全12件 (12件中 1-12件目)
1
火曜日午後の便で帰阪しましたが、飛行機の窓から富士山があまりにきれいに見えましたので、思わずパチリ。 飛行機が大の苦手という知人が何人か居ります。また乗るには乗るが、ひたすら眠る、もしくは機内放送で音楽を聴いて恐怖心を紛らせるという人も知っています。 私は、外が明るければ窓の外の雲や下界の景色を、暗ければ発着時の夜景を見るのが好きです。上から見ると、山間部、平野、都会などが一目瞭然。海上なら航跡を残しながら進む船舶を探すのも面白いです。鳥になったような気持ちであちこち目を走らせていると、次々と想像力が掻き立てられてきて飽きることがありません。
2005年11月30日
コメント(6)
新刊書のコーナーで関野吉晴氏の『グレートジャーニー』の続編(ちくま新書)を見つけたので思わず買ってしまった。2年前に出た『グレートジャーニー「原住民」の知恵』の続編だと思って飛びついたのだが、そうではなかった。先の文庫版(光文社 知恵の森文庫)を二分冊の新書版にした姉妹編と呼ぶべきものであった。 ともあれどちらも豊富なカラー写真と含蓄に富んだ文章で大いに惹きつけられる好著であることに変わりはない。 いわゆる文明先進国、資本主義大国などと呼ばれる国の対極にある、貧しくちっぽけな国々に生きる人々の生活や考え方に、我々の本来あるべき姿を垣間見る思いがするのである。彼らは貧しいがゆえに徹底的に平等なのだ。物を貯め込むということをしない。宗教上の理由もあって、自分より貧しい者には施しをする、自分が飢えかけていてもである! 人を押しのけてでも自分が優位に立つことに憂き身をやつし、金儲けのためなら少々あくどいことでも平気でやってしまう我々の世界。ここでは富める者が人望を得、人々の崇敬も集める。貧しい者、弱い者を見下すような世界。こんな世界をおかしいと思わなくなってしまっては人間も終わりだ もう一つ、この本で再認識できること。それは、貧しい国では子供たちが実によく働くということ。その瞳はきらきらと輝き顔には生気がみなぎっている(全ての民族がそうだと言うのではないが)。数十年前の話ではなく、21世紀の同じ地球上での話だからこそ羨ましいと感じる。 物が豊か過ぎるから人間がダメになると言う人がいるが、私はそうは思いたくない。エゴイズムは人間の本性だと言うのも違う気がする。何か作為的に創られたステレオタイプの思想が、マスコミなどを通じて垂れ流されている気がする。お知らせ:明日から月末まで用事で上京しますので、更新ならびにお返事は書けませんが、よろしく。今日の画像は石清水八幡宮の長身の厄除け土鈴
2005年11月25日
コメント(8)
本日は二兎社の「歌わせたい男たち」(永井愛 作・演出)を観て来ました。歌わせたい男たちとは、文科省、(都の)教育委員会、校長たち、その歌とは言うまでもなく「君が代」。 社会科教師の拝島(近藤芳正)は、戦前、侵略戦争の精神的支柱ともなった日の丸・君が代が、今また、憲法に保障された思想・信条の自由をもねじ伏せてまで押し付けられることに反発。「君が代」斉唱時の不起立をたった一人敢行しようとしている。そのたった一人の行為が、校長や全教員、ひいては学校全体に迷惑を及ぼすというので、必死の説得がなされる。 起立して国家を斉唱しても、内心で厭だなあと思う自由はある。それが「内心の自由」だなどと無理やりなこじつけで合理化する校長が痛ましい。そして右手の挙げ具合がヒトラーを彷彿させるところに風刺が効いている。そんな笑うに笑えない校長の滑稽さが実は今の日本国のお上の姿なのだ。 どこの学校でも起こっているような現実を、実に明るくコミカルに、それでいて「君が代」問題の核心がわかりやすく理解できるよう配慮された作品に仕上がっていた。近藤芳正に加え、校長役の大谷亮介、音楽科講師役の戸田恵子も素晴らしい演技であった。 ちなみに私が教師を辞めた理由の一つは、教育者としての良心を自ら放棄したくなかったからです。かっこよすぎるかも知れませんが、言い換えれば私は最後まで残って闘うことから逃げた卑怯者かもしれません。 私の最も忌み嫌う言葉は「長いものには巻かれよ」です。気がつくと巻かれてしまっていることもままありますが…今日の土鈴は熊野本宮大社のカラス天狗
2005年11月23日
