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信太郎(高嶋政伸)の友人、生田(大滝秀治)が息を引き取り、孫娘・亜樹(霧島れいか)の婚約者で天鴎ホテルのソーシェの修司(松尾伸雄)は辞表を出す。故郷熊本で独立したかったからだった。しかし、そんな彼にフランス留学の声がかかり独立への思いが揺らぎ、亜樹との仲もうまくいかなくなる。そんな思いを誰よりも理解していたのは、信太郎だった。今、修司は33歳、あの時…天鴎ホテルのワンマン支配人猪塚(神山繁)からパリ留学を打診された時も、信太郎は33歳だった。まだ日本人が留学のために旅行なんて夢のまた夢、料理人が一つのレストランを辞めるときには天皇様のお食事を作る大膳に行く辞令でもない限り『勝手に出て行け!』と怒鳴られる時代でもあった。3年のパリ留学は、楽観的な信太郎にも『価値観や概念』の違いによる格闘が続いた。最初はまた、鍋洗いに戻り、日本流に早く仕事をこなせば『雑だ』と罵られ、それが後に『フランス料理というものは、一挙一動に手間と時間をかけなければいけない、お客さまはその時間を楽しみに来ている』と教わったときに初めて誤解が解けるのだけど。パリの留学中に、ホントかどうかしらないのだけど、シノワのかわりに越中フンドシでスープを越していた(爆)という案は、マジなんだろうかと、いやぁ参ったね。3年の留学の後、ホテルに新館が出来ることになり支配人となる田所(東幹久)が信太朗を抜擢。こればかりには同僚だったコックたちが怒るのなんの。同僚のコックの一人に、田村次郎の次男の田村英晃さんも出演。次々、いい役に抜擢される同僚を最初は怒りつつも応援するというフクザツな役に挑んでおられます。視察で見た、スウェーデン料理のスモカーズボードをいかにして食べてもらおうかというシーンで。奥さんの静代さんが『この間みた映画のK.ダグラスはカッコよかった』と家ではだらしないダンナにブツクサいうところから、下っ端コックに、『K.ダグラスが映画でどんなカッコしてたか見てきてくれないか』と頼みその映画で出てくる『船の上で食事してるシーン』から定額料金で食べ放題のビュッフェスタイルレストランがバイキングと名づけれることに。信太朗は、このヒントをくれた下っ端コックがいつも先輩シェフにおびえているのに気がついていたので、レシピ公開システムをとりいれるそれは今までのホテルではありえないことだった。まぁ、現在でも『完全オープン』というワケではないだろうけれど、戦前や京○の料亭ほどイケズでもないのだろう。そんな彼のモトにワンマン社長から、またも勝手な辞令が下される当時やっと普及したばかりのTV、しかもNHKで料理番組をしてくれというのだ。憤慨したものの引き受けるが、NHKに行くと主婦が手に入る食材でやってくださいとノックアウト家に帰ると静代に、たまには子供たちを動物園にでも連れて行ってくださいとグチをこぼされるが、仕事のことしか頭になかった信太朗は、動物園までの道中にスーパーを見つけると食材売り場で子供たちを放っておいて買い物をはじめてしまい、高級食材ばかりを買って怒られてしまった。そこで、放送局からやっと一回目の料理としてOKがでたのが、あの日、GHQが帰国した自分の目の前で焼いていたハンバーグ…フランス料理を作ると決めた自分が作ることはないだろうと心に決めたものだった…しかし、料理長・沢渡(古谷一行)にこれから日本は豊かになっていくと言われ民衆を喜ばせることが出来なければ料理人と認められない事実を突きつけられる。そしてNHKに届いた自分宛のファンレターを見て番組続投を決意した。今年の冬はレタスやキャベツがホントに高かったのですがウチのバーサンが、そんな物価高なのにレタス欲しいとのたまったときは、サスガにこの話の静代並に怒ったのを覚えています。高島もボンボンなので、こういう所で物価が高いといわれても全く答えてなさそうな顔をしてるのもわかりますね。最初の『きょうの料理』がハンバーグ…多分、昔の人は『ホテルのきちんとした料理長の料理』と『洋食屋さんの料理』の違いってなんじゃろか…というアレもあったかもしれません。NHKがブラウン管で再現してほしかったのは今でいう『洋食屋さんの走り』だったかもしれないですね
2006.07.15
