全2件 (2件中 1-2件目)
1
「汎神論者たちのこの一派が、やがてユダヤ民族に直接的な影響力を振うこととなった。加えるに、かれらの教義ほど民族感情を害するものは現われたことがなかった。しかしながら、カルデアの汎神論に押し流されたかも知れぬパリサイ派は、人種の誇りを無傷のまま保っていた。かれらはバビロンで吸収した、人間に神性を与えたこの宗教を、もっぱら他よりも優越して神に運命を授けられたユダヤ人に利益をもたらすものと考えた。伝統的なユダヤ人が律法の中に見ていた全世界の支配という約束を、パリサイ派は民族に対するモーゼの神の領域という意味には解釈しなかった。来たるべきメシヤは原罪を購う者などではなく、世界を導く精神的な勝利者、戦いで血ぬられた現世の王であった。その王がイスラエルを世界のあるじにし、全人民を戦車の車輪の下に引きずり込むのである。パリサイ派は全世界の国々が謎めいたエホバの奴隷になることは[表立っては]要求せず、世間一般に譲歩して人々に信仰させ続けた。というのは、何世代にも続くイスラエルの忍耐力と人間的な手段とを使って、行く行くは自分たちの計画が達成することを期待していたのである。「このような信念は古代の律法とはいちじるしく異なるものであるが、かれらは何ごとも気付かれぬように、このなじめない思想を一滴一滴フィルターを通してユダヤ人に浸透させてきたのである。「パリサイ派が編み出した仕組は、やがて実を結ばないはずはなかった。「イエス・キリスト以前のユダヤ社会では、このようなことは片鱗を見付け出すこともできない」と、フラビアン・ブレネは言う。「現代社会でこれに類するものはフリーメーソンぐらいなものである」。「注意深く制限された結束固いメンバーに秘密の教義が注ぎ込まれ、パリサイ派は二つの目的を容赦なく追求した。すなわち・・ 一、政治的に重要な公職(再編成されたユダヤ民族にとってはすさまじい影響力があった)に就くことによって政治権力を掌握し、サンヘドリン(ユダヤ人の議会)を征服する。 二、かれらの極秘の教義に沿うように人民を次第次第に教化する」。 これらのうち第一の目的は、ダビデの末裔と自称するバビロンのパリサイ派ヒルレルが、サンヘドリンの会頭に選ばれた時に達成された。このことはパリサイ派対サドカイ派の抗争にきびしい結着を付けた。ヒルレルに対抗したのはサドカイ人で議会の主席裁判官だったサドカイ派の高位聖職者を支持していたシャンマイだった。二人がお互いをどう見ていたかは、タルムードにえんえんと記録がある。 パリサイ派で最も有名な人物には、ヒルレルのほかには・・ヤムナイ学校の創立者ヨハン・べン・ザッカイ、バル・コフバとともにユダヤ人離散の命令を覆させた反乱、ハドリアヌス皇帝治下でローマ人に対して蜂起(紀元一三二年)を組織したアキバがいる。また、シモン・ベン・ヨハイは、魔術師またカバラの父として、また、後にはバビロニア・タルムードを編纂したユダ王子として挙げられよう。これら先達の下に、パリサイ派勢力はサンヘドリンの支配権を確立するに至った。サドカイ派の伝統に固執したユダヤ人の中には、パリサイ派の専制を拒んだ反体制者がいた。それがタルムードを拒絶したサマリア人とカライーム派ユダヤ人である。 第二の目的とその達成方法が、『イスラエルの秘密の教義』の末裔たちが声高に非難する、いわゆる『シオン長老のプロトコール』に露呈されている。ここで言うイスラエルとは、宗教的共同体としてのユダヤを意味するのだが、ユダヤ人の多くは複雑で破壊的な計画のことはまるで知らないままに置かれている。 パリサイ派に対するイエス・キリストの態度は、新約聖書に明確に示されている(ルカ伝十一章、ヨハネ伝八章)。 二〇世紀にも行われているユダヤ人の宗教、表向きのユダヤ教は、旧約聖書と、それと同じく何世代にもわたる口承の記録、前に述べたよく知られている総称タルムードという古代の解説書を根本教典にしている。この書物全巻は、一三〇六年、フランス国王の公正王フィリップ五世の命令で焚書にあったが、全滅から逃れた書冊があった。 ユダヤの神は、全人類の父でも理想の愛や正義や哀れみでもなく、キリスト教徒の神でも[ゾロアスター教の]アフラマスダでも[ヒンドゥー教の]ブラフマンに類するものでもないことは明らかである。全く逆に、この神は彼の民に対してのみ正義であり慈悲深いが、その他すべての民の人間の権利を否定し、イスラエルこそが富者にふさわしく支配に値し、その他の民は奴隷になれと命じる仇敵であり、曾孫や玄孫の代にいたるまで復讐する神である。 