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ファックスはこれまで3代目のパソコンをサーバーにして取り込むようにしてペーパーレスにしていたが、普段は画面スイッチを切ってるのでファックスが届いたことの確認が非常に遅れてしまうようになっていた。(まあ、今の時代、連絡はメールだからたいしたファックスは来ないけれど)たまにだから面倒でD-ファックスを検討してみたけれど・・・送るのに普通のファックスの×10以上の通信費用がかかるようなので送ってもらう相手にご迷惑をかけるのでやめた・・・。出先でもパソコンあればファックス見れると思ったのだけどこの料金では送っていただく相手に申し訳ない。メールとの互換性がここまで割高だと更にファックスは遠ざかっていく感じ・・・。両方使えればそれはそれで便利・・・というスタンスを超えて一気にファックスは使わない方向に加速しそうな状況だ。というか、今の時代ファックスは要らない感じ。ワープロのように衰退していくようにしか思えない。10円くらいで送れるのでメールより目立つDM送るのに使われてるようなファックスが殆どな現状になっていて・・・ということはD-FAXにしたら、普通のファックスの×10かかってもそれでも送りたいところからしか送ってこないようになる・・・としたら送り主の選別にはいいとも考えられるかも。ファックスはまだ撤廃するまではいかないので高くても送りたい人用に手段を残すと言うスタンスではD-ファックスはやはり便利といえばそうって位置づけは有りかもだ。
2007/09/30
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「そんなの関係なぁぃ~!そんなの関係なぁぃ~!」彼が出てくるまでは「そんなの関係なぁぃ~!」なんてそんな感覚ってのはかなり潜在的意識でしかなかった。「そんなの関係なぁぃ~!」と、潜在的にどこかで感じていても聞いた話をそういうカテゴリーに分けて評価判断したりすることなんか余程くだらない理由を言ってるのを聞いたときしかなかった。だけど最近は違う。自分の中に明らかにはっきりと「そんなの関係なぁぃ~!」って判断が存在するようになった。中途半端な言い訳とか聞くと「そんなの関係なぁぃ~!」って心ではっきり思ってる自分がいることが増えた・・。これまで。潜在的な感覚的な受け止め方で「受け流していたもの」を「そんなの関係なぁぃ~!」という明確な判断に押しやってしまってる自分がいる。ムーディー勝山の「受け流す」ということ無意識にやってる自分に気づくようになったときもかなりショックがあったが・・・時代は「受け流す」を自分を知って更に「そんなの関係なぁぃ~!」へと明らかに進みつつある。このふたつの順番はあまりにも絶妙だった。現代人の思考に明らかに深い影響を落とした気がしてならない今日この頃だったりする。というか「右から左へ受け流す」「そんなの関係なぁぃ~!」私はひそかにしかしかなり激しく影響を受けてしまったようだ・・。こんなマニアックな商品がなんと売り切れかよ・・・
2007/09/29
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最近月に一度程しか乗らないので車検を機に車を売ることにした。10年物だったけど、今日本で売ってない左ハンドル マニュアル車 スポーツタイプ黒 外傷無しA社査定:1万B社査定:26万B社の人と話があったのでそれ以上他の査定は予約していたけれど断った。良くても5万やそこらならの差だろうし彼に売って良いかなと思った。
2007/09/28
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特番であるスーパーの取り組みを紹介していた。そのスーパーで商品に「オネストカード 」を付けてある。「このフルーツはお値打ちだけど 水不足のため酸っぱくなってるのでハチミツをつけて食べるなどが おすすめです♪」ってなかんじ。正直なだけではなくて、それはそうだけど、これはこれでこうしたら美味しいよという提案があるのが良いね。食べ方も広がって、楽しみ方が広がる。付加価値さえ産まれる正直さだ。正直でありたいという経営理念がきちんと形になってる。よく言う「正直だと儲からない」なんて嘘だなと思った。そういうのは正直さが稚拙で、正直なだけで、正直であればいいと甘えてるんだろうな。
2007/09/27
