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本日は、朝から、朝倉郡東蜂村の伊藤伝右衛門別宅(3回移築、飯塚、宝主山村、宝主山村旅館、東蜂村いぶき館)に行ってきました。白蓮の歌集の展示がありました。『筑紫の女王』の寂しさが歌から窺い知れました。彼女、なんと、大正天皇の従妹です。大正天皇が妾の子とは知ってましたが、まさか、柳原伯爵の娘の子とは知りませんでしたよ。妾とは言っても、庶民からすれば、雲の上の存在。今日は、伊藤伝右衛門の歌を記しましょう。義理と人情と気前の良さが川筋男の心意気赤貧洗う 苦労を糧に天運つかんだ 風雲児男 おとこ 伊藤伝右衛門ーーーーーーーーーーーーーーー黒いダイヤに いのちの炎燃やした一生 くいは無い無学の負い目 背負って生きたいびつな思いを 誰が知ろ男 おとこ 伊藤伝右衛門ーーーーーーーーーーーーーー筑紫女王の 白蓮しのぶあかがね御殿の 語り草後の世までも その名を遺す筑豊生まれの 無骨者男 おとこ 伊藤伝右衛門ーーーーーーーーーーーーー作詞:総門 只秋 作曲:山野 隆
2006年06月29日
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今年は、総代会だったけど、来年からは株主総会だなって本日実感。6月末は、株主総会のオンパレード。4時に始まって、懇親会が終わるのは7時半。福岡発の全国ネット。こういう会社は、きっと儲かるだろうなって、思いますよ。賃借人の家財保険会社。共済だけど、保険法の変更に伴って、株式会社へ模様替え。そして、保険法の要請で、コンプライアンスの遵守を会員に要請する。利益率が高いから、この手の保険は伸びる。うさんくさいと判断する人は、参加しない。ここが、決断の分かれ目。リスクをどれだけ負うか、ここが勝負の分かれ目。
2006年06月28日
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昨年は、教師をしていたので、3時から始まる『おんしん』総代会には出席できなかった。今年、初めて参列。株主総会みたいなもんですね。理事ってのが、取締役。総代ってのは、株主だね。会社法の改正とか、具体的影響を知らされましたよ。いい勉強になり候。そして、『ぶどうの樹』での懇親会。来賓の多さにびっくり。宗像市長もスピーチしましたよ。一番スピーチのうまかったのは、衆院議員の三原。麻生外務大臣は、秘書が代理出席。会終了間際、宗像市長と岡垣町長と名刺交換。6月17日の赤間宿歴史講座の件、ちょっとだけ、喋りましたよ。
2006年06月27日
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昨年度とはうって変わって、彼女は1ヶ月に4,5回しか来ない。うーむ、別居?実は、そうなんです。今日は、久しぶりのGAでの昼食デート!たまにしか、(1週間に1回は遭ってますが、)遭わないので?デートはいい気分。新婚さんですよ。彼女は、うちの会計担当重役。私は、清掃係。今日は、某アパートの蜂の巣取り、そして散乱するゴミの処理。草取り。アパートに行けば、いろいろ目に付きます。これが仕事ですから、割り切って、清掃マンするしかないですね。ああ、教員やりたいなあ、ここは誰かに任せて。あと6~7年、よそで働くか?教員第一志望、市会議員第2志望、作家第3志望で考えてるんですが。あ、不動産屋は、もっともしたくない仕事!!!ここ1年で、跡継ぎを育てて引退したいんです。
2006年06月23日
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今日は、9時~10時、大学生10名様を我が家案内承っています。1、昔の家屋で現在も使っているなら、その苦労2、160年前、50年前、現在の『かまど』の位置の変化3、町家の作りと、農家の作りの違い、(日当たり)4、税務対策としての間口当方から、2,3,4を提案したら、あちらの先生から、1についても喋って下さいとの要望。はてさて、どのようになりますやら。家政学1年生とのこと。先生は学術博士、ということは、外国で博士号を取得したか?----------------------------------------------------------------------------------今日は、2回も城山に登った。朝は、5時45分発、6時半から頂上でラジオ体操。7時20分帰着。昼は、4時5分発、5時25分帰着。初めて、1日2回登った。大体1時間20~30分かかる。その他に、登記所で抹消登記完了証明を受領。パートの子と一緒にマンション見学。そして、昼間の2時間、郷土史家の河島悦子おばさまと電話で談笑。なぜか、彼女とは貴が合う。愛してるのかもしれない、彼女は早や67歳?スポーツマンって、感じ。インテリで、スポーツマンが大好き。うーむ、てことは、妹が好きなのかなあ?
