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インドネシアのバリ島ジンバラン地区。昼間は閑散としたビーチが,夜にはシーフードのレストランに,多くの人々が集まってきて賑わう。 今回は,’12.8.13編。その5 食堂を出て,再び歩く。 再び,大通りに出てしまった。ちょっと南方向へ歩いてみよう。 何もない アジア各国で見られるゴミの山だ。 ゴミや環境に対する意識は,本当に希薄だ。 橋になっている。しかし,何もなく,おもしろくないので引き返して,また街角の路地を歩く。 もう少し歩いた。 次回に続く… ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/31
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北朝鮮が,この前に韓国との「戦時状況」入りを宣言したのは,みなさんご存じだと思う。朝鮮戦争は,まだ終わってないのだ。どれだけの人が知っていたのか。 米国はもちろん,日本も完全にミサイルの射程圏内。普通のミサイルでも,原発に撃ち込んだら,核ミサイルと同じ効果がある。でも,こんな恐ろしいことを本当に意識している日本に住む人々は少ないやろな… スイスに留学したとは言え,本当の世界をわかっていない金正恩…何をしでかすかわからん!!本気で気をつける必要があると思う。 教室に飾られる,金日成・金正日。 今日は,以前に書いたものをもとに,加筆してUPする。 大陸では,一足で隣国だ。そこで競い合ってきたのだ。日本とは,スケールが違う。 この小川を境に国が変わる。いわゆる国境だ。右がタイのメーサイで,左がミャンマー(ビルマ)のタチレクだ。川は簡単に渡れる。“国境”なんて言う意識は,あまりないだろうが,文化は確実に違う。 カンボジア北東部のシソポンのプノン・スバイから見る大地。向こうは,タイだ。大地は1つなのだ。 東ティモールとインドネシアの西ティモール地区の国境。ティモール島だ。行った'03年,独立1年後の東ティモールでは,各地で民兵の動乱が起きていた。 こちらは東ティモール,ゲートの向こうはインドネシアの西ティモールだ。 ここに行ったときは,本当はもっと先のマリアナまで行く予定だったが,ドライバーは,「これ以上向こうは,かなり危険だから,国境付近がせいぜいで,とても無理だ!」と言って,行ってくれなかった。 この前もUPした,暴動で焼け焦げた建物。ディリ ’03年 韓国~北朝鮮国境。向こうは北朝鮮だ。ここは烏頭山統一展望台。非武装地帯では最短距離で国境を接しているということだ。 その手前にいる,韓国軍兵士。緊張感が伝わる。 '00年ソウル郊外 ソウルから統一展望台へ行く途中だ。川沿いには柵が張り巡らされている。北朝鮮からの侵入者を防ぐためだろう。兵士も各所に待機していると思われる。この道路は広くて直線部分が多く,中央には街灯や分離帯がない。なぜかというと,有事の際には戦闘機の滑走路になるためらしい。 バングラデシュの首都ダッカにいた兵士。デモや暴動,テロ対策でいるのだ。この画像は,何回もUPしている。 警察も武装している。 野党アワミ党の集会だ。私が訪れた2週間後に,同じこの場所で集会中に手榴弾が投げられ爆発し,多数の死傷者が出たのだ。これに怒った人々が暴動を起こしたようだ。一歩間違えたら,私の命が危なかった… バングラデシュ南部の港の門衛の兵士。ミャンマー国境付近で,港は要警戒区域のようだ。または,軍関係の何かがあるのか?? 南アジアのスリランカのアヌラーダプラの街角にいた兵士。当時は,LTTE(タミル・イーラム解放のトラ)が分離独立をめざして武装闘争をしていた頃だ。 ’03年 ミャンマー(ビルマ)の兵士。交差点や各所に,ふつうにいる。撮影が見つかれば,デジカメ取り上げか最悪拘束だ。この画像は,某建物からの撮影なので,見つかる確率は低い。('08年ヤンゴン) 今度は,近距離撮影だ。ピンホールカメラでもスパイカメラでもない。ふつうのデジカメで一瞬だ。だから,ブレている。見つかったら,たいへんなことになる。当時は,命がけだったと言っても過言ではないだろう。 '08年ヤンゴン ミャンマーの軍船。このとき,私はミャンマーではタブーの軍事政権批判を,軍船が停泊しているすぐ近くのこの店の従業員と話していた。英語だから大丈夫と言われたが,英語のわかる軍人がいたら… これは,タイ海軍の軍艦。観光地のサメット島付近にも展開しているのだ。 バングラデシュ空軍。戦闘機だ。 輸送機か? 米空軍輸送機「SPIRIT OF SOLANO」。 「U.S. AIR FORCE」の部隊の1つ,AMC(航空機動軍団)の所属のジェットだ。 ’10年8月,カンボジアのプノンペン国際空港で。 かつて活躍した,ソ連のミグ21。ベトナムのハノイで。 戦闘機の残骸。 これも,ベトナム戦争時の戦車。 '06年ホーチミン戦争証跡博物館 ハノイにある古いミサイル。 戦車のキャタピラの車輪の部分にゴムが使われていることは,これを見たときに初めて知った。鉄ばかりだと思っていた。 カンボジアのワット・プノン・サンポーに,今でも残っている砲台。ポル・ポト派の戦闘の名残だ。 フィリピンのマニラにある海軍基地で。 マニラのリサール公園にある,リサール・モニュメント。この像を警官か兵士が警備している。ライフルを携えているのだ。これは,交代の式の時だ。 AK47,旧ソ連のライフル。カンボジアのプノンペンで,実際に撃った。撃ったときの衝撃は,本当にすごい!映画の俳優みたいに,片手で撃つなんてとんでもない。 カンボジアは,内戦の関係で,国中に銃器が溢れ,事件も多発している。 現在,北朝鮮だけでなく,中国,韓国などとも微妙な情勢になっている。これから,どうなっていくのだろう。 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/30
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インドネシアのバリ島ジンバラン地区。昼間は閑散としたビーチが,夜にはシーフードのレストランに,多くの人々が集まってきて賑わう。 今回は,’12.8.13編。その4 この前にUPした階段があり高いバス停。バスが走っていることは,バリ島の大家のbali★toshi さんに教えてもらった。どんな風に乗り降りするのかと思い,調べてみた。 こんなバスが走っているらしい。サルバギータバスと言って,2011年8月18日から運行開始したようだ。乗車口が高くなっていて,桟橋方式で高台から乗り込むアンチバリアフリースタイルだとか。 停車中。3500ルピア(約30円)だ。2500ルピアとも書いてある。 ※ 画像は2枚とも,「バリ島パラグライダー暮らし」さんのブログからの引用。 これは,バスターミナルの様子。右の高いところを通って乗る。 ※ 画像は,Java Impactさんのサイトより引用。 さて,続きだ。 お腹空いた。3時前やけど…(^_^;) ここで食べよう。 ご飯をよそって。 野菜を横に置いて,ご飯にカレースープをかける。 私が頼んだおかずを乗せる。 このご飯は,以前に現地からUPした。鶏,卵,野菜だ。うまいっっ!!(^O^) 水が置かれる。飲用ではなく,手洗い用だ。鶏肉を手で食べるからだ。鶏肉は,フライドチキン風だと言えば,わかるかな。 ドリンキングウォーターのアクアと合わせて,20000ルピア(約160円)だった。もっと食べたらよかった。 店を出る。 次回に続く… ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/29
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インドネシアのバリ島ジンバラン地区。昼間は閑散としたビーチが,夜にはシーフードのレストランに,多くの人々が集まってきて賑わう。 「バリ島ジンバランの街角’12.8.6」編(クリック)を以前にUPしたが,今日は’12.8.13編だ。その3 昨日のバス停の中。バスに,どう乗るのかは不明… 消えていたが,電光掲示板まである。 画像では車が少なく見えるが,ひっきりなしに大量に走ってくる。必死に?渡る。 恒例の穴ボコ(^_^;) ムスリム用 ロティ台湾?パンとか 路上 他にもあると思うが,この地区で両替屋はここでしか見たことない。 次回に続く… ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/28
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ミャンマー各地の騒乱は,まだ続いているようだ。国中に広がることはないとの意見はあるが,さらにバゴー管区にも広がっている。バゴーの3地区に,夜間外出禁止令が出たようだ。 ヤンゴンでも,夜9時以降の飲食店などの営業禁止が発令されているようだ。複数の現地在住の方や旅行者のブログなどでも書かれている。 ただし,だから即危ないと言うことはないと思う。無差別テロが起こっている国とは大きく違う。基本的には,日常の暮らしがあるようだ。 仏教徒とイスラム教徒の確執なので,外国人を狙うと言うことはないが,巻き込まれることはあるので,注意を!! これから,ミャンマーへ行かれる方,滞在しておられる方,十分に注意して下さい! 下記のサイトより引用。死体の画像などがあるので,苦手な方は,ご注意を。http://www.thestateless.com/2013/03/photos-of-killed-muslims-with-armed.html これは,民主化へ向けて避けて通れない道だと言う意見もある。→ ヤンゴン在住の田口氏のブログ 「ミャンマー歳時記」(クリックでジャンプ) もうしばらく,要注意である。 ↓他社では味わえない個性的なツアーや緊急のミャンマー観光ビザ発給などしてくれます。 ホテル宿泊料の高騰により,そこそこのホテルは以前の4~5倍ほどに跳ね上がっています。どこも最新の「地球の歩き方」掲載価格よりもさらに高くなっています。ホテルの予約をお願いするときは,希望の詳細を伝えた方がいいと思います。(エアコン,ホットシャワーの有無,トイレ,冷蔵庫,朝食など) 「Golden Diamond Dragon社」(日本人専用サイト版) 英文サイト→「Golden Diamond Dragon Travels & Tours」 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/28
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インドネシアのバリ島ジンバラン地区。昼間は閑散としたビーチが,夜にはシーフードのレストランに,多くの人々が集まってきて賑わう。 「バリ島ジンバランの街角’12.8.6」編(クリック)を以前にUPしたが,今日は’12.8.13編だ。その2 今日は,素朴なジンバラン地区とはちょっと違う?風景だ。 サークルKがある。以前にも書いたが,海外のサークルKは,日本直営ではない。 道 こんなショッピングセンターがあった。前は,空港へつながっている幹線道路だ。車が非常に多く,信号が変わってもなぜか渡れない…いつまでも止まらない車線があって。 駐車場前に,この車が。警察? これは,なに? 誰もいなかった… ここは,駐車料が要るようだ。 中は変に広々としているが,人はほとんどいない。 スーパーもあるが,やはり人がいない。 車屋。やはり,スタッフ以外いない。この後,近所の子どもが入ってきて走り回っただけだった… これでも,ウォシュレット!蛇口をひねるようになっている。 店が少なく人もいない。店を出た。外には,オープンテラスのカフェがあった。 しかし,この施設は誰を対象にした店なんやろ? ドミノピザ,宅配あり。 ドミノピザにバーガーキング。 これは? ショルダースルー…もとい,ドライブスルーだ。アジアで,ドライブスルーを見たのは,たぶん初めてだ。 バス停 他の地区は,こんな感じなのかな?ジンバラン以外は,’03年にサヌールに1回しか行ったことがない。 また,もとに戻る。 次回に続く… ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/27