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NTTのような言い方で安心させて実は代理店の営業というプラチナラインの代理店各社の営業にはもう長いことうんざりしていた。これまでは「多少安くなるとかならないとかそんな金額で検討するのも面倒なのでそのままでいいです」「安くなるだけでわざわざ営業の人が来て書類を取り付けるなんて 普通考えてありえない気がして、結局何かお勧めになるのが目的なら分かるのですが]なんて対応していたけれどどこも切り返しができずそのまま電話切ってた。だけど今回の電話営業の女性はかなり元気良くそのあたりもしっかり話してくれてまあいいやと思って申し込んだ。「申し込んでよかった」とここ最近思うのは料金の問題ではなく何よりNTTコミュニケーションズのあちこちの代理店から日替わりで電話が来なくなったこと。かかってくるたびに「またか」「NTTのように巧妙に見せかけるように社名を言ってないな」なんてむかつく電話の相手をしなくてすむこと。こんなことならさっさとやっておけばよかった・・・。
2007/09/26
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いろんな登場人物が出てきて前半休憩までみてる範囲ではこの映画が何を伝えたいのかがまるで分からない。・・・だけど途中休憩が入るほど長い映画・・・なにか言いたいことがちゃんとあるはずだろうそう思いながら後半に突入。このバラバラのそれぞれの出来事を統括するキーワードは・・・「人生何があるか分からない」でつながってると理解できたときは推理小説を読んだような楽しさを感じた。大丈夫だと思ってほっとした事故をした女性跳ねられた本人病院でとなりの重傷者が快復し突然現れた生き別れの親、問題ないと言われていた眠り続けていた子供は突然死亡、いたずら電話をしてきた人間とその理由と和解と人間愛、死亡した子供を可哀想にと心痛めながら自らも翌日駐車場で窒息死する女性、浮気相手の元夫を誤解して妻の元に戻る男、とんでもない男のようにみえていた人がけっこう良いやつ、大なり小なり、本質であれ誤解であれ、思いがけない偶然や必然それらは折り重なり複雑に絡み合いながらも蕩々と皆の人生は流れ進んでいく。年の経つのは夢でもみているかのようだとつくづく感じる年になってきてこの淡々としたような映画が妙に心にしみたようでもある。若い頃にこれをみて自分が何かを感じられたかどうか・・。
2007/09/25
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騙されたという話で思い出す話がある。A社長は株も先物も投資には殆ど興味なかったが毎日毎日熱心に通う先物取引会社の社員にほだされていわゆる「絶対儲かるから信じてください」という話で大損したという。『あいつは信じていたのに、あいつだけは信じられると思ったのに騙しやがって・・・』『あんな人の良いような奴が騙すんだなあと、今でも腹が立ってしょうがない』と非常に人間不信になったという話・・・。私に言わせれば信じるものが間違ってる。自分の損得を完全に人に任せるなんてあり得ない。預けたお金を詐取しないとか、言ったとおりにしてくれなかったとか勝手に投資先を変更させられたとか、そういう話だったら同情もするが、・・・。投資内容を丸投げするなんてのは私は家族にだってしないもの。(というか株も先物もそれ自体しないからコレ読んで営業の電話はやめてね)万が一、家族がそういうところに就職したとしても自分の頭で考えて選んで決めたものしか取引しない。そういえばこの話を聞いた数年後だがうちの父が医療保険に入るときに非常に事細かく、今こういう形で会社を変えて入ってこういう場合は出るのか?などと聞いてきたことがあった。自動車保険を変更するときもそうだった。同居家族以外は家族にはいらないケースで他人扱いだから年齢制限がないというややこしい話だったが、なんどもほんとに大丈夫かと。家族でも「任せた」は禁物。だって何かあったらリスクを負うのは自分だから。あまりにも細かくしつこいので「信じてないのか~」「その辺は任せてくれていいのに」と思うほどだったが、あれは、正しい姿だなと何かにつけて思い出す。私だってきっとそうするもの。身内だからでもし入ったとしてもリスクを負うのもメリットを受けるのも自分だから。誰かに入るのを身内だからその人に御願いすることはあっても、全てを丸投げで任せたりなんかは絶対しない。
2007/09/24
