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本当に久しぶりにブログにアクセスして最終日記の日付に驚き10年一昔(ひとむかし)というけれど最後に記事をアップしてからもう一昔近く経ってるじゃありませんか……もちろんその間いろいろなことがあり、立ち止まったり蹲ったり、そこそこ寄り道回り道の人生を歩いていたんですから気づけばそれなりの時間が経過していて不思議じゃないんですがね反対に言えばそれなりの期間を置いたことで、ようやく過去の自分を振り返る余裕ができたのかもしれません。リハビリがてら、ゆっくり自分のペースでまた動きだそうと思います
2017年09月02日
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いや、ご無沙汰してます。久々の出張に気をとられて、留守を重ねてしまいました。反省。ところでうちの職場でも暑気払いと取引関係者の慰労を兼ねたバーべーキュー大会(?)が先日駐車場&倉庫で開かれました。毎年恒例らしいんですが、去年の秋に異動になった私は、今回初めて参加。幹事担当者は、終業前から下準備に余念がない上、時間前に到着した取引関係者もいたらしく、前倒しで実行。終業時間後に行ってみると、もうすでに出来上がった人もちらほら。元々の取引商品に肉類があるためか、焼き肉以外に牛刺しや馬刺しなども登場してました。でまあ、折角なので馬刺しを美味しくいただいてたんですが、たまたま側にいた新卒者たち(20代前半以前)が、揃いも揃って馬刺しを食べたことがないと聞き、驚きました。ちなみに彼らは「それ、馬肉だよ」と言われるまで、牛刺しのつもりで食べてたようです。牛より若干赤みが黒い(?)気がしますが、生肉あまり見たことがない人には見た目で判断しづらそうだし、食べたことがない人には味の違いも分からないですしねぇ。でも、一杯入った年上のお歴々には格好な話題を提供してくれたわけで、一しきり「お肉談義」が続きました。私も話に加わっていたんですが、ここでまた新たな発見が。「馬肉はさくらって言いますけど、猪肉はぼたん、シカ肉はもみじって言いますよね。 やっぱり花札なんかと関係あるんでしょうかね」 と素朴な疑問を口にした私。「ああ、もしかしたら絵柄からきてるのかもな」と答えた上司に対して、新卒の一人が一言。「・・・花札の絵柄ってなんですか?」そうですか。最近の若い人は、花札見たことないんですか。私の家では子供の頃から、トランプと並ぶポピュラーなカードゲームでしたが。イノシカチョウとか、月見花見に一杯とか、知らないですか。無駄にまつ毛の長い鶴とか、百舌のニエみたいな格好で柳に飛びつく蛙とか、色気たっぷりの流し目をくれるイノシシとか、知らないんですか。でもなぁ。君らが楽しんでいるDSやWiiを出してる任天堂は、もともと花札メーカーだったのに・・・・・・焼肉つつきながら、なんかちょっと切なくなった。「やっぱり最後は雨流し」って方は、ぽちっと1つ→
2008年08月11日
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こんにちは、猫舌です。クーラーガンガンの職場で無理に熱いお茶を飲もうとすると、ついつい舌を火傷しそうになります。それはさておき。昨晩またもや東北地方を地震が襲いました。ちょうどごろごろ起きていた時間だったので、揺れ始めたときは一瞬「はっ!」っと身構えたりもしましたが、体感的には震度4程度とすぐに見当がついたのでのんびりと揺れの長さを確認しながら、TVをつけて、地震速報をチェック。地元はそれほどではなかったものの、青森、岩手では震度6の地域があることを知り、さすがに少し心配になりましたが、思ったよりも被害は少なそうで、安心しました。それでもこの地震で130人を超える被害者が出ているわけで、お世辞にも「良かった」とはいえないんですが、今のところ死者がいないだけでも、不幸中の幸い、と思えます。昔から怖いものの代表格として言われている「地震、雷、火事、オヤジ」(オヤジは大風、台風の意味)人為的に起こす事が可能な火事は別として、その他の自然災害は、できればお手柔らかに・・・とは思うものの、我ながら不謹慎は自覚してるんですが、どうも子供の頃から、雷や火事などの「光モノ」や、地震・台風などの自然現象に遭遇すると、なんとはなしに興奮すると言うか、血が騒ぐやっかいな性質です。「日常」とはかけ離れた、人の力ではどうすることもできない自然現象。そんなものの姿を実感する出来事に触れることで、「世界が息づいている」感覚が急に高まるような感じ、なんでしょうか。善や悪といった人間的な感覚とは全く異なる、純粋に大きなエネルギー。巻き込まれる人間側としてはたまったもんではないんですが、地球が人とは異なるリズムで生きている以上、仕方ないのかもしれません。眠っている時無意識に寝返りを打つように、大地もたまには寝返りを打つのかも。ただ、この数世紀における急激な環境変化で地球が体調を崩した結果、その寝返りの頻度が上がっているのだとしたら、もう少し、この地球のために自分ができることを考えなくては、と思うのですが・・・いかんせん、喉もと過ぎれば・・・の典型的かつ怠け者の性格で、なかなか努力が続きません。気がついたときに、できることを、ポチポチやっていこうと思います。「とりあえず、継続はチカラなりって感じで?」って方は、ぽちっと1つ→
2008年07月24日
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いやあ、毎日暑いですね。でも、会社の席はちょうどエアコンの吹き出し口に当たっていて、私を過保護なペンギン状態にしてくれます。はっきり言って、寒いです。ので、いまだに長袖着ています。室内はそれでOKですが、外に出ると、もう、太陽がいっぱいです。気温差がありすぎて、うっかりすると風邪にもかかろうってもんなのですが、そこはまあ、自己管理で乗り切るしかないですね。ところで、ブログ更新をお休みしていた時期、なんかの参考になるかな(意味不明)、とのぞいてみたのが血液型ネット検定。人間はたった4タイプでざっくり分けるには、あまりに複雑だとは解ってるんですが、それでもカテゴリ分類するにはそれなり参考になるかな~と思い、試しにA、B、O、AB型全ての検定にトライしてみました。10問正解で100%の配分となるんですが、その結果はというと・・・A型・・・ 100%AB型・・・ 90%B型・・・・ 80%O型・・・・ 20%ちなみに私はO型なんですが、O型検定はたった2問しか正解しませんでしたσ(^◇^;)そういえば、今まで初対面で、ある程度会話を交わした後に血液型当て(?)みたいな話になると、まず最初に言われるのが「AB型でしょ?」でした。「違う」というと、続いて「あ、やっぱりA型だったんだ」否定すると「あ~、B型ね~?」さらに首を横に振ってみせると「え、まさか、O型!?」という展開がたびたびあって、友人からは「まさかのO型」という異名をもらっています。家は両親兄弟共に全てO型だったので、自分は典型的なO型だと思い込んでいたんですが、やっぱり自分の事は自分が一番良く判っていないんでしょうねぇ・・・(。-`ω´-)ンー 「犬は全てO型らしいですよ」「へぇ~」って方は、ぽちっと1つ→
2008年07月16日
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どうも~、なんだかずい分お久しぶりです (≧Д≦)ゞ個人的に「うにゅ~」と凹むことが重なったり、ど~んと落ち込んだり、合間に風邪こじらせて38度超えの熱にうなされたりしているうちに、7月も半ば近くなってしまいました・・・人より強い鋼の体や、アイアン・ハートを持ってるわけでもないことは十分自覚してるんで、それなり気をつけてはいたんですが、だからといって傷つくことを避けられるわけではないですしね。前にある人から「対人関係で自分が傷ついたと思っている時は、同じように相手も傷ついているんだから」と諭されたことがあり、確かにそういうパターンもあるだろうケド「いや、絶対向こうは、ダメージポイント0か1だからっ!! こっちはMP-100は喰らってるから!!」と言い返したくなることもしばしば・・・まあ、こんなところがお子様なんですが、冗談ぽくでも紛らわさないと、精神的にやってられないっていうのも本音なわけです。そんなわけでここしばらくは、好きなビデオを繰り返し観たり、音楽聴いたり、まあ、せっせと現実逃避に励んでいたんですが、そうしていると、やっぱり自分が好きなものの根っこは、昔からほとんど変わってないんだな、と変なことに気づいて感心しました。自分はわりと「理詰めで説明」してもらってから理解し、行動するタイプなんですが映画やドラマ、音楽なんかは、わりと感覚的だったりエモーショナルな作品が好き。多分それが、自分に不足している部分だからなんでしょう。自分の「気持ち」や「想い」を優先して動けるタイプだったら、今の葛藤の半分は消えるんだろうなぁ、と判っているんですが、だからといって、そんな風に行動できない頑なさがあるわけです(。-`ω´-)ンーたまたま東方神起の新曲「どうして君を好きになってしまったんだろう?」を聴いていたら、結局人が抱えるやるせない想いや悩みや切なさっていうのは、色が違うだけで、万国共通のモチーフなんだなぁって実感しました。自分じゃどうしようもない想いに苦しんだりすると、誰でも必ず「どうして?」と自問自答するけど、その「どうして?」には解答なんてないことくらい、自分が一番解っているし。「どうして、好きになったんだろう?」「どうして、こんな気持ちに気づいちゃったんだろう?」「どうして、自分の思いをわかってもらえないんだろう?」理屈じゃないところから生まれてくる感情を、人は「どうして?」で捉えるんだろうな、と。それに切ない「どうして?」だけじゃなく、嬉しい、幸せな「どうして?」もあるわけで。悔しかったり、哀しかったり、切なかったり、嬉しかったり、幸せだったり・・・人は毎日、答えのない、たくさんの「どうして?」と向き合いながら、日々を過ごしていく。別に自己完結できたわけじゃないですが、東方神起の新曲を聴きながら、ぼんやりそんなこと考えていたら、少しだけ深呼吸できた気分になりました。まあ、今後はあんまり私的な繰り言は止めて、またポチポチと以前のように記事をアップして行きますんで、どうかよろしく。「どうして?って訊くのは、好きな方なんですよ」って同志な方は、ぽちっと1つ→
2008年07月13日
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「立派な人は、お化けだの鬼神だのといった、怪しげな話はしないもんですよ」とかの孔子様はおっしゃってましたが、君子でもない私は、そういう話が大好きなわけで。身近な訃報が多すぎた五月でしたが、不思議な話も1つ、妹からGETできました。実家の近所に住んでいた老人が亡くなり、妹がその弔問に訪れた時に、その家のお嫁さんから聞いた話です。私は実家を離れてご無沙汰していたため、そのおじいさんとはほとんど交流がなかったのですが、妹は子供たちが小学生になるまで近くに住んでいたため、子供達が小さい頃には、よくそのおじいさんにかわいがってもらっていたそうです。そのため、葬儀が終わって一段落ついた頃を見計らい、そのお宅にお水を上げにいったところ、亡くなったおじいさんの長男のお嫁さんがいて、応対してくれたんだそうです。お互いの子供の年齢が近かった為、近所に住んでいた頃には交流があったものの、あまり自分とは気の合うタイプではなかった、というそのお嫁さん。舅が亡くなったばかりで、形だけでも悲しそうにしているかと思ったら、しょっぱなから「良かった」発言で、さすがの妹も驚いたんだとか。そのおじいさんは家で急に具合が悪くなり、救急車で運ばれ緊急入院。当初はすぐに元気になり、2、3日の検査入院後に退院かと思われたのですが、容態が急変して、運び込まれて2日後に亡くなったんだそうです。あまりに突然で、近所の方々もお見舞いに行く暇も無いまま、お別れとなったわけですが。「ぶっちゃけ、長患いとかされるより、楽で良かったわ」正直と言えば正直すぎるお嫁さんの感想に、妹も一瞬言葉がなかったそうです。そのお嫁さんは嫁いできた当初から舅さんを毛嫌いしていて、「私の作る料理は口に合わないと思うから」と勝手に宣言し、そのおじいさんの食事を作ることを拒否した、と言う話は聞いていました。平日は仕事があるからよいものの、休日はお嫁さんに邪険にされて居場所が無いため、ご近所を訪ねたり、家の周囲の草むしりなどで時間をつぶす姿を、妹は何度も目にしたそうです。まあ、どこにでもいるような、いわゆる普通の「鬼嫁」って感じだったんでしょう。頼りの息子もお嫁さんと一緒になり、ささいなことで父親を罵倒する声が隣まできこえるほどだったそうです。おじいさんの奥さんは30代の若さで病気で亡くなり、それから男手1つで3人の子供を育てあげたのですが、その結果がこれでは・・・と、ご近所でも心を痛めている方がいたそうです。唯一の楽しみがお酒だけ、結局はそのお酒が死期を早めることになりました。死後判明したところでは、おじいさんの容態はかなり悪く、ひどい痛みが日常的にあったはず、との診断でした。家族の誰にもそれを言わず、言えず、お酒で痛みを紛らわし、仲の良かった人に最後の挨拶もできぬまま、亡くなったおじいさん。自分の子供達をとてもかわいがってくれたのは、もしかしたら一緒に住んでいていも、本当の孫には関わらせてもらえなかった、その代わりだったのかもしれない。妹は、そう思わずにはいられなかったそうです。複雑な思いを抱きながら話を聞いていた妹ですが、そのお嫁さんが途中から思わぬ話をきりだしました。「お葬式の時なんだけど、祭壇の前で、お坊さんがお経を上げるじゃない? 私たちは喪主だから、一番前の列に座って合掌してたんだけど、その時よ。 いきなり後から、私の頭を誰かが思い切り「ばんっ!」って叩いたのよ。 もう、ものすごい力で、頭の天辺がしびれるくらいの! 私も頭にきて、「こんなときに誰?」って振り向いたんだけど、誰もいないの。 ていうか、すぐ後には子供(7歳)がいたんだけど、目をつぶって正座して合掌してるの。 その両隣には親戚が座ってるんだけど、部屋が狭くてぴっちり詰めて座ってるんで、 もし子供が立ち上がって私の頭を叩こうとするなら、2人をどけないといけないんだけど、 そんな様子もないのよ。 変だな~と思ってたんだけど、お葬式のお客がほとんど帰った後に、今度は主人が 祭壇の前に 立っていたら、いきなり喉元に誰かからチョップ(手刀)くらったような 衝撃があったんだって。 お義父さん、いたずら好きだったから、最後にいたずらしたのかね~って、2人で話して 笑っちゃった」そういって笑う彼女の背後の仏壇に飾られた遺影の顔が、とても怖くて妹は直視できなかったそうな。やっとの仕返し(?)もそんな冗談の種にされて、おじいさんはさぞ、無念だったのでは。波長が合う、合わないは仕方が無いところですが、最低限、一緒に暮らす以上は、相手の尊厳を思いやる気持ちを欠片程度でもいいので持ち合わせたいなぁ、と実感した話でした。「でもまあ、こんな話で女性週刊誌も賑わうわけですしねぇ・・・」って方は、ぽちっと1つ→
2008年06月12日