そのことを物語る文書を以下に引用しよう・・「主はあなたの意のままにあしらわせ、あなたがかれらを撃つときは、彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず、彼らを憐れんではならない」(申命記、七章二)。「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた」(申命記、七章六) タルムードはこの点について次のように述べている。「なんじらは人類であるが、世界の他の国民は人類にあらずして獣類である」(ババ・メチア、一四六の六)。「ゴイ(非ユダヤ人)の家には、一群の家畜が住んでいる」(トセフタ、エルビン、八章)。 タルムード(過越祭の夕の祈りで現在も唱えられているもの)から、「神よ、あなたを信ずることなく、その御名を称えざる民どもの上に、あなたの怒りを注がしめ給わんことを。かかる民どもの上にあなたの怒りを下らしめ、あなたの怒りもて屈伏せしめ給え。かの民どもをあなたの怒りもて追い散らし、粉々に打ち砕き給え。おお神よ、かの民どもの骨をすべて抜き取り給え。あなたの民に敵対するものすべてを瞬時に殺傷し給え。これら存在の価値なき民どもを根絶、四散、殱滅し給え。誅殺し給え! 今ただちに誅殺し給え!」(プラナイティス、クリスマス・イン・タルムード・ジュデオラム、『シナゴーガ・ジュダイカ』二一二頁、『ミンハギン』二三頁、『クラチ・シャイム』四八〇頁)。「ゴイが住んでいる家を見て、人はこう言った。神は傲慢の家を亡ぼすだろう。そして家々が亡ぼされたのを見て人は言った。復讐の神が顕現されたのだ」(バビロニアン・タルムード、ベラチョット、五八の六)。「トーラーを持たざる者と予言する者とを、すべて殺さなければならない。かれらを殺す力ある者は、剣あれば憚ることなく剣もて殺せ。剣なければ策略もて放逐せよ」(シュルハン・アルーフ、コーゼン・ハミズパット、四二五の五〇)。 ユダヤの似非賢人たちは、いにしえの律法に対するキリストの解釈では、異国の民に対する憎悪に代わって神の前ではすべての人間が平等であり兄弟の想いを抱くことが説かれ、その教えによればユダヤが世界の主人になるという特権的な地位が否定されることに気が付いた。 同時に、キリストが刷新した旧約聖書の素朴だが確固とした道徳観念は、生存闘争の場では自分の都合次第でころころ変える、破廉恥なユダヤの二重道徳を放逐した。キリスト教信仰に対するユダヤの憎悪は、次に引用するタルムードの文言に顕著に語られている・・「ゴイの土地は荒野のごとし。最初に鍬を入れた者に所有権が帰する」(ババ・バトラ、一四のb)。「ゴイの財産は主なき物品のごとし」(シュルハン・アルーフ、コーゼン・ハミズパット、一一六の五)。「ユダヤ人がゴイの土地に鍬を入れれば、その土地全部の所有者となったのである」(ババ・バトラ、五五のa)。 キリスト教徒もひとしく認めていた旧約の権威を高めんがために、それと平行してタルムードとラビの権威を増大させるために、タルムードの解釈と筆者たちは、次のように述べた・・「律法(聖書)は多少とも重要ではあるが、長老方が聖典に記された言葉は常に重要である」「ラビの言葉に背くことはトーラーに背くことよりも、さらに悪い」(ミズナ、サンヘドリン、十の三)。「ラビの言葉を変える者は死罪に処すべきである」(エルビン、二一のb)。「タルムードの決定は、生ける神の言葉である。エホバも天国で問題が起きたときは、現世のラビに意見を聞き給う」(ラビ・メナヘン、第五書の注解)。「エホバは天国にあって刻苦勉励してタルムードを学び給う。それほどこの書物に敬意を払われているのである」(メチラ訳)。 宗教的ドグマの威厳を増すために、次の教義が授けられる・・「ユダヤの民は神に選ばれたる唯一の民にして、爾余の民は軽蔑に値する不快な民であること」「他の民の資産はなべてユダヤの民に属し、必然的にいかなる良心の咎めもなく占有する権利があること」「正しきユダヤの民は他の民の人々に与えられた道徳原理にも拘束されぬこと、一方では正しきユダヤの民は、あたかも自分自身やユダヤ人自身の利益になるかのように、道徳に反対すること」「ユダヤ人はゴイ(ゴイとは不潔を意味し、非ユダヤ人に対する蔑称である)から奪ってよい。ユダヤ人はゴイから金を騙しとってよい。ゴイは金を持つべきではなく、持てば神の名において不名誉となるだろう」(シュルハン・アルーフ、コーゼン・ハミズパット、三四八)。「ノアの息子は小銭たりとも盗めば死罪に処せらるべきであるが、イスラエル人がゴイに損害を負わせることは差支えなし。