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安倍首相が「麻生に騙された・・・」と言ってるという報道がある。だけどこれを聞いて思ったのは不思議に「騙した方が悪い」では決してなかった。無能状態になってる人がいつまでもトップの位置にしがみついていては全体の壊死に係わるって時がある。そんな人は、組織の存続のためなら騙してでも引きずりおろさなきゃならんこともあるかもしれん、そんな風にさえ感じた。麻生が騙したとしたらそれは私欲が無いと言ったら嘘だろうがだけどほんとはある意味かなり大多数の自民議員が望んでいたことだったようにも思える。「一度選んだんだからみんなで支えましょう」なんて他に力のある人がいくらでもいる中でいつまでもそんなの通用しない。だって首相は学級委員とかとは違う。多大な力か、もしくは自分が引くに値する利用価値あってこそ認めるというのが自民政治の流儀に思えるし。麻生に騙されたと安倍さんが言ったところでそれはあまりにもあんたが駄目だったからだよと一蹴されそうな気配。そんな愚痴は身内しか同情しないだろう・・。それにしても安倍氏3億円脱税の記事が週刊誌で出ているようだがこれで国会が紛糾するようなことになっていたら安倍さんどころか自民自体が政権を落とされるようなダメージになっただろう・・・。・・・あれもはめられたのかな?もしそうだとしても、自分の潔白を言い張って切り抜けるパワーはあの時点で安倍さんにはなかっただろうし。それで、もめたらもう政治生命絶たれることだろうし、やはりあの時点ではあそこで辞めるのがあれでももしかすると彼にとってはベスト選択だったのかも・・。
2007/09/23
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温暖化って全体に気温が上がって暖かくなってしまう弊害を想像してたけれど最近を見る限りそんな単純ではないようだ。夏が猛暑で今年は全体に暖かいのかと思いきや9月に月が変わった瞬間に鈴虫が鳴き始めた。今日は夜テレビを見ながら寝ていたら寒ささえ感じた。今年は秋がないで冬と言われたり、数年前は温暖化なのに大寒波だったり、世界全体では温暖化していてもその影響下で部分的にや短期的には逆のことも起きていたりするようで。全体では温暖化だけど個別的にはそれぞれの異常気象となって現れてたりして。なんか背骨の後ろが痛いと思ったら十二指腸潰瘍というような話と似てるようでもある。異常の影響がどこに現れるるかってのはいろんな条件が複雑に絡んで現れるようだ。p.s.それにしても昨日今日の月はいかにも中秋の名月で空が澄んでいてよかった。久しぶりに宇宙天体に住んでるんだなというような実感を味わった。
2007/09/22
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公園のベンチで寄り添う老夫婦をみて「いいなあ、あんな風に年をとれたらいいな」という人の反応に妙な違和感を感じた。この違和感って何だろう?一見聞き流してしまいそうな普通の反応に聞こえる言葉だけれどこういう反応をするなんてこの人はいま配偶者とあまり良い関係ではないということが根底にある。自分が日頃から手つないで歩いてるような仲のよい夫婦だったら仲の良い老夫婦をみても敢えてそういう感想は持たない。このまま過ごしていくと当然そうなると思えるから。これが未婚者や新婚さんなら納得。そうなれると良いね、と素直に反応できるんだけどね。しかし、、、言ってるのが中高年だったらどう?この年代で、本気で言ってるからこそ違和感なんだ。今がないから遠い未来に幻想を抱くようなことを思うしかないんだろうなあと。例えば50代のひとが大金持ちをみて日々普通の生活を重ねながら「いいなあ、老人になったら金持ちになれたらいいな」と言ってるのと似てるかも。日頃の何気ない言葉使いのなかに深層心理って非常にはびこってる。言った本人はあまりにも普通の言葉で気づかないのだろうけれどそんな微妙な違和感の中に本質がみえることがあったりする。きっと誰もどこか場所は違ってもそんな違和感ある部分を自分でも気づかずに振りまいてしまってる部分ってのがあるかもだ。
2007/09/21
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映画、燃えよドラゴンのブルース・リーの言葉。「考えるな。感じろ!」で思い出した。私がこの言葉の状況を人生で実感したのは、大きな、カスミ草の花束と、海のジグジーパズルをトイレしか行かない状況で完成したときと、テトリスで奇跡的な点数を出したとき・・・。頭で意識して考えてはできない域ってのが明らかにあることを知った。海のパズルなんか全て青のピースなわけだけどやってるうちに波の微妙な色がしっかり見えてくる。テトリスは、何度もやるなかで理解していないのに感覚で手が反射的に動くようになった自分に神業のようだと自ら思った(笑「考えるな、感じろ」この言葉は日常では深い。「考えなくていい、感じた方がより本質が見える」というときもあれば「考えてるようではまだまだだ。感じて動けるようになるほど訓練を積め」 まあ、この言葉に反応するのも私が元々 感じるより考えるタイプだからだとは思うけれど・・。 人によっては「半端に感じてるから相手の表面を全てだと思うんだ。ちょっと 考えたら分かるだろ!」って言いたくなるような人もいるし・・・。 あ、話がそれた・・・。「考えてるようではまだまだだ。感じて動けるようになるほど訓練を積め」何事も道を極める際はこの域に来るほどにやると違う景色が見えるとかあるようだ。
