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2006.07.30
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カテゴリ: ハワイ
Aloha Hawaii Artwork by Kerne Erickson


ワイキキのにぎわいがピークをむかえるのは、夜9時頃
でしょうか。レストランでの食事をおえて、夜のまちに
ショッピングに繰り出す人々で、海岸ぞいのカラカウア
通りは、あふれます。音楽を奏でる人たち、似顔絵を描
く人、大道芸人などが、通りでパフォーマンスを繰り広
げます。いくつかのレストランでは、ライヴバンドが演
奏をはじめ、その音楽は、店の外に流れていきます。

最初の夜は、22時頃、黒地に金色でふちどりした赤い

黒の長めのレースの手袋をつけて、クヒオ通りのワイキ
キ・トレード・センターにあるナイトクラブ「ザンザバ
ー」へ踊りにいきました。IDの提示を求められたので
、日本の運転免許証を見せると、入店OK! 右手首に
紙製のバンドを巻いて、スタンプを押してくれました。
コロナビールにライムをしぼり落して飲んでから、ダン
スフロアへ。

ダンスフロアは、すでに、私より身体の大きい白人の女
性たち、基地からやってきたGI風の男性たちで、いっ
ぱい。マイクを持った黒人のMCがダンスフロアで踊り
ながら、ラッピング。両サイドのお立ち台では、クラブ

っと疲れたから、休もうかなと、席にもどって時計を見
たら、2時間が過ぎていました。店を出てクヒオ通りを
ホテルへ向うと、街角にセクシー・ドレスの女性たちが
ちらほら。男友達と歩いている私にウインクする女性も
いて、私も彼女たちの一員になった気分。男友達は、私

ずかしかったらしい。

2日目の夜は、ライヴバンドの演奏を楽しみました。ハ
ワイアン・ミュージックを楽しもうとしていたのですが
、通りを歩いていて、思わず惹きつけられたのは、店の
中から流れてくる「ホテル・カリフォルニア」のギター
・ソロでした。私は、ギターにあわせてメロディを口ず
さみ、その曲が「ホテル・カリフォルニア」であること
を友人に知らせました。すこしばかり退廃的な雰囲気を
ただよわせている夜のクヒオ通りに、「ホテル・カリフ
ォルニア」は、ぴったりに感じられました。

深夜のワイキキに雨がぽつぽつと落ちてきて、だんだん
雨粒の数が増えてきたので、街角のABCストアーズで
雨宿り。ワイキキでは、主な街角には必ずABCストア
ーズが店を構えていて、ATMも完備し、おみやげを買
うように誘っています。私は、さんざん迷った末、友人
用に「MAUNA LOA」のDry Roasted Macadamiasを
12缶と、プルメリアの花をデザインした色ちがいの携
帯ストラップ8個を選び、自分用に、ワイキキ・ビーチ
のサンセットを夕陽で真っ赤に染まる空と海、ダイヤモ
ンド・ヘッドとヤシの木々の黒いシルエットで表現した
バスタオルと、ハイビスカスなどハワイの花々をあしら
ったパープルのアロハシャツを買いました。

最後の夜は、ハイアット・リージェンシー・ワイキキ・
リゾート&スパ3階のイタリアン・チャイニーズ・レス
トラン「チャオ・メン」で友人たちと夕食を楽しんだあ
と、部屋に戻って、マーメイド・ラインとチュチュを組
み合わせたパープルのビュスティエ・ドレスにボレロ・
ジャケット、シーライフ・パークで買ったプルメリアの
花のチョーカーをつけて、ハイアットの地下にあるナイ
トクラブ「ディープ・ブルー」へ。

夜10時を過ぎていて、席も、そこそこ埋まっているの
に、誰もダンスフロアで踊らないので、店のスタッフが
誘いにきました。私は、カクテル 「ブルー・ハワイ」
いただいて、気分が良くなったので、DJブースの前に
行き、DJを見つめながら、踊りはじめました。メロデ
ィがほとんど感じられないヒップ・ホップの曲がリズム
・パターンを変えながら、次々と流れていきます。私の
身体がリズムに導かれて激しく弾み出すと、黒人のスタ
ッフがやってきて、私の身体に重ねあわせるように彼の
身体をくねらせ始めます。私も、彼の挑発に応えて、身
体を震わせます。私のダンス、ワイキキのナイトクラブ
のスタッフに認められたのかな。うれしい♪