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ミャンマー(ビルマ)の中部メッティーラ周辺が,たいへんなことになっている。仏教徒とイスラム教徒の衝突から,大きな騒乱に発展している。大規模な放火や殺人が行われている。マンダレー地域のメッティーラ県内4地区に対する緊急事態宣言が出ているようだ。 マンダレー方面へ行く予定の方,要注意です!さらに,ヤンゴンにも飛び火していて,関係者には,当局より通達もあるようだ。夜間外出禁止令が出る可能性もある。 すでに,タムェ地区やレーダン地区などで,インド系住民とビルマ人の小さな衝突が発生しているようだ。インド系の店はシャッターが降り,インド人街も静かになっているらしい。 なぜ,インド人か?ミャンマーに住んでいるムスリム(イスラム教徒)の多くは,インドやバングラデシュからやって来た人々なのだ。 画像は,下記のサイトからの引用。(さらに元画像は,AFP通信のもあるようだ) このサイトには,焼け焦げた人の死体の画像なども多数あるので,苦手な方は見ない方がいい。 http://www.thestateless.com/2013/03/photos-of-killed-muslims-with-armed.html 今月初めには,ヤンゴン対岸のラインターヤ地区で,同じくトラブルから騒乱に発展しているのを,書いたことを覚えておられるだろうか?現地在住の方々は,イヤな予感がしていたようだが… → 「ヤンゴンでトラブル発生!」3/2の日記(クリック) これは,最近始まったことではない。すでに昨年6月には,西部のヤカイン(ラカイン)州で,やはり仏教徒とイスラム教徒が衝突し,24人が死傷するという事件が起きた。当時,同州に非常事態宣言が出された。 → 「ミャンマーで非常事態宣言!?」’12年6/15にUP。↓ 現地の映像等 日本でも,報道されている。 → CNN(日本語版)「ミャンマーで仏教徒とイスラム教徒の衝突拡大、多数死亡」(クリック) → ヤフー(AFP翻訳) 「ミャンマー中部で仏教徒とイスラム教徒が衝突、非常事態を宣言」(クリック) 外務省 海外安全ホームページにも注意が出ている。 → 「マンダレー地域メティラ県内4地区における治安情勢に係る注意喚起」(クリック) この問題は,歴史上ずっと以前からあった。変な話だが,軍政の時代は軍の圧力により妙な統制が取れていた。その抑えられていた感情が,民主化によって一気に噴き出してきているとか。だから,治安は今の方が悪いという話もある。 怖いのは,「これからは何でもあり!」で,秩序のない暴動に発展する恐れがあることだ。国民性からして,1度火が点くと,とんでもないことになるのは確実だろう。 しばらくは,本当に要注意だ。PS ヤンゴン中心部のマハバンドゥーラ通り沿いには,インド人街がある。左は,確かモスク。正面向こうは,スーレー・パゴダ。 インド人街のビリヤニ屋 ↓他社では味わえない個性的なツアーや緊急のミャンマー観光ビザ発給などしてくれます。 ホテル宿泊料の高騰により,そこそこのホテルは以前の4~5倍ほどに跳ね上がっています。どこも最新の「地球の歩き方」掲載価格よりもさらに高くなっています。ホテルの予約をお願いするときは,希望の詳細を伝えた方がいいと思います。(エアコン,ホットシャワーの有無,トイレ,冷蔵庫,朝食など) 「Golden Diamond Dragon社」(日本人専用サイト版) 英文サイト→「Golden Diamond Dragon Travels & Tours」 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/26
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インドネシアのバリ島ジンバラン地区。昼間は閑散としたビーチが,夜にはシーフードのレストランに,多くの人々が集まってきて賑わう。 「バリ島ジンバランの街角’12.8.6」編(クリック)を以前にUPしたが,今日は’12.8.13編だ。その1 ジンバランの街角は,まだまだ素朴な街角の風景が残っている。前回もそうだったが,あまり言葉はいらない。ここは,画像だけで十分な気もする不思議な街だ。 パサールイカン付近から,街なかへ歩く。ビーチと反対側だ。 いつも,凧が揚がっている。 次回に続く… ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/25
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昨日,TVの「世界ふしぎ発見!」で,台湾をやっていた。クイズの中で,看板やら商品名の漢字の中に日本語の「の」の字を入れると,箔が付くと言っていた。「的」の字のところを「の」の字にするのだ。「的」は,日本語の「の」意味もあるのだ。 3年ぐらい前から流行っているということだ。 んん?3年ぐらい前??…もっと前から見たことあるが!少なくとも’02年には見ている。他のサイトでも,前から出てたことがあったし。探せば,今でもいくつか出ている。 以前は,まだ写真を多く撮ってなかった。台湾は親日的なので,日本語が多く溢れている。だから,そんなのめずらしくないと思って,わざわざ撮ってなかったのだ。 画像は,’04年~’06年になる。「の」の画像が少ないので,日本語が書いてあるのを撮った画像の中からピックアップしてUPした。すでにUP済みも多いが。 台北の西門町。「秀秀の店」。ここは,それこそ日本的なものが多く売られ,日本語が溢れている。 ’06年 パン。「土司の吻」 ’04年,高雄で。 この商品は,「の」と「な」もある。そういえば,「な」も,ときどき見た。 ’04年,高雄で。 ピンぼけしているが,「果樹園の風」。ただし,これは日本のカルピス社の製品。 「お」って,なんや??これこそ,ただのこじつけか? これは,日本のメーカーの台湾仕様だが,思い切り日本語だ。 カルビーの「かっぱえびせん」は,あちこちの国にある。 パチンコ屋 「鬼洗い」って,なに??下の文字も日本語で書いてるのだが… パンツ… 喫茶店 同じく モス 「太鼓の達人」は,日本からそのまま来ているので,「の」をわざわざ入れたのとは違うだろう。 日本語は,何も台湾だけでブームではない。タイでも多く見られる。ついでにUPする。 これは,有名な「OISHI」社。「おいしい」だ!タイの企業だが,日本食の店や日本食系のスナック菓子や飲料を販売している。ロゴは,「味」!どこのコンビニでも売っている。 → 「OISHI」グループのサイト(クリックでジャンプ=タイ語か英語のみ) ラーメン屋の店舗。バンコクで。 店外のメニュー かつては,ドンムアン空港の出発ロビーにもあったので,ここを利用した方も多いのでは?寿司やらラーメンやらの日本食が売っていた。 こちらは,「aki-ko(アキコ)」。よくわからんが,日本語を使用。 → 「aki-ko」のサイト(クリックでジャンプ) このサイトの中に,「の」を使ったスナックが!(クリックでジャンプ) タイでも,「の」の字登場。 パッケージの右上には,「よい」のロゴ。この会社は,わからん… ローマ字だが,「UMAI」。この会社も,わからん。 もはや,よくわからんが,以前に調べたときにわかったのは,かつては日本でフルタ製菓で作っていたものらしいが。 ここまで来ると,わけがわからんが… 「学問のススメ~第1学期~」?? どうぞ 右には,湖池屋「カラムーチョ」が。 カルビー「かっぱえびせん」。両脇を現地メーカーの「かっぱえびせん」が挟む! 「プリッツ」 ラープ味は,完全にタイ・ラオス仕様やな。 他にも何枚も撮っている。過去にUPしたこともある。 こんなのを見ているだけでも,楽しくなってくる。さらに,他の国でも,結構見ることができる。気が向いたら,探してみては?? ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/24
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今日まで,東ティモールの首都ディリの川底を歩く編を6回に渡ってUPした。UPして思ったことや,もらったコメントから,’03年の人々の様子を集めてみようと思った。すでにUP済みのものがほとんどだ。 今日2回目のUPになる。 初めて行った,’03年8月。独立は,’02年5月。ほぼ1年後に訪れた。 この前から書いているが,複雑な経緯の中でインドネシアの占領から独立。実質,ポルトガルからの独立。 独立1年後だが,独立後も騒乱が起きている。今までも何回かUPしているが,独立後に焼き討ちに遭ったスーパー。私が行く何ヶ月か前だろう。 撮影は,もちろん’03年8月だ。 ここも,焼き討ちに遭った跡。 これも,’03年8月。 これは,民家。 同じく,’03年8月。 以上は,昨日までもUPしていたもの。別に“危ない!!”と言うことを強調したいのではなくて,世界では実際にこんなことが起きているということを伝えたかったからだ。 ちゃんと旅はできるので,大丈夫です! 当時は,かなりたいへんな時であったことには違いない。しかし,出会う人々の明るい姿には,本当に驚いた!強烈な印象として今も残っているからこそ,何回もUPしている。 人々は仕事が無く,街には多くの人々で溢れていた。学校は全て閉鎖され,子どもたちも行くところがないのだ。 以降は,ほぼ説明無しで,並べる。 2人は高校生。「早く学校へ行って,勉強したい!!」と強く言っていた。 これは,何の気ない画像に見えるだろうが,私の撮った膨大な写真の中で最も印象に残っていて,強いメッセージの感じられた画像なのだ。これは,デジカメではなく,VTRの静止画機能を使ってとっさに撮った画像だ。何回もUPしているが,やはり今でも最もお気に入りの写真だ。おそらく,形を変えて私が最も多くUPしている画像だと思う。 街角のこの親子は何を想う。お父さんは,遠いところから私に声をかけてきた。撮影の瞬間,「俺たちは,負けてないぜ!」とばかりに指を立てた。横の少女も,強い視線を送る。このときの様子は今でも鮮明に覚えている。 当時は,独立前後の動乱で,たいへんな中なのに,人々は本当に強く明るく生きているな!!と,強烈な印象を持った。 その後,’06年~’08年には,いろいろな動乱が起きている。’06年の動乱の時は,住民のほとんどが難民となってディリを出た。 昨年12月には,’02年の独立以降,組織を変えて統治に関わっていた国連のUNMITも,活動を終了した。今後,どうなっていくか本当に心配でもあり期待もしている。 東ティモールの地図。 外務省のサイトより引用。 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/23
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東ティモールのディリ。乾季で干上がった川を歩いた。時は,’12年8月9日。同じ所を,ちょうど1年前にも歩いている。’11年8月の様子(クリックでジャンプ) 似たような光景になるが,大きく違うのは出会う人々。これが楽しい。その6 元に戻ろうと思ったが,戻る道と反対側の道から,人が結構歩いてくる。と言うことは,こっちには家がいくつもあるはずやな。こっち側も,行ったことがない。 進んでみる。それなりに道がきれいなので,確実に家はあるやろな…と思っていると,前に見えてきた。 おじいちゃんが話しかけてくる。おそらくテトゥン語なので,全くわからない。 民家は,結構ある。 急に,ザワザワとした雰囲気になる。「なんやろ??」 ここには,学校があったのだ。小学生や大学生がいっぱいいた。スタッフに日本人女性が1人いて,中も見学させてもらった。 この学校については,以前に詳しくUPしている。→’12年9/30の日記ほか(クリックでジャンプ) 再び川に戻る。川は,完全に道路代わりになっている。 ここでも,どこからか子どもたちが集まってきた。 どこに行っても,子どもの数は本当に多い。子どもが,さらに小さい兄弟を抱っこしている姿は,当たり前に見る。 よく見ていると,サインはバラバラやな…やはり,特に決まりはないようだ。ただ,普通のピース(V)サインは少ない。 民家の子 また,集落を抜けて,街に戻る。 この項,終わり。 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/23
