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なんだかバタバタとしている間に、夫の実家へ5日ほど行く展開になってしまいました。今、娘を連れて新幹線の中です。 書き込んで下さった方へのお返事、もう少しお待ち下さいね。 また、発達のお話をしてくれた先生のことと彼の著書も、帰ってから書かせていただきたいと思っています。 では、また皆さまとお会いできる日を楽しみに… pms
2006.02.17
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先日、書かせていただいた、とある、ろう学校教師の講演会。定年間際とはいえ、現役の教師を続けながら、あちらの講演会、こちらの学校へ、と、彼が東奔西走しているのには訳がある。それは、特別支援教育に対する危機感だ。今日は、それを少し、書かせていただきたいと思う。子供の発達に重要なものは3つある。『その子の発達段階や精神状態に合った集団』『その子が、今、まさに興味をもとうとしているような、適切な文化』『その子の主体性』これらが出会ったとき、子供は一つ、成長する。子供の脳は柔らかいので、教えこもうと思えば、なんでも覚える。が、そこに概念が伴っていなければ、それは猿真似に過ぎない。だから、子供の発達を支援する側の仕事と言うのは、言葉を繰り返して、それを言わせること、ではない。その子に合った集団を用意し、適切な文化を見極め、そして与え、主体性のない子供には、まず、それを与えるように自信をつけさせること、である。それら仕事は、前者よりも大変であるし、親にとっても、目に見える成果がなく、辛い時間である。まだ、猿真似でもいい「こんにちは」と言ってくれた方が、気持ちが落ち着くかもしれない。しかし、その3つが備わったとき、子供は急激な伸びを見せはじめる。その瞬間が、教師にとっても、親にとっても、何よりのご褒美になる。特別支援教育とは、障碍児も全てクラスに編成し、体育や音楽、給食など、クラスで参加できることは参加し、学習で参加できないときに、別クラスで指導を受ける。そこに、軽度発達障碍の子供など、特定の科目に支援が必要な子供などが参加する。それでは、クラスのメンバーが常に変わってしまう。主体性の乏しいタイプの障碍児は、更に自分が出せなくなってしまい、変化が苦手な子供にとっては落ち着く場所がなくなってしまう。したがって、発達に重要な3つのうちの集団を整えることが難しくなる。どんなに適切な文化を出そうと教師が苦労しても、主体性と集団の力なくしては、その効果は出なくなってしまう…特別支援教育について、私は詳しくは分からない。言い訳をするつもりで言えば、就学までに時間があって、まだピンとこないのが現状だ。が、彼が最後に話してくれた、運動会の一場面を聞かせてもらって、こういった空間がなくなってしまうことは、障碍を持った子供にとって残念なことかもしれない、と思った。そして、涙が止まらなかった。気付けば、隣に座っていた一緒に行った保育園の主事も泣いていたし、会場全体が涙の熱気に覆われていた。ろう学校の運動会の最後は、毎年、紅白リレーでしめられる。今年の白組のアンカーは、重複学級の海(仮名)くんであった。海くんは難聴と自閉症を合わせもつ男の子で5年生。重複学級ではダントツに足が速い子であった。ただ、真っ直ぐ走れたためしはなく、気になることがあるのか、いつもコースの外へと走っていってしまうのだった。本番ではコーナーごとや向こうストレートに教師を配して、のぞむことになった。今年の運動会は、異例なぐらい白熱した。紅白の点数は抜きつ抜かれつ。決着は最後の紅白リレーの結果に持ち込まれた。スタート。が、リレーまでもが大接戦。混沌とした状態でアンカー勝負へ。白組が少しリードを保ったまま、バトンは自閉症の海くんに手渡された。赤組のアンカーは通常学級(難聴児だけの学級)6年生の大地(仮名)くん。身体も大きく、足もズバ抜けて速い。抜かれるのは時間の問題だし、何より、海くんはコース通りに走れたことさえない。場の空気は盛り上がりながらも、教師や保護者にも、暗黙の空気が流れていた。ところが、どうだろう。最初のコーナー、向こう直線に入っても、リードが全く縮まらない。場の空気がどっと変わる。拍手が鳴り響き、海くんの応援をする声が湧き上がる。最後のコーナーに入って、海くんと大地くんの距離が、少し縮まったかのように見えた。その時。教師や海くんの保護者が目を疑うことが起きた。ゴール直前。海くんがスピードを落とさないまま、後ろをチラリと振り返ったのだ。練習では1回もコース通りに走れなかった。そんな海くんが、教師の力を借りずにコース通りに走り、かつ、勝利を意識して、自分以外の人、大地くんが駆けてくることを意識して後ろを振り返った。