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とっても、嬉しい知らせ。赤間宿案内板修正(左のフォートアルバム参照)の祝電を2件頂いた。1件は、某大学の学術博士。(メールにて)もう1件は、ミズ・キャッロット。(葉書にて)お二人とも女性。異性の方が、威勢がいいです、気風がいいです。男性は、妬みと嫉妬か、なんとも厭らしい。同性って、こんなものかなあ?ところで、ミズ・ケチャップさん、私の城山登山、本日で65回目(今年、1月2月3月まで、フルの教員だったことを考慮すれば、すんばらしいの一語だね、)ところで、ocn.ne,jpさんって、誰だろう、よっぽど、暇なんですね、8時30分ごろ、10回以上アクセスされている! けったい。 どういうメッセージなんざましょ?
2006年07月21日
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書き込みなしってのは、寂しい。だれか、レスポンド、頼むよ。古材市場の木村さん、吉積さん、斉藤さん、吉村さん、吉原さん、幼稚園のM先生、赤間のKさん、Mさん、Hさん、6月17日に講演聴いた人たちの声を聞きたいなあ。ネットの諸勝亭孔明さん、つたがたけHPのIさん、湯煙紀行HPの岩見屋さん、ミズ・キャロットの筒井さん、おーい、レス欲しいよ~。法然寺横の案内板の修正で、気分最高なんだけど、祝ってくれる人がいまいち。うーむ、市会議員立候補は断念すべきか?
2006年07月16日
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本日、午後4時市役所より電話あり。案内板3点訂正完了との報告でした。確認に行きました。感動!!!ほっとひといき。みなさんも、赤間宿法然寺よこの案内板の訂正3箇所をみてください。写真をやっとアップロード挑戦、トライしました。平成18年7月25日午後6時
2006年07月13日
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市の文化財担当者の案内板認識1、船津久戸長について;船津久戸長については、明治期の赤間進出であり、この船津久戸長の江戸期在住は考え難く、この時期の庄屋は船津久戸長ではないと考えます。しかし、江戸期に庄屋何某かの庄屋宅があったようです。2、紺屋の屋号が松屋の問題;屋号紺屋の地点が、松屋と記された資料は、福岡教育大の秋山晴子監修整理の報告を記載した宗像市民俗調査報告書第3集にあるが、江戸期の屋号と場所が確認されている事例は、『蛭子屋』『大黒屋』くらいのものであり、『松屋』の事例は確認されず、案内図掲載は避けたほうが良いものと考えます。3.蛭子屋の築年数の問題蛭子屋については、文久元年(1861年)在銘指図から129年前までさかのぼれることは確実ですが、家屋については、増改築や中古家屋の再利用などが施されることもあり、建物に棟札が無い限り、在銘指図や出光さんの祖先が住む以前に建物がなかったと判断することはできません。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上が、市の文化財担当者の言い分。とにかく、3点の訂正に関しては、私の主張どおりに訂正するとのことであった。私も、上記の説明に関しては、コメントを出している。1、船津久戸長について;他にも庄屋がいる中で、この家だけ掲示するのはいかがなものか?滝口新屋、萩尾釜屋、出光蛭子屋、出光恵比須屋。だから、庄屋の文字をはずすべき!2、紺屋の屋号が松屋の問題;紺屋は、染物屋の意で、出光紺屋、早田紺屋と名乗った。これが正解。松屋は、出光興産に売る前のほんの一時期、クリーニング店で掲げた店名。多分2~3ヶ月の掲示。こういうのは、屋号として案内板に挙げるべきではない。秋山晴子が諸悪の根源。3.蛭子屋の築年数の問題10年前に、京都府立大学の先生が、家の研究で我が家を築250年、230年、200年の3つで出来ていると断じられた。また、本家・恵比須屋の6代目の兄弟ということ、また、赤間の町で1745年ごろ大火があったことを考えれば、築250年(現在築261年)がせいぜいではないでしょうか?