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東ティモールのディリ。乾季で干上がった川を歩いた。時は,’12年8月9日。同じ所を,ちょうど1年前にも歩いている。’11年8月の様子(クリックでジャンプ) 似たような光景になるが,大きく違うのは出会う人々。これが楽しい。その5 ここは,コンクリートで川岸が固められているが,ボロボロになってるやん… それも向こうまで。 川岸の民家 車が止まっている 声がかかる 横には,少年もいる。 遊んでいるよう見えたが,働いている。バケツに小石を集めている。児童の労働は,当たり前にある。 反対側を見ると,工事をしている。ここは墓地だった。この辺は,去年は来なかった所だ。 この後,道を進んで墓地などを見に行ったが,今回のテーマの川底ではないので,後日にUPする。 しばらく歩いた後,川岸に戻ってきた。牛たちが休む。私を見ると,微妙に警戒していた。 この辺りは,全く水がない。この先は何もなさそうなので,引き返す。 砂利を取っているのか,ズタ袋が置いてある。しかし,こんな取り方をしたら,雨季に水が溢れて,その中を人が歩いたら,いきなり足下が深くなって非常に危ない気がする… あまりにも暑いので,この右側の陰で休む。暑いのには慣れているが,このカンカン照りの暑さはキツイわっ!! しかし,間もなく,どこからか少年たちが登場。カメラは横に置いて見えないはずなのに,集まってきた!「おいおい!!」そして,カメラを見て「撮って!」(^_^;) 「あっ」…いま気がついた。今までVTRやデジカメを持っているから集まってきていることが多かったが,そうでなくても寄ってくることがあるんや!! ちゃんと撮った!それも何枚も。純粋な気持ちでやって来ている。断るのは忍びない。 私の人生,「来る者は拒めず,去る者は追えず」…??(^_^;) とにかく暑いし休みたい。ちょっと上の林の木陰に行くが… やはり声がかかる。ちょっと距離が離れているんだが。 でも,ちゃんと撮る。 結局あまり休まないままに,もとに戻る。でも,また違う道を進んだ。 次回に続く… 最近の高性能のデジカメは,一眼はもちろん,コンデジ,VTR静止画像問わず,画像の情報量が多いようだ。以前は,25枚ほどUPできたが,最近撮った画像は17枚ほどしかUPできない。同じサイズにしているのだが。 ※ これより下は,昨日までにもUPしたが,この国へ行く人は本当にめったにいないが,旅はちゃんとできます。基本的に危ないことはないです。ぜひ,行って下さい!! 東ティモール編は何回もUPしているが,どこにあるのかご存じか?インドネシアの中にある。ティモール島の東半分と飛び地で西ティモールの一部にある。 ’02年5月,複雑な経緯があるがインドネシアの占領から独立。実際は,ポルトガルからの独立。 その後,’06年~’08年には,いろいろな動乱が起きている。’06年の動乱の時は,住民のほとんどが難民となってディリを出た。 地図の画像は,JICAのサイトより引用。飛び地オエクシなどを加筆。 私は,初めは’03年8月に行った。独立1年後だ。独立後も騒乱が起きている。 今までも何回かUPしているが,独立後に焼き討ちに遭ったスーパー。私が行く何ヶ月か前だろう。 撮影は,もちろん’03年8月だ。 ここも,焼き討ちに遭った跡。 これも,’03年8月。 これは,民家。 同じく,’03年8月。 今でも… 投石や暴動の対策として,窓に金網を張っている。 ’11年8月。 形式はかなり変わったが,今でもUN(国連)が,治安維持に関わっている。 これは,’12年8月。 左は,UNMIT(国際連合東ティモール統合ミッション)の駐屯地。厳重に警備されている。駐屯地は,あちこちに点在するが。 ’11年8月。 なお,UNMITは,この前の’12年12月をもって活動を終了した。 次回に続く… ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/22
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東ティモールのディリ。乾季で干上がった川を歩いた。時は,’12年8月9日。同じ所を,ちょうど1年前にも歩いている。’11年8月の様子(クリックでジャンプ) 似たような光景になるが,大きく違うのは出会う人々。これが楽しい。その4 川を戻る。川岸の民家。遠くで,すでに子どもたちがスタンバイ?さっきは見なかった子だが。 勝手にやってくる。 人が変わるが,さっき見た子もいる。 しかし,このサインは多少違えど,みんなやっている。何か意味があるのか? ちなみに,私は30年近く前からいつも,このサインだ。これは,元レスラーのスタン・ハンセンのポーズで有名になったテキサスロングホーンだ。(’11,ディリの海岸で) 少年の頭髪。 よく見かける水浴びなんだが… すぐ横は,これだけの水。 反対側の,こっちは水がない。どういう基準で水が消えてるんかな?? 水が流れていると言うより,澱んでいる…後ろには,上の家からの排水溝のようだ。じゃあ。衛生状態は?? バイクにインコを乗せていて,私を見ると,わざわざエンジンを切って止まって写った。 川の横は,いくつも上がっていける道がある。 石垣で堤防を造っているが,川岸に上がると,地面が削られている。雨季には,ここまで水が来るんだろうか? 画像は,やや明るく感じるかも知れないが,元の画像よりも少し落としている。本当にカンカン照りで,明るいのだ!かなり暑い。こんな中を,何時間も歩いている。半袖半パン帽子無し! もう少し進もう。 次回に続く… ※ これより下は,昨日もUPしたが,この国へ行く人は本当にめったにいないが,旅はちゃんとできます。ぜひ,行って下さい!! 東ティモール編は何回もUPしているが,どこにあるのかご存じか?インドネシアの中にある。ティモール島の東半分と飛び地で西ティモールの一部にある。 ’02年5月,複雑な経緯があるがインドネシアの占領から独立。実際は,ポルトガルからの独立。 その後,’06年~’08年には,いろいろな動乱が起きている。’06年の動乱の時は,住民のほとんどが難民となってディリを出た。 地図の画像は,JICAのサイトより引用。飛び地オエクシなどを加筆。 私は,初めは’03年8月に行った。独立1年後だ。独立後も騒乱が起きている。 今までも何回かUPしているが,独立後に焼き討ちに遭ったスーパー。私が行く何ヶ月か前だろう。 撮影は,もちろん’03年8月だ。 ここも,焼き討ちに遭った跡。 これも,’03年8月。 これは,民家。 同じく,’03年8月。 今でも… 投石や暴動の対策として,窓に金網を張っている。 ’11年8月。 形式はかなり変わったが,今でもUN(国連)が,治安維持に関わっている。 これは,’12年8月。 左は,UNMIT(国際連合東ティモール統合ミッション)の駐屯地。厳重に警備されている。駐屯地は,あちこちに点在するが。 ’11年8月。 なお,UNMITは,この前の’12年12月をもって活動を終了した。 次回に続く… ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/21
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東ティモールのディリ。乾季で干上がった川を歩いた。時は,’12年8月9日。同じ所を,ちょうど1年前にも歩いている。’11年8月の様子(クリックでジャンプ) 似たような光景になるが,大きく違うのは出会う人々。これが楽しい。その3 ↑ 昨日の動画の続き。画像をクリックすると,動画(ビデオ)が見られます。動画は,デジカメでかなり撮影してからVTRで撮ったので,この時点では私はほとんど笑っているだけだが… せっかくたくさん撮ったので,昨日の子どもたちをもう少し。静止画でも,動きが感じられると思う。 この先は人がいないので,川岸に上がる。民家 おかずを並べた食堂がある。 その先は,大通りになっている。 大通りに架かる橋を歩く。 橋には,こんな文字があるが,「おいおい!」落書きだらけ。 去年は,こうだったんやけどな。スズキの文字。左上のロゴは,あの「スズキ」か? 橋の上から見る。ここは,歩いていないところだ。この木は,薪になるのかな。 この先の下流には行ってないが,今度行くことがあったら,歩いてみよう。 再び川に戻る。戻るまでに,何枚も写真を撮っているのだが,川の中ではないので,別の機会にUPする。 ※ ところで,ちょっと… 東ティモール編は何回もUPしているが,どこにあるのかご存じか?インドネシアの中にある。ティモール島の東半分と飛び地で西ティモールの一部にある。 ’02年5月,複雑な経緯があるがインドネシアの占領から独立。実際は,ポルトガルからの独立。 その後,’06年~’08年には,いろいろな動乱が起きている。’06年の動乱の時は,住民のほとんどが難民となってディリを出た。 地図の画像は,JICAのサイトより引用。飛び地オエクシを加筆。 私は,初めは’03年8月に行った。独立1年後だ。独立後も騒乱が起きている。 今までも何回かUPしているが,独立後に焼き討ちに遭ったスーパー。私が行く何ヶ月か前だろう。 撮影は,もちろん’03年8月だ。 ここも,焼き討ちに遭った跡。 これも,’03年8月。 これは,民家。 同じく,’03年8月。 今でも… 投石や暴動の対策として,窓に金網を張っている。 ’11年8月。 形式はかなり変わったが,今でもUN(国連)が,治安維持に関わっている。 これは,’12年8月。 左は,UNMIT(国際連合東ティモール統合ミッション)の駐屯地。厳重に警備されている。駐屯地は,あちこちに点在するが。 ’11年8月。 なお,UNMITは,’12年12月をもって活動を終了。 次回に続く… ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/20
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東ティモールのディリ。乾季で干上がった川を歩いた。時は,’12年8月9日。同じ所を,ちょうど1年前にも歩いている。’11年8月の様子(クリックでジャンプ) 似たような光景になるが,大きく違うのは出会う人々。これが楽しい。その2 機材は,全てソニー。ミラーレスデジイチαNEX-7が中心だが,コンデジ(HX-30V)や,VTR(PJ760=やや細長い画像)の静止画像も混ざっている。 川沿いには,民家が点在する。青年たち。左は,何をしているんやろ? 青年が,お父さんの散髪をしているようだ。お父さんは,鏡を持つ。 駐車場に? いきなり水が少し流れているとことろがある。しかし,その基準がよくわからない… この先は,川が合流していた。この向こうを進み,左側に曲がる。右に進むと,昨日にUPした橋になる。 左に進む。やはり,ここにも水がほとんど無い。 向こうの青年から,声がかかる。車がある。 タイヤ交換?車持ちと言うことは,富裕層か? そんなに金持ちにも見えないが…ブロックで,がっちりとした家ではある。でも,川に挟まれたとこでもある。雨季は,水でいっぱいだろう。 上から声がかかる。あとの子は隠れたが, ちゃんと出てきて写る。おいおい,少年の顔が隠れてるで!…まあ,日本の子どもでもありがちなことだが(^_^;)でも,これは何のサイン?? さっき,車の前でバイクにまたがって声をかけてきた少年が,いつの間にか上にいる。おっと,少女は手に包丁を持っている。何か切っていたのか? これは,サッカーゴールだ。この時期,どうせ水は流れてこない。 今度は,近くの家から子どもたちが集まってきた。しかし,いっぱいいるな! よく見ると,微妙に人が入れ替わり… 押し合いに!よくあることで…(^_^;) 実際には,何枚も撮っている。みんな,「ミスター!」と言って写してもらおうとする。去年もそうだったが,どこへ行っても「ミスター!」と呼んでくる。とにかく,写してもらうのが大好きなようだ。 頃合いを見て,切り上げてまた歩く。 放っといたら,いつまでもキリがない。こういう時の切り上げ方。1 私が時計を見て,おっとという感じで「バイバ~イ」と言って歩き出す。2 親が出てきて,「そろそろ終わりなさい!」と声をかける。3 リーダーの子が,「もう終わろう!」と声をかける。 今回は,親たちが後ろで見ていたが,笑っているだけで何も言わない。リーダーの子も必死に写ろうとする…ので,私から切り上げた。 おもしろいもんで,リーダーは年長の女の子のことが多い。今はどこに行っても女の子が強いのか?? ↓ 動画編 このときは,私はほとんど笑っているだけだが…(^_^;) また歩く。 次回に続く… ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/19
