読書案内「水俣・沖縄・アフガニスタン 石牟礼道子・渡辺京二・中村哲 他」 20
読書案内「鶴見俊輔・黒川創・岡部伊都子・小田実 べ平連・思想の科学あたり」 15
読書案内「BookCoverChallenge」2020・05 16
読書案内「リービ英雄・多和田葉子・カズオイシグロ」国境を越えて 5
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武田一義「ペリリュー 楽園のゲルニカ(10)」(白泉社) 2020年の秋に「ペリリュー」第1巻から第9巻までをまとめて読みました。感心しました。続いて「さよならタマちゃん」を読んで、すっかり武田一義さんのファンになったのですが、2021年、2月のマンガ便で「ペリリュー(10)」(白泉社)が届きました。 第1巻と「さよならタマちゃん」の感想を書いた時に、2巻から1冊ずつ「案内」しようと考えていたのですが、うまく書けないままほったらかしていると、どうも、あと1冊で終ってしまうようなので慌てました。 とりあえず、やってきた「ペリリュー」第10巻は裏表紙の宣伝を紹介しますね。 終戦から1年半 — 。 昭和22年3月、田丸と吉敷は「生きて日本に帰る」という約束を果たすべく、壕からの脱出に成功する。 投降 ― それは生死を共にしてきた仲間の敵になるということ。では生き残った兵士にとって「正しい行動」とは何か。 全体を危険から遠ざけるための規律か。 全員を救うための危うさのある勇気か。 「仲間」の命がかかる決断を迫られる島田。 混乱の中、島に銃声が響く―。 生き残った兵士それぞれに、譲れない正義がある。 数多の喪失に耐え、思いを繋いだ若者の生還の記録。 表紙の人物は、田丸くんではなくて吉敷くんだと思います。軍から脱走し、米軍に投降する企ての最中、上官によって撃たれます。田丸くんは瀕死の吉敷くんを支えて進みますが…。 眼窩を打ち砕かれた吉敷くんは、南の島の雨の中で故郷の父と再会し、米の飯を田丸くんに食べさせる夢を見ながら絶命します。 「生きて帰る」はずだった吉敷くんは、終わったはずの戦場で、文字通り、「戦死」します。ぼくは宗教を信じることができない人間ですが、彼の魂を祀っている立派な神社は、日本という国のどこかにあるのでしょうか。 アメリカ軍に投降し、1年以上も前の敗戦の事実を知った田丸くんが吉敷くんを思い出すシーンです。このシーンを引用するかどうか、悩みました。作者はこのシーンを描くために、ここまで描き続けてきたと思うからです。こうして引用しながらいうのも変ですが、この「案内」をお読みいただいている方には、できれば、1巻から10巻まで、読んできて、このシーンに出会ってほしいと思います。 ぼくは、ぼくよりも20歳以上も若いマンガ家である武田一義さんが、このマンガをこんなふうに描いていることに驚きます。マンガに限らず、あらゆる表現が、売れるか売れないかの空っ風に晒されている「現代」という時代であるにもかかわらず、、この作品は「売る」ために書かれたとは思えない「まじめさ」を失っていないように感じるからです。 追悼とは、戦死者を英雄として讃えることではない。 追悼とは、彼らの死の無惨さを、私たちの記憶にしっかりと刻み続けること。もがき、あがきながら死んでいった人々の傍らに静かに寄り添うこと。 生き残った人々の負い目にも心を寄せながら。(吉田裕) これは「売る」ためにつけられた腰巻、帯に載せられた推薦文です。誠実な文章だと思いますが、今、こういわなければならないこの国の「戦後」とは、田丸くんが帰ってきてからの80年とは、一体何だったのでしょうね。 昭和の戦争の研究者である吉田裕さんは一橋大学の先生だった方のようですが、「日本軍兵士」(中公新書)という本の著者でもあります。読んでみようと思っています。
2021.03.06
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鶴谷香央理「メタモルフォーゼの縁側(5)」(角川書店) 75歳、一人暮らし、書道塾経営(?)の女性、市野井雪さんと、高校3年生、受験生、やる気なし、本屋でバイト、マンガ家になりたい(?)佐山うららちゃんが、ひょんなことから知り合って、表紙の通り、縁側でお話しする漫画「メタモルフォーゼの縁側」ですが、完結してしまいました。 ヤサイクンのマンガ便、1月の最終便で届きましたが、届けてくれたヤサイクンの発言が微妙でした。「終わっちゃったで。」「エエー、延々と続くやつやったんとちがうのん?」「ああ、終わった。」「まさか、おバーちゃんが死んじゃった?」「死んでへん。まあ、読んだらわかる。」 まあ、そのとおりでしょう。読めばわかりますよね。で、読みました。もちろん、わかりました。 市野井さんもうららちゃんも死んだりしていません。 これが裏表紙ですが、マンガのラストではうららちゃんがいつものように市野井さんの家の縁側に座って、庭の立ち木にやって来た小鳥の声を、これまたいつものように、ボンヤリ聞きながらつぶやきます。「船の舳先みたいだな」 二人は、ちょっとベタですが、「本当の友達」になったようです。 裏表紙にはこんな言葉が載っていました。「どう言えば 今の気持ちが伝わるだろう」 春から大学生になるうららちゃんの、友達を残して遠くへいってしまった市野井さんの、マンガを鮮やかに終わらせた鶴谷香央理さんの、そして、「このマンガはいいよ」と伝えたいぼくの、気持ちを表した言葉ですね。 蛇足ですが、もう一つ書き足しておきたいと思います。変わるもの変わらないものその縁側は、いつもあたたかかった。 「ボーイズラブ」マンガを小道具というか、ネタにして、ちょっとキワモノの雰囲気を醸(かも)しながら、さわやかに、おばーちゃんと少女の友情を描いた傑作でした。拍手!
2021.01.29
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勝田文「風太郎不戦日記(1)」(MORNING KC) 2021年、1月3日。ヤサイ君のマンガ便、初荷ですね、届きました。入っていたのがこの作品、「風太郎不戦日記(1)」(講談社)でした。 驚きましたねえ。かつて批評家の関川夏央さんが「戦中派天才老人」と称えた、伝奇小説の天才山田風太郎の日記文学の傑作、「戦中派不戦日記」(講談社文庫)を漫画にした人がいるんですね。それも女性漫画家だというから、もう一度驚きでした。 何で女性のマンガ家に驚くのかと訊ねられそうですが、原作が医学生で病弱という理由で徴兵猶予になっている「青年」の告白日記ですが、それを女性が描くのかと思ったからです。 が、ページを繰って主人公のキャラクターの造形を見て納得しました。なるほど、こういう、何となくうだつが上がらず、くよくよと考え込む「男性」のタイプに対する「批評性」というのは、女性の眼のほうが鋭いのかもしれませんね。 原作が持っている作家山田風太郎自身の自己批評性にも理由はあるでしょうが、マンガの絵柄の、どことなくコミカルなイメージが、そのあたりを鋭く描いていると感じました。 伝記作家山田風太郎は「奇想天外」という決まり文句て紹介されることが多いのですが、作品世界を伝奇的に、あるいは荒唐無稽に描きながら、その時代や事件に対するシニカルな批評性と、フトした拍子に描き出す、リリシズムとカタカナで言いたくなるような抒情性にこそ特徴があると思うのですが、勝田文さんは、この、後の作家の若書きの日記の中から、風太郎文学の肝ともいえる、シニシズムとリリシズムを、見事に描き出していました。 醒めてシニカルで、それでいて、ニヒルになり切れない根性なしの、医学生「山田誠也」の素顔がこれです。 マンガで描かれてみると、後の山田風太郎が、ここに居るというのが勝田文の「戦中派不戦日記」の読み方なんだなと共感しました。 そしてページをめくるとこのシーンです。 2月26日の雪の朝の光景ですが、もちろん、1936年のあの日のことではありません。1945年の冬の朝のことですが、ふと1936年のあの朝を思い浮かべさせる描き方がうまいですね。時間の重層性とでもいうイメージが、実に抒情的な、いや、リリカルな美しい画面として描かれているところに感心しました。 それにしても、若いマンガ家たちが「戦争」を書き始めているのは何故でしょう。単に売れ筋を探しての現象というばかりではないと思うのですが。 もう一つの期待、山田風太郎の「日記」というネタは戦後の子育てまで、かなりたくさんありますが、勝田文さんはどこまで書くのでしょうね、原作の日記は、それぞれ、結構分厚くて読み直すのは大変です。頑張って続けてほしいものですね。 ああ、そういえば山田風太郎は、先日、対談集を案内した水木しげると鶴見俊輔の二人と同い年、1922年生まれですね。この世代の人達の残したものに光を当てるという作業にも、ぼくは共感しましたね。
2021.01.04
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灰田高鴻「スインギン・ドラゴン・タイガー・ブギ(1)」(MORNING・KC) ゆかいな仲間のヤサイクンがいつも届けてくれるマンガ便ですが、2021年の初荷に入っていたのがこのマンガです。 灰田高鴻「SWINGIN’DORAGON&TIGER BOOGIE」(講談社)ですね。 パンク一筋だったヤサイクンですが、ここの所、漫画はジャズらしいですね。石塚真一の「ブルー・ジャイアント」で目覚めたのでしょうか。 今回は「ジャズが日本にやって来た頃、若者たちがやってたんだなあ~。ボンボンと!」 と石塚真一が腰巻でおっしゃっている、この国のジャズ・シーンの始まりの物語のようです。 舞台は、朝鮮戦争に送られるアメリカ兵たちが駐屯している米軍朝霞基地。マンガの中にも描かれていますが、キャンプ・ドレイクと呼ばれていたのですね。そこのクラブで糊口をしのいでいた和声ミュージシャンたちの中に、福井の田舎からウッド・ベースというのでしょうか、コントラバスを担いでやってきた少女「トラ」ちゃんが紛れ込むところからマンガは始まりました。 このマンガが描かれている当時、ナベサダ、雪村いずみ、フランキー堺、エトセトラ。ぼくでも知っている1060年以降のビッグ・ネームですが、この米軍キャンプのクラブに出演していた皆さんですね。時は1950年代の前半という感じでしょうか。 マンガのストーリーは、メガネのベース奏者、オタジマタツジ君と「トラ」ちゃんとの間にあるらしい因縁をめぐって進むようですが、今のところ「記憶喪失」という、まあ、ありがちといえばありがちな設定で、うやむやです。 オタジマ君の記憶をよみがえらせたい一心で声を張り上げて歌う「トラ」ちゃんが、どうも天才エンターテナーであるらしいと見込んだバンマス丸山君が、彼女をボーカルにすえて立ち上げたバンドが「スインギン・タイガー・ブギ」というわけでした。 さて、ここからどう展開するのでしょうかという、肝の所で、やっぱり、第1巻は終わるわけですが、このマンガの、重要ポイントは、どうも、この裏表紙の上の方に記されているスタンダード・ジャズの曲目にもあるようです。 この国のジャズというよりも、デキシーランド・ジャズに始まる「ジャズの歴史」そのものを、ついでに音で振り返ってはいかがというたくらみのようです。 主人公が女性ボーカルとベース奏者というのが、なんとも渋い設定です。絵柄はどっちかというとヘタクソなんじゃないかと思うのですが、展開にはそそられますね。第2巻が楽しみです。
2021.01.03
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こうの史代「この世界の片隅に(上・中・下)」(双葉社) 2020年も終わろうとしていますが、今思えば、コロナ騒ぎが最初の頂点を迎え、政治家のインチキが、あっちでもこっちでも露呈しはじめた2020年の4月、ゆかいな仲間のヤサイクンのマンガ便に入っていたマンガでした。 こうの史代「この世界の片隅に」(上・中・下)(双葉社)です。 すぐに読みましたが、なかなか、思うように感想が書けないまま放っていました。 この作品は、広島で育ち、隣町の呉の北条周作のもとに嫁いだ浦野すずという主人公の、戦時下の日々の暮らしを描いた物語でした。ぼくが知らなかっただけで、アニメ映画として評判になり、単行本のマンガもよく読まれている作品であるらしいですね。誰でも知っている物語のようなので、ここでは筋書きの紹介はしませんね。 ぼくは、アニメも見ていませんし、評判になっていたらしいこのマンガも読んでいませんでした。ヤサイ君のマンガ便がなければ読むことはなかったでしょう。 ところが、最近「ペリリュー」という武田一義のマンガを読みながら、 「そういえば、あのマンガの主人公も漫画を描きたかったんだよな」 と思い出したのが、このマンガの主人公すずのことでした。 彼女は戦地に出征した兵士ではありませんが、戦地で命懸けの男の人に代わり、一人でも多くの男の子を生むのが「義務」だと考えるような、純朴な女性です。にもかかわらず、子供が出来ずに悩むすずが、遊郭の女性白木リンと語り合うこんなシーンがあります。「ほいでも周作さんもみんなも楽しみしとってのに子供が出来んとわかったらがっかりしてじゃ」「周作さん?」「あ 夫です」「あんたも楽しみなんかね?」「はあ まあ・・・」「うちの母ちゃんはお産のたびに歯が減ったよ しまいにゃお産で死んだよ それでも楽しみなもんかね?」「そりゃあまあ・・・怖いこた怖いけど ほいでも世の男の人はみな戦地で命懸けじゃけえこっちもギムは果たさんと」「ギム?」「出来のええアトトリを残さんと それがヨメのギムじゃろう」「男が生まれるとは限らんが」「男が生まれるまで産むんじゃろう」「出来がええとも限らんが」「予備に何人か産むんじゃろう」 すずは、子どもができないことで、嫁ぎ先に居場所がないことを不安に思い、子どもを産めない女性が実家に帰されるということを、素直に信じる女性でもありました。 そんなすずを「売られてきた女性」白木リンはこんなふうに慰めます。 「ああ、でも子供が居ったら居ったで支えんなるよね」「ほっ ほう! ほう!! 可愛いし‼」「困りゃ売れるしね!女の方が高いけえ、アトトリが少のうても大丈夫じゃ 世の中、巧うできとるわ」「なんか悩むんがあほらしいうなってきた・・・・」「誰でも何か足らんぐらいで、この世界に居場所はそうそう無うなりゃあせんよ すずさん」「有難うリンさん」 ここに、このマンガの読みどころの一つがあると思いました。白木リンがどんな人間にも「この世界の片隅に」、「生きる場所」というのはなんとかあるものだと教えるなにげないシーンですが、落ち着いて読み返すと哀切極まりないシーンなのです。 二人が、仲良しになって、悲しい会話をしたこの時にすずには、戦火の下とはいえ、まだ、大好きな絵を描く右手がありました。そして、苦界で生きる白木リンにも、永らえる「いのち」があったのでした。 やがて、ペリリュー島で田丸1等兵たちが苦労して守っていたはずの「本土攻撃」の防衛線は、肩透かしのように突破され、東洋一の軍港の町「呉」もアメリカ軍の空襲にさらされていきます。