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きょう初日を迎えた京都・南座の吉例顔見世興行、B玉的関心は殴打事件で休演した市川海老蔵さんの「まねき」の行方。急遽こちらも下ろされたのかとも思ったらそのままだった。そりゃそうだ。酔った海老蔵さんが暴漢に殴られたあの晩、鳶職人が20人がかりで計65枚を取り付けた。ご存じの方も多いだろうが「まねき」は江戸時代、劇場前を飾った宣伝看板に由来する。上部に木を交差させた庵形がつき板に勘亭流の書体の役者名と紋が記されている。事件が明るみになったのは徹夜の作業がようやく終わってからだった。「席に空きがないよう」とすき間のない独特な書体の勘亭流、そのまねきだから「空き」を作るわけにもいかないよね。ことしの南座はこの<幻の看板探し>が受けるかも。
2010.11.30
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お知らせ:「2010年B級ニュース大賞」は12月23日午後、選考委員会を開催予定。発表は同24日の「きょうのB玉」にて。乞うご期待!
2010.11.30
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大阪・枚方市の外郭団体「枚方市文化財研究調査会」が発掘現場から出た鉄くずなどを売った代金で温泉旅行をしていたことが発覚、主査と主任が懲戒処分を受けた。発掘調査はUR都市機構の団地建て替えに伴い07年に行われた「中宮ドンバ遺跡」。地中から鉄製の水道管や下水配管などが大量に出てきた。それを京都市の業者に売却したところ予想外の70万円もの高値に。これぞまさに<埋蔵金>?本来なら機構に返還すべきところだったが「手続きが煩わしい」と慰労を兼ねた温泉旅行資金にすることを計画、年末にバスをチャーターし作業員ら17人が石川県の山中温泉へ出かけた。単純計算すると予算は1人4万円強で自己負担なし、おりしも越前ガニのシーズンで夜はコンパニオンを呼んで宴会を開いたというから豪華旅行ではある。枚方市の発表は「帰りの昼食時に足りなくなった数百円は主任が負担した」というが使いきったことは間違いない。主査と主任は停職6ヵ月の処分を受けた日に依願退職、主任が全額を返還したという結末になった。よくある内部告発だろうが3年前の話がいまごろどうして<発掘>されたのだろうね。
2010.11.29
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坂本龍馬が眠る京都市東山区の京都霊山護国神社の墓前に火のついたタバコを供えるファンがあとを絶たず神社も困惑している。並んで建つ中岡慎太郎の墓前も同じ、週末には数十本にものぼりまさに煙にむせるほど。ならば一帯を「禁煙ゾーン」にしてはと思うけどどうなんだろう。紫煙に託すロマンも度が過ぎればただの<はた迷惑>。進取の思想を持ち<新しいもの好き>だった龍馬のこと、きっと愛用され始めた「紙巻煙草」をのんだに違いないという思い込みのようだが愛煙家だったという記録はないそうだ。禁煙ゾーン採用に龍馬なら「いい考えぜよ!」と賛成すると思うけど。
2010.11.26
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いまさらながらだが時の移ろいは早い。法相をめぐる<失言更迭>のドタバタ劇も北朝鮮の突発砲撃で「ドミノ問責」はお預けになった。そのうち「ああそんなこともあったなあ」なんてことになるのか。とはいっても政治状況は野党攻勢が力を増す分、ますます流動的ではある。<読み筋迷走>が続く菅内閣、瀬戸際であることには変わりなさそうだ。
2010.11.25
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窓から在来線の電車や特急、新幹線が行き交う様子を眺めて楽しめるホテルに宿泊するのを「鉄泊」と呼ぶそうだ。鉄道ファンだけでなく親子連れなどにも人気でちょっとしたブームとか。たしかに高層階からだと「ジオラマ」のように見えるし。ホテル側も部屋に時刻表を置いたり鉄道の写真を飾ったりとムード演出に懸命だ。山陽本線のすぐそばにあった広島の実家は長距離寝台列車や貨物列車などが間近に見えて泊りに来た友人には好評だった。しかしそれは昼間の話、家族は慣れっこで何ともなかったけど友人は寝入る頃になると何十両もの車両を引いた貨物列車が立て続けに通過して「まるで布団の上を列車が走っているみたいでとてもじゃないけど眠れなかった」と散々だった。いまの「鉄泊」ブーム、建物の防音事情が格段に進歩したからの話ではある。
2010.11.24