コメント(14)
兵庫の加西に用事があったので出掛けておりました。そのついでに、巻き寿司を求めて八千代町のマイスター工房まで足を延ばしました。巻き寿司??と思われた方もおありでしょうが、ここの巻き寿司は一度食べたら忘れられないという特別のものなんです。海苔以外すべて町内で調達したものばかり、特に玉子の味付けは絶品!店の営業は週4日、10時~16時とはいえ、名物のこの巻き寿司は昼ごろには700本ぜんぶ売り切れてしまいます。近郷近在のお客さんが車で押し寄せるため、先日(日曜)などは違法駐車を取り締まるパトカーまで出ていました。写真は途中で見かけた、たわわに実った柿の木。こんなに見事なのは初めてです。
2005年11月21日
コメント(6)
『老子と暮らす』(加島祥造著/光文社刊 この本のことについては後日改めて紹介します)を読んでいたら次のような文言にぶつかりました。 「日本ではシェークスピアも、どこか辛気くさい悲劇的な作家だと思われていますが、とんでもない。非常にすぐれた喜劇作家というべきであり、むしろ喜劇から入ったほうが、彼の本質を把握できると思います」 すでにシェークスピアの名作を何編か読まれた方には手遅れかもしれませんが、私は運良く喜劇から読み出したものですから、氏の言われていることがとてもよくわかります。 私は、前にも言ったかもしれませんが、高校時代ほとんど小説を読みませんでした。学校図書館で借りた文学畑の本と言えばシェークスピアに限られていたのではないかと思います。 「お気に召すまま」「十二夜」「じゃじゃ馬ならし」「から騒ぎ」「真夏の夜の夢」「ヴェニスの商人」など 大阪の人間なので小さいころから漫才が好きでしたが、これらの中で行われるやりとりはまるで漫才そのもの。ストーリーよりも言葉遊びの面白さに惹かれて読んでいた観があります。 加島氏は、いわゆる四大悲劇も喜劇として見れば、それぞれの主人公はどうしようもない大馬鹿者だと言い切ります。ははん、四馬鹿大将ね。小気味いいこと! 日本人はとかく喜劇より悲劇、娯楽性より深刻ぶったものをありがたがる民族のようですが、英米文学者がかような発言をしてくれると、何かほっとして嬉しいわけですわ。今日の土鈴は石垣島で入手したもの(と思う)
2005年11月18日
コメント(8)
入院中に谷川俊規さんの『めっちゃピンぼけ』を読んだ。関西弁に抵抗のある人には読みづらいかもしれないが、久しぶりに体の芯までズシンと来た作品なので、ぜひお奨めしたい。詳しくはここを見ていただきたいが、いわゆる戦場カメラマンとして世界的に知られた不肖・宮嶋こと宮嶋茂樹氏(最近書店で氏の撮影によるイラクの自衛隊の写真集を観た)の軌跡を基にして、ミステリータッチ?で描いた小説である。作品冒頭から主人公を殺してしまう(12歳の少女と謎の焼身無理心中?)あたり、いかにも宮嶋氏と懇意の仲であることをうかがわせる。ぬるま湯につかっている平和惚けの我々に内紛や地域紛争の現実を垣間見せてくれる迫力満点の描写(主人公の日記)に、思わず居ずまいを正して対峙してしまった。土俵際ぎりぎりまで追い詰められて、もはやこれまでかというところで、でも踏ん張りながら思うのだ、思わなければならないのだ。平和惚けと言われようが、甘いと思われようが、それでも人同士が殺しあうことは何が何でも避けねばならぬのだと。この作品は狂言回しの涼一(作者がモデルであろう)の感性と常識で救われている。このクッションがなければ辛過ぎて読み通せたものではない。ドラマ化、映画化の話もちらほら出てきているという。暴力シーンやレ○プシーンをどう表現するかでそれらの作品の良し悪しが左右されてしまう可能性が高い。本の存在をアッピールし読者を広げるには効果があろうが、私個人は映像では観たくない気がする。買った場所忘れましたが、おひなさんの土鈴です(見たらわかるって)
2005年11月16日
コメント(6)