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いやあ、更新サボっててすみません・・・il||li_| ̄|○il||li なんて謝罪が必要なほどの常連さまは、幸か不幸か少ないことだけが取り得のブログですがそれでも1週間以上書き込みしないと、なんだか申し訳ない気持ちになります。前回「重なる時は重なる」と書いたものの、先週末にまた一人、親戚の高齢者の方が鬼籍に入って、もう「うはぁ!」って(´゚д゚`)自分は霊感的に鈍い方ですが、さすがにこう重なると、精神的にも経済的にも重いものσ(^◇^;)を感じるわけで。なんなんでしょうねぇ。今年の5月は「五月晴れ」っていうより、「五月闇」って言葉がしっくりするような、全体的に重くて黒い波動が地球規模であったような気がしました。もとから体調や病状が優れなかった人は、その波に呑まれた、みたいな・・・いや、たとえ健康な人でも、精神の隙や闇につけ込まれ易い波動を感じるので、やっぱり要注意!って気はするのですが・・・こうなると、普段はうっとおしく感じるかもしれない6月の梅雨が、一種の禊ぎ(みそぎ)の雨となって、この波動を清め、洗い流してくれることを祈りたいもんです。さて、立て続けに抹香の香りを嗅いでいて、思い出したのが日本神話のこのエピソード。国産みのニ柱となった伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(みこと)ですが、妻である伊邪那美命は出産で命を落とし、死者の国である根堅州国(ねのかたすくに)に行ってしまいます。妻を忘れられぬ伊邪那岐命は、彼女を引き戻すべく死者の国まで赴きます。このあたりは、ギリシャ神話のオルフェウスのお話みたいで、ロマンチックなんですが・・・しかし、ようやく探しあてた伊邪那美命は根の国(死者の国)の食べ物を口にしており、そのままでは地上に戻れない、とのこと。伊邪那岐命の気持ちに打たれた伊邪那美命は、2人で一緒に帰ることができるように、死者の国にいる他の神々と相談する間「自分の姿を決して見ないでほしい」と伊邪那岐命にお願いするわけですが・・・まあ、この手の約束は、古くは聖書のロトの妻から、近くは日本民話の鶴の恩返しまで、たいてい破られるもんです。そしてご想像に違わず、伊邪那岐命も待ち疲れ(?)、こっそり櫛の歯に火を灯して、愛しい妻の姿を盗み見るんですが・・・そこで死者の国の住人となり、変わり果てた伊邪那美命の醜い姿を見て、恐れおののくんですね。しかもびっくりするくらいならまだしも、速攻で逃げ出すんですよ。脱兎のごとく。伊邪那美命は、怒り狂ってその後を追いかけます。怒って当然です。こ・れ・は伊邪那岐命が悪い。伊邪那美命に命じられた黄泉醜女(よもつしこめ)達に追いかけられながらも、なんとか出口までたどり着いた伊邪那岐命。そこに生えていた桃の木の霊力を借りて邪気を祓い、この世とあの世の境の入口を岩で塞ぐことができた伊邪那岐命。根の国に封じられた伊邪那美命は悔しさのあまり、「人間を1日に1000人殺す」と宣言。(軽く八つ当たり?)それに対して伊邪那岐命は「それなら、1日に1500人の子供を生む」と返しました。それ以来、豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに=日本)では、1日1000人ずつ死に、1500人ずつ生まれることになった、そうです。・・・が、どうやら現在ではそれが逆転して、伊邪那美命の勢力が勢いを増しているようで、少子高齢化に歯止めがかからない様子。これは誰かが根の国に赴いて、伊邪那美命がお怒りを解いてくれるようお願いするしかないのかなぁ。琵琶湖の竹生島は軽く伊邪那美命とつながりがあるようだったので、以前訪ねたときにお願いしておけば良かった、と後悔しきり。まあ、自分が根の国に行く順番が来たあかつきには、一応お願いしてみようかな。うん。などと、弔問の席でぼんやり考えている罰当たりでした。「伊邪那美命の気持ちもわからんわけでもない」って方は、ぽちっと1つ→
2008年06月01日
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全くもって私的な事ながら、今年のGW明けは大変(?)でした。休み明け早々出社してみたら、職場の上司のお母様が連休中突然死でお休みとのこと。全く健康に問題なくその日も過ごしていたようなのに、入浴中に具合が悪くなり、そのまま浴室で亡くなられたそうです。70代後半なので、早すぎるというわけではないのですが、本人も家族も健康上の不安を感じていたわけではないため、哀しいというより驚きの方が大きい感じ。そして、それを皮切りにしたように、数日後には遠縁のおじいさんが亡くなったとの知らせ。そして時を同じくして、親戚のおばさん、実家近所で母が懇意にしていたおじさんと隣の家のおばさんが、相次いで入院。近所のおじさんは、見舞いに行った人から「お元気そうでしたよ」と聞いてたもので、週末にお見舞いに行こうと思っていたら入院後数日を経ずして亡くなってしまいました。・・・というわけで、先週、今週末の休日は、お見舞い3件、喪中のご挨拶2件と、超!神妙なスケジュール。「良いことも悪いことも、よく重なるものだ」とは昔から聞くんですが、本当に重なりすぎっ(´゚д゚`)GW前あたりから、「ちょっと全体(世界)的に揺れてる?」みたいなエネルギー変化を感じた気がしたんですが、中国の地震とかも含めて、影響あるのかもしれないですね。こちらとしては、遠くの親戚から近くの他人まで、精神的にへこむことも確かなんですが、現実問題としては予想外の金銭出費の方が、ダメージ大きかったですσ(^◇^;)「だからといって、自分がもらう側にはまだなりたくないなぁ」って方は、ぽちっと1つ→
2008年05月18日
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本日はこどもの日。地元は雨。いまだに「いい年齢(とし)して・・・」と周囲から白い目で見られる自分は、精神年齢的に12歳で止まっているようなもんですので、十分祝う資格があるのかな~などと、すでに大人として終わっているようなことを考えながら、頂き物の柏餅を食べつつ、まったり過ごしています。同僚に「4連休の過ごし方」を聞かれて、最低1日は図書館に行くよ、と答えたら、「休みの日に図書館~?」なんて思いっきり退かれたりしたんですが・・・いや、仕事休みの日じゃないと、図書館なんて行けないし。最近は新着でCD付きのPC関係本も置いてあるし、意外と重宝するんですよ、図書館。わざわざ自分で買わなくて済むところがいい。借りてみて良かったら、あらためて購入すればいいわけで。地元ではやってないけど、前に住んでた所の図書館では、ビデオやCDの無料貸出もしていて、館内でも視聴可能(もちろん、家で見るのもOK)館内の視聴ブースには、大体いつも常連のお年寄りの方がいるようで、ヘッドホンしながらひとりTV画面に見入っていました。そんな姿を見るたびに、家で一緒に見る家族がいないのかな~とか思ったり。じっくり映画鑑賞もいいけど、もう少し誰かとつながるチャンスがあれば、毎日の生活にも張りが出るんじゃないのかな。いや、実は十分、張りのある生活してるのかも知れないですが・・・そういう自分も、人に忠告できるほど張りのある毎日を送っているわけじゃないしσ(^◇^;)会社で余ったWebカメラをもらい、早速自宅PCに接続したものの、スカイプ相手もおらず。(会社の同僚とかは数に入らん)さすがにここいら周辺では、仕事関係以外で、PCでテレビ電話的な使い方してる人っていないんですよね。自分的には、子供たちが独立して県外に住んでいるというお年寄りの方々にこそ、子供や孫の顔をみながら会話できるスカイプなんかを薦めたいところなんですが、現実には電脳拒否派が多い。70過ぎても車運転するようなお年寄りだったら、十分PC操作できると思うんだけどなぁ。「・・・車の運転の方が、PC操作よりよっぽど怖い」と思える方は、ぽちっと1つ→
2008年05月05日
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GWも本番に突入した今週ですが、今年開花が早かった地元の桜は、もう先週末にはほぼ葉桜。休日に近場で桜の花見、なんて都合よくはいきませんでしたが、菜の花やチューリップ、タンポポや水仙に雪柳など、北国らしく遅い春に満開の他の花々のおかげで、散歩がてらのちょっとした外出でも十分楽しめます。さて、個人的に桜は好きなんですが、実家の隣家の桜の樹は別。桜の時期にはそれは見事な花をつけてみせるんですが、今でもその樹を見るたびに、苦い想い出が甦ります・・・・それは私が小学生の頃。当時、学校の図書館に必ずあった江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズ。それにハマった私や近所の子供たちは、自分たちも「探偵団」を作ろうと、お互いに少ないお小遣いの中から少しずつお金を出し合い、「探偵団貯金」なるものをしていました。ある程度のお金が貯まったら、誘拐時に道にこぼして行く先を教える色砂とか、お揃いのバッジとか、逃亡に使う紐ロープやらなにやらを購入するつもりでした(`・ω・´)一体誰にさらわれるんだ、とか、車の中から砂こぼすことはできないだろ、とかいう突っ込みは置いといて (*^-')ノまあ、明日の少年探偵団のために:その1貯金をしていたわけです。そしてその貯金箱は、みんなの遊び場にもなっていた隣家の庭の桜の樹のうろ(穴)に隠しておきました。遊び場に来た時に、すぐに小銭を入れられるように、くらいの発想だったと思います。んで、半年以上経ち、1万くらいは貯まったであろう、という時・・・その隣家のじいさんに貯金箱が見つかり、没収(というか盗られた)。しかもそのじいさんは、大分前から私たちの行動に気づいていたものの、ある程度お金が貯まるまでは、と放置していたらしい(近所の知人への本人談)。そんなごうつくなことするだけの、強面で怖いじいさんだったため、誰一人「返してくれ」とはいえず、そのままに・・・(;O;)理不尽で非道(?)な大人のやり方を、身をもって教えられた出来事でした。「・・・そうして子供は一歩ずつ、大人になっていくんだよ」なんて方は、ぽちっと1つ→
2008年04月29日
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そろそろ桜も本番を迎えた地元。昨日は風が強く、ローカル列車が何本か運休になるくらいだったため、とても「お花見」って感じじゃなかったんですが、今日は朝から天気も良く、風も穏やかで、絶好の花見日和。7年ほど前、実家の庭に植えられた枝垂れ桜も、チラホラ花をつけ始めました。ソメイヨシノより開花の遅い枝垂れ桜ですが、今年はその下にそらちゃんが眠っているせいか、ちょっとがんばって早起きして咲いた!って感じです。地元の百人一首で有名な歌人と言えば小野小町ですが、歳を重ねるごとに彼女の句「花のいろは うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」この和歌に託された想い(?)が胸に迫ってくる気がします。いやまあ、本当に時間は容赦なく過ぎていくし、ちっとも待ってはくれないんですよね。桜の時期は特にそれを実感します。今度行こう、明日見に行こうとか先伸べしてると、気づけばもう葉桜、とか。人と同じで、毎年咲くけど毎年違う、自然界との一期一会。個人的に桜の開花って、桜の精霊が一斉に大合唱しているような気分になります。人間界では年末に第九を歌いますが、それが桜の精霊には今頃の時期、みたいなヾ(o゚ω゚o)ノ゙ 花弁の一つ一つから、人間には聴くことのできない周波数で歓喜のメロディが零れてくる、そんなイメージ。イメージの元ネタは学生の頃ハマった漫画「ぼくの地球を守って」の作中で、動植物と心を通わせることができるヒロインの女の子が、修学旅行先の京都で前世の記憶を取り戻した時に、季節外れにも関わらず周囲の桜がいきなり蕾をつけて一斉に開花した、そのシーンを読んでからなんですがね・・・乙女チックですか、そうですか(´・ω・`) いや、女はいくつになっても少女の心を忘れないもんで・・・ゴホゴホぼくの地球を守って 第6話 転生、そして……(B-ch)でも、フィンドホーンの例にもあるように、植物の精霊(ディーバ)と心を通わすことで、成長を驚異的に早めたり、収穫高をあげることができるという報告もあるし、そんなスピリチュアルな事には関心が無い!って農家でも、最近は植物の成長にいいらしいとハウス内にクラシック音楽を流したり、お乳の出が良くなるからと牛舎にモーツァルト流したりしているらしいですから、単なるファンタジー以上の何かがそこにあるのだと思います。人間の音楽は植物に影響を与える。てことは、その逆もあって然り、と考えるわけです(個人的に(。-`ω´-)ンー 植物の歌も人間に影響を与える、と。いかんせん、人間の耳が聴き取れる周波数の音域はわんちゃんにも劣るわけで、実際にその歌を聞くことはできないし、そもそもそんな歌(音)が出ているかなんて科学的にありえるかどうかもわかりませんが、ただ満開の桜の花の下を歩き、眺めているだけで呑んでなくても心地よい酩酊状態になるのは、桜たちの歌があんまり素晴らしいから、なんて考えた方が、しっくりするんですよね。あ、ちなみに私は高校まで、小町の和歌の最後の句をこんな風に間違って覚えてました。「眺めせしまに」→「眺め狭しに」・・・狭くしてどうするよ(´゚д゚`)「やっぱ、日本人は桜でしょうっ!」と自信を持って断言できる方は、ぽちっと1つ→
2008年04月20日
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地元も今週末から桜が開花。去年よりちょいと早いお花見の時期になりました。新年度になり、間接的に新人さんも増え、先週は歓迎会がてらの二次会に流れたり流れなかったり。久しぶりにカラオケとか行ったんですが、最近の曲はサビしか知らず、ものの見事に撃沈。ラジオ体操の通しがきついとかいうより、年齢を実感する(´・ω・`) あとラッパー系とかね、アルコール入ってないのにろれつが回らん。口が動かん。舌がついていきません。撃沈。ので、また~りと一昔前の歌を歌わせてもらいました。いいんですよ、それで。カニは自分の甲羅の大きさに合った穴を掘るもんなのです。まあ、そんなことはさておき、ヴォイス。子供の頃、自分の声をレコーダーに録音して再生し、「うぉ、変な声!!」と思ったんですが、そんな人って、けっこう多いんじゃないでしょうかね?何気に周囲に聞いてみたところ、自分の声が「好き」って人は、驚くほど少なった。低すぎるとか高すぎるとか、鼻声だとか、しゃがれてるとか、みんなそれぞれ、自分の声に不満(?)があるらしい。他人からしたら「美声」の部類と思える人でも、本人はそう感じて無い様子。実は容姿よりも、ひそかに声コンプレックスを持っている人は多そうな気がした。ちなみに私もほんのり声フェチなので、良い声きくとうっとりする。声だけで、萌えっ!って声優さんもいる。あと、お寺でお経読んでるお坊さんとか、神社で祝詞上げてる神主さんにも美声の主がいて、たまに遭遇すると聞き惚れて、金縛りにあったようにそこを動けなくなる(´゚д゚`)言葉の意味に力がある「言霊」とは別に、声質は音の波となり、聞く人の魂を縛る鎖になるのではないか、と勝手に妄想してみたり。そういえば、指輪物語(ロード・オヴ・ザ・リングス)の中でも元・白の魔法使いサルマンは美声の持ち主で、その声で聴く者を魅了(チャーム)する設定になっていたなぁ。映画版では、子供の頃ホラー映画で私のトラウマ作りに大活躍してくれたクリストファー・リー様がサルマン役でした。もういいお歳のリー様ですが、実際、本当にいい声です。あんな声で魅了(チャーム)されたら、私なんてすぐ陥落しそう・・・ (≧Д≦)ゞ「人魚姫は声を渡すべきじゃなかったよ!」と思える方は、ぽちっと1つ→
2008年04月19日
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取引先のお役所さんにあわせるということで、先週から何台か新しいPCが職場に入った。当然、OSはVISTAだ。Officeもそれにあわせて2007が導入された。新しいモノ好きの自分としては、ホントなら新しいPCをあてがわれるのは嬉しいことだ。これが自宅で自由に使えるパソコンだったら、まあ、素直に喜んでいたと思う。でもなぁ・・・・不具合修正ツールも出て、だいぶ安定して早くなったと聞いてはいたものの、あまり芳しい評判を聞かないVISTAと2007の組み合わせ。できれば仕事では、慣れたXP+2003でしばらく行きたかったのに・・・とはいえ、あてがわれた以上は仕方ないので、使い始めた。・・・予想していた通り、使いづらい。遅い、重い、わかりづらいの三重苦だ。使えないわけじゃないけど、画面や新しく採用されたリボンメニューとやらに慣れるまでは仕事の効率が落ちるのは目に見えている。10年以上採用され、Officeユーザーに親しまれてきたメニューバー、ツールバーを捨てて、リボンに走る必要が本当にあったのか、Microsoftさん?あれが新体操のリボンだったら、うまくさばけず自分の足に絡めて倒れこむくらい、やりづらいメニューだ。そのうち慣れるんだろうけど、それまでは毎朝PCを起動して画面を見るたび、気力が萎える気がする。なんだか長年の知人が、いきなり変な教団に入信しちゃって人が変わったような、そんな切なさを感じるのは、私だけ、なのかな(。-`ω´-)ンー 「デジタルに見えて、けっこうアナログタイプなんですよ」って同志は、ぽちっと1つ→
2008年04月13日