そんな戦況の中で、すずは街角の不発弾に遭遇し、手を引いて歩いていた6歳の姪、晴美ちゃんの命と、つないでいた自分の右手を一緒に失います。 「この世界の片隅に」居場所を失ったように苦しむすずは「居場所はそうそう無うなりゃあせんよ」と励ましてくれた、白木リンを探しますが、彼女は居場所だった遊郭ごと、「この世界の片隅」から消えていました。 敗戦の日のシーンです。 ああ、暴力で従えとったいうことか じゃけえ暴力に屈するいう事かね それがこの国の正体かね うちも知らんまま死にたかったなあ・・・ この世界に取り残されたことを、もだえ苦しむすずの頭を、天から降りてきたのでしょうか、やさしく撫でる「右手」が描かれます。 戦死した兄、要一の石ころ入りの骨壺。爆弾に吹き飛ばされた姪の晴美。やっと、話ができたのに遊郭ごと消えた白木リン。1945年8月6日から行方不明の母。原爆病で起き上がれない妹のすみ。 すずの失われた「世界」が、次々と想起される中で、幻の「右手」が彼女の居場所がまだあることを教えるかのようです。 焼け野原の呉の街で拾った戦災孤児を背負って歩いている周作とすずの後ろ姿が描かれ、マンガは、再び「この世界の片隅」のような北条家の居間に戻っていきます。 戦後社会への着地の仕方が、とてもソフトなところに好感を持ちましたが、何よりも「マンガを描きたかった」浦野すずという設定と、あくまでも小さな日常にこだわった筋運びに、戦後70年たって書かれている戦争マンガの新しさを感じました。 蛇足のようになりますが、宗教学者の島薗進という方が「ともに悲嘆を生きる」(朝日選書)という本の前書きで、執筆の数年前に流行った3本の映画、「シン・ゴジラ」と「君の名は」、そして「この世界の片隅に」を見たことを話題にしてこんなことをおっしゃっていました。「シン・ゴジラ」と「君の名は」は見ごたえはたっぷりあるが、観客も涙を流すような感動はなかった。 ところが、「この世界の片隅に」は見応えがたっぷりあるとともに深く心を揺さぶられた。こうの史代の同名のコミック作品に基づく、片渕須直監督の作品だ。そこですぐ原作を買って読んだ。2006年から09年にかけて発表された作品だが、予想にたがわずため息をつきながら読みふけった。 そして、それは悲嘆が身近に感じられる21世紀の現代という時代と深い関わりがあるように感じた。 ぼくが、気になるのは、このマンガが、なぜ、今、みんなに受け入れられたのかということですが、島薗さんは、始まったばかりの「21世紀という社会」には、「悲嘆」の方向に動きやすいの空気が漂っていて、そのことと、このマンガの描く「世界」が繋がっていると論じておられますが、そうなんでしょうか。 そういえば、お葬式の作法とか、そっち方面の話が映画になったりしたのは今世紀に入ってからですね。島薗さんの御意見は、そのうち「案内」するかもしれませんが、とりあえず、そちらの本のほうで直接ご確認いただきたいと思います。追記2021・08・06 コロナの感染者数が日々新記録を刻んでいますが、大運動会の報道に夢中にみえるNHKという「公共放送(?)」は大運動会の報道に夢中で、この世界で本当に起こっていることからはかけ離れた「公共(?)」ぶりです。 そのうえ、例年、8月6日に放送していた「原爆」特集番組を、こっそり、取り止めにしたりしているようです。 なんだか。恐ろしい時代の始まりを演出して、いい気になっている夜郎自大なものを感じます。本当に気味の悪いことですね。
2020.12.30
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奥浩哉「いぬやしき(1巻~10巻)」(講談社) 「さよならタマちゃん」や「ペリリュー」のマンガ家武田一義さんがアシスタントとして働いていたマンガ家ということで興味を持ちました。「タマちゃん」に本人も登場します。 10巻セット1000円という価格で購入しましたが、納得のいくおもしろさでした。「納得」といっても、一冊100円程度の、ということではありません。2014年に始まって、2017年に全10巻で完結したようです。 絵柄が独特だと思います。ぼくは老人の主人公犬屋敷壱郎さんの見分けはつきましたが、獅子神晧君とそのお友達の安堂直行君の見分けが、途中からつかなくなりました。まあ、彼らの同級生の可愛らしい女子高生と犬屋敷真理ちゃんの見分けもイマイチついたとは言えません。これが、最近のマンガの「感じ」なのでしょうか。 話しの筋書きは、地球にやって来た宇宙人によって、偶然、殺された犬屋敷さんと獅子神君が「スーパー・ロボット」化されて修復され、その「スーパー」な能力を老人は「善」の方向へ、若者は「悪」の方向へ発揮するというわけで、荒唐無稽といっていいものですが、この種の荒唐無稽は映画でだって繰り返し見てきたわけですから、何の問題もありません。 先ほど「善悪」といういい方をしましたが、むしろ「自己満足」、何が「空虚な存在」であるそれぞれの「自分」や、その「こころ」を満たすのかというモチベーションが老人と高校生の二人に共通しています。 それが、この荒唐無稽な設定を支えている一つ目のポイントだと思いました。 もう一つは、ロボットの、いや宇宙人のというべきでしょうか、攻撃方法の新しさです。 現代社会の、不思議というか、理解しがたい潮流にネット社会に住み着いている「無名の悪意」のようなものがあると思いますが、それに対して一対一で報復可能なハイテクが導入されているところでした。もちろん夢の機械ではあるのですが、ぼくはこの方法が露わにしている、現代社会の特徴に対する奥浩哉というマンガのセンスはとてもすぐれていると思いました。それは、警察権力に対する戦い方にも表れていますが、スマホから直接狙撃するという発想は初めてではないでしょうか。 最終的には「家族」による「家族」、「父」や「夫」に対する「愛」の再発見、犬屋敷さんの愛犬「はな子」が最初から持っていた「愛」を、家族が共有するという結末なところが、まあ、「そうなればいいよね犬屋敷壱郎さん!」と最初からの仕込みのようなものであって、案外シンプルなところも悪くないのだろうなと感じました。 一寸穿った言い方をすれば、現代の「アトム譚」、「鉄腕アトム」の末裔の物語ともいえるわけで、このマンガのラストシーンを読みながら、太陽に向かって飛んだアトムの最後を彷彿とするのは僕だけでしょうか。 奥浩哉というマンガ家もまた。手塚治虫の末裔なのではないでしょうか、なんてことも考えさせられました。 結構な、SF活劇なのですが、案外ホームドラマなところに笑ってしまいました。ちょっと、ハリウッド映画っぽいですよね この第10巻の表紙の方は、犬屋敷さんのお嬢さんだと思うのですが、他の男の子の登場人物と、ぼくには見分けがつかないのですよね。あっちゃー!
2020.12.18
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武田一義「さよならタマちゃん」(講談社) このマンガは、珍しく自分で購入しました。ヤサイ君の12月のマンガ便の「ペリリュー 楽園のゲルニカ」のマンガ家武田一義さんのデビュー作だそうです。 ぼくは「ペリリュー」ですっかりファンになったのですが、この戦争マンガを読みながら、不思議に思ったことがありました。 太平洋戦争の歴史のなかでも、最も過酷な戦場であったペリリュー島の1万人の兵隊たちのなかに、作者の分身である田丸1等兵を潜り込ませた手法の卓抜さについて、第1巻の感想で書きましたが、歴史的な事実として、マンガに登場するほとんどの「戦友」たちが、必ず戦死・病死していく世界を描きながら、どうしてここまで普通の人間が生きている世界として描けるのかという疑問です。 私たちは2020年の「現実」の中で暮らしていわけで、戦場という、「死」が日常である世界を描くためには、ある「覚悟」のようなものがいると思うのですが、武田一義というマンガ家が、どうやって、その、覚悟を得たのかという疑問でした。 このマンガに、その答えがあると思いました。 このマンガは、マンガ家自身が経験した精巣腫瘍、その腫瘍の切除手術と肺への転移に対する抗癌剤治療の闘病の記録です。 主人公武田一義、35歳。マンガ家を目指すマンガ家のアシスタント。マンガ家のアシスタントとしては35歳は、決して若くないのだそうですが、がん治療の入院病棟では、ダントツの若さだそうです。 ここに載せたのは入院した武田君を迎える、同室の「戦友」たち、桜木さんや田原さんとの出会いや、武田君の最初の不安を描いたシーンです。この場面をはじめとして、第1話、第2話は「笑い」がさく裂しています。 マンガをお読みになればわかりますが、その後の展開は、決して笑ってはいられないシーンの連続です。ぼくは、ぼく自身の年齢のせいもあるかもしれませんが、何度も涙がこぼれました。 とはいうものの、武田一義さんはマンガを描いているのですから、面白く書こうとしていることは「さよならタマちゃん」という題名からもわかります。でも、それは単なる病院ギャグや、未経験者が知らない経験の「ひけらかし」ではありません。 武田さんは、普通の人が「死」を覚悟する病名を宣告された時に、それでも、今、生きていることの「明るさ」を書こうとしているように思えるのです。 先ほど、ぼくは「戦友」という言葉を使いました。武田さんは、同じ病院に入院している人たちのことを「戦友」などという言葉で表現しているわけではありません。しかし、彼の「ペリリュー」という作品を読んだ目で、この「闘病記」を読むと、彼と同室の桜木さんや田原さんの描き方は、「ペリリュー」の同じ小隊の兵士たちの描き方と同じだとぼくは思いました。 これは、無事退院できた主人公の武田君が定期検査のためにやって来た病院で、一緒に退院した田原さんの再入院を知り、彼から同室だった桜木さんの死を聞くシーンです。 このシーンを読みながら、漫画家の武田一義さんが、マンガ家として描くべき「世界」と出会った瞬間だと思いました。 この時、彼は、この作品の第1話を書いて、掲載の可否を待っている時期だったようですが、この田原さんとの再会によって、このシーンをマンガに描き、「ペリリュー」の世界へと書き継いでゆく勇気と覚悟を手に入れたのではないでしょうか。 最終話と題されたこの章が、25章にあたります。第1章、第2章で炸裂した「笑い」はやがて闘病の苦しさを描き続けることになりますが、不思議と「うっとおしさ」がないのです。主人公の武田君は、嘔吐を繰り返し、どんどん衰弱していきます。精神的にも息が詰まるような展開です。「ペリリュー」の戦場描写とよく似ています。 しかし、彼の、この二つの作品の共通点は、それでも暗くないことなのです。いったん読み始めた読み手が、辛くなって、あるいは、うんざりして投げ出すことは、ないんじゃないかと思います。 病院に入院していた武田一義さんは、生きてマンガを描く「覚悟」のようなものに出会われたのではないでしょうか。その「覚悟」から生まれた「よろこび」が「タマちゃん」から「ペリリュー」まで、たとえば田原さんというキャラクターを書くときにあらわれているのではないでしょうか。そして、それが武田さんのマンガの「明るさ」の理由ではないかというのが、ぼくの当てずっぽう推理の結論です。 裏表紙に描かれた「戦友」たちです。マンガのなかで、奥さんの早苗さんも、新人看護師の杉村さんも、同じ病気で、退院するときにはじめて口をきくことができた市川さんも、みんな戦友でした。みんな一生懸命生きている人たちでした。追記2020・12・12「ペリリュー」の感想はここをクリックしてください。
2020.12.12
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武田一義「ペリリュー(1)」(白泉社) 12月のマンガ便に武田一義というマンガ家の「ペリリュー(1)~(8)」(白泉社)というマンガが入っていました。「ペリリューって?北のほうか?地名やろ。」「パラオって知ってるか?南洋の島や。」「戦争もん?」「ああ、おもろいで。」 表紙を開くと、現在のパラオ共和国の写真が載っています。祖父の痕跡を尋ねた青年が海岸に立っている後ろ姿があります。「ペリリュー島 昭和19年夏―」、眼鏡をかけたいかにも頼りなさそうな兵隊が行軍しています。 主人公、田丸均1等兵です。 武田一義公式ブログ 武田一義のブログに、田丸1等兵の立ち姿の写真がありました(絵ですけど)。マンガ家になりたい夢を持ちながら、徴兵され、パラオ諸島のペリリュー島守備隊に配属された青年です。 四角い眼鏡をかけて、長ズボンをはいていますが、歴史的事実に沿えば、当時は丸眼鏡しかなかったそうですがマンガの主人公として四角い眼鏡をかけさせ、半ズボンだったはずの軍装は、はかせてみると、彼の絵では子供の兵隊にしか見えないので、長ズボンをはかせたことが、あとがきでことわられています。 昭和19年のペリリュー島で何があったのか。そう聞かれても、ぼくには答えられません。そもそも、戦前、大日本帝国の信託統治領だったパラオ諸島についても、「山月記」の作家中島敦を思い出すくらいのことで、ほとんど何も知りません。しかし、地図をもう少し広げてみれば、大岡昇平が「野火」や「レイテ戦記」で描いたフィリピン諸島はすぐそこで、太平洋戦争の最も悲惨な戦場の一つであったことはぼくにも理解できます。 マンガを読み進めていくと、サンゴ礁の隆起で出来たこの島がアメリカ軍にとって、その後の戦略の鍵になる理由がわかります。それは飛行場でした。フィリピン奪還、日本本土空襲のための不沈空母、出撃基地として戦略上のかなめの島として考えられていたようです。 昭和19年9月4日、アメリカ第3艦隊、艦艇約800隻、兵員4万人が出動し、約1万人の兵隊が守備隊として配備されていたパラオ諸島ペリリューとへ向かい、マンガ「ペリリュー」が始まります。 物語の冒頭、絵をかくことのほかは肉体的も精神的にも、実戦では役に立ちそうにない主人公田丸1等兵は、小隊長の島田少尉から「功績係」として兵士の最後を記録し、遺品を収集する役目を命じられます。 このマンガが、1975年生まれのマンガ家によって、かわいらしい子供のようなキャラクターを登場させて描かれているのですが、「戦場」の悲惨さと、そこで生き、死んでいった人々の姿をリアルに読ませるための、マンガ家としての工夫が、ここにあると思いました。 マンガ家武田一義は、気弱で故郷を思い続けながら、仲間の死を一つ一つ記録してゆく田丸1等兵に潜り込むことで、新しい「戦争マンガ」を可能にしたのだと思います。 敗戦から70年以上たった「今の眼」で、主人公に潜り込んだ武田一義は戦場を見ているのです。そして、あまりに悲惨な戦場の事実に震えながら、しかし、目をつむることなく見つめる田丸1等兵を描いています。そうすることで、新しい「ゲルニカ」の可能性を夢見ているマンガ家武田一義に拍手を贈りたくなる第1巻だと思いました。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.12.10
