フランス革命(10)
荒れ狂う農村の「大恐怖」の報に接して、国民議会は困り果てました。何しろ国民議会は農民の代表など、1人としていなかったからです。ただこのまま手をこまねいているわけには行きません。そこで考えられた作戦が8月4日夜の宣言だったのです
第三身分の活動分子と、開明派貴族が筋書きを書き、その筋書きの通りに、事を運びました。先ず反対派の抵抗を封じるために、議長は長い休憩を挟んで、夜8時という遅い時刻に会議の再開を宣言しました。そして、特権身分である貴族自身が、封建制及び封建的諸権利の廃棄を提案するという、予想外の行動に出たのです。特権身分が自らの封建的特権の廃棄を提案し、それに同類の特権身分出身者が賛成討論をぶつのです。興奮と感激のうちに、提案は可決されました。
翌日から決議の成文化が行なわれます。決議の1条は「国民議会は、封建制を完全に廃止する」と書いています。しかし、以下の条文で、無償・無条件で廃止されるのは、身分的な領主特権のみで、肝腎の年貢=封建地代は有償でしか廃棄されないことが明記されるのです。領主の年貢=封建地代徴収権は正当な所有権の一つとする考えを、ブルジョワたちが持っていたからです、そのため、年貢のうち貨幣地代(金納)は20年分、生産物地代(物納)は25年分を1度に納めた場合にのみ廃止されることにしかならなかったのです。こうして初めて農民は土地所有農民になれるというのです。
日々の生活に汲々としている貧農が、20年分や25年分の年貢を1度に納めるほどの蓄えを持っているはずがありませんから、これは一部の富農を除けば、意味をなさない規定でした。ですから、封建制の廃止、封建的諸権利の廃棄は口先だけのものに過ぎず、特権身分にとって最も需要な年貢徴収権を守り抜くための、良く考えられたトリックだったのです。
そしてこのトリックは見事に成功しました。封建制の廃止を字義通りに受け取った農民達は、年貢の支払いも無償で廃止されたものと受けとめ、勝利に酔いしれて平穏に戻ったからです。やがて実態を知った農民は、再び領主特権に対して攻撃的になりますが、それは翌年以降のことになります。
というわけで、国民議会はこの時点では、国王の軍隊の力を借りることなく、「大恐怖」と呼ばれた農民運動を沈静化することに成功したのです。こうして、8月4日の宣言は、言葉の魔術が大きな成功を招いた画期的な例の一つとして、世界史に記録されることになりました。
続く
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