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最近ニュースでとりあげられている、聖火ランナーの走行妨害。ランナーに罪はないし、暴力的な走行妨害はやはりいかがなもんか、と思いはするもののそうまでしてもチベット問題をアピールしたくなる気持ちも分からないわけじゃない。非暴力闘争を唱えるダライ・ラマの意図は、ある程度尊重してもらいたいですがでも、本来なら、その国の代表として誇らしげに滑走するべきランナーが、周囲を気にしながらおびえて走る姿なんて、想像できないもの。その原因が、非人道的な中国の政策だということを、世界的にアピールする上でランナー妨害は格好の舞台っていうことですね・・・なんでも力押し+徹底的な言論統制をしくお国なので、大ブーイングの中を走るランナーの姿をニュースで流すなんて、もともと中国国内じゃありえませんが。結局、世界中に衝撃を与えた天安門事件から、中国当局の姿勢は全然変わってない。どころか、悪質さをましているのかも。政府レベルでは、アメリカも批判声明はだすものの、貿易大手取引国である中国には及び腰。フランスやロシアだって、大口武器購入国の中国には非難も遠慮がち。先日訪米した中国首脳は、「世界を二分して、アメリカと中国で半分ずつ治めましょう」と(冗談で)提案したらしいですが・・・おそらく半分マジだろうな~。こんな国に、戦後60年以上経っても「帝国主義」やら「軍国主義」を非難されて黙っている日本ってε=ε= 。。(ノT-T)ノ「・・・控えめすぎるのも考えものです」なんて方は、ぽちっと1つ→
2008年04月09日
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新年度に入り、新入社員が入ったものの、うちの部署には配属無し。新人さんが入った部署はい~な~と羨ましく思い、そんな話を友人にしたところ、なんと。その友人の会社では、入社して1週間も経たずに辞めてしまった新入社員がいることが判明。辞めてしまったのは、大学出の男性社員(ちなみに営業職)。話を聞いたところ、新人歓迎会の席でその彼に、「そんな変なヘア・スタイル、俺が面接担当官だったら絶対採用しなかったぞ」と上司が冗談半分で言ったんだそうです。で、その翌日欠勤。翌日、退職届。とあいなったそうで・・・(´・ω・`) ちなみに、退職届けは本人ではなく、親御さんが会社に持ってきたそうで、「こんな人格を否定するような上司のいる会社で、自分の息子を働かせる気は無い」とさんざんクレームつけて帰られたんだとか。今の時代、それが当たり前なのか。ヘア・スタイルって、その人の人格と密接に結びつくくらい、重要なポイントなのか。会社の営業方針より、息子のポリシーを尊重する親は、今の時代誉められるべき存在なのか。以前勤めた会社では、営業たるもの客先に不快感を感じられないようなヘア・スタイルが基本、と教わったもんだけど・・・まあ、もしかしたらその青年は、もっと別にヤりたいことや仕事があったのかもしれない。彼にとっては、辞めるいい口実(きっかけ)に過ぎなかったのかも。そう考えると、すこ~しだけこちらも救われる(?)気持ちになります。だって、今の20代前半とその親たちがみんなこんな感覚だとしたら、私はついていけないぞ。3日で会社を退職したその青年・・・それほどヘア・スタイルにこだわりがあるのなら、いっそカリスマ美容師を目指してほしい、と心密かに思いました。「・・・無頓着すぎる自分は、ちょっと見習いたいかも」って思った方は、ぽちっと1つ→
2008年04月06日
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先週以降、関東以西の地域ニュースでは、もう桜の話題が当たり前。地元もまだ先の話とはいえ、今年の桜は確かにいつもの年より早そうです。例年ならまさに三寒四温で、暖かい日が続いたかと思うと雪になったり、をくり返して、だんだん春になるもの。それが今年は有無を言わさずいきなり春がキタ~って感じです。そのせいか、お彼岸を過ぎてから周囲で体調を崩す人が増えたような・・・(´A`)この時期、風邪と区別がつかない花粉症もからかってくるのでなんとも微妙なんですが、周囲をマスク人間に囲まれていると、なんだか不思議な世界に放り込まれた気分になります。さて、4月に入り、TVで入社式のニュースを見ていたら、初めて社会人になった時のことをぼんやり思い出しました。最初に入った会社は、K奈川県K崎市に社員寮がありました(いきなり回想モード)。なぜかその寮の近くには他の会社の女子寮も多く、そのせいか変態さんがとても多く生息しておりました。この地域の変態さんは春先ばかりではなく、オールシーズン活動していたので、遭遇率も比較的高かったような気がします。登場の仕方も、徒歩、自転車、車と多種多様。田舎でのんびり(?)すごしていた私は、上京するまで本物の痴漢や変態やごきぶりを見たことがなかったため、最初はけっこう驚きましたが、寮に帰って先輩たちに話したり、受け流しのコツを教えてもらったりするうちに、それなり対処できるように成長しました。幸いな事に当時私が遭遇した人たちは、いわゆる自分なりの「表現の自由」を主張したいタイプがほとんどで、他人にとってバイオレンスな人たちではありませんでした。もしかしたら現在のほうが、外見は普通で中身は・・・・という怖いタイプが多いのかもしれませんね。ともあれ、春と同時に入学、入社と家を巣立ち、人口の多い都会で一人暮らしをはじめた人は多いんじゃないでしょうか。都会にはいろんな人がいますので、女性はもちろん男性も、十分気をつけながら初めての暮らしを楽しんでくださいね。「ほんと、いろいろあったよなぁ」と思い出すことがある方は、ぽちっと1つ→
2008年04月02日
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日曜に実家に顔を出したら、バッケみそをもらった。バッケとは、土地の言葉でフキノトウの事。まだ若いフキノトウの芽を摘んで刻んで炒めたものを、味噌であえたもので、仄かにホロ苦い春の香りが口に広がる野趣あふれる一品。母親のものはちょっと甘すぎる気がしたので、自分で作る機会があれば、砂糖無しか、ミリンや蜂蜜なんかを代用して作ってみたいですね。それにしても、最近連続している通り魔的な犯罪は・・・(´A`)「満月前後は暴力的な犯罪が増加する」と聞いた事がありますが、季節の変わり目であることや、地球の波動自体が変化してきていること、いろんな理由が重なっているのだと思います。聞いた話では、波動の変化が人に与える影響特に大きく、繊細な人や敏感な人ほど調子を狂わされ、思いがけない凶行に走ったりすることもあるそうで・・・考え込むタイプや精神的な事柄にフューチャーしやすい人は、肉体と精神が分離しやすくなり、自分の行動に現実感が持てなくなるようで、ことに要注意。だからこそ、グラウンディング(地に足がついた、自分自身とつながっている感覚)が必要になるわけですね。庭がある人は土いじりなんかがいいですが、一番簡単なグラウンディングは、深呼吸すること。現実感が希薄になっている人の呼吸は、本人が気づかぬうちに浅くなっているそうです。花粉症の心配がない人なら、窓を開けて深呼吸を繰り返してみるのもいのでは。あとは個人的に、旬のもの、地のものを食べるのも効果的かな~、と。まあ、単に自分がイヤシイだけかもしれないですが、今の季節ならイチゴとか、菜の花、春キャベツ、タラの芽など食欲そそるもんがいっぱい出回ってくるので、オススメですね~。精神論もいいけれど、たまには体を喜ばせてあげることも大切ですよ「食いしん坊、万歳(^o^)/」って同志な方は、ぽちっと1つ→
2008年03月26日
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昨日はお彼岸の中日ということで、家族とお墓参りにいってきました。今週はずっと陽気が良くて、先週までは日陰や軒下にみかけた雪もすっかり消えて、春を実感。そんな陽気のせいか、お参りしている人達の数も、いつもの年より多いような気がしました。今回は昨年亡くなった親族の身内が「遠方のため来られない」との連絡があったので、代わりにそちらもお参りしたのですが、墓地が違うと雰囲気も違うもの。で、不謹慎かもしれませんが、母と妹と一緒に、散歩がてら墓石ウォッチングを敢行。子供の頃から墓地もプレイング・フィールド(遊び場)の1つだったせいか、墓石に囲まれていると妙に落ち着くんですよね。(昼限定ですが)でも、横浜の外人墓地(あそこも好き)ならいざ知らず、用もないのにお寺の墓地を徘徊していたら、不審に思われることは確実。でも、お彼岸やお盆の時期なら人も多いし、たとえキョロキョロしていても、親戚のお墓でも探してるように見えるので、好都合。で、ウォッチングを堪能させてもらいました。墓石の形や材質、大きさ、オプションの灯篭やお地蔵さまなどの小像、レリーフや刻み込まれた文言。特に建立した年などは明治以前の江戸時代のものまであって、本当に興味深い。最近のものでは扇形で金線を施した、モダンでオシャレなものもあり、時代の変化を感じました。お参りしている人達は、みな一様に穏やかな表情をしていたのも印象的。「想い出に微笑みを・・・」あるお墓に刻まれていた言葉をかみ締めながら、お鼻とお線香の香りに包まれた墓地を後にしたのでした。年に数回程度でも、お墓参りの機会を提供してくれる国に生まれて、やっぱ良かったですわ。「・・・そのうち自分も仲間入りかぁ~」なんて感慨深げな方は、ぽちっと1つ→
2008年03月21日
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今まで必要性がなくてノータッチだったパソコンでの動画編集。でも、仕事に関わる部分で多少必要になり、面倒ながらも自宅で勉強まがいのことを始めたら、まんまとハマってしまいました。生来集中しやすいタイプの上、細かくちまっとした作業にハマりやすいため、気付くとあっという間に数時間が経過。仕事あるんだからサッサッと寝なきゃと思いつつ、気付けば夜中の3時4時~(´゚д゚`)自宅PCは旧式で、CPUも1GBちょっと、メモリは512MBしかつんでないので、動画の作業スペックとしてはギリギリ。案の定よく強制終了するわ、マウスは壊れるわで、捗らないのも原因の一つなんですが・・・おかげでブログの更新も滞ってました。まあ、今しばらくは新しいおもちゃ(?)で明け暮れそうですが、ブログも忘れず更新していきたいと思います。今はマウスを新調するか、それよりペンタブレットを購入しようか思案中。にしても、PCの進化はほんとに早すぎるなぁ・・・(´・ω・`) 「・・・追いつくのに一苦労です」って同志な方は、ぽちっと1つ→
2008年03月14日
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アニメの戦闘シーンで、熱血主人公が叫ぶセリフのようなタイトルですが・・・休日の朝。まったりとネット視聴していて目に付いた海外ニュースの見出し。不謹慎ながらも、つい吹き出してしまったそのタイトルが「墓地満杯で、死亡禁止」詳しくは報じられていないものの、フランス南西部、住民約300人ほどの小さな村で、「墓地に区画を持たない者は教区内で死ぬのを禁じる」との条例が今月決まったそうだ。どうやら教区内の墓地が一杯になり、拡張しようと隣接地の買収も考えたらしいが、今年初めに裁判所に却下されたためらしい。フランスだし、田舎だし、きっとカトリックなんだろうな、と推測。キリストの復活と最後の審判を信じる人たちにとって、土葬はデフォルトだから、「お墓が無いっ!」ていうのは、かなり深刻な問題なのだと思う。教会も苦肉の策なんだろうけど、それにしても「墓の無い奴は、ここで死ぬな!」なんてムチャぶりが条例として通るのがスゴイところです。元からの住民は問題ないだろうケド、この村を気に入って移住しよう、なんて考える人に「おまえを葬る場所は、ここにはないよ」と最初から断っているわけで・・・今のご時世からすると、かなり閉鎖的な感じがします。まあ、それが村の住民の総意なら仕方ないですが・・・案外、こんなニュースが広がり批判が起こったときに、教会側としては「でも、裁判所が土地の買収を許可してくれないから、こうするしかなかった」と説明すれば、非難が裁判所に向いて、その結果、土地買収の許可がでるかも・・・なんて胸算用が働いているのかもしれないですが。(教会は昔から、政治家以上に政治的で、世知辛いですしね(`・ω・´)ついこの間は、インドで自分のカルマ(罪業)を浄化するため、ワニと結婚した男性のニュースを耳にしましたが、まさしく、ところ変われば(ニュースの)品変わる。この世界も人間も、やっぱり面白いですわん(`・ω・´)「・・・なんか自分も負けたくないな」って発奮された方は、ぽちっと1つ→
2008年03月08日
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地元の方言で「だらしない者」のことを「しんびぃづぅげなし」という。(注:イントネーションやアクセントは、地域で微妙に違う)かく言う私も、この「しんびぃづぅげなし」の1人だ。先週まで部屋にあったはずの本が数冊、ふと見ると消えていた。ちゃんと本棚に入れておいたわけじゃなく、床に積んどいた私も私だが、でも、無い。一緒に置いてあった他の本はある。でも、必要な本だけが無い。どこかに持って行った記憶は無い。家族に聞いたり、手伝って探してもらっても、見当たらない。最終的には周囲から、「しんびぃづぅげなしだもんな」と言われて、同情もされない。きっと、どうでもいい時に見つかるんだと思う。でも、ずっと見つからないこともあるかもしれない。こんな風に「しんびぃづぅげなし」は、身近に小さなブラックホールを飼っている(´・ω・`) 。ま、こんな話はさておき、前回の続きです。Aさんの実家を訪れたTさん。あいにくAさんの父親は仕事で留守でしたが、母親は懐かしそうにTさんを出迎えてくれました。葬儀に参列できなかったお詫びを口にするTさんに対し、Aさんの母親は反対に、忙しい中、わざわざ家まで来てくれたことを感謝してくれたそうです。娘の死。友の死。永の別れを経験したとはいえ、突然のことでいまだ実感の湧かない2人。位牌に手を合わせた後、居間に招かれたTさんは自然にAさんの思い出話を始めましたが、ともすると2人の口調は、まるでAさんは今ちょっと外出中で、その帰りを待っているような、そんな雰囲気だったそうです。そして、2人がそんな風に会話している最中でした。二階から、赤ちゃんの泣き声が聞こえてきたのです。Aさんの産み落とした双子の赤ちゃん。そのうちの1人が眼を覚まし、泣き出したようなのです。お腹が空いたのか。オムツが汚れたのか。どちらにしろ、すぐに立って二階に上がるのだろう、とAさんの母親に眼をやったTさんは、そのまま座り続けている母親の姿に、おや?と思ったそうです。Aさんの母親は黙って椅子に腰かけたまま、閉じたドアの向こう、階段のある方向をじっと見つめていました。さすがにその姿を不思議に思ったTさんが、彼女に声をかけようとした途端・・・・とん、とん、とん、とん・・・・誰かが下から階段を駆け上がり、二階に向かう足音が聞こえてきたのです。はっきりと、確かな足取りで・・・今、この家にはAさんの母親とTさんしかいないはず。それを知っていたTさんは「まさか、強盗?」と一瞬恐怖に襲われましたが、その時Aさんの母親が発した一言で、別の意味でゾッとしたそうです。「あなたにも、聞こえたの?」言葉の意味を尋ねるように見つめ返したTさんに、Aさんの母親はこう語ったそうです。「この家に赤ちゃんが来てから、ずっとこうなのよ。 赤ちゃんが泣くたびに、下から二階に駆け上がる足音がするの。 初めは姿でも見えるんじゃないかと、足音がするたびにドアを開けたりしたけど、 主人にも私にも、見えたことは一度も無いのよ。 でもね、あの子はまだここにいるの。 ああやって、赤ちゃんが泣く度に、心配して子供のところにかけつけるの。 抱いてあげることもできないのにね・・・ でも、そんなあの子の気持ちを思うと・・・もう・・・」その後は、涙で続かなかったAさんの母親の言葉。でも、こらえきれずに自分も泣き出したTさんには、もう余計な説明は不要でした。Aさんが息子たちを思うように、Aさんの母親もまた、亡くなった娘を思っている。親が子供を思う気持ちの強さ、切なさに、Tさんは激しく心を揺さぶられたそうです。あまり霊の存在など信じていなかったTさんでしたが、この出来事をきっかけに、人は亡くなった後でも、なんらかの「想い」をこの地上に残すことがあるのでは、と思うようになったそうです。1年後、子供たちは地元を離れ、Aさんの夫とその両親の元へ引き取られていきました。子供たちを見守っていたAさんは、安心して旅立っていったのか・・・それとも、まだ子供たちの側を離れられずにいるのか・・・今は小学校に通っているであろう双子の男の子たちと、その家族の幸せを、そしてAさんの冥福を、ただ祈るしかない私であります(;O;)「泣けない夜も、ないよなぁ」と目の前がにじんできた方は、ぽちっと1つ→