2時間ほど踊ってから、ホテルに戻り、荷物を詰めて、
翌朝の帰国に備えたのですが、作業が終わっても眠れま
せん。私は、夜明け前のクヒオ通りを、深夜の飲食店の
勤務を終えたスタッフたちとすれちがいながら、ワイキ
キ・トレード・センターまで歩き、左折して、今度はカ
ラカウア通りに出て、ロイヤル・ハワイアン・ショッピ
ングセンターのショーウインドをゆっくりとながめ、
1901年創業の面影を残すシェラトン・モアナ・サー
フライダーの白亜の建物を名残惜しく見とれ、1912
年と1920年のオリンピックで競泳自由形の金メダル
を獲得して世界にサーフィンを紹介したハワイの英雄デ
ューク・カハナモクの像に別れを告げました。さよなら
、ワイキキ……

翌日は、カラカウア通りでパレードがあるので、交通渋
滞を避けるため、早めの朝食をとって、ホノルル国際空
港へ出発とのこと。3フロア分の高さのある水槽のなか
をゆったりと泳ぐ魚たちをながめながら、朝食をとって
いると、まわりの席は、白人のおばあちゃんたちでいっ
ぱいに。みんな、おしゃれして、おしゃべりを楽しんで
います。そういえば、初日の夜に行った、このホテルの
3階にある日本食レストラン「ショーグン」でも、日系
のおじいちゃん、おばあちゃんが楽しそうに過ごしてい
ました。

ホノルル空港で帰りの飛行機を待っている間、搭乗ゲー
トの近くにある「べストセラーズ・ブック&ミュージッ
ク」で、すてきな絵葉書を見つけました。1935年か
らハワイに定期便を飛ばすことになったパンナム(現在
はなくなってしまったパンアメリカン航空)がアメリカ
から観光客を呼びこむために、「リゾートアイランドハ
ワイ」のイメージをイラストレーターに描かせたポスタ
ーなどを絵葉書にしたもの。それらのイメージは、現代
の私たちが抱く楽園のイメージにも通じるものがあり、
大変興味深いものです。そのなかでもKerne Erickson
というイラストレーターが描いた作品に惹かれ、その人
が描いた作品の絵葉書は、すべて買い、急いで飛行機に
向かいました。

エリクソンのポスターの構図は、暗い前景があって、そ
れがニース時代のマティスの作品の窓のような役割を果
しています。マティスの作品の場合は、窓のむこうに南
フランスの光景が広がっているのですが、エリクソンの
作品の場合は、ボートハウスやヤシの木陰のむこうに、
輝くばかりのワイキキ・ビーチが広がっていて、ポスタ
ーを見る者の旅情をかきたてます。観光ポスターとして
申し分のない出来栄え。エリクソンの絵にみちびかれて
、1930年代のワイキキ・ビーチを歩いてみたくなり
ました。

ワイキキは、ハワイ語で「水が湧き出る」という意味で
、タロイモの水田や淡水の養魚池、ココナッツ林がある
湿地帯でした。その後、アジア系の移民により稲作水田
が作られましたが、ハワイ王国が滅んで、ハワイ共和国
による統治が始まると、ワイキキの水田や養魚池は「蚊
が大量に発生する非衛生な地区」とされ、土地の改良を
義務づけられ、資金面でそれができない持ち主は土地の
使用権を売却放棄せざるを得なくなり、ワイキキの土地
は白人支配階級のものになっていったそうです。

現在のワイキキ・ビーチの基礎をつくった「ワイキキ環
境整備プロジェクト」の完成は1928年。ワイキキの
一部を掘削して運河(アラ・ワイ運河)をつくり、山から
流れてくる3本の川の水量を調節するとともに、そこか
ら出た大量の土砂で湿地帯を埋め立てました。ワイキキ
の東西に真っ直ぐに伸びるアラ・ワイ運河を境に、その
海側に、観光客向けの土地が完成し、地価は30倍に跳
ねあがったとか。