2006年07月12日
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市役所から、3名来店。商工観光課長、市民活動推進課係長、市民活動推進課主任主査、以上の3名。6月17日、私の講演、商工観光課長出席7月3日、市への内容証明郵便、7月6日、商工観光課長来店、7月11日、商工観光課長、市民活動推進課係長、市民活動推進課主任主査、以上3名来店。内容証明の裁判稼動の締め切りは、7月17日。なんとか、裁判なしで決着がつきました。市が、3点を訂正するそうです。これって、私の全面勝利じゃないですか?うれしい。誰かに話したい。筒井さん、(ミズ、ケチャップでしたか?度忘れ)、とにかく、だれかに聞いてほしい。嬉しい。この嬉しさを誰に伝えん。妻には、裁判は絶対しゃべれん。よって、木村さんか、井筒さんか、斉藤さんか、吉住さんに、この喜びを知らせたく。
2006年07月11日
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今日は、年の数、今年に入って、蔦が岳に登ったことになる。57回目の登頂を今、終えて帰宅。このごろは、朝登れない。5時に会社が終わって後片付けをしてから登る。5時半に家を出て、6字50分帰着。健康で長生きの秘訣。これを死ぬまで継続しよう。本日は、キヌガサダケを4本見た。梅雨の合間が、真っ盛り。
2006年07月07日
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裁判前夜の秒読み市役所から商工観光課長がお見えになり候。一昨日、電話があり本日9時20分より2時間話し込み。11時半からは、ゆめおりの有閑マダム連と木屋瀬参り。予定が詰まっているなかでの予約。2時間、集中しましたよ。彼はマイペースで喋るタイプ。私もそうですが、二人とも、相手の言うことは半分しか聞かないタイプだなあと感じ入り候。カンカンガクガク、ま、人生ってのは血湧き肉踊ることもあり候。木屋瀬もマダム連3人と楽しみ候。帰宅時に速度違反、2点引き、1万5千円。うーっ。城山56回目登頂成功。
2006年07月06日
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市長への手紙『赤間宿案内板』平成18年7月3日5月31日に、秘書室の係より、『赤間宿歴史講座』(6月17日開催)に関し、あとで何らかの返答を商工観光課長がしますからという趣旨のお電話を頂いたが、それっきりでした。6月17日は宗像市より、1名のご出席でした。多分に文化財担当者だと思いますが。47名の出席そして、桝屋、紺屋、蛭子屋の内覧まで付いて来た人は12名。間違いの赤間宿案内板を16年間も放置することは許されません。次の3点は、至急(7月17日までに)、訂正してください。訂正されていないと、翌日以降、裁判に訴えると思って下さい。1、 庄屋宅の文言の削除(久戸長が庄屋はあり得ないから。)2、 出光佐三生家の屋号の松屋を紺屋に。3、 蛭子屋の築年の360年を江戸中期に。
2006年07月04日
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本日、7月3日、月曜日。朝7時より、城山を守る会の草刈、清掃。そして、お開きの後の登山、今年55回目。今日はキヌガサダケが3本も咲いていた。6月20日以降、47本目だそうな。めでたい、めでたい。10時から、不動産屋の営業開始。初めて、3人そろった。2人に清掃業務にまず、行ってもらう。通常は、男2人が外回り、売り地の把握、開発業務だ。さて、体勢はできたが、継続できるかどうか?
2006年07月03日
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本日は、7月2日。快晴なり。昨晩は、雷もなって大雨だったらしい。昼飯を蔦が岳のテッペンで食べたらおいしいだろうとの夢想。夢を早速実行。12時45分発、途中でキヌガサタケにでくわしましたよ。ラッキー。キヌガサタケ、知ってますか。きのこの女王です。レースのスカートをはいてます。朝2時間くらいと言われてますが、なんのなんの、帰りのごご2時過ぎでも見れました。ただし、蝶というか、蛾というか、4匹留まって食べてましたヨ。臭いがすごいと言いますから、すぐ虫が寄ってくるようです。私の鼻は未来人の鼻で完璧に退化してますので、何も感じませんでしたが。
2006年07月02日
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