2007/09/20
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ラストに大解決した後に援軍がヘリでやってきたのを確認した時のブルース・リーの表情がなんて素敵。彼は吹き替えではなく英語を話すのも魅力だが表情演技がまた素晴らしい!映画をみる前からポスターなどであまりにも有名で知ってる部分はあ、このシーンか~となる楽しみもあったけれどあぁ、ラストのあの笑顔が観たくて最初からもう一度観てもいいと思うほどになんとも思いがけずもはまってしまったものよ。
2007/09/19
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受注がこない商品群は・・・他社との比較がポイントなのか自社の商品案内とお客様の迷いとの問題なのかどちらと考えるかで対策が違う後者だと思う方が工夫のし甲斐がありそう★
2007/09/18
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ビリーをやったあと何時間もしてからもふと体の中から発熱してる系の熱さを感じる。外気温が暑いのは不快だが体の中からの脂肪燃焼が続いてるような熱さはけっこう気持ちいい。汗がすーっと流れてもそれも心地よい。体温が少し高いように思える。冷え性だからとっても嬉しいことだ。基礎編だけなんだけどね。しかもまだまだロープなし。
2007/09/17
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先週でジャッキー・チェーンシリーズは見終わった。次は何を観ようか・・・・?以前は「どんなのがいい?」『これとかあれとかどう?』「それってどんなの?」なんて会話をしながら・・・聞くほどに今日はそんな気分ではないなとか眠れなくなりそうだとか寝る前に心重くなりそうだとかそんなこんなで決めるのが苦痛になったりしてた。だけど最近は迷わなくなった。考えたら全てダーが好きで保存してるものなんだから考えずに彼が出すものを片っ端から観ていこうと。そう決めたらどれも先入観なく見ると決めて見始めることができて何を観ても楽しいと気づいた。選ぼうとするから無駄に心が重くなる。考えないで決めるとそれだけでそんなマイナスからの出発がなくなる。『先週でジャッキーは終わりました』「今日から何見るの?」『ブルース・リー シリーズ』「・・・・」さすがに・・・・と思ったんだけどこれがまた素晴らしく良かった!!これまでなんてもったいない食わず嫌いしてたんだ。これも選ばないから観れた。ブルース・リーにもすっかりはまってしまったよ。映画の選び方のひとつ「選ばないでみる」
2007/09/16
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「こうこういう理由でこうなった」良い話ならともかく、できない理由としてあげてるとよほどのことでないと、そんなんが理由になると思ってる程度なんだ・・・と思うこともある。同じような理由があったって、分岐点でどうするかの結論は人それぞれ。つまり正確に言うなれば「こうこうこういうことが自分にとっては超えられない理由だった」ってことなんだろう。だけどそういう言い方ではなくだれもがそういう結論に至る公然の理由のように言ってるとなんだかかえって情けなかったりする。『そういうことがあるのね。だけど・・・ そんなの関係ない~ そんなの関係ない~ つまりはそれまでだったってことよ。』
2007/09/15