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夏緑:原作・ちくやまきよし:作画「しっぽの声1~7」(協力:杉本彩 小学館) 我が家の愉快な仲間、ヤサイクンが毎月届けてくれる、11月の「マンガ便」に入っていました。 夏緑原作、ちくやまきよし作画のマンガ「しっぽの声(1巻~7巻)」です。公益財団法人動物環境・福祉協会Eva理事長という肩書の杉本彩という人の名が、協力者として表紙にあります。ペット飼育や虐待の現実がかなり丁寧に描かれていました。 最近のヤサイクンのマンガ便には、「コウノドリ」とか「リエゾン」といった、お医者さんが主人公ではあるのですが、「子どもが生まれる」とか、「子どもたちが生きている」とかいう「現場」をまじめに描こうとしている作品が続いていると思うのですが、今度は、「動物の命」がテーマのマンガでした。 マンガを描く人もいろいろ勉強しているのですね。上の二つの作品でも感じましたが、ぼくたちの目の前にある、今の社会の姿を、「ここから見れば」という感じで、視点を少し変えることで、新しい「リアル」を発見していく描き方をしようとしているマンガ作家の、まじめな努力を感じる作品です。 「しっぽの声」という題名の通り、ペット呼ばれて人間とともに暮らしているネコや犬たちの眼から見れば、この社会がどういう姿をしているのか、ちょっと「しっぽ」のある彼らの声を聞いてみませんかというマンガでした。 アニマルシェルターの経営者で、所長さんである天原士狼くんと、アメリカ帰りの獣医師獅子神太一君の二人が、まあ、主人公ということになります。 話題はペット繁殖業、生体展示販売、飼育放棄、野良犬、ノラ猫の捕獲や殺処分と、ペットと縁のない暮らしをしているシマクマ君には、初めて知る話題満載で、面白がるというよりも、なんか、ベンキョウになるなあというマンガでした。 たとえば、第1巻には、「飼育放棄」されたワンちゃんが、空腹のあまり、自ら噛み千切って失った前足の義足の話や、密輸された蝙蝠を齧って、日本ではありえない狂犬病を発症してしまったの犬の「殺処分」の話とかが出てきますが、それぞれのワンちゃんの不幸が、「人間」の身勝手な欲望の結果としてあるのことを「しっぽの声」が問いかけていると思いました。 いつもマンガを届けてくれるヤサイクンは、二匹のネコと、飼育放棄された状態だったらしい「カルちゃん」というワンコを引き取って暮らしています。動物好きのヤサイクン一家なのですが、可哀そうなことに、子どもたちや猫たちとも仲良しの「カルちゃん」は、どうしたことか、ヤサイクンにだけ冷たいのだそうです。 現実のワンちゃんやネコ君たちというのは、なかなか、好き嫌いがはっきりしていて、「しっぽ」のない人間の声が、うまく届くとは限らないようです。 7巻まで読み終えて思いました。それにしても、街のあちらこちらで、ワンちゃんやネコ君たちが「しっぽ」をふったり、プイッと向こうをむいたり、ゴロゴロ寝そべったりしながら「ちょっと、こっちからも見てね。」と呼びかけているようです。「しっぽ」をなくした生きものたちは、もう少し、「しっぽの声」に耳を傾ける暮らしをした方が楽しそうですね。 描かれている内容は、動物好きには、かなりつらいこと、腹立たしいことが多いのですが、「しっぽ」のある「生きものたち」の「命」の扱われ方は、「しっぽ」のない「生きもの」にも、他人ごとでない「リアル」を感じさせる作品だと思いました。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.12.05
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堀尾省太「ゴールデン ゴールド(1~7)」(講談社) 「スゴイ!」とか「イイネ!」とかを誰かがクリックして、何となく盛り上がる感じが、いつの間にか何十万「イイネ」とかになって、何が「イイネ!」なのか、実は誰にもわからないのに本屋の店先で積み上げられて、あっという間に何百万部の売り上げになると、巨匠とか鬼才とか名匠というレッテルが張られています。 それが、現代という「空虚」の、一つの実相なのだと批判を口にする人でも、自らブログだの、なんだの、ネット・メディアの世界にちょっと足を突っ込んでみると、それこそ、あっという間に「イイネ!」依存症患者、クリック待望症候群の一人であることを発見することになります。 利いた風な口をきいていますが、ゴジラ老人などと称して書いていること自体が、そういう事態の実践であるという、ある種、がんじがらめの「空虚」を、「不気味さ」として描いている、「スゴイ!」マンガが9月のマンガ便に入っていました。 堀尾省太「ゴールデンゴールド」です。 瀬戸内海で、尾道あたりからフェリーに乗ると、本土の通勤圏内にある、「寧島」という何となくさびれた島が舞台です。都会の中学校で不登校になって、よろず屋と民宿を経営している、田舎のオバーチャン、早坂町子の家で暮らしている、中学3年生の早坂琉花ちゃんが主人公です。 かなり有名なマンガらしいのでストーリーは端折りますが、彼女が海岸で拾った、表紙に登場する「仏像」状の物体が「福の神」であるらしいというのが、このマンガの設定です。「福の神」なので、かなえられる夢は「お金」です。あらゆる夢が「儲かる」という形で実体化します。 要するに、その願い小さかろうが、大きかろうが、「福の神」を信じ、「福の神」から気に入られた人の願いが叶うという、まあ、いわば人々の夢が「ラッキー」として実体化し続けるとどうなるかということなのですが、これが「不気味」としか言いようのない連鎖反応を引き起こすのです。 「欲望」が「欲望」を生む連鎖、あるいは「欲望」を「欲望」する連鎖というべきかもしれません。7巻まで、一気読みしてしまいましたが、今や複数の「福の神」が島に跋扈していて、おそらくこの後は「福の神」同士の「戦争」状態に突入するのではないかというのが、ぼくの予想です。かなう欲望が複数あれば、あとは力勝負ということで、神々による戦いが始まるほかありません。 所謂、SNSの世界が作り出している「空虚」から、このマンガについてのおしゃべりを始めたわけですが、「お金」や「損・得」という価値観の支配する世界から、いったい何が失われて行きつつあるのかというのが、このマンガが描いていることのようです。 しかし、話しはそう簡単なわけではなくて、孫の早坂琉花ちゃんの目の前で、なにげなく夢見たことが次々と叶い続け、始めは偶然だったできごとが、巻を追うごとに必然化してゆき、それと共に変貌していく町子お婆ちゃんの姿が、琉花ちゃんには「不可解」というよりも「不気味」に映り始めるところが、このマンガの「肝」なのでしょうね。 そんな風に考えながらも、早坂町子の姿に、妙にリアルな既視感を抱く、彼女と、ほぼ、同年代の読者である自分を発見するゴジラ老人なのですが、これはいったいどういうことでしょう。 ひょっとすると、SNSの世界で繰り広げられている、本来、ヴァーチャルだったはずの世界の実体化現象が、普通の生活をしていたはずの人々の生活感を、根こそぎ奪い始めている現代という社会の様子が、このお話と微妙に似ていることに由来している既視感なのかもしれません。 ついでに当てずっぽうをいえば、今となっては高度経済成長期の終末現象だったと知っている、1980年代、あのバブルの時代の様子にも似ている気がしないでもないのです。 「イイネ!」という「福の神」にすがっているのか、「スゴイ!」という、本来ただの記号だったはずの、まあ、「お金」のようなものに生きがいとかを見つけ始めているのか。 老人の感想も、やはり、「不気味」ということになるのでしょうかね。ちょっと、それではヤバイと思うのですが。 それにしても、このマンガ、ただ今、第8巻まで出ているようですが、どう終わらせるのでしょうね。興味津々ですね。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.11.12
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竹村優作・ヨンチャン「リエゾン1」(講談社) 八月のマンガ便にありました。読み終わって、悪い印象ではないのですが、なぜか不安でした。 お医者さんを主人公にした漫画は、手塚治虫の「ブラックジャック」以来たくさんあります。もう懐かしいマンガですが、「ブラックジャックによろしく」とか、医学部の学生さんの間で流行ったと聞いたこともあります。最近では、産科のお医者さんを主人公にした「コウノドリ」にはまりました。 この作品も、お医者さんが主役を演じています。精神科医で、「児童精神科」・「精神科」・「心療内科」の看板を挙げている町医者、佐山卓さんと、その医院で研修する研修医遠野志保さん、まあ、主人公は今から一人前になるために、きっと山あり谷ありの経験をしていくと思われる遠野志保さんということになるでしょうか。 ところで、表紙に「こどものこころ診療所」と副題が載っています。ケン玉を首にかけた白衣の人物が精神科医佐山卓さんですが、このマンガの、真の主人公は、彼のもとにやってくる子供たちと、その家族だというのが第1巻を読み終えたぼくの感想です。 で、不安はそこにあります。第1巻の巻末には10冊を超える専門書と、医学や、おそらく教育学の論文が参考文献として記録されています。主人公の二人の医者は発達障害、いわゆるADHDの人物として設定されています。 真正面から「子どもたち」を描こうとしている、原作者の竹村優作さんや漫画家のヨンチャンさんの覚悟のほどを感じます。 「差別」と「偏見」が善意の顔をしてはびこる世界です。苦しい現実に置き去りにされている当事者の方もおられます。 このマンガ何をどのように描くのか、第1巻では「鬱」症状の父親の、無意識のうちの「虐待」の事例が「学校に行けない子供①~④」として描かれていました。一歩間違えば、精神病や生活保護に対する偏見を助長しかねない物語です。 マンガが、「明るさ」や「共生」に向けて誠実に描かれていることは確かだと思います。私たちのモラルの境界線に立ち向かおうとしている原作者とマンガ家の真摯な勇気に、ぼくは期待しています。にほんブログ村にほんブログ村
2020.11.09
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いがらしみきお「誰でもないところからの眺め」(太田出版)「ぼのぼの」のマンガ家いがらしみきおが、2014年ころに「at-プラス」(太田出版)という、ちょっと硬派の雑誌に連載していたマンガの完成形がこの単行本です。 経緯は本書のあとがきに少し書かれていますが、いがらしみきおに目をつけたのは誰なのか、ちょっと興味があります。 東北大震災の後、様々なジャンルで、亡くなった加藤典洋のことばですが、「災後」の表現がなされてきました。 よく知られたところでは川上弘美の「神様2011」とか、若い映画監督濱口竜介が撮った映画「寝ても覚めても」とかが浮かんでくるのですが、このマンガは格別でした。 子供向け(?)のマンガだった「ぼのぼの」にも沿いいう所があるのですが、日常の奥に隠れている、存在そのものの「不安」を掻き立てる力が、半端ではありません。 第1章「まだ揺れている」は2014年の宮城県の海岸のシーンから始まります。海に小さな火柱のようなもの燃え上がっているシーンです。手前に描き加えられている海岸からは、初老の女性がこの光景を見ています。 なんといっても「まだ揺れている」という言葉が、東北の震災の「余震」をイメージさせますが、マンガは明らかに、震災後、すなはち「災後の世界」の始まりと、行き着く先を描いています。 いがらしみきおがこのマンガで描く「災後」は意識の中にやって来ます。合言葉は「まだ揺れている」でした。「災後」が、意識にやって来た人は「まだ揺れている」ことを、確かな現実として、身体で感じ始めます。 表紙の写真ではオレンジ色の火柱のようにみえますが、これが一体なになのか、マンガを読み終えてもわかりません。第1章では海原から燃え上がっていたのですが、最終章では、この火柱が「空」に広がっているところが描かれて、マンガは終わります。 第1章から、第2章「夢に出てくる景色」、第3章「すごく小さく、すごく速く」、第4章「言葉なんかいらない」までが「at-プラス」に掲載されたようですが、第5章「いつまでこんなことやってるつもりだ」、第6章「どこへ行くの?」、第7章「やめろ」、第8章「言葉は浮かぶんだけどしゃべれない」、第9章「誰でもないところからの眺め」は、単行本化のための書下ろしのようです。 第5章にこんなシーンがあります。 所謂、「まだらボケ」で「要介護」の老人が、素っ裸のまま座っていて、パンツをはかせてくれている息子の良介とこんな会話を交わしています。老人「いつまでこんなことやってるつもりだ。」息子「オレだって好きでやってるわけじゃないよ。」老人「だったらなぜ逃げないんだ。」息子「どこに逃げるってんだよ。そんな体じゃどこに逃げたって死んじまうだろ?」老人「死なないところなんかあるのか?どこへ行ったって死ぬんだろ?なのになぜこんなところにいる。にげないと。」少年「ボクも逃げたい。」 ここに登場して「ボクも逃げたい」と語る少年は、薬に溺れて、ヤクザに体を与えている母親と暮らす部屋に帰ることができない境遇です。 マンガはこの章まで、高齢者や認知症の老人や、この少年のような「社会」からはみ出している人たち、追い出された人たちが「まだ揺れている」ことを感じ始めていますが、「普通」の「社会人」たちはテレビが映し出す「震度」の数字を見て高をくくり続けています。 そして、「なぜこんなところにいる?」という、この「認知症」の老人の問いかけが、このマンガの、いわばターニング・ポイントでした。 ここからマンガは「破滅」と「救い」という、本来、宗教的なテーマに向かって突き進むのですが、地面が揺れることが人間の存在そのものを、根底から揺さぶり始める描写は、読んでいるぼくを、どこか息苦しい不安に落とし込んでゆきます。 様々な老人たちが病室のベッドから抜け出したり、民家の屋根を歩いたり、ベランダから飛び降りたり、次から次へと「こんなところ」から逃げ出し始めます。「どこに逃げ出そう」としているのかはわかりませんが、「こんなこと」をしている「こんなところ」から逃げ出していく老人の姿が、妙にリアルです。 最後に空に浮かぶ、島状の火柱を描くことでいがらしみきおが何を描こうとしているのか、解釈と評価は分かれるかもしれません。 ぼくは何ともいえぬ「不安」と一緒に、「いつまでもこんなことをやっている」世界からは、逃げ出していくほかはないと感じる老人の一人であることは確かだと感じたのでした。 にほんブログ村にほんブログ村
2020.11.06
