行動していた熊五郎たちが、急に精彩を失い、時代の流れに翻弄されていると感じます。最後の上野山では、熊五郎は完全に見るだけの存在になっていました。 彰義隊の叙述は相変わらずみごとで、何か深い思い入れがあるのかもしれません。上野の山から生還した熊五郎が見る、何事もなかったかのような江戸の町の姿は、心に残るラストシーンでした。 下田・横浜あたりからは史料の読み込みが増え、小説というよりノンフィクションの手ざわりを感じさせます。だからこそ横文字が入っても違和感がなかったのかも知れません。考えてみれば、熊五郎たちは芝居の中の役者としては躍動していますが、小説の登場人物としては存在感が薄いような気がします。野口氏の本質はノンフィクションにあったと思われます。しかし魅力のある、忘れがたい一冊でした。 誤植、四カ所は気がつきました。中でも「栖川の宮」には驚きました。まさに有り得ないミスですね。 これが、M先生からのメールの全文です。 要所に、目の行き届いた読書家の書評ですね。見事だと思いました。 M先生は、ボク自身が高校1年生の時にお出会いし、当時、独身暮らしだった先生のアパートに押しかけ、本棚から小林秀雄、江藤淳、奥野健男、アイザック・ドイッチャーのトロツキー伝とか、今となってはなつかしい本の数々をお貸しいただき、文学と歴史の手ほどきをしていただいた先生です。 高校時代の師であるM先生が、こうして大学時代の師である野口武彦さんの遺著を読んでくださったことを心から嬉しく思いました。皆さん、是非お読みください。2026-no021-1236 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.13
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サラ・ロイ「なぜガザなのか」(青土社) パレスチナとか、イスラエルとか、地理的なイメージも、歴史的な認識もあやふやな老人です。ただ、時々見る映画とか、ネット上のニュースとかで、常識的には信じられないようなひどいことが起こっていることには気づいています。イスラエルはガザで何をしているのか? まあ、ちょっと怒りを感じながらの疑問です。とりあえず、まずはこの本だろうな、まあ、そう思って読み出したのがこの本です。サラ・ロイ「なぜガザなのか」(青土社)ですね。 メインは、アメリカのハーバードの先生であるサラ・ロイという方の論文が3本、加えて、翻訳を担当されている3人の方、アラブ文学の岡真理さん、ジャーナリストの小田切拓さん、社会思想史の早尾貴紀さんの、それぞれ、かなり重厚な解説が組み合わされた中身の濃い本でした。 サラ・ロイによる論考は2014年に書かれた第1章、2015年に書かれた第2章、そして、増補版である本書出版に際して、だから2024年に書かれた第3章の三つで、それぞれに対する解説、及び論考が加えられているという構成です。 基本的な認識の支えとして世界の実情が知りたい老人が読むには、読めども読めども気が晴れない内容ですが、知るべき事実から目をそらしていいのか、という厳しい問いかけだけは確かに受け取りました。 とりあえず、サラ・ロイによる序文の冒頭を紹介します。 序文 二〇二三年一〇月七日以降、中東は以前と異なった場所になった。それまでの状態(ステイタス・クォ・アンテ)は去ってしまい、もうそこへ戻ることはないだろう。どのような変化になるのかまだ明らかではないが、ともあれ変化は不可避である。ハマースによる残忍な攻撃は、イスラエル人一二〇〇人を殺害したが、イスラエル国家およびその治安と無敵さについての意識を永遠に変容させた。そのことでシオニズム自体の本質に疑問を投げかける人もいる。これに対してイスラエルが好き放題に行っている大量虐殺の結果、この記事を書いている時点で、パレスチナ人の死者は三万人以上、負傷者は約七万人に達し、そしてガザ地区の大部分は廃墟と化した。 しかし、イスラエルがハマースの攻撃は理由がなく、いきなり始まったと主張しようとも、歴史は一〇月七日にはじまったわけではない。(P33) で、第3章、岡真理による解説の結句がこうです。 2003年のガザでレイチェル・コリーが案じたのは、彼女の周りに集まって、アラビア語で無邪気に話しかけてくる子どもたちが成長し、世界の現実を知ったときに、果たしてそれを許せるかということだった。それから二一年がたった今、ガザは、「子どもたちの集団墓地」(グテーレス国連事務総長)と化し、「狡猾なジェノサイド」は文字どおりの「ジェノサイド」となった。今、ガザで起きていることは、今、始まったことではない。それはずっと前から起きていた。私たちはこれをもっと前に、止めさせることができた。しかし、ひとたび停戦になれば忘却し、関心の埒外に打ち棄てて、今に至るその道を整えてきたのは私たちだ。