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今日、満員電車の中で、ひたすら携帯メールを打ち込んでいる女の子がいた。僕のちょうど鼻先あたりに頭があり、ちょっと覗き込めば、メールの内容が垣間見えてしまう。僕はすこし悪いなと思いながらも、同世代の女性がいったいどんな文章を綴っているのか知りたくなって、そっと首を伸ばしてみた。しかし彼女は、じつに巧みに両手打ちを使いこなし、恐るべきスピードで文章を組み立てていくので、とても肉眼では捉えることができない。そしてあっという間に、画面が文字でいっぱいになった。僕はマッハのスピードで紡ぎ出される文章に舌を巻きながら、今後、どのような速度でメールのやりとりが行われるのか、楽しみにしていた。しかし、ここで一気にメッセージの送信に入るかと思われた彼女は、いったん指を止めると、入力カーソルを最上部まで持っていき、その行から一段一段、ゆっくりと文章チェックを始めたのである。(ああ、校正するんだぁ……。)これまで猛烈なスピードで文字を打っていた彼女は、別人のようにゆっくりと、自分の文章の中を上へ行ったり、横へ行ったりしながら推敲を重ねている。そして、ところどころ言い回しを変えたり、語尾を削ったりしながら、受け取る相手の気持ちを不快にさせぬよう、心を砕いているようだった。今から10年ほど前、高校受験の入試問題で「ファイアー(怒りの)メール」という言葉に出会ったことがある。これは、PCのEメールをやりとりする際、手紙のように文章を推敲しないため、トラブルが起こりやすいという警告的な意味合いのものだった。ところがインターネットが普及した現代において、この言葉がまるで浸透していないことを思えば、そうした迂闊なことをしている人の数は少ないと言えるだろう。PC・携帯メールに関わらず、利用者はメッセージを送る直前、その受け取り手に成り変わり、自分の書いた文章を客観視する。このとき、メールを書くことで、人を思いやる心が確かに育っていると思う。
Oct 28, 2003
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今日夕方、冷蔵庫のご飯をレンジで温め直そうとした時のことだった。いつものように加熱時間を指定したが、「ジーッ」といういつもの加熱音が、一向に聞こえてくる気配がない。ふと足元を見てみると、それもそのはず、待機コンセントの電源がオフの状態になっている。僕は、おいおいしっかりしてくれよ~、と自分にさむいツッコミを入れながら、回したダイヤルを元に戻すため、つまみ部分をひねった。するとレンジは、電源が入っていない状態にも関わらず、“切”の位置まで来たときに、「チーン」という、あの明朗な鐘の音を響かせたのである。その時。そう、あれは間違いなく僕の声だった。突如、意表を突かれた形となった僕は、その瞬間反射的に、「鳴るんだぁ……」と、“標準語”でつぶやいてしまったのである。鳴るんだぁ?耳の底には、確かにさっき聞いたばかりのセリフが残ってはいるものの、それが自分の口から出たものだとはとうてい思えない。関西人ならば、ここは間違いなく「鳴るんやぁ……」と言うべきタチのもので、僕は東京へ来てから3ヶ月目にし、とうとう無意識のうちに、標準語を使ってしまったことになる。――さて、ここで話は先々月に戻るが、僕はお盆休みに我が家へ帰省した。毎日、米と納豆しか口にしていない食生活や、初めての一人暮らしなどで、顔つきも多少は変わっているかもしれない。僕は母に、「自分の顔、変わってない?」と、恐る恐る尋ねてみた。すると母は、「ぜんぜん変わってないで。言葉もそのままやし」と、聞いてもいないのに、話し言葉の話題を尻にはさんできた。母はひそかに、僕が標準語人間となって帰ってくることを、気にかけていたのかもしれない。ところがお母さん、僕はあれからしばらくもしないうちに、口にしてしまいましたよ、東京弁を。それも無意識のうちに。しかしそうは言いながらも、僕はあまり悪い心地はしていなかった。ちょうど、梅雨時の季節に上京してから3ヶ月あまり。僕はこれまでと同じように関西弁を使い、以前となんら変わることなく暮らしている気でいたが、体内にはもうとっくの前に、新しい細胞が流れ込んできていたのかもしれない。2003年10月15日。勝手な記念日を作ることによって動き出すものが、確かにありそうである。
Oct 15, 2003