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長田悠幸・町田一八「シオリエクスペリエンス 15」(BG COMICS)「ゆかいな仲間」ヤサイクンの、8月のマンガ便に入っていました「シオリエクスペリエンス(15巻)」(BGコミックス)です。 2020年、8月25に発売の最新号ですね。出たてのホヤホヤで、表紙のプリンスくん こと八王子 茂くん、えらい出世ですね。 14巻では、海の向こうアメリカで「Bridge To Legend」、通称BTLの一次予選を勝ち抜いた二人、「ニルヴァーナ」のカート・コバーンとジャニス・リン・ジョプリンがジャック・インするバンド「The27Club」の話が出てきて、さては、お次はイギリスの二人、「ローリング・ストーンズ」のブライアン・ジョーンズと「ドアーズ」のジム・モリソンの話では、と見当をつけていたのですが、ヤッパリそうでした。 出てきちゃいましたよ、4人とも。 日本では「タピオカズ」との全国ツアーで盛り上がる「SHIORI EXPERIENCEシオリエクスペリエンス」なのですが、最後の見せ場は、いよいよ、本田紫織さんにジャック・インしているジミ・ヘンドリックスの登場です。 ああ、どうするんでしょうね、ここから。上の二つの絵がうれしいぼくは65歳を越えているのですが、読者の方の平均年齢はいかほどなのか、そこが知りたいですね。 ともあれ、どうも、はなしがおおきくなりすぎていますが、どうやって収集するのでしょうね、楽しみと不安と、半分半分ってところでしょうか。 またしても、次号が楽しみですが、次は2021年の正月ぐらいでしょうね。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.08.30
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チャールズ・M・シュルツ「完全版ピーナッツ全集 2」(河出書房新社) えらい本を見つけてしまいました。市民図書館の新入荷の棚にありました。そう思って借りて帰ると、本屋さんのパートさんのチッチキ夫人は出版されているのを知っていました。「すごいねえ。河出書房新社の快挙やねえ。」「買うてくれたらうれしいけど、一冊2800円で25冊やろ。売れへんわよ。」「シュルツって男前やねえ。ファンはよう知ってるんちゃうの。買う人おるやろ。百科事典みたいでええやん。好きな時に、好きな時代のチャーリ・ブラウン読めんねんで。」「うん、シュルツいう人が男前なんは知ってたけど、いまさらそれでは売れへんなあ。廃品回収に本出す時代やねんから。えっ、ひょっとして買うつもり?」「うーん、まあ、とりあえず図書館やな。それより、シュルツって1922年生まれで、2000年に亡くなってはるよ。ガンやて。『ピーナッツ』の連載は1950年10月2日からやって。1999年に病気がわかって引退しはったらしいけど、翌年に亡くなってる。50年間、17897編。それ全部全集に集めて、全25巻やで。」「一生、スヌーピーやってはってんね。えらいねえ。」 そういうわけで、第2巻(1953年~1954年)の「ピーナッツ」です。マンガの頁は310ページ、1ページに12コマ入っているようですから、4000コマくらいのマンガが入っていて、谷川俊太郎さんの訳がついています。 絵はまだ素朴ですが、ルーシーも、チャーリー・ブラウンも、シュローダーも、ライナスも、もちろんスヌーピーも健在です。 今回はルーシーのすばらしさを紹介しましょうね。 ルーシーはシュローダーが好きなんですが、芸術家シュローダーにはルーシーが理解できません。哀しいですね。 夢見る乙女ルーシーは星を数える少女だったのです。もちろん、無粋男のチャーリーにはルーシーの行動は理解できません。 もちろん、天空に広がる星たちも、ルーシーの乙女心を、わかってくれません。あのルーシーには、こんな悲しい過去があったのですね。 これが、シマクマくんが生まれた頃の、つまり66年前の「ピーナッツ」でした。よく考えてみると、チャーリン・ブラウンとか、あのライナス君とか、年上だったんですね。 ともあれ、次回は、もう少し最近の巻を探してきますね。お楽しみに。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.08.25
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幸村誠「プラネテス全4巻―1」(講談社) 7月の「マンガ便」に入っていました。2004年の新刊マンガなので古イッチャア古いマンガです。「4巻完結やから、一気に読めて、わけがわからんようにならへんで。」「キングダムやゴールデン・カムイに困ってんのはあんたやろ。で、宇宙もんなん?」「ああ、宇宙兄弟とはちょっとちやうけど、オモロイで。一応SF。」「ええー、絵とか、コマコマして、科学的で、めんどくさいんとちゃうの?」「いや、そんなことないで。どっちかというと『愛と平和』やな。ジョンレノ・レノンや。」 というわけで、手を付けてみると、一晩で一気読みでした。( ̄∇ ̄;)ハッハッハ、アホですね。 このマンガの存在を知らなかったのは、ぼくだけで、世間の皆さんはご存じなのでしょうから、無駄かもしれませんが、ちょっと紹介しますね。 大きな筋としては同じ宇宙デブリ回収船、宇宙のごみ拾いというか、人工衛星の廃品回収業というか、そういう仕事をしている宇宙船に乗り込んでいる、三人のクルーの物語ですね。 デブリ衝突事故、デブリというのは「ごみ」のことですが、それで恋人を亡くしたロシア系のユーリ君。 地球に家族を置いて単身赴任している、瞬間湯沸かしキャラのアフリカ系の女性航宙士フィー。 そして、ハチこと、星野八郎太君の三人ですね。 第1巻から第4巻まで主人公は一応「ハチ」君で、自家用宇宙船を持ちたいという夢をかなえるための「努力と出会いの日々」がお話の流れを作っています。で、彼が出会う人や事件がプロットというわけです。彼は「単細胞系」の人間なので、このマンガの「ギャグ部門」を一手に引き受けているという役柄でもあります。 第1巻は表紙の色合いと絵がとても気に入りました。水中深く潜っているようにみえますが、宇宙空間ですね。背景に地球があるのでこうなるようです。 この巻の主題というか、テーマというかは恋人を失った「ユーリーの孤独」編というニュアンスなのですが、作者の描きたい「宇宙」の定義のような場面がクライマックスでした。 恋人を失った、失意のユーリー君が放浪の旅をしている途上、アメリカ大陸の荒野でネイティヴの老人と出合い、火を囲んだこんな場面があります。「ただ、ぼくは…道しるべが欲しいんです。」「あなたの今いるここがどこかご存知ですかな?」「え?」「ネイティブ・アメリカン自治区、アメリカ合衆国、北米大陸、地球…?」「ふむ、そうでもあるがね」「ここも宇宙だよ」 ついでに引用すると、作者の幸村誠がカヴァーの裏にこんなことを書いています 中国で紀元前2世紀ごろに書かれた淮南子という書物に次の句があります。 往古来今これを宙といい 四方上下これを宇という これが宇宙の語源だそうです。過去も未来も、どこもかしこもひっくるめて「宇宙」。地球も宇宙。人間はみんな筋金入りの宇宙人です。 ね、まあ、宇宙ロケットとか、宇宙空間の描き方も面白いのですが、このマンガは単なる「宇宙冒険SFマンガ」ではなさそうです。ぼくたち読者の現実生活に「宇宙」という「空間」と「時間」の超越を持ち込んでみるとどうなるのか。そういうことを試みているようです。 そういう試みの人が、かつていましたね。そうですね、宮沢賢治です。 このマンガは「銀河鉄道の夜」にインスパイア―された作品で、その世界を引き継ごうとする野心を隠し持っているんじゃないかというのが、第1巻の感想ですね。もちろん当てずっぽうですが。 中々、イイと思うのですが、どうでしょう。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.07.26
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大今良時「聲の形」(全7巻)」(KCマガジン) ズーッと春休みが続いている小学生のチビラ1号コユちゃん姫が連休にやって来て、ジージの部屋を覗き込んで言いました。「なんなん、本がいっぱいで歩かれへんやん。」「うん、整理してんねん。あぶないから、崩れるで。こっちにくるのはやめとき。タバコ吸ってるし。」「ああ、ジージ、これ読んでるの?うち、みんな読んだよ。」「コユちゃんとこ、これあるの?」「うん、ある、ある。」「おもしろかった?」「うん、おもしろいよ。わからんけど。」「じゃあ、貸してよ。1巻だけ買うたんやけど。」「わかったあ。お父さんにいうとくわ。」 というわけで、5月のヤサイクン「マンガ便」のメインは「聲の形 こえのかたち」全7巻セットでした。 ヒマに任せて一気読みしました。耳が聞こえない少女とイジメ少年の出会いの物語でした。 作品は発表と同時に評判になり、アニメ化して劇場で公開されたりもしたようですが、ぼくは知りませんでした。ブクログとかのレビュー欄にもたくさんの投稿があります。おおむね好評ですし、まじめな感想にあふれています。今さら付け加えることは、特にはありません。 ただ、皆さんがおっしゃっていないように感じたことを少し書いてみます。大今良時という作者の勇気についてです。「障害者差別」、「いじめ」と、少なくともこの二つだけ取り上げても「マンガ」として描くのには勇気がいったと思いました。 当然のことながら、普遍的な「モラル」に触れざるを得ないテーマですから、マンガ作家自身の生身をさらけ出してしまわざるを得ない可能性が、作品制作の過程で予想されたはずですが、あえて、このテーマに挑んだ勇気ですね。 付け加えていえば、そういうテーマであるからこそステロタイプ化させないで描くとはむずかしいことは、わかりきっていたと思いますが、そこに挑んだことです。 少年と少女の結末は、ある種のステロタイプでしたが、物語の運びにおいて、少年と少女の周辺の人物たちを「群像」化したことでこの難題を切り抜けたと思いました。 「群像」化するというのは、二人以外の登場人物の内面を、かなり丁寧に描いたことです。 登場人物たちは「障害者差別」や「いじめ」の当事者なのですが、それぞれが「生活」と「内面」を抱えた「生きている人間」として描写されてゆきます。 「いじめ」の当事者は一般的には「悪」としてステロタイプ化されがちですが、イジメている子供たちの「生」に対しても「肯定性」の契機を与えているところが、この作者の功績ではないでしょうか。 それは、イジメの集団であった同級生たちだけではなく、新しく出会った友達や家族の描き方にも言えることだと思いました。 結果的に「悪」を一手に引き受けた形で終ってしまった竹内先生の姿が記憶に残りましたが、自分自身も、この程度だったかもしれないと思うと、ちょとションボリでした。 マンガのキャラクターとしての「問題教員」の描写は、こんなものだろうと思いますが、ここにはやはり、現代の教育現場の教員の「問題」がひそんでいるとは思いました。 大今良時さんは1989年生まれで、女性のマンガ家だそうです。やっぱり女性だったと思いましたが、何故そう思ったのかはよくわかりません。 絵とコマ割りには少し引っ掛かりました。ぼくには女の子の顔の見分けがむずかしいのです。 でも、人と人との関係の遠さを、前向きに描こうとしている「態度」のようなものには、とても好感を持ちました。追記2020・05・19 このマンガと前後して「うたのはじまり」という映画を観ました。何と呼んでいいのかよくわからないので、障害者と呼びますが、自分の中にある様々な障害者に対する「差別」の感覚と直面せざるを得ない映画でした。この映画が差別や偏見を告発する意図を持っているわけではありません。ぼくが勝手に直面するだけです。 このマンガにも同じものを感じました。マンガに対してではなく、自分自身に対してです。そして、それぞれの制作者、映画の場合には出演者の人たちに胸を打たれました。 前を向うとしている姿というのでしょうか。堂々としているのです。そのことは、やはり一言付け加えておくべきだと思いました。 「うたのはじまり」の感想はここをクリックしてみてください。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.05.18
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小林まこと・惠本裕子「JJM女子柔道部物語(08)」(講談社・EVEING KC小林まこと「女子柔道部物語」第8巻です。 神楽えもちゃんも、柔道を始めて1年、高校二年生の夏の合同合宿を乗り切り、秋の新人戦です。北海道大会の旭川支部大会が開幕します。「カムイ南高校」の面々も、あいかわらずの大活躍。お調子者のえもちゃん危機一髪をどう乗り切るのか。 今回は登場人物紹介のページですね。 お母さんの神楽由紀さんは美容師さんですが、何故か、妙に色っぽいのです。小林まことさんの好みなんでしょうかね、こういう女性は。 今回は地区大会が始まったばかりなので、キャラクターが少ないで載せてみました。これが、このマンガの基本登場人物です。 おバカ高校生は、鏡相手に熱中していますね。この人がやがて世界チャンピョンとかになるわけですね。オリンピックとかにお行くわけです。 小林まことのこういう感じがぼくは好きなんでしょうね。あほらしくていいでしょ。 女子柔道部物語(1巻~6巻)(1巻~6巻)・(7巻)の感想はここをクリックしてね。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.05.11