2006年06月21日
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今年、城山50回目の登頂に成功、それも、草刈器を持って。5キロはあるでしょうね。7時から9時、城山を守る会の定例草刈。家を6時40分発。9時20分に、最後のお茶会が終了。初めて、草刈に参加しましたよ。いままでは、ぜんざい会、旅行と楽なものばかり。初めての肉体労働参加でした。誇りある『城山を守る会』の会員になれて、ハッピー。(忙しい一日でした。3時30分~5時30分、新規管理物件の交渉)
2006年06月19日
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6月17日(土)、13時から赤間公民館で、総勢47名の参加を得て盛大だった。独演私出光不動産こと出光良治のみですが、最後に質問、コメントが4名ほどあって、非常にいい雰囲気で終わった。最後の締めは『唐津街道』の著者・河島悦子女史。さすがに場数を踏んでおられるだけあって、違う。行政の決めたものを修正することの困難さを先輩として述べられた。サンクス、ミズ・カワカミ。あ、それと、ネット仲間の諸葛亭孔明さん、3年ぶりで初めてお会いできました。サンクス、ミスター・タカハシ。
2006年06月18日
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『赤間宿場町歴史講座』6月17日(土)13:00~、場所:赤間5-1-9の『古材市場』15人を超えれば、赤間公民館・大広間出光不動産こと出光良治主宰赤間宿歴史講座1. 赤間宿の始まりは、いつか?『赤間地区まちづくり振興計画』(平成13年5月31日発行)によると、“1598年7月5日、石田三成、赤間に宿泊”とあり、この当時既に赤間宿が存在したような記述があります。皆様も、赤間宿の始まりについて問題意識を持って下さい。2.屋号 屋号の全盛期は、明治、大正、昭和初期のことで、そんなに古いことではない。 元治元年(1864年)6月19日の赤間宿奉幣使接待記録(松崎氏蔵)の赤間側の人間をすべて列挙する。 新屋甚平、大国屋平作、米屋白木音右衛門、古手屋太右衛門、丸屋茂助、蛭子屋出光運平、鎌屋市右衛門、万屋六右衛門、大黒屋伊右衛門、大黒屋嘉右衛門、相模屋助十、糸屋三右衛門、油屋喜右衛門、米屋喜平、油屋藤右衛門、油屋半三郎、平兵衛、米屋仁右衛門、太田屋喜七、魚屋伝助、古森屋大助、金右衛門、卯三次、藤三郎、武助、塩屋彦五郎、弥平次、源右衛門、代助、綿屋伝次郎、新六、弥蔵、雄平、茂平、荒竹屋善五郎、五十君文山、蛭子屋惣吉、源四郎、喜助、渡辺順貞、徳平、久平、勝平、米屋吉右衛門、直次、又次郎、清蔵、孫蔵、以上である。※京家人数174人(下宿24軒)※御国方人数161人(下宿22軒)総人数335人⇒青柳よりは御国の吉田家配下の神官、354名が行列に参加した。3. 庄屋、大庄屋は?大庄屋は藩の史料に残っているので、宗像市史にも出ている。文化14~文政元年、蛭子屋卯右衛門、文政2~3年、出光卯惣太。おまさ事件の影響。庄屋は、たまたま、市が把握しているのしか、市は把握していない。以下は市の提供。宝永6年、赤間村半三郎、 享保20年、赤間町甚五郎、 天命1~享和1、赤間村藤吉、文化9~13、赤間村卯右衛門、 天保11、赤間村藤市、 嘉永5、赤間村勝三郎、安政2,3、徳重村石松三郎平、 安政6、赤間村甚平、 慶応1~明治4、石松三郎平郷土史研究は、一番古い家の系図その他文献を調査するのが鉄則。蛭子屋の系図には、誰がどこの庄屋をしていたか、書いてあります。これを調べるのが、市の郷土資料室の仕事と思いますが・・・。4. 法然寺横の赤間宿町並案内板批判 平成2年より間違いだらけの案内板を厚顔にも未だに訂正しない市当局に憤懣やるかたなし。5. これからの赤間宿のあり方、行く末高層マンション、居酒屋、バス路線、これでいいのでしょうか?
2006年06月13日
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