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インターネットを利用しサイトチェックなどをしていると、時折思わぬページにめぐり合えることがある。昨日、いろいろな着メロサイトの概要を調べるため、ネット上を徘徊していた時のことだった。キーワードに「クラシックWeb」だったかなにかの文字を入れて検索すると、“貴女様”だの、“お恥ずかしながら”だのという、妙にかしこまった言葉でやりとりしている掲示板を発見した。内容を見てみると、先日都内で行われたシティーホールでのアンサンブルコンサートについて談義しているらしく、「モーツァルトの第○楽章の調べが美しゅうございました」だの、「昼餐で口にした、○○の果実が美味でした」だのと、いやに格調高い文体で、コンサート当日の出来事を綴っている。発言を追えば、なんでも、以前二人が話題にした指揮者の生誕年に誤りがあったとかで、「これもすべてわたくしの注意が足りないばかりに、貴女様に ご迷惑をおかけしてしまい……」だの、「いえいえ、わたくしの方こそ、いたらない点ばかりで、貴女様には……」だのと、互いにあくまで相手に非はないという姿勢を崩さず、丁寧に詫びのやりとりをしている。そのこまかに相手を慮るものの言いようには、謙譲と慎み深さをもって良しとする日本人の美徳が見事に発現されていた。近年、実名が出ないのをいいことに、汚い言葉で相手を罵倒したり、悪口の応酬を繰り広げている掲示板が多い中、こうした美しい掲示板の存在は、見る者にほのかな安らぎの気持ちを与えてくれる。ただ、気になったのは、彼女らは掲示板への書き込み行為を、一端のPCユーザーのように“カキコ”と呼び、いつも結びの言葉を、「またカキコくださいね」「貴女様のカキコお待ちしております」などとしたうえ、ある時などは「さっそくのカキコ、恐れ入ります」というふうに、返信の書き出しにさえもこの言葉を使用していた。貴女様とカキコ――僕には、その二つの言葉がどうにも縁遠いものに思われたが、この意表を突く言葉のセレクトが、掲示板の雰囲気に、ある種の茶目っ気を与えていたことは確かである。僕は優美なやりとりの中にも、けっして遊び心を忘れない二人の貴婦人に、心からの敬意を表した。
Oct 9, 2003
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今日、とり貯めておいたお笑いのビデオを見ていると、中に「大相撲ダイジェスト」の番組がまぎれ込んでいた。僕は相撲自体にあまり興味はないのだが、高見盛のコミカルさと朝青龍のヒールっぷりには、思わず心を奪われてしまう。この日も、偶然出くわしたハイライト集の中で、高見盛にたっぷり楽しませてもらった後、横綱・朝青龍の取り組みが回ってきた。土俵入りから取り組み前の仕切りまで、見事なまでにしかめっ面のこの男。だけど、相撲は文句なしに強い。結びの一番となった取り組みで、体ごとぶつかってきた相手に対し、朝青龍は冷静にまわしをつかみ、応戦した。その直後である。しばらく様子を窺っていた朝青龍は、突如、相手の図体をヒョイッと腰の辺りまで持ち上げたかと思うと、そのままプロレス技のようにして、思いっきり土俵へと叩きつけたのである。その瞬間、すこしだが土俵が揺れたような気がした。テレビ画面は、ここでスタジオへと切り替わる。「いやぁ、親方。すごい決まり手でしたねぇ」と興奮気味に話すアナウンサー。その後、何親方か知らないが、とにかく巨体の人物の放ったコメントがたまらなく良かった。「いやぁ、すばらしい。すばらしい相撲でした。 相手にまったくスキを見せませんでしたね。 スキを見せるどころかですねぇ、相手をものとも せずに持ち上げて、 “捨てました”ね」と、とても解説者とは思えない荒っぽいコメントを吐いた後、いかにもスッキリしたという表情で、満足そうに画面を見つめていた。おそらく本人にしてみても、コメント前はここまで言うつもりはなかったのだろう。それでも、横綱のあまりに激しい決まり手を見て、思わず力が入ってしまったのに違いない。実際、敗れた力士には申し訳ないが、そのラストシーンには、本当にゴミのように投げ捨てられたという表現が、ぴったりとハマッていた。いい相撲は、やはりいい言葉を生むのだ。
Oct 1, 2003
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