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池田邦彦「国境のエミーリャ(1)」(小学館) 「ゆかいな仲間」、ヤサイクンの三月のマンガ便に入っていました。どこで見つけたんでしょうね、全く知らないマンガ家さんです。 パラっとページを繰ってみると、第一章が「寒い国からの手紙」となっています。1962年の東京が舞台ですね。ただし、東京は1946年、第二次大戦の敗戦以来ソビエト連邦とアメリカによって東西に分割占領され、壁によって西東京と東東京という政治形態の異なる二つ国に分けられているという設定で描かれているマンガです。 この表題を読んで『寒い国から帰ってきたスパイ』(The Spy Who Came in from the Cold)という小説を思い出しました。イギリスの作家ジョン・ル・カレの傑作スパイ小説です。 たしか東ベルリンから壁を越えて脱出しようとするスパイのお話しだったと思いますが、映画にもなりました。「サウンド オブ ミュージック」がアカデミー賞をとった1966年の映画ですね。主演のリチャード・バートンがアカデミー賞の主演男優賞にノミネートされた映画ですが、見たと思いますが、原作の方が面白かったことだけ覚えています。原作は早川文庫に翻訳があります。ぼくは、その後、ジョン・ル・カレのスパイ小説の主人公、ジョージ・スマイリーとは30年に渡る長い付き合いになりましたが、最近はご無沙汰です。 さて、マンガですが、今はなくなった「ベルリンの壁」ならぬ、「東京の壁」をめぐるお話しです。向うに東京タワーが見えますが、壁のこちら側が東京のどのあたりなのか、ぼくにはわかりません。 アップの少女が「日本人民共和国」から「日本国」への脱出を手助けする「脱出請負人・杉浦エミーリャ」ちゃんで、マンガは彼女の活躍の物語ですね。まあ、お嬢ちゃんではなくて、おねーさんですが、とりあえず「ちゃん」で呼びますね。上野駅は「十月革命駅」と名前が変わっていて、駅前にレーニン(?)の銅像がありますね。駅の中にある人民食堂で働いているのが主人公です。 ちょっと蘊蓄ですが、実際に「ベルリンの壁」ができたのは1961年のフルシチョフ・ケネディ会談の決裂の結果で、このマンガの1962年という設定は、ある意味でリアルなんですね。そのあたりもちょっと面白いですね。 何しろマンガは「絵」が驚くほど下手で、何だか同人雑誌掲載のマンガみたいなのですが、ストーリーは、そこそこ読ませます。といって、設定も斬新とまでは言えません。というのは、戦後の日本列島の分割占領というアイデアは、エンターテインメントの世界でも、必ずしも皆無ではなかったと思います。が、面白いものですね、本物の「ベルリンの壁」が消えて、30年たった今、この設定が何だか妙にリアルなんですよね。で、2巻以降が楽しみになってしまいましたということです。 ボタン押してね!ボタン押してね!【中古】 われらが背きし者 岩波現代文庫 文芸281/ジョン・ル・カレ(著者),上岡伸雄(訳者),上杉隼人(訳者)
2020.03.17
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長田悠幸・町田一八「シオリエクスペリエンス 14」(BG COMICS) 「ゆかいな仲間」のヤサイクン、2020年の1月のマンガ便に「シオリエクスペリエンス(14巻)」(BGコミックス)が入っていました。2019年の年末に出たばかりの最新号ですね。 13巻で「Bridge To Legend」、通称BTLコンテストの一次予選を勝ち抜いた「SHIORI EXPERIENCEシ・オリエクスペリエンス」なのですが、今回は、振出しに戻った感じですね。でも、見開きのページがかっこいいんです。 言わずと知れた「アビー・ロード」のジャケットの、あのアビー・ロードですね。 さて、マンガですが、ダサい高校教員、本田紫織さん、27歳が率いる「シオリエクスペリエンス」ですが、BTL一次予選も、読者としては予定通り、勝ち抜いて、二次予選はどうなるのかしらというところなのですが、今回は一次予選突破の御褒美で、、格上バンド「タピオカズ」のツアーに前座として参戦して、大きなステージで、一からの苦労の始まりです。 本田詩織さんが27歳という設定なのは、27歳で早世した伝説のギタリストにちなんで、今年中に「伝説」にならなければ・・・というわけなのですが、ジミー・ヘンドリックスのジャック・インという「裏技」で着々と「ビッグ」に成長しています。 14巻も長田悠幸さんお得意の「絵だけ」ページで、なかなか、盛り上がっています、が、今回は海の向こうのアメリカのお話しがポイントのようですね。 で、アメリカなんです。向うでもBTL一次予選は始まっています。そこには「ニルヴァーナ」のカート・コバーン、そして、あのジャニス・リン・ジョプリンという伝説の二人がジャック・インするバンド「The27Club」が登場して余裕で勝ち抜いているらしいんですね。 二人が登場しているページがこれです。 まあ、マンガ家さんとしては、そろそろ「ゴール」の段取りを見せてくれているようなんですが、14巻の最終ページも意味深です。 これって、上で出てきた「アビー・ロード」の横断歩道ですよね。次回はイギリス予選の話なんでしょうか?そういえば「ローリング・ストーンズ」のブライアン・ジョーンズと「ドアーズ」のジム・モリソンという伝説の人が、まだ残ってますよね。 さて、どうなるのでしょうね。楽しみっちゃア、楽しみですよね。追記2020・02・09「シオリエクスペリエンス」(1巻~)・(13巻)・(15巻)の感想はここをクリックしてみてください。にほんブログ村にほんブログ村SHIORI EXPERIENCE ジミなわたしとヘンなおじさん 10
2020.02.10
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小梅けいと「戦争は女の顔をしていない」(KADOKAWA) 2020年のお正月がすんで、節分が終わった次の日、立春ですかね。ヤサイクンがいつものようにマンガ便を運んできました。「あれ、これって評判やん。」「やろ。」「エー、ドウナンこれ、マンガにするの?なんか違うんちゃうの?」「でも、みんなマンガでしか読めへんで。一人でも読む人増えたらええんちゃうの。まじめなマンガやろ。」「真面目やで。」「あんたでもこんなん読むの?」「原作も読んだことあるで。もう、だいぶん前やろ。」「エー?ヤサイクン、ノーベル賞とか読むの?」「エッ?どういう意味?」 まあ、親子の会話としても、老人と若者の会話としても、親であり、年長の側の、えらい失礼な言い草がありますが、ビルドゥングス・ロマン大好きな、永遠の少年ヤサイクンが、評判の社会派マンガ、「戦争は女の顔をしていない」(KADOKAWA)を運んできました。 原作はスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチという「チェルノブイリの祈り」(岩波現代文庫)で世界中から注目され、2015年、ノーベル文学賞を受賞した、ベラルーシという国の女性のジャーナリストです。 「チェルノブイリの祈り」という作品も、聞き書きのスタイルで、放射能に汚染されていく社会で生きている人たちの姿を、一人一人浮き彫りにする作品でしたが、「戦争は女の顔をしていない」(岩波現代文庫)は、彼女のデビュー作です。 「大祖国戦争」、ソビエト連邦では第二次世界大戦のヨーロッパ東部戦線での戦いをこう呼んだそうですが、プロレタリア独裁国家の存亡をかけて、文字通り国家総動員の戦いで、何十万人もの女性が兵士になって従軍した戦争だったそうです。 しかし、命永らえて帰国、帰郷した女性兵士たちは、女性であるからこその戦場体験の悲惨も戦後の生活の苦闘も、30年間、誰にも語ることができませんでした。 原著者のアレクシエーヴィチは、動乱のソビエト社会を生き抜いてきた何百人もの元女性兵士をインタビューし「戦争は女の顔をしていない」(初訳三浦みどり 群像社)として1985年に出版しました。日本に紹介されたのは2008年、三浦みどりという方との翻訳ですが、翻訳者の彼女はすでに亡くなっているようです。 さて、漫画版「戦争は女の顔をしていない」ですね。原作に忠実なマンガ化のようですが、第1巻は七章からできています。で、そこに登場するのは洗濯兵、軍医、狙撃兵、衛生指導員、高射砲兵、斥候兵、一等飛行兵、鉄道機関士、射撃兵というふうに、歩兵以外の戦闘要員、輜重、衛生などの、あらゆる実戦部隊を経験した人たちです。 歩兵師団長を助けようとした狙撃兵マーシェンカ・アルヒモアが、砲撃で両足を失うシーンです。「私を撃ち殺してくれ。」 それが彼女の叫びでした。 戦後三十年、足を失った障害者として療養所を転々とし、母に会うことを怖れて隠れて暮らしていた娘と母の再会のシーンです。「今はもう会うのが怖くないわ。もう歳とってしまったから。」 出征前に母が期待した「女」の人生を失った、マーシェンカの30年ぶりの帰郷でした。「読んだん?」「ああ、原作の力かなあ、でも、漫画家さんも、よう頑張ってはるんちゃうかなあ。やっぱ、原作さがさななあ。買ったはずやねんけど。」 「絵」も「物語」の運びも、けっして上手とは言えないマンガですが、第2巻以降もきっと読むと思いますよ。追記2022・08・16 「戦争と女の顔」というロシア映画を最近見ました。このマンガの原作の映画化でした。感想を書きあぐねていて、このマンガの案内を書いたことを思い出して、ちょっと修繕しました。 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチが「戦争」と「女の顔」を対比させて題名にしたことの深さというか、大切さというかをうつうつと考えています。 どこの社会にも共通しているのかもしれませんが、兵士というのは死んでしまえば「神格化」して持ち上げますね。靖国がどうたら、お国のためがどうたら、行ったこともない戦場を、晴舞台でもあったかのように持ち上げる人もいます。 しかし、捕虜になったり大けがをしたりした結果の復員は、家族や肉親はともかく、社会的には歓迎されたということをあまり聞きません。まして女性は、という問題を原作は鋭く提起していて、映画は底をクローズアップしていました。 戦場での男性兵士の性欲の解消を、慰安と呼んで誤魔化したり正当化したりしている世相がありますが、いい加減にしていただきたいですね。戦争だからという状況が、そういう性的虐待を肯定する条件にはならないと思うんですがねえ。まあ、そんな感じで、とても映画の感想実はいけませんね(笑) ボタン押してね!ボタン押してね!【中古】チェルノブイリの祈り 未来の物語 /岩波書店/スヴェトラ-ナ・アレクシエ-ヴィチ (文庫)戦争は女の顔をしていない (岩波現代文庫) [ スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ ]
2020.02.06
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鶴谷香央理「メタモルフォーゼの縁側(3)」(角川書店) 「メタモルフォーゼの縁側 ③」(角川書店)がやってきました。ハイ、ヤサイクンの「マンガ宅急便」ですね。 今回は、これと言う名場面がないんです。なんというか、次の展開への仕込みというか。「うらら」ちゃんは、高校二年生ってこともあって、何となく進路のこととか、友達のこととか、行き詰ってる感が半端じゃなくて、・・・・ていう感じ。 市野井さんは、市野井さんで、まあ、相変わらずなんだけど、なんといっても老人なわけで、新しい事は、なかなか、始まらない。当たり前ですが。せいぜい「断捨離」頑張ったり、庭の草花の植え替えしてみたり、小豆焚いたり、そういう日常の中でマンガの新刊が楽しみ。でも、まあ、このマンガの面白さは、そういう何もない日常、老婆と高校生の、がいいんですよね。 なんか、ドラマチックでカンドー的なことなんて、ホントはないんですって、マンガで書けるのはちょっとしたことだと思うのです。 で、これがおしまいのページ。でも、まあ、次号では、きっと何か始まりますよ。「市野井さん」の前のめりの様子と、「うらら」ちゃんの思わせぶりな目。ようやく「新しいこと」に目覚めたんじゃないでしょうか。 というわけで、今回は、これでおしまい。 ところで「メタモルフォーゼの縁側」(1)~(2)の感想はこちらをクリックしてください。にほんブログ村にほんブログ村
2020.01.15
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羽海野チカ「3月のライオン(15巻)」(白泉社) 14巻まで読んで、待つこと二ケ月、羽海野チカ「3月のライオン(15巻)」(白泉社)12月に発売されましたよ。 これが最新刊の最初のページです。少女マンガですねえ。ホント。それで、最後のページがこれです。 月島でもんじゃ焼きを食べて、みんなで歩いて帰る様子です。おそらく墨田川にそった遊歩道で、向こうに見えるタワーマンションなんかは、東京の人にはわかる風景なんでしょうね。 ぼくには2019年夏の、東京お出かけ徘徊で「歩いたことがある」ような気がする風景なのがうれしいシーンでした。 このマンガが出た頃、12月の末に「ハッピーアワー」という映画を観ましたが、あれは「神戸」が舞台で、六甲山、三宮、東灘の山沿い、ポート・アイランド、多分、芦屋川、ああ、それから有馬温泉、暮らして、馴染んでいる町の実景がスクリーンの上に物語の場所として映し出されるのは、馬鹿みたいに思われるかもしれませんが、ちょっと違った感じがしますね。 地下道を歩いていて、外に出ると、いつもの場所なのに、ちがったところに出てきたような感じがすることがありますが、あんな印象でした。 このマンガも、将棋の世界を描いているのですが、主人公の「零くん」や、お人形さんのような絵で描かれていますが高校生になった「ヒナちゃん」の淡々しい心のさまを読者の印象に刻み込みながら、彼らが住んでいる町が、ふと、東京のどこかにあると感じさせるところが肝なんじゃないかと思います。 それにしても、うーん、ヤッパリ少女マンガですね。 映画「ハッピーアワー」の感想はここをクリックしてください。ボタン押してね!にほんブログ村
2020.01.05
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小林まこと・惠本裕子「JJM女子柔道部物語(07)」(講談社・EVEING KC) ヤサイクンの「マンガ便」、今回は「女子柔道部物語 07」です。2019年、10月発売の最新号ですね。これで、今のところの全巻揃いました。 内容は快調ですね。「カムイ南高校」の女子柔道部「神楽えも」ちゃんも、高校二年生。一年生の秋の新人戦で、素人ながら、超ラッキーに恵まれて「全道61キロ級準優勝」の実績を引っ提げて高校総体、北海道大会出場ですね。 これが強くなってるんですよね、というわけで名場面。 雄叫びですね。ぼくは、こういうの好きなんですよね。なんか、「絵」柄が無邪気でしょ。「ピョンピョン」と「雄叫び」と、相変わらずの「ほめられ好き」、ホントいいキャラしてるんですが、決勝は高2で全国3位の強豪、極大高校3年生、大高選手に惜しくも敗れましたが、新人戦が楽しみですね。 善戦実らず、惜しくも負けてしまった神楽えもちゃんの後ろ姿です。いいでしょ。泣いているのは、テレビ観戦のお母さん、神楽由紀さんですが、上の「出た、えもちゃん、雄叫び」って叫んでいる3年の小室亜弥ちゃんと同じ顔なのがおかしいですね。 とにかく、「カムイ南」の女子柔道部、大活躍ですよ。 4人とも二年生ですから、秋の新人戦が楽しみですね。しかし、まあ、単行本の発売は、来年の春ですかね。 ところで今回のお笑いシーンはこれ。「いや~この作者の小ん林まこと先生って、こんだけの漫画描くってことは実際ものすごく柔道の強い人なんだろうねぇ!!」「1回勝負したいわ」 ナンデヤネン! しかし、惠本裕子さんが「柔道部物語」の読者の世代の人だということに、ちょっと感動しました。追記2019・12・26「女子柔道部物語 1」の案内はこちらをクリックしてください。ボタン押してね!にほんブログ村
2019.12.27