2008年03月06日
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今日は冬眠していた虫達が穴から出て来るという啓蟄。とは言え地元では、穴から顔出した途端引っ込んでしまいそうなほど、ばりばり雪が降ってます。新暦のこよみでは、まだちょっとフライングですね~(*^-')ノさて、前回の続きです。双子の男の子を産み落とし、亡くなってしまったAさん。遺体の搬送などの問題もあるため、葬儀は地元で執り行うことになりました。高校を卒業してまだ間もない時期の訃報に、Aさんを知る人達はみな驚き、事情をきいてその死を悼まなかった人はいませんでした。実際に葬儀に参列し、Aさんの夫に会った人達は、その憔悴ぶりに慰める言葉もなかったそうです。後に残された幼子二人を抱えた、Aさんの夫。しかし、どんなに悲しくてもいつまでも仕事を休むわけにもいかず、葬儀を終えると東京に戻ることに。ただ、首も座っていない赤ちゃんを連れて帰ることはできないため、しばらくAさんの両親に預けることで話がまとまり、彼は後ろ髪を引かれるようにして帰って行きました。そうして病院から双子がAさんの実家に戻ってしばらくしたある日。Aさんと幼馴染みだった妹の友人、TさんがAさんの家を訪れました。家がご近所同士で、自然と小さい頃から仲良しだったAさんとTさん。結婚式にも出席したTさんには、その時の幸せそうなAさんの笑顔の記憶が鮮明すぎて、なかなかその死が信じられなかったそうです。仕事の都合で葬儀に参列できなかったことも、余計Tさんにそう感じさせたのかもしれません。そしてTさんはこのAさんの家で、不思議な体験をするのです・・・。「どんなに悲しい日でも、夜は必ず明けるんだよね」としみじみされた方は、ぽちっと1つ→
2008年03月05日
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今日はひな祭り。ひいなの節句ということで、昨日は姪っ子たちのお雛さまを見に行ってきました。家は私と妹、女2人も子供がいたのに結局雛人形は買ってもらえず、弟だけは武者人形と五段構えの鯉のぼりを与えられ、五月にさっそうと空に翻っていました。「子供はこどもの日があれば十分だから」とか親に言い包められた記憶がありますが、正直、子供の頃は自分もあまり人形に興味をもっていなかったためか、別段お雛様がなくても「残念」とは思いませんでした。学校に行けば、大きいのが飾ってあったし・・・(´-ω-)でも、雛人形を買い与えられた姪っ子たちが、嬉々として雛壇を飾ったりお供えしたり、来年に向けて丁寧にしまったりする姿をみていると、年中行事ってやっぱりいいな、と思えてきます。少女時代にあんな楽しみを味わったことがないのは、少し残念、かな?とはいえ、姪っ子たちと同じ年頃の自分といえば、野山を駆け回ったり木に登ってばかりで、家にあっても関心なかったかもしれないから・・・親は賢明な判断を下したのかも。さて、月をまたいで前回の続きです。高校時代、妹の同級生だったAさん。新婚早々、双子を妊娠し、幸せの絶頂にいたはずだった彼女は、陣痛の激痛の中、突如意識を失ってしまいました。これは後で解ったことですが、医師のアドヴァイスに必死に答えようとしたAさんは、いきみすぎたあまり、脳の血管が切れ、脳内出血を起こしていたのです。帝王切開に反対していた担当医師も、突然意識不明になった彼女を見て、最悪の事態が起こった可能性に気がつきました。でも、その病院ではこんな場合の処置を行える人材も機材もないため、救急車を要請。急いでも1時間以上かかる市外の大学病院へと、彼女を救急搬送しました。到着後、連絡を受けていた病院側はすぐに手術室へAさんを運び込みました。その後、双子の赤ちゃんを無事取り出し、Aさんの処置へと入ったのですが・・・術後、付き添ったAさんの両親に医師が告げたのは「脳に血液が回らずにいた時間が長かったため、脳死の可能性が高い」という絶望的な言葉でした。翌日、知らせを受けて東京から飛んできたAさんの夫が病院へ到着しました。彼もまた、彼女の両親からその話を聞いて呆然としていたそうですが、自分の眼でみなくては信じられない。そう答えて、Aさんのいる集中治療室へ向かいました。出産のため里帰りする日にAさんが見せた元気いっぱいの笑顔が彼の最後の記憶だったため、余計信じる気持ちになれなかったのだと思います。病室へ入った彼が見たのは、頭部を包帯で巻かれた痛々しいAさんの姿。枕元に近寄ると、祈るような気持ちでその手を握り、彼はAさんの名前を呼んだそうです。何回も、何回も・・・そしてその時、彼の呼びかけに応えるように、Aさんの目が開いたのです。彼もAさんの両親も、「奇跡が起きて、彼女は助かった」、そう、思ったそうです。人工呼吸器のマスクごしに、その唇も何かを伝えようと小さく動いていました。それは、夫の名前だったのか・・・・それとも、別の言葉だったのか・・・・結局、3人がそれを知ることはできませんでした。必死に耳を澄ましていた3人の目の前で、彼女はそのまま息を引き取ったのです。まだ、成人したばかりの年齢で・・・・「寿命って、本当に自分で決めて生まれてくるん?」と誰かに問いかけたい方は、ぽちっと1つ→
2008年03月03日
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産休に入っていた同僚の一人が、無事出産。元気な女の子が生まれたそうで、ひとまず安心。とはいえ、地方のウィークポイントの1つである深刻な医者不足のせいで、地元もとうとう産科のある病院が1つだけになってしまいました。レディースクリニックはけっこうあるんですが、出産できる病院が限定されてしまうのは、やはり妊婦さんたちにも病院側にも、負担が大きいんじゃないでしょうか。そんなことを考えていて思い出したのが、この切ない話です。それは、妹の高校時代の同級生に起こった出来事。妹とAさんは同じ高校とはいえ、クラスも違い、友人と言うわけではなかったのですが、Aさんの幼馴染が妹と仲良しで、そのツテで聞いた話です。高校卒業後、都内の企業に就職したAさんは、そこで先輩社員の男性と翌年にゴールイン。新婚まもなく妊娠し、二十歳を前に母となることになりました。病院で調べたところ、なんと双子。驚いたものの、もともと子供好きだったAさん。一度に2人も子供が持てる、とその双子に会うのを楽しみにしていたそうです。両家の両親も初孫をとても楽しみにし、お姑さんからは「このまま都内の病院で出産を・・・」と希望されたのですが、初めての子供なので実家でお世話になりたい、と故郷に戻り、市内の病院にかかっていました。赤ちゃんたちはすくすく成長し、出産の日までは何事もなく順調だったのですが・・・陣痛が始まると、Aさんは想像していた以上の痛みにもがき苦しみだしたのです。初産で、双子。どちらかというと小柄だったAさんには、かなりきつかったのでしょう。すぐに看護士に呼ばれて当直の産婦人科医がやってきました。あまりの苦しみように、看護士は帝王切開を考えていたそうですが、やってきた医師は自然分娩にこだわり、なんとか自力で出産させようと、苦しむ彼女に呼吸法を続けるよう指示したそうです。苦しい中、懸命にいきんでいたAさんが突如意識を失ったのは、まもなくのことでした。「病院へのてこ入れも政策として必要」って思える方は、ぽちっと1つ→
2008年02月28日
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最近、TVやラジオで某アイドルやら某タレントやらによる「失言」問題が話題みたいですが、発言内容をひとまずおいといて、正直、少し気の毒だなぁっと思いました。公共の電波に自分の思想をさらすというのは、ある意味私人を離れて公人に近づくことで、そうなると頭の中で「自分の意見」を「公序良俗」に照らし合わせて発言せねばならず、それってかなり面倒だろうなぁ、と思うんですよね。場合によっては、本来思っていたことと逆の意見を口にしたりとか・・・ナチュラルが売りのアイドルやタレントにとっては、けっこうな負担かと思います。自分もKYの体現者みたいなもので、場を弁えずにけっこう辛らつなことを平気で口にし、後からすごく後悔したりということが何度もありますんで、他人事じゃない気がσ(^◇^;) だったら「口を開くな」ってことなんでしょうが、それもできずに、「この口が、この口が!!」なんて少女チャングムみたいに、後でぺしぺしすることの繰り返し。それなり自制できるはずのブログですら、つい書きすぎていることもあるくらいなので、ライブ放送に出演される人ってのは、かなり神経使うんだろうなぁって思います。さて、それでは前回の続き。友人の父親が運転する車で帰宅途中、突然意識を失ったC君。次に彼が目覚めたのは、病院のベッドの上でした。意識を取り戻したC君が集中治療室を出て、ようやく会話できるようになった時、付き添っていた祖父母が、何が彼の身の上に起こったのか教えてくれました。あの日、あの橋の上で、車がスリップ事故を起こしたこと。車は橋の欄干に何度かぶつかり、ようやく止ったこと。運転席と助手席にいた友人とその父親は、エアバックなどが働いて、軽症ですんだこと。でも、C君だけは・・・・衝突のショックで後部座席のドアが開き、凍結した路面にものすごい衝撃で叩きつけられ、何日も意識不明の状態が続く重態だったそうです。担当した医師から「最悪の事態を覚悟して欲しい」と宣告された祖父母は、それこそ毎日毎晩、あらゆる神仏にすがるような思いで、孫の命を助けてくれるよう、お祈りしたそうです。必死の願いが通じたのか、意識を取り戻したC君。でも、そのC君にはさらに辛い宣告が待っていました。容態がようやく安定したC君の状態を見計らって、医師が告げたこと・・・それは、もう自分の足で歩くことは不可能、ということだったのです。事故の衝撃で脊髄を激しく損傷したC君の下半身は、もう自力では動かすことができず、一生車椅子の生活を余儀なくされてしまったのです。進学のこと、将来のこと・・・これからの人生に抱いていた希望も未来も全て失って、しばらくC君は無気力な状態が続いたそうです。当時、他の友人たちとC君の見舞いに行った弟は、明るくひょうきんだった彼の変わり果てた姿にかける言葉もなく、病室の外に出た後、ただ泣くしかなかった、と話していました。誰もが、このままC君の人生は終わってしまうのか・・・と思っていたそうです。でも・・・紆余曲折を経ながら、C君は自分の足ではなく、車椅子で力強く人生を生き始めたのです。県職員の仕事を得、去年はわかすぎ国体(全国障害者スポーツ大会)にも車椅子で出場し、入賞を果たすまでに・・・。今は、かわいい彼女もいるようで、おめでたいニュースを聞くのもそんな遠い日ではないかもしれません。この先、またどんな荒波が待っているかわかりませんが、きっとC君ならたくましく乗りこえていけるはず。人生、辛いことも多いけど、いい日もいつかは来るんだよ!C君の話を聞いて、なんだかすごく力づけられた自分がいました・・・ここまで飽きもせず、お付き合いくださった奇特な方々、どうもありがとうございました。ああ、最後がこんな風に終われて、本当に良かった (≧Д≦)ゞ「・・・そういう問題じゃないだろう」って突っ込まれた方は、ぽちっと1つ→
2008年02月26日
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町中で、珍しく(?)女子高生がアメリカ大統領選挙の民主党候補について会話しているのを耳にしました。女子高生A「ヒラリーとオバマ、どっちがいいと思う?」女子高生B「オバマ。だってヒラリーってなんかムカつく」女子高生A「あ、わかる、わかる。私もおんなじ」ヒラリーが遠く離れた日本に住む君たちに、一体何かしたのかね?と問うのも無粋なもの(´・ω・`) 。個人的になぜか私もヒラリーさんには好感を持てないので、なんとなく気持ちがわかる。消去法で応援されてるオバマさんもどうかと思うが・・・話題にすらならないもう1人を思うとそれでもずいぶんマシな方かとσ(^◇^;)最終的な判断を米国民がだすまで、のんびり待とうと思います。さて、前回の続きです。突然の父の自殺という不幸に見舞われながらも、C君は周囲の人に支えられ、高校卒業の年を迎えました。卒業後の進路は、自分を見守り、励まし続けてくれた祖父母の恩に報いるため、将来介護系の職業に携われるようにと、福祉系の専門学校を希望。進学する学校への願書の提出も終わり、後は卒業式を待つばかりだったそんなある日、悲劇は突然訪れました。仲の良かった友人の家に遊びに行ったC君。夕方になり、バスで帰ろうとしたところ、友人の父親が外出するついでだから・・・と車を出して、家まで送ってくれると言い出したのです。一度は断ったものの、買い物がてら、という言葉に甘えて、送ってもらうことにしたC君。友人が助手席、C君は後部座席に乗り込んで、家路につきました。友人の家は比較的大きな川を越えたところにあって、途中で大きな橋を渡ります。太鼓橋、というほど急ではないですが、その橋は湾曲しているため上り下りの勾配がけっこうあり、特に冬場は凍結した路面で事故が起こることも少なくない場所でした。また、その橋から下の川へ向かって投身自殺した人も1人や2人ではきかない、そんな妙な雰囲気のある橋でした。「そういえば、前もこの橋で車の死亡事故があったなぁ・・・」友人と話しながら、ふとC君がそんなことを考えていた時、突然目の前が真っ暗になり、何もわからなくなりました。次にC君が目覚めたのは、病院のベッドの上。そこで彼は身動きできない自分の体と、哀しみと嬉しさがない混ぜになった祖父母の顔を見ることになるのです。「神様だって、よそ見してる時あるんじゃない?」って方は、ぽちっと1つ→
2008年02月25日
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この週末は強風が吹き荒れ、各地方でいろいろ被害があったようです。関東地方は春一番、とか言ってましたが、地元はまだまだ冬の中。それでも日が経つ毎に、春へ近づいている気配がすることはわかります。さて、それでは前回の続きを・・・お風呂からなかなか戻ってこない父親が気になり、浴室へ向かったC君。彼がそこで眼にしたのは、変わり果てた父親の姿でした。祖父母とともに父を下ろし、すぐに救急車を呼んだものの、結局父親は助からず、還らぬ人となってしまったのです。C君の父親には死を選ぶ理由などまるでなかったため、近所の人からは「○○さんが淋しくて、一緒に連れて行ったんだろう」という囁きが洩れていたそうです。自殺する直前の父の奇妙な行動を思い出すにつけ、C君もそんな気がして、「どうしてあの時、もっと注意しておかなかったんだろう」としばらくは自分を責める日々が続きました。しかし、実はこの年、C君の住む狭い地域で自殺したのは、この二人だけではなかったのです。父の親友が自殺する前、C君の隣人の主人が自殺したのが最初で、その後数ヶ月置かないうちに父の親友、そしてC君の父親と、隣近所で立て続けに3軒の自殺者が出ていました。自殺ではなかったものの、突然の心臓発作や脳卒中で亡くなった人もおり、狭い部落でもその辺りだけは、ほとんどどこかが「喪中」という異様な年でした。ある程度老齢の人ならいざ知らず、働き盛りやまだ死ぬには早い年齢の人がほとんどだったためさすがに部落でも気にかかり、ある人の勧めで「神様」と呼ばれる、いわゆる霊能者を呼んで見てもらうことになりました。やってきたその「神様」の託宣によると・・・今から50年ほど昔、その近くのため池で近所の子供たちが遊んでいた時、1人の子供が誤って池に落ち、溺れたのだそうです。ため池の縁はすり鉢状で手をかけるところもなく、いったん落ちてしまうと自力で上がるのは困難な作りで、落ちた子供は必死に仲間に助けを求めました。ところが、もともと大人に「そこで遊んではいけない」と言われていた仲間の子供たちは親のいいつけを守らなかったことがバレて叱られることを恐れ、溺れている子供をそのまま置き去りにして、その場から逃げ出してしまったというのです。何も知らずに帰らぬ子供を探しに出た親が、溺死した我が子を見つけたのは日も暮れた頃。その時一緒だった子供たちは口裏を合わせ、溺死した子供のことは何も知らない、と話したそうですが、いつしか事の真相がどこかから漏れ出し、死んだ子供の両親はその地域から引越していきました。でも、ため池で亡くなった子供の霊は成仏せずにその場に留まり、見殺しにした仲間たちへの恨みの念を、ずっと抱き続けていたのだ、と。そしてなぜか今になって、その恨みが子孫である家の者にかかってきたのだ、と。「神様」の話を聞いて、身に覚えがあるといわれる家の者たちは合同で小さな慰霊祭を行い、亡き子供の霊を慰めたそうです。C君や祖父母もその慰霊祭に参加し、半信半疑ながら池に向かって手を合わせました。効果があったのか、その後ピタリと不審な死も止んだそうです。本当に、溺死した子供の怨念だったのか。なぜ、何十年も経った今になってそれが子孫に祟ったのか。今までと唯一違う点があるとすれば、前年、その近くに大きな鉄塔が建設されたことくらいです。ある研究機関の調べで、鉄塔や強い電磁波を出す電線の真下にある住居などに住む人は他の人間よりガン、脳卒中、心臓発作、精神障害やうつ病などの精神疾患にかかる割合が多い、という話をどこかで読んだことがあります。もしかしたら近くの鉄塔が何かの原因だったのかもしれませんが、慰霊祭後に同様の現象が起きていないことや、怪死が続出した地域よりも鉄塔に近い地域には何事もおきていないことなどを見ると、必ずしも電磁波説があてはまるとはいえないみたいです。とにもかくにも友人や祖父母の励ましもあって、C君はなんとか父の死を乗り越え、高校卒業の年を迎えたのでしたが・・・「迷った時はつい「神様の言うとおり」にしてる」って方は、ぽちっと1つ→