ほんの数週間、飢えて衰弱死する、ただそれだけのために、あるいは、ミサイルで家族もろとも肉片と化すためだけに、この世に生まれてきた赤ん坊たち。親族全員を殺されて、孤児となった子どもたち。四肢の切断を余儀なくされた何百、何千もの子どもたち(病院の床の上で、麻酔薬もなく切断手術を受けた者もいる)。 もし、この子どもたちが生き延びて、こうしたことのすべてを知ったとしたら、彼らは訊ねるだろう、、そのとき、あなたはどこにいたの?どこで何をしていたの? そうしたらこの子たちは、果たして世界を許すことができるだろうか?(P317) 今、パレスチナに限らず、世界中に生きている「子どもたち」を思い浮かべました。そうしたらこの子たちは、果たして世界を許すことができるだろうか? 引用した岡さんのことばは、こんな悲惨な出来事に気付きもしないまま生きている、例えばボクのお孫さんたちが、もう少し、大きくなって「こんな世界」に生きていた、あるいは、生きていると気づいた時に「世界を許すことができるだろうか?」という普遍的な重さを担っていると思いました。 まず、大人であるボクたちが世界の悲惨から目をそらさないことから始めるほかないのでしょうね。読み終えるには、まあ、ボクも苦労しましたが、多分、根性がいると思いますが、是非!目次と著者紹介を貼っておきます。[目次]序論――本書の位置づけと概要 早尾貴紀序文 サラ・ロイ第1章 反開発の完了2014・8――ガザ地区を生存不可能にする サラ・ロイ 一〇・七とは何だったのか 小田切 拓第2章 ガザ地区に対する数々の戦争に対する一考察2015・9 サラ・ロイ シオニズムから見たガザ地区、ガザ地区から見たシオニズム 早尾貴紀第3章 受け入れがたい非在――ガザの例外主義に対抗する2024・2 サラ・ロイ もし、この子たちが生き延びて…… 岡 真理あとがき[著者]サラ・ロイ(Sara Roy) 1955年アメリカ生まれ。政治経済学。ハーバード大学中等研究所上級研究員。パレスチナ、とくにイスラエルによるガザ地区の占領問題の政治経済学的研究で世界的に知られる。ホロコースト生き残りのユダヤ人を両親にもつ。『ホロコーストからガザへ――パレスチナの政治経済学』(青土社、2024)、The Gaza Strip: The Political Economy of De-Development, Institute for Palestine Studies, 1995 / 2nd ed. 2001 / 3rd ed. 2016. Failing Peace: Gaza and the Palestinian-Israeli Conflict, Pluto Press, 2006. Hamas and Civil Society in Gaza: Engaging the Islamist Social Sector, Princeton University Press, 2011. Unsilencing Gaza, Pluto Press, 2021.[編訳者]岡真理(おか・まり)1960年生まれ。早稲田大学文学学術院教授、京都大学名誉教授。東京外国語大学大学院修士課程修了。在モロッコ日本国大使館専門調査員、大阪女子大学人文社会学部講師、京都大学大学院人間・環境学研究科教授等を経て、現職。専攻は現代アラブ文学、パレスチナ問題。 『彼女の「正しい」名前とは何か』(青土社)、『棗椰子の木陰で』(青土社)、『アラブ、祈りとしての文学』(みすず書房)、『ガザに地下鉄が走る日』(みすず書房)、『ガザとは何か』(大和書房)。[編訳者]小田切拓(おだぎり・ひろむ)1968年生まれ。ジャーナリスト。イスラエル/パレスチナ問題を専門に取材し、渡航回数は現在まで70回あまりに及ぶ。取材歴は20年を超え、「ガザ地区」、「隔離壁」、「オスロ合意」や「経済援助による占領加担」についての構造的分析で知られる。 「ガザ 人間の壊し方」「ハマスの6ヵ月 民主主義が瓦解する」「開発学の終焉 パレスチナ支援という虚構」など。[編訳者]早尾貴紀(はやお・たかのり)1973年生まれ。東京経済大学教授。専攻は社会思想史。『国ってなんだろう?』(平凡社)、『パレスチナ/イスラエル論』(有志舎)、『希望のディアスプラ 移民・難民をめぐる政治史』(春秋社)、『ユダヤとイスラエルのあいだ』(青土社)。 共編書『シオニズムの解剖』(人文書院)、『ディアスポラから世界を読む』(明石書店)、『残余の声を聴く 沖縄・韓国・パレスチナ』(明石書店)、『徐京植 回想と対話』(高文研)。共訳書にジョナサン・ボヤーリン/ダニエル・ボヤーリン『ディアスポラの力』(平凡社)、イラン・パペ『パレスチナの民族浄化』(法政大学出版局)、ハミッド・ダバシ『ポスト・オリエンタリズム』(作品社)。監訳書にエラ・ショハット、ロバート・スタム『支配と抵抗の映像文化』(法政大学出版局)。2026-no072-1287追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.12