なんじの隣人を傷つけるなかれとは書いてあるが、ゴイを傷つけるなかれとは書かれていない」(ミズナ、サンヘドリン、五七)。「ゴイの失せ物を見付けた者は自分の所有にしてはならないが、[ユダヤ人が]ゴイに返すことは禁じられている」(シュルハン・アルーフ、コーゼン・ハミズパット、二六六の一)。「ゴイに向って誓いを立てた者は、盗賊であれ税吏であれ、責任を取らなくてよい」(トセフタ・スゼブノット、一一)。「結婚、誓約、約束を取り消すには、ユダヤ人はラビの所に行かねばならぬが、ラビが不在の場合は、他のユダヤ人を三人呼び集め、かれらに残念ながら取り消すと言えばよい。そうすると三人はなんじは許されたと言う」(シュルハン・アルーフ、二、一の二四七)
2011年10月26日
コメント(0)
序・・『シオンのプロトコール』の英訳者 ビクター・E・マースデン Victor E Marsden 有名なプロトコールの翻訳者は、革命の犠牲者であった。彼は多年にわたってロシアに居住したことがあり、ロシア婦人と結婚した。ロシアにあった当時の彼は、長らく『モーニング・ポスト』誌のロシア通信員であった。ロシア革命が失敗するまでその仕事に従事していた彼がロシアから送った生き生きとした記事は、同誌の読者には今もって思い出となってとどまっているだろう。推察されるように、彼はソビエト政府に狙い打ちされた。クロミー船長がユダヤに殺されたその日、ビクター・マースデンは逮捕されペテル・パウル監獄に投監され、処刑執行に自分の名を呼ばれるのを日々待つ身となった。だが、彼は脱走し、はなはだしく肉体を損傷してイギリスに戻った。しかし、彼は妻と友人たちの献身的な看護で健康を回復した。仕事ができるようになると直ちに手をつけたことの一つが、プロトコールの本翻訳だった。マースデン氏はこの仕事には抜群にうってつけの人だった。ロシアとロシアの生活とロシア語に造詣が深い一方で、簡潔で要を得た英文スタイルは巨匠の域にあり、何人かがこの仕事に名乗りをあげたとしても、彼に優る適任者はいなかった。その結果、彼の訳文により優れて読み易い訳文に接し、整理されていなかった感のある主題に、マースデン氏の筆致により二十四のプロトコールを流れる脈絡を読んでとることができる。彼自身が各章の最初に掲げた要約は、プロトコールの概観を得るのにきわめて有用であろう。 この労作はマースデン氏自身の血をあがなって実現したというのが真実である。英訳しようという使命感にかられて無理を重ねたことが明らかに彼を病気にさせ、彼はこの序文の筆者に、もはや大英博物館の中で一時間と続けて仕事をしていられないと語った。 マースデン氏と『モーニング・ポスト』誌との関係は、英国に帰国してからはゆるやかなものになったが、彼はプリンス・オブ・ウエルズ殿下海外旅行の同誌随行特派員を快諾した。明らかに良い健康状態で殿下との旅行から帰国した彼は、上陸して数日を出ずして突然発病し、短時日病床に就いて死亡した。彼の突然の死はいまもって謎である。 この労作が彼の栄誉を飾る記念碑とならんことを! この作品を通じて彼は英語を話す世界に計り知れない貢献をはたした。本書が『シオン長老のプロトコール』の英訳書のなかで第一級に位置づけられることは、疑う余地がない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ユダヤ教パリサイ派・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ユダヤ教とは、ユダヤ人長老のモーゼス・メンデルスゾーンがこのように言っている・・「ユダヤ教は宗教ではなく、宗教化された法である」。この定義は、非ユダヤ人の間に広まっている、ユダヤ教は宗教であるという誤った観念を是正するのに有効である。 ユダヤ人もキリスト教徒も同じように、ユダヤ人は最初の一神教者であるとしばしば声高に説いているにもかかわらず、ユダヤ人のエジプト行きよりもはるか以前に、メンフィスの僧侶の高位の秘義を受けた者は一神教徒であったことが証明されている。 ユダヤ教は祭儀もしくは典礼書としては最も詳述されているものと考えてよいが、、ユダヤ立法者モーゼが実在の人物だとするならば、モーゼは最初エジプトの高位秘義伝授者の間で修業を積み、後に、黒人が行う魔術儀式であり祭儀の由来となっているブードゥー教の父と呼ばれることもある、エチオピアの黒人魔術師ジェトロの弟子かつ養子となったことを記憶にとどめなけれはならない。 