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先日、ブログに紹介する写真を撮りに出かけた京都・宇治田原町で路肩に咲いていた茶の木をいただいてきた。白い花が可憐で気に入ったから。家内が花瓶に活けてくれたのを眺めていたらきのう直径1センチほどの堅い実がひとつ転がっているのに気付いた。「そうか花だけじゃなく同時に実を付けていたんだ」とようやく気付いた。もともと山野に自生していたとか遣唐使が中国から伝えたとか諸説がある茶の木のルーツではあるがこの実ならば長い航海でも持ち帰ることも可能だったんだなあとある意味感動した。共同ブログ「団塊の広場」=野次馬
2010.11.22
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それにしても次から次へと!今週の国会は<失言>で審議どころではなかった。思い浮かべたのは「言わずもがな」という言葉、言わないほうがいい、言うまでもないの意味だ。『日本語大辞典』(講談社)は「言う」の用例を21挙げている。言う方無し、言うだけ野暮、言うに言われぬ、言うに及ばず、言うに事欠いて、言う迄もない、言わぬ事じゃない・・・いまの内閣にぴったりと思えるものでもこれだけある。けさの新聞には「失言内閣」の大活字が。言わぬは腹膨れる、言い得て妙、というのもあるからあえて言っておく。
2010.11.19
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岩手県雫石町で電柱のてっぺんにクマがぶら下がっているのを住民が見つけて東北電力に通報した。出動した作業員がすでに感電死しているのを確認、付近の送電を1時間にわたり止め、3人がかりで地上に下ろした。体長1.4メートル、体重60キロ、3歳程度のツキノワグマで15メートルもある電柱のてっぺんの高圧電線に噛みついた格好で死んでいた。木登りは得意のクマといっても電柱の足場は人間の背丈以上のところからでこうした感電事故は極めて珍しいという。冬眠を前に深刻な食糧不足、電気自動車を真似てエネルギーを電線からという<電気熊>を目ざした、なんてことはないよね。
2010.11.18
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「おススメの文庫本を1冊だけ紹介して」と言われたら迷わず『パブロ・カザルス 鳥の歌』(ちくま文庫)を挙げる。スペイン・カタルーニャが生んだ20世紀最高のチェリスト、故郷を蹂躙したファシズムに音楽で抗した。人類が戦争の衝動から遠ざかるには子どもに対する教育こそが大切だと説いた。子どもが単語の意味を理解するほどに大きくなったらすぐ、ことばは奇跡を起こすんだよ、と教えるのだ。目のことを話したら、見えるってすごい奇跡だね、といってやる。話せるということがどんなにすごい奇跡かを説明してやる。私たちの手ってすごいね、とか。一つ一つの単語が素晴らしいことを意味しているということが分かれば、子供はみんな気づくだろう。『僕は奇跡だ。あの子も奇跡だ。だから僕はあの子を殺せない。あの子も僕を殺せない』演奏会の最後は故郷・カタルーニャに伝わる「鳥の歌」で締めくくった。鳥たちはピース=平和、ピースと鳴きながら飛んでいると。*『パブロ・カザルス 鳥の歌』(ジュリアン・ロイド・ウェッバー編、池田香代子訳、ちくま文庫)
2010.11.17
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「黄金分割した比率」をいうのはご存じだろう。正確には2:√5+1でほぼ1:1.618となる。もっと大まかにいえば「3対7」、ビールでも焼酎でもこれを<目安>にしている方も多いのでは!ビールの場合はグラスに注いだ時のビールと泡の比率。きめ細かい泡を味わうにはいったん注いだ泡が落ち着くのを待ってグラスのふちからゆっくりと注ぎ足すのがコツ、もちろん「7」がビール。焼酎はお湯割りの比率、私は米、芋を問わず7:3と決めている。
2010.11.16
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鳥に似たくちばしを持つ「カラス天狗」は剣術が得意で京都・鞍馬山で牛若丸に指南したとされる。そのミイラとして知られる和歌山県御坊市所蔵の「生身迦樓羅王尊像(しょうじんかるらおうそんぞう)」をCT=コンピュータ断層撮影=で検査したところトンビの骨で作られていることがわかった。くちばしだけを残し頭骨に粘土を盛って頭を造り、胴体や手足も同じく鳥の骨と粘土でできていた。高さは約40センチで小ぶりだが一緒に伝わった巻物には天慶4年(941)奈良・大峰山で修業中の僧が授かったという安産除悪の護符も残っている。使われたトンビは2羽分、紀伊風土記の丘で展示されるそうだから安産祈願がてら見学しては。