2008年02月24日
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ブログを続けている(ってほど長いわけではありませんが)と、「継続は力なり」という言葉の意味を、実感を持って受け止められるようになります。怠けモノの上、ダラダラしく書き・・・もとい、キーボードで打ち殴ったような文章の私でも、読みやすさと常識に考慮しつつ、最低限の推敲をしています(その割りにはこの程度(´-ω-)なので、毎日どころか、一日何度も更新しているマメな人を見るとスッゲb(´゚д゚`)と感服することしきり。マルチタスクな自分を夢見るものの、現実はほど遠い・・・ちなみに自分の頭のCPU速度を見極めるべく、今話題のブログパーツゲーム、「脳速検定」にトライ。ブログパーツゲームって携帯画面くらいのサイズなので、ちょっと画面が見にくい。というのは単なる言い訳σ(^◇^;)なんですが、初回の結果はやっと500点超え程度。脳速検定トライされる方は→なんかランキングとか見ると、上位者は普通に800点超えてるんですよね。張り合おうという気は毛頭ありませんでしたが、やはり自分は地上がお似合いだな、と実感。ということで、フリーズしないうちに前回の続きに入ります。自殺した親友の葬儀から帰った晩、まるで目の前にその親友がいるように談笑し、晩酌を勧めていた父親。その姿に一抹の違和感を感じていたものの、しばらくして機嫌よく風呂場へ向かう父をみてC君は少し安心しました。たとえ独り言でも、最後に言えなかったこと、伝えたかったことを口にできて、父親も気が済んだんだろう。そう思ったのだそうです。そのままTVを見ていたC君は、やがて父親がなかなかお風呂から戻ってこないことに気づきました。長風呂が嫌いで、いつもなら30分も経たずに上がってくる父親。ところが、今日に限って、父親がお風呂に入ってから始まった1時間もののドラマが終わっても、一向にお風呂を出てくる気配がない。お酒も飲んでいたし、精神的な疲れから、お風呂で眠ってしまっているのかもしれない。さすがに不安に思ったC君は浴室へ向かい、ドアの外から父親に呼びかけました。でも、返事はありません。いやな予感を感じながら、浴室のドアを開けたC君の眼に飛び込んできたのは・・・親友と同じ、浴室内で首吊りをしている自分の父親の姿だったのです・・・。次回へ続く!「コボルってコロボックルじゃないんだよ」知ってる!って方は、ぽちっと1つ→
2008年02月23日
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島崎藤村が作詞した「椰子の実」という名曲がありますが、最近では故郷の岸を離れて日本の浜辺にたどり着くのは、センチメンタルなものばかりではないようで・・・(´・ω・`) 日本海側の我が県の浜辺にも、名の知れた近き国より、あまたのポリ容器が流れ着いております。今のところ人的被害は報告されてないようですが、皮膚につくと火傷のようにただれてしまう危険な液体も入っていたケースがあるそうなので、海辺の散歩を楽しむ人はお気をつけを。おバカな私は中学の理科の実験で塩酸を使っていた時、教師の言うことが本当か試すため、指先にちょびっとだけ塩酸をくっつけたことがあります。じきにひりひりしてきてすぐに洗ったんですが、ん十年経った今も、塩酸をつけた人差し指の指紋はつぶれたまんまです。なので、良い子は絶対そんな真似をしないように(。-`ω´-)ンー それでは、前回の続きってことで・・・さて、葬儀から帰ってきた父親を迎えたC君。初めはこれ以上気落ちしないように励まそうと思っていたのですが、かえって逆効果になるかもしれないと思い直し、そっとしておくことにしたそうです。服を着替えた父親は用意しておいた夕飯には手を付けず、晩酌の準備を始めました。C君は普段通りのその姿にちょっと安心して、お風呂に向かったそうです。そして数十分後、お風呂から上がったC君は、居間から聞こえる笑い声に気付きました。こんな時に声を出して笑うような不謹慎な人間が家にいるわけないだろうと、祖父母がTVをつけっ放しにしていたのか、と不審に思いながら行って見ると、そこにはたった一人で晩酌している父親の姿があったのです。しかし、机の上にはなぜか盃が向かい合わせにもう一つ。そして父親は帰ってきたときの憔悴ぶりが嘘のように、喜々として誰もいないその向かい側に語りかけていたそうです。なんだ、全然進んでないな。おい、遠慮しないで、もっと呑めよ。そうか、そうか。まるで目の前に本当に誰かがいて相槌を打っているかのように見える嬉しそうなその姿を、さすがにC君は異様な思いで見つめた後、意を決して父親に話しかけました。「父さん、誰と呑んでるの?」返って来た答えは予想通り、自殺した親友の名前でした。「でも、○○さんは死んだんだよ」そう言いかけて、C君がすんでのところで思いとどまったのは、たとえ幻でもいいから、父親が最後に親友と心置きなく語り、飲み明かしたいと思っているのではないか、と考えたからだそうです。ふさぎこんだまま葬儀から帰ってきた父親の表情が、その時別人のように明るく見えたのもC君にとっては嬉しいことでした。「ごゆっくり」父につきあう気分で何もない空間にそう挨拶すると、C君は台所に向かい、TVを見ていました。その後、上機嫌な足取りでお風呂に向かう父の後姿を見て、「ようやく、気が済んだのかな・・・」そんな風にホッとしたC君だったのですが・・・続く!「山田君、座布団、座布団・・・陰干ししといてね」って夢見たことある方は、ぽちっと1つ→
2008年02月22日
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前々回の建築士さんのお話をぶり返すわけではないですが、家や建物・土地の因縁というのは「場」そのものに密接に関わるものであるため、始末に困るものが多いんだろうな、と個人的には思います。人や物なら動かすこともできますが、土地などは物理的にどこかに動かしたり持っていったり、なんてことはできませんもんね。「土地転がし」なんて言葉はあっても、実際に転がせるわけも無し・・・(。-`ω´-)ンー 先週月曜日に起きた、足立区の一家4人死傷事件も不可解な点が多すぎ。こちらは土地の借地権に関わるトラブルが原因、と言われているものの、そんな理由だけで母と妻、次男をナタで斬りつけ自分も自殺するほど追い詰められていたとは考えにくい。預貯金が2千万ほどあった、という話もあるそうなので、経済的な線とも思えず・・・人柄の穏やかで家族思いの父親だった、という証言を聞くと、やっぱり何かに入られたのか?なんて、つい想像してしまうんですが・・・人間の行動心理を人外のせいかと疑ってしまうのは、どうも私の悪い癖です。事件があった五反野は、以前勤務していた職場への通勤路線だったので、毎日往復しておりました。実際に降りたことはないですが、昔あのあたりは荒川が氾濫し、人が普通に住むことなど考えられなかった湿地帯だったそうです(江戸時代頃まで)。水場や湿気は霊魂が好む(?)シチュエーション。もしかしたら、ちょっとはそんな影響があったのかも、なんて・・・では、前回の続きを。両親が離婚したことを除けば、家庭的にも経済的にもなんの問題もなく成長したC君。希望通りの高校に進学し、新しい友人たちとともに高校生活を送り始めた矢先、その事件は起こりました。近所に住む父親の親友が、突然自殺してしまったのです。その人は父親の幼馴染で、言うなれば生まれた時からの付き合い。父親が生まれる前から家族ぐるみで仲がよかったそうですが、同じ年に子供が生まれたことでさらに付き合いは深まり、小さい頃からお互いの家を行き来したり、一緒に旅行したりしていたそうです。実の兄弟より仲がいい、と言われた二人は、地元に残って互いに実家を継いだことで、その絆はより強くなっていたそうです。その親友が、首を吊って自殺した。その一報を聞いたとき、いつも明るく、豪快な人柄だったことを知っていたC君も父親もすぐには信じられなかったそうです。最近、仕事がうまくいかない・・・そんな話は聞いていたものの、生活ができないほど苦しいわけでもなく、明確な自殺の理由も解らず、不可解な部分が多かったそうです。そのため、親友の死が事実だと知った時の父親の落胆ぶりはより激しく、「あんな親父の姿は初めて見た」とC君が弟にそう漏らしたほど、その落ち込みようは大きかったそうです。死を選ぶほど追い詰められていたのに、なぜそれに気づいて上げられなかったのか?どうして、彼は自分にそのことを打ち明けてくれようとしなかったのか?自分はそれほど彼にとって頼りにならない存在だったのか?罪悪感と、無力感と、喪失感と、怒り・・・親友の死を前に、父親が抱いている様々な思いが理解できるだけに、C君には父親にかけるよい言葉も見つからなかったそうです。家族や周囲の人にとっても突然のことで、慌しくお通夜が過ぎ、そして葬儀の朝を迎えました。C君はお通夜には顔を出したものの、学校もあるため葬儀は父親1人が出席することになり、家で父親が帰ってくるのを待っていたそうです。そして日も暮れた頃、父親は憔悴した顔で家に帰ってきました。「黄昏時って、妙になんか怖いよね」って思える方は、ぽちっと1つ→
2008年02月21日
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新たに(といってもけっこう経ってますが)、下書き機能が追加された楽天ブログ。ちょっとした空き時間に携帯でざっとネタをまとめて送れるようになったのは便利なんですが、今ひとつ使い勝手が悪いなぁ~と思うのは、私だけなんでしょうかね?ブログ更新してなくても、コンスタントに書き込まれるアダルト系トラバ、コメント、掲示板。人並みに後ろ暗い欲望も持っているのでσ(^◇^;)、ショック受けるようなことはありませんがこのあたりも簡単な設定である程度シャットできる機能が強化されればなぁ、なんて思います。いちいちチェックして削除するのもメンドクサイので・・・(´・ω・`) んでは、本題。家の地元は未だに閉塞的で土俗的な信仰感が残っているためか、人の口に上る噂話にも、そんな話題がよく忍んでいます。今回は、そんな中から一つお話をしましょう。これは、弟の同級生で友人のC君の家族に起こった出来事です。ちなみに最初にお断りしておきますが、これから紹介するお話に合理的な説明も物語的な落ちも、あんまり期待しないで下さいませね。少しばかり怖くて、不思議で、不運な事実の羅列なのですから・・・(´-ω-)さて、C君の両親は知人の紹介で知り合い、ごく普通の結婚をしました。ただ、C君の母親となる女性には、結婚前にクリアしなければならない事がありました。実は彼女の家はとある信仰宗教の信者で、両親ともに熱心に帰依しており、そのため彼女も子供の頃から自然とその宗教を信仰していたのです。C君の父親の家は近所のお寺の檀家として代々お世話になっており、先祖の位牌を守る家。彼女の家が信仰する宗教はいかがわしい、と考えていたそうで、結婚の条件も彼女がその宗教から抜けること、だったそうです。かなり悩んだ末、彼女はそれを承諾して、二人は結婚しました。数年後、C君が誕生。両親、祖父母の愛情を一身に受け、C君はすくすく育っていたのですが・・・そのC君が3、4歳になったある日、父親が家の中で見慣れぬペンダントを拾いました。それはロケットタイプになっており、気になった父親が中を開いたところ、奥さんの家で信仰している宗教の御印が入っていたそうです。奥さんが実はまだ信仰を捨てていなかったことを知った父親は、彼女を問い詰め、隠し持っていた教本や御札、御守りなどを、奥さんの目の前ですべて焼き捨ててしまいました。それが原因なのかは分かりませんが・・・その後から、奥さんの行動に奇妙な振舞いが見られるようになったのです。たとえば時や場所を選ばず突然奇声を発したり、大声をあげたり。裸足のまま家を飛び出したり。水を張った水田に飛び込んで、泥だらけになったり。しかも、本人はその奇矯な行動を全く覚えていない。医者にも見てもらったものの原因不明で、結局彼女はC君が小学校に上がる頃、実家に戻され、そのまま離縁、という形になってしまいました。母親が身近から去ってしまったC君でしたが、祖父母も父も健在で、家族仲も良く、気の合う友人たちにも恵まれ、不自由を感じることもなく育っていたそうです。そんなC君の家に不幸の影が射し始めたのは、彼が高校に入ってまもなくのことでした・・・てな感じで、もずく・・・じゃない、つづくッ(。-`ω´-)ンー 「最近、へんなウィルス入ってる気がする・・・」って方は、ぽちっと1つ→
2008年02月20日
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週末もシバれた(注:「寒い」という意味の方言。「縛り」とは無関係)地元。道も凍っているために、市内では1日4件も車のスリップ事故が連続した日もありました。今月すぎれば春遠からじ、って気配も感じられるようになるんでしょうが、今のところはまだまだ凍える日々が続きます。寒いつながりで、最近気になったニュースが、栃木県で起きた警察官の連続拳銃自殺。昨年12月に23歳の巡査が、そして今月に入って27歳の巡査長が同じ交番で拳銃自殺した、というもの。それなりに悩みはあったらしいですが、同じ死に方を選択しなければならないほど、本当に精神的に追い詰められていたのか・・・・なんとなく納得できないまま、ニュース報道で流れたモダンできれいな交番の建物を見ていたら、ふとある占い師さんに聞いた話を思い出しましたた。その人が占術や魔術などの勉強をしていた時期、一緒に学んでいた生徒の中に、ある建築士の方がいたそうです。「本業は建築士で、魔術系は趣味」と語っていたその人は、それでも知識が幅広く、占術で身を立てる才能も充分すぎるくらいだったそうな。ただ仕事柄なのか、話が上手く人あしらいに長けてはいても、他人とはどこか一線を引いてつきあうようなところがあって、そんなに親しくなるわけでも無く、スクール終了後は連絡をとることも会う事もなかったそうです。ところが数年後、街中でその建築士さんとバッタリ再会。さすがに懐かしかったのと、互いの近況を知るために、一緒に食事をする事になりました。話を聞くと、どうやら本業の建築士の仕事は順調そうで、「折角習った魔術なんて、実践する機会もないだろうね?」とその占い師さんは冗談半分で彼に言ったそうなんですが・・・「いや、ちゃんと実践してるよ、図面引きながらね」返ってきたのは、こんな答えでした。どういう意味なのか尋ねた占い師さんに、彼はこんな話をしたそうです。依頼で家を設計する時に、その家の構図やレイアウトに魔術的な意匠を織り込んで設計し、完成後そこに住む人がどうなるか観察している、と。まあ、素人の私には話を聞いてもよく分かりませんが、2次元の魔方陣をアレンジして、3次元的に展開するようなイメージ、らしいです。「それで、どうなったの?」占い師さんが尋ねるとその人は事もなげに「今のところ、自殺者が二人、かな。 場の影響を受けたか、召喚(よ)ばれたものにとりつかれたのか、 そのあたりはもう少し、他のデータも集まらなきゃ分かんないんだけどね」建築士さんが冗談でそんな話をしたのか、それともマジだったのか・・・占い師さんは深くは突っ込まずに流したらしいですが、興味深そうに、でも淡々と話すその建築士さんのことが、かなり本気で怖かったそうです。実際のところ、不運(?)を呼び寄せる家を設計するなんてできるもんなのかどうか尋ねてみると、やろうと思えばできないわけではないそうで・・・まあ、家相や風水には長い歴史もありますし、それに魔法陣とか組み合わせて、変なゲートを開いたり、特殊な結界を施すことも可能なんでしょうが、それなりの知識と才能や計算能力、実力(?)が必要らしいので、誰でも簡単にできる、というわけではないらしいです(当たり前)(´-ω-)占い師さん曰く、その建築士さんなら充分可能だろう、ってことでしたが、そりゃ、ヤな可能性に太鼓判を押してくれたな~って感じです。警察官の連続自殺とは無関係ですが、外見はきれいでオシャレでも、実はそんな目に見えない、でも死に至るトラップが仕掛けられた建物が存在する可能性があるって考えるのは、ちょっと怖い。しかも、それが清水の舞台から飛び降りる気持ちで建てたマイホームだったら・・・・いあ、私だったら死んでも死にキレないから、やっぱ自殺は思いとどまるな、うんσ(^◇^;)「まさにホラーハウス・・・ (-д-;)」って感じた方は、ぽちっと1つ→