これが集団の力、と、言わずして、なんと言うだろう。そして、そのまま海くんが1着でゴール。その瞬間、母親からとも教師からともなく手を取り合い、思いっきり笑い、そして泣いた、という。『子供は発達の主体者』という言葉は、衝動にかられて、その場で氏の著書を買い、サインしてもらった際、(こんなミーハーなことは生まれてはじめてでした)氏がサインと共に、したためてくれた言葉だ。あまりにも深くて、私などには、とても解釈を垂れられない。何かにつまづいたとき、悲しいとき、辛いとき、怒りに震えたとき。氏の著書の表紙をあけ、書いてくれたサインを見る。そして、また、その言葉の意味を考える。もしかしたら、その言葉の真の意味が分かるのは、娘が私の手元から遠く離れていってしまってからかもしれない。
2006.02.05
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「子育てに育児書がないのは、皆、一緒よ」と、どこかの、子育て相談のおばちゃんに言われてしまいそうだが、『娘の育児書が欲しい』と、ずっと思っていた。確かに、子供それぞれに個性はある。だから、育児書と全く同じに育つ子供はいない、と、そういう意味であろう。が、そうは言っても、指標にはなる。ハイハイしたら、次は歩く。1語文を話したら、次は2語文。なんだかいきなり泣きだしたが、もしかしたら、これが人見知りかなぁ、など。確かに、娘にも当てはまることもあって、そういうところは指標にしてきたが、最も知りたいような部分については、その指標は載っていない。玩具を取られたら取られっぱなしなのは、個性か、発達遅滞か。なんだかグチュグチュといっぱい話すのは、きちんと話していることが不明瞭なのか、それとも、意味のないことが口から出ているのか。友達と関わっていけないのは、個性か、発達遅滞か、自信の無さか。今後、手術はどのように推移していくのか。保育園の保育士さん。言語治療の先生、数名。小児科の医師。耳鼻科の医師。口腔外科の歯科医師。発達検査の児童相談員。誰に、どれを相談していいのか。次第に、何をどのように聞いていいのか、聞き方まで分からなくなってくる。そんな中。とうとう『育児書』の1ページに出会えたかのような経験があった。とある、ろう学校の教師の講演会を聞きにいった時であった。本を数冊出していて、お話も感慨深くて、とても良い先生なんだけど、と、娘の保育園の主事に誘われて出席した。もう昨年になる、11月のことだった。講演会と言っても、そんな大規模なものではなくて、30人ほどが出席していた。椅子に座ることなく、大きな身振りと、大きな声と、温かい笑顔と、真剣な眼差しと。1時間があっという間に感じた、私史上、3本の指に入る、心に残り、且つ、得ることの大きい講演だった。ここで、その内容を一つ一つ書いていては枚挙に暇が無いので、私が、「これぞ娘の育児書の1ページ」と思った内容にだけ、ほんの少し触れたいと思う。言葉の発達やコミュニケーションの発達(*注)に大切なのは、まず、そうしたい、と思う、『主体性』を育てることだ。そして、その『主体性』をのびのびと発揮することができる『集団』を整えること。そして、今のその子に合った段階の『文化』を与えてあげること。この3つが整えば、子供は無理なく、自然に伸びてゆく。例えば、娘の場合。「1,2,3」と数が言えるようになっても、そこに、数の概念が無ければ何の意味もなさない。そうではなく、例えば、娘がノビノビと自分を出せるクラスという『集団』で、おやつの時間に、クッキーを3つづつね、と言われて、自分で取ることになった。その、「3つ取る」という『文化』がたまたま、娘の興味と合致し、「私も3つ取りたい」という『主体性』が生まれた、そのとき。娘は自然と、数の概念を3まで習得することが出来る、と、そんな話である。もちろん、こんなことは、障碍のない子供であったら、自然とバランスよく習得していく話である。が、バランスの悪い娘のような障碍児には、こういった発達段階を分析して、スモールステップを作ってあげる。まさに、私が、なんとなく頭で考えていたことだったので、飛びついてしまった。講演会が終わっての質問で、私はどうしても聞きたいことがあった。親が『集団』を間違えないで選定してあげれば、自然と『文化』はついてくる。が、『主体性』をどうやって育てたらいいのか。娘は、まさに、以前、知的障害児を指した表現、『精神薄弱児』という言葉がそのままで、主体性に欠けるんです…。なんだか、最後は涙声になってしまった。理論的に話せなかったと思う。が、先生は、ゆったりと笑いながら、こう答えた。障碍のある子供と言うのは、自分では何も出来ない、と、思っている子供が多いんですね。だから、自信がない。外遊びがいいですよ。