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東南アジア,南アジア各国では,乾季と雨季では大きく違った顔が見られる。乾季は何もない大地に,雨季には水が溢れていることは普通にある。 今日からしばらくは,東ティモールのディリ。乾季で干上がった川を歩いた。 時は,’12年8月9日。同じ所を,ちょうど1年前にも歩いている。’11年8月の様子(クリックでジャンプ) 似たような光景になるが,大きく違うのは出会う人々。これが楽しいのだ!!その1。 ディリの町外れ。橋の上から,これから歩く川を見る。乾季で,水はほとんど流れていない。 タクシーを洗う。 これは後からの撮影だが,私が上の2枚の写真を撮っていたのは,この橋の上からだ。 今回は,この画像以外のほとんどは,ソニーαのNEX-7で撮影。前年は,コンデジとNEX-5だった。ド素人だから,コンデジと変わらん画像やけど… すぐに川に降りたのではない。それではおもしろくないので,この先の集落に入って,その先から川に入るのだ。 道を進む 集落を15分ほど歩くと,川に到着。この辺は,水が全くない。去年も,そうだった。 これは,なにやろ? 石垣を見ると,雨季には水がかなり溢れると思う。 どこの国へ行っても,こんなゴミがそこら中に捨ててある。環境に対する意識は低い。雨季には,流れていくんやろけど,最終の行き先は海だ。その海を漂流して… さあ,これから川を歩く。 この後,案の定??多くの人々に会う。 次回に続く… ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/18
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ミャンマー(ビルマ)のダウンタウン(中心部)には,コンビニがない。万屋はあるが。 私は,1人の時は,晩はスーレー・パゴダ以西の19th通りで串焼きを食べて生ビールを飲む。その帰りに,ビールを買ってホテルで飲もうと思っても,21時を過ぎると帰り道に買える店が見当たらない…ほとんどの店が閉まってしまう。探し回ったこともあるが,やはり見当たらなかった… スーレー以東ならあるのかも知れないが,わからない。スーレー北側のバス停横の食堂で買えるが,やはり21時を過ぎると閉まってしまう。 以前に,ラオスにもコンビニができて増えていることを書いたことがあるが,今日はミャンマー編だ。 ラオスのコンビニ→「ラオスにもコンビニが増える」(ここをクリックでジャンプ) 唯一あった,マート。21時を過ぎたら閉店だったと思う。この店の商品は,期限切れギリギリのが結構あった。スナック類も,穴が空いてないのに湿ってたりで(^_^;)とは言え,重宝していた。 しかし,このマート,何年か前に無くなってしまった… この前(’12年12月~’13年1月)は,初めて全く違う地区に泊まった。 レーダン地区だ。ヤンゴン環状線で,ヤンゴン中央駅からだと9つ目の駅になる。駅から少し歩くと,この地区になる。ただし,わざわざここまで来る観光客は,いないかな。 ここは,繁華街になる。晩遅くでも,中心部よりも遙かに賑わっている。 この地区には,ちゃんとコンビニがあった!しかも,24時間営業だ!!ラオスだと,晩12時以降は,どの店も営業できない法律があるが,ミャンマーにはないようやな。 昼間の様子。 店の前にも商品が陳列してあるが,店員はいない。盗られたりしないんかな? 店内の様子。 写真はNGかも知れないので,さっと撮る。だから,ブレている。 ビールも,いろいろ。おっと,ビアラオがある!!タイ,カンボジア以外に,ミャンマーにも輸出しているんや。 さっそく買った。どちらも好きなビールだ。 飲み比べをして,味の違いがわかった。だが,その違いは,どうやったかな??…(-_-;)どっちも,おいしかった記憶しか(^_^;) コンビニは,他にもあった。 ここも24時間営業。 ちょっと外れにも,ちゃんとある!たぶん,ほかにもあるような気がした。 ここにもあった………なに?7-11て,ミャンマーに進出してたっけ!? あれ??何か違う… 喫茶店だった。おいおい,全くのパクリやんか!!業種が違うんやけど(^_^;) ちなみに… すでにUPしたものだが,カンボジアのプノンペンでは,こんなマートがあった。こちらは,同業者。 コンビニは,そのうち中心部にも増えていくんかな? ↓他社では味わえない個性的なツアーや緊急のミャンマー観光ビザ発給などしてくれます。 ホテル宿泊料の高騰により,そこそこのホテルは以前の4~5倍ほどに跳ね上がっています。どこも最新の「地球の歩き方」掲載価格よりもさらに高くなっています。ホテルの予約をお願いするときは,希望の詳細を伝えた方がいいと思います。(エアコン,ホットシャワーの有無,トイレ,冷蔵庫,朝食など) 「Golden Diamond Dragon社」(日本人専用サイト版) 英文サイト→「Golden Diamond Dragon Travels & Tours」 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/17
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この前,カーオカームー(豚足煮込みご飯)を特集したが,今日は鶏。焼き鳥,唐揚げ,茹で鶏等々… ピンカイ(焼き鳥)。ラオスのサワンナケートのメコン川沿いにある屋台で。 タム・マークフン(タイでは,ソムタム),カオニャオ(おこわ=右上)もある。 同じくラオスのヴィエンチャンにある,“KFC”フライドチキン ’10年2/7の日記でUP(クリックでジャンプ) フィリピンのセブ本島のセブシティに,焼き鳥などの店が並んでいるところがある。 そこの焼き鳥 左は,唐揚げ。マニラで。 台湾の奚隹腿飯。奚隹は,1文字だ。鶏もも肉の唐揚げ定食。 手羽先ご飯。カンボジアのプノンペン。 焼き鳥?ご飯。カンボジアのバッタンバン。 東ティモールのディリで。鶏を揚げたのと,ご飯などを。 インドネシアのバリ島ジンバランで。サテなど。 カオマンガイ。蒸し鶏だ。タイのバンコクで。 同じく,バンコクで。 シンガポールのチキンライス。鶏をご飯に乗せた方が多いのかな? 同じくシンガポールで。 ベトナムのホーチミンで。コムガー。茹で鶏。 こちらは,揚げてある。ベトナムのダナンで。 マレーシアのクアラルンプールで。インド系のカレー屋だ。鶏だ。 ミャンマー(ビルマ)のヤンゴンで食べた,マレーシア料理屋のテイクアウトのご飯。鶏だ。左にあるのは,静岡おでん。だし粉をかけてある。ちょうどこの前,「秘密のケンミンSHOW」で,やっていた。 ミャンマーのヤンゴン19thの串焼きいろいろ。 これも,焼き鳥。ヤンゴンで。 まるまる焼いてるのも普通だ。タイのブンカンで。 カレーに混ざって,唐揚げも。スリランカのニゴンボで。 鶏つくねのカレー。バングラデシュのダッカで。 ビルマカレーは,南アジアのカレーとは,かなり違うが,何でもカレーになってしまう。この中に鶏もある。 鶏関係は,いっぱい撮っているが… 茹でたアヒルのご飯も大好きだ。タイのパタヤーで。 ご飯なしの,おかずにもある。 キジバトも食べた。う~ん,鶏の方がおいしいかな。カンボジアのバッタンバン郊外のコンピンプイで。 まだまだ,いっぱい食べているが,紹介しきれない。 どれも,旨かった!! ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/16
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初心を思い出す編,その2.弟同行編だ。友人の3回に対して,弟とは5回だった。 ’98年8月。前回の友人と行ったのに続いて再び台湾だ。 台北車站駅前には陸橋があった。弟と行ったときは,地下道の工事が始まっていた。 自強号で台南と高雄に寄ってから,当時はマイナーな?最南端の墾丁へ再び行った。 このおばあちゃんは,今までに何回か紹介しているが,日本語を話す。前回に友人と行ったときに知り合い,バスのチケットなどを手配してくれた。このときは,知り合いの安くてきれいな宿を紹介してくれた。さらに,レンタバイクも手配してくれた。 前回は行かなかった東側の台東まで行った。なぜか,南国のフルーツが目に焼き付いた。 次に行ったのは,’98年12月~’99年1月のベトナム。 ホーチミンで,シクロに乗った。弟は,右に乗っている。 そのシクロのドライバーと撮影。デジカメじゃなく,VTRの動画だったが。 水中翼船(今は運行していない)で行った町カントー。水上マーケットだ。 カントーで出会った物売りの2人。しばらく話をした。 牛肉は,固かった…空心菜の炒め物は,ちゃんと食べている!ホーチミンで。 ビーチがある町ブンタウ。ここへも,水中翼船で行った。食事中に停電。店は真っ暗になった。しかし店員は慣れたもんで,すぐに蛍光灯の懐中電灯を点けてくれた。 丘から街を見たところ。 ’06年12月,8年ぶりに行った。きれいに整備され,建物も増えている。 次いで,中国。’99年8月。 トロリーバスと言うのを,初めて見た。広東省の広州で。 さすが自転車の国。どこの歩道橋にも,自転車用のスロープが造られていた! 海南島(海南省)に行ったときに,なぜか地元人のツアーに参加することになって,北部の海口~南部の三亞までの1泊2日の行程で行動した。全て中国語で,全くわからない… これは,海南島中部の山中にあるインドネシア村らしい。ミャオ族だかなんだかで。兄弟で記念撮影。これも,VTRやけど。 一緒に昼食を。見ていると,骨や殻,食べられないものは,みんな次から次へとテーブルの上に捨てていた。「おいおい!!」と思ったが,これが普通のようだ… このとき,仲良くなった2人の中国人と行動を共にした。ガイドの後をゾロゾロついていくのがイヤで,あっちへフラフラこっちへフラフラ行っては,他のみんなに探され,迷惑をかけまくっていた。それでも,他の客は怒らず,みんな寛大だった。 このときの珍道中記は,’10年11/3の日記を見て下さい!(ここをクリックでジャンプ) あっ,今ごろ気がついた!! bali★toshi さん,酒蔵天領誉 さん,itchann さんのコメントの返事を書き忘れてた…ごめんなさい! その次は,ミャンマー(ビルマ)とタイ。’99年12月~’00年1月。 当時の首都ヤンゴンで,日本語がペラペラの少年が町を案内してくれた。近くのお寺で習っているとか。最近知ったが,盟友masaさんは,同じ頃ヤンゴンの寺で日本語を少年たちに教えていたとか。当時は,今のように多くの日本人が日本語を教えていたわけではない。確かめようもないが,もしこの2人がmasaさんに習っていたとすると,ものすごい偶然になるが,そんなことはまずないだろう…(^_^;) 南西部のパテインの町。当時は,ヤンゴンからの道が本当に悪路だった。 トラックを見たときには,「なんやこれ!?」と驚いたもんだ。 パテインからさらに西へ行くと,チャウンター・ビーチがある。そこまでは,たいへんな悪路だった。山道は凸凹で超バンピー,バスもボロボロで… チャウンターの村の中を歩いた。 知り合った地元のビルマ人と。 そして最後にラオスとタイ。’00年8月。 当時のタラート・サオ。近距離バスターミナルはすぐ前だった。 メコン川沿いには,民家もあった。 ルアンパバン~バンビエン行きのバスが山中で故障した… ラオスの桂林と言われるバンビエン。朝に山を見ると,雨季で雲がかかってすごいことになっていた。 これは,フーと思っていたが,カオピヤックセンか?このときの記憶がなく,今頃気づいたが,生のトマトが入っている。トマトが入った麺を食べたのは,このときだけかも… タイにも寄っている。アユタヤのワット・プラ・マハタートにある,木に飲み込まれた仏像の頭部。その昔,ビルマ軍によって破壊された名残なのだ。 ご存じの方も多いだろうが,アユタヤにはかつて日本人町があった。山田長政を祀る神社と石碑がある。 ハガキを売る子ども。つい買ったんやったかな? 私の旅の最終地の定番のパタヤーは,友人と初めて行ったときから,すでに行っていた。弟と行ったときも寄っている。 その後,弟も行けなくなり,’00年12月から一人旅になった。カンボジアへ行った。 昨日と今日で,初期の頃を今一度思い出した。画像を見ていて,「今でもほとんどを覚えているもんやな!!」と思った。 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/15