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鶴谷香央理「メタモルフォーゼの縁側(1~2)」(角川書店)ええ、なんと申しましょうか、また、はまってしまいました。ハイ、ヤサイクンの「マンガ宅急便」の紙袋の隅に転がってたんです。 「メタモルフォーゼの縁側」(角川書店)って題らしいですね。表紙が、ヤサイクン得意の少年漫画系とは少し違いますね。お年を召した女性と、男の子かな?が縁側でマンガ読んでます。「何じゃこれ?」 で、手に取ってこたつでゴロゴロしていてやめられなくなって、いま、第二巻が終わりました。 一応、ここで、訂正しておきますね。表紙のお年を召していらっしゃる女性の方は市野井雪さん、75歳。一人暮らしですが、自宅で書道教室やってらっしゃいます。男の子に見えたのは、女子高生で、佐山うららサン。お父さんとお母さんは、どうも別居中、(離婚かな?)らしいですが、本人は近所の書店でアルバイトしています。ああ、17歳ですね。 書店の店員と高齢の女性の出会いは、もちろん書店のカウンターですね。女性が買った、マンガ本が、所謂、ボーイズ・ラブを描いたマンガですね。BLというふうに略すんだそうですが、買って帰って寝どこで読み始めて、まあ、こんなふうにハマっちゃうんですね。 女子高生で、アルバイトの書店員である、「うらら」ちゃんは、自分の本棚の奥に段ボール箱一杯のBL本の人なんですね。というわけで、いつの間にか二人は「雪」さん家の縁側で「BLともだち」になっちゃうというわけです。 「うらら」ちゃんは、自分がBLファンなことがちょっと後ろめたいんですね。だから、まあ、こんなふうになるんですが、面白いことに、「雪」さんは、意に介さないわけなんです。 本当は、このあたりのページを全部コピーしてお見せしたんですが、興味がわいた人には、お読みいただくとして、意に介さない「雪」さんの態度に、なんというか、とてもいいものがあるんですね。 男・女であろうが、男・男であろうが「恋」は恋。今も昔も「恋物語が面白い」という普遍的事実の中で、性別に差別はありませんというおおらかさを、御年75歳という姿で、ノンビリ描いているところが、このマンガ家のエライところですね。 17歳と75歳の、ボーイズ・ラブ友達。この58年の差が、今までにない新しい物語を生んでいくんでしょうね。 なんといっても、「雪」さんにとって、最大の問題は、マンガの単行本の場合、最新号は一年半に一冊程度の頻度でしか読むことができません。まあ、ぼくにとっても他人ごとじゃないんですが、というわけで、今回の名場面はこれです。 二人がハマっている、マンガ家「コメダユウ」さんの「同人誌即売会」とかに出かけていって、とうとう、あこがれの作家に出会って、握手して一言がこのセリフです。あのーそれで出来れば一年半に一冊よりもう少し速く描いていただけると… 素晴らしい発言ですね、笑えます。トホホ・・・・が付きますが。ここが、ぼくにとっては、このマンガの肝だと思うんですが、いかがでしょう。ボタン押してね!ボタン押してね!メタモルフォーゼの縁側(2) [ 鶴谷 香央理 ]【中古】 【コミックセット】メタモルフォーゼの縁側(1〜3巻)セット/鶴谷香央理 【中古】afb
2019.12.21
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小林まこと・惠本裕子「JJM女子柔道部物語」(講談社EVNING KC) ヤサイクン「マンガ宅急便」ですね。今回、荷物に入っていたのは、小林まこと「JJM女子柔道部物語」(EVNING KC)でした。 女子のJ、高校柔道部のJ、物語のMで、JJMなんてカッコつけてますが、なんといっても「1・2の三四郎」で登場して以来、アホバカ猫ギャグ・マンガ「What's Michael?(ホワッツ マイケル?)」、眉毛ばっかり目立った「三五十五」(人名ね、さんごじゅうごッて読みます。)というトッポイ少年をスターに育てた、名作「柔道部物語」(全11巻講談社)の「小林まこと」ですからね。格闘技ギャグ・マンガに決まっています。それにしても、「小林まこと」の格闘技マンガも久しぶりだと思いながら、表紙にある惠本裕子という名前が気になりました。 調べてみると、女性柔道家で、アトランタ・オリンピック、金メダリストでした。小林まことは、彼女の原案を、このマンガで描くために引退していた、「格闘技ギャグ・マンガ」のリングに復帰したようですね。もう、それだけで、メデタイことです。 さて、マンガですが、のっけから懐かしの「三五十五」登場ですね。 モチロン、「三五十五」は顔見世、記念出演で、以後、登場しませんが、主人公、カムイ高校一年生、「神楽えも」ちゃんは、ここからアホバカ柔道部物語、炸裂ですね。 褒められれば、褒められるほど自信を持つ、最高に「イイ性格」の本領発揮で、いきなり「あたしって…」「天才だべか?」という柔道との出会いでしたが、現実は現実です! こっぴどく投げ飛ばされて「おこると、帰っちゃう。」という、これまた「チョーいい性格」を炸裂させて、道場を飛び出して、誘ってくれた「二瓶ちゃん」を困らせる初日の巻きでした。 何はともあれ、一気に5巻まで読み終えましたが、小林まことの明るいおバカギャグ炸裂のビルドゥングス・ロマン。とても実話とは思えないアホバカドタバタが、随所で、小気味よく笑わせてくれています。加えて、北海道弁なのでしょうか、「おもしろいんでねぇの・・・」「負けてたまっか」 に引っ張られてしまうのです。 はい、6巻、7巻が楽しみですね。とりあえず第5巻の裏表紙はこんな感じでした。一年たって、新入生・部紹介の舞台でうたっている神楽えもちゃんです。追記2019・12・27「女子柔道部物語(07)」最新号はこちらをクリックしてください。ボタン押してね!にほんブログ村柔道部物語1巻【電子書籍】[ 小林まこと ]
2019.12.17
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早良朋「へんなものみっけ!(第4巻)」(小学館ビッグスピリッツコミック) 「生き物の不思議」に挑む博物館マンガ!、「へんなものみっけ!」最新号、第4巻です。 今回は、「お願い…」の清棲あかり先生と薄井透くんの、淡々しい恋の物語は、全く展開しません。だから、あんまり笑えません。 今回の美しきヒロインは、この方です。奏山動物園飼育係三上育さんですね。失恋の痛手に苦しむ彼女に恋する男が出てきますが、薄井君ではありません。ネタバレで申し訳ありませんが、まあ、三上さんの失恋の相手がこちらのイケメンの方だったというのがオチですね。 今回、初登場のもう一人のヒロインはこの方ですね。ホント、ヒロイン好きですね。 「釧路湿原猛禽保護センター」の夏目貴子所長です。獣医師でボーイッシュな美人です。なんか、スルドイ感漂わせまくりですが、まあ、ありきたりなキャラ立てと言われてしまいそうなところは目をつむりましょう。 舞台が、釧路湿原というのが、なんといっても魅力的ですね。話題が北海道に跳んだだけでも、うれしいのは、ぼくだけではないでしょう。そもそも、このマンガを紹介してくださったのが、北海道は十勝地方の「博物好き」の女性ということから、縁も感じる展開ですね。 オジロワシ 当然のことながら、今回の登場動物はオジロワシ。前にも言いましたが、ぼくにとっては「絵」が下手とか、「話の筋」が無理筋というか、ご都合主義というかは、小さなことですね。あるのは、次は何を出してくるのかという素朴な興味と関心ですね。 第3巻では「南極」が話題になりましたが、もう、世界のあちらこちら、何処にでも、無理やり行っていただきたい。猛禽やゴリラの絵だって、まあ、とても上手とは言えないにしても、この作者、好きが高じて漫画家になったんだな、そいう「ほのぼの感」がぼくは嫌いじゃありません。 ただ今のところ、この第4巻が最新なわけで、「ありきたり感」とか「マンネリ」とか、壁はいっぱいあると思いますが、ガンバレ早良‼っていう感じで、ヒマな徘徊老人は次号を待っております。 ああ、言い忘れるところでした。トカゲ迄はいいのですが、🐍は堪忍して戴きたい。それだけが注文ですね。まあ、無理なら仕方がありませんが。追記2019・11・22「へんなものみっけ!」 第1巻はこちらをクリックしてください。にほんブログ村にほんブログ村
2019.11.22
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早良 朋「へんなものみっけ!(第3巻)」(BIG SPIRITS COMICS) 「生き物系」行動派学芸員清棲あかり先生と、名前もキャラも影の薄い薄井透くんの織り成す「博物館物語」、「へんなものみっけ!」の第3巻です。ハマッテますねぇー!なにがいいんでしょうねえ。 今回は「ノラ猫路上観察」、「館長さんのトカゲ釣り」、えーっとそれから「薄井君の南極ばなし」と続いて、まあ、メインは「雷の化石」でしょうね。 読んでいただいている皆さん、「雷の化石」ってご存知でしたか?ぼくは知りませんでしたね。あるんですよ。どうです、こういうと、これは読んでみなくちゃしようがないでしょ。 このマンガは筋の運びや、絵に関して、ぼくは「スゴイ!」とか「斬新だ!」とか、「心にしみる!」とかいう意味で評価しているわけではありません。でもね、この手の「博物学」的蘊蓄が、と「罪のない展開」がノンビリしていていいんですね、で、やっぱり次号を買ってしまうわけです。 ところで、今回も新しい美女が登場します。 「ノラ猫観察」に登場した清棲かがりさんです。苗字を見ると分かりますが、清棲あかり先生を「あかりネーチャン」と呼ぶ従妹の高校生。超ミニスカートの制服姿で登場しますが、まあ、ぼくには、ヤレヤレという感じでした。こういう絵を見ると、ああそうですかっていう感じになるんですね。 もちろん、清棲あかり先生はおげんきですよ。でも、あの「お願い…」は封印されていて、こんなシーンがあるだけですね。 「ずっと好きがないなら、今から好きを捜せばいいじゃん!」 ちょっと、興味津々という感じがしませんか、いよいよ、「お願い」にイチコロの薄井君が・・・・という感じなんですが、そのあたりは本書でお楽しみください。さあ、次は第4巻ですね。(「へんなものみっけ‼4」はこちらをクリックしてくださいね。) ボタン押してね!にほんブログ村
2019.11.16
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早良 朋「へんなものみっけ!(第2巻)」(BIG SPIRITS COMICS) 「陸生動物系」学芸員清棲あかり先生と役所から「片付け」られた薄井透くんの織りなす「博物館物語」、「へんなものみっけ!」の第2巻です。 「コノハズク」 巻頭、「コノハズク」の赤ちゃんですね。第1巻の案内で申し上げた通り、こういうページがお好きな方は、もうやめられませんね。ただ、好きなのに、字が小さいのがよく見えないという老人特性のために、あんまり喜べない場合もありますね。 「標本室」 当然、新たなヒロインも登場しますね。表紙の方は、第1巻から登場している「海生動物系」の鳴門律子先生ですが、もう一人登場している、この方は標本室の主、「節足動物系」の刺原礼先生ですね。お二人とも美人でいらっしゃいますが、お二方ともに、やはり「へんな人」系でした。 ところで、第1巻で面白がっって紹介した、清棲先生の「お願い…♡」と、あの表情ですが、ザンネンなことに今回はありませんでした。薄井君も「お願い…♡」に鷲掴みされているようで、この巻でも、二人で山を登っているシーンで、薄井君が「お願い…♡」を「おねがい!」するのですが、明るい少女漫画風笑顔が書かれただけでした。読者のぼくも、ちょっと、おいおい!でしたね。 「おねがい‼」 これは鷹の一種「サシバ」の「鷹柱」の観察のシーンでした。この鳥ですね。 「サシバ」 「渡り」の鳥たちが、集合して、南へ出発するのは「燕のねぐら入り」とかで有名ですが、鷹のような鳥でもそうするのですね。 一度、鳴門海峡を南にわたる鷹の「渡り」、飛来の姿を、まる一日、鳴門海峡大橋に臨む徳島の展望台から観察させられたことがありますが、あれは一羽づつでしたし、はるか高空でした。マンガにはありますが、鷹の群舞とか、ちょっと見てみたいものです。 それにいしても「コノハズク」とか「サシバ」とか、気が惹かれるいい登場人物たち、いや「登場動物たち」ですね。ヤッパリ次巻(クリックしてね。)注文してしまいそうです。 ボタン押してね!にほんブログ村
2019.11.12
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早良朋「へんなものみっけ!」(ビッグ・スピリッツ・コミッククス) 博物館の学芸員と事務員さんのお話です。フェイスブックでお友達になった北海道の爬虫類とかが平気な女性の紹介で知りました。第1巻をさっそくネットで買いました。「はい!ナットク!」 第1巻でハマりました。 まだ、🐍とかは出てきませんが、出そうな雰囲気は満ちています。市営博物館の学芸員さん、この方ががまあ、まず、「へなもの」というべき登場人物たちなんです。 いきなり清棲あかり先生登場!ですね、へんでしょ!背中に担いでいるのが、なんとカモシカです。なんというか、描かれた顔立ちやファッションと行為の間に限りなくギャップがあるわけです。まあ、こういう描き方が「現代マンガ」なのでしょうかね。 オートバイで通りがかった青年に、カモシカの死骸を担いだ、やたら可愛らしい女性がいうんです。 「ちょっとそこまで乗せてってくんない?」 って、ね、あなた、へんでしょう! きめ文句は 「お願い・・・♡」 でもね、いや、だからなのかな?青年は乗せちゃうんです。そして、言われるままに博物館にやってくるわけですね。 偶然、その博物館が青年の新しい勤め先だったりするわけで、女性は、そこの敏腕学芸員。早速、カモシカの解剖処理が始まります。「鮮度がいのちなの・・・」とか言いながら、青年の協力を求めるのですが、きめ文句は、ヤッパリこれでした。 「お願い・・・♡」 その時、突如、上の写真のような、こういう顔で迫ります。この顔は何でしょうね。 「お願い・・・♡」 シーンはこの顔なんです。かなり笑えますね。そして、はまってしまいました。 顔にシャドーの青年、下の男性ね。「お願い・・・♡」でイチコロの彼、これが主人公、薄井透くん。市役所から出向ということで、市営博物館に左遷された役所の人です。片付けが得意らしいのですが、役所から片付けらられたようです。 まあ、ここからが、ホントは面白いんですね。なにせ博物館ですから。「もやしもん」とか「罠ガール」系の「異文化体験マンガ」といってもいいかもしれませんね。 当然ですが、少女漫画的タッチで、上手な絵とは思いませんが、飽きさせません。モチロン、第二巻も注文してしまいましたね。 ボタン押してね!にほんブログ村【中古】もやしもん <1〜13巻完結> 石川雅之めんどくさいですが、面白い。罠ガール(1) (電撃コミックスNEXT) [ 緑山 のぶひろ ]ちょっと単純かな?
