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1つ年下のダウン症児にケリを入れ、髪を引きずり回す保育園生活には、突如、終わりが訪れた。それは、ある出来事がきっかけだった。そのきっかけは、結論から言えば、あぁ、こういうのってどこかで聞いたことあるよね、という程度の、ありふれたものでしかない。今、振り返っても、その可能性はおおいにありえるから、狙ってやってみることも可能だったかな、とまで思う。が、当時の私は必死だった。必死に娘と向き合い、娘から送られるシグナルに忠実に応えていった結果が、この結末であり、それ以上でもそれ以下でもない。案外、世の中で使い古されているエピソードは、こうやって、それぞれの家庭が、それぞれ必死で歩んできた結果が積み重なったものであって、ある事例を実験的にやったことによっての成功例を集めた集計ではないのかもしれないな、と考えさせられた、そんな貴重な出来事であった。それは5月下旬のことだった。1ヶ月近くが経とうとしても、娘は、ゆめ(仮名)ちゃんの首に抱きつくことを止めようとはしなかった。それどころか、1つ下の、もう一人のダウン症の男の子にまで、同じことをやりはじめた。当初、抱いた発達への喜びも、この時期になると影をひそめ、ただただ、申し訳なさと恥ずかしさでいっぱいになった。1つ年下の、それもダウン症の子どもばかり。弱い個体への攻撃は、まるで、私が家で娘に対してやっていることをそのまま、ストレス発散としてやっているように思われたら、と、自分の身までいやらしく考えるようになった。いや、もう少し正確にいえば、ストレス発散としてやっているようで、見ていて辛くなってきた。逃げまどうダウン症児の表情は、まるっきり去年までの娘の怯えた表情と同じで、どちらが娘で、今、自分が押さえている子どもが去年まで娘を追っかけ回していた子どもたちのように思えたりして、なんだか分からなくなった時もあった。そんな5月下旬の土曜日。障碍児関係の集まり、さくら(仮名)会で、動物園に行った。食事も終えて、動物園の一番奥にある、小動物を触れるコーナー「わんぱく園(仮名)」に向かって歩きだしたのだが、どの子どもともなく、大きな遊具があるコーナーで、それぞれ遊び出した。親も話がしたかったため傍らに腰を下ろし、話しはじめた。時間はあっという間に過ぎ、「わんぱく園」へと向かう、大きな橋の手前まで来た時点で、何人かの子どもが昼寝をしてしまったり、おやつを食べたがったりした。オープンカフェのようになっている所で腰をかけ、かき氷など食べているうちに、もう「わんぱく園」へ行くのは止めよう、ということになった。娘にそれを伝えると、娘は敢然と拒んだ。家を出る前に、動物園のイメージを膨らませてから来たのだが、その際、「うさぎを抱っこしようね」と言ってあったのだ。「うさぎは?うさぎ抱っこは?」娘は怒ったような表情で私を見上げ、絶対に行くと、首を横にふる。私は面食らった。正直、家でその話をした際は、そんなに乗り気とも思えなかったのだ。それどころか、話も聞いているのか、よく分からないような表情だった。何より、娘が、こんなに何かにこだわって、主張することなど、本当に数えるぐらいしかなかったのだ。なんとなく、娘に導かれるように私はその場で皆に別れを告げて、娘と二人、「わんぱく園」に向かう橋を渡っていった。「わんぱく園」は、あと30分で閉園のせいか、人がほとんどいなかった。労なく座り、娘を待たせて、私はカゴの中にいっぱい戻されているモルモットを覗き込んだ。モルモット、ということは予め分かっていたのだが、語彙が少ない娘のために、あえて『うさぎ』と説明していた。私は、1匹だけいた、白い毛で赤い目の、ウサギのようなモルモットを抱き上げると、娘の元へ連れていった。娘の横へ座り、自分の膝に乗せると、娘は、自分の膝に乗せて、と、身体を伸ばし、足もきちんと揃えて場をこさえた。私は、半信半疑で、そーっと娘の小さなスペースにモルモットを置いた。すぐに娘は、半泣きの、声にならない声を挙げ、モルモットをどかさせたが、また、すぐに自分の膝を用意した。それを何回か繰り返した後、モルモットを膝に乗せてじーっと動かなくなった。どれくらいそのままでいたのだろう。娘は意を決したように左手を動かすと、モルモットの背中にそっと置いた。モルモットがピクリとすると、娘の肩も小動物のようにピクリと動いた。何度かそれを繰り返すと、今度は右手で優しく包みこむように支え、左手で、毛並みをなではじめた。私は、全く自分でも考えもつかなかったことを思わず口走った。