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先週の土曜日、雑誌の取材である料理屋へ行った。締め切りの期日が迫っていて、こちら側がバタバタとしているのはいつものことだが、今回は取材先の店までが、ゆうべに連絡を受けたばかりという慌ただしい日程である。これは、同行するカメラマンとその店主とに、「Mさん」という共通の友人がいたからこそ成し得た荒技だった。いざ店へ着くと、店主が、「いやぁ、ゆうべ突然Mから連絡が入ってね。 ビックリしたよ」と苦笑いをしながら、奥の方から出てきた。今回は本格的な料理写真が必要なため、撮影の準備にそれなりの時間がかかる。ちょうど店主と同じくらいの年齢にあたるカメラマンは、機材を組み立てながら、共通の友人・Mさんの話を始めた。カメラマン「Mさんとは、もうどれくらいの 関係になるんですか?」店主 「そうだなぁ、あいつとは幼稚園からの 同級生だから、50年近くか」カメラマン「ええっ、幼稚園から!? それ、スゴイですね」店主 「まぁ、ほとんどくされ縁だね。 あいつは何をやるにしても、 徹底的にやらないとダメってタイプだから、 好きなんだ」カメラマン「ああ、確かにそうですね。それだから、 今されてる仕事なんかすっごく向いてると思います」僕は直接Mさんに会ったことはないが、二人の顔つきや言葉つきから推し量ってみると、Mさんが二人からとても慕われている人であることが分かった。たとえ初対面同士でも、共通の知人がいて、その人物と仲が良いということになれば、それだけで相手のことを理解し合えるものである。ところが、そのわずかばかり後に、この二人の仲をさらに深める新事実が出てきた。長いインタビューを終えた後、店主は僕らにアイスコーヒーを出してくれ、「ああ、そうそう。まだ○○さんに名刺を渡してなかったね」と言いながら、カメラマンと名刺交換をした。店主 「へぇ、○○さんも、“しげる”っていうんだぁ」カメラマン「ああ、ご主人も、“しげる”さんですね」店主 「○○さん、名刺にはひらがなで“しげる”って 書いてあるけど、このしげるは、漢字では “茂”のあれでいいの?」カメラマン「はい、ご主人といっしょです」店主 「ああっ、それじゃあ、もしかして “吉田茂”のしげるから?!」カメラマン「そうなんですよ! 末は総理大臣に、ということでっ」いままで友人の話ばかりで盛り上がっていた二人は、この瞬間表情を一変させ、テーブルへ身を乗り出すと、額がぶつかりそうな距離で互いの身の上話をし始めた。聞けばこの店主、自分の若い頃に「○○○○シゲル」という、同姓同名の人物が日本に何人いるかを全国の電話帳で調べた挙句、ようやく見つけた二人の男性に、「あなたが○○○○シゲルさんですか? 私も○○○○シゲルです。いやぁ、お会いしたかった」といって、がっちり握手を交わしてきたのだという。さらにその別れ際には、「お互いに命日を教え合う」という約束を取り付け、盟友の契りを交わしてきたとかいうことだ。そのエネルギー、その行動力。なんと恐れ知らずで、屈託のない人間愛。僕はここに、高度成長期を支えた男たちの底力を見せつけられた気がした。
Sep 25, 2003
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これはまた別の機会にでも触れることにするが、僕は昨年一年間をおばあちゃんの家で過ごした。ちょうど10月頃、東京行きを決めていた僕は、上京資金を貯めるため、肉体労働のアルバイトを始めることにした。田舎でも、毎日求人広告は入ってくるし、業種さえ選ばなければ、仕事はいくらでもある。しかし、自分の都合のいい条件で、となると、バイトもなかなか見つからない。僕は毎日、明け方過ぎまでレンタルビデオを見、昼過ぎに起き出してきては、おやつをつまんで食うという、なんともぜいたくな暮らしを続けていた。やがてトイレにでも行こうと玄関へ出ると、おばあちゃんが日の当たる縁先で新聞を読んでいて、「今日はええバイトなかったわぁ」だの、「○○が募集してはったけど、どうや?」などと言いながら、僕以上に熱心に、求人情報を探してくれているのである。渡された折込みのチラシを見ると、いつもおばあちゃんオススメの求人欄に、赤ペンで印がつけてある。僕はそのうち何件かに電話を入れ、応募の意思を伝えるのだが、「女性限定」だの、「定員オーバー」だので、なかなかバイト先が見つからなかった。そんなとき、おばあちゃんは決まって、「気ぃ落とさんと。また、ええ風が吹いてくる」と言って、明るく僕を励ましてくれるのだった。やがて次の年(今年)、東京の編集プロダクションからアルバイトのチャンスをもらい、僕は上京することになるのだが、おばあちゃんはその2ヶ月前から、体を患って入院生活をしていた。