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高嶋の弟が昨年にお亡くなりになられた元帝国ホテル料理長の村上氏を演じる…あまりにもソックリになってるのでビビった(爆)いや~ここまで似ると思わなかったです、ハイ。第1回「銅鍋とレシピとパイナップル」はどういう関係だろうと思いきや、戦争の悲惨さがあっても料理を伝えていこうとした村上ムッシュの心いきにふさわしい題名だったかもしれません。 11歳で両親を亡くし、従妹の静代の家に(牧瀬里穂)に居候の身だっただった牧村信太郎(高嶋政伸)は、昭和14年、憧れの天鴎ホテルのコックになった。しかし最初はくる日もくる日も鍋洗い、これが当時は赤銅鍋。コゲはつくし、磨くのも大変。帰宅は深夜遅く。洋食の下働きは鍋に残ったソースを舐めて味を覚えるというのだけどそのソースに洗剤が入ってるというイケズぶり誰も自分の味を教えてはくれない。肝心の仕上げの段階になると『お前、食事にいけ』と調理場から追い出すムッシュもいる。料理にどんなからくりがかくされているのだろう…信太郎が家に戻って愚痴を言う相手は従妹の静代。が、戦争中で民間人は配給で食べている身なのに軍には食材が余っている現状に静代は『フランス料理のコックなんかと結婚したくない』と突き放す。そんな信太郎も戦争の嵐がやってくる。昭和16年、徴兵検査の通知がきた。休憩時間も惜しみ、鍋を磨き続けようやくムッシュたちに認められてきた矢先のことだった。『どうせお前は死んじまうんだからよ』と先輩たちが今までの料理の種あかしを教えていく。アレほどまで判らなかったことを教えていくのは『生きてまたフランス料理をやろう』という証だった。また、戦局の悪化を悟った沢渡料理長は国中のありとあらゆる金属製品が軍事品製造のために強制接収されていることを知り料理人の命の銅鍋を隠すことを決意する。そして信太郎は陸軍に志願、前線で戦っていたある日、重傷を負った同僚の兵士生田が最後にパイナップルを食べたいとつぶやいた。信太郎はしなびたリンゴをパイナップルのような見た目と味に調理して差し出した。生田は信太郎の力で生き返り、信太郎は生きて日本に帰って再びコックになろうと決意した…。終戦から二年後、信太郎はシベリア抑留をえて日本に帰国することが出来た。目の前にはあの日と同じ天鴎ホテル…しかし厨房には自分を知ってるものはいない。沢渡調理長(古谷一行)だけが、光を失った目でつぶやいた。『このホテルはGHQに接収されていて、アメリカのいいなりなんだ』あのころのように優雅な料理はもう作れないのか…コックコートのある更衣室にはムッシュや同僚たちの位牌…泣き崩れホテルを後にしようとした信太郎に進駐軍の兵士が『今からシチューを100人前作ってくれ』といってきた。シチューならあの静代の元には縁談の話が舞い込んできていた。そんな矢先、信太郎があの日かくした銅鍋を担いで料理長の前に現れた。『またフランス料理をやろう』…その第一歩だった…一方、静代には二年も帰らない信太郎にしびれを切らし縁談の話がきていた。また、信太郎も帰ってきたら帰ってきたで『フランス料理を出来るかどうかわからない』とグチるばかり。が、静代が、戦争中も信太郎が大事にしていたフランス料理のノートを持っていたと知り、これからも自分をささえて欲しいと結婚を申し込む。それから何十年…信太郎はホテルの顧問になっていたあの日、彼の『リンゴで作ったパイナップル』で生き延びた生田(大滝秀治)の孫、亜紀とホテルのバイキングで出会って婚約した、ホテルのシェフ修司(松尾敏伸)は辞表を出すべきか、人生の岐路に立たされていた…それを左右していたのは危篤状態にあった生田の命だった…やっぱり一番よかったのは『銅鍋を隠すシーン』料理を作りたくても作れない時代、いつくるかも判らない『料理を出来る時代のためにいいものを取っておく』あの心が銅鍋を美しくさせているのかもしれません。戦場でパイナップルを作るシーンも、今までの『どうせ戦争で死んでしまったら料理なんて』という観点から『料理は万人を幸せにするもの』という観点に変わっていく、後のバイキングの発案者ならではの体験かもしれないですね。上のリンクは、そんなフランス料理の銅鍋を扱うので有名なマトファー社のPです。
2006.07.08
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