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カテゴリ: コラム
9月23日は言うまでもなく、藤子・F・不二雄先生の命日である。1996年のこの日に逝去されてから、実に9年の歳月が流れた。この9年の間、「ドラえもん」は大きく変わってしまったように思う。亡くなられた当初、春休み映画が、当時先生が原作を執筆していた「ねじ巻き都市冒険記」で打ち切られることになっていたそうなのだが、結局その後も映画は作られ続け、TVアニメもオリジナル作品を作ってなんとかいきながらえてきた。しかし、やはり藤子F先生の抜けた穴は大きすぎた。藤子F先生ほどの深みを感じられる作品はなかなか出てこなかった。それどころか、一アニメとして見ても稚拙な作りが目立つようになり、本来の「ドラえもん」らしさが失われつつあるように見えた。

その結果として、原作が読まれなくなっているというゆゆしき事態を招くことになった。以前、富山大の一般向けに開講された特別講義で、横山泰行教授が日ごろ学生と接している率直な実感として話されたそうだが、これだけ知られているキャラクターにも関わらず、原作があまり読まれていないというのだ。考えたら、今の大学生以下の年齢層の9年前は、小学生以下だ。完全にアニメ「ドラえもん」に接しているであろう世代である。が、彼らは下手をすれば、藤子F先生没後のアニメ「ドラえもん」しか知らないことになる。あのアニメの出来を見れば、原作を読もうという気が起こらなくても不思議ではない。原作をしらない人たちが確実に増えていることはもはや否めない事実なのである。

そんな中で今年、ドラえもんは大きな転換点を迎えた。声優が一斉に代わり、ストーリーも原作回帰の路線に。原作回帰の路線は、本当に喜ばしいことであった。このまま行けば、キャラクターとしてのドラえもんが強調されていくばかりで、作品としてのドラえもんが、どんどん知られなくなっていく。しかし、それでいいのか。数々の名作が知られなくなっても。それでは、作品の素晴らしさが後世に伝わらないままになってしまう。真に愛されるキャラクターはそういうものだろうか?

それだけに藤子F先生が送り出してくれたエンターテイメント性のある「ドラえもん」という作品は、何らかの形で伝えていかなくてはならないのだ。世間に対する影響が強いTVアニメにおいては、そういった作りが非常に重要なのだ。それだけに、このリニューアルは間違っていないことだと私は信じている。


しかしながら、反発するファンも多かったのはいうまでもない。声優交代の賛否はもとより、交代の仕方や、そもそも放送を続けることに対して異を唱える者も少なくなかった。(彼らに対しては、いろいろ申したいことはあるのだが、それはおいとくとして、)作品としての「ドラえもん」の残し方としては、彼らの言うようにアニメを作って続けさせずに、再放送で続ける。あるいは、声優はそのままで原作路線に戻す。声優は一斉に変えずに、イメージを崩さないように徐々に変えていく。最低一年の充電期間を置く。作品の残し方にしても、さまざまな意見が目立っていた。

確かに、完全に声優を入れかえ、リニューアルするという方法は、作品の残し方にしては、あまりにも大胆かつリスクを伴う方法ではある。これまでのイメージから、大きく外れるわけだから、ファン離れが起きても当然であろう。しかも、「天才バカボン」や「魔法使いサリー」、「オバケのQ太郎」のように、何度もリメイクされたアニメはあるにしても、それらは間隔をあけてやっていたので、今回のように、間隔をあまり開けずにリニューアルというケースは、これまで前例がない。前例がないから、どうなるかさえもわからない。にもかかわらず、ドラえもんのスタッフはそれをやったのだ。それゆえ、続け方に対しても異を唱える人が多かったのだろう。

「ドラえもん」にしても別の残し方というのもあったのかもしれない。新しくアニメを作らず、再放送で続ける手も一つの選択肢としてあっただろう。最近は「未来少年コナン」が再放送され、「まんが日本昔ばなし」も今秋から再放送もされる予定だ。今後、ゴールデンタイムに、過去の名作アニメの再放送が頻繁になる可能性も否定できない。それを、昔見ていた大人が楽しみ、それについてきて子どもも楽しむ。作品を後世に残す方法として、有効な方法であろう。

しかし、過去の名作の再放送ばかりに頼りすぎるのは、アニメ業界全体としては良くない傾向であろう。それに、昔の名作が、現代の子どもたちに、リアルタイムで見ていた当時の子どもたちと同じような感動を覚えるかというと、そうとは限らない。時代によって、感動させる演出やストーリーなどは変わってくる。「ドラえもん」にしても、過去の再放送を見て、当時の子どもたちと同じように楽しめるかというと、さすがにそうとは限らない。「のび太の恐竜」は、リアルタイムで見ていた人にとっては感動したかもしれないが、私からすれば、もっとこうすれば感動できたかもしれないのに、と思う部分も少なからずある。(もっとも、子供の頃に見ていれば、感想は違っただろうけど。)それでは、クレしん映画の『オトナ帝国』に見られたように、大人たちだけが懐かしんで、子供たちはただ冷めた目で見ることになりかねない。やはり、その時代なりの作り方で、アニメを新しく作ることも大事なのだ。

再放送か、リニューアルか。どっちにしてもメリット・デメリットはあるわけで、作品の残し方としてどちらが有益かはさすがにわからない。それだけに、今回の「ドラえもん」のリニューアルは、そういう点においても非常に興味のある事例といえよう。

こういうことはもっと深く掘り下げて書きたいところではある。海外を見渡せば、ドラえもんよりも長く親しまれているキャラクターが多い。ピーター・ラビットは1901年の誕生から実に100年以上親しまれている。日本でもおなじみのムーミンは、もとはフィンランドの絵本で、誕生から実に60年たっている。ミッキーマウスは70年以上。スヌーピーでお馴染みの「ピーナッツ」は、1950年の誕生からもう55年たっている。ドラえもんはまだまだ若いほうだ。どのキャラクターも、世界中で愛されていることは確かなのだが、その原作自体は、果たしてどれほど祖国の人たちに愛されているのかは、正直言ってわからない。どのような形で彼らは後世に受け継がれているのか、もっと知りたいところであるが、こればかりは、現地取材などをしないと詳細を書くことはできない。機会があれば、いずれまたここで書いていきたい。

藤子F先生のエンターテイメント、いわゆる「F's Entertainment」が、このリニューアルを機に、もっと人々に浸透してほしいのが、本音ではあるが、それはまだ1年や2年ではわからない。今、リアルタイムで見ている子供たちが、大人になっても心に残る作品として、「ドラえもん」を挙げてくれれば、一つの成功と言えよう。それはもう10年ぐらい立たないとわからないかもしれない。

まあ、それを早く知りうることのできる一つの目安は、来年の春休み、「のび太の恐竜2006」が成功するかどうかであろう。それまでに、「F's Entertainment」が一人でも多くの子供たちに浸透してくれることを切に願うばかりだ。





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最終更新日  2005年09月25日 16時08分08秒
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