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思うところあって,初心を思い出そうと思う。 じつは,私をアジアの旅に誘ってくれた友人とこの前に約10年ぶりに会った。小学校~高校まで一緒だった心からの親友だが,引っ越して,なかなか会う機会がなかったのだ。 アジアに初めて行ったのが,’94年8月。初めてタイに行ったときのことは,最近も書いている(旅の始まり~タイ・さらにNEW=クリックでジャンプ)ので,見ていただいたかも多いと思う。そこにダイジェストで付け足す形でUPしていく。 最初は,友人に誘われて行った。本当に怖かった!一緒に行ったのは,タイ,マレーシアのペナン島,台湾の3回だった。 その友人が,家の事情で行けなくなり,私も行かなくなった…のではなく,弟を誘って行くことになった。台湾,ベトナム,中国,ミャンマー・タイ,ラオス・タイの5回だった。その後,いよいよ一人旅になった。1人では40回以上になる。 今日は,初めに友人と行った3回分だ。当時は,デジカメを持っていなかった。8ミリや初期のミニDVのVTRからのキャプチャなので,画像は荒い。 まずは,タイ。’94年8月。 深夜で周辺は真っ暗なせいか,不気味に見える建物。しかも古くてボロい。部屋のドアの鍵は南京錠だ。中は薄暗くて汚い部屋。簡単なベッドしかない。しかも,ボロい。こんなとこで寝るのか!??2人で1泊120バーツ(当時のレートで480円)。1人分は,たったの60バーツだ。 ‘09年12月,約15年半ぶりに,その旅社を訪れる。‘10年2/2の日記でUP(クリックでジャンプ) 初めて見たトゥクトゥク。驚いた! 上からチャオプラヤ川を望む。茶色の川もめずらしいし,街の光景もめずらしかった。 寝大仏を見たのは初めてだった。何もかもが新鮮だった!バンコクのワット・ポーで。 バンコク~チェンマイは,確かタイ国鉄で10時間以上乗った。 チェンマイで昼食。かの友人だ。 チェンライで泊まったホワイトハウス・ゲストハウスの主人だ。ここの従業員の兄ちゃんたちと仲良くなり,カラオケなどへ行った。 ‘04年8月,10年ぶりに見に行ってみた。なんと,ホテルになっていた! ここは,ゴールデントライアングルで有名なチェンセーン郊外。タイ・ミャンマー・ラオスの3カ国の国境が接するところだ。右がラオスで左がミャンマーだったかな? メーサイは,ミャンマー(ビルマ)との国境だ。向こうは,ミャンマーのタチレク。この時は,越境はしなかった。 ’03年1月,約8年半ぶりに訪れた。国境は何回か越えた。画像は,’05年1月。 次は,マレーシアのペナン島。’96年12月~’97年1月。 ペナン島の街を歩いていた。友人は,恒例の現地での散髪だ。これが,たいへんな散髪になったのだ!こんなの見たことない!!大笑いだった!詳しくは,’07年7/28の日記を!(クリックでジャンプ) 路線バス乗って行った,ジョージタウン。ここは屋台が並んでいた。 これは,ラクサだったかな?どうも口に合わなかった… 鶏肉のご飯,ビーチの外れまで歩いて行ったところにあった店で食べた。これは,うまい!! マクドには,現地限定メニューがある。これは,何やったかな?(^_^;) 今はなき?ヤオハンのビルだ。ヤオハンとコムタビル。 そのコムタビルより。画質は,かなり荒い! 本土マレー半島のバタワースへ行くフェリーに乗った。 そして,台湾。’97年12月~’98年1月。 最南端の地,墾丁を歩く。当時は,元気だった! 墾丁国家公園 定番の排骨飯に,空心菜の炒め物。ほんまに旨い!! 墾丁と恒春の間にある南湾。 しかし,この近くには,台湾電力第三原子力発電所(第三核能發電廠)があるのだ。 画像は,wikiの台湾版からの引用。 台南の夜市。街なかからここに来るまでの所にある半屋台のステーキ屋の肉が,たいへんおいしかった!この後,弟と行ったときもわざわざ食べに行った。店の名前を忘れてしまった…もう1軒ほかの町にチェーン店があった。 台中の路地裏。 ここで食べた陽春麺と肉燥飯がおいしかった。 ひなびた四重渓温泉。日本統治時代に開発された温泉で,高松宮宣仁親王がハネムーンに訪れたのだ。 高雄の六合夜市。 ’98年8月にも弟と行ったが,その後’04年5月にも,約6年ぶりに行った。 この初期の頃の新鮮さは,今や全くなくなってしまった…アジア大好きだが,惰性で行ってる面も否定できない。これでは,イカン!!と言うことで,初心に戻ろうと思った。 友人とは,もっと行くつもりだったが,どうしても家庭の事情があり,以降は断念した。 そして,パートナーは弟へ替わった。 弟同行編は,明日に… ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/14
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WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)が,予想以上に盛り上がっている。視聴率も,すごいようだ。私も,初めは日本代表の選出の経緯から,「う~ん…」と思っていた。 しかし,始まればやはり気になる。結局見てしまう!台湾戦の鳥谷の盗塁は本当に興奮した!!アウトになったら即ゲームセット。タイガースファンだから,なおさらだ。いつもは超クールな鳥谷があんなに雄叫びを上げるなんて,見たことない! 同時に,台湾は,本当に強くなったと,うれしくなった。それは,大いに感心したのだが,もっと心に残ったことがある。 その激戦の台湾戦後だ。みなさんは,気がついたか? 試合後,台湾代表が全員ベンチから出てきた。私は中継を見ていたが,3塁線側でスタンドに一礼をするのかと思っていた。ABC(TV朝日)の映像より。 日本代表(右側)が,日本プロ野球で多く見られる歓喜のハイタッチの中,台湾代表はマウンドを囲んで外を向く。これは?? なんと,全方位に深々と一礼をしたのだ!!こんな光景は,見たことない。見た瞬間,本当に感動した!!礼儀正しさでは世界一の日本,こういったことは多く見られるが,台湾はその上を行った!! みなさんは,どう思われるだろうか?? 台湾での第1ラウンドB組では,韓国に対して台湾の思いがぶつかった。ご存じの方も多いと思うが,歴史上,韓国は台湾に対して多くのヒドいことをしているからだ。 また,東日本大震災二周年追悼式に対する中韓の対応は,本当に失礼だと思う!!政治と混同するのは大きな間違いだ!!人間としての問題やんか!! 台湾は,どの国よりも,莫大な支援をしてくれているのに! → msnニュース 「震災式典欠席、中国へ不快感「極めて残念」 韓国は「事務的ミス」」(クリックでジャンプ) → 朝日新聞 「震災追悼式に中韓欠席 台湾紹介に不満・「事務的ミス」」(クリックでジャンプ) 中国は,なんと心の狭いことか!!政治とこれは別やんか!! 現在,中国と国交を結んでいる国は多い。しかし,同時に台湾との国交を断絶することになる。しかし,日本はいろいろなチャンネルで交流している。 でも,どう見てもまともで常識があり正常なのは台湾。同時に,台湾は,立派な“独立国家”だ! 私は,ずっと台湾を応援していく!!!台湾加油!! 疲労で元気なく,更新だけになっていますが,コメントの返事や訪問は,後日にします。よろしくお願いします! ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/13
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詳しくは書けないが,ここしばらくの体調不良。ちゃんと医者に診てもらってますので,たぶん大丈夫です…と言うことで,元気を出すために?私のアジアの大好物の1つをUPする。 私は,タイのカーオカームー(カオカームー)が大好物だ。豚足煮込みご飯だ。今までも,何回かUPしてきたが,特集したのは,’07年。かなり前になったので,再び特集だ。 本当にハマったのは,’04年8月。 ここは,北部のチェンライ。バスターミナル前の指さしでいける作り置きのおかずの食堂。 奥を見ると,「おっとこれは,おいしそうや!!」 豚足を,シーズニングソースなどの調味料や様々な漢方薬などで長時間煮込んであるのだ。トロトロに柔らかくなる。見ての通り,豚足以外の部分も入っている。 ゆで卵にはダシがしみこんで,これまたおいしいのだ!このときの味が忘れられない!今でも,1番おいしいと思っている!!それ以来,カーオカームーにこだわるようになった。 このときは,他のおかずも一緒に食べた。ビールもあるけどね(^_^;) フラッシュを焚かずに暗いが,これは’03年1月。タイのメーサイだ。すでに,何気なく屋台で食べていた。 このとき,厳しい現実を見た。横の屋台でクティアウ(日本で言うと,ラーメンの類になる)を食べ終わった客が,スープを残して立ち去ると,横で待っていた少年数名が,そのスープを飲み始めた。店員もわかっているのか,飲み終わるのを待っていた。 東南アジアで発展しているタイでも,これが実情だということを実感した。 ’05年1月,やはりメーサイ。店の大将は,私を見かけると「トンコツ,トンコツ~♪」と,日本語で叫んでいた! こっちは,フラッシュで撮影。 ’05年8月,北西部のメーソットで。これは,卵がない。野菜は,店によっていろいろだ。 コンケーンの屋台。同じく’05年8月。「地球の歩き方」では,「コーンケン」となっているが,全く通じず,地元発音では「コンケーン」だった。 柔らかくて,うまいっ!! ここは,チャンタブリ。屋台が並ぶ。ここも,「チャンタブリー」平坦な発音では通じず…「チャンタブリ」と,チャンタを強調して,ブリは下りの発音すると通じた。また同じく’05年8月。 迷わず食べる。やはり,卵は欲しいな!! ’06年8月。ドンムアン空港付近だ。スワンナプーム空港開港の直前だった。 ’07年8月,ウボン・ラーチャターニーで。 ここも卵無し。でも,旨いことに変わりない!! パタヤーには,外国人向けの店が多いが,有名な「飛天空心菜」でも,食べられる。 ご飯は別の,おかずだけも注文できる。 これは,’13年1月,パタヤーで新たに見つけた店「張龍記」。ここでも,頼んでみた。他のメニューは外国人価格で高いが,なぜかカーオカームーは結構安かった。 ’12年1月。バンコクのフアランポーン駅前の店で。 このカーオカームー,タイだけでなく,ラオスにもある。これは,ラオスのヴィエンチャンの街なか。旨そうやな!!私は,何回も行ってるのに食べてなかった…今度行ったら,絶対に食べよう!! 我が盟友のGkenさんは,ラオスで何回も食べられているようだ。 好きなものは,他にもたくさんあるが,カーオカームー(カオカームー)は,こだわって食べていく!! ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/12
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この時期になると思い出す。2月のことだが,あの事故と,あの歌を… 当時中学生のあのとき,京都市伏見区の塾に通っていた。当時は,塾に行っているのは,クラスで2人ぐらいのときだった。京都では有名なS学園。 昔は,まじめで勉強はできる方だったが,塾をサボって遊びだした頃でもある。その後,我が人生は迷走を始める。詳しくは書けないけど…(^_^;) ’80年2月20日。京阪電鉄置石脱線事故が起きた。→ wiki(ここをクリックでジャンプ) 私は近鉄電車で通っていたが,京阪電車で通っている友人は多くいた。その帰宅直前に起こった事故。死者はいなかったと言うが,負傷者104名の大事故だ。もう少し遅ければ,私の友人たちも巻き添えになったところだ。 後日,友人たちに聞くと,帰宅は深夜になったらしい。 この事故は,いつまでも忘れない… 他サイトより引用。 → http://jijiganko.web.fc2.com/keihansyowa10.html これも,他サイトからの引用。 このときに,家に帰ってから,ラジオのニュースで知った。当時は,近畿放送(現KBS京都)の「ハイヤングイレブン」「ハイヤング京都」,MBS「ヤングタウン」,朝日放送(現ABC)の「ヤングリクエスト」,近畿放送(ネット局でニッポン放送)「オールナイトニッポン」を毎日聴いていた頃だ。 その日,帰宅してから聴いていたのは,ABCの「ヤンリク」だった。かかっていた曲は,あの海援隊の「贈る言葉」。その中で,番組を中断して事故のことが伝えられたのだ。 ちょうど,この時期によくかかる曲だ。だから,この曲を聴くたびに,この事故を思い出す。 私前後の世代の大多数の人は,TVの金八先生や卒業式の歌として認識していると思うが,家の決まりでTVを一切見ることができなかった私は,全く別の意味で印象深く残っている。 ちなみに,SPレコードを持っている。 ↑海援隊「贈る言葉」 ちなみに,私の幼少の頃に,近所で国鉄が脱線して止まってしまっているのを見に行った記憶があるのだが,どこを調べても出ていない…夢だったのか??国鉄奈良線だが,昭和45年頃かな? ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/11
