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こんにちは。和歌山県の社会保険労務士 三宅佳代です。ほぼ日手帳の販売いよいよ明日ですね。今年は素敵なカバーがいっぱいで選ぶのが楽しそう。色が好きな私はカバーのページばかり見てしまいます。けれども私はほぼ日手帳は買わないと思います。なぜなら、使いこなせないから。好きなところはいっぱいあるけど(トモエリバー、毎日の一言)など、メモ、日記等のたぐいは1日1ページで足りないこともある。切抜きを貼ることを考えると、大きさはÅ5ぐらいが使いやすい。ということで今年も見送り。ほぼ日手帳発売ということで、標題の本を引っ張り出してきて読んでいます。ほぼ日ができたきっかけを書いている本ですが、非常に哲学的で、「生き方」「幸福感」について考えるきっかけになる本だと思います。情景が頭に浮かんできて共感したのは、こんな文章。=============================================糸井氏がパチンコの景品でもらった偽物のウォークマンを小学生の娘さんにおもちゃがわりに与えた。与えたことさえも忘れていたのですが、旅行に行ったとき、娘さんがその偽物のウォークマンに壊れかけのイヤホンを巻いて大事そうにベッドサイドに置いているのを見て、なんでも買えばある。なくしても、買えばいい。高いものは簡単に変えないけど、安いものだったらいくつでも買える。知らず知らずのうちにそう考えるくせがついていたけれど、「偽物のウォークマン」で好きなテープを聴き、寝る前に古臭いイヤホンをぐるぐる巻きつけてそいつをしまう、その姿の方がかっこよく思えたのだった。うらやましい気持ちになったのだ。=============================================糸井氏は続けて人が他の人やものを大切にいているのも見るのは、気持ちがいい。それは倫理と言うよりは精神的な快感、不快感に置き換えられるようなものだと書いています。例えば、インクがなくなるまで使い尽くしたボールペンなんか気持ちがいいですよね。かつて、ドクタークリップというボールペンを持っていたのですが、何度も何度も芯を変えながら使ってついに軸がおれてしまったとき、天寿をまっとうするまで使い尽くしたことに快感を覚えたことを思い出しました。忙しいということを隠れ蓑に雑な暮らし、雑な生き方からなかなか抜けられないのですが、ていねいに生きていきたいと思いました。ほぼ日が好きな人もそうでない人も一読の価値のある本だと思います。
August 31, 2007
背水の陣と解される阿部内閣の人事が決定しましたね。我々の仕事に関係が深く、年金問題で国民の注目度もアップしている厚生労働省の大臣は舛添要一氏となりました。マスコミへの露出は多いので、誰もが知っている方でしょうが、初入閣だそうです。かなり思い切った人事なのではと思います。厚生労働省の今後に注目です。
August 30, 2007
こんにちは。三宅佳代です。オールアバウトに掲載する写真を確認しました。一応女性ですので、内容より写真写りの方が気になります。写真は、ほっぺたがピカピカでした。子どものときからほっぺたはきんきらきんに光っていました。スタッフのTちゃん曰く「わー! 本当にセンセイみたいに見える!やっぱりプロの写真ってすごいですね。」アップされたら旦那さんに見せるそうです。9月初旬のアップになりそうです。
August 17, 2007
おはようございます。和歌山県の社会保険労務士 三宅佳代です。夏期休暇は15日までで昨日から仕事にとりかかっています。とっても2日働いたらまたお休みですね。休暇中に標題の本をひっぱりだしてきてまた読んでいました。糸井さんらしく文体はとても軽い感じに書かれているのですが、内容はかなり哲学的です。当初「インターネットの哲学」という題を考えられていたようですが、読んでみると納得します。目標設定型の生き方に疑問を感じている人は読んでみる価値があるかもしれません。心がほっとすると思います。以下、心にとまった内容と私の感想です。=======================================================人と人とは、そんなに簡単に分かり合えるものではないということは、コミュニケーションを考える上で、とても大事なことです。======================================================= ↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑日常のいろいろな場面で、わかってもらえないあるいはわかってあげらられないもどかしさを感じますが、「分かり合う」というのはそんなに簡単なものではないということがわかれば気持ちに余裕ができます。=======================================================インターネットができたことで「誰でも思ったことを垂れ流せる」という意見は、否定的にせよ肯定的にせよ、よく語られてきました。しかし、もっとも重要なのは、垂れ流せるとわかったおかげで「思ったり考えたりすることの虚しさがなくなった」ということだと思います。======================================================= ↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑インターネットのおかげで自分の考えを発表できる機会ができたことは、おしゃべりの私にとってはとても楽しいことです。=======================================================勝ちと負け、強いと弱い、という二項対立的な思考にすっかり慣れきってしまったいま、そういう枠組みにおさまらない「わけのわからないこと」を考えたり語ったりしたいという雰囲気が自然にでてきているようです。新しい時代には、答えの見えないことが、もっと価値を持つようになるのではないでしょうか。======================================================= ↑↑↑↑↑↑↑↑↑このような時代になって欲しいと思いますし、私自身は答えのでにくい問題についてこれからもつらつらと考えていくつもりです。