「『うさぎ』あたたかい?」娘はモルモットから視線を外さないまま、コクリと首を下げて返事をした。「『うさぎ』小さいね。」娘は同じように、またうなずいた。「ぎゅーってしたら、きっとつぶれちゃうね。」またうなずく。「ゆめ(仮名)ちゃんも小さいから、きっとつぶれちゃうね。」娘は少しだけ顔を上げて、私の存在の方に顔を傾けた。が、視線はやはりモルモットから外さないまま、今までよりも大きくうなずいた。そんな気がした。夕暮れの柔らかなオレンジの日差しが伸びて娘を照らし暑くなってきても、係員の人に声をかけられるまで、娘はずっと、じーっと、『うさぎ』を抱き続けた。その日以来。私は、娘がダウン症の二人の子どもに手を挙げている姿を見ることはなくなった。保育士からも、そんな連絡を受けなくなり、そして、今では全く、そんな話は聞かない。代わりに、また、問題が出てくるのだが、何か、この話につながっているような、この件を乗り越えた次のステップのような、そんな問題が発生してきた。でも、この日。この瞬間の娘の姿を、私は一生、忘れないと思う。
2006.07.12
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4月。年少になって、まず問題になったのは、娘が『年少の教室』に居たがらないことであった。今までは、1つ上のお兄さんお姉さんの教室。今日からは自分の教室。何かあっても、すぐに脳までの回路がつながらず、反応の鈍い娘にとって、こういう切り替えは苦手であった。少しでも間があれば教室を脱走し、以前の、『2歳児の教室』に走りこんだ。が。そこには、新しい2歳児が当然いる。娘の発達年齢からすれば、娘が彼らと共鳴するのは無理からぬことだった。お迎えに行けば、常にいるのは2歳児教室。園庭で遊べば、2歳児クラスの集団と共に行動する。そのうち、担任よりも、2歳児クラスの担任から、今日の報告を受けるようになってきても、娘が楽しければそれで良い、と、思っていた。園の方も全く問題視していることなく、もともと異年齢交流の多い園であるため、「△△(娘の名前)ちゃんのおかげで、今年の年少と2歳児さんは仲が良くて、一緒に遊ぶことが多いんですよ~」といった風だった。が、5月。事態は一変する。何か、大きな出来事があったわけでもないし、園や保育士や保護者からクレームがきたわけでもない。が、方々からの話を総合していくうちに、新たな局面が見えてきた。娘が、2歳児クラスにいるダウン症児の首を羽交い絞めにしている、というのだ。何故、問題として私の耳に入ってこなかったか、と言えば、娘の行動が意地悪を基にしたものではなく、愛情から逸脱した行動であったから、と思われた。2歳児クラスに出入りしているうちに、自分よりも明らかに幼く見える、1つ下のダウン症児に対して、姉き分としての慈愛の情が芽生えたらしく、ぬいぐるみを抱きしめるごとくに、抱き潰す。で、それを阻止されると、その阻止が、「ゆめ(仮名)ちゃん、痛いって泣いてるけど、いいのかなぁ」というような婉曲なものでも、がーっとキレて、ゆめ(仮名)ちゃんに対して、髪を引っ張る、蹴りを入れる、胸ぐらを掴む、といった暴挙に出る、という。私は当初、その話が信じられなかった。何故ならば、娘は『人生オール負け』の人で、イキが良ければ0歳児相手でさえビクビクと相手の突然の行動に怯えて謝ってしまう、そんな子どもだったからだ。2歳児クラスに通った去年1年間。私は何度も、そんな場面に出くわし、その度に、療育所ではなく、通常の保育園に入れた自分の判断を、何度も何度も疑い心を痛めてきた。そんな娘が、だ。現場を見た瞬間は、本当に本当に驚いた。見たこともないキレた表情を浮かべて、ガンガン蹴っていたのだ。私は現場を押さえ、すかさず、娘を強く言い聞かせてみた。ぎゅっはダメでしょ、△△(娘の名前)もやられたら嫌でしょ。娘を羽交い絞めにして、その痛みを教えた。これで、今まではオッケーなハズであった。が、全く効果がない。私の前では「うん」と一応、言うが、園に行けばやっぱり同じ。私は、総毛立つのを感じた。娘は明らかに成長している。自己主張が強くなり、また、昨年1年間、全くといっていいほど手応えがなかった、人間関係、というものを、今、築こうとしている。反応は鈍いがプライドの高い娘にとって、1つ年下のダウン症のゆめ(仮名)ちゃんが、きっと、最も人間関係を築きやすい相手だったのだろう。そして、まず、1歳児の子どもの発達段階にあるような、自己主張の手段としての噛みつき、を相手にしているのではないか。私は、まず、ダウン症児ゆめ(仮名)ちゃんの母に謝った。