先ほど無事退院して我が家に帰ってまいりました。皆様にはいろいろご心配いただき、また暖かいコメントまで寄せていただきまして感謝感激です。思ったより早く退院できましたが、その間、楽しみにしていた催し物二つをキャンセルしなければならなかったのは少し残念でもあります。入院の経験は、小学校2年の時の扁桃腺切除手術(当時流行っていた由)と、高校2年の時の盲腸切除手術だけで、今度が3度目です。木曜日の夜に運ばれ、金曜だけ食事やトイレに不便を感じましたが、土曜日からはじっとしていれば痛みもなく、面会時間(13:00~20:00)が終わって妻が帰ったあとは本を読んだり音楽聴いたりして過ごしていました。と言っても消灯は21時。個室だったので消灯後もしばらくはスタンドを点けて読書したりしていましたが、困ったのは1時間毎の看護士さんの巡回。どれだけ静かにドアを開け閉めしてもやはり気配でわかるのかどうしても起きてしまうのです。結局一番ぐっすり眠れたのは、朝食が終わり検温や掃除が終わった9時~11時頃。今夜はきっと高いびきで昏々と眠ることでしょう。今日の土鈴は京都真如堂の二面土鈴。
2005年11月14日
コメント(20)
重い物を運んだ結果、急性腰痛?いわゆるギックリ腰になり、担架で運ばれて即入院となりました(要安静)。しばらく日記・お返事などお休みしますのでご了承くださいませ。
2005年11月11日
コメント(15)
上方落語界で実力No.1と多くの落語ファンが認める桂吉朝師匠が昨夜亡くなったことを今知った。ショックでしばらく呆然としていた。先月の21日、京都での高座を拝見した時、相当お痩せになっているので心配はしていた。同じく27日、米朝・吉朝の会では、二席の予定を一席に減らし、珍しい出し物「弱法師(よろぼし)」に全身全霊を傾けられたご様子。そうしてこの会が最後の高座になってしまった。ここ数年、生で吉朝師匠の高座を何度か拝見できた幸運に感謝するとともに、心からご冥福をお祈りいたします。
2005年11月09日
コメント(4)
山裾に沿って南北にのびる商店街店舗の消長生滅はあってもなかなか元気な通りで好ましいだがいったん山側に折れると住宅はとぎれないのにとたんに灯はまばらになりまるで過去への入口のように暗い坂道が私の魂をいざなう画像は観音土鈴(鈍い金色です)
2005年11月07日
コメント(4)
独身男性の方や至極常識的な方には申しわけない話ですが、今日は二人の妻と連れ立ってデートを楽しんでまいりました。 実を言うと、この間まで鬱で臥せっておった先妻が徐々に躁状態に向かっており、一緒に山登りしてくれと頼んできたのです。普通は今の奥さんに気兼ねして断るところでしょうが、今度の奥さん、嫉妬するどころか、じゃあ私が山の下まで運んであげるから後は二人でハイキングしてらっしゃいなどと言うものだから、お言葉に甘えてそうさせてもらった次第。今妻は足が悪いので一緒に歩きたくても歩くことができないのです。 山登りと言っても大層なものではなく信貴山の一部を登っただけ、一時間ぐらいはかかるかと思ったのに、20分足らずで目的地に着いてしまいました。のどか村の喫茶店で三人一緒に軽食をとったあと奈良公園までドライブ。のどかな風景に点在するコスモス、すすき、柿…秋晴れの中のドライブは実に気持ちよかったです。 東大寺でターンして最後は我々新夫婦のお気に入りの屋台極楽やで軽くギョーザ・パーティー。やや躁気味の元妻、主人に向かって「わたし前の奥さん、こちら今の奥さん。両手に花ですわ」。おいおい。「おかしいやろ?!」。返答に困る店の主人。車で奈良にお立ち寄りの方はぜひここのギョーザお試しあれ。今日の土鈴は石上神宮で買ったもの。
2005年11月04日
コメント(10)
だんだん押し詰まってきてもう11月。このあいだまで暑い暑いと言っていたのが嘘のようです。 11月は霜月。下(しも)の月だという説があります。じゃあ上(かみ)はと言えば、それは十月、かむなづき。十月を「かみなつき」、十一月を「しもなつき」と呼んでいた時代があったろうという説です。 この説に従えば、九月も七月も「しもなつき」、偶数月はみな「かみなつき」ということになります。中国からきっちりした暦法(太陰暦)が入ってくる前の話です。 そのころは1年が何ヶ月あったのか、今の何月から一年が始まっていたのかはわかりませんが、遠い昔、たとえば、「ユキのかみなつき」とか「ハナのしもなつき」なんて人々が呼んでいたと想像するだけで、何かゆったりとした時間の流れを感じることができるようではありませんか。写真は伏見稲荷の土鈴です。
2005年11月01日
コメント(8)
全12件 (12件中 1-12件目)
1