ユダヤ人の歴史をさらに詳しく見れば見るほど、ユダヤ人はまとまった宗教的な統一体でも民族でもないことが見えてくる。一部のユダヤ人指導者が世界の全ユダヤ人を一つの民族的統一体に結びつけようとがむしゃらな努力をしたシオニズムが絶対に誤りであることは、その範囲がパレスチナに限られていることを見ても、さような努力の無意味さを露呈しているのである。 ユダヤ教は宗教ではなく、ユダヤ人は民族ではなく祭儀としてのユダヤ教の一宗派である。 ユダヤ人大衆にとっての義務と典礼は、タルムードとシュルハン・アルーフ[用意のできた食卓の意]に含まれているが、高位秘義者の奥義伝授ならカバラに載っている。 そこには神降ろし、超自然力に働きかける呪文の使い方、数秘術、占星術その他神秘的な諸術が入っている。 カバリストは幾星霜にもわたってその秘術を使い、非ユダヤ人の上流社会にも大衆にもユダヤ人の優越性を見せつけている。君主も法王も、一人かそこいらのユダヤ人を占星術師か相談相手として雇うのが常だったし、内科医としてユダヤ人を抱え入れ生命を委ねることもしばしばであった。ユダヤ人が非ユダヤ人の国々で、経済力と平行して政治的な力もつけるようになったのは、そういう次第だった。以来、ユダヤの宮廷銀行家たちが、政府の公債や税金を意のままに操った。 幾星霜を重ねて、パリサイ派の影響力は広がり続けたが、秘密の破壊的な集団が浸透し社会を破滅へと陥れて行く恐しい行状が気付かれたことはなかった。 指導部としてブナイブリス最高会議を頭にいただき、すべての政府に蝟集するパリサイ派は、あらゆる国の政府を支配し、政治、経済、宗教、教育を牛耳る専政勢力となった。『ニコライ二世とユダヤ人たち』でネチェボロドフは次のように説明している。「バビロン捕囚時代に、ユダヤ人法師たちが入手したカレドニアの科学によって、聖書と捕囚(紀元前六〇六年)後にユダヤ人歴史家がわずかに残した文書にその名が見えているパリサイ派を誕生させることになった。高名な科学者のムンクは、パリサイ派は疑いなく捕囚時代に形成されたと書き残している」。「カバラやパリサイ派の伝承教説はその時代に遡る。すこぶる長期にわたってかれらの規範はわずかに口承によって伝えられていたが、後にタルムードを形成し、最終的には『セフィー・ハ・ゾハール』という書物にまとめられた」。(ネチェボロドフ著、前掲書) パリサイ人たちは、あたかもユダヤ人の中の一種知的貴族といった観があった。最初はかれらは「ハブラー」という一種の血族集団をなし、その成員は「ハブリム」すなわち兄弟と呼ばれていた。かれらはサドカイ人の聖職者たちを放逐することを目的とした破壊分子であった。サドカイ人聖職者たちは血と出自の良い貴族階級であることを誇りとしたのに対し、パリサイ派は知的貴族であることをもって対立した。パリサイ派が挑戦した戦闘は長きにわたり、抗争は熾烈を極めた。パリサイ派は、重要な教義の一つが「アム・ハレツ」すなわち単純な人々をはなはだしく軽蔑することにあるのは自ら語っていることであるが、自分たちの目的達成のためには大衆の支持が必要であることを見過さなかった。かれらはサドカイ人が多くの場で律法を厳しく守ろうとするのに反対し、積極的に安息日を遵守した。 サドカイ人の勢力はティトゥス神殿の没落とともに衰退に傾いたが、それ以後、パリサイ派がユダヤ人の間で覇権を握った。 ユダヤ教の有名な権威フラヴィアン・ブレニエ氏の言葉を引いて、ネチェボロドフ提督は、パリサイ派の方針をさらに詳しく次のように述べている。「ユダヤ人の熱望が誇らしげに表明されるまでに、パリサイ派の伝承教説は深刻な難関を克服しなければならなかった。最たるものは捕囚によってユダヤ人が正統的な信仰に戻ろうとした傾向だった。長期の国外生活の間に、エルサレムの神殿が没落したことを嘆き、故国の不幸が終るようにエホバに乞うたが、単なる幻であったエホバの啓示は、ある種の挫折感を招いただけでなく、ユダヤ人がイスラエルに対するあらゆる権威を失うやも知れぬ決定的な破滅の淵にまで身を曝す事態となった。「その時、パリサイ派は事態を抜け目なく判断し、宗教運動のリーダーシップをとることによって同胞の信頼をかちとり、好んで律法の最も些細な指示でも良心的に遵守し、こみいった儀典のあれこれを設け、それらと全く平行して秘密の聖域で新しい教義を磨き上げた。それが捕囚の時期に二、三百人の識者によって結成された本格的な秘密結社であった。最も隆盛を誇ったフラビウス・ジョセフスの時代でも、その数は六千人かそこいらを数えただけだった。
2011年10月15日
コメント(0)
全2件 (2件中 1-2件目)
1