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今日は,ちょっといろいろ疲れた…と言うことで,短編。しかも,アジア以外で(^_^;) 今年で90周年を迎える耐久レース,フランスの「ル・マン24時間レース」。先日,その各年代のベストマシンというのが発表された。1920年代~2010年代までの10年ごとの選出だ。 ベントレーに始まり,アルファロメオ,フェラーリ,ジャガー,フォード,ポルシェ,プジョー,アウディなどのそうそうたるメーカーだ! その中で唯一選出された日本車が,あのロータリーエンジンの「マツダ787B」だった。’90年代でプジョー905と並んで選ばれた。 '91年のル・マン24時間レースの優勝車だ。2台出走で,55号車が優勝,18号車が6位だった。さらに,787は8位。 これは,’08年5月。広島のマツダの工場内にある,マツダミュージアムに展示されている,マツダ787B・55号車。レナウン・チャージカラーだ。 ドライバーは,フォルカー・バイドラー,ジョニー・ハーバート,ベルトラン・ガショーだった。 ジョニー・ハーバートは,F1で,ベネトンやロータスなどから参戦している。日本では,全日本F3000選手権などに参戦している。 ベルトラン・ガショーも,もとF1ドライバーだ。なかなかワークスのチームからは,参戦できなかったが… ここには仕事で,’03年と’08年の2回行っている。マシンの前に行くと,やはり興奮する!! 私は,F1や,スーパーフォーミュラ(旧Fニッポン)などの,フォーミュラカーが1番好きなのだが。時代をごちゃ混ぜに言うと,F2,F3000,F3などなど… ついでに,'06年にデトロイトモーターショーに出品されたコンセプトカー「鏑」だ。 日本では,日本国内には’08年GWのひろしまフラワーフェスティバルで初お目見えした。その直後に,このミュージアムに置かれたようだ。 後部 運転席 私は,三菱,トヨタユーザーだけど,ちょっと載せてみた! ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/11
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大きく変わりゆくラオスのヴィエンチャン。メコン川沿いが大きく変わっているのは,何回かUPしてきた。 ’09年に始まったメコン川沿いの大規模工事は,今年で完了するはずだ。 何もなかったところに巨大な堤防のような歩道ができ, 誰かの像が建ち, 噴水もできた。噴水は,ナンプ,パトゥーサイに続いて3つ目かな。 しかし,今日の話題は工事ではない… ときは,’12年1月4日。夕方6時頃。 川沿いを歩く。と… これは! 出た!東南アジアの「ゆるゆるエクササイズ」やっ!! 前には,インストラクターがいる。 PAがあって,大音響が流れている。参加は誰でもOK。費用は,3,000キープ(約30円)だ。 そう言えば,ラオスに初めて行った’00年8月に,この近くですでに「ゆるゆるエクササイズ」をやっていた。当時は,川沿いのファーグム通り沿いの大きな屋根があるところでやっていた。その後も,何回か見た。工事中は見なかったが,また復活したようだ。 ↑その動画だ。画像をクリックで見られます。「3,000チャット」と言ってるが,3,000キープの間違いだ。 この「ゆるゆるエクササイズ」,東南アジア各国で見ることができる。 タイのピッサヌロークで。 ’05年8月。 カンボジアのバッタンバンで。 ’06年8月。 ベトナムのダナンで。 ’06年12月。 タイのノンカーイで。 ’07年8月。 そう言えば,全て川沿いでやっているな。 カンボジアのプノンペンで。ここは,国立競技場「オリンピック・スタジアム」内だ。 ’10年8月。 プノンペン編は,何回かに分けてUPしている。 画像→ここをクリックで見られます 動画→ここをクリックで,いろいろ見られます この「ゆるゆるエクササイズ」,またどっかで見るだろう。参加は自由。多少のお金が要るが微々たるものだ。興味がある方は,参加されてみては?? ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/10
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ラオスの首都ヴィエンチャンは,いま大きく変わっていっている。近代的な建物が建ち,メコン川沿いも大きく変わった。近代化が悪いと言うわけではないが,メコン川沿いはあまりにも変わりすぎた。以前から知っている者にとっては,何か悲しい… ヴィエンチャンのメコン川沿いの屋台の様子の変遷は,’12年1/15の日記でUP(ここをクリックでジャンプ)している。 今日は,「ラオスのメコン川沿い’12.1Vol.4」編(’12年8/3にUP=クリックでジャンプ)の晩編のさらに翌晩編になる。 つまり,ときは’12年1月4日。 前日の1/3の晩の様子は,’12年9/26の日記(ここをクリックでジャンプ)でUPした。 午後6時過ぎ。前日とは違う店に行ってみた。小さな店に見えるが,食材はいろいろある。 ピンパー(焼き魚)を頼んでみた。そう,昨日からのピンパーつながりでUPすることにした。 前日に行った店は,この後ろ側にある。少しだけ離れている。 これは,また違う店。こちらの歩道側の店は,全部で大小3~5軒あるかな。 この店には,メニューがあった!まあ,メニューを見る前に注文したが。 まずは,当然これだ!ビアラオ!!うまい!!! 皮を少し剥がして出された。 それと,野菜炒め。 誰もいなかった店に,客が増えてくる。 ビールも増える(^O^) 川沿いの整備工事は悪いことばかりではないようだ。道路を渡ったメコン川沿いに,きれいな公衆トイレが,いくつかできていた。無料だ!以前の少ない古い公衆トイレは,有料だったような…と言うか,閉まってるときもあったし。 公衆トイレの横。これは,数少ないビールが飲める店。ただし,食べるものはなし。 こちら側には,多くの屋台があるが,ほとんどが衣料や雑貨などだ。整備されてから,こちら側での食堂屋台は禁止されてしまった… この店は,前日の店よりも小さい。 また増える。 さらに… ただいま9時半頃。さあ,ホテルに戻ろう。 帰る前に,またトイレに行く。今度は,中を撮影。水はセンサーで自動的に出る。ラオスでは,めずらしいのでは?しかも,公衆トイレでだ! 屋台がある側の歩道に戻る。そこで,日本人の若者に会った。ホテルに戻るのやめた。別の店に入った。 記憶が曖昧なので,実際には少し前から日本人と気づいてテーブル越しに話していたのかも知れない(^_^;)どっちにしても,あらためて違う店に入ったのは確かだ。 兄ちゃんが注文する。 再び飲む。今度は2人で飲んでいる。この晩は,大ビンを合計7本分ぐらい飲んだかな。 その兄ちゃん。ぼかしたのではなく,酔ってブレただけだ(^_^;)いろいろと話をしたのだが,記憶がほとんどない… この通り,帰りに撮った写真は,こんなんばっかり何枚もあった…ヨレヨレだ(-_-;)時刻は11時半頃になっていた。 さて,1年以上経った現在,どうなっているだろう?川沿いの整備された方に食堂屋台が復活していることを願っている!! ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/08
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川の上のレストランは,日本でも海外でも別にめずらしくない。アジア各国でも見かける。私は,たまに入る。 今回は,ラオスの船上のレストランをまとめてみた。なぜか,この国でよく見かける。 川の上に建てたのではなくて,船や川の上に浮かんでいるものだ。以前にUPしたものも多くある。 ’02年12月,南部のサワンナケートのラオス人の友人が連れて行ってくれた。中心部より,かなり北の方にあった。メコン川に大量のドラム缶で浮かべてあった。 当時は,第2メコン友好橋がなかったので,この町に来る人は少なかった。 完全なローカルのレストランだ。街から裏道を通って入った。初めて来たら,見つけられない。 魚の塩焼き 魚の身を取り,香草やニンニク,米麺,調味料などを入れて生春巻きで巻く。 手で巻くのだ。 ’07年8月,町の中心部横に,こんなのができていた。第2メコン友好橋ができて,タイやベトナムとの人々の往来が,にわかに多くなったのだ。ホテルの客が,いきなり増えていた。 最終的に,こんなのができるようだ。もはや,船と言うより建物やな。今は,どうなっているんだろう? 次は,’10年2/14の日記(ここをクリックでジャンプ)からの抜粋だ。 ヴィエンチャンからサワンナケート方面へ約25km,車で4,50分ほど行くと,タンゴンという村に着く。そこにある船上レストランへ,友人のGKenさんに連れて行ってもらった。 橋の麓に船上レストランがあった。この川は,ナムグム川だ。上流は,あのナムグムダムだ。 崖は,畑になっている。 テーブル席 左は船上だ 座敷席にきた。こちらは,川底から柱で固定してある。 柔らかい座椅子がある。 川の流れの中にあるのがわかる。 記念撮影 ピンパー(焼き魚)。ラオスは海がないので,川魚だ。サワンナケートの食堂と同じ焼き方だ。 ラープパー(魚のラープ)。ラープは,一般的なラオス料理だ。 料理は,いろいろある。生野菜も多い。そうめんみたいな米麺や何やら具もある。どうやって食べるのか?同行した女性の見本だ。 まず,キャベツの葉に具をいろいろと乗せ。 タレをつける。スプーンでつけても,そのまま浸けてもよし。 そして,そのまま手で食べる。なるほど。私も真似をして食べた。おいしい。あれ?この食べ方,サワンナケートのときと同じだ! 時間があれば,船上で食事も可能だ。船で,エンジンをかけて上流4,5kmあたりまで行き,エンジンを切る。その後は流れに乗ってゆっくりと下ってくる。日本でも,宴会ができる船があるだろう。 レストランを一望。 ナムグム川だ。反対岸にもレストランがある。 最後は,首都ヴィエンチャン,’09年8月。まだ,メコン川沿いに多くの食堂屋台があったときだ。こんな船舶が浮かんでいた。初めて見た。こんなのは,前はなかった。 船底が着くのだろう,桟橋代わりに間に小さな船が入っている。 毎夕方6時にクルーズと書いてあるし,動くんやな。 確かに晩に動いていた!船上レストランになっているのだ。川沿いの大規模工事の後は,姿を見なくなった。すでに完成していると思うが,私は,この護岸整備工事には大反対だ!! ちなみに… タイで唯一水上住宅が認められている,ピッサヌロークの家屋に混じって,水上に浮かんだレストランがある。 ’05年8月。 ’03年8月。混乱の中での独立の翌年だった東ティモールのディリに,以前あった船上ホテル。豪華客船をホテルにした「セントラル・ホテル」。海上にずっと停泊していたのだ。老朽化により,今はない。 ラオスは,ミャンマーとならんで,1番好きな国だ!! ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/07