旅立っていく僕が、おばあちゃんからもらったのは、「立派な東京人になってこい」という激励の言葉である。僕はてっきり、“早く帰ってこい”などと言われるものだと思っていたが、おばあちゃんはそんなことはいっさい口にせず、ただ向こうへ行ってもちゃんと必要とされる人間になれ、とだけ言った。東京に着いたらとりあえず手紙を出す約束だったので、僕が近況を書いて知らせたところ、それから半月ほどしておばあちゃんから返事が届いた。その内容については、ここで公表することは避けるが、「お盆にみんなで会える日を楽しみにしている」と結んであった。入院は5ヶ月ほどと聞いていたので、僕はおばあちゃんが退院に間に合うかどうか心配した。けっきょく僕が帰省するそのわずか3日前に、おばあちゃんは無事退院した。長い入院生活で歩くことが侭ならなくなっていたが、いつもの明るい性格に、なんら変わりはなかった。僕がひさびさに従兄弟のおばさんと長電話をしているのを、おばあちゃんは嬉しそうに見つめながら、「おまえは上手にしゃべるなぁ。“東京弁で”」と言って、僕を笑わせた。おばあちゃんは天然かなにか知らないが、どこか人を楽しくさせる、独特のユーモアを持っている。現在、まだ定職の見つからない僕だが、まるで悲観はしていない。また、ええ風が吹いてくる――口に出せば、本当にそんな気がする。
Sep 14, 2003
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先月のお盆に、僕は上京してきてから初の帰省をした(といっても、まだ日数は浅いが……)。昼近く、久しぶりの我が家へ着くと、クーラーがガンガンにかかっており、父親がヨレヨレの肌着を着けたまま、高校野球観戦をしている。「おお、俊司か。戻ってきたんか」再会の挨拶もそこそこに、父はソファへもたれかかると、試合の行われているテレビに視線を戻し、すこし熱っぽく話し始めた。「見てみぃ、この倉敷工業なぁ、 こないだ一回戦でボロ負けしとったんやけど、 雨でノーゲームになってな、 次の日の試合で勝ちよったんや。 ほんで、見てみぃ、今日もどういうわけか、 強豪相手にええ試合をしとる。なぁ?」ふとスコアに目をやると、なるほど甲子園オンチの僕でも知っている有名チームを相手に、1点のリードをしているのである。聞けばこの倉敷工業、先日のノーゲームの際、10点近くのリードを許していたようで、誰の目にも敗戦は濃厚だったらしい。しかしそこから這い上がってきたチームは、別人のように生まれ変わり、今日こうしてまた甲子園を沸かせているのである。そのとき、父はポロッと印象的な言葉を吐いた。「いっぺん死んだヤツは強いんや」それから父は何事もなかったかのように、手元のするめをクチャクチャと噛んでいたが、僕の耳には、いま聞いた言葉がリフレインのようにくり返されていた。一度死んだヤツは強い――地元で見事、甲子園行きの切符を手に入れ、いざ乗り込んできた夢の舞台で、屈辱的なワンサイドゲーム。雨でノーゲームになったのを機に、倉敷ナインには余計な邪念が消え、のびのびと本来のプレーをすることができるようになったのかもしれない。いや、もしかするとそれまで以上のプレーを。結局、その日のゲームは、強豪・今治西高(愛媛)を相手に1点のリードを守り切り、4対3で粘り勝ち。そしてそのまま外出した僕は、倉敷戦以来、甲子園のことなどすっかり忘れていた。やがて東京へ戻ってきてから、大会屈指の右腕・ダルビッシュ投手が打ち込まれと聞き、何気なしにトーナメント表を覗いてみた。なつかしい「倉敷工業」の文字、その勝利の軌跡が3回戦で途絶えている。――倉敷工 (岡山) ●0-2○ 光星学院 (青森)――僕は見もしない試合の攻防を、鳴り響くサイレンの下、泣き崩れている選手たちの姿を思い浮かべながら、こう思った。――彼らは甲子園で二度死ねたのだ、と。
Sep 8, 2003
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通勤帰りの電車で耳にした、あるサラリーマンのセリフが忘れられない。今から1ヶ月ほど前の話になるだろうか。背広を着たどこにでもいそうな二人連れのサラリーマンが、なにやら熱く議論を交わしている。注意して聞いてみると、「最近の若い奴らは、においを気にしすぎだ!」と憤慨しているらしい。夏場の暑い盛り、若者たちは服に香水をつけたり、体に制汗スプレーを塗ったりして、自分のにおいを抑えることに必死だ、ほどほどにするがいい、という内容だった。それが、僕がふと気持ちをぼんやりさせていた間に、話題がよく分からない方向へ行っていた。さっきまで若者に憤慨していたおじさんは、かなり真面目な顔をして、「それとおんなじことだよ。 