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もう何年も実家に帰ってないなぁ、最後に帰ったのがいつかも忘れてしまった。そのうち帰る道順も忘れちゃうんじゃないんだろうか・・・なんて思ったり。いざとなったらナビに頼れば良い話だけど、そのうち車の運転も危うくなってきたりしないだろうか・・・なんて思ったり。そしたら電車で行くのもいいかもなぁ~加齢と運動不足で足腰弱ってなきゃいいけど・・・なんて思ったり。そうだ♪と、思いついてこの日、Googleマップで我が実家を訪ねてみる。今や散歩をする如く、ふるさと探訪できてしまうし、ラインなんてものを使えば遠くに住む知り合いの顔見ながらだって会話ができたりするんだし、贈り物をしたければ早ければ翌日には届くし、わざわざ遠出するまでもないんじゃなかろうか?!なんて、ものぐさは思ったりもするのだな リコリス(花言葉)【追憶 】そうだ、そうだ、我が御先祖の墓参りはGooglemap使えばできる場所にある。集落外れの一角にある集団墓地の道沿いにあるのが良かったのか、車一台なんとか通る道をGoogleCarは走ってくれた様で、 それに実家で墓の建て替えの際、道のある方角に向きを変えたこともあって。丁度継ぎ目で完璧には映りこんでなかったのが残念だったけど、それでもお陰様で墓参りした気分にはなれたりするのだなぁアリガトウゴザイマス 大銀杏と・・・ posted by (C)くろすけcat (イメージ)ものはついでってことで、実家に帰った時の散歩道をGoogle歩きする。子供の頃、よく遊んだ川も帰省する度に変化していたけれど大好きだったニセアカシアのある土手沿いの道も家族で行ったシジミが沢山採れた小川も消え失せて寂しい気分が押し寄せて来る。いつまでも同じ景色がそこにあること自体が常ではないのだから記憶の中で懐かしむことが増えていくんだろうなぁこの歳になっちゃうと。中学校まで1キロもない道・・・途中に実家の田畑が見える。祖母が生きていた頃は二毛作して芋も植えてけっこう通った道でもあるが実家を継いだ妹の話では「田んぼは貸している」と聞く。そういえば、この道初恋相手の数メートル後ろをちょこまかついて歩いていたな。小学校4年から中学3年まで初恋は告白しないままジミな初恋で終わった。と、思ったら初めて行った同窓会で久しぶりに会った初恋相手にあからさまに「○○○、お前俺の事好きだったろ!」なんて言われた。(「コイツ、何を根拠にどうやってホントのことを知った?!」)アタフタした気持ちは覚えているがそのあとどう返したかは記憶の彼方にあって思い出せない。何故か相手の事は幼稚園の頃から知っていて、園内でケガして救急車騒ぎになったのまで覚えてて小学校の頃は相手の事をおちょくったり、追いかけまわしたり中学校に入った途端、別人になった様で遠くから見るだけの人になった。それでも日記帳には相手の事が書かれてて、三浦友和氏並みに好きだった様だ。中3だかで「Oさんが彼女」なんて噂を聞いて号泣した。初恋の終わりを感じた・・・確かアイツんち、家を建て替える前は赤い瓦屋根だった。公道から見える場所から何度か眺めていた。電話も1度だけ・・・同窓会の事で幹事ってことで連絡入れたが留守。お母さんが出て、私の事を知っていたのが驚きで長男と同じ大学入学していたっていうのも驚きで驚きは嬉しかった。小学校じゃ休み時間は追っかけまわし、(多分、好きな相手をいじめたり、かまったりしたかったんだな)アンケートと称した遊びを作り個人情報を入手(男子に好きな食べ物、色、歌手など紙に書かせ、話ネタにする遊び)中学じゃ部活動を眺めたり、帰宅方向が同じなので後ろ姿見ながら歩くとか・・・今で言うちょっとしたストーカーまがいな行動をしていたが今もって、帰省すると初恋相手の家を経由しての散歩をしていたり。相手にバレなきゃストーカーじゃないもんね♪と、思ったり。
2024年09月24日