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ジャッキー・チェンを一気に観た。これまで勧められてもTV放送があっても興味あまりなかったけれど見たらすごく面白かった。ジャッキーのカンフーを見ながら小泉純一郎氏の総理ぶりが重なった。小泉さんは政治家として良いところばかりとは決して思わないけれど蹴られて転けても、転けた体制からだからできるキックで一発二発必ず返しながら体制を整えて自分のパンチを繰り出すカンフーのような動きには学ぶべきものを感じた。優秀な実業家級が逆境にあったときにそれをもバネにして伸びるのと似てる動き。だけど安倍さんがカンフーをやってると例えたらどんなふうだったか?蹴られたらため息を付き痛いなあとうめきながら涙目でこらえ変なかばい方で仲間だからと守ろうとしたら一緒に穴に落ちてしまい跳ね飛ばされたら卑怯なやつだなあと思いルール違反だよとそんなことを思ってるうちにもう一発殴られ、「みんなが足を引っ張る」「誰も自分のことしか考えてないんだ~」と思い肩を落としてるうちに更に飛びかかってくる奴らを振り払えなくてボコボコになりながら「やつらが卑怯なんだよお、仲間も協力しないからだめなんだあ」「でも俺は頑張るぞ!やるんだ」「で、Bさんが味方に付けばと誘ったつもりだったけどどうも断られちゃって、もう自分がそこで何もできそうにない現実に嫌がおうにも気づいてついには立てなくなってしまったって感じというか。。。そう思ったら、安倍さんの逆境や不運は本来それほどの問題ではなかったのをことごとく自分で傷口に辛子をすりこんでしまうことになるような対処が多く・・・逆境や不運をはねのけるどころか呼び込んじゃうような精神力や姿勢の問題ってのがあったようにも思える。時々「安倍さんがというより周りが足を引っ張ったことが・・・」とフォローする意見もあるけれど、それにいちいちダメージを受けるような対応しかできなかったところが現状を招いたという見方もできる。小泉さんの後だから余計そう感じるところも多少はあるだろうけれどそれ以上の恩恵も十分に受けているから差し引く気にはならないし。・・カンフーでこんな闘いっぷりだったら命はないだろうとジャッキー・チェンの映画を見ながら思ったりした。
2007/09/14
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一ヶ月ほど前に撮影されたという安倍晋三夫人の録画放送を見た。キャスターとの1対1の対談だったが夏の時点で既に総理が弱っていたとか心配な限界状態で頑張ってるとか食事もとれないとか今総理を辞めたらその方がどんなに楽だろうかとか、精神的に参ってるとか・・・心身共にぼろぼろな状態でやってるという話をフォローのつもりで話てる様子だったけれどどうみても結果的に足を引っ張るようにしか思えない話だった。これ今まで放送されなかったのは放送局の温情だったのだろうか?いや、こんなの放送されたら日本の危機というか妻のアホさ加減まで夫の足を引っ張っていたというか脳天気さ加減に驚いた。こんな話サラリーマンの妻にもいそうか?夫のフォローのつもりで上司にこんなはなしをしたらもうその会社でしばらくは陽の目を見ないだろう級の話だ。
2007/09/13
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今回の総理辞任劇を見ながらふと感じたのは恋が進に連れあまりにも情けない状態を重ね無力さを露呈しまくった上で周囲が冷めてるのに別れ話を渋りそれなのに最後まで情けない別れしかできなかった男の別れ際と似てるように思えたのは私だけだろうか・・・。
2007/09/12
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国民の評価党内の評価能力あるひとが自分を支えてくれない事実自分の能力への疑惑裸に気づいた王様は恐ろしい無力感にポキッと折れた感じの安倍総理それにしてもあんな辞め方を止めさせる人さえいなかったんだなと。明らかに力以上の役をもらってしまった者の悲劇を感じた。「私には求心力がない」と辞めるときに言ったのは=自分は無能だったと言ってるようなものだった。金での求心力、人間的求心力、手腕的求心力、問題解決的求心力、国民への求心力(国民の評価だけは高い)とか、全部なくともどれかがあれば人はとりあえず付いてくるようなところはあると思うが・・。例えばもし全体に無能でも、最初のように国民の評価が高く、あとは自民党の力のある人の言いなりにある程度なれたなら、お飾りで存在する裏で自党の有力者のスポンサーに都合の良い悪法をガンガン通させるというような利用価値があるということで重宝されたかもしれないわけだ。「求心力がない」=取り柄を生かせずに周りから利用価値が無いと判断されたと自分で認めたような言いぐさを自らしてしまうほど遂行能力への自信喪失か・・。彼は彼で味がありムードがあり人の話を聞くような雰囲気をもち本来いいものを持ってるとは思うけれど、総理の権限に目覚めたときから、キャラではなかった嫌な部分を出して悪ぶったりそんなことし始めてから壊れだしたようにも見えるという感じもあったりとかで良さが全然なくなっちゃって駄目なところが残った感じだった。一議員に戻って自分らしさを思い出して頑張られたら十分彼は彼でいいのではないかと思う。