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アジア各国を歩いていると,ほんのたまにだが,TV局や映画などの撮影現場に出くわす。人が集まっているときもあれば,誰もいないときもある。思わず止まって見てしまう。 タイのバンコク。フアランポーン駅前で,何やら撮影している。 ’12年1月。 モデルさんやな。思わず立ち止まって見てしまった(^_^;)熱帯のタイで,この格好。何かの雑誌か,どっかのポスターになるんやろな。 撮影スタッフは,カメラマンとマネージャー?の2人だけだ。 こちらは,ベトナムのダナン。何やら撮影をしている。VTRとカメラ両方で撮っているので,この子らは有名なタレントなのか? ’07年1月。 ベトナムのアイドル事情は全く知らないが,有名人なのかな?スタッフは,数人いた。後ろには,世界中の子どもたちの絵や写真などが並べられていた。 同じくベトナムのホーチミン。街角で撮影中。 ’06年12月。 左の黒いポロシャツが監督のようだ。西洋人だ。右の人物はスタッフの長のようだ。こちらは,アジア人。あれ?向こうでは,出演者とスタッフがデジカメで撮影しているで! 左のオレンジ色の服の兄ちゃんが主演のようだった。携帯で,どっかに電話してたけど… スタッフ。映画の撮影か? ここは,台湾の台北。台北車站駅からMRTで西へ1駅行くと西門駅だ。ここは,台北の渋谷と言われている。実際には,原宿に近いらしい。 ここで,何やら撮影。人が集まっていたが,特に動きはなかったので去った。 ’06年5月。 現地で見かけたら,思わずしばらく見てしまう。これからも,そうやろな。 ここからは,観光地のカメラマン。昔の日本でも多くいたのと同じだ。撮影して,後日に郵送ということが多かったと思う。結構高かったと思うが… バングラデシュのコックスバザール。数少ない海水浴場。雨季で荒れているにも関わらず,多くの人がいた。 ここに,カメラマンが多数いた。声をかけて撮影。カメラは,一眼レフのフィルム式だ。この国では,カメラ自体がめずらしいときだ。今は,どうなのかな? ’04年8月。 今度は,ラオスのヴィエンチャン。有名なパトゥーサイ(パリの凱旋門を模して造られた)には,多くのカメラマンがいる。一眼レフとプリンタを持って待っている。撮影して,すぐにプリントアウトやな。 ’09年8月と’12年1月 最近は,携帯のカメラ機能で撮る人が増えたが,デジカメを持っている人はまだ少ないので,このように撮影してもらうことが多いようだ。 何回も確認!最近は,韓国や中国から来る観光客が増えている。 その,カメラマンを撮影。聞いてみた。1枚5,000キープ(57円)~10,000(114円)キープらしい。カメラは,ニコンの一眼レフD70とのこと。自慢げに言っていた。価格は,45,500バーツ(13万6千円ほど)らしい。日本での価格と,ほぼ同じだ。 こちらの物価で考えると,途方もなく高価だ。それを,多くのカメラマンが持っている。儲けは知れているのに,どうなっているんや?? そういえば,ラオスは混乱期に海外に難民として脱出した親戚からの仕送りで,結構お金を持っている人がいるが,これもその恩恵か?ただ,なぜかそれらしい親戚もないのにお金を持っている人がいるのも,ラオスの不思議なところだ。 さらに,プリンタも見せてもらった。キャノンのコンパクトフォトプリンターだ。(エプソン製を持っている人もいる)価格は,3,500バーツ(約1万円)だと。電池式でないので,タイ製のバッテリーにつないでいる。しかし,元が取れているのか疑問だった… 最近整備されたメコン川沿いに建つ像の前にも,カメラマンが集まるようになっている。 ’12年1月。 最近は,携帯のカメラ機能が多く搭載されるようになってきたことや,まだ少ないがデジカメも普及してきている。 それでも,カメラは少ないし,一般の家庭で印刷することもあまりないと思う。観光地のカメラマンは,まだまだ何年も活躍すると思う。 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/06
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昨日は,足踏みミシンや秤のUPをしたが,秤は肉類を売るときに多く使っている。肉の写真を見て,今日はアジア各国の生の肉の売り場の特集だ。 ※ 動物の死体の画像を見るのがイヤな方は,下の方は見ない方がいいかも知れません。まあ,そんなにヒドい画像ではないですが… 日本のように,冷蔵して売っていることは,ほとんどない。 マーケットの中で,このように豚肉や牛肉の固まりを並べて売っていることが多い。 ベトナムのハノイで。 店が何軒も並んでいることが多い。 ラオスのポーンサワンで。 内臓などのホルモンもある。 同じくポーンサワンで。 肉が山積み。ラオスでは,牛の生肉のラープは人気だ。 ラオスのヴィエンチャンで。 どこの国でも,見事に?同じような売り方をしている。 カンボジアのシアヌークビルで。 豚肉どっさり。前には豚足が。 タイのコンケーンで。 こちらは,鶏肉どっさり。 同じくコンケーンで。 上から吊す器具も同じ。 カンボジアのプノンペンで。 屋外で売っていることも多い。このように常に払ってないと,ハエが多数寄ってくる。大量に留まったまま,放ったらかしということもめずらしくないが… 東ティモールのディリで。 おっと,ここにも天秤ばかりがあった。 ミャンマー(ビルマ)のタウングーで。 台湾でも,同じように売っているのだ!客が必要なだけ切り分ける。 台湾の高雄で。 客と交渉中。 ミャンマーのヤンゴンのレーダン地区で。 肉を触って確認している。と言うことは,触って買わない人もいると言うことだ。つまり,何人もが触った肉もあると… これはラオス人の友人が,私のために開いてくれる宴会の食材の買い出し中。あちこちの店で触って確認していた(^_^;) ラオスのサワンナケートで。 これは,売るために切り分けている。完全な屋外だ。屋根もない。 同じくサワンナケートで。 鶏の肉をそのままというのも普通にある。 ラオスのヴィエンチャンで。 これは,ニワトリかアヒルか??他の鳥もある。 ミャンマーのタウングーで。 見ての通り(^O^;) タイのコンケーンで。 車通りが多い大通りの歩道で売っていることもある。熱帯の暑い中,排気ガスやホコリなども多いが… 撮ってたら,女の子が写真に入ってきた!じつは,この写真はテイク2だ(^_^;)1枚目は,横からいきなり跳びはねて入ってきたのでブレてしまった。で,もう1枚。 タイのナコーン・ラーチャシーマーで。 これは屋外で撮ったものだが,日本と同じように,スーパーでパックして冷蔵庫の棚で売っているのも,ちゃんとある。右側は,ポークリブ。 ミャンマーのヤンゴンのスーパーで買った。 ここからは,動物そのものを… 豚が,そのまま売られることも多いな。 ラオスのポーンサワンで。 ニワトリやアヒルなどの鳥も,そのまま売っていることが,よくある。 バングラデシュのダッカで。 ニワトリ。カゴの中にも入っている。 インドネシアのバリ島ジンバランで。 ムササビや何かわからん鳥も。 ラオスのポーンサワンで。 大きなネズミかな。 同じくポーンサワンで。 君は誰?? 同じくポーンサワンで。 どの国でも同じなのだが,同じような店が何軒も並んでいて,それぞれ大量に売られていることが多い。当然売れ残りが多く出る。 話を聞くと,暑い中で冷やされずに売っているので,売れ残りは,捨てられることが多いという。(そのまま翌日も売られることもあるらしいが…)この辺りの計算を上手くできずに損をしてしまうことが多いということだ。 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/05
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アジア各国には,懐かしい昔の日本の街角の光景や,昔は普通に使われていたものが多く見られる。 今日は,思いつきで?「足踏みミシン」と「天秤ばかり」を中心に探してみた。 まずは,足踏みミシン。昔の日本では普通だった。私が小学生のときに,学校の家庭科の裁縫の学習で使ったミシンは,足踏みミシンだった。家にあったのも,足踏みミシンだ。 ここは屋外の屋根の下だ。 ラオスのルアンナムターで。 ここも,屋外の屋根の下。他にもミシンが何台か並んでいた。 バングラデシュのテクナフで。この町まで行く人は,ほとんどいないやろな。 ここも,やはり屋外の屋根の下。 タイのコンケーンで。 マーケットの屋外で。 ミャンマー(ビルマ)のシットウェーで。 同じくミャンマーのヤンゴンの街角で。なぜか屋外が多い。 同じく,ヤンゴンのレーダン地区で。一応,家の中というのもある。 足踏みミシン専門店か?いっぱい売っている。足踏みミシンが多い理由は,電力事情もあるやろな。電気が来なくても動くし。値段も安いのか? カンボジアのプノンペンで。 次は,秤。天秤ばかりが中心だ。 天秤ばかりは,今でも多く使われている。 ミャンマーのヤンゴン,レーダン地区。 おもりなど これの,おもりは,どんなんやろ? ベトナムのハノイで。 街角で魚を売っていた。でかい天秤ばかりに,大きなおもりもあった。 スリランカのアヌラーダプラで。 こういう上皿天秤型もある。 インドネシアのバリ島ジンバラン地区で。 同じく でもこの時代,やはりこの「上皿ばかり」が多くある, ラオスのルアンナムターで。 東ティモールのディリで。 ベトナムのハノイで。 肉や魚類だけではない。野菜類も量る。 フィリピンのマニラで。 果物類も。 シンガポールで。 天秤ばかりと上皿ばかりを併用している! カンボジアのプノンペンで。 ビーチでカニを食べたときは,重さで料金が決まるので量る。 ベトナムのブンタウで。 さすがに台湾。電子上皿ばかりだ。まあ,多くは,普通の上皿ばかりだったが。 高雄で。 ついでに… 魔法瓶。今の日本では,この型のポットは,めったにないな。 ミャンマーのグェソンで。 他にも懐かしいものは多くある。また,特集をするかも知れない。 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/04
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昨日,ミャンマー(ビルマ)の線路や列車などをUPした。コメントをいろいろもらった。 確かに,保守点検の現状を見ると,たいへん危険だが,多くの人々が乗っている。外国人観光客がよく行くバガンやマンダレー行きなどの人気路線は,日本人も多く乗っている。 今日は,アジアの鉄道や線路の様子,ホームと列車の高低差など,ランダムにUPしてみる。 ミャンマーのモウラミャイン駅からヤンゴンまで,10時間乗った列車。 カンボジア北部のシソポン。カンボジアでは,列車はほとんど走ってない。この路線は,たまに貨物列車だけかな? 以前は,山賊などからの銃器や地雷から身を守る“鉄仮面”を前に付けていた。 シソポンより南のバッタンバン駅手前では,勝手に走っている「バンブートレイン」がある。 この地点~バッタンバン駅手前までの間を,何台かのトロッコ列車=バンブートレインが往復で走っている。住民が勝手に走らせているのだ。当然これは違法だ。だから,駅までは行かない。(以前の日記→クリックでジャンプ) '07年より,アジア開発銀行(ADB)の支援により,復旧工事が行われている。南線の貨物列車の再運行は'11年に,シソポン~プノンペン~シアヌークビルの全線が再整備されて復活するのは'13年の予定だが,いろいろ問題もあって,進捗状況はどうなっているのだろう?(以前の日記→ここをクリック) バングラデシュのチッタゴン。線路はきれいだ。住民の生活道路になっている。 スリランカのキャンディ。枕木が土に埋まっている。 ベトナムのハノイ。ベトナム戦争時に何度も爆撃されて有名なロンビエン橋だ。 台湾。台湾新幹線ができるまで,最速だった特急自強号。 南部の屏東~高雄で乗った列車。その名も「通勤電車」!そのままやん!!(^_^;) 今は,「区間車」と言う名前になっている。 その切符 列車は,たいていホームとの段差が大きくある。これは,タイの列車。アユタヤ~バンコクで乗った。どこの国でも,ホームとの段差があることが多いと思う。 でも,日本でも,以前の国鉄時代は段差があるのが普通だったと思う。列車の出入り口が階段になっていたはずだ。 ここからは,MRT関係。MRTは,どこの国で乗っても,その段差がほぼない。 台湾の台北のMRT。ドアの外のホームと高さは同じだ。 これは,「EASY CARD」。日本の「ICOCA」や「Suica」などと同じだ。MRTだけでなく市内バスにも使える。運賃は2割引になる。コンビニでも買えるのだ。もちろん,何度でもチャージできる。 シンガポールのMRT。やはり高さは同じ。 車内 これは,「EZ Link Card(イージーリンクカード)」。これも「EASY CARD」と同じ使い方ができる。MRTもバスもOKだ。料金は割安になり,チャージもできる。マクドなどの支払いやコンビニの決済などもできるそうだ。今は,新型のカードに変わっているようだ。 タイのバンコクのMRTも。 車内 MRT用の「ストアード・バリュー・カード」,回数券だ。割引運賃になって,チャージもできる。 フィリピンのマニラのMRT.ちょっと高いが,ほぼ同じ。 新しい車輌は,明るいが。 こんな暗い車輌もある。ここに人がいっぱいなので,かなり警戒をしてしまう。 アジアのMRT・LRTについては,以前にUPしている。(クリックでジャンプ) ランダムに短く鉄道特集でした。 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/03