人間も、しゃべらないと口が臭くなる」などと、とんでもないことを言っている。そしてその言葉を、連れ合いの人までが、「もっともだ」という顔をして、深くうなずいているのである。……ちょっと待ってくれ。それじゃあ、僕みたいに寡黙な人間は、みんな口が臭いというのか?代々、「男のしゃべりはみっともない」という教育を受けて育ってきただけに、これは非常に心外だ。しかしまたも話題が違う方向へ流れ、降車駅も近くなった頃、僕はさっきのおじさんが、じつはとても大切なことを言っているような気がしてきだした。「しゃべらないと口が臭くなる」という見解は、いまさら述べ立てるまでもなく、ナンセンスな解釈だと思うが、考えようによってはこう受け取れなくもない。「人間は、自分の持っている機能を しっかり使ってやらなければ、どんどん朽ち錆びていく。 せっかく備えている機能をフルに活用するべきだ」と。目がものを見るためにあるように、口は相手に思いを伝えるためにある。行き場を失った言葉たちは、やがて口内を侵食するか、こうしてメールや文章となって、あふれ出してくるものなのかもしれない。さんざん熱いセリフを吐いていたおじさんは、僕が降りる一つ前の駅で、連れ合いにさよならを言った。車内には、ポマードのきつい香りが漂っていた。
Sep 5, 2003
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先週の金曜日、雑誌の取材で原宿へ行った。道行く人に声をかけ、ゲームセンターで配布されるケータイ電話のサイトを集めたパンフレットに無料で載ってもらえるようお願いするという仕事である。取材対象は5名、制限時間は3時間。時間的にはけっこう余裕があると思っていたが、なかなか厳しい闘いになりそうだ。人通りの多い原宿ではただでさえ呼び込み等の勧誘が多いうえ、街を歩く人の足もけっこう早いのだ。僕はなんとか皆にあやしまれないようにするため、「ゲーム会社の○○」というブランドを前面に押し出し、声かけをすることにした。「あの~、こちらゲーム会社の○○と申しますが……」と名乗ってみるが、反応はまるでダメ。この雑踏の中では僕のくぐもった声など、かんたんにかき消されてしまうのだ。それでも5人、6人と声かけをしているうち、僕は、今している自己紹介のようなセリフがまどろっこしいのではないかと気が付いた。そこで考えた結果、セリフの前半部分を思い切って削り取り、「え~、いま雑誌を作ってるんですけど、インタビューさせていただけませんか?」でアタックすることにした。するとさっきより目に見えて、皆がちゃんと足を止めてくれるようになった。それでも次の、「すみませんが、お顔の写真を撮らせていただいて……」という段になると、途端に手を振り振りし、「困ります」と言って迷惑そうに立ち去ってしまう。そしてまた同じように、10人、20人と断られ続けた後だった。いま思うと、考えられないようなナイスなセリフが僕の口を突いて出たのである。「あの~、いま雑誌の取材をしてるんですが、よろしければ、“読者モデル”になっていただけませんか?」というセリフが。その「読者モデル」という魅惑的な単語を耳にした瞬間、彼らの表情は一変し、「ええっ、私のこと……?」あるいは「この俺が……」という一瞬戸惑うような、しかしこみ上げてくる嬉しさを隠し切れないといった表情で、「そうですね、今日はちょっと用事が……」と、笑顔で返事をしてきてくれたのである。けっきょく本当に急いでいた人も多くて、取材を断られた数も少なくなかったが、制限時間もわずかとなったところで、僕は九死に一生を得た。とくに終盤の追い込みは素晴らしかった。僕は、あの一つの言葉がなかったら、間違いなく今回の取材に失敗していただろう。「読者モデル」という、いままで雑誌でしか触れたことのない言葉が突如として目の前に現れ、しかもそれが他でもない自分自身に投げかけられているという現実に、みな、瞬間的にときめいてしまったのに違いない。僕はまったく同じ内容の取材をしようとして、そこにはっきりと明暗を分けた。世の中には、たった一言で価値観を取り替えることのできる「魔法の言葉」がある。それをできるだけ早く、あるいは時間をかけてでもしっかり見つけ出すことが、僕のこれからの仕事ではないかと思う。
Sep 2, 2003
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このコーナーでは、僕自身が日常生活の中で出会った名言や格言、また、友人たちが漏らしたちょっと気になるセリフなどを、不定期でご紹介していきます。
Sep 1, 2003
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