2019.11.11
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羽海野チカ「3月のライオン(1巻~14巻)」(白泉社) 第1巻につかまったのが三日前ですね。本日、この14巻を読み終えて、15巻を捜しましたがありません。ネットで検索するとまだ出てないようですね。ザンネン!「これ、読んでんの?」「うん。海街ダイアリィとおんなじやな。」「どこが?」「親がおれへん三姉妹やん。あっちはオバーちゃんやったけど、これはオジーちゃんが大人で、とびこんでくんのが、血はつながってないし、男の子というのが違うけど。」「ふーん、でもこれ少女マンガと少年マンガの合体やろ。もう、少女マンガはええねん、私は。」「少女マンガって?」「相変わらず、目ーキラキラウルウル描いてるやん。」「うーん、そこか。まあ、そうやな。ほんなら、将棋のとこ読むの?」「少年マンガのパターンやから読めるやん。もう一つあったやろ、番外編?灼熱のなんとか。」「あ、それも読まな。でも、ぼく、この子ら嫌いちゃうわ。」 我が家で、「3月のライオン」を読んでいないのは、ボクだけだったわけで、所有者のピーチ姫や出資者のチッチキ夫人はもちろんのこと、愉快な仲間のヤサイクンやアーちゃんママも、一時、お持ち帰りで読んでいたようで、小学生のチビラ一号、コユちゃん姫も読んだフシがあります。 まあ、遅れてきた老人シマクマ君も、漸くということなんですが、はまりましたね。なんといっても、主人公たちの周りに、老人以外、まともな家族が一人も出てこないところに、妙に納得しました。その上、主役のあかりさん、ひなちゃん、モモちゃんの三姉妹も、天才少年桐山零くんも、実は、零くんの義理のおねーさんの香子さんも底なし沼のようなところに立っているんですよね。 これが第1巻の最初のページです。次のページはこんな感じ。 ここで「ほら、あなたの居場所なんてこの世のどこにもないじゃない?」と言い切っているのが中学生だった零君の4歳年上の香子さんなんですが、結局、彼女も「居場所」を失ってしまいます。 突き詰めてしまえば、このマンガは「居場所」の争奪戦を描いているともいえると思うのですが、まあ、だから、「どうなるのか?」と14巻まで一気に読んじゃったわけですが、マンガ自体は、なんとか、あやうい「明るさ」を維持し続けているところに読ませる理由があるんでしょうね。 第1巻で語りはじめられた「物語の始まり」から、ちょうど二年くらいがたったところが14巻なのですが、実は、ここまで読んで「3月のライオン」という題名の意味が、ぼくには、まだわかっていません。 読み落としているだけかもしれませんが、わかるところまで読むしかなさそうですね。「ああ、早く15巻でないかなあ!」 ボタン押してね!にほんブログ【中古】【全品5倍】スピカ −羽海野チカ初期短編集− / 羽海野チカ【中古】【全品5倍】3月のライオン <1−14巻セット> / 羽海野チカ(コミックセット)
2019.10.31
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長田悠幸・町田一八「シオリエクスペリエンス13」(BGCOMICS)「シオリエクスペリエンス」の13巻が2019年の8月の末に出たようですね。ヤサイクン「マンガ便」で、昨日、届きました。 高校教員「シオリ」さん率いるバンド・メンバー、一人一人の物語、まあ、キャラクター紹介を12巻までで描きおえて、いよいよ「学校」から「街」へデビュー。人気バンドの前座を争うコンペティションのための初ライヴというのが今回のメインストーリー。 ちなみに、初めての人に紹介すると、ドラムス(台場初範、元野球部)、キーボード(川崎忍、オカルティスト)、ベース(プリンスこと八王子茂)、ホーンが(トランペットの光岡音々・サックスの井鈴茜)二人でボーカル(目黒五月)。シオリさん(本田紫織、気弱な英語の先生)がジミー・ヘンドリックス降臨のリード・ギターという7人バンド。女五人に男が二人。バンドの名前が「シオリエクスペリエンス」というわけ。 さて、初ライヴ。その結果は?それは読んでのお楽しみですがちょっとネタバレすると、こんな感じ。 ボーカルの五月ちゃんがこんなふうに空からやってきて、歌い始めますが、一曲目を歌い終わるまで、50ページにわたってセリフなし。これが、なかなかの工夫で、「絵」で読ませようというわけですが、読ませますね。シオリ先生のジミヘンスタイルも描かれていますよ。 さて二曲目はというと。 このページで、何の曲を歌い始めたのか、60歳を越えている人には、たぶん、わかりますね。そうそう、モンキーズです。忌野清志郎でご存知の方も多いかな。若い人にも伝わる曲なのかどうかはわかりませんが、ぼくにはグッ!ときましたね。 それが、会場を巻き込んでこうなると、老人読者は思わず涙ぐんじゃったりするわけですね。「絵」が中心なんですが、曲は勝手にうかぶのですが、徐々に盛り上がっていく展開の描き方は中々やりますね。 曲はザ・モンキーズの名曲「デイドリーム・ビリーバー」でした。 これ以上書いていると、あれこれネタバレばっかりになるので止めますが、7人ものバンドがここからどうなるのか、展開の可能性がいろいろなので楽しみですね。音楽マンガが、音楽をどう描くのか、そこも読みどころかもしれませんね。とりあえず速報でした。(記事中の図像は所持している本の写真です。)2019・09・18追記2020・02・10「シオリエクスペリエンス」(1巻~)・(14巻)の(15巻)感想はここをクリックしてみてください。ボタン押してね!にほんブログ村SHIORI EXPERIENCE 12/長田悠幸/町田一八【合計3000円以上で送料無料】SHIORI EXPERIENCE ジミなわたしとヘンなおじさん 1 ビッグガンガンコミックス / 長田悠幸 【コミック】
2019.09.18
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よしながふみ「きのう何食べた?」(講談社) 我が家にマンガを供給するのは、ヤサイクンだけではありません。時々やってくるピーチ姫もその一人ですね。棚を占拠している「海街ダイアリィ―」とか「3月のライオン」とかは彼女の持ち物ですが、その彼女が夏前に持ち帰ったのが、よしながふみ「きのう何食べた?」(講談社)でした。ハマりましたね。 弁護士の筧史朗くんと美容師の矢吹賢二くんの「愛の暮らし」の物語ですね。とても流行っているそうで、最近ではテレビドラマ化もされて人気番組なのだそうですが、見たことがないので何とも言えません。「あんな、矢吹君が妙にオネー、オネーしていて、ちょっとウザイねん。」「矢吹君て、美容師さんの方か?クネクネしとんや。そんなイメージちやうけどなあ。」「まあ、デフォルメしてんねやろ。」「どっちにしても見いへんしな。」 マンガは、ご存知の通り、ゲイのカップルのお話なのですが、面白いのは「男のための男の料理」という所ですね。 この、綿密で、丁寧な、まあいい方を変えればくどくどと勝手に蘊蓄に浸っている筧史朗くんの料理の展開。いったい何を作ってるんですかねえ。味付けとかも凝るんでしょうねえ。そう思って読んでいると。突如、こうなります。 料理なんてほとんど知らない、このぼくでもが笑ってしまうのがここですね。豚汁作ってたんですね、豚汁!ちょっと真面目過ぎませんか?その上、「味の決め手はだしの素」なんですねえ。笑う所だと思うのですが、笑えませんか? 出来上がったメニューは、そうはいいながら洒落てるんですよね。なんとなくお酒を飲むのが好きな、ぼくなんかが喜びそうなところが、ある意味リアルなのかなあと、考え込んだりもします(考え込まないけど)。 矢吹君のよろこび方もシンプルで、しかし、どこか不自然で笑えますね。何が面白いんでしょうねえ。 二人が仕事をしている弁護士事務所や美容院でのシーンは、当然ありますし、微妙な愛の交わし方や、嫉妬が描かれているシーンもあります。 しかし、やっぱり、このマンガで面白いのは、はこういう「料理と食事」のシーンですね。「お料理レシピ本」として十分通用しそうなマンガですが、作る側にも食べる側にもアマチュアの空気が漂っていて、それが、ぼくの中にある「男と女」とか「家庭」とかいう定型に縛られている感覚を揺さぶるんでしょうね。切り札で出て来る「だしの素」とか、市販のペットボトル入りの「めんつゆ」おそるべし!です。 ぼくは、一人で食べる昼食のレシピ本として、時々、利用させていただいていますが、お一人暮らし、自炊の方には、なかなかなマンガという評価にもうなずけますね。(S)※投稿記事の「表紙」・「マンガ記事」部分は蔵書の写真画です。追記2022・12・19 最近、「ソク・ソク」というゲイの老人カップルを撮った香港映画を見ました。で、まあ、思い出して、ちょっと修繕というわけでした。「ソク・ソク」は、女性と結婚生活もして、子供もいる老人が、実はゲイであることに素直になれるかどうか、というところに映画の肝があったと思いますが、いずれにしても、それぞれの人間の性的な部分に限らず、あらゆる志向において自由であることが、社会から抑圧を受けたり排斥されたりという現実には、そろそろ、ウンザリだと感じさせられましたね。ボタン押してね!にほんブログ村きのう何食べた?14巻【電子書籍】[ よしながふみ ]
2019.09.07
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佐々大河「ふしぎの国のバード」(BEAMCOMIX・KADOKAWA) 少し古い話になりますが、2019年4月のとある土曜の夜。マンガの山を抱えてヤサイクン登場。まあ、これはいつものことです。開口一番。「これ、オモロイで。」「なに、これ。エエーッ、あんたイザベラ・バード知ってんの?」「うん、このマンガで知った。」「イザベラ・バードがマンガになってる?!明治時代のイギリス人やんな。有名な探検家というか、旅行家やで。」「うん、そこのとこがオモロイねん。」「えーっ、ヤサイクンの言葉とも思えまへんな。根性ドラマの人やったんちゃうんかいな。」 主人公のイザベラ・バードについて、ちょっと解説すると、1878年(明治11年)来日して、6月から9月にかけて、通訳兼従者として雇った伊藤鶴吉をともに、東京を起点に日光から新潟県へ抜け、日本海側の、山形、秋田から北海道に至る北日本を旅した人。その後、関西も旅して、平凡社の東洋文庫に「日本奥地紀行1~4」があります。今は平凡社ライブラリーや講談社の学術文庫で読むことができます。 ぼくは、東洋文庫で挑戦したことはありますが、最後まで読み終えた記憶はありません。彼女は、ハワイやカナダ、当時の朝鮮や清国も旅して、紀行文集が、たぶん東洋文庫にあったと思いますが、ちょっとあやふやです。 明治初期、イギリス人から見た、日本の地方、農村社会の記録は貴重な民俗学的、歴史的資料としても価値が高く、結構、ロング・セラーを続けていると思います。イギリス人で、女性探検家という所が、面白いですね。 「東洋文庫」という、平凡社の誇る「知の宝庫」の中にあるのですが、ぼくはこの叢書が苦手なんです。製本と活字が読み辛い。それが、マンガで描かれているところが、ぼくにとってはスゴイというわけです。 読んでみると、佐々大河という人は、イザベラ・バードの伝記的記録もよく調べているようで、小手先で書いたような、よくある、所謂、教育漫画ではありません。 絵柄はこんな感じで、まあ、好き好きはあると思います。ぼくは少し苦手です。話は、エピソードが丁寧に描かれていて、時代背景も面白い。読みはじめるとやめられなくなります。あんまりなかったタイプの歴史漫画という感じがしました。 上の場面は、山形の「十文字」という紙漉きの集落でのエピソードですが、漉き方の技術や、原料についても手抜きなしで描写しているのですが、加えて、老婆と外国人バードの心のつながりは、なかなか読ませる話になっています。 バードが出会う個性的な日本人。それも、市井の、まじめに生きている人たち。きっとそれが、作者が描きたいことの一つなんだろうと、好感を持ちました。(S)ボタン押してね!にほんブログ村イザベラ・バードの東北紀行(会津・置賜編) 『日本奥地紀行』を歩く [ 赤坂憲雄 ]イザベラ・バードの旅 『日本奥地紀行』を読む (講談社学術文庫) [ 宮本 常一 ]イザベラ・バード/カナダ・アメリカ紀行 [ イザベラ・L.バード ]
2019.09.04
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王欣太「蒼天航路(全36巻)講談社KC 我が家の「愉快な仲間」のヤサイクンが大雨の上がった翌週に、段ボール箱いっぱいの漫画を抱えてやってきた。 やっぱり断捨離やな、うちを物置やとおもっとるなとは思いながらも、ビニールカバーを開ける‥‥なぜかイソイソ 「また大雨やったなあ。仕事場大丈夫やった?何これ?」 「三国志や。ハウスがみんな水につかってもたけど、次の日には引いたな。まあ、引いたから大丈夫やろ。」 「横山光輝のとはちゃうんか?」 「うん、ちゃう。これは曹操っておるやろ、悪もんのやつ。そいつがエライねん。劉備はアホやねん。」 「演義ネタとはちがういうわけか。『蒼天航路』?知らんなあ。最近のか?」 「いや、ちゃう。結構古いで、だいぶ前のやな。そんな、まじめちゃうおもうで。大人向けかな。チビ等には無理やな。」 しらべてみると、1998年の「講談社漫画賞」だからたしかに古いですね。テレビアニメにもなったらしいのですが、もちろん、知りません。 ところで、冨谷至という京都大学の東洋史の先生だった人に「教科書では読めない中国史」(小学館)という面白い本があります。 この本ですね。これも、もう、十年以上も前の本ですから、図書館にでもあればあるのでしょうね。昔、小学館が出していた「週刊中国悠々紀行」というウィークリーブックに連載していたコラムを集めた中国史に関連したの読みもので年代順に50のエッセイで構成されています。 エッセイの項目が「科挙」、「宦官」から「儒家と法家」、「統一王朝」というふうで、ポイントの抑え方が的確で、教科書よりもうちょっと詳しく知りたいということがちゃんと押さえてある。受験生の入門とか、高校の、社会じゃなくて、国語の先生のネタ本にピッタリだと思います。 ネタ本といえば、2012年に出た、同じ著者の岩波新書「四字熟語の中国史」のほうがメジャーかもしれないのですが、両書ともに中島敦の「名人伝」や「李陵」を取り上げて、もちろん、内容は違うのですが、それぞれ別の本を舞台にして講釈しているのがぼくには面白かったですね。冨谷至先生はどうも中島敦がお好きなようです。 とはいいながら、読んでいて「ちょっとなあ」と思うところもあります。古代史の専門家らしいのですが、近現代の項目がややダルイいんですね。 「そういうもんか、うん、そういうもんやろ。」 しかし、面白いのは面白いんです。たとえば「教科書では読めない中国史」の「三国志の世界」という章段で冨谷至先生はこんなふうにおっしゃっているのですがいかがでしょう。。 史書が伝える曹操と劉備の治績、彼らが行った政治政策、それらが事実だとすれば、ふたりの為政の能力あ、資質には瞭然とした差があり、蜀は到底、魏に及ぶものではなかった。 無人化した土地を没収してそこに戦乱によって流亡してきた農民を定住させ、農具や耕牛を貸与して農耕に従事させる「民屯」とよばれる土地政策、晋の戸調制と称される戸に重心を置いた租税制度の先駆けとなる「調」の設定、文帝(曹丕)の時世に完成する新しい法律体系の準備、そして人や徳によらない能力主義に基づく人材登用、これらはすべて漢時代の旧制度からの脱皮であり、新しい時代を先取りしたものだった。 対して劉備といえば、小説の中では人情に篤い英明君主として描かれているが、見るべき治績はほとんどない。彼自身、依るべき領土をもたず、荊州から成都に移った流寓政権といった性格を蜀漢は負っていたことも事実なのだが、為政者として、さらには国家の統治者としての自覚と能力ははなはだ凡庸、いや劣等といわざるをえない。 というふうに、「横山三国志」の英雄、劉備君をばっさり。まあ、歴史家の常識的判断といえばそれまでですが、岩波文庫の「三国志演義」に始まって、マンガ、小説に限らない、人気のコンピューター・ゲームにいたるまで、「三国志」ファンは山盛りいらっしゃるわけですが、「劉備」は馬鹿だったという、この言い草はちょっとショックでしょうね。 ところが「蒼天航路」の展開は、実に歴史をよく勉強しているようすで、この歴史家の話と矛盾しないところがエライですね。 そのうえで、「曹操」も「劉備」も、その他の英雄たちもデフォルメされ、面白い登場人物として「物語化・マンガ化」されている。ぼくには、そこが斬新で、掘り出し物という気がしました。 くそ暑い土用の時季の昼寝の友には最適でしたよ。2018/07/23ボタン押してね!にほんブログ村【中古】 四字熟語の中国史 岩波新書/冨谷至【著】 【中古】afb中国義士伝 節義に殉ず【電子書籍】[ 冨谷至 ]
2019.08.29
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曽田正人「昴スバル(全11巻)」・「MOON(全9巻)」(BIGCOMICS) おなじみのヤサイクン、毎度の段ボールです。いつものように突如の訪問いつものようにでした。 「これ、な。置いとくで。」 「なに、これ?」 「バレーや。」 「はっ?バレーボール?」「ちゃうちゃう。やから、トーキョーのメイちゃんがやってたやつ。」 「爪先で立つ、踊りの?」「ダンス、いえよ。『め組の大吾』書いてた人、曽田って。」 「男の子のマンガか?」 「さあ、男向け、女向けってあるんかなあ?でも、ケッコーおもろいで。」 「これって、ずーっと家にあったん?新しいに買ってんの?」 「ちょこちょこな。風呂で読むヤツいるねん。」(註:メイちゃんはヤサイクンのいとこで、昔、バレー少女でした。) 読み終えました。なるほどね。なんか、「アラベスク」とかあったなあ。そうだ、美内すずえの「ガラスの仮面」に似てるんじゃないかな。昔、読みかけてやめたけど。北島マヤね。 いずれにしても、天才少女が、壁にぶつかるたびに才能を発見して成長するのです。物語というか、主人公の人生の始まりに、秘密の、まあ、本人の思い込みに過ぎないかもしれないのですが、社会で生きていくことを拒絶される悲劇的体験があって、そこからの回復というか、いわば、一人で荒野を生きる人になるわけですね。 まあ、個人的な好みで言えば、トラウマの設定が、あまり好きではありません。マンガを終わらせるシーンが、最初から予想できるという意味でも、「ちょっとねー?」という気分になりますね。 絵柄も、女の子向けなのかな、好きな感じではないし、盛り上がる場面の描き方も、少々、パターンの繰り返しが過ぎる印象があります。 マンガが普通でない状態を描く時の工夫というか、バレーとか、音楽とか、普通を超える様子って、おんなじ描写になっちゃうのは、避けがたいのでしょうかね? 考えてみると、消える魔球とか、急に腕が伸びてくるフックとか、ありえなほど沈み込んだ場所から繰り出されるアッパーとか、究極は、バットに当たってしまう大リーグボールとか。マンガが描いていた超越的世界に何でカンドーしていたのか。繰り返しですが、考えてみれば不思議です。 よくわからないのですが、それらは嘘であれ不可能であれ、具体的に描けているとおもわせていたわけで、そこがむずかしいのかもしれません。ぼく自身が「バレーとか、知らんし。」ということなのかも知れませんしね。 しかし、まあ、最後まで読んでしまうのは、「やっぱ、こういうの好きなのかなオレ?」という気分に、久しぶりになりました。(S)2018/08/23ボタン押してね!にほんブログ村美内すずえ傑作選(1) 妖鬼妃伝 (白泉社文庫) [ 美内すずえ ]
2019.08.27
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長田悠幸・町田一八「シオリエクスペリエンス」 (ビッグガンガンコミックス) 朝起きると「ヤサイクン」からメールが来ていました。「ジミヘン完結しとらんかった。」 「何のことでしょう?」「シオリエクスペリエンス。」 「はあー?なんですか、それ。」 「昨日、持って行ったやろ。」 そういえば、昨晩やってきたときに、またもや段ボールを運んできていたのですが、なるほど、中に10冊ありました。「SHIORI EXPERIENCE ジミなわたしとヘンなおじさん」 (ビッグガンガンコミックス) ですね。「10巻か、なんか、めんどくさそうな絵やな。影薄い感じの線やしな。また、音楽物?」「オッ、ジミヘンの似顔絵や。そういや、ジミヘンのバンドは「ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス」やったな。60年代やろ。たしか、高一の時に死んでんからな。あのころ、大勢死んだな。なんか、いちいち騒ぐ奴がおったなあ。」 「ジャニス・ジョプリンとかもそうやな。」 「ジャニスとジミ・ヘンって仲良かったんちゃうか。」 「ビートルズの終わりかけかな、サージェント・ペパーを、コンサートで弾いたんやろ。ビートルズより先に、レコード聞いて知ってて。高校の頃、そういうこと『知ったか』で言うやつがおって、なんか忘れらへんねんな。」 「そういや、三大ギタリストってあったな。クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジかなあ。ジミ・ヘン入れるか入れんかって。入れたら、誰外すか、とかあったなあ。誰外すんやったっけ?」「この作者、何歳やねん?」「表紙のギターは、ジミ・ヘンのフェンダーやんか。カッコよかったんや、これが。」「ギターって左利き用、右利き用ってあるんかな。」「いや、ちゃう思うで。右で使うのをひっくり返して使ってたんやで。弦は、上下張り直してって。聞いたことある気がする。」 結果は、はい、面白かったですね。「音楽物」で、「ヤサイクン」の好みの路線でしょう。「学校物」ともいえるので、シマクマ君は、その視点で読んでしまう傾向がありましたが。クラブ活動マンガって、普通、先生がワンパターンなんですが、表紙の女性が顧問の先生なんで、ちょっと外していて、軽音とか作る苦労がしのばれてしまいました。 学校って、相変わらず保守的というか、時代遅れを復活させているのが、実は現実で、ダンスとか軽音とかは「風紀を乱す」とかいう教員が、今でもやっぱりいるからウンザリなんですが、「やりたいことをやりたい!」というのを、まっすぐ描いているのが、気持ちがよかったですね。 ここのところ、なんか、すごいヤツばかりに出会っているなあ。まあ、マンガやけど。(文中の会話は、独り言です。あしからず。)(S)2018/08/03追記2020・02・04「シオリエクスペリエンス」は快調に出続けています。第13巻・第14巻・第15巻の感想はこちらをクリックしてみてください。にほんブログ村ボタン押してね!