2008年02月17日
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今回は、この間きいたばかりの不思議話を一つ。会社の同僚の知人が、お正月休みに近場の温泉に一拍旅行した時の話です。温泉好きのその人は、温泉があるところなら最低2回はお風呂に入ると決めているそうで、到着早々ひと風呂浴びて、ご満悦。夕食後ものんびりした後、眠る前にもう1度、と日付が変わる頃、また大浴場に。一緒に行った友人も誘ったものの、「もう寝るから」と断られ、1人で行った所、大浴場にも誰もいなくて貸し切り状態。開放感はあるものの、少し寂しいな~と思いながら、身体を洗っていたところ、背後でドアが空く音と同時に、冷たい風を肌に感じたそうです。てっきり脱衣場のドアを開けて、誰かが入ってきたと思ったその人は、温泉仲間を歓迎するべく後ろを振り向いたのですが・・・人影などはどこにも無く、開いたと思ったドアは閉まったまま。やけにハッキリ聞こえた気がしたものの、単なる空耳だったのだろうと、湯船に入るため立ち上がったところ・・・突然、ドアの入口近くに置かれていた湯桶と座椅子が1つずつ、スーッと一番近くの洗い場まで動いてきたそうな。入口ドア付近の床にはお湯の流れなど無く、自然に湯桶などが動くことは考えられない。もちろん、物を動かすほどの風が浴場内に吹いているわけもない。しかも、もし仮に何かの物理現象が偶然重なって動いたとしても、別々に置いてあった湯桶と椅子が同じタイミングで動き出し、いかにも誰かがこれから使います的な間隔でちょこんと洗い場の前にセットされたのをみたとたん、その人は体中に鳥肌が立つような恐怖を感じてダッシュで浴室を飛び出したそうな。ふだんは長湯のその人が、行ったと思ったらすぐ戻ってきたことに驚く友人に、かくかくしかじかと事の理由を説明した後「ああいうのも、お化けなのかな~?」と考え込んでいたそうです。その人はそれまで霊とか不思議現象にあったことはなく、その旅館にも霊が出たという噂はなかったそうですが、話だけ聞くと、ポルターガイストに近い感じ。それは霊かもしれないし、いたずら好きな妖怪かもしれないし、生きてる人の念かもしれないし、大槻教授の好きなプラズマかもしれないしまあ、野暮な詮索はよしにしても、その人にはもう少し踏ん張って、現場検証して欲しかった。・・・というのは、第三者的な見方で、もしも自分が同じ現場に遭遇したら、やっぱり脱兎のごとく浴室飛び出しそうな気がするなぁσ(^◇^;)その人にとっては何が一番ダメージだったかと言うと、この騒ぎ(?)のせいでその温泉には1度しか入れずに宿を出立せざるを得なかったことらしいです。次は絶対2回入る!と話してたらしいので、いい温泉だったことは間違いないみたいσ(^◇^;)お風呂に出てきた(?)存在も、もしかしたらそんな温泉好きの成れの果てなのかも実はいいお友達になれたのかもな~と考えると、ちょっと笑えてしまいました(*´ω`*)「死んでからも温泉には入りたい」って同感な方は、ぽちっと1つ→
2008年02月11日
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睦月から如月へ・・・・・なんていうと、なんだかギャルゲーで途中からターゲットの女の子をふらふら変える、優柔不断な男子のようなフレーズですな(*‘‐^)-☆BAD・ENDにならないよう、PLAYする方はどうかお気をつけを・・・・なんて思考する自分の方がおかしいのは、重々承知。とは言え、更新さぼってる間に月が変わってしまったことは、とみに反省しております。その間に、お母さんのお弁当作りに大打撃!な冷凍食品中毒事件があったりで、2008年も波乱含みの予感・・・遅ればせながら来月から1年間の運勢を、タロットでざっくりと占ってみました~生温かい目で読んでいただけたらと思いますo(^-^)oスプレッドは13枚のカードを使用する方法。来月から1年間の大まかな月の傾向と、今年のキーワードを読み解いてみました。**********************************************************************************3月 剣の10考え方や態度が硬直化していて、融通が利かなくなる月。柔軟な発想を心がけることが必要。4月 剣の6(R)感情的になればなるほど、思うように事が進まなくなる月。だからといって、問題から目を逸らしたり、逃げ出そうとすればさらに事態は悪化する。結論を出すのはまだ早いので、もう少しゆっくり時間をかけて考えた方がいい月。5月 皇帝(R)プライドの高さが邪魔をして、やることなすことが裏目に出てしまう月。自分の未熟さや無能さがさらけ出され、自己嫌悪に陥りそう。6月 棒の3ようやく問題点が取り除かれ、希望が見えてくる月。正しい選択肢を選びとり、新しいことを始めることができる。7月 剣のK自分の義務と責任が明確になる月。それが重荷とならず、立場が定まることでゆとりが生まれ、いい意味で考え方が柔軟になる。8月 棒のQ自然と必要なものや情報が手に入り、混乱していた問題が整理される月。自分の信じることは妥協せず、積極的に進めた方がよい。9月 剣の3全ての意見を取り入れようとすると、全てを失うことになる要注意月。ポイントを明確にし、切り捨てるべきものは非常に切り捨てる覚悟が必要。同情や心の弱さからくる決断のまずさが、失敗を招く暗示。10月 聖杯のK信頼できるパートナーとの出会いや協力で、新しい可能性が見出される月。この月に開始したことが、これからの幸運の基礎となる暗示。11月 金貨のA先月に引き続いての幸運月。今まで築いてきたものがある人は、それが確かな実を結ぶ。また、そうでない人にとっても、この月から幸運が始まる可能性有り。12月 棒の8物事が良い方向へと加速度をつけて展開する月。新しい友情、恋愛が始まるチャンスが飛躍的に高まる暗示。良い知らせや仕事のチャンスも増える。この時期、南国への旅行はさらに運気をアップさせるのでお勧め。1月 金貨の5調子に乗りすぎると、失敗する暗示。慎重さが必要な月。望むものや自分の欲しかった愛は手に入らず、思わぬ人から愛情や援助を受けることになる。2月 金貨の8今まで埋もれていた才能や素質の可能性が、他人の目にとまる暗示あり。ただし、その能力は発展途上にあり、将来における成功に結びつけるためには、現在の努力を継続する必要があることを忘れないように。**********************************************************************************最後に、1年全体を貫くトーン。金貨の7一言で言うと「勝負どころ」。のるかそるか、節目となる年。特に今まで物事が思ったように進まず、望んだ結果を手に入れることができなかった人は、現在の状況を見直し、雑念を振り払ってこのままその道を進むか、きれいきっぱり諦めて、全く新しいことを始めるか、その決断を迫られる年。今までの努力はいまだ実を結ばず、地道な努力が必要とされている。自分の限界や将来への不安など、心配の種も尽きない。自分の理想や希望、目的、仕事がどういう価値を持っているか、本当に自分に必要なこと、最終的に「自分が欲しいものは何なのか」を明確にする必要がある。その上で、今の道をそのまま進むか、新しい道を選び取るか。考えたことを決意に変えて実行しなければ、将来には喪失と失望が待っている。継続か、再出発か・・・ふんぎりをつけるタイミングを提供してくれる、厳しいですが、ある意味チャンスを与えてくれる年となりそう。・・・てな感じの結果でした。本当に「ざっくり」な占いなので、参考にも何にもならずにすみません(´-ω-)「赤福も再開したんだから、マメにこっちも更新しろよ」って方は、ぽちっと1つ→
2008年02月10日
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少しばかりオーバーワーク気味のところ、まんまと風邪を引きましたおかげで休養とれたようなもんですが、なんか本末転倒のような・・・(^_^;)耳鼻科系がまだぐずっているものの、復活したのでまた(無駄に)元気よくいきたいと思います。さて、今年の干支は子(ねずみ)。前の職場では病的にネズミが苦手な同僚がいて、本物はもちろん、写真、イラスト、漫画アニメから文字(!)まで、とにかくネズミを連想されるものは全てダメ!でした。会話の中に「ねず・・・」と出ただけで耳をふさぐほど(T_T)「湯島天神行くから、根津駅で待ち合わせしよっか?」なんてことは言えないわけですよ、ほんとに。人気の某ネズミーランドでも、お土産のショップやミッキーを象ったモチーフのある場所は視線を合わさないように、遠い目をして行き過ぎていました。まあ、それほど激しくなくても、人間との関わりを考えれば基本的には嫌われもののネズミ。私も小学生の頃、採取して育てていた食虫植物と蚕の卵をおいしく頂かれてしまい、かなり立腹した記憶があります人が保存している食糧のみならず、柱から壁から何でも齧る。中世の頃にはペスト大流行の原因の1つとなったように、いろんな病原体を持っている。たまに人間を食い殺す。う~ん、こうしてあげて見ると、なかなかフォローが難しいげっ歯類なのではありますが一応財運をつかさどる大黒天の「お使い」として知られているのが、救いでしょうかね?そのせいか子供の頃近所のお年寄りに子年生まれは小金に困らない、とか一生食べるものに困らない、とかいう話を聞かされた記憶があります。また、正月にはねずみを「アネさん」と呼び、アネさん用の小さなお餅を置いておき、それが食べられていれば、その年は他に悪さをしないとか、小金が舞い込む、なんて話も聞きました。さすがにお餅は供えませんでしたが、できればこの1年、ネズミ年とは友好的にお付き合い願いたい、と思っています。「ネズミにも言い分があるのでは?」と思える方は、ぽちっと1つ→
2008年01月23日
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遅まきながら、新年明けましておめでとうございます。年明け早々「たるんどるっ!」って声が聞こえる気がしますが、どうか今年もよろしくです。少子化、少子化と騒がれながらも、身近な職場では都合3人も妊婦さんが。それはおめでたいことなんですが、全員一気に産休に入られると、残ったもんは\(゜ロ\)(/ロ゜)/てことで、年末から年明け4日までお仕事突入。人様より多少ずれたお正月休みを、ネット環境のない実家でだら~んと過ごしてました。ふと気づくと、もう松の内が終わろうとしているではないですか!ええ、明日はもう鏡開き?ってことで、あわてて新年のご挨拶をしている次第です。う~ん、面目ないm(__)m近々、「タロットで斬る!2008」もUPする予定です。さて、そんな私の今年の初夢は、宇宙人に拉致られ、その後の記憶が飛んだまま、ぜんぜん見たこともない知らない2人と一緒にマンションの一室で目覚める、という「一富士二鷹三茄子」より見るのが珍しいもんでした。去年最後のブログネタを年明けまで引きずってるのか、自分?な感じですとりあえず、GANTZな世界じゃなくて良かった(^_^;)「ネギだけじゃ、鍋には不十分ですよ」と思える方は、ぽちっと1つ→
2008年01月10日
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最近鬱々した事件が多い中、飛び込んできた面白(?)ニュース。「UFOはいるのか?いないのか?」「世界中で関心が高まりつつあるUFOについて、政府の公式見解を知りたい」という勇気ある民主党の山根参院議員が提出した質問主意書から飛び火した、この命題。UFOというのは「未確認飛行物体」という意味ですよね~(。-`ω´-)冷静に考えれば、空を飛んでる(ように見えるものも含めて)全ての物体・事象について、人間が確認とれるわけもありません。どうにも確認が取れなかった飛行物体っていうのは、そりゃ少なからずある、わけで。その前提の上で、未確認飛行物体の正体の1つが地球外生命体である可能性について今回問題にしているわけですから、UFOがいる、いない、ではなく「宇宙人はいるのか、いないのか?」と聞いてもらえた方が正しい気がするんですが、そこはさておいて・・・・福田首相はポーカーフェイスで「私は確認しておりません」と交わしておりましたが、とりあえず、政府の公式見解は「否定」。でも自民・閣僚の中では個人的にいろんな意見があるようで、町村官房長官は「いると思う」と私見を述べているし、麻生さんの「私の母親は見たことがある」と答えた映像が流れたり、石破防衛相は自ら記者団にその話題を振ってるくらいで、なにげに肯定的な意見が多いのかも。思い起こせば去年の11月、「UFOとコックリさん」といういかがわしい(。-`ω´-) タイトルの記事を書いた頃には、まさかこんなニュースが大真面目に扱われるとは夢にも思っていませんでしたが・・・(´-ω-)政界の精神年齢が上がってるんだか下がってるんだか解らないビミョウさがありますが個人的にはちょっと嬉しいかも。この広い大宇宙で地球だけが生命の育まれた唯一の星だとすると、まるで宇宙の孤児のようで寂しい限りだし、無数にある銀河とその中に含まれる星々の数を考えると、確率的に言っても地球以外に知的生命体が存在するであろう可能性は高いわけで・・・未知との遭遇がいつになるかは解りませんが、心構えの一つや二つ、あってもいいのかも。とはいえ、今は宇宙(そら)を見て浮かれていられる場合じゃありませんし、視線を落として、閣僚の皆さんには国内の足元固めに専念してもらいたいですね (≧Д≦)ゞ「最近「宇宙人にさらわれた」って人を聞かないなぁ」と少し寂しく思っている方は、ぽちっと1つ→
2007年12月21日