2010.11.15
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香川県三豊市のしいたけ栽培農家の作業場を焼いた火事の原因はなんとゴキブリだった。三豊署が所有者の男性(64)から事情を聞いたところ作業用の機械にゴキブリ数匹がいるのを見つけて駆除するためアルコールを撒いて着火した。ところが燃えたままのゴキブリが中から飛び出し建物の断熱材の裏側に逃げ込んで火がついたという。鉄骨平屋のしいたけ作業場500平方メートルを全焼したがゴキブリの別名はアブラムシ、油に火というか火に油というか<高すぎる教訓>ではある。
2010.11.12
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自宅郵便受けにポスティングされた食材宅配会社のチラシ。「おススメメニュー」に2カ所のミス発見!「鶏肉ときのこのバターじゅうゆ炒め」はまさか重油で炒めるわけはないだろうし「こくうまチキン」は正しくは「ごくうま=極うま」だから濁点の有無で大違い。<自分の手筋はさっぱりなくせに他人の指している碁は8目先まで読める>というところからきたという「岡目八目」だ。漢字などのミスも同じだよね、自分のはしょっちゅう見落とす。ブログでからかうヤツ(私?)もいるからまさに「他山の石」、心せねば。
2010.11.11
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きのうの「近江牛の宣伝秘話」の続き。昭和28年に東京への進出を賭けて近江肉牛協会が行った仰天宣伝プランはセスナ機からの牛肉投下だけではなかった。東京(芝浦)まで貨物列車で運んだ牛6頭を飾り立てた小型トラックに乗せ替えて銀座など目抜き通りをパレード、国会に到着すると正面玄関に6頭を勢ぞろいさせた。そこへ滋賀県選出で衆議院議長だった堤康二郎氏が公務の時間を割いて登場、牛の首に花輪=レイをかけて宣伝に一役買った。堤氏は西武グループの総帥だけにプリンスホテル、西武デパートはもちろん近江牛、各デパートも大丸、高島屋、白木屋は近江牛、三越、松坂屋は松阪牛と首都圏の人気をニ分するまでになった。白木屋では翌年、エレベーター故障を心配する慎重論もある中で屋上に近江牛17頭を上げて「競り市」を開催、終了後には3頭を売場に運びノッシノッシと歩かせて大きな話題になった。地下の食肉売場ではなく1階の「かばん・パジャマ売場」だったそうだが。その白木屋も消えて久しい。いまはご存じの人気スポット<コレド日本橋>だ。
2010.11.10
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『近江牛物語』(瀬川昌宏著、サンライズ出版)で見つけた近江牛の宣伝秘話。戦後の食糧難がまだ続く昭和28年、首都圏・東京に進出するために滋賀県の近江肉牛協会が考えた仰天宣伝プランだ。何と民間のセスナ機をチャーターして上空から落下傘をつけた牛肉を住宅街にばらまくという作戦だった。用意したのは1袋30~50匁(113-190グラム)の300袋。いまではとても考えられないが「牛肉を空からまいて都民のドギモを抜く」というこの作戦、選ばれたのは新宿界隈だった。無事?実行されたようだが拾った人の感想や宣伝効果についてはいっさい記録がないそうだ。
2010.11.09
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大阪の老舗寿司店と大手スーパー・イオンとの間で争われていた節分に食べる「招福巻」の商標権を巡る裁判がようやく決着した。最高裁が出したのは寿司店側の上告を退けるという決定だった。「05年以降、多くのスーパーでこの名称が用いられ<普通名称>になっていた」とした。1審の大阪地裁は寿司店側勝訴、2審の大阪高裁は逆転敗訴で最高裁はそれを認めたことになる。寿司店側は到底<承服>できないだろうけど。
2010.11.08
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南太平洋・パラオ諸島の海底洞窟で見つかった新種のウナギが2億年前の<化石種>とわかった。研究グループは「ムカシウナギ科」の新設を提唱しているが「科」の新設となると40年ぶりだ。このウナギは最大でも20センチ、茶褐色で全身が平べったく尾びれが独立してヒラヒラ動く。ウナギの仲間の共通祖先から枝分かれしたまま外敵がいない洞窟に潜んで生き延びてきた。なにせ2億年そのままだもの<ムカシ>には違いない!