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3/1の日記の中に,ミャンマー(ビルマ)のヤンゴン環状線の線路の画像を1枚入れた。lennon909 さんから,すごい線路の様子についてコメントがあった。 と言うことで,今日はその線路を特集だ。以前にUPした画像も何枚かある。鉄道の様子は,今までに何回もUPしてきているので,古くからおつき合いいただいている方は,ご存じだと思う。 ミャンマーの鉄道は,100年以上前の英国植民地時代に敷設されて,ほとんどメンテナンスをしないまま長年使われている! 列車に乗ると,ふつうの横揺れだけじゃなく,縦揺れもあるのだ!こんなのは,この国の鉄道ぐらいだろう。 この前にUPした,ヤンゴン環状線の線路だ。枕木の間隔が適当だし,レールとバラスト(敷石)の間に大きな隙間がある! 枕木はコンクリート製なので,替えられてから比較的新しいのだが… ’12年12月。 さて,7年ほど前に遡って,’05年12月。ヤンゴン~モウラミャインまで列車で行った。途中のバゴーで何泊かした。 この線路は,ヤンゴン~バゴー間だ。様子は,知ってはいたが,見て驚いた!!この上を列車が走るんか??実際,自分が乗っている列車も同じような状態のレールの上を走っているわけで…(-_-;) 列車の速度は,本当に遅い。時速30kmぐらいか? だから,こんなことが結構多く起こっている。転覆や脱線は,よくある。しかし,みんな慣れたもので,簡単に起こして,何事もなかったかのように,走るそうだ! これは,’11年9/1に起こったヤンゴン環状線の列車転覆事故の様子を報じる現地の新聞(ミャンマータイムズ?)からの写真だ。雨季で古い木の枕木が腐って,レールが外れたようだ。ゆっくりなので,被害も少ないのだとか。 詳しくは,’11年9/5の日記でUP(クリックでジャンプ)している。 こんなときに転覆したら,上の人はひとたまりもないやろな… ’05年バゴー~チャイトー間で。 ’05年,バゴー駅のレールの上で撮影。 そのバゴー駅構内。 そして,’08年8月。このときは,モウラミャイン~モッタマ間に鉄橋が完成していて,モウラミャイン~ヤンゴン間が直行できるようになっていた。 間隔は適当だし,だいたい枕木の体をなしてないのもある!! このときは8月で雨季だったが,こんな状態でも走るのだ。右端のレールなんて,完全に水没している! 「おいおい!!(*_*)」…こんなとこも走る。兄さんの向こう側の枕木は?何メートルかの間ないやん!!ちなみに,この兄さんは保守作業員じゃなくて,単に通りがかりだ。 驚いたのは,大幅に遅れるのが普通の列車が,時刻表通りに10時間ほどで,ちゃんとヤンゴン中央駅に着いたことだった!!冠水で,途中で何回も止まったりしてたのに。 ほら!!! 水牛もいるし このときに見たのだが,長年きちんと保守作業をしてこなかったようだが,コンクリート製の枕木が多数置かれていた。少しは近代化?するようだ。 で,’11年12月。ヤンゴン環状線。列車が何本も通る昼間の時間帯に,枕木の交換作業をしている。 複線なので,向こう側からも列車が来るのだが… ある駅構内のレール。ここは,まだ木製だ。バラストもなく,枕木は土に埋まっている。 ’12年12月,同じくヤンゴン環状線。コンクリートの枕木にバラスト…何の問題もない!ここ最近は,かなり改善されたようだ。 …と思いきや,ほんの数分歩いただけで,この有様。 お~い!! しかし,なんやかんや言いながら,私は何回も乗っている!(^_^;) 列車は… ヤンゴン環状線の列車内だ。イスは木製。 大荷物を積み込む人も多い。さらに,売り子も多数いる。 列車は,駅に着くと数秒ですぐに発車してしまう。みんな大急ぎで乗るのだ。大荷物のときは,近くの人がみんなで協力して上げ下ろしするのだ。 ’12年12月は,このカラーリングの車輌を多く見た。 最近,イスがプラスチック製に替わったそうだ。中国製。 画像は,masaさんのサイトからの引用だ。 引っ越しも,列車を使ったようだ。 同じくmasaさんのサイトより引用。 JRのほか,私鉄などの日本の中古車輌も多数走る。 これからも,何回も乗ると思う! ※ ↓ 3/3朝に追加 これは,鉄道と自動車道路の供用の鉄橋だ。驚いた!!’99年12月。パテイン~チャウンターをバスに乗って行くときに通った。 保守作業用の車輌は,ちゃんとある。今まで何もしてこなかったわけではない。 こんなのも… ↓他社では味わえない個性的なツアーや緊急のミャンマー観光ビザ発給などしてくれます。 ホテル宿泊料の高騰により,そこそこのホテルは以前の4~5倍ほどに跳ね上がっています。どこも最新の「地球の歩き方」掲載価格よりもさらに高くなっています。ホテルの予約をお願いするときは,希望の詳細を伝えた方がいいと思います。(エアコン,ホットシャワーの有無,トイレ,冷蔵庫,朝食など) 「Golden Diamond Dragon社」(日本人専用サイト版) 英文サイト→「Golden Diamond Dragon Travels & Tours」 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/02
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ミャンマー(ヤンゴン)に行かれる方,滞在中の方,ご注意ください! 以下,masaさんのサイトより引用。昨日に書かれている。 ラインターヤ地区で 昨晩からインド系住民と ミャンマー人との間でトラブルが起き 暴動に発展し本日の朝4時過ぎまで騒然としていました。 本日も引き続いて トラブルが予測され各地に飛び火する可能性もあり物見気分で 人集を覗いたりするととんでもないトラブルに巻き込まれます。 既に 死傷者も出ているということで弊社のスタッフも 仕事を早仕舞いして全て帰宅させました。 彼らも 家から出ないということです。 郷に入ったら 郷に従え・・・郷に入る前に 郷のことをよく調べて入るくらい 注意して 生活したいものです。 滞在中の方 お気を付けください。 …とのことだ。そのまま治まってくれるのが1番なのだが。 ラインターヤ地区。ヤンゴン市街地から,川を渡ったところにある地区だ。 中に入ると,スラムが広がるところもある。何回か行っているが,そんなに危険なことはない。高級住宅街もある。 その近くには,長距離バスのラインターヤ・バスセンターがある。ダゴン・エヤー・バスセンターとも言うようだが。 かなり広い。主に,ヤンゴンより南や西方向へ行く人が利用する。 ↓他社では味わえない個性的なツアーや緊急のミャンマー観光ビザ発給などしてくれます。 ホテル宿泊料の高騰により,そこそこのホテルは以前の4~5倍ほどに跳ね上がっています。どこも最新の「地球の歩き方」掲載価格よりもさらに高くなっています。ホテルの予約をお願いするときは,希望の詳細を伝えた方がいいと思います。(エアコン,ホットシャワーの有無,トイレ,冷蔵庫,朝食など) 「Golden Diamond Dragon社」(日本人専用サイト版) 英文サイト→「Golden Diamond Dragon Travels & Tours」 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/02
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一応の民主化により,いまミャンマー(ビルマ)ブームになっている。特に,企業の進出の動きが著しい。物価が安く労働者の賃金も安く,設備投資も安くて済むと考えられているようだ。しかし,実際のところは,そんな単純なものではなく,かなり厳しい現実があるのだが…日緬双方の斡旋業者だけが芋づる式に?ボロ儲けのようで。 ある日の晩。ここはヤンゴンの街角。ある建物の前に来た。誰かを待つ。masaさんたちは,近くにいた,おばちゃんと話しているが… 前は大通り。と言っても,車通りは多くない。 女性じゃなくて(^_^;),袋の中に注目。持参したのは,この札束。この国でよく使われるのは1000チャット札(約100円)。額は正確には忘れたが,確か300万円分ぐらいあるので,こんな量になる!最近は,5000チャットや10000チャット札もあるが… ちなみに,銀行に行けば,カウンター内ではおびただしい数の札束を見ることができる!!札束をゴミ袋に入れて持ち歩く人を見る。ラオスでも,同じ光景を見たことがある。 当然,撮影禁止なので,小型カメラで撮影。 masaさん持参のキャンプ用のテーブルとイスをセットする。向こうから誰かが歩いてやって来た。「誰?」,「弁護士!」,「なに??」… 交渉中…ではなくて,契約締結中なのだ。マンションの売買だ。こんな屋外で?? 建築主の女性と契約を確認しているのだ。じつは,masaさんの新居になる。この国では,外国人は不動産を買うことができないので,同居のビルマ人名義になる。知り合いのビルマ人の不動産関係者(モンチ君兄だ)なども入って話を詰める。 ミャンマーでは,弁護士が契約のときに関わり,正式な契約書を取り交わす。 契約書にサインをする。おっと,札束の登場だ!持ち主のほか,弁護士や間に入ったモンチ君兄にも謝礼が払われる。 契約成立!!なんとも,すごいな~ 後日,ここに行った。まずは,1階の階段の入り口に南京錠がある。1番最初の画像の建物の左側だ。買ったのは,4階と屋上の5階。2階と3階にはすでに住人がいるが,みんな同じ鍵で開ける。 階段を4階に上がると,ここにも扉があり,また南京錠。その向こうに,木の玄関扉。もちろん鍵付き。 とにかく物騒なこの国では,鍵が何重にもあるのだ!泥棒が入るのは,日常茶飯事だ。特に外国人の住居は要注意だ。 改装中 壁を壊す。 部屋の間取りを変えるらしいが,壊した壁のレンガを,そのまま再利用するんだとか!大丈夫なんやろか? この画像は,masaさんのサイトからの後日の引用だが,えらいきれいになっている!!エアコンの設置工事中だ。 改築に関して,日本では考えられないミャンマー特有の理不尽なトラブルが多く発生したようだが,知り合いの軍人などの口添えによって,何とかなったようだ。う~ん,やはり軍関係者の影響力は強い!こんなとこで,複雑な国情が見え隠れする。 前には,ヤンゴン環状線(鉄道)も走っている。 しかし,masaさんと知り合ってから約5年。これは,知り合った頃に行った自宅マンションと車。家は,このマンションから今回の家で4軒目。車は,ミャンマーではこの車が初めてだが,今は3台目だ。横にいるのは,モンチ君。 次回に行くときには,新居やな。 ミャンマーでは,外国人が土地や家などを所有(取得)できない。知り合いのビルマ人名義などにするしかない。ただ,新しくできた法律で,それも禁止になるらしいが…名義人のビルマ人と一緒に住むならOKだろう。みんな,あれこれ工夫しているようだ。 賃貸は問題ない。 ↓他社では味わえない個性的なツアーや緊急のミャンマー観光ビザ発給などしてくれます。 ホテル宿泊料の高騰により,そこそこのホテルは以前の4~5倍ほどに跳ね上がっています。どこも最新の「地球の歩き方」掲載価格よりもさらに高くなっています。ホテルの予約をお願いするときは,希望の詳細を伝えた方がいいと思います。(エアコン,ホットシャワーの有無,トイレ,冷蔵庫,朝食など) 「Golden Diamond Dragon社」(日本人専用サイト版) 英文サイト→「Golden Diamond Dragon Travels & Tours」 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/01
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