2007/09/11
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私は男を見る目がない方だと思うが・・・そんな私にも、これは分かりやすい判断のポイントだ!と思ったことがひとつあった。同じ映画をいくつか見て(別々にレンタルでもいいから)相手の感想を聞いてみる。日頃はそんな突っ込んだ話なんかしないことが多くても映画の感想はそうではない。相手の理解力や価値観や心の深さや感性や知力などが哀しいくらいに非常にセセラになるものだ。人は総合力だとは思うが、ここのポイントが低いとダメージが大きい・・。
2007/09/10
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経営者の集まりでとかで教訓や座右の銘などの話になって思うのは皆、自分に無いものに大きく共感してる傾向がある。考えるとそれも当然だ。自分がある程度自己評価で当たり前にできてることを言われても大して響かないものだ。人間関係もそうかも。自分ができないことをできる人にすごいと一目置く感じだけれど一方で、自分ができることよりちょっとやそっと優れてるとか劣ってるとかそういう人の特徴に関してはあまり反応しないもの。人は欠落がゆえに大事に思う傾向があるとしても・・・・それにしても、あまりにもその人が欠落してるものを大事にしたい言葉としてあげてるってのは聞いていて違和感を感じるというのも傾向なんだろうな。「心がけたいと言うだけあって確かに日頃から全然できてないね」ってそんな感じだったりする。余談だけど「好きな言葉」というのを聞くと、欠落とは関係なく自分が大事にしてる言葉がきけるからけっこういい話になる。私の好きな言葉は「後工程はお客様」。
2007/09/09
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五木ひろしの「山河」の歌詞の一説が今更ながら最近かなり気に入ってる。>愛する人の瞳に 愛する人の瞳に>俺の山河は美しいかと 美しいかと 生き方でこれを意識しない男はダメだな、私的には。意識の仕方はさまざまだろうが。昨晩はたまたま一緒になった同級のK社長がこれをリクエストもしないのにカラオケ入れて熱唱してた。日頃歌はかなりうまいので期待してたけれど・・・彼の歌いかたは自己陶酔な部分が大きすぎて飽満だった、歌い方の感じが。まあ彼は本気でこの歌のように生きてる傾向があるからそれも分かるがやっぱそれでは違うんだ・・・。五木ひろしの歌い方では、それをしっかり目指しながらもちゃんとそう生きれてるかどうか、愛する人はそう見てくれてるだろうかと目標は非常に高いけど、「愛がゆえに」そこまでやっていても自分の実績に非常に謙虚になってしまう不安さを持ち合わせてる感じがいいんだよね。とかなんとか言って、今度はもっと上手に解釈して歌ってくれと伝えたけれど。。。まあ彼は人の意見は聞かないひとだから自分の経験でたまたま心持が変わるようなことがないと無理だなとは思いながら言ってみた。彼の歌は佐野元春とか歌うときには繊細で真のある青年って感じなんだけどな。>顧みて恥じることない 足跡を山に 残したろうか>永遠の 水面の光 増す夢を 河に浮かべたろうか>ふと想う 悔しひとつなく悦びの山を築けたろうか>くしゃくしゃに嬉し泣きする かげりない河を抱けたろうか
2007/09/08
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年をとると涙腺が緩むというが同時に逆にシビアになる方向の進化もあるようにみえる。TVなんか見ながらちょっとしたことで共感して泣きそうになってるのにこれって結構きついよなあってことに(その程度のことはあるわよ)ってそんな反応してるとかね。結局、敏感になる部分と経験で鈍感になる部分ってのの両方あるんだなと思う。その極端だってのはちょっと不思議だったりもするが。
2007/09/07
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「女を売ってる」って言葉にも人それぞに大きな基準の差を感じる。とても女を売ってるとは思えない行動さえ人によっては売ってる範囲に入る批判をされていたり日頃女を売ってるように見える人が自分は全然そんなことないと思っていたり美人というだけでそういう言われ方をしてるようだったり・・・みんな自分の価値観で自分が普通だと感じて言動してるって多いから言葉をそのままとらない方がいいなとつくづく思う。ただ確かなのは、言ってる人の価値観ではそう見えるってことだけ。