2010.11.05
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京都・大徳寺の塔頭、真珠庵にある開祖・一休禅師の肖像画にアライグマが穴を開けているのが見つかった。一休禅師といえば「とんち」で知られるあの<一休さん>。肖像画は戦後、院展などで活躍した日本画家高橋玄輝画伯の作品で高さ2.5メートル、幅1.8メートルの上部、一休禅師の顔のすぐ横に爪の引っ掻き傷と穴があった。肖像画と立てかけられた壁の間に齧りかけの柿の実が落ちており庭の柿の木から実を失敬したアライグマが室内に侵入、肖像画の上で食べようとして傷つけたらしい。それにしても穴を横目に「アライグマを懲らしめるとんちはないのか」と問いかけているような八の字眉の禅師の表情が実にユーモラスに見える。
2010.11.04
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JRA日本中央競馬会が騎手のムチ使用にガイドラインを制定すると聞いていよいよ競馬の世界にも<動物愛護>の波が押し寄せたかと。スペインでは伝統の闘牛がやり玉にあがっているし。世界機構の国際競馬統括機関連盟が「国際基準」をまとめたのに準じてという。<過度なムチ使用>つまり馬を傷つけたり、わき腹や頭を叩くこと、着順が決まってからの追いムチなどが禁止となる。動物愛護の先進国・英国ではさらに厳しい規制があるといい武豊騎手らも騎乗停止処分を受けたことがある。来年1月からの実施だが<馬はムチ打たれるから早く走るわけではない>といえばそうだけど。「女王様、過度のムチ打ちはお止め下さいませ!」はまた別の世界か。
2010.11.02
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プロ野球のドラフト会議で中央大学の沢村拓一(ひろかず)投手が巨人から単独1位指名を受けた。栃木・佐野日大高出身、最速157キロの速球派右腕だ。原監督のコメントは「沢村君の指名は必然。かっての名投手(沢村栄治)と同姓で強い縁を感じた。きょうは100点満点」と。その沢村栄治投手をおさらいしておこう。1917年(大正6年)三重県伊勢市生まれ、京都商業学校(現・京都学園高校)の投手として33年春、34年春・夏の高校野球全国大会=当時は中学野球に出場した。34年の夏の大会終了後に中退して読売新聞社主催の日米野球の「全日本チーム」に参戦した。静岡・草薙球場で行われた「米・メジャーリーグ選抜軍」との対戦でベーブ・ルース、ル―・ゲーリックらを三振に打ち取るなど好投を見せた。試合は全敗だったが弱冠17歳の快投に米選手らは強い印象を受けた。同年暮に巨人の前身の大日本東京野球倶楽部に入り、初のノーヒットノーラン達成、タイガースとの優勝決定戦に3連投して初優勝に貢献した。37年にはプロ野球初のMVPに選出されるなど数々の記録を打ち立てたが3度目の応召となった44年、乗っていた輸送船が台湾沖の東シナ海で撃沈され戦死した。47年に巨人はその功績をたたえて背番号14番を永久欠番とし「沢村栄治賞」を創設した。草薙球場と京都学園に左足を高くあげてまさに剛速球を投げようとする沢村投手の銅像がある。めずらしく力が入ったけど<即戦力>の呼び声の高い沢村投手がプロでどんな活躍をするか注目したい。もちろん「沢村賞」を取ったらすごいね。
2010.11.01
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