夜の帳が下りる頃、勤務先の駐車場に車を停めて徒歩1分程の場所にある会社に繋がる横断歩道に向かう。この日もいつも通り青信号に変わって直ぐにそそくさ渡って行くと私の目前を、スピード落とす様子でもなく勢いよく白いSUV車が通り過ぎて行った。人で言う目の前ギリギリ、馬で言う鼻先スレスレだったので横断歩道の真ん中辺りに腰を抜かすまではいかないでも、ビックリしすぎてしゃがみこんでしまった。心臓が止まるもでもないが、バクバクがおさまらない。私があと一歩前に足を出してたらきっと救急車案件になっているんじゃなかったろうか。車を運転していて他人を轢きそうになることは、私としてはこの40数年全く無かったとは言い切れないが、今の私の様な状況を起こしたことは無い!横断歩道の真ん中でしゃがみこんだままいたらそれこそ轢かれてしまうので、横断歩道を渡り切った場所で心臓を落ち着かせていたトコロに「過失運転致死傷罪になり損ねて良かったであろう人物」が来る。右方向に走り去ったかと思ったSUV車だったが、近くの安全地帯に停車していて小太りの白いシャツの中年男が申し訳なさそうにいた。「大丈夫ですかぁ?全然見えなかったもので、すみません」「大丈夫です、ケガもないし、気を付けて帰って下さいね」なんて自然と口から出てしまう。内心は・・・「ドッコに目つけて運転してんの!死ぬかと思ったわよ!!」と、怒鳴ってやりたいと思っていたのに。驚き過ぎて怒りの方が先に昇天してしまった。(8月29日のこと) ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● 最近、50歳以上の人を対象に帯状疱疹予防のワクチン接種が可能になったとかで帯状疱疹のCMが流れているのをよく見かける。帯状疱疹とはピリピリとした痛みと赤い斑点や水ぶくれが帯状に現れる水ぼうそうと同じウイルスで起こる皮膚の病気。日本人成人の90%以上が原因となるウイルスが体内にあり加齢や疲労、ストレスで免疫機能が下がると、ウイルスが活性化して帯状疱疹を発症する。体の左右どちらかの神経に沿って、痛みを伴う赤い発疹と水ぶくれが多数集まって帯状に生じる。50歳代から発症率が高くなり、80歳までに約3人に1人が発症する。(グラクソスミスクライン(株)HPより抜粋)30代後半の次男が頭から耳の辺りにかけて帯状疱疹ができて病院に行くことがあった。次男「水ぼうそうにかかったことのある人なら 誰でも帯状疱疹になる可能性があるんだってさ」私 「子供の頃に水ぼうそう?! ったって・・・ 麻疹と風疹になった記憶はあるけど 子供の頃の事なんて親に聞いても覚えてないでしょ、生きてたって。 私も自分の子供のことだって微妙なのに」なんて話をしたのは去年の3月、次男コロナに罹った後に帯状疱疹になった時の話。さて、話変わって・・・9月のこの日。気まぐれに、ちょっと買い物に行くのに普段履かない靴を履いたせいか足の土踏まずの辺りと甲の部分にスレた痛み。水膨れにもなったのはそう、何年ぶりかにやらかした靴ヅレのせいだと思っていたが何かおかしい。赤くなる面積が広すぎて、おまけに湿疹も現れて翌日に一番痛いトコロが合体した血豆の様になって、歩くのもびっこを引くようになった (靴擦れだと思っていた9月4日から5日後の画像) 水膨れを潰さないように、ガーゼ当てて包帯巻いたり注意していてこの状態治ってきてるのかなぁ、と思っていたら膝の裏脇辺りから湿疹がぽつぽつ出始めて何やらチクチクちくちく針先で軽く突かれている様な痛みが数日続くそのうち股関節までかったるい。 病院嫌いの私が自己診断し易くなった今の世の中に感謝すると共に、私は声を大にして叫びたい。「コレって帯状疱疹じゃん!!」空では積乱雲が連続して発生し、上空の風の影響で帯の様に連なると線状降水帯となって各地に被害をもたらしている。かたや私の足には水ぼうそうが連続発生し、ストレスの影響で帯の様に連なり帯状疱疹となって日常生活の足を引っ張ることになった。治る間際には、一番重度だった足の裏が痒くてカサブタをはがさない様に我慢するのが大変だった。(気にならなくなるのは2週間弱、痕が消えるのに時間を要す) ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ストレスなんて簡単なモノならナンとか払い除けちゃう私なのに今回降りかかった難題はこれまで以上に無い大がかりな事で。事の発端は8月に起きた震度5弱の地震!!と100均運勢暦がよく当たる今年本厄の長男の影響?!が重なってか?!膨大なストレスが襲い掛かってきている気がしてならない。長男が言う・・・「オレ、神仏とかそういうの信じてないんだけどさ、 さすがに神社に行って手を合わせて来た」現実主義的な長男にココまでさせる今年の出来事は容易には片付けられない。
2024年09月23日