2019.08.25
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〈教室のマンガ ー「ドラゴン・ボール」から「黄色い本」まで〉 今となっては昔の話ですが、教室で流行っていたマンガの話です。教員になった30年以上も昔、教室で流行っていたのはたいていスポーツ根性漫画でした。 鳥山明「ドラゴンボール」 最後は「地球のみんなヨー、オラに力をわけくれ」と泣かして、元気ダマです。でも、まあ、そこまでいくのに「一体何回死んだら気がすむねんな、悟空よ!」って言ってしまいそうですが、やめられません。 武論尊「北斗の拳」 授業で指名しても答えられない生徒に「おまえはもう死んでいる!」を連発してたら「面白くない!」と飽きられてしまったので、今度は居眠りしている人をさして「あいつはもう死んでいる。」と言っていると「しつこい!」とばかにされてぼくのブームは終わりました。 今時、高校でこういうセリフを口にすると、即刻退職ということになるのかもしれないですね。 そのころの野球部員に必読だったのが千葉あきお「キャプテン」・「プレーボール」でした。 部室には必ず転がっていましたね。とことん努力するキャラクターが、練習とか試合で、あんまり必死にならないうえに、あんまり強くない高校球児に受けていまた。でも、作者が疲れて自殺してしまったんですよね。努力して頑張り続けるって、大変なんだと思いました。でも、少年たちには谷口君の姿が「夢」だったんですよね。 足立充「タッチ」 まぁ「タッチ」はスポーツものとはちょっと違うかもしれませんね。このマンガの登場は野球漫画の空気を変えました。それまで、一生懸命動きを描いていた漫画家たちをバカにするように、絵が止まっていました。女の子が読む野球漫画の始まりなんでしょうか。ぼくはテレビのアニメの主題歌を聞くと、いまでも、ちょっと泣けるんですよね。 90年代に入って忘れられないのがこのマンガです井上雄彦「スラムダンク」 「バカボンド」を書いて超人気漫画家になってしまったけれど、やっぱり桜木花道が忘れられません。だってボールが手を離れてからリングを通過するまで何ページかかったことか。週刊誌を読んでいる人は一週間待ったはずですよ。 一度だけバスケットボール部の顧問をしたことがあります。実際の試合を観戦する機会があって、このマンガのコマ割が案外リアルなことに感心してしまいました。マンガだけで「スラムダンク」ファンをしている皆さんは一度試合を見てみたらいいとおもいます。きっとマンガ独特のリアリズムを再発見すると思います。 館長をしていた最後の高校の図書館でも、無断持ち出しが、後を絶たなかったマンガです。。「センセー、バスケがしたいんです、だろ。泣いたかね。」「へへへ、すんません。」 だまって持ち出した生徒の返却の挨拶は素直だったですね。まあ、納得がいったんでしょうね。 スポ根じゃあないのですが、尾田栄一郎「ワンピース」とか佐藤秀峰「ブラックジャックによろしく」とかが2000年代のハヤリでした。ぼくは読んでいません。そうです、このあたりから読んでいないんですね。 「ブラックジャックによろしく」は大学の医学部の書店でよく売れたそうです。お医者さんになる勉強をしている学生さんが読むマンガだったんですね。 あのころ高校ではマンガを没収して威張っていた同僚がいました。今でもいるかも?大学ではどうなんでしょう。マンガもれっきとした文化だと思っていたボクは読みたければ読めばいいと思っていたけれども、授業中は止めたほうがいいかもしれない。 たとえばぼくが教壇にいるような高校の授業が、はまってしまったマンガの面白さに勝てるわけがないですね。だから、見つけた教員は、当然、逆上する事になるわけです。ぼくは、どっちかというと、哀しかったですね。そういえば、没収したマンガ雑誌を職員室の机に積み上げて、勝ち誇っていた先生たちは、マンガに勝てない自分の授業のことはどう思っていらっしゃったのでしょうね。今思えば、やっぱり少し哀しい。 ところで、ここまでお付き合いいただいた、みなさん、高野文子という漫画家をご存じでしょうか。 「絶対安全剃刀」(白泉社)が有名だったと思うのですが、本当は有名ではなかったかもしれません。きっとご存じない方が多いのでしょうね。時間が永遠に止まっているようなマンガを書く人で、「ああこんなマンガもありなんだ。」という感じの人で、好きだったんですね、ぼくは。やたら繰り返しのスポ根マンガとはすこし違う種類ですね。 まあ、薀蓄はともかく、その漫画家が「黄色い本」(講談社)というマンガを2000年代の始めころに描きました。装丁も黄色い本でした。 なんとなく注文してやってきた本を手にとると「ジャック・チボーという名の友人」と副題が付けられていました。で。ぼくは「ありゃりゃ」と驚いてしまいました。「そうかこのマンガはあの黄色い本をネタにしているんだ。」 「あの黄色い本」というのは高校二年生だったぼくが人生の最初に出会った革命家ジャック・チボーを描いた、あの小説のことです。 ロジェ・マルタン・デユ・ガールというフランスのノーベル賞作家がジャックの一族をえがいた小説「チボー家の人々」(白水社)こそ、黄色い装丁の箱入りの本で全5巻ですね。 箱に入っているのにペーパーバックふうのラフな綴じ方がしてあっって、フランスの本みたいで、当時のぼくにはちょっと大事な黄色い本でした。大げさかな? 高野文子のマンガ「黄色い本」の主人公の女子高生は教室の真中でこの本を開いて読んでいます。ぼくは隠れて読んでいました。やがて紡績工場に就職する彼女がジャックに恋をしてしまうように、ぼくも本気でジャックに憧れていました。最近の小学生や中学生が、うーん、高校生にもいるかもしれないが、ハリー・ポッターなんて名前の魔法使いの少年を好きになってしまうのと似たようなことだったかもしれません?!いやいや、てれくさいけど、もっと大変だったかもしれませんね。はははは。なんのこっちゃ。 高野文子のこの漫画はぼくの高校時代とほとんど同じ時代、同じような生活を描いていて、「チボー家のジャック」に憧れていく主人公の様子がぼくにはよくわかると思いました。「黄色い本」は主人公が読みつづけていた本を図書館に返す所で終わります。それは彼女の人生の時(二度と来ないある時間)の終焉として描かれているわけですね。 へんてこなマンガだけれど、一度、本屋か図書館の棚から、ちょっと手に取って、ページを開いてもらえたら、初めてなのに懐かしい空気が漂ってくるかもしれません。でも、もう、そういう所にはないかもしれませんね。 ついでに「チボー家の人々」は、今では白水社のUブックシリーズで全13巻だと思います。これを読み終えるのは大変かもしれませんね。本当は、二十才の頃までに出会わないとカンドーしないのかもしれない本のような気もします。 ところで、ぼくの「チボー家の人々(全5巻)」は、二十才の大学生の下宿にやって来た一人の女性とともに本棚から消えてしまい、その後には宮沢賢治「銀河鉄道の夜」(岩波書店)一冊が残されていたというミステリアスな結末を迎えました。ダハハハ。 この事件は、宮沢賢治嫌悪症とでもいう形で、あの詩人の作品に対する態度として残りました。あれから四十年経つというのに、宮沢賢治の作品には読みづらさと、素直になれないというというこだわりを捨てきれないシマクマ君です。 フン!「銀河鉄道」のどこが面白いんだ!(S)追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)チボー家の人々(1) 灰色のノート (白水Uブックス) [ ロジェ・マルタン・デュ・ガール ]これが、始まり。チボー家の人々(13) エピローグ (白水Uブックス) [ ロジェ・マルタン・デュ・ガール ]こうして、すべてが幕を閉じる。【中古】バガボンド 全巻セット 1-37巻 講談社 井上雄彦 以降続刊まだ、終わってないんですが、井上さん、頑張って。プレイボール2 1【電子書籍】[ ちばあきお ]もう、ただで読めるかな。るきさん (ちくま文庫) [ 高野文子 ]これは、文庫になってました。ボタン押してね!ボタン押してね!
2019.04.13
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此元和津也 「セトウツミ 全8巻」 (秋田書店) 同居人のチッチキ夫人が布団に入って機嫌よくマンガを読んでいる。枕元に、マンガが数冊積まれていて、ちょっと手に取ってみる。 「あかんよ、ちょっと。読みかけてるとこやからね。」 「ああ。第一巻は?」 「あっちにある思うけど、見つからへんねんか。」 「二巻から読んでんの?オモロイ?」 ‥‥‥・ 「セトウツミってどういういみ?」 「瀬戸くんと内海くん。ちょっとお、声かけんといてよ。」 というわけで、こっちの部屋であれこれ積み上げてある下の方から「セトウツミ」(秋田書店)第一巻、発見。 「たいへんやなぁ まだ高二やのに」「おまえはええなぁ 大学行けへんねやろ?」「行けへんゆうか・・・」「行かれへんのか」「お前のそういうとこやで」「何が」「うっすら人を見下してるとゆうか・・・ 全員アホに見えてんねやろ?お前からしたら」「自覚症状はないけどな」「いや 他覚症状が半端やないねん」 はまりました! しゃべくり漫才のボケとツッコミを連想する人もいるでしょう。その通りなのですが、「ちょっとちがう」というのが第一印象でしたが、最後までちょっと違いました。 作者は、何がちょっと違うのかという謎を、最後には解いてマンガを完結させますが、この結末に、ぼくは、すこし納得のいかないものを感じました。 府立高校の二年生二人が、ほぼ、一年間、大阪の街の中の川べりの公園の石段に座って、ひたすら、時間つぶしのおしゃべりをしている姿を描いた漫画です。ひたすら、おしゃべりを続けながら何かを待っている有名な演劇がありますが、ウラディミールとエストラゴンがこんなところにいるじゃないかというのが、オモロイと思った理由でした。 漫才の掛け合いは、まあ、ちょっときいたふうな言い方をすれば、ボケもツッコミも自分に疑いを持たない個人だと思うのです。だから、「アホやなあ」という観ている人の安心した笑いが成り立つのだと思います。 でもこの二人は、そういう安心させる自己肯定感でしゃべっているわけではありません。理由は、二人が高校生だからだとボクは思います。 そこに座って居ることの落ち着かなさ、不安といってもいいかもしれませんが、ゴドーを待っていた二人とよく似たところに座っているというのがボクの見立てでした。「そうそう、そこで、どこにも行きつきようがないおしゃべりを続けてくれ!」 残念ながら作者は、現代の高校生らしいリアリティーを描くことで、マンガを終わらせました。それはそれで、胸を打つものがありました。 「ウツミ」くんのスマホの、LINEの画面の「メガネの絵文字キャラ」が最後に「セト」くんが撮った「シャメの顔写真」に変わって「寝ろや笑2:36」で、スマホ画面が終わって、写真の中のノラ猫「ニダイメ」が振り向いて、エンド。 サイコーなんです。けどね。 「第一巻あったで、読む?」 「エー、もう、読んだん?ずるーっ!」 「へへへへ、いちにちおヒマやからなア。」 「はいはい。」 本日も、平和な我が家の結末でした。 (S) 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) ボタン押してね!ボタン押してね!
2019.04.04
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