たとえ、石段一つ飛び降りるだけでも、達成感が味わえる。自分一人でやったんだ、と自信になる。そういった小さなことを積み重ねていくうちに、主体性が育っていきますよ。「焦らないで。」「△△ちゃんのペースで確実に成長していってますよ。」そんな言葉以外の具体的な指標をもらえたのは久しぶりだった。彼の発達理論も、そのためにやるといい、と言った指示も、私の心にどーんとストレートに入ってきた。そして、それ以後、そのことにだけ努めて気をつけてきた。他のことは手を抜いても、例えば、保育園の帰りに、娘が何かによじ登ることに夢中になって繰り返しはじめたら、そこだけは気長に付き合うようにしてきた。その成果があったのか。最近の娘は、主体性著しく、うるさいくらいになった。玩具は取られても取られっぱなしだが、あっちに行く、これがしたい、ここで食べたい、などという事には、本当に驚くほど、こだわるようになってきた。そう。どうして、暦も前のものの11月のことなどを思い出したかと言えば、だ。今日、些細なことで娘を怒ってしまったからだった。本当につまらないことで、書きたくないくらいつまらないことで、手に持っていた、今から封を切ろうとしていた箱ティッシュで頭をはたいてしまった。火がついたように泣き出す前に、「ママぁ~」と、一瞬、不思議そうな顔をして私を見上げた。ママ、どうして。ママがやったなんて嘘だよね。ママ、大好きなママだよね。そんな風に物語っているように感じたのだ。今まで、そんな物が分かったような表情や、言葉を発することはなかったのに。こんな風な娘になって欲しくて、今まで、二人でやってきたのに。ようやく、最近、芽がではじめて、自信にみなぎった行動が多くなったのに。手に持っていた箱ティッシュは、裏面にあるミシン目から真っ二つに割れて、中のティッシュが見えていた。なんだか、それが私と娘の気持ちに見えてしまって、涙が溢れでた。娘が私を気遣って、褒めてもらおう、と、自ら歯磨きをしたり、愛想笑いをしたり、気をひこうと歌を歌ったり、顔色をうかがっているのが痛いほど分かって、いつまでも涙が止まらなかった。*注彼は、重複学級といって、難聴のほかに、発達遅滞やコミュニケーション障碍など、他にも障碍がある子供と長年かかわってきた
2006.02.02
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子供が出来ない。子供が出来ない、という状態が、こんなにも自分にストレスになるとは思わなかった。思えば、私はそんなに乗り気ではなかった。娘を連れて、あちらこちらの病院へ通院、あちらこちらの療育に通園、と、右を向いても左を向いても障碍児ばかりを見てきた生活をしていたからか、どうしても次の子供も障碍があるような気がしてならなかった。そして、また、あんなに辛い毎日を送って子供を受け入れていく自信が全くなかった。が、夫の、「次の子供に障碍がなければ△△(娘の名前)を守ってくれるだろうし、障碍があれば、△△が成長すると思うよ。」という言葉に動かされて、しぶしぶ、授かることに賛同したのだった。妊娠しているかもしれない時期は飲酒を控えたり、薬が服用出来なかったり。もし、妊娠していたら、と思うと、その時期のヨガ(実は通っています、苦笑)は、なんとなく身が入らなかったり、と、確かに、そんな実質的なうっとうしさがあって、『あぁ、もう出来るなら出来てしまえば諦めるのに』みたいな感覚も確かにある。が、娘を授かったことで、『人生ってのは、ままならない』と学んだばかり。もう、手の平を返したように、障碍のない子供を育てるママ友で、同じように2人目を授かろうとしている方と、なんのわだかまりもなく二人目話が出来る、という自分が、自分で不思議である。授かろうとしている子供に対しても、障碍があるかもしれない、あったらどうしよう、という当初の気持ちは消えつつある。『障碍があっても、なくても、大切な我が子だから』という至高の極みには達することは出来ないが、それを恐怖として日々生きることはなくなった。それどころか、最近、赤ちゃんが好きな娘に、早くフワフワとした柔らかな赤ちゃんを抱かせてあげたいという気持ちの方が強い。大好きなアンパンマンのキャラクター『あかちゃんマン』の人形をを抱いて子守唄を歌ってあげていたり、友達の弟妹の赤ちゃんに、遠慮しながらも、かじりついているのを見ると、その想いは日に日に高まってくる。もしかしたら、私の中からすっかり恐怖が消えうせて、生まれてくる子供に対して無垢で純粋な気持ちがもっともっと多くなったときを、神様は待っているのかな、などと思ったりもしている。いささか、乙女ちっくな発想で恥ずかしいのだが…。
2006.02.01
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