1921年には、ホノルル港の整備が完了し、アロハ・
タワーも完成。1922年にハワイを訪れた観光客数は
約1万人で、アメリカやヨーロッパの大富豪たちが中心
でした。1925年には、マティソン汽船が、ロサンゼ
ルスとホノルルの間に豪華客船マロロ号の定期運航を開
始。1927年には、ロイヤル・ハワイアン(ピンク・
パレス)が開業。この後、続々と大小のホテルの開業ラ
ッシュが続きます。米国本土に渡ったソル・ホオピイな
どが生み出した華麗なスティール・ギターの演奏による
「ハワイアン音楽」の流行がはじまったのも、この頃で
した。

1929年の大恐慌で、ハワイの観光客数が激減すると
、キャッスル&クック社は、米国本土にむけてハワイの
観光宣伝を開始。1935年には、宣伝活動の一環とし
て、ラジオ番組「ハワイ・コールズ」(~1975)の放
送を開始。パンナムは、サンフランシスコ~ホノルル間
に「チャイナ・クリッパー」の定期運航を開始。マティ
ソン汽船では4日かかっていたホノルルへの旅程が21
時間半に短縮されました。

私たちがチャイナ・クリッパーから降りると、長い黒髪
の女性たちがレイをかけてくれます。A型フォードに乗
って、向かうホテルは、1927年にオープンしたホテ
ル「ロイヤル・ハワイアン」。外壁がピンク色のスペイ
ン風の建物は、私好み。ピンク・パレスと呼ばれている
そうです。ビーチを見渡せる3階の客室でしばらく休ん
でから、彼と二人でビーチに出かけました。

彼は、スコット・フィツジェラルドが描いたグレート・
ギャツビーのように、風通しの良い白い麻のスーツ。私
は、ギャツビーが一途な愛を捧げたデイジーのように、
首元が大きく開いたクリーム色のサマードレスにクリー
ム色の帽子。正面にはダイヤモンド・ヘッドの山並みが
くっきりと見え、青空のところどころに、うすく雲がか
かっています。

ビーチでは、背丈よりも長いサーフボードをもったサー
ファーたちがコバルトブルーの海へ漕ぎだそうとしてい
ます。色とりどりのビーチ・パラソルを広げて、その陰
から海を眺めている女性たち。車座になって、友達のう
わさ話に夢中の若者たち。シートにうつぶせになって、
じっと背中に日をあびている男性たち。黒髪に赤いハイ
ビスカスの花を挿して、ウクレレを弾いている女の人。
私の大好きな「ナ・レイ・オ・ハワイ(ハワイの花々)」
を歌っている。今夜のホテルのショーに出演するのかな


彼との会話に夢中で、気がつくと、日がかたむきかけて
いて、私たちの影も左へ大きく伸びています。そろそろ
帰ろうかなと、ホテルのほうをふりかえると、飛行機の
プロペラ音が聞こえます。ボオーっと汽笛の音がして、
沖に客船のシルエットが見えます。もうすぐ本土から、
たくさんのお客さまがやってくる。今夜は、どんな夜に
なるのだろう。

そんなことを夢想しているうちに、私たちのノースウエ
ストNW009便は、ホノルル国際空港を離陸し、晴れ
わたった空のなかへ。成田空港まで約8時間30分の旅
です。

帰国してから、インターネットで調べてみると、Kerne
Ericksonは1946年6月30日生まれ。戦後生まれの
アーティストでした。戦後生まれの画家が、見たことの
ない1930年代のハワイを、当時の観光ポスターをよ
そおいながら、臨場感たっぷりに描き出すとは、いった
い、どんな人なのだろう。私のような夢想家が、アメリ
カにも、ひとり、いらしたんですね。ちょっと、うれし
くなりました^^

Waikiki Beach Artwork by Kerne Erickson
<「Waikiki Beach」Artwork by Kerne Erickson>





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Last updated  2019.05.16 02:37:38
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