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寒さもちょっぴり薄らいだ今週。週末は例によって実家のお掃除&お片付けをお手伝い。要領が悪く、だらだら~とやっていたら、引き出しの奥に引っかかってた妙な物体を発見。形や大きさでどうやら硬貨らしいことは解ったものの、刻印も図柄も見えないくらい乾いたコールタール状の黒い汚れがこびりついて、中性洗剤やソープ程度では全く落ちませんσ(^◇^;)これはもう、仕方ない。多少、傷ついてもいいかぁ~(。-`ω´-)ンー って感じで、洗剤付きスチールたわしでごしごし洗ったら、こんなもんが顔を出しました。大正14年の50銭硬貨。なんとっ! (屮゜Д゜)屮 今から82年前!?年号からすると、もう大正も終わりの時期。それでも、この小さな体(?)で3つの時代を渡ってきたのか~と思うと、感無量。田舎の家は建て替えをしても、代々使用していた馴染みの家具や箪笥を持ち込むことが多いので、こんな思わぬ古銭との出会いがたまにあるのです。とはいえ、それもお年寄りのいる間だけ。愛着のある家具類といっても、若いσ(^◇^;)世代から見れば、やたらデカくて汚らしい、古ぼけたジャンク。なので、祖父母の代の人が亡くなれば、こちらでも容赦なく粗大ゴミとして捨てられているもよう。確かに、こじんまりとした清潔感あふれる現代家屋に、古民具の色と形はミスマッチのデザインとして映るし、「場所をとってしょうがない!」という意見もわかる。それでも、捨てたというのを見聞きすると、やっぱりもったいないな~と思います。同じものを作るための材料や技術、手間ヒマ考えたら、今手離してしまうと、同じようなものを再び手に入れるのは難しいわけで・・・配送料自己負担とか考えると、そこまでする奇特な人は少ないんでしょうが、モノが良ければ、古民具博物館とかに寄付でもしてくれないかな、と思うし、レトロ好きな人も多いから、オークションとかでも引き合いはありそう。それに、それに、たとえばこんなこともあるわけで・・・親戚で独り暮らしのおばあさんが亡くなった時のこと。他の親族と一緒に、葬儀前にそのお宅を片付けていたうちの母親が、そんな箪笥の一つを整理していて見つけたのが、なんと200万円近い現金。昔の箪笥はへそくりや泥棒対策用に「隠し戸」的な引き出しがついているものがあってその箪笥もどうやらそういった類の一つ。でも、その家の子供たち(と言っても5、60代)は誰一人、そんな引き戸があることも、母親がそこに現金を貯め込んでいたことも知らず・・・すでに葬儀後には家を売却する手配を済ませ、家具は一切廃棄処分、にしていたそうです。たまたまうちの母親が、同じような隠し戸のあるタイプの箪笥を知っていたので、もしかしたら・・・とチェックして見つけたそうなんですが、現金が見つかったことを告げたとたん、「まだありそうだから、探してくれ!」と葬儀の準備そっちのけで、「宝探し」をさせられたそうな。結局、それ以外に目ぼしい(?)ものは見つからなかったようですが、「いっそ見つけなかったことにして、あのまま処分場で箪笥と一緒に焼いた方が、 おばあさんも喜んでくれたかもしれないね~」10年近く病院に入院していても、数年に一度しか見舞いに来ない子供たちに、多分、あのお金のことは言いたくなかったのではないのかと、後で母親はそう愚痴っていましたが、それはまた、その家族のお話。個人的にはどんなお金でも、燃やされたらもったいない、と思う小市民的な私。今までどれだけのお宝が人知れず、役目を終えた古い家具と一緒に煙になったのか考えると、めまいがしそうです(大げさ)さて、こんな隠し玉(?)も持っている、古い家具類。人の生活に寄り添ってきたモノ達だからこそ、現役でいられる間は大切にしてあげてほしい。・・・とはいえ、私はモノの扱い方が雑で、よく叱られてますがσ(^◇^;)「けっこう自分も、破壊屋さん (-д-;)」って思える方は、ぽちっと1つ→
2007年12月18日
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さて、忘年会シーズンに突入した今日この頃。同僚や友人、知人と飲む機会が多くなると、自然気になってくる口臭。お客さんに応対説明することが多い職場なので、普段から口臭には気をつけているんですが飲み会の翌日などは、ケアしていても残ってるような気がして、意外と神経使うんですよね。で、同じように「気を使ってるんだな~」と思えるのが、仁丹のかをりを漂わせた中高年の男性。うちの父親も仁丹好きで、子供の頃はあの銀色の粒がよく家に転がって(?)いたせいで、あのかをりを嗅ぐと、なんだか懐かし~感じがします。単にあの味が好き!って方もいるんでしょうが、体臭を変えたり、抑えたりするガムやキャンディーが中高年の男性にばか売れ!というニュースも見たことがあるので、やはり最近はエチケットの一つとして気にされてる方も多いんでしょう。懐かしついでに「仁丹」を検索して見つけたのが、森下仁丹公式サイト。そこではお久しぶりに眼にした明治時代のレトロな広告風「仁丹おじさん」が、「息ノ作法」というお口の礼節と新商品を、熱く語っておりました。御歳100歳を越えた今もかくしゃくとした仁丹おじさんが、ハイカラに大変身。おなじみ仁丹をはじめ、レモンやペパーミントの香りを爽やかにふりまくマウススプレーやデンタルリンスも揃って、いたれりつくせりの品揃え (≧Д≦)ゞ。さて、子供の頃はこの「仁丹おじさん」、てっきり軍隊の将軍か何かだと思っていた私。でも、この公式サイトの「仁丹商標」の説明を見て、はじめてその正体を知りました。創業100年を超える森下仁丹の創業者のお孫さんが語る、商標「大礼服マーク」の由来とは・・・「祖父に尋ねると、あれは軍人ではなく外交官だそうです。 大礼服マークの人物は、仁丹を携えた薬の外交官なのです」創業者の森下 博さんは、仁丹の効能を日本や中国、そして広く世界の人々の健康のために役立てたいと考え、仁丹を健康や衛生保健を世界に運ぶ外交官の姿を重ね合わせて、試行錯誤の末、あのマークに決定したのだとか。自社利益だけでなく、世界中の人の健康まで視野に入れ、商品に自分の思いを託して送り出そうとした、明治男子の心意気や良し!食品偽造問題で大揺れしている企業経営者の方々は、ぜひその精神を煎じて飲むつもりで、仁丹を服用してほしいもんです。もちろん、私も礼節足りてない未熟者の1人。なので久しぶりに、梅仁丹一丁、お願いしますヾ(o゚ω゚o)ノ゙ 「閣僚、官僚にも必要では?」って思われる方は、ぽちっと1つ→
2007年12月12日
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地元はすっかり白いわた帽子をかぶった雪景色。例年より早く訪れた感のある今年の冬。灯油やガソリンの値上げが、とにかく痛ー (-д-;)なのであります。全国共通で家庭を直撃している現象とはいえ、交通網の整備された大都市圏と違い、地方では車がいわゆるチャリ代わり。特に天候が悪いこの時期は、いやでも車に頼らざるを得ないわけで。しかも、灯油は2年前の価格の2倍というから、ダブルパンチ。「灯油が高いなら、エアコンや電気ストーブを使えばいいじゃない」というセリフを口にする人は、寒冷地の寒さを知らない人間。それはマリー・アントワネットが口にしたとかしないとかで有名なあの言葉、「パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃない」に等しき暴言として、寒冷地帯の人間の神経を逆なでするはず。そう、寒冷地にとっての電気暖房というのは、お菓子のように補助的なもの。決して、「主食」の灯油代わりにはならないのです。地元の方言では、体があったまることを「ぬぐだまる」というんですが、電気ストーブじゃ、ぬぐだまんねぇ~!!しかも地元では、数年前に雪の重みで電線が切れてしまい、1~3日間ほど停電が続いたことがありました。その時聞いた話では、オール電化住宅など、完全停電の前には、ただのほら穴。まあ、こんな風に生活に密着した石油製品がオイルショック以上に値上がりするとやはり本腰入れて欲しいのが、東シナ海の油田開発。もともと中国よりの民主党小沢代表はじめ、自民党のお歴々や議員、閣僚などが、最近訪中というニュースをよく眼にしますが、本気で交渉する気はあるのかな~?それとも税金でタクシー、電車、列車、公用車、飛行機使い放題の議員さんにはあまり実感湧かないんでしょうかね~(´-ω-)誰に、どんな遠慮をしているのか、自国による近海の油田開発計画は棚上げのまま・・・登校途中の小学生がおやつ代わりに買うような食品を、殺鼠剤入りの袋に入れて販売する国。もし、4人の小学生と同じように、北京五輪に湧く中国に観光に行った日本人客が毒死したとしたら、現政府はどう対応するんだろう。私の脳内では、政府はあたりさわりのない抗議声明を公式発表し、形だけの調査団を派遣、中国政府は「誠に遺憾であり、憂慮すべき事態に陳謝の意を表示」なんてタイトルの報道を新聞・ニュースで流しておいて、後は「日本の高度な衛生技術を中国に導入するべく、今後は技術協力を仰ぐ」という名目で、天下り官僚ぎっしりの独立行政法人が窓口を勤める団体にお金が落ちる、という悪夢のような図式が浮かぶんですが・・・だれか、「そんなことありませんよ」と力強く否定して欲しい。「文化大革命で、何が革命されたの?」っていまだに解らない方は、ぽちっと1つ→
2007年12月09日
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先週の日曜日は、大掃除に備えて実家の物置整理のお手伝い。地面も白いものに覆われる時期になったので、長時間寒いところにはいられん!とばかりに、少~しずつ、片付けをするわけです。というのも、実家は母屋も車庫もムダにだだっ広いので、兄弟で使わなくなったものやシーズンオフのものを持ち込んだりしているからなんです。今でも納屋の押入れからは、時たま小学生時代の通知表や下手な絵、夏休みに作った工作(不思議な物体X)なんかが発掘されることがあって、まあ恥ずかしいのなんのσ(^◇^;)それでも懐かしさにひと時過去にトリップしたりするわけで・・・中でも一番多いのは、やっぱり本類。ブック○フでも引き取らないような古い文庫本やら単行本やらが、ごまんと。手元に置いていあるのと違い、保存状態もいいとはいえないので、人にあげられる代物でもなし。そのため、増える一方。最近では妹夫婦が持ち込んだ絵本類が仲間入りしており、ついそちらに魅入ってしまいました。姪っ子たちが幼い頃には、妹が絵本の読み聞かせをよくしていて、私も何冊か贈ったことがありました。子育ても一段落し、小学生になって自分で読む方が好きな歳になり、絵本よりも文字の多いお説を読みたがるようで、ひとまず絵本はお役目を終えたみたいです。多分、もっと大人になると、もう一度絵本を開きたくなるんでしょうけどね。絵本や童話などの、無駄な言葉を省いた単純なお話の方が人生が凝縮されていてグッとくるものがあります。100万回生きた猫とか、雪のひとひらとか、話を知っていても、それでも感動するもんです。子供の時に親に(限りませんが)読み聞かせをしてもらった子供は、やはり本好きになる割合が高いようです。本好き=最高の情操教育ってわけではないですが、「読むことが好き」っていうのはやっぱりプラスかな、と思います。どんな勉強でも、まずは「文字ありき」ですしね。読み解く力、というのは、「読む」という行為(強制ではなく)で自然と身につきますし。うちの近所の図書館でも、最近では子育て支援で館員が「読み聞かせ」のサービスをしているみたいです。自分の時間がない~ってママさんは、こんな公共サービスを利用するのも一手。そして、今はネットの恩恵がある時代。ミーテというサイトでは、読み聞かせプロ(?)の先輩ママさんたちが、自分の子供に何歳の時、どんな絵本を読んであげたのか、という情報やその感想、会員が登録した3万冊近い絵本の中から、お勧め絵本を検索することなどができるそうで、「どんな絵本を選べばいいのかわからない」という人には強い味方になってくれそう。個人的に面白そうなお勧め絵本を探したい時に、使おうかな~なんて思ってもいます。 携帯小説が悪いとは思いませんが、絵本の手触り、インクの匂い、ドキドキしながらページをめくる音・・・視覚、聴覚、触覚に訴えかけるあの感動。本好きの1人として、未来の同志を少しでも増やしたい、今日この頃 (*^-')ノ「読書は文化」の言葉に同感された方は、ぽちっと1つ→
2007年12月04日
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気づけば、もう師走。いつの間にやら、今年も残り1ヶ月を切ってしまいましたね~。「来年のことを言えば、鬼が笑う」なんてことわざがありますが、「来年」が「今年」に限りなく近づいた今頃なら、さすがにもう、鬼に笑われることもないでしょう「鬼」といえば、日本では虎の褌に角、金棒を持った妖怪に近いイメージですが、中国で「鬼」と書くと、普通は亡くなった人の魂や心霊の意味なんですよね。中国の昔の伝奇物を読むと、幽霊が見える霊能力者として「見鬼(けんき)」という言葉がよく出てきます。「宗教は麻薬」とした社会・共産主義の考え方が、どれだけ今の人民に浸透しているかは定かでないんですが、昔の中国では、亡くなった後も死者は生前と同じ生活を続けている、という考え方があったようです。お墓はその死者の住居、死後の世界でもお金に困らないように、紙で作ったあの世の通貨、紙銭を燃やして死者に供養する・・・こんな風習は、現在も普通に行われています。エジプトの死生観に近いものも感じるんですが、それで終わらないのが、4千年(?)の歴史。昨日、図書館で調べ物ついでに、中国昨今事情みたいな本を開いたら、ある誘拐事件の記事を見つけました。一人っ子政策によって男女比のバランスが崩れた中国では、地方や寒村地帯で組織的な幼女~妙齢の女性をさらう、いわゆる花嫁候補誘拐事件(人身売買)が後を絶たない、ていうのは知ってたんですが、この誘拐事件は、ちょっと違う。誘拐された相手が、遺体なんですよ。結婚せずに亡くなった子供のために、釣りあう年齢の遺体を掘り起こして、自分の子供の遺体と添わせる。死後でもかまわないので、結婚させてあげたい。その親心(?)から、自分たちで、またはお金を払って他人に頼んで、見ず知らずの人の墓を暴いて、持ち去るそうで・・・死後に結ぶ婚姻、「冥婚」というのはいろんな国にありますし、日本でも戦前などは、若くして亡くなった息子の遺体を花嫁人形とともに埋めた、なんて話を聞きましたけどね。人形(ひとがた)ではなく、本当の人を使うってところが、キョンシー使いの国って感じ。日本人の私の死生観で見れば、肉体とは魂の器(うつわ)にしか過ぎず、亡くなった後の遺体は、軽んじてるわけではないですが脱皮後の蛇の皮程度かと思うんですが、大陸圏の人達から見たら、その器こそが重要なようで・・・そういえば、遺体を盗んで身代金要求、なんて事件もあちらで聞きますが、多分、日本人では、そういう発想は思いつかない気がします。死して後も、死後の世界で生前と変わらぬ生活を送る死者たち。この世に残された家族にとって、ある意味それは心安らぐ考え方かもしれないですが、もし自分が死者となった時に、テキトーに年齢の近い遺体を持ち込まれて隣に入れられたら、すごくイヤだな~。お互い、趣味も性格も話題も合わなかったら、どうなるんだろう?死後の世界で、壮絶な離婚劇?こんな事件を起こす親(人)は、本当は子供(死者)の気持ちを全然判ってないと思う。なんて、鬼(霊)も笑えないお話でした。「遺体だけに、イタイお話で・・・」と落ちをつけられた方は、ぽちっと1つ→
2007年12月03日
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お久しぶりでした~。暖冬だった去年に較べて、一気に寒さが訪れた今年の冬。地元で最初に雪の華が舞った先々週の水曜、知人のお兄さんが脳梗塞で突然倒れた、という話が飛び込んできました。その後、オシム監督が倒れたとのニュース。季節の変わり目とはいえ、なにやら重い気分だったんですが・・・その週の土曜の朝、実家の母からの電話。慌てて駆け付けたものの一足遅く、セキセイインコのそらちゃんは遠くに旅立った後でした。抱き上げていると手の温度が移るのか、その体もだんだん温かくなってきて、動かないのが信じられないくらい。寿命を考えればそんな歳なのかもしれないけれど、人間と違って年齢が肌(?)に出ない分、まだまだ何年も生きてくれそうな気がしていたので、やっぱりこたえました。家族みんなで別れを惜しんだ後、話し合って庭の枝垂れ桜の樹の下に埋めることにしました。春になって桜の花が咲いたら、そらが会いにきた印だね~なんて、姪っ子達と話しながら。人に言わせれば、たかがインコ。でも、家族の一員として過ごしてきた私たちにしてみれば、されどインコ。いい思い出をたくさんもらいながら、自分がそらにどんなお返しができたのか・・・考えると自信喪失になりそうですが (-д-;)、いつか私があちらに行った時に、思い切り愚痴を聞いてやろうと思っております。「目に見えないけど、命は重い」って思う方は、ぽちっと1つ→
2007年11月26日