2007/09/06
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基礎編をはじめて10日くらいになるけどビリーの言葉で一番すきなのは「全ては自分のため!」って言葉。
2007/09/05
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3年ほど前に聞いたG社長のつぶやきを最近になって時々思い出される。「年をとるってのは、若い頃の体調の悪い日の状態が ベースでずっと続くようなもんだ」うーん。別に体調はビリーのおかげで?全然いいんだけど年齢のせいかな、受け流していたこの言葉が気になりだす今日この頃。
2007/09/04
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最初はビリーの基礎編をやる体力さえなかった・・・。やせるのにも体力が必要だと最初に知ることになる。。。それでもビリー隊長のアドバイスで自分にとって難しい部分は上手に手を抜きながらも一応毎日やってると・・・土下座のような膝立腕立て伏せしかできなかったのが膝は立てるものの手は普通の腕立てができるようになったり、へなちょこキックだったのがラインダンスのように足が上がるようになったり、ぐるぐる回しはじめると見送るしか無かった部分が頑張るとできるようになったりと、そんな進化がすごく嬉しかったりする。やせる程の体力はないのだがやると終わったあと体が軽い!それから昔のセミナーの話を思い出すんだけど体を一日に一度熱くするのはガン細胞が耐えられない温度になることでガンを抑制する効果もあると言われてたのでそれにも非常にいいことだし★ビリーの励まし上手だからビリーをやる体力はビリーでつける!ことができる。あれは見れば見るほどにほんとに良くできた作品だ。吹き替え版が欲しいと思ったりするけれどビリーの声だからいいのだとも思ったりしないでもない。「俺を信じて付いてこい!効果は保証する!」例えば吹き替えでこの言葉が心に届くようにできるだろうかと。
2007/09/03
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ドラマ「ファースト・キス」ドラマにはまってしまった。美緒の素直でなさ加減が非常に高校時代の自分に似ていて・・・ああ、こういうわざと過剰に相手を突き放したりそれでも好きで努力して近づいたりしながらまた突き放したり・・そんな素直でない苦しみから産まれる矛盾した態度ってのは自分だけではないんだと安心したというか懐かしかったというか。ちゃんと恋愛始まるとそういうのってなくなるんだけどね。小田和正の主題歌もいい★
2007/09/02
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贅沢するのは人それぞれの価値観と基準があっていいと思うけれどただ人の金や負担でする贅沢を満喫してそれに共感を求められても困る事がある。自分のお金だったらやらないことを他人の負担だからとやれる贅沢になんて共感したらいいのだろうと反応に困ってると、「こんなささやかなことは君には贅沢には感じられないんだね・・」というような反応をされた時にはあまりにも次元の違う話に返すこともしなかった。。問題は贅沢の程度ではなく、例えば家ではもったいなくてやらないような無駄や贅沢を他人の負担でしてるってこと。会社の金で買う消耗品、社用車のクーラーつけっぱなし、旅館の水道や風呂の水の無駄遣い、ホテルの外出時電気つけっぱなし、自分の負担でないから無駄遣いをして「(懐を気にしないですむ)ちょっとした贅沢だよなあ」って言ってるのに共感できるだろうか?ってそんな視点なんだけどね。けっして誉められたことではないと思いながらほんとはやりたかったことだと、ささやかな贅沢として楽しませてもらう気持ちってのは場合と程度によってはあるかもしれないことは分かる。しかしそれは自分の心の中で処理することで口に出すものではない。贅沢さ加減ってのはその人の価値観次第だけどただ言えるのは、自分で苦労したり身銭を切ってする贅沢でない話は口にするのを聞いてしまうと、どうかなと思う。ほんとのぜいたくは自分の負担でやれることってのはモラル域の話ではないかな。
2007/09/01
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