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「おかあさんが来たよぉー!」 ベランダだより 2026年8月10日(月)ベランダあたり 今日もいいお天気です。ベランダでチッチキ夫人が騒いでいます。「チョット、チョット、オカアーさんが来てるよ。」「なんやねん、おかあさんて?」「ほら、昨日のアゲハの。」「色ちがうやん。」「飛び回ってたら黄色くなるねん。」 朝から、ベランダのミカン畑に黄いろのアゲハがヒラヒラしています。 みかん畑というのは、松山からいただいたミカンの種を植木鉢に蒔いていたら出来上がったミカンの苗の小さな畑です。 で、ここ数年、アゲハ蝶が卵を産みにやってきます。 我が家の小さなベランダからアゲハが巣立つのはこのミカン畑があるからです。 昨日のアゲハも、ここで育った青虫です。 今、目の前でヒラヒラしているアゲハ蝶が、ここから巣立ったアゲハかどうか、まあ、わからないんですけど、こうやって毎年やって来て卵を産み付けて、その卵から青虫になった幼虫がミカンの葉っぱを食べ尽くしてくれます。「写真、写真!」「飛び回るから無理ちゃう?」「いや、まあ、何度もパチパチやってたら写るやろ。」 適当に、パチ、パチ、チコ、チコやりました。 ヒラヒラ、フワフワしていて、画面上ではツカマラナイんですけど、写っていました。ははは! 最後は洗濯物にとまって、ああ、パンツじゃありません。エプロンですよ。二階の方へ飛び去って行きました。無事、写っていてメデタシ、メデタシでした。またきてねぇー。 チッチキ夫人はベランダから空に向かって手を振ってました。暑い夏の朝の楽しい出来事でした。 今日は、アサガオ、咲いてません。ザンネン!にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.08.11
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「変身!」 ベランダだより 2026年8月9日(日)ベランダあたり 朝からチッチキ夫人の歓声です。「孵ったわヨ!ちょっと、ちょっと。」「ワアー、スゴイ!」「羽もきれいに乾いてるし。」「見事に変身!やな。」「写真!写真!」 網戸の桟にくっついて一週間もたっていません。始まりの姿はこれです。 この、みどり色のサナギがこうなりました! 飛び立つ前にもう一枚。 網戸を開けると大空へ!ヒラヒラ、ヒラヒラ、ふわふわ、ふわふわ 残されたのはサナギだった時の栖です。ふしぎですねえ・・・ ここから、アゲハが登場したんですよ。 アゲハを見送ったベランダでは、今日は、まだ、朝顔が元気に咲いていました。 2026年8月9日の朝の出来事でした。拍手!にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.08.10
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「まあ、こんなとこで!」 ベランダだより 2026年8月7日(金)ベランダあたり ベランダで洗濯物を干していたチッチキ夫人の叫び声です。「ちょっと、こんなとこでサナギになったらアカンやん!」「なにーっ?」「網戸の桟でサナギになってはるやん。戸締められへんやん、モーォ―!」 毎年ベランダでサナギになって、アゲハになる幼虫くんです。なんと、網戸の桟の端の角で硬直しています。 角度を変えるとこんな感じ。「しゃあないなあ。締め切らんようにしたらんとなあ。」「暑い盛りやから、ここで気力尽きたんやろか?」「いや、死んでるんとちゃうやろ。」「ホラー・・・、こっちの壁にはカマキリやし。」 ナルホド、こっちはカマキリ! じっと、壁にへばりついてますね。 二日ほどたった姿です。 外見が少し繭ふうに変化したサナギです。不思議な変化ですね。でも、無事、蝶になる日に備えているようです。 で、朝の9時にはしおれてしまう朝顔です。 今年は朝顔があんまり咲いてくれません。ダメトラ軍団もここにきて弱いし、やっぱり、暑すぎるのでしょうか。 まあ、それにしても猛暑が続きますね。皆さん、ご自愛くださいね。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.08.09