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数日前から洗濯機の調子がおかしい。全自動だけど、洗濯が終わってすすぎに入ったところでエラー音が鳴り響き、ストップ。なかなか水が抜けず、モーターの回転も弱い。なんとかすすぎがクリアされても、次は脱水で同じようにエラー音でストップ。結局、洗濯→すすぎ→脱水と、その都度メニューを手動で選ぶしかなくまったく「全自動じゃない!」それだけならまだしも、今度は脱水時に床が水浸しになる事態に。排水のつなぎ目には異常無さそうで、どうやら本体の底から水が洩れている様子。これにはもうお手上げで、修理やさんに見てもらうしかないだろう、ってことで、今日の午後、来てもらうことにしました。排水フィルターには目だった問題もなさそうで、最終的には本体のケースまで開けた大がかりなチェックが必要らしく、狭い洗面所では大変なため、持ち帰って見てもらうことに。一応、明後日までには修理をあげるか、それ以上かかりそうなら代替品を持ってくる、という話で、修理屋さんは洗濯機とともに引き揚げていきました。けっこうなサービスを示してくれた購入店舗内の修理屋さん。1年ほど前、同じような現象で来てもらった時は保証書期限内で無料だったんですが、今回も同じような現象だといったら、出張料や修理料はほぼ無料のようで、びっくり。洗濯機本体の初期不良というわけでもなさそうなんですが・・・以前、関東在住時、購入したビデオデッキが壊れ(テープが絡まって出なくなっただけ)、購入店舗に電話して来てもらったら、大したことしてないのに1万近く取られた身としては、田舎の人の人の良さを実感するばかり。向こうでの独り暮らしで、いろんなサービスにはいろんな料金がかかることを実感した私は家電製品やテレビのチャンネル接続、ビデオデッキのテープ詰まり(今はDVD)から右手を怪我した場合の包帯の巻き方、トイレや排水つまりに水漏れなど、ある程度のことなら自分でなんとかできるようになりましたが、やっぱり専門家に頼める安心感は、なんともいえないですね。さて、「1日人間ドック」ならぬ「1日洗濯機ドック」に送り出した我が家の洗濯機。あさっては元気な姿で戻ってきてくれますように。「心も洗濯できるといいね」って思う方は、ぽちっと1つ→
2007年11月13日
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現在、月に1度、日曜日に開かれるボランティア講座を聴講中。地元に定住することになった外国人の人達に、日本で暮らす上で知っておきたい習慣や日本語を教える人達の「お手伝い」をするために必要な基本を学ぶ講座です。なので、今は地域交流会や懇親会がある時に、ちょこっと裏方のお手伝いするくらい。英語もその他の外国語にも不自由している身の上なのです。さて、今日はコミュニケーション能力について学んだのですが、聴講中に思い出した話がありました。それは以前、大学で中国語を教えている方から聞いた話です。その大学には、中国・台湾からの留学生もけっこういるため、日本人学生との親睦を深めさせようと、大学側がささやかな懇親会を開いてくれるそうです。軽食をつまみながら、簡単な自己紹介や会話を重ねるうちに、同年代の気安さですぐに和気藹々とした雰囲気になったそうなのですが・・・そのうち話題が家族の話になり、日本人のある学生が、台湾から留学した女子学生に彼女の父親のことについて質問したんだそうです。その女子学生はすぐにはその質問に答えず、間をおいた後、無言で片手を胸の前まで上げ、小指を立てて見せたそうです。周囲の日本人学生は、それを見て大爆笑。どうやらその仕草から、父親が愛人を作って家にいない、と思ったらしいのです。ところが、日本人学生たちの反応とは裏腹に、笑われた女子学生はみるみる血相を変え、その場を泣きながら走り去ってしまいました。わけが判らず困惑する日本人学生達のところに、やりとりを目撃していた他の中国人留学生がやってきて、彼女が泣き出した理由が判明しました。中国では不吉な事を口にしたり、言葉にしてしまうと、それが本当になったり、その言葉を耳にした周囲の人達にも不運を招く、という考えがあります。(確か、「破嘴(ポアツェ)」と言います。日本の「言霊」みたいなもんですね)実は、彼女の父親は既に死亡していたのです。ただ、せっかく自分たちをもてなしてくれているホスト側の日本人学生に、「父は亡くなりました」という「死」を連想させる言葉を口にするのがためらわれて、彼女は言葉の代わりに、その人が亡くなったことを意味する仕草として、片手の小指だけを立ててみせたのだそうです。日本では以前「私はコレ(愛人・浮気)で、会社を辞めました」と同じ仕草で小指を立てる禁煙グッズのCMが流行った(?)ので、学生たちが勘違いしたのも仕方ないのかな、とは思うんですが・・・幸いなことに、事情がわかった日本人学生側が勘違いの理由を話して彼女に謝罪し、彼女の方も納得してくれたため、しこりは残らなかったそうです。でも、もし事情を解ってもらえるだけの語学力も、時間的余裕もなかったとしたら?お互いが善意で、良かれと思って取った行動や態度が、違う国では失礼な習慣や行為となって知らず顰蹙を買ったり、相手の心を深く傷つけてしまうことになる。「ローマに行ったらローマ風にしろ(郷に入っては郷に従え)」確かにこのことわざどおりかもしれませんが、たとえそこが自分の国(ホーム)であっても、少しは相手の国(アウェー)を知ろうとする心、それが異文化コミュニケーションの第一歩。と、自分では解釈してますし、「国」を「人」に置き換えても、「自分」を「地球人」、「相手」を「宇宙人」に置き換えても、共通するのでは、と思う次第であります。「ローマも1日にして成らないわけだしね」と格言尽しな方は、ぽちっと1つ→
2007年11月11日
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民放のネット局が都会とは比べ物にならないほど少ない地元。デジタル放送も、ようやく最近可能になりました。電波的には陸の孤島っぽい地元ですが、フジテレビ系は昔からネットされていたので、何の気なしにつけているとフジだった、ってことも多いです。さて、先日フジフラワーネットのCMが流れていて、ちょい気になりました。こう見えても(いや、見えませんが)、家族や友人のバースデーや出産祝いのプレゼントにちょこちょこフラワーギフトを使います。最近は生花を加工したプリザーブド・フラワーとか、持ちのいい七色のバラとかもあってそちらを贈った事もありますが、贈る側も、もらう側としても、やっぱり生花はいいですね。萎れていくのをみるのは淋しいけど、確かに「生きてる!」って感じがします。花は枯れてしまっても、贈ってくれた人の心がまだそこにあるような気がするんです。さて、フラワーネットのCM。毎回、思わず花を贈りたくなるような曲に合わせて流れされているんですが、今回の登場人物(?)が、ちょっと異色。なんだかロード・オブ・ザ・リングに登場する、太古の森ファンゴルンに住むエント(森の牧人)みたいな人が・・・(エント、けっこう好きです)で、ネットでみたら、"モノローグ ~木の青年「愛の物語」~"なるサイトを発見。CMは短いので解らなかったのですが、ちゃんと木の青年と女性とのラヴ・ストーリー仕立てになっていたんですね。モノローグ=独白、というキーワードの通り、想いは胸に秘め、明らかにしない。それでも確かにそこにある大切なものは残り、想いと命はつながっていく・・・今の季節にぴったり(?)な、少しセンチな感じのストーリー。ちょっと気になる!という方はメロディにのせてこちらのサイトを楽しんでください。"モノローグ ~木の青年「愛の物語」~" サイト「自分で自分に花を贈ったことがある」と胸を張って言える方は、ぽちっと1つ→
2007年11月08日
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大方の予想通り「お帰りなさ~い」となった民主党、小沢さん。一連の行動を見ていると、「うちの彼氏(民主党)、ちょ~ムカつく~。 あたしの気持ち、全然解ってくれないしぃ、言うこと聞いてくれないしぃ、 あたしが「いい」って言ってるのに「だめ」って言うしぃ。 もう、ついてけないから、別れるっ!」とさんざん駄々こねて周囲に愚痴った翌日に、「・・・やっぱりぃ、彼にはあたしが必要なんだって。 おまえじゃなきゃダメなんだって、泣いて頼むからさぁ・・・ あたしも少し、言い過ぎたトコあるしね・・・てへっ」としゃあしゃあとよりを戻す、今時の女子高生かいっヾ(o゚ω゚o)ノ゙ ~σ)Д`)と突っ込みたくなるような展開。日常生活に笑いは不可欠ですが、こんな力の抜けた笑いを引き出すコントも珍しい。これも税金を使ったエンターティメント、国民サービスの一つ、なのかなぁ。さすが文化大国、日本\(≧▽≦)丿ところで、復帰会見の小沢さんのコメントで引っかかる点が一つ。「私は不器用で、口下手な東北人かたぎで・・・」東北人全てが不器用で口下手、その上、気力が尽きれば「ぷっつん」するわけではありません。(それじゃまるで雛見沢症候群・・・ (-д-;)一東北県人として、謹んで訂正させていただきますです、はい m(__)m「東北県人は意外とおしゃべり」って密かに思っている方は、ぽちっと1つ→
2007年11月08日
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福田さん、小沢さんの密会報道から大連立成立か?なんてニュースから一変、小沢さんの党首辞任騒動に発展した今回の一件。永田町で繰り広げられる政治闘争には全く無縁の小市民ですが、やっぱり気にはなるもので。どちらが先に話を持ちかけたのか。どちらが連立カードを取り出したか。中華的な妄想を個人的に繰り広げると、対外的になんとしても来年の北京五輪を成功させたい中国筋から、福田・小沢の両党首に向けて、共闘路線を歩むよう、含みのある指示でもあったんじゃないかな、みたいな。東京、札幌、長野オリンピックと、既に十分なくらいノウハウを積んだ日本の経験・知識は中国にとっても必要不可欠なところ。このあたりのノウハウはもちろん、二大政党の党首がどちらも親中派であれば、対日路線も組しやすい事この上なし。安倍首相の時には懇願されてもがん!として会うことを拒否した小沢さんが福田首相に代わった途端「一国の総理が会いたいって言うんだから、会わないわけにはいかないでしょう」って、そりゃ、あからさま過ぎ(´-ω-)結局、幻に終わった連立政権ですが、その後の小沢さんの進退処理もなにやらすごいことに。もともと参院選での勝利は民主党本体の実力ではなく、バンソーコーやら失言やらで、自民党が自殺点を入れたせい。圧勝したものの、決め手に欠く人材のせいで、その後がぱっとしない民主党。もし、近々解散総選挙となった暁には、強力な切り札でも無い限り、議席確保は難しい。圧勝後の惨敗ときたら、安倍さん同様、当然、党首責任が問われるわけで・・・ネズミは沈没する前に、事前に危険を察知して、船から逃げ出すといわれます。政界にはそんなセンサーの働く人が、きっと一杯いるんでしょうね(`・ω・´)「国会議事堂には、昔から魔物が住むと言われてのぅ・・・」って方は、ぽちっと1つ→
2007年11月06日
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最近、知人に「もっけ」という面白い作品を教えてもらい、ちょいとハマっています。蟲師にもハマった口なので、何を今さらって感じですが・・・アニメはキー局が少ないので、放送視聴地域は限定されますが、漫画は全国どこでも手に入ります。ストーリーも心理描写も丁寧で、民俗学的な方面からもきちんとアプローチされている、マジメな作品。もっけとは「勿怪」と書いて、いわゆる「もののけ」のことらしい。視ることができる姉の静流(しずる)と、視えないけど憑かれるタイプの妹瑞生(みずき)の姉妹二人が主人公。中学生にしては思慮深い静流と、元気一杯で明るい小学生の瑞生。「となりのトトロ」の五月とメイが成長したら、こんな感じかな~って。祖父母や家族、学校の友人たちとの何気ない日常生活の中で、時折姿を現すさまざまな「もっけ」達との出会い(?)が、二人をいろんな意味で成長させてくれます。そのエピソードの数々は、時に切なく、痛く、でも清々しくて、温かい。そして、見た後じっくりと考えさせてくれるものばかり。姉妹の祖父は頼みに応じて「拝み屋さん」をしているんですが、このお祖父ちゃんが実にかっこいい。そして、強く、厳しく、たくましく、二人を導いてくれるんですよ。「オクリモノ」というエピソードの中で、友人の兄についた「もっけ」を視た静流は、お祖父ちゃんに祓ってもらおうとするんですが、お祖父ちゃんは簡単には了解してくれない。「俺らは奴らと交渉する立場なんだ。拝んで離れて戴くんだ。 誰でも彼でも祓えるような、大層な身分じゃねえ」このお祖父ちゃんのセリフには、実感と重みがあります。例えば人間の霊なら、霊を納得(?)させた上で成仏させる「浄霊」ってのがあります。この場合は、水が蒸発してなくなるように、霊体はこの世からあの世へ移行し、残らない、と考えてもいいのかな、と。でも、相手がモノノケのような自然霊は、善悪など関係ないエネルギー体のようなもの。もともとこの世にあるエネルギーであり、あって当たり前の存在。どこかへ消し去ることも、消滅させることもできないモノ。たとえ祓うことができたとしても、それは居場所を変えるだけ。力でねじ伏せ散らせても、やがてまた寄せ集まり、他のところへ現われる。春になれば芽を吹く樹木を止められないように、冬になれば降る雪を防ぐことができないように、本来人の身では扱いきれない存在、それが「もっけ」なのかも。除霊、という言い方が正しいかどうかは分かりませんが、なるべくダメージの少ない形で相手から離れてもらうための交渉人(ネゴシエーター=真下正義?)が、拝み屋さんなのかもしれないですね。この浄霊と除霊、最近は専門の方でもごっちゃになっている人がいるようなんで、ちょっと気にかかっていた次第。そしてお祖父ちゃんのもう1つのセリフ「・・・祓っちゃならんもんもある。 不用意に祓って、より悪いモノを呼んじまうことだってあるんだ」これは、以前ダスカロスの本にも同じようなことが書いてあったので、洋の東西を問わず同じなんだな、とちょっと興奮。いわゆる小さなモノが蓋をして、より大きな悪いモノを防いでいたパターン。例えていうと・・・家の空いている1室を貸したところが、借りた人がなんとなく気に入らない。そこで、力自慢の知り合い(お祓い師)に頼んで強制退去(お祓い)してもらったところ、その空き部屋に前々から目をつけていたヤのつく方が断りもなくやってきて、無理やり不法占拠してしまった。みたいな感じ、かな?う~ん、こうなると、手ごわいσ(^◇^;)物理的な部屋ならなんとかなるけど、もしこの「部屋」が「人の肉体」だったら・・・目をつけられていること(嫌な気配)に気づかず、安易に祓ってしまった結果、もっとひどい状況に陥ってしまう。でも、さすがにそこまで先読みできる拝み屋さんは、なかなかいないと思います・・・なんて、色々考える面白ネタをくれる、良作「もっけ」。ご興味がある方は、ぜひご一読又はご視聴を (*^-')ノ「人とモノノケにも共存・共生ってあるのかも」って方は、ぽちっと1つ→
2007年11月03日
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リサイクル法やら3R活動やらで、資源を大切にしよう!って動きが活発化してますが、それでも使えぬ不用品の処理には、みんな悩んでいるようで・・・この間、同僚の知人が不法投棄で罰金20万円を食らったそうな。その知人は住んでいたアパートを出ることになって、処分に困った大量の雑誌類を車持ちの友人に頼んで廃棄してもらうことにしたそうです。てっきり焼却処分か、古本廃品回収業者に持って行ってくれたんだろう、と思っていたら突然警察からの呼び出しが。出向いたところ、冒頭の不法投棄の一件だったそうです。どうやら引き受けたものの、処分に困ったその友人が、山道脇に勝手に捨ててしまったらしい。捨てた雑誌の間に、携帯や電話会社の請求書が入っていて、それで本人が特定されたのだとか。その知人は平謝りしながらも、実際に捨てたのは友人だし、せめて罰金は折半で・・・とお願いしたものの、法律上は捨てた人ではなく、所有者が罰金を払う義務があるそうで、くだんの友人にもばっくれられてしまい、全額自己負担。その知人は結婚を身近に控えてのイタい出費の上、彼女にもそれがバレてさんざん怒られたそうです。それでも個人だったので、この値段で済んだのが不幸中の幸い。法人だったら、罰金は1億円以下!でも、富士山が不法投棄のせいで世界遺産に登録されなかったことを考えると、けして高い罰金とはいえないのかも(´-ω-)まあ、自業自得とはいえ、ちょっぴり気の毒。でも、古本、古雑誌も値上がり気味のこのご時世。多少面倒であっても、回収業者を呼んで持ってってもらった方が、絶対いいですよ。「古いものには「つくも神」という妖怪が憑いてのぉ・・・」って方は、ぽちっと1つ→
2007年11月01日
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