群馬に住むたった一人の妹が還暦を迎える。妹と共に暮らしたのは私が20歳で駆け落ちした日まで・・・だから17年程。最後の最後に、当時高校生だった妹に家からこっそり抜け出す手伝いをして貰った記憶がある。「総領の甚六」なんて当時からチラホラ言われていた私。勤め先の会社の跡取息子(亡夫)との交際がバレて跡取息子(亡夫)の母親に問い詰められ、父にも猛反対され、結局「家を出る」という強硬手段を取った。(頑固で厳しかった父を説き伏せる努力も自信も無かったくせに「家出」という卑怯な術(すべ)はあった、馬鹿な私)結局、その後実家の事は妹に押し付けることとなる。私がするべきことを、姉妹二人でやるべきことも放棄。まさに「総領の甚六」、跡継ぎになるはずだった長女は「甚だしい(はなはだしい)ろくでなし」となった。家を出た段階で、親の死に目にも会えない、本当なら妹には姉だなんて思って貰えない立場のはずだった。(家出は1年程で終わり。夫の実家に帰るカタチで出産、結婚。家出して実家に戻れない状況は私的には暫く続いたものの・・・省略)話せば長いんだだから、姉らしいことを妹にしたのかどうかはその短い17年の間だけなんだろうと思う。 妹との思い出はこの歳になるとけっこううろ覚えになったり忘れてしまっている事が増えてしまうのがちょっと寂しい。いまだ記憶に残る事と言えば・・・私が小学校1年の時の集団登校で一緒について来てしまい親が迎えに来るまで校長先生にお世話になったこと。外遊びの最中転んで石に当たったのと、妹の同級生の悪ガキ男子に石をぶつけられたのとで、2度程頭からの流血騒ぎがあった。幼少期真っ赤なほっぺして・・・母に体質似てるのか⁈鼻血もよく出る子だったなぁ「キューピー」とか「でこっぱち」とか似てたからそう呼ばれてたこともある。近所の意地悪姉弟にイジメられて二人で泣いて帰ったこととか。縁側に座ってスイカやゆすら梅の種飛ばしとか。漫画は単行本化されてから買う私は、妹が雑誌で買う派なのでついでに読ませて貰ってたっけ・・・お互い『便りが無いのは良い便り』って思うタイプらしくよっぽどじゃない限り連絡はしない。妹はどう思ってるか分からないけど「自分にはたったひとりの妹がいる」っていうだけで、交流が少なくても心の片隅に「最後の支えがある」って気になっている。今の私はいい歳した息子達と子離れできず、私自身まだまだ半分子育て終わってない気でいるから、いつか本当に自分だけの時間ができたら妹と語り合ってみたり、交流の機会増やして残りの人生楽しみたいなぁ 還暦のお祝いには赤いもの・・・義理の父母は親類縁者呼んで盛大に還暦のお祝いをしてお決まりの赤いちゃんちゃんこと帽子で記念写真がバッチリ撮ってある。赤くなきゃダメなもんでしょうかね???噂に聞いた赤い下着(パンツ)はさすがに遠慮したいトコ自分が好きだからガラス系で赤い切り子のグラスやらステンドグラスやガレ風スタンドなんて探すも、趣味の押し付けみたいだし。前々からチェックしてた日テレの「ぶらり途中下車の旅」で登場した気になる店の商品いくつも良さそうなのがあったって、手に入りそうなものがなかなか無い。そんな中でも横浜元町に本店を構える「近沢レース」でたまたまシーズンタオルハンカチで赤いタオルハンカチ「りんご」を見つけた。おまけで「洋梨」も♪自分が買っては勿体なくて使えない可愛さ美しさでコレクションしたい程物欲ひたすら抑えている逸品。私は観賞用だろうけど、妹にはバックの隅に入れといて欲しいかな しかし、プレゼントの本命にしてはちと弱いのでもうひとつ、ネット検索して辿り着いたのが佐賀県有田町にギャラリーを置く【土の器】唐津焼、有田焼などの窯元、作家の作品を紹介しているこのギャラリーでひと際私の目を惹いたのが色彩豊かに描かれる濱田高滋氏の作品。一つ一つ丁寧にロクロ挽きから、絵付けまで完全な手作り、手描きにこだわり作陶するという濱田氏。 筆先の動きが見える様な波模様に咲く赤い蕊の桜が美しくも可愛らしい桜好きの私からのプレゼントにはモッテコイ♪滑らかな肌触りと手に馴染む大きさにも感激する品だった。陶器市にも行く程焼き物好きらしい妹に喜んで貰える逸品かなと思いつつ美味しくご飯食べて、身体に良いもの飲んで私よりも元気で長生きして欲しいなぁ
2024年09月11日
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