地域の障碍児社会は狭い。同じ保育園に通う前から、お互いのことは、知人の知人の知人位には大体当てはまる。常日頃の交流もあり、問題はなかった。また、園や保育士にも謝った。こちらは逆にやりがいを覚えている風で、「ぎゅっとする代わりに、一本橋こちょこちょ~をしてあげたら~と言ったら、やってくれたんですよ~」「今日は、他の子どももやってほしい~と△△(娘の名前)ちゃんの前に並んだものだから、すごくお姉ちゃんの顔になって輝いてましたよ~」と、こちらが恐縮するほど、気長に手厚く対処してくれた。そんな恵まれた環境の中だからか。私は、表面上は常に頭を下げていたが、心の奥では、期待感で満ち満ちていた。娘が変わろうとしている。一つ、天井を突き破ろうともがいている。私はどんな手助けをしてあげたらいいのだろう。転職と引越しとで慌しかった5月。娘の成長の兆しが何よりも励みであった。
2006.07.10
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七転八倒の葛藤と並大抵ではない苦労をへて、障碍のある娘を『発達支援』のために入園させてから、早1年。娘も今年、年少になった。入園した2歳児の1年間は、知的面運動面の成長よりも、むしろ、身辺自立の発達が主で、友達との関係を築くよりも、保育士や、保育園生活自体との関係を確立し、安定した生活を送ることで精一杯だった気がする。それは何も、娘に限ったことではない。私も、精一杯だった。居心地の良い福祉というぬるま湯を出て、入った保育園という世界。仕事をしながら『普通』の子どもを育てている母親たちに交じって、仕事をせずに、園と並行して、2ヶ所の言語レッスン、3ヶ所の定期通院のスケジュール管理しながらも、入園したばかりで病気ばかりする娘の体調管理、入院の付き添い、と、さながら、娘のマネージャーを生業とする毎日。活き活きと仕事をする彼女たちを妬ましく思ったり、共通の会話をひねり出すしんどさも味わったり、明らかに他の子どもより遅れている娘を目の当たりにして、本当にこの選択で良かったのか、と、悩んだり、保育園の娘への対応に疑心暗鬼になったり、季節ごとにやってくるイベントなどの保育園の行事、密度の濃い父母会の集まり、と、目まぐるしい1年を過ごしてきた。そして、2年目の年少の年。娘の成長と共に、また、私の余裕と共に、今までとは明らかに違う面や、成長や、問題が娘に表出してきた。それらを記録として、少し、書き残していけたら、と思う。何のためかは分からないけれど。
2006.07.08
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赤ちゃんが出来たからであろうか。娘が赤ちゃんの真似をするようになった。自分のことを指差しながら、「この子は赤ちゃんなの。」と言い、抱っこをせがむ。娘を抱き寄せようとすると、違うの、といい、横抱きにして欲しい、と乗り込んでくる。食事中もパタっと自分で食べるのを止めて、「あーん」と食べさせてもらおうとする。従弟が置いて帰ったおしゃぶりをしゃぶり、「あーん、あーん」と泣き真似をしたりする。私は、そんな娘を自分の膝に導く。重たい頭を腕に乗せ、額に額をくっつける。長い足を二つに折って、小さくして自分の身体にすり寄せる。娘は、私にそっくりの眉毛の、左の方をきゅっと上げて薄目を作って私をこっそり覗きこむ。そして、満足したように口元を緩ませて微笑んで、わざときつく目をつむって、抱かれるがままになっている。『育て直し』という言葉が確かあった。今、私は自分の子どもを自分で『育て直し』ているのだろうか。あの頃。娘のことよりも自分の身の安泰だけを考えていた分、手っ取り早く言うことを聞かせるために恫喝していた分、手を挙げていた分、存在自体を愛してあげていなかった分、の『育て直し』の機会を娘からもらっているのだろうか。それとも、転職し、引越しした不安や、妊娠したことによって生まれた新たな悩みや、悪阻や、今、抱えている夫の実家とのトラブルのことや、娘の就学問題のことや、腹の立つ、あんな問題や、怒り治まらぬ、こんな事件や、悲しみ止まらぬ事たちや、悩み尽きぬ事たち、から、私を解放してくれているのだろうか。娘と鼻を擦り合わせている時間だけが、全てから解放させてくれて、今の私を救ってくれている気がする。おかしなものだ。怒りも悩みも悲しみも不安も、娘絡みのものばかりだというのに。
2006.07.07
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