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タク・セウン「怪速急行■■行き」シネリーブル神戸 実は、多分、別の映画館でリバイバルされるはずの「新感染なんとか」とかいうパニック映画と勘違いして見ました。「こういうのもご覧になるのですね?」「うん、パニック映画やろ。」「???」 チケットを購入しながらの馴染みの受付嬢とのやり取りですが、「???」には、「ちがいますけど。」が入るんですよね。見ながら気づきました。 見たのはタク・セウン監督の「怪速急行■■行き」でした。 ホラー動画をユーチューブとかに載せて再生回数を稼ぐのに夢中なダギョンという、可愛らしい、多分20代の女性をチュ・ヒョニョンさんという女優さんが演じているの物語でした。 映画が始まって目当ての作品ではないことにはすぐ気づきましたが、「怖い」のが嫌いなボクが、一度もビビることなく見終えました。まあ、要するに怖くなかったということですね(笑)。 ホラーのパターンが何通りか出てきますが、ダギョンさんが作る怖い話よりも、ウケたい一心の彼女の中に渦巻く、今ハヤリの言葉でいうと承認欲求っていうんですかね、自己肯定とかの欲望に壊れていくアイデンティティーの方が「怖いよ!」とでもいう結末でした。 ボクはネット上の動画とかについては関心がありませんが、たとえば、最近の小説作品でも、ウケを狙った、だから、売れることがまず目的なんだろうなと思わせる作品に出会うことがあります。ボク自身にしても、こうしてアホな文章をブログとかに載せて「イイネ」とかの数に心躍らせているわけですから他人ごとではないのですが、若い方が、クリエーターとか作家さんとか呼ばれて、お金まで絡むとなれば、歪むでしょうね。 まあ、そのあたりが射程に入っていることがこの作品の面白さでした。タク・セウンという監督には拍手!ですね。 もう一つ感じたのは、インターネットの世界で「自己表現」する、若い人たちの世界を垣間見ることができたのが面白かったですね。 以前、ネット詐欺を集団でやっている映画シーンに驚いたことがありますが、今回はユーチューブとかを会社組織でやっているのに驚きました。ホント、世の中についていけてませんね(笑)。 監督 タク・セウン製作 キム・ヨンミン脚本 チョ・バルン撮影 クォン・ヨンイル編集 キム・ウイル音楽 チョ・ソンジンキャストチュ・ヒョニョン(ダギョン ユーチューバー)チョン・ベス(駅長)チェ・ボミン(ウジン プロデューサー)2025年・95分・G・韓国原題「괴기열차」英題「Ghost Train」2026・08・05・no146・シネリーブル神戸no403追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.08
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「横川の僧都っていたの?」 徘徊日記 2026年7月26日(日)比叡山あたり その2 比叡山の山上ドライブウェイをピューッとドライブするなんて、思ってもみなかったぜいたくな一泊二日の旧友再会の二日目です。 で、一番記憶に残ったのがこの風景でした。比叡山の山の上あたりにあるレストランの展望台からの琵琶湖です。空も湖も素晴らしかったですね。 延暦寺の本堂というか、残念ながら根本中堂というところは工事中で拝観できなかったのですが、「で、次どこ行くの?」「横川かな?」「横川の僧都の、あっこ?」「横川の僧都か、聞いたことあるな。」「源氏物語やけど、F君読んだことあるの?」「源信いう人ちゃうの?」「うん、ちがう。お話の中の人。」 というわけで、再びピューッと横川です。ちなみに、「よこかわ」ではありません「よかわ」です(笑)。 こちらが駐車場にある社務所の立柱です。 入山料は全山共通のようで、先ほど購入したチケットを見せて通過です。 緑のトンネル道。 駐車場を振りかえっています。気持ちのいい徘徊です。多分、気温も市街より数度低いんじゃないでしょうか。 この坂道を下って行くと鳥居です。 龍ヶ池八大龍王神社だそうです。なんか、スゴイですね。泉鏡花に「夜叉が池」でしたか、竜神のお話があったことを思い出しましたけど、あれは福井県の方でしたかね。ここは比叡山ですから。大きな池もあるわけではありませんし。でも、まあ、竜神は竜神!ですからね。で、その右上が横川の中堂のようです。上に貼った写真です。 お堂の外から金色の観音さんをパチリ!です。 ここまで来たら、話題に出た源信が住んでいたという恵心堂とかまで歩くのが本来ですが、そこは、70代5人組です。「ここまで来たら、もう、ええやろ!」 というわけで、お堂の前で一休みしてUターンです。 比叡山山上峰道レストランとかでお昼です。絶景!!です。 最初の写真もこのレストランの展望台からです。ざるそばとソフトクリームをいただきました。 で、無事下山、四条河原町でみんなとわかれて阪急です。いい二日間でした。皆さんありがとう!またね!ですね。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.08.07
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