August 17, 2007
おはようございます。和歌山県の社会保険労務士の三宅佳代です。昨日は、ほとんどの方がお盆休暇に入られているのだろうなと思います。なぜなら、このブログのアクセス数もすごく落ちていますので。ところで、私は昨日は自分の事務所で写真撮影でした。オールアバウトの専門家に登録したので。ということで、ブログ上は写真を公開していませんが、9月の初旬には写真が公開されそうです。イラストを書いてもらった5年前より、やせてメガネ(普段はめがね。撮影時はコンタクトしました)もはずしているので、イラストとはかなり印象が違うかも。私は、5年前の丸々した自分の方が好きです。
August 14, 2007
こんにちは。和歌山県の社会保険労務士 三宅佳代です。先日社会保険事務所から国民年金の3号被保険者の件で問い合わせがありました。うちの顧問先(仮に「○○商事」とします)に10年ぐらい前に勤務していた従業員の奥さんが当時国民年金の3号被保険者に加入するのを忘れていた。○○商事は健康保険組合に加入していたので、奥さんが健康保険の扶養家族である記録が社会保険では確認できない。当時(つまり10年前)健康保険の扶養家族であったことを証明することができるもの(つまり健康保険組合の扶養家族の異動届の事業主控でかつ健康保険組合の受理印があるもの)はありませんか。とのこと。10年前ですよ!社会保険の書類の保存期限は2年です。ちなみに○○商事が加入していた健康保険組合は数年前に解散しています。つまり健康保険組合に確認することもできないのです。=====================================ここで国民年金の3号被保険者について説明します。長文なので読み飛ばしていただいてもかまいません。国民年金の3号被保険者とは、サラリーマン(公務員も含む)に扶養されている配偶者で20歳以上60歳以下の人です。3号被保険者は国民年金の保険料を個人で負担することなく、将来国民年金が受給できるので、専業主婦等にとっては大変ありがたい制度です。(保険料は厚生年金の財源から拠出しています。厚生年金保険の加入者がみんなで負担しているということになります)今は健康保険の扶養家族の申請の用紙の3枚目が3号被保険者の届出用紙になっているので、申請もれはほとんどないと考えられますが、以前は、健康保険の扶養家族になっていることを証明するために健康保険証、印鑑、年金手帳をもって市役所に手続きにいかなければなりませんでした。この制度を知らない人は当然自分から市役所に手続きに行くはずもなく、仮に知っていたとしても、夫が転職したりするともう一度手続きに行かなければならないこともありましたが、そこまでは気がつかない人が多く、3号被保険者の国民年金の加入もれの問題が深刻なのです。一応さかのぼって手続きできますが、以前は2年間しかさかのぼれなかったので、10年以上加入漏れでも、2年分しか遡れないということになります。加入漏れの問題が深刻なので、2004年の年金改正によって、加入漏れの場合、当時サラリーマン(公務員)の扶養家族であることが証明できれば、何年でも遡って3号被保険者になることができるようになりました。==================================================-前述のように法改正になったので、過去に扶養家族であった記録が大切です。でも、解散してしまった健康保険組合などに加入していた場合、健康保険組合に証明してもらうことも調べてもらうこともできません。幸いにも、この方のケースの場合は、事業主さんがきちんとした方で、当時の健康保険の異動届の事業主控をもっていたので、事なきを得ましたし、うちの事務所でも10年ぐらいは書類を保管しています。年金は本人が死亡するまでもらえますから、記録がでてくるとでてこないとでは、大違いです。雇用保険関係や労働保険の保険料の申告にかかる記録は、書類保存期限が過ぎると捨てていっていますが、社会保険関係だけは、年金のことが気になってなんとなく捨てる気になれず、10年分ぐらいは保管しています。しかし、さほど大きくない事務所(10坪)でこれらの書類を保管するのは、正直負担でもあります。捨てようかと思うこともありましたが、保管しておいてよかったというのが、今回の事案での正直な感想です。
August 10, 2007
おはようございます。三宅佳代です。好奇心いっぱいの子どもは毎日毎日いろんなことを聞いてきます。「なぜお空は青いの?」「なぜきりんさんの首は長いの?」もう少し大きくなると「なぜ1足す1は2なの?」「なぜお友達と仲良くしなければならないの?」またまた大きくなると「なぜ学校に行かなければいけないの?」「なぜ勉強しないといけないの?」もっともっと大きくなると「なぜ働かなければならないの?」もっと本質的な問題「なぜ人を殺してはいけないの?」そんな質問を投げかける子もいるかもしれません。子どもの質問は本質的な質問が多く簡単に答えられません。子どもたちは正解を与えられることに慣れています。毎日の勉強の中で、これは○これは×と、正解、不正解を振り分けていきます。でも、社会にでると、何が正解で何が不正解か答えられない問題の方が多い。だから、答えがすぐにわからない問題があっていい。わからないということを大切にする気持ちが大事。また、学校や社会のルールは理由を納得するかどうかより、守るということが大切。野球もサッカーもみんなルールがある。なぜ、このルールなの?と理由はないわけではないけれども、理由を知らなくてもゲームはできるし、楽しく遊べる。いちいち説明を求めていたら、ゲームできないし、遊べない。すべてに理由が必要と考える子どもたちは会社に勤めると上司にこんな質問をするかもしれません。「なぜ茶髪で会社に来てはいけないの?」(その会社が茶髪禁止の場合)「なぜ鼻にピアスをしてきてはいけないの?」(その会社が鼻のピアス禁止の場合)「なぜあなた(上司)の言うことをきかなければならないの?」私は子どものころは年中「なんでえ?なんでえ?」と言う子でした。それに対して親は答えてくれたときもあったでしょうが、あまりにも「なんでえ?」が多いので、しまいには、「ほんまにこの子はなんでえ。なんでえ。ってうるさいな!」と母には言われました。父は「なぜなにの本(小学2年生)」を買ってきてくれました。この「なぜなにの本」は私の子ども時代の好奇心をずいぶん満たしてくれた本でしたので、父には感謝しています。他のお友達のお話を聞くと「なんで?」と聞くと「お父さんが教えてくれる」という子もいたので、私は親になったら子どもの質問にきちんと答えてあげようと思っていました。でも、最近考え方が変わってきました。「なぜ。なぜ。」と疑問を持つことは大切なことだと思います。けれども「なぜ」について、親は大人は必ずしも答える必要はないと。子どものころの疑問が大人になって「ああそういうことやったんんか」とわかるときが楽しい。そういうのを「目からうろこがおちる」というのではないでしょうか。何でもすぐにわかってしまうと大人になる楽しみがない。大人になることに希望を持つためにも、大人は子どもたちに何もかも教えてはいけない。けれども、まじめな大人(親)である私は今でも、若者や子どもの「なぜ」の疑問に答えようと、日々頭をひねっています(笑)
August 9, 2007
こんにちは。和歌山県の社会保険労務士 三宅佳代です。自宅から事務所への通勤途中に厚生年金会館 サンピア があります。以前は社会保険労務士会の研修等もこのサンピアでよく行われており、よく利用させていただいたものです。数日前原付で走っているときに信号待ちでふと見ると、撤去工事が始まっていました。もったいないなあ というのが正直な感想。建設して10年経っていないぐらい。まだまだ建物もきれいなのに、壊してしまって何を作るんだろう。撤去工事の費用も年金が財源なのかなあと物悲しい気持ちになりました。
August 7, 2007
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こんにちは。暑い日が続きますね。私も少々バテ気味です。最近前述の本を読みました。日経新聞にマネックス証券の松本大社長が、同著者の「私の嫌いな10の言葉」の紹介をしていたので、この作者に興味をもったのがきっかけです。著者は「いい人の鈍感さががまんできない」そうです。要するに人嫌い偏屈親父の独り言のような内容ですが、少し斜に構えた自分には面白く感じましたし、心が軽くなりました。
August 6, 2007
こんにちは。本当にひさしぶりに更新します。今朝出社前にテレビを見ていると、参議院選で自民党は40議席をとれず惨敗という結果でしたが、安部首相は退任せず、今後も首相を続ける意向のようです。自民党内でも今回の参議院選惨敗の責任をとって、退任する声が多いようです。あまり政治に関心を持っていないので、首相の続投について政治的な意味での意見を述べるつもりはないのですが、「責任をとる」ということに考えさせられます。政治に限らず企業の不祥事などが起きたときも「責任をとって辞めます」というようなことがしばしば見受けられます。わが国では「責任をとる」=「辞める」ということのようです。これは武士道にゆえんするものなのでしょうか。「解雇」のことを「クビを切る」(これ「打ち首」から由来していると思われる)と言ったり、「責任をとって辞める」というのはかつては、「切腹」だったのかと思います。今は本当に「首を切ったり」「腹をきったり」することがなくなったのでよかったと思うのですが、その精神は平成の現在も脈々と受け継がれていて、不祥事等があると責任をとってやめるというのが、男らしいという価値観があるように思います。反対に辞めないのは女々しいことのようです。もちろん、今後も改善するつもりもないのに権力の座にしがみついている人もいるでしょう。しかし、辞めて責任をとるというのは、無責任な場合もあるはず。(企業の不祥事の場合などは、辞めて責任をとる人が退職金のがっぽりもらっていたりすることもある)良くないことが起きた場合、トップが責任を取るというのは、辞めることではなく、悪いところを改めて改善するということだと私は思います。辞めるのはそのあとでよいはず。というようなことを企業のトップなどの退任会見るたびに思います。話が首相の続投から微妙にそれてしまいましたが、「責任をとる」ということについて、私